「お経の意味がよくわかるハンドブック」(松濤弘道/PHPハンドブック)

→大学時代はまったく授業にさえ行かずアルバイトばかりで、
いま思えば大学時代が我輩の最高月収をたたき出していた。
卒業直後に母の眼前投身自殺があり、
今度は働くのがいやになって独学で勉強を続けている。
だからなにかっていうと、いちおう独学だがお勉強めいたことはしてますよって。

なんか難しいカタカナがあったことは記憶しているがわざわざ書かないのがいまのおれ。
ご存じでしょうが、言葉は意味と音の要素があるじゃないですか?
ソシュールとか、いいからいいから、そこはそこは。
肝心なのは言葉って意味だけじゃなくて音もあるよねってこと。
たとえば、わたしが注目している作家のひとりに精神科医の春日武彦さんがいる。
氏は非常に鬱屈した内面をお持ちだと自著で告白している。
それは名字の音にあるとも言えるわけ。
春日はカスガで、この「カスが!」。
おまえはなにをやってんだ「カスが!」――バカあほカスの春日なわけでしょう。
そういう音レベルで春日先生はああいう類まれなるおもしろい人になったとも言えるわけ。
名前に色がついちゃうのもあれでしょう?
黒田とかどこか腹黒い感じがするし、赤木さんは熱っぽそうだし、
青野さんは平和そうだし、白石さんはバカで無垢そうだし。
それを言うなら前原さんは前進って感じだし、後藤さんは重鎮って感じがするし。
細谷さんはどこか成功とは縁がなさそうだよね。
わたしは土屋だが、中学生のころ、教師からもドヤと言われてなんだか不愉快だった。
ドヤはドヤ街をイメージさせる。
名前もそうで拓也とか、いかにもパイオニアっぽいじゃん。
正仁とかいかにもめんどうくさそうだし、武彦は名前負けする怖さがある。
隼雄なんてすいすい世を渡っていきそうだし、
大作や聡、太一もそれぞれの語意と語感があろう。
女性でいえばなぜかめぐみと縁がある。恵美子とか、そのままめぐみ。純子もいい。
わたしは顕史(けんじ)だが、これは「史を顕わす」だから、
ずいぶんめんどうくさい名前を、はああ。

いまお経の話をしていたんだよ。
原始仏教は五蘊とか四苦八苦とか十二縁起とか、
それはもうこと細かく言葉(意味)による分類をしてきたわけだ。
初期仏教の用語はいまでも覚えていない。よく意味がわからへん。
それを空(くう)のひと言でまとめた天才かバカかがいたわけだ。
龍樹(ナーガールジュナ)と言われることも多いけれど、実在したかはわからない。
結局、人間は「食う」わけじゃない「空」、空(そら)のように心は変わるが実体はない。
おなじでお経は意味でも読めるけれど、音でも聞けるわけ。
南無阿弥陀仏も広義のお経のひとつだけど、意味はよくわからない。
阿弥陀は音写で原語は「アミータ(測り知れない)」。
で、測り知れない光輝(世界)とも寿命(時間)とも解釈できるわけ。
つまり、アミータは意味でいえば無量光、無量寿。
仏なんか語意も語感も人それぞれなわけでしょう?
ほうとう(乞食)、ほっとけ、ぶつぶつ言う、物質、ぶつぶつぶちたい。
仏教なんか本を読んだり人生経験を経たらそのぶんだけ意味が変わるから、
正確な意味は測定しようもない。重さは量(はか)れない。
たとえば流行語なんか言葉としては強いけれど、重さを量ったら軽いでしょう?
すぐ消えていくのが流行語。
いっぽうで言葉として意味はよくわからないが、
強くて重いのがお経で、そのひとつをあげれば南無阿弥陀仏。
世界は言葉でできているから(世界は言葉で分節化されるので)、
自分の言語世界に南無阿弥陀仏がひとつ入ってくるだけで世界の見方が変わろう。
それは南無妙法蓮華経でも南無観世音菩薩でも、
インシャアッラーでもアーメンでもエルカンターレでもいいのよ。
それは好き好きだろう。
わたしは「あーあ」とどこかで思っているからか(おいおい、元気出せ!)、
ア音がトーンの南無阿弥陀仏(ナアムアミダアア~)を好んでいるが、
「行くぞう」「行くぞう」吉幾三ううう南無妙法蓮華経(ナムウホウレンゲキョウ~)を
叫びたくなる朝もないわけではない。

キモいもキモかわいいも意味はわからなくはないが言葉が軽いし音(トーン)もよくない。
かといって、あんまりにもヘビーな言葉はきんもいのだろうが、若い人には。
あと自分語と他人語ってありませんか?
うんざりする、げんなりする、鬱陶しいは自分語でしょう?
大丈夫は自分語であると同時に他人語でもある。
大丈夫はひとりごとでも使えるし、他人に向かって言える。
まあ、大丈夫が南無阿弥陀仏で、がんばれが南無妙法蓮華経とも言えよう。
いや、南無妙法蓮華経は大丈夫の意味もあるし、
南無阿弥陀仏が他人への励ましになるときもある。
たぶんお経というのはロングセラーになった流行歌のことなのだろう。
わたしは藤圭子が自殺するまでかの名曲を知らなかったが、
「圭子の夢は夜ひらく」はお経だと思う。
暗い重い世界は南無阿弥陀仏のような言葉にしかならないが、
それをじつにうまく歌にしている。
言葉にならない世界の音を拾ってきたのがお経とも言えるだろう。
悲哀を人は言葉にするが、音を喜怒哀楽として表現したのがお経かもしれない。
そこには悲しみだけではなく歓びもまたあるのが大乗仏典だ。