「浅草・花岡写真館」(山田太一/地人会/早稲田大学演劇博物館所蔵) 非売品

→2005年に地人会で上演された芝居台本。
いまはもう危ういらしい山田太一先生のあまた(脳)のなかを想像することはできる。
戦争ではみんな死にたくないのに死んでいったでしょう。
山田太一さんのお兄さんも戦争で死んでいる。
お母上も戦争のさなか、ろくに栄養が取れず薬もなく死んでいった。
それなのにいま、どうして死にたいなんて思う人がいるのだろう。
ここから浅草に四代続く写真館の話を思いつくわけである。
なんでも明治時代は写真師は医者、弁護士レベルで偉かったらしい。
平成のいまは写真館で写真を撮ってもらうなんていう風習は残っていない。
それでも2005年はまだ写真館が存在していた。しかし、客は来ない。
人情の町、浅草にある花岡写真館の四代目(50~60歳)は
もう店を閉めようかと考えている。
そこに若いカップルがやって来る。
よおし、いちばんいい写真を撮ってやると主人は張り切る。
レンズをのぞいた瞬間、気づいてしまう。
このふたりは死のうとしている――。あわてて戸惑う四代目店主である。
不思議なことは続くもので、
カップルのあとにやって来た白井という老人も死のうとしている。

どうして気がついたのか? それは花岡写真館の伝統のようなものである。
明治時代、ある若いお侍さんが初代店主のもとに写真を撮りに来た。
初代(一人三役なのがおもしろい)は、
この侍が死のうとしていることにレンズをのぞいて気づく。
理由は大久保利通暗殺事件に仲間入りさせてもらえず取り残されたからである。
日本を変えたいという志をもつ青年だった。
初代写真技師は、うちは死のうとしている人間は撮らない。
侍の自殺(切腹)を身をもってとめる。
のちにこの侍は医師だかなんだかになって大成したという。
人の役に立つ人間になったという。

四代目店主は死のうとしている三人に、
父から聞いたというある美談を聞かせてやる。
三代目店主の父(一人三役)がこういう経験をしたという。戦争中の話である。
親しくしていた若い兵隊さんがやって来る。
もう終戦直前だが、もちろんそのことはだれも知らない。
南方へ言っていた兵隊さんがいま一時帰国できるくらいなのだから、
まだ日本は大丈夫なのだろうと三代目主人は思う。
この兵隊さんは出兵するまえに結婚していた。
新婚さんがお国のためを思って南方の戦地までおもむいてくれたのである。
新妻は夫が南方に出兵したあとに赤子を産んだという。
青年の兵隊が言うには、今夜ここでふたりと逢う約束をしている。
家族三人の初対面といってもよい。
ところが、主人が写真機を構えると、三人は死のうとしていることに気づいてしまう。
とりあえずいまは撮れないとごまかし、
若い夫婦と赤子を店主夫婦を二階に行ってもらい、どうしようか考える。
気づくと、三人はいなくなっていた。
後日、確かめると兵隊さんは南方でとっくのとうに戦死していたし、
妻も子も空襲で死んでいた――。

その後、東京大空襲があり、みんな焼けてしまったが、父は1枚の写真を息子に伝えた。
それは三人の写真である。
南方で死んだはずの兵隊と空襲で死んでいる母子が、
三人一緒に笑顔で撮影された写真。その写真はいまでも残っている。
平成のさえない浅草・花岡写真館の四代目主人はいう。どうだ!
この話を聞いたら、感動して死にたいなんて思う気持はなくならないか?
戦争で死んだ人のことを考えたら、死にたいなんて間違えていると思わないか?
老妻を亡くしていまはひとりで孤独な白井は、へえって思うけど、だからなに?
そもそもその写真が本物だって証拠はどこにある?
それはおまえさんのお父ちゃんがウソをついたんではないか?
そういって写真館を後にする。
死のうと思っているカップルはこのまま写真館(生きる!)にいようか、
白井についていこうが迷うが結局老人(死ぬ!)の後を追う。

そもそもの話だ。死のうとしている人のことなんてわかるのだろうか?
そこはフィクションを当方のリアリティーをもってどうこう裁くようで、
あまり追求したくもないが、
山田太一最後の連続ドラマ「ありふれた奇跡」も自殺がひとつのテーマだったが、
死にたい人はパッと見てわかるのだろうか?
当方のリアリティーではなんでみんな死にたくならないのっていうかさ。
いまは世直しも国防も戦争もなんにもないじゃない。
いったいなにをよりどころにしてみんな生きているのだろうか?
グルメとか大衆娯楽とか、ちょっと視点を変えたら空しいよねえ。
昌志(写真館店主)、友美(その妻/竹下景子で一人三役)、白井(孤独な老人)。
四代続いた写真館を閉めようかと主人が思った日の会話である。

「白井 ほーら、分った。分ったぞ、ご主人。
友美 なにがです?
白井 レンズを通したんじゃない。あなたを通したんだ。
   あなたを通してみたから、私が死にたいように見えたんだ。
   あの二人(広樹と夏恵/若いカップル)が、死にそうに思えたんだ。
友美 でも、あの人たちは本当に――。
白井 なぜそれが分ったか。同類だからさ。だから、二人の気持が読めたんだ。
昌志 私は、死のうなんて――。
友美 そうです。そんなこと――。
白井 思ってもなかった。そうかもしれない。
   自分の心に気がついていないということは、よくあるさ。
友美 そんな――。
白井 そんなじゃない、奥さん。(昌志を指し)希望を失くしたんだ。
   希望をなくすってのは、おっ怖(かな)いことでね。そうは思いたくないよ。
   この先、なにがある? なんにもない。なあーんにもない。
友美 なんにもないことはありませんよ。ねえ。(と昌志に)
白井 私のことだよ。ヘヘ、いわれたくなかったね。死のうとしてる?
   そうかもしれないね。そうかもしれないよ。
友美 (主人と)一緒にしないで下さい。
昌志 よせよ。
友美 なにが、よせ。こっちはね、(と白井に)希望なんていくらでもありますよ。
   仮にお店辞めたって、すぐ食べていけない訳じゃない。
   それどころか、贅沢しなきゃ、あちこち旅行くらい出来るわよ。
   温泉行ったっていいし、安くておいしいもの捜したっていいし、
   焼き物はじめたっていいし。
昌志 それが、なんだよ。
友美 なんだ? 楽しいじゃない。
昌志 (崩れるように、座りこんでしまう)
友美 なんなの、これ? みんなして、どうしたの? 冗談じゃない。
   私は死のうなんて、これっぽっちも思っていませんからね。
   希望は、いくらだってあるじゃない。
   なんだって出来るじゃない。バカみたい。

       他の四人は、黙り込んでしまったまま」(1-54)


他人は自分を映す鏡というのは、ある意味で本当のことかもしれない。
むかしは死にたい人や危ない人からけっこうメールが来たけれど、
いまはぜんぜん来ない。
むかしもいまもだれが死にたい人かなんて駅で眺めていてもわからない。
もしかして長らく自滅願望を持っているが、わたしの「死にたい」はウソなのかなあ。
写真は「真(実)を写す」って書くけれど、まさにドラマそのもの。
写真は真実っぽくて証拠にもなるけれど、「本当のこと」は被写体しかわからない。
いや、「本当のこと」は真実を生きた本人たちにさえわからないのかもしれない。
山田太一に「岸辺のアルバム」というドラマがあるけれど、アルバムは真実か?
家族そろって仲良く笑顔の写真しか撮らないでしょう?
少なくとも家族アルバムや卒業アルバムにはそういう写真しか残さないでしょう?
しかし、いまの山田太一さんはどうだがわからないけれど、
脳をやっちゃうと記憶がかなり消失するケースが多い(ボケ=認知症もそう)。
そうすると写真がいかにありがたいか! 写真しか過去は存在しないのである。
そうなると、笑顔だらけの写真が本当になり、
「本当のこと」はどこにも存在しなくなってしまう。
それでもいいのではないかというのがドラマ(写真=ウソ)であり、
しかし、「本当のこと」はたいせつだというのが山田太一ドラマである。
しかし、「本当のこと」は写真(ウソ)を通してしか知りようがないという。
なんでみんなカメラを向けられると笑うんだろう? 楽しそうにするんだろう?
本当は派閥や抗争があって梅雨のようにジメジメしているのに、
あたかもカラッとした炎天下の仲間ぶるんだろう?
いったい写真は「本当のこと」を映しているのか?
だが、写真以外に「本当のこと」はどこにあるのか?

舞台に話を戻す。果たして死んだ兵隊三人家族の幽霊写真は本物か偽物か。
白けた白井。志がある写真館主人の昌志。
その妻の、美しい友情のようなものを信じたい友美(竹下景子)。

「白井 幽霊の写真や昔話で、この子たちどう元気になるっていうんです?
昌志 少なくとも私は、こんなにも生きたかった人たちがいたってことで。
友美 そうよ。
昌志 励まされるね。
白井 そう。あなたは自分を励ましたいんだ。
   この子たち[若いカップル]は、どうだっていいんだ。
友美 そんなことよく――。
白井 励ますなら、この子たちの、いまの身の上に寄り添うべきでしょう。
   この子たちは、なんで死のうとしているんです。
友美 それは――。
昌志 来てないよ。
白井 ほーら、関心がない。
昌志 そんなことはない。
友美 ずかずか入れないでしょう。
白井 ハハ、他人の親切なんて、そんなもんさ。
   (夏恵と広樹に)ほんとは、あんたたちなんかどうでもいいんだ。
友美 どうして、そんなに意地が悪いの?
白井 きまり文句とごまかしよりいいでしょう。失礼しますよ。(と玄関へ)
昌志 ああ、どうぞ。
友美 どうぞ。
白井 どうだい? 二人、一緒に来ないか?」(2-36)


三人は美談の館(やかた)から出て行ってしまう。
これってリアリティーがあるよなあ。よく知らないが、
ほとんどの映画やドラマが幽霊写真レベルで完結してしまうわけでしょう?
そんな幽霊写真はせせら笑うというリアルな眼を作家が持っているのがいい。
そのうえ結局、自殺防止キャンペーンとかいっても現実にはなにもできないわけじゃん。
せいぜい苦労話をするとか、美談を語るとか、ありきたりな励ましをするとか。
理由は「そこまで立ち入れない」から。
というか、立ち入ってしまうと自分にもめんどうが降りかかってくるから。
6月に奈良の山田太一ファンだというお医者さんから呼ばれて、
立ち入ったことを聞かれるでもなく(というか自分から話した)、
交通費とお小遣いのようなものをいただいたけれど、あれはスマートなやり方である。
ブログになにを書いてもいいっていっていたし、本当の話。
かといって、おなじ山田太一ファンでも妙な美談や激励をして自己満足する老女もいる。
いっておくけれど、人の親切を受け入れる度量というものもある。
借りをつくりたくないと思う人と、人の親切をありがたく受け入れられる人がいるわけだ。
これは年齢や時間の変遷によっても変わるだろう。
適切な親切も難しいが、他人からの親切を上手にありがたく受け取るのも難しい。
先日、二度もある作家先生から本を送っていただいたが、
いまのわたしは素直に「ありがとうございます」と感謝することができた。
それはわたしがアマゾンの「ほしいものリスト」を公開していたからだ。
他人はなにを欲しているかってわからないじゃないですか?
わたしはある友人への誕生日プレゼントを探して池袋を朝から晩まで歩き回って、
結局のところわからなくて買えなかった経験から他人の不可解さを知った。
他人のしてもらいたいこと、ほしいものはわからない。
まあ、ある程度、普遍性のあることはいえて、
どんな苦悩者も美形の異性から求愛されたら生きる元気が出るだろう。

若いカップルはどうして死にたがっているのか?
お互い愛し合っているのだし、
どちらも俳優で美男美女(アハハ)なんだから死ぬ必要はないじゃないか。
なんでも男のほうが仙台で親友の彼女(夏恵)を奪ったらしい。
親友は恩人ともいえ、仕事を世話してくれた。
そんな親友の婚約者を奪い、どういう経緯かさらに殴って2百万を奪ってしまった。
日本全国を旅してわずかな期間で2百万もの大金を使い果たした。
いつも百円、2百円にケチケチしてきたからそういうことをしたかった。
しかし、仙台で起こしたのは刑事事件で手配されているかもしれず、もう死ぬしかない。
こういう話を孤独な白井老人は屋台かなにかでカップルから聞いたのだが、
男から殴られて3万円を奪われてしまう。しかし、交通費の2千円は残してくれた。
翌朝、白井老人は浅草にある花岡写真館を再訪する。
生きるファイトが出てきたという。カッカしてきたという。生きる目的ができた。
あいつらをかならず見つけ出して警察に突き出してやる!
しかし、すぐにたかが3万円くらいのことで大騒ぎするのがめんどうくさくなってしまう。
そこに若いカップルが現われる。
彼らにも人の親切を受け入れられる奇跡の瞬間が訪れたのである。
青年は親友を裏切ったことを激しく後悔しているという。
白井老人はむかし親友に恋人を奪われたことがあった。
あいつもこんなことを思っていたのかなと、現実認識が少しだけ変わる。
そこに友美(竹下景子)が孤独な白井老人に新たな提案をする。
あなた、どうせ暇でやることもないんでしょう?
この厄介なカップルと一緒に仙台へ行ってめんどうごとに巻き込まれてみなさいよ。
いろいろ解決は難しいこともあるでしょうが、話し合えばなんとかなるかもしれない。
そんなことをする義理はねえっていうかもしれないけれど、それが人情じゃない。
というか、自分を救えるとしたら、それは他人を救ったときではないか?
これは山田太一のメッセージを考えたうえでの内容紹介である。

友美(竹下景子)はいう。死にたい白井と死にたい若者カップル、
つごう三人が一緒に笑顔で写真に映ることを目標にしよう。
困難を乗り越えて三人でまた浅草・花岡写真館に来てください。
そして、笑顔でうちの主人に最高の写真を撮ってもらいましょう。
そうしましょう。いきいきしましょう。
そんなことあるわけないだろうといわれそうだけど、実際にあるってことを見せましょう。
ウソみたいなことを「本当のこと」にしましょう!
果たしてあの兵隊幽霊写真は本物だったのか偽物だったのか?

「白井 あれはどうなったの?
昌志 あれって、なんです。
白井 幽霊のうつった写真です。
昌志 本物ですよ。合成なんかじゃない。
白井 じゃあ、幽霊が写真にうつったっていうの?
昌志 分りません。
白井 分らないって――。
昌志 本当はあの写真がなんなのかは私にも分りません。
白井 そうなの。
昌志 でも、大事なのは、私の両親が、
   あの写真とあの話を残したということじゃないかな。
   しつこく私たちに話したんです。あの話で、なにをいいたかったのか。
友美 そうね。
昌志 時代がちがえば、こーんなに家族三人がただ一緒にいられるということが、
   嬉しくて、むずかしくて、哀しいことだったって――。
友美 沢山の人が死んだんです。
   あのくらいのことが起きても、ちっとも不思議じゃない。
   あのくらいのことが起らなければやりきれないくらい。
昌志 そう思ったのかもしれない。
友美 どっかで本当なら、本当が伝わればいいんですよ。
白井 うん。
昌志 私たちの話は、これからです。
   レンズをのそいたら死んだも同然の三人が。
白井 死んだも同然!
友美 撮るほうもそうです。死んだも同然でした。
昌志 そう。それが、どうやって元気になって、いきいきした写真を残したか。
友美 あとに残しましょう。
昌志 これが私たちの写真館のお話だった、と」(2-70)


「本当のこと」はわからない――。
「どっかで本当なら、本当が伝わればいいんですよ」――。
ウソのような本当のお話をつくろうではないか。
ウソのような本当のお話をつくりましょうよ。
山田太一はウソで現実を少しでもましにしようとした作家といえよう。
なにがましかはわからないけれど、
ぜめて集合写真の笑顔くらいは信じたいと思っていた。ウソでもいいから笑顔を!
山田太一最後の連続ドラマ「ありふれた奇跡」最終回ラストシーンで、
妻と子を火事で亡くした藤本誠(陣内孝則)はカメラの前で笑顔でピースをした。
ひとりではなく笑顔でピースをした。

*誤字脱字失礼。ま、わかるでしょ? 少しずつ直します。
今日は肉体労働→病院→散髪→病院→帰宅したので疲れまくっていますのでどうかお許しを。