「人生の道しるべ」(宮本輝・吉本ばなな/集英社)

→対話集だが、これはとくに宮本輝に言えるのだが、
作家というのはうまい(売れる)小説を書ける人というだけなのに、
どうして人さまの人生指南をしたくなってしまうのだろう。
やはり宗教が関係しているのかなと遠藤周作もそうだったなあと思う。
15年くらいむかしのわたしにとって宮本輝は絶対的な師匠ともいうべき存在で、
とにかく逢いたかったけれど師匠が池田大作を畏怖するのとおなじで、
わたしも宮本輝がとても怖い師匠に思えて逢うなどとんでもないと思っていた。
それがいまでは宮本輝にことさら逢いたくもないし、
怖い人どころか師匠とさえ思っていない。
これは紫綬褒章作家の宮本輝の成熟、老成の深みに、
わたしがついていけなくなったからだろう。
氏はわたしなんぞが理解するには及ばぬほどの文学的高みへお登りになられた。
宮本輝が堕落したのではなく、わたしの劣化が著しいのだろう。
氏は苦労自慢(不幸自慢)を好んでするが、
いまから見たら若干30歳で華々しく世に出て、
32歳の若さで軽井沢に別荘を購入している。
それから40年近く文壇の第一線で成功者として大勝利人生を歩まれておられる。
もう充分に人生のもとは取ったであろうが、その自信が宮本輝に説教をさせる。
おまえら、なんか文句があったらおれのように大勝利してから言えよ!

「いまは「あしたの千円よりもきょうの百円」でしょうから、
あしたのことまで考えてられるか、まして三十年後のことなんて、と。
「十年一剣を磨く」という言葉がありますが、
たとえば剣道なら十年竹刀を振り続ける。
最初の一日目なんてへろへろになるけれども、これを十年やることで、
ものすごい大きな結果へ至るようになる」(P48)


もう40年も富裕層として大勝利人生を満喫していらっしゃる氏は、
いまの社会底辺に埋もれている人のことをなにも知らないのだろう。
そもそも逢うことがないだろうし、逢っても通り一遍の励ましをするだけで、
胸襟を開いて話すということがない。
わたしはまだギリギリそこまで行っていないが本当の貧困中年にとっては、
「あしたの千円よりもきょうの百円」なのである。
その百円がなかったらあした派遣先の職場に行けないという感じで暮している。
それも彼の努力が足らないからというのではなく、
同身分ゆえ厚かましくも人生来歴を聞いてみると、よほどわたしよりがんばっている。
宮本輝は小説のなかで恵まれていないものを努力が足らない、
それは修業しなかったからだと老いた富裕層に批判させるが、
てめえの目でものを見てから言えと申し上げたくなるが、聞く耳を持たないだろう、
「10年やれ」というのは宮本輝だけではなく、多くの成功者が好むフレーズのようだが、
ブログ「本の山」はもう今年で12年になるが、まったく世間からは評価されず、
それどころかアクセス数は下がるいっぽうで、
むかしはよく来ていたメールもぱたりと来なくなった。
それが当方の人品の卑しさ、心根の悪さの「現証(結果)」なのだろうが、
こうまでだれからも相手にされず黙殺されると
無力感、不全感、孤独感に押しつぶされそうになる。ひとりでさみしい。
宮本輝はよく30年後を見据えて生きろと説教しているが、
どのみちこちらは不健康な生活をしているのでそんな長生きはできそうもなく、
30年後の1千万よりもいまの100万円がほしい。インフレだってないとはいえない。
いくら職人が30年腕を磨こうが技術革新で全部パア。
かなしくも熟練職人が失業者になってしまうのが進歩のやたら早くなった現代社会である。

売れなくなった老作家は(それでも過去の印税収入があるんだからいいだろう?)、
かならずといっていいほどいまの売れている作家を批判する。
本人は師匠先生きどりで若僧を叱っているつもりなのだろうが実際はパワハラだ。

「ぼくは、死生観が根底にない物書きは、ぐらぐらすると思います。
最近の作家たちでせっかくいい才能があるのに伸び悩んでいる人の脆弱さは、
ここに原因があるのと違うかな。
作家は生とはなにか、死とはなにかの問いに入らざるを得ない。
死という不可視なものを描くからこそ、
自分の生死に関する哲学や思想の立ち位置がものをいうと思う」(P111)


宮本輝の死生観は自分で考え尽くしたものではなく、
創価学会で教わった借りものだが、それでもないよりはいいのだろう。
だったら、わたしも創価学会に入りたいと思ってブログでアピールしても、
いまの創価学会さまはお偉くなったようで当方ごとき下層民は相手にしてくれない。
宮本輝の死生観は池田大作に教わったものらしいが、
宮本輝はそれにうまくだまされることで、
本当に自分のあたまで死を考えることから逃げている。
しかし、それが賢い生き方とも言えて、
なぜなら紫綬褒章作家の氏はいま大勝利という現証が出ているからである。
大勝利作家である宮本輝(池田大作)の死生観を拝聴しよう。
宮本輝は池田大作のことを創価学会機関紙(誌)以外では「ある人」「その人」という。
やはり自分が学会員であることを隠したい気持が働いているのだろう。

「その人は、人間一人一人の命を万年筆のなかのインクに譬(たと)えていました。
命が尽き、臨終を迎えたとき、このインクの一滴というあなたの命は、
海にぽとんと落ちると。落ちた瞬間はまだインクは青い。
でも、たちまち広がって、もうインクの色などなくなる。
しかしインクは消滅したのではないよね。そのインクは、
海水に溶けた状態で厳然と存在しているのだ、というのです。
海そのものになることが、死なのだと。(……)
海、あるいは大宇宙そのものに溶け込んでいくことで、
なんらかの縁が重なり合い、また別の存在として再び生まれてくると。(……)
これは輪廻転生ともまた違う捉(とら)えかたですよね。
そのまま戻ってくるんじゃなくて、また別のものになるわけです。
ともあれ、死を宇宙とまじっていくと考えると、なんか楽しいよね」(P116)


どのみち死後の世界はだれにもわからないのだから、
無になると考えるのも悪くないが、
氏のように楽しい死後の世界を思い描くのもよかろう。
わたしはまた別の物語を持っているが、これは優劣を競うたぐいのものではない。
いまもいま来世待ちというか、
いまもいま「死後の世界」を生きているようなところがある。
このため職場で東北弁のイワマとかいういかにも冴えないおっさんから
ラックを故意にぶつけられ意味不明なことを大声で怒鳴られようが、
それをどこか離人症的に「死後の世界」からながめることができて、
そこまでムカつくということはないし、だからだろう、明るくいられる。
ああ、こいつ、ある精神科医の書いた小説に出て来たアズマくんそっくりだ、
なんて思いながら。少しは大人になったのかもしれない。
明るい大人に少しだけ近づいたのかもしれない。
宮本輝いわく、大人とは――。

「自分の実人生と、自分が読んださまざまな小説が、
あるとき歯車のようにガチャッとはまるときが必ず来ます。
それが大人になるということかもしれませんよね」(P143)


宮本輝も吉本ばななも大人である。
たぶんおそらくいやかならずや宮本輝は吉本ばななの小説を理解できない。
同様に吉本ばななも宮本輝の描く通俗世界観に抵抗があるだろう。
しかし、ご両人とも大人だから、お互いの作品をこれでもかとべた褒めする。
大人、かっこいい♪
しかし、まだ吉本ばななは大人になり切れていないようで、
すぐ(学会員ゆえ)大声で怒鳴りそうな宮本輝を
あやうく着火させかねないひと言を口にしている。

「それでいえば、輝先生の小説を読んで、結婚に夢を抱き、
堅実であたたかい暮らしが永続することを、
ひとつの理想と感じる読者は多いかもしれません。
そこは意識されていますか?」(P143)


しょせん宮本輝の小説なんて通俗幸福家庭をなぞっているだけではないかと。
新しいものがなんにもないじゃないかと。
吉本ばななだけではなく、宮本輝も大人げない発言をしている。
気が小さい繊細な自信家である宮本輝は、
ネットで自作の感想のチェックを怠らないらしい。

「『水のかたち』は、ぼくにしてはちょっと荒唐無稽な夢物語に仕上げています。
だから、アマゾンのカスタマーレビューで「ただの夢物語」なんて、
みそくそに書いたやつがいたよ。(……)
正体がわかったら首絞めたるねん(笑)」(P24)


わたしもネットに似たような感想を書いているが著者には申し訳ないことをした、
首を絞めたかったら首を絞めに来い。お電話いただければ住所を教える。
土屋顕史(080-5188-7357)
どうせ専属秘書やテルニストと呼ばれる狂信者(愛読者)が来るのだろうが、
当方もはや現世にさほど執着はなくいつ絞殺死体になっても構わない。
武闘派学会員とうまく連携すれば首つり自殺に見せかけることなど朝飯まえだろう。
かつて宮本輝はわたしの師匠であった。
どうしたらあんなにすばらしい短編小説を書けるのか不思議でしようがなかった。
それを知りたくて調べていたら創価学会まで行き着いてしまったわけである。
そう、わたしは創価学会から仏教という広い海に分け入ったのである。
宮本輝はもう一度若いころのような作為のない短編を書きたいといっている。

「三十枚の短編の依頼を受けて、一日五枚、適当に書いとったら六日間でできる、
というような計算って、ちょっと違うと思うんです。そこには作為がついてまわる。
作為を自分で意識しないで、気がついたら完成しているって、
なかなかすごいものですよ。いずれにせよ、その「作為」にまつわる問題は、
重要なポイントになる気がします」(P64)


いまの宮本輝の長編小説って作為が見えまくりだもんね。
ああ、創価学会のあの教学で書いているんだと底の浅い設計図が透けて見える。
もう宮本輝がかつてのような珠玉の短編を書けなくなったのは、
あながち作者ばかりが悪いというわけではないのだろう。

「『泥の河』にしても『螢川』(新潮社)にしても、
全部自分の中に残っている風景の郷愁として書いてきたんです。
風景に触発されるところが多かった。
ところが、ある時期から風景に触発されなくなったんです。
それは日本のどこへ行っても同じ町ばかりになってしまったから。
いちど行きたいと思っていた地方の町へ足を踏み入れても、
ぼくのいま住んでいる伊丹とたいして変わらん。
大きな街道沿いに量販店があり、コンビニ、パチンコ店、モールがあって。
がっかりするんやね。そうすると、だんだん旅に行かなくなった。(……)
ぼくはなんと言うのかな。風景の中の一瞬を切り取った「部分の風景」が、
自分の心のものとかちっと合ったときに、物語が生まれると考えていたんですよ。
でもよほどの山里に行かなかきゃ固有の景色などない。
そんなとこ、人間も住んでないしね。
人間がいないと小説は生まれないから困る」(P133)


それもたしかにあるのだろうが、いま泥臭い世界の物語は受けないよねえ。
泥臭い世界に咲いている花じゃないと映(は)えないというところがある。
とすると、小説の舞台を現代ではなく、少し戻さなくてはならなくなる。
暗い時代のほうが一輪の花、一番星の輝きは目立つような気がする。
いまはなんでもオープンになってしまった、真っ白でフラットな公明世界だから。
このため宮本輝がネットで自作の感想を読んで殺意を燃え立たせるという。
わたしもむかしは暗かったけれど、いまはかなり明るくなっちゃった。
相変わらず強くはなく弱いままで、幸福がなにかなんてさっぱりわからないけれど。
最後は大勝利者である宮本輝師匠の人生指南でしめよう。

「ぼく、楽観主義というのは、その人の天性のものではなく、
自己訓練の結果だとつねづね考えているんですよ。
自分の力では、いまはどうにもできないと覚悟して、ばたばたせず、
もうちょっとどっちへ行くかわからん小舟に乗っていられるかどうか。
こういうことは実人生においても、たくさんありますから。
そのとき幸福を求めている限りにおいて、人間は強くいられる」(P51)


わたしが「明るいニヒリスト」になったのには、
やはりいくばくかかつて師匠であった宮本輝氏の影響があるのかなあ。