きのうわたしが派遣で行った東村山は、
考えてみたら信濃町みたいなアノ、アレな場所だったのか。
朝木明代とかいう市議が創価学会に殺されたという(?)、いわく因縁がある。
よく知らないが(興味もないが)、いまは娘が市議(権力者)なんでしょう?
派遣をひとり東村山にぶっこむのに政治も宗教もないだろうが、
わたしは創価的にはどういうあつかいなわけ?
創価学会の味方? それとも敵というあつかい?
なーんか、創価学会批判サイトから同志としてリンクをはられているけれど、
わたしってアンチなの? 創価学会の泥臭い善人主義、全員主義、軍団根性は好きよ。
生まれたときから創価に洗脳された美少女に毎日「きちんとしましょう」
とか教育されないかぎりわたしの人生は終わりだと思う。
まじめに生きるべきかと悩みは深いが年齢も年齢だし、
それとは関係なく明日は創価学会の聖地、信濃町にある慶応大学病院に行く。
予約は14時だったかな。学会員さんさあ、施設の案内をしてくれませんか?
あのへんのあれは学会員でしか入れないけれど、紹介者がいればOKなんでしょう?
見てみたい。創価内部の世界を知りたい。
死にかかっている携帯電話にだれかかけてくれないかなあ、学会員さん。
創価学会本部に電話すると氏名、住所を聞かれ、お役所的な対応しかされない。
電話相手は名前さえ名乗らないし、
名前を聞いても高圧的に答える必要はないと拒否される。
でもさ、それが本当の創価学会ではないでしょう?
派遣仲間だったAさんから、ツッチーの目は死んでいないねと言われたことがある。
同年齢の派遣男性と比較しての話である。
たしかに同年代の男性を見ると、目が死んでいる人が少なくない。
蓄積された長年の労働疲弊で凝り固まった世界観が目を殺している。
そのぶんわたしは世間知らずだが、目が死んでいないフレッシュなところがあるのだろう。
何度書いても理解してもらえないがYonda?とリアルなツッチーは別人。
なまのツッチーをひと目見てもらえばわかると思うが、
わたしは老け顔らしいがそこらの41歳よりよほど目がいきいきしているのではないか?
昨日なんかも全身スポンジ吸収身体だったから。
社員が交わす携帯電話の言葉、倉庫のほかの場所の若者たちの動き。
そういうものを実際のわが目で見ることでいろいろ吸収している。
むかし副工場長のコカから給料分以上に働けと言われた(サービス早出をしろと)。
苦労した高卒の彼は師匠からそう教え込まれたのだという。
わたしのモットーは給料分以上のもとを仕事から取る。
世間知みたいなものは働くことでしか得られない。
それが下層労働世界であればあるほどリアルなそれが得られる。世界の構造がわかる。

Aさんと最後に逢ったのはパチンコ仕事が終わったあとのインド料理屋。
浮間舟渡の「ダリヤ」という店の食べ放題、飲み放題だった。
3500円だがこちらは10パーセント引きのチラシがある。
聞いたら食べ飲み放題では350円は割引できないという。
だったらキングフィッシャー(インドビール)でも2本つけてよとお願い。
うちにはネパールのビールしかないとのことで、だったらそれを2本。
経験したことのない味って興味しんしんでおもしろいよねえ。
ところが、57歳のAさんはネパールのビールなんか飲みたくないと。
そういう考えだと目が死んじゃうぞ、あはっ。
ひさびさの(ネパール人がつくった)インド料理を満喫した。
インドカレーはマトンの肉がうまかったが、総じてインドやネパールではなく日本の味。
本場のものを出してしまうと日本人の客が来なくなると聞いた。
バターチキンカレーとかインドで食ったものはもっとうまかった記憶が。
しかし、そういうものなのだろう。

Aさんはもう2週間ごとに夜勤、昼勤のシフトが変わるという、あの工場で働き始めたのか。
こういう気持から早く携帯をかえなきゃいかんとか思うわけで。
時給900円でも給料分以上のもとを取れる仕事ならしてみたい。
えへへ、もうどこも雇ってくれないかもだけどさ。
コージーコーナーはさすがにあれだったけれど(金銭的時間的に納得できない)、
こうしてAさんと知り合えて給料分以上のもとはもしかしたら取っているのかもしれない。
会社のために働くな。自分のために働け。世界の輝きにそのとき気づくだろう。
うわっ、おれ、なにさま? 嫁のキテもない底辺下級派遣労働者の分際で。サイテーだ。
いまは人口比率的にむかしのように△ではなく逆ピラミッド▽。
偉ぶった古参の古株的な老権力者が、
むかしなら死んでいるのにいまは元気で大勢生きてアンチエイジングだかなんだか、
長老ぶって高い給料を取りながら尊大にも若者に説教をしている。
社会を変えようとは思わない。だって、社会は個人のちからでは変わらないから。
うまいこと長老権力者にかわいがられて底辺から引き上げてもらえないかなあ。
おそらくそういう願望をいだいている青年や中年は大勢いる。
彼らはみんな長老に対して口先だけのヨイショをするだろう。
ありきたりだ。どこにでもいる。
長老権力者に喧嘩を売ってみたら、こいつは見どころがあると思ってくれないかなあ。
どの業界でも上からの「引き(コネ)」が肝心なのは男社会の真実だろう。
わたしは恩を裏切らない。しかし、非道なことをされたら忘れず復讐を努める。
これってまるで学会員メンタリティーじゃないですか?
選挙では毎回公明党に入れて、
ブログでラブコールを送っているのに連絡がないとはどういうことか?
勧誘は白ゆり部隊というか、
婦人部ではなく女子部の、妙なる白蓮華を生意気ながら希望します。
テレビや新聞は見ないから社会情勢といったものに疎い。
昨今評判なのは「貧困女子」。なーんか、違うんだなあと思うことがある。
「貧困女子」をメディアで紹介しても、社会問題として論じても意味がない。
そんなことをするより個人として「貧困女性」のひとりにどう親切にできるかが問題では?
しかし、他人に親切をするのは難しいぞ。.逆に恨まれることさえ多々ある。
だから、みんな個人問題であるところの「貧困女子」に個人としてかかわらないで、
社会問題として論じることで善事をしたいい気分になるのだろう。
「貧困中年」「老後破綻」「ワーキングプア―」という社会問題はテレビや新聞の話で、
そこに逃げることで個人のそれぞれの問題から目を背けている面もあるのだろう。
しかし、社会問題を語っているうちは自分はよき社会人だとご満悦。
むかしから言い尽くされた話をなにをいまさらって言われそうだが、やっぱりそうじゃない?
男はこのくらいいいやってアバウトになるときが多いよね。
女は生活感覚が鋭くて10円だろうが1円だろうがこだわりを見せる。
だから、どこも男社会なんだとか、女はめんどうくさいとか言ったら差別になるのだろう。
男って仕事にも夢のようなものを求めるじゃない?
去年働いていたリネン工場のコカは、
いっしょに酒をのむごとに「いまビックなプロジェクトか動いている」とか、
「おれは有能だからほかの事業所からもスカウトされている」とか、
「工場長が無能でおれがいないと仕事が回らないから手放そうとしない」とか。
わたしから見れば(現実ではない)夢のようなものを熱く語っていた。
そういう体験をできたことは、
意味不明に突如退職勧奨されたけれど、あそこのいい想い出。
男ってそうなんだなあという。
男よりも女のほうがどちらかと言えば現実を見ている。
なぜなら女は男から買われるところの商品という面もあるからである。
女は加齢とともに値段が下がるという身もふたもない現実に、
子どものうちから気づく。男の視線から自分の商品価値を知ることも多かろう。
男はそういう現実感覚に乏しいから20代で結婚してしまい、身動きできない状態になる。
夢を追う若いシンガーに奉仕しても、結婚するのは正社員というのがほぼ女というもの。
わたしはおふるの修理不能なほど壊れたさんざん遊ばれた中年女性でも大歓迎だが、
それすらも得られないのが夢を見てきた男の現実というものである。
昨日の話。
スポット派遣とか世間的な「格」としては最低だけれど、いい人生体験になるんだ。
日雇い派遣はおもしろいよお。やったことがない人を誘ってみたいくらい。
だって、いきなりどこに飛ばされるかわからないんだよう。
どんな作業をさせられるのかもわからない。
それって見方しだいではわくわくどきどきじゃん。
お金をもらえる海外個人旅行みたいなもん。
昨日の東村山は携帯のバッテリーがどうのという仕事と
派遣のイケメン社員からは聞いたが、実際はカイロの仕事。
カイロの封入間違えが1件あったらしく、
なら出荷まえにぜんぶそれを再チェックしようという。
4人グループでやったのだが(社員1、派遣3)わたし以外はみんな顔見知りのお仲間。
困ったのがランチ。わたしは働いているときはランチを取らないことが多い。
そもそも空腹を感じないし、過敏性大腸炎の気(け)もあるからだ。
どうやら吉野家に行こうという話になっている。
わたしは吉野家のみならず牛丼屋にはこの30年近く行ったことがない。
なんか牛丼屋でメシを食うってライン作業みたいじゃないですか?
しかし、もうわたしだって大人だし、みんなと合わせようと。それが大人でしょ?
みんなが牛丼を注文していたので、和を以て貴しとなす。
わたしもおなじように牛丼並盛のサラダ味噌汁つきを注文。

ここで正義について深い考察を得ることになる。
みんながテキパキと口に入れている、吉野家の牛丼がまずくて食えないのである。
本当に吉野家の牛丼は当方の口に合わなくて3/4以上残した。
吉牛から正義の話をするなと叱られそうだが、正義ってなんだろう?
吉野家の牛丼は大勢の人たちから評価されている食べ物なわけでしょう?
それをまずくて食えないというわたしの舌が正義なわけがない。
吉牛が食えないなんて書いたら、日本人男性の半分以上を敵に回してしまうのか?
でも、女性読者がひとりでもいればいいもん、ぼくぼくぼく♪
サラダと味噌汁は完食するがとくにめぼしい感慨はない。
困ったことは、お若い社員さんがランチ代金をぜんぶ持ってくれちゃったこと。
あとで「部長」に払ってもらうと言っていたから、
彼のふところは痛まないのかもしれないけれど。
わたしがなによりも嫌いなのは、食べ物を残したり捨てたりすることだ。
罪悪感で胃がきりきりよ。
その我輩が半分すら食べられない吉野家の牛丼は、いったいなに? どうなってんの?
もちろん、間違っているのはわたしで、
正しいのは多くのお客さんから評価を得ている吉野家だろう。
大げさだが、正義っていったいなんだろうか?
携帯電話(ガラケー)が虫の息である。通話もままならないって、それゴミじゃん?
ワンコインワーカー(日雇い派遣、スポット派遣)が携帯を失ったら餓死が近い。
さいわいにも携帯をかえるくらいの余力はまだあるようだが、めんどうくさい。
おれさ、芥川賞作家の柳美里以上(以下?)に生活能力がないんだ。
携帯をかえるってどの機種にしたらいいの? どのプランがいいの?
おれ、人生でスマホなんて使ったことないよ。
こういうときに生活能力あふれる女性が現われて、
これ、これにしなさい、このほうがお得だからとか指示してくれたら惚れちゃう。
おれの理想はそういうタイプなんだなあ。
昨日なんか派遣仕事後の連絡で携帯が使えなくて公衆電話を利用したから。
長らく相棒だった携帯電話の死亡とシンクロしておれも消滅してもいいか――。
なんて書いても誰も助けてくれない秋の空。秋が来たら冬は近い。
今日は山田太一の「3人家族」の感想を書いて、それからそれから――。
といろいろ計画していたけれど、身体が疲れていてこれは無理かと。
ワタミのあの人のように「無理と言わない」でやろうと思えばできるのだろうが、
いいかげんなごまかしをブログに書きたくない。
昨日はちょろいと思っていた肉体労働だが、馴れない動きがよくないのだろう。
今日はあちこちが筋肉痛で尻(に筋肉なんてあったか?)までなぜか痛い。
もう齢(とし)なんだろうなあ。

読者さまに質問しているわけではないが、作品感想と雑記のどちらがおもしろいのだろう。
書き手としては雑記は楽勝で、なにも考えなくてもぽんぽん書ける。
しかし、作品感想を書くのは相当なエネルギーを要する。
でも、数少ない読者さまのなかには、
稚拙な感想文よりもまだ雑記のほうが読めるという人が割合的に多そうで、
そうだとしてもそういう事実は知りたくない。
おもしろいかつまらんかは作者にはわからんが、
身辺雑記めいたものを書くのはチョー楽よ。
身辺雑記レベルのブログさえ更新できないブログはよく見かけるが、
どれだけお疲れなのか?
わたしが聞き書きでゴースト差し上げますから、どうかお雇いくださいと。
むろん著作権放棄でOK。

意味不明なブログって多いよね。
匿名で無名なのに、作家きどりで1ヶ月更新しないで、だれも読んでいないのに、
長らくブログ更新をしないでごめんなさいとか書いているブロガー。
だれもおまえやおれの身辺に興味なんかないんだぜ。