「龍魂継承 天龍源一郎対談集」(ベースボール・マガジン社)

→レスラーもタレントも作家もみんなそうだろうけれど、
売れないころに雲の上のスターや大物編集長にチョー天国体験をさせてもらい、
もう一回あれを体験したいとか、あの美味が忘れられないとか、
ああいう高級車に乗りたいとか、
そういうハングリー精神が人を成功へと向かわせるようなところがあると思う。
ジャイアント馬場は一流のものしか食べなかったというし、
マックなんか冗談じゃないとからきし相手にしなかったという。
しかし、越中がほかに店がないのでフィレオフィッシュを食べてもらったら、
うまいうまいといって、
それからしばらくフィレオフィッシュばかり食べていたというのは、
いまでは悪い噂しか耳にしない馬場さんのちょっといい話。
しかし、一流(=高額)のものしか食べなかったし着なかった馬場さんだから
強かったというのもまた事実なのである。
馬場さんなんか喧嘩をやらせたら絶対強くはないでしょう?
入りたての新人レスラーでも馬場なんかボコボコにできたと思う。
しかし、馬場さんは男としては強かった。一流品を買える金を持っていた。
だから、威厳のようなものがあり、
だれも馬場さんにガチ(真剣勝負)を仕掛けられなかったわけだ。
どんなトンパチだってリングで馬場さんと向き合ったら、
彼に合わせた動きをしたことだろう。
馬場さんの強さはどこか現実世界の強弱とも通じているような気がする。

ミスタープロレス天龍源一郎は13歳で入った相撲の世界を引退したあと、
馬場さんの下で10年以上働いているからいい意味でも悪い意味でも影響が強い。
プロレスラーはコンビニ弁当なんか食っちゃいけない。
一流のものに金を使え。いい車に乗って、いい女と遊べ。
新幹線はグリーン車に乗れ。飛行機はファーストかビジネス。
成金趣味を恥じない。一流の人間というのはそういうことに金を使う男である。
わたしが女に何度もおごってもらったことがあるなんて天龍さんに白状したら、
「男が情けないことをすんな」とグーパンチされ、
倒れたらサッカーボールキックを何発もお見舞いされることだろう。
天龍源一郎は脚本家の内館牧子との対談で、
いまのレスラーがどうして小粒なのかと問われ、
「身銭を切らないからですよ」と答えている。「身銭を切って遊びに行かないから」
天龍はいかにも田舎者めいたところがなくもなく、
金がないときでも銀座で身銭を切って遊んだという。
内館牧子は調子を合わせて若者批判をする。
「たぶん、現代っ子は〝やせガマン”をしないんですよ。
みんな身の丈っていうのが好きだから」
それに応じて超一流レスラーだった天龍源一郎は言い放つ。

「でも、それは、自分で自分の寸法を決めちゃってるという悲しいことですよ。
そうすると見てる人も、そんなもんかって目で見ちゃう。(……)
背伸びしながら、いつか夢をつかもうとしてきたヤツを、
見てる人は共感して応援してくれるんですよ」(P238)


耳が痛いアドバイスである。
コンビニ弁当でもぜいたくなんて思っていたら絶対に一流にはなれない。
持っている服がユニクロしかないなんて、おれ、どーにかしてるんじゃないか?
林真理子はたまに乗る電車でユニクロを着ているおっさんを見ると軽蔑すると
書いていたが、そういう見方もまた「正しい」のだろう。
しかし、銀座は嫌いだし、銀座でおねえちゃんの店で酒飲んだってつまらないじゃん。
おれ、知らない女とおしゃべりしながら酒を飲むなんて時給もらってもいやよ。
銀座の寿司屋に入っても緊張して味がわからないだろう。
たぶんこのまままじめに働いても回転寿司屋でビールを飲むのでさえ高嶺の花だろう。
しかし、言葉には投資している。本には金と時間をめくらめっぽう使っている。
一流と言われている文学作品はけっこう目を通しているほうだし、
戯曲(演劇台本)にいたってはコレクターレベルだろう。
本書で越中が猪木さんや長州さんは実際に練習しているから偉いとほめていた。
結局、勝負というのは最後は自信の強弱と運で決まるのではないか?
どうしたら自信を持てるかというレベルで、練習とともに一流信仰が発生するのだろう。
おれはあたしは一流ブランドを身につけ一流のものを食べているから負けないという。
一流(と言われる)ものを人がほしがるのは、
読者諸賢ご明察でしょうが、おそらく自分に自信が持てないからである。
ひっくりかえせば一流に囲まれていたら自信を持てる。
ぶっちゃけ、ドストエフスキーやトルストイの長い小説をいま読む意味はないでしょう?
15年くらいまえわたしも見栄からほとんど全作品読んだが、
そしていまでは内容をほとんど覚えていないが、
あんな長編小説を読んだということがひとつの自信になっていることはたしかである。
シナリオ・センターの無教養なチンピラ講師と言い争いになったとき、
どうしてわたしが引かなかったかというと彼よりも良質な演劇作品を読んでいたし、
男が読みもしないで権威づけに利用したアリストテレスを実際に読んでいたから。
講師は「ドラマは葛藤だ」とアリストテレスが言っていると一流ぶったが、
実際にアリストテレスの「詩学」を読んでいるこちらは「え?」と思ってしまう。

一流とはおそらく権威のようなものなのだろう。
劣等コンプレックスが強いものほど一流という権威を求めるような気がする。
その一流を求めるこころが人を一流にするになら、
むしろコンプレックスや俗物根性は歓迎すべき精神特性なのかもしれない。
しかし、コンプレックスは人一倍あるのは自覚しているが、
どんなに金があってもグリーン車は乗りたくないという変なこだわりがある。
まずユニクロを脱ぎ捨てることから始めなければならないのはわかるが、
ユニクロは安いし長持ちするしネットで買えるし、いいこと尽くめ。
どうしたらいいんだよ、天龍さん!
おれは少年時代から天龍のようなかっこいいおっさんにあこがれてきたんだぜ。

脚本家の内館牧子は新人のころ、
有名脚本家の代役(ゴーストライター)として連ドラデビューしたという。
そのとき師匠の橋田寿賀子から言われたのは「出し惜しみしちゃダメよ」。
出し惜しみをするとかならず客はすぐ逃げる。
天龍源一郎の名試合はほぼナマで観戦しているが、
天龍も出し惜しみをしないレスラーであった。天龍は言う。

「イヤ、ホントですよ。素晴らしいものを見たら、誰かがまた興味を示してくれる。
これは自分の向上に繋がるんですね。
みんなそこを感じてないから、『今日これを出すべきじゃないな』とか考えちゃう。
その日来た人が面白くなかったって感じたらそれで終わりなんですよ。
やっぱり面白かったら見てくれて、伝聞で広がるんですよね。
物書きもプロレスラーも、生身の人間に見てもらうという部分は共通で、
生身の人間はごまかせないですよね。
10人、20人はごまかせても、100人、200人は絶対ごまかせない」(P247)


天龍はほかの本でもそうだが、
口癖のように「誰かがどこかで見ててくれる」と言っている。
そう思っていたら、ヘコたれないだろうと。

「見てますよ。これは不思議なもので、人と違う行動をしてる人を世の中の人は、
面白いヤツだなと思って、ピックアップしてくれるんですよ。
そのことに希望を持って生きないと、ヘコたれたら10箱1セットですよ。
頑張れば、誰かが引き上げてくれる。(……)
でも引き上げてくれたとき、自分のポリシーがないとダメ。
たとえば平社員のとき、「こんな会社……」って文句ばかり言って、
上役になったら何もできない。それじゃ遅いですよ」(P245)


「誰かがどこかで見ててくれる」なんてウソだろうという境地になっていたが、
今年、精神科医の春日武彦先生がご著書を送ってくださり、
ああ、本当に「誰かがどこかで見ててくれる」と涙が出るほど嬉しかった。
ブログ「本の山」も出し惜しみしていない。
身銭を切って、誰も読まないような古臭いお経の本を買って、
全力で感想を書いている。山田太一の記事で手を抜いたことはない。
そういえば今年は山田太一ファンの奈良のお医者さんからご招待を受けた。
「誰かがどこかで見ててくれる」
どこかの誰かのために、もっとおもしろいものを書きたいが、
いったいおもしろいとはどういうことか、天龍さん、大将?

「今の人は意図的にやるじゃないですか。こうやったら面白いだろうって。
そういうことじゃなくて、お前らが必死にやっているのを見てもらうんだって。
笑おうが、悲しもうが、バカにしようが。
そこをベースにやってほしいって気持ちがありますよ。
たとえば、馬場さんが必死にやってたのを「ノロいなぁ」って、
お客さんが勝手に批評して面白がったり、
猪木さんがいろいろやるのを「またバカなことやってるよ」って思うのがいいんですよ。
自分たちで「こう見てくれよ」なんてやるのは、小ざかしいことですよね」(P250)


これを言ったら自分が老人になったみたいでいやなのだが、
小学生のころから見てきたから言わせてもらいたく、いまのプロレスっておもしろくない。
ぽんぽん飛んだり跳ねたりしているだけじゃないかよ。
ヒールだっていかにも悪役やってますって感じで、
人間誰しも有する本物の悪がちっとも見えてこない。
鈴木みのるなんて悪ぶっているがステロイドの副作用かヨボヨボだろう。
会社をクビになるのを覚悟で、
誰か若いやつが鈴木みのるをボコボコにしてやったらいいのに、
ひとりとしてそういう本当に悪いことをできるレスラーがいない。
いまのプロレスへの不満を天龍はこう言葉にする。

「俺もいろんな人の試合を見るけど、きれいなプロレスじゃなくて、
もっと人生を見せつけるような試合をやってくれよって思うときがあるよ。(……)
泥臭くていいから、人生を見せてくれよって。
サラッとした技もあっていいけど、
その中に自分のドロドロとした部分もある人生を見せてほしい」(P149)


本書に天龍とあの前田日明の対談が掲載されている。
一部では前田がガチ(真剣勝負)を人生で一度もやったことはないという噂もあるが、
在日コリアンの前田がおなじ在日の長州力の顔面を背後から蹴ったのはガチである。
いまガチっぽい演出はできても、
ナマの泥臭い人生を賭けたガチを仕掛けられる前田のようなレスラーがいるか?
下手をしたら業界追放、即失業者、人間失格のレッテルをはられるようなガチキックを。
前田はあの事件を、
長州が自分を信用しないで逃げたから怪我につながったと言い訳している。
いまの新日本プロレスって「助け合いプロレス」「思いやりプロレス」なんだよねえ。
相手が飛んだら全身で怪我しないように受けとめてあげる、みたいなさ。
助け合い、思いやり、絆(きずな)プロレス。
プロレスは最初から勝敗は会社の指示で決められているが、
リングに上がったらそこはふたりだけの世界で、
先輩も後輩も礼儀も格式も社会常識もないことを前田日明は知っていた。
前田と天龍の対談から引用する。

前田「……プロレスに入って、何年か経った頃によく先輩から言われたんですね。
 「なんで俺があんなヤツに負けなきゃいけないんだ」って。
天龍「ワハハ!」
前田「『そう思うんだったら、リング上でやっちゃえばいいじゃないですか!』って言うと、
 『そんなわけにいかないだろ』とか言うんだけど、
 なんか俺とか天龍さんは、そう思ったらやっちゃうんですよね」
天龍「(ニヤリ)」
前田「そういう気概をもった選手がいないんですよね。試合見てても。
 『あ、これはちょっとナマ入ったぞ。よしよし、これから試合が面白くなるな」と思っても、
 『あれ? 全然面白くならないな、なんで?』みたいな。ありません、そういうの?」
天龍「あるねぇ」
前田「昔だったら、一発カーンと入ったら、
 試合がガーッと激しくなるっていうのがあったんですけど、
 そういう火の点き方をする選手がいないんですよね」
天龍「そうだね」
[……中略……]
前田「でも、ホントはプロレスって、天龍さんとか、ハンセンとか、
 そういう連中がいるから面白かったんですよね。なんかうまく手が合って、
 エッチラオッチラやってみせて、面白かったでしょ? っていうだけじゃね。
天龍「そうそう」
前田「それじゃ、ただの演劇。どっかに気持ちを入れないと。なんかねぇ。
天龍「そういうことが起きるのかなと思って、見てるんだから、お客も。
 お互いの力量でそこをまたうまく見せて。
 昔はね、[会社が]売り出そうとしてるアンちゃんが出てきたら、
 先輩だとか外国人がパパッと極めて『動けるもんなら動いてみろよ』
 っていうのが、いっぱいいたのよ。
 そこからしのいでいくと、『コイツ、いろんなこと知ってるじゃない』と思って、
 お互いそこで尊敬し合いながら成立したんだよね。
 馬場さんがよく言った言葉で、『すべてを超えたのがプロレス』って、そういうことですよ」
前田「自分らが若手の頃、猪木さんからも山本さんからも言われたのが、
 『外国人にナメられないようにしろ」と。それは常に言われてましたよね。
 相手にナメられたら、プロレスはできないって。
 山本さんなんか、何があってもケガさせられたほうが悪いって言ってましたから」
天龍「練習をガンガンやってると、自分に自信がつくんですよ。
 試合の中で手応えを覚えると、また自信になってっていう」(P280)


まるで子供の喧嘩だが、男の世界はナメられたら終わりのようなところがある。
だから、米国から帰国した日に、一流スーツを着て、
運転手付きの高級車に乗り、銀座の寿司屋に美女を連れていき、
おつぎは銀座のママ相手に飛行機のなかで読んだ通俗書の通俗処世名言を
さも教養ありげに公開して、「社長さんって立派ね」と言われたがる人もいるのだろう。
一流の人とは身もふたもないことを言えばおそらく俗物のことだが、
わたしが少年時代からあこがれてきたミスター・プロレスは一流であり俗物であった。
しかし、中卒という自覚はしっかりありインテリぶったことは言わない本音の人であった。
前田がいうような「ナマ」の暴力を天龍が相手に入れるのを何度も目撃したものである。
「ナマ」を入れるには自信が必要だが、そのために天龍は一流を必要としたのだろう。
わたしが生まれてからはじめて尊敬するという畏怖に似た感情を抱いた相手は、
ミスター・プロレス天龍源一郎でありました。本書のタイトルは「龍魂継承」――。
龍魂は当方にしっかり継承されている。いまでも思うさ。あんなおっさんになりてえ。