「英語コンプレックス脱出」(中島義道/NTT出版)

→日本はむかし英語コンプレックスがあったけれど、
いまは少しずつだがなくなってきたよねえって本だと思う。
おれもさ、嫌いなのはあれ。
日本人の価値観ではブスとされる女がさ、ほら白人と連れ立って、
ワーオ、アイノウとか
日本人なのにいかにも欧米人ぶって英語を陽気に話しているポーズ。
日本男児が好む女性タイプと白人野郎が好むやまとなでしこは違うみたいだよね。
言っちゃあ悪いけれど、
不細工な女が英語を白人と話しているだけでタカビーなのはムカつく。
というか、それがまさしく英語コンプレックスなのだが(笑)。
陽気なアメリカ人ポーズをしている日本人って卑屈で醜悪だよねって、
これもコンプレックス?

おれはむかしから欧米コンプレックスは比較的に少なかったような気がする。
大学の第二外国語は中国語を選択したし。
10年近くまえ東南アジアをぶらぶらしたときは、白人がムカついてしようがなかった。
だって、あいつらが英語を話せるのは努力の結果とかじゃないでしょう?
欧米世界の言葉は基本的に似ているっていうし、
日本人が英語を習得するのとは違うのである。
ゆっくり話せばわかるのに、
アメ公は自分がスタンダードといわんばかりに早口でまくしたてるじゃん。
日本が世界を征服していたら、
日本語が世界の公用語になっていたのにと悔しい思いをしたものである。
ベトナムから中国に入ったのだが、
それまでいっしょだった欧米バックパッカーたちがパタリといなくなったのは笑えた。
タイ、カンボジア、ベトナムは英語が比較的通じるが、中国ではそうはいかない。
漢字、漢字、漢字の世界だから、欧米人よりも日本人のほうが有利。
こちらはかすかに記憶に残っている中国語を使うことができて、
中国はいいなあと思ったものである。

身もふたもないことをいうと、白人って有色人種を差別しているでしょう?
だから、わたしも差別的なことを書くが、白人女に欲情することがない。
白人女ってワーオ、ワンダフル、ナイスの世界観しかなく情緒ってものがない。
西洋映画とか見ても、ウィットを利かせた会話とか、それなりにおもしろいとは思うが、
けっ、それがなんだよという不快感を同時に感じる。
わたしは差別主義者なのだろうが、中国人、ベトナム人の女の子はかわいいよね。
これはかつて米兵が、
日本人女をオンリーにしたいと思っていたあの差別感とどこか通じている。
でもさ、バイト先やスーパーのレジで見かける若い中国人の女の子とか、
ベトナム人の子はかわいいもの。
あれ、本当は、すごく気が強い地雷らしいけれど、それを差し引いてもさ。
いまの日本女が失った純情のようなものを持っているような気がする。
それがこちらのコンプレックスで、恥ずかしいことを告白しているという自覚はある。
しかし、中国人女性やベトナム人女性は、
あの腐った日本的価値観に毒されていないじゃん。
なにか真剣なものがあるっていうか、わからない部分があるっていうか、そこがいい。
タイ、カンボジア、インドはダメね。
あのへんは偏見を承知で書くが、アメリカに毒されている。

しかし、我輩さまの英語コンプレックスもかなり消えてきた。
いつだったかなあ。ラオスを旅したことがある。
いっとくけど、いま海外旅行は本当につまらなくなった。
だって、どこに行っても現地人も旅行者もスマホを手にしているわけだから。
スマホがあったらガイドブックなど不要なのだろう。
おれはガイドブック派で(ラオスの)ビエンチャンを夜ふらふらしていたら、
スマホ片手に道に迷った若い白人女性バックパッカーから道を聞かれた。
ガイドブックを見て道を教えてあげたが、なにかに勝ったって思ったね、そのとき。
英語なんて単語の羅列でいいわけよ。
英語を話そうなんて思わないで、相手に意味が伝わればいい。
身振り手振りでもコミュニケーションはできる。

東大卒の著名哲学者である中島さんは、
本書で受験英語にも意味があると主張している。
東大受験英語経験者だからはっきりいうけれど、あれは英語を話せるようにはならない。
しかし――。

「語学能力は、きわめて多岐にわたるものであって、
英語の受験問題が解けることはその一つの要素である。
受験英語を目のかたきにする英語屋さん(英語で飯を食っている人)がいるが、
それはまちがいである。
かなり難解な英語を読解できること、その最重要なポイントを指摘できること、
その要約を正確な日本語で書けること、
最も正統的な英語の表現を知っていることなどは、一般に重要な知的能力である。
つまり、こうした能力は英語の語学力というよりも、
もっと普遍的な言語能力や論理的思考能力であって、
受験英語は英語を通じてこういう普遍的能力を検査しているのである」(P162)


東大英語なんてかなり日本語に習熟したアメリカ人でも解けないもん。
去年、クビになったリネン工場の上司、コカ45歳のことを思い出す。
コカはものすごく偏差値の低い高校出身なことをあえて露悪的に話し、
しかし自分は仕事では優秀であるといういかにもな自慢話を何度も当方相手にした。
最後まで当方は職場でコカのいうことがよくわからなかった。
指示が毎日変わるし、屈折したコンプレックスがあるのだろう。
わたしを叱りつけて知的障害者軍団をほめあげて、そう書いたらわかるでしょう?
しかし、日本人的日本語レベルでコカが優秀だったのもまた事実なのである。
中島哲学博士は外国人留学生に本当の日本を教える授業というのをしていたらしい。

「参加者は一〇名前後。「上座・下座」から始まって、
「ホンネ・タテマエ」や「義理・人情」「恩」「甘え」「恥」「根回し」「先輩・後輩」
などの定型的な概念を使って日本社会の伝統的な人間関係を説明する。
そのほか、「コネ」「学閥」「談合」「村八分」……など」(P203)


こういうテクニックは受験予備校では教えてくれず、
実社会で「暗黙の了解(=言葉にできない真実=空気を読め!)」を学ぶしかない。
おまえはいくら早稲田を出ていようが、高卒のおれのほうが何倍も偉い。
一度も海外に出たことがないというコカは、
純粋日本人としてたしかにわたしより勝っていた。
それに最後の最後で口を割ったがコカは日蓮を大聖人とあがめる、
あの巨大宗教団体のメンバーであった。
創価学会は上で抜粋したような日本社会の伝統的な人間関係の結晶でしょう?
コカにはフィリピンパブに連れて行ってもらったから悪口を書いちゃいけないな。
巨体の高齢フィリピーナはおれの手を自分の股間に引き寄せて、
今度コカツさんと3Pをしましょうとか言ってきたが、気持が悪くて吐きそうになった。
まあ、フィリピン人女性も嫌いだな。
コカは英語を学んでいるとかで、フィリピンパブで英語の歌を上機嫌で歌っていた。
いい経験をさせてもらったと思うし、
学会員のコカは好きとか嫌いとか、そんな安易な二項対立で分類できる人ではない。

政治に希望することといったら、安楽死の合法化、施設の迅速な設計だなあ。
わたしは痛そうな自殺よりも安楽死をしたい。
自殺でまずって障害者とか最悪じゃん。安らかに今生を終えたい。
政治に望むことは、税金を払いたくない。払ってもいいが最小限にしてくれ。
人生に希望というものが加齢とともになくなってきた。
若い女の子にちやほやされたいとかもうないなあ。
だって、若い子って基本的にバカだから話してもつまらないじゃん。
メンヘラな女子なら少しはおもしろそうだが、依存されるとめんどうくさい。
いまわたしが望んでいることってあるのかなあ。
とりあえず感想をまだ書いていない本の感想を書く時間がほしい。
それからもう少し本を読みたい。あとは楽に死にたい。
女に夢中になってガツガツできたらどんなにいいことかと思うが、そういうのは運だから。
あれから17年経っても結論は死にたいかあ。師匠の原一男教授に申し訳が立たない。