「人が恋しい西の窓」(山田太一/文学座上演台本/早稲田大学演劇博物館所蔵) 非売品

→2002年に文学座で上演された芝居台本。
読書しながらメモをする癖があるが、「わからない」の連発である。
山田太一さんはたまにこういうわからない作品を書いちゃうんだよなあ。
こじつけて話をすると、わからないといえばなにもわからないわけでしょう?
我われは両親を父だ母だと思っているが、本当はそうではないかもしれない。
母親は自分が産んだ子をわかるが、父親は自分が父親かはわからない。
DNA鑑定したらわかるのだろうが、
そんなことをしたいと言い出したら夫婦関係に一生の禍根を残すだろう。
夫婦関係だってわからないといえばわからない。
もしかしたら相手がずっと不倫、浮気(本気)をしているかもしれない。
そもそもみんな大事にしている家族だってフィクションと言えなくもない。
一緒に住んでいれば家族になってしまうようなところがある。
「人が恋しい西の窓」は女房に逃げられ職を失った53歳の孤独な男が、
45年ぶりに父親と再会する話である。
あろうことか、ひとりはさみしいだろう、一緒に住まないか、といったようなことを言う。
男はずっと自分は父親から捨てられたのだと思っていた。
しかし、事実はそうではなく、本当は母が悪かった。
男は、母親が(父とは別の)村の有力者と関係を持って生まれた子なのである。
父は年々息子の目が間男に似てくるのがいやで息子が8歳のとき家を飛び出した。

よく考えると、ホラーめいた構造がなくもない。
うちも父と母の仲が悪くて、あいだに挟まれ苦しんでいた。
わたしは母の味方だったが、母の自殺後に日記を見たらなんだかおかしいのである。
母は自分の病気をうつ病と言っていたが、じつは重度の精神病であった。
いままでは母が正義で、父が悪いと思っていたが、そうとも言い切れないのである。
夫婦ってわからない、親子もわからないと思う。
わたしは父と一緒に暮らした時期がほとんどないが、
それでも法律上はあの男しか父のようなものはいない。
「人が恋しい西の窓」では血縁上は父子ではなかったふたりが、
これからも親子を演じていこうというような話のまとまりを見せる。
なんだかよくわからないお芝居だったので、感想をわかりやすくというわけにはいかない。

「なんとまあ、人生は、言葉ひとつで簡単にひっくりかえりますね」(P117)

自分の仇敵だと長年信じてきた人が正反対の恩人だったりするのが人生なのである。
もっとも愛し愛されたと思っていた人が一夜をさかいにして相貌を変えることもある。
「オイディプス王」ではないが我われの目にはじつはなにも見えていないのかもしれない。
本当のことは知ればいいというものではないが、本当のことは重い。
我われは本当だけでは生きていけず嘘を必要としているが、本当のことは重い。
嘘のような本当も、本当のような嘘も実人生にはあふれている。
あまりにも嘘っぽいことが実際は本当で、いかにも本当らしいことが嘘の場合もある。
山田太一ほど本当と嘘の微妙な関係を娯楽作品として極めた劇作家はいまい。
「私のなかの見えない炎」(山田太一/地人会第75回公演■上演台本/早稲田大学演劇博物館所蔵) 非売品

→2000年に地人会で上演された芝居台本である。
山田太一は現実というものが、身もふたもないものであることを深々とあきらめている。
どういうことか。いくら家族がいようが、人間はひとりぼっちである。
そして「仕事が生きがい」などと思い込もうとするが結局、人生なんにもない。
人間はひとりぼっちでなんにもない人生をどうにかして生きていかなければならない。
ここで必要になってくるのは嘘である。フィクションであり、騙(だま)しだ。
人間って意外と騙されることを楽しいと感じるもんじゃないですか?
先日、楽天で味噌汁のもとを購入したら、宣伝写真とは似て非なるものが届けられ、
やるなあ、としばし喝采をあげたものである。
老夫婦で世界一周の船旅とか想像するのは楽しいけれど、現実はそうはいくまい。
夫婦喧嘩だってするだろうし、
船内の人間関係はめんどくさいし、美食にも観光にも飽きる。
ひとりぼっちで生まれてきた人間は、恋愛や就職、家族とおりおり自分を騙しながら、
最後は「自分の人生もなかなかのものだった」と自分を騙して死んでいく。

大きな話をすれば宗教もそうでしょう?
まあ、ふつうに生きて大人になれば神や仏がいないことくらい気づくわな。
でも、それではあまりにひとりぼっちではないか。
人生なんにもないと言っても神や仏がいなかったらあんまりじゃないか。
だとしたら、神や仏はいるのである。
むかしは嫌いだった法華経だが、あれはよくできている。
全編が詐欺経典とも言えなくもない法華経には化城喩品という話がある。
なんにもない砂漠をそれぞれひとりぼっちの旅人が、
それでも安全を求めて隊列を組んで歩いている。
みんなのなかのひとりがあそこに城が見えるぞと言う。
見えていても見えていなくても人々はその嘘に救われるのである。
とりあえずそこに向かって歩を進めればいい。目標ができたら人は連帯もしよう。
城が実際になかったことが判明しそうになったとき、
今度は別の人が向こうにオアシスが見えると口にする。
今度はそこをめがけてみんながんばるのである。
それぞれひとりぼっちの人間はなんにもない人生を終え孤独に死んでいくのだが、
その最終目的地の死を見ないための城でありオアシスである。

人間、人生、そんなもんじゃないですか?
とりあえずいい学校に行っておけ。いい会社に入っておけ。結婚はしておくもんだ。
孫の顔が早く見たいと親から急かされる。子どもができたら人生でもう冒険はできない。
あとは死ぬだけだが、その死を子どもの進学、病気、就職が隠してくれる。
子どもさえつくっておけば死ぬときも自分は生きて仕事をしたような錯覚をいだける。
しかし、これだけでいいのだろうか? それではあんまりではないか?
本当に生きたと言えるのか? 「私のなかの見えない炎」はどこにいってしまったのか?
どのみちみなみなそれぞれひとりぼっちになんにもない人生を終えていくしかない。
だが、少しくらいはカッカしたくないか?
「私のなかの見えない炎」を燃え上がらせてみたくないか?
レールを踏み外してみたくないか? ルールを破ってみたくないか?

芝居「私のなかの見えない炎」は不動産詐欺の話である。
悪徳金融屋と落ちぶれた不動産屋が、
違法建築の別荘を老夫婦に売りつけようとうする。
別荘の立地は悪くなく、海が見えるローケーションはロマンがないとも言えない。
しかし、建築のほうは手抜きもいいところで、とても人が住める代物ではない。
ところが、詐欺契約はかんたんにはまとまらない。
なぜならリタイヤした老夫婦の旦那(邦臣)は元建設省の役人だったからである。
こんな違法建築くらいすぐに見破れる。
そして、もうひとつの偶然がドラマを活性化する。
うらぶれた小汚い不動産屋の高志と元建設省役人の妻(智/とも)には因縁がある。
高志と智は27年まえ婚約までした仲であった。
ふたりはこの違法ペンションで27年ぶりの再会を果たしたのである。
もちろん、邦臣はおもしろくなく、妻のまえで高志をやっつけてやろうと思っている。
このペンションに飛び込んできた女性、香織はいま離婚しようか迷っている。
というのも、仕事はできない高志だが一丁前の色男で、
かつて香織を誘惑したことがあった。
邦臣と智のリタイア夫婦。悪徳不動産屋の高志。高志を追ってきた人妻の香織。
さあ、4人はどんなドラマを繰り広げるか。
こういうセリフのやりとりを見ると、
山田太一は世界レベルで一二を争う劇作家であることに気づく。
智は高志と再会したとき打ちのめされたという。
(邦臣は佐藤慶が演じているのだが、これは佐藤慶にしか無理だと思う)

「智  この齢になったからこそっていったわね?
香織 ええ。
智  そうなの。十年前だったら、河島[高志]さんにバッタリ逢っても、
   こんな気持にはならなかったと思う。
高志 分らないな。
香織 うん――。
智  いまふりかえるとね。
高志 ええ――。
智  結局、私の人生って、河島[高志]さんとのことくらいしか、甘い思い出がないの。
高志 まだ分りませんよ。これからだって、なにがあるか分らない。
智  いつの間にか、忘れかけていた思い出が、大事になっていたのね。
香織 そう――。
智  結局、あの頃しかなかった。
邦臣 今更よくもまあ。
智  ごめんなさい。でも、そうなの。
邦臣 しかし、分ったってわけだ。
   思い出のこの人(高志)は美しいが、現実はこの通り。
   私たちをだまくらかそうという情けない、ペテン男、ボロボロ男。
高志 なんとでもいいなさい。奥さんに、こんなことをいわれては、おつらいでしょう。
邦臣 ハハ、私を哀れんでくれるのか。
智  よして。
邦臣 なにがよしてだ。いいたいことをいいやがって。
高志 そこまで。
邦臣 そこまで? 格好つけやがって。お前なんかいつでもぺしゃんこにしてやる。
智  よそう。
邦臣 くさり切っている。立派なペテン師だ。いつでも告発してやる。
   小綺麗な口をききやがって。キツネの尻尾がヒラヒラ肩越しに見えてらあ。
   下劣な野郎だ。女房子に逃げられた。なにをしたんだ。
   真面目に不動産屋やってて、女房子が逃げるか。借金とりが、はりつくか。
   下劣な野郎だ。こんな奴に、なんの取り柄がある。どこがいいってんだ。
   ここでなにをしている? いままでなにをして来た。
   お前はこの三十年なにをして来たんだ? 自慢することがあるのか。
   あるなら、いってみやがれ。お前なんか――」
香織 (立ちふさがり)そこまで、いうことはないでしょう。
邦臣 ハハ、やさ男に女の味方か。
智  もう、よそう。
邦臣 味方が二人になったぞ。女ってのは、わけが分らない。なんで、こんな男を――。
智  (立ちふさがる)
邦臣 ――なんだ、その顔は。
香織 そっちは、なんなの?
高志 いいんだ。この人のいう通りだ。私は、なにもして来なかった。
   失敗の連続だ。取り柄もない。下劣な野郎だ。ペテン師だ。
邦臣 そうやって自分を簡単に投げ出すと、女がくらいつくって訳か。情けない野郎だ。
智  あなたは情けなくないの。
邦臣 なんだと。
智  あなたは、なにをして来たの? あなたの三十年は。なんなの?
邦臣 なんなのって――。
智  (香織へ)この人はね、私立の法学部を出たの、
   それで、政務次官とか、そういう出世コースには、ほとんど可能性がなくて、
   かげで東大出の悪口をいいまくって、そのくせ前へ出るとぺこぺこして、
   仕事を呪っているくせに外へ出て行くと建設省にいることが自慢でたまらなくて、
   えらそうで、業者が談合して落札することなんか百も承知で、
   お中元やお歳暮が増えると嬉しくて数えて――。
邦臣 お前はどうだ?
   建設省の役人の女房だってことで、いい思いしたことだってあるだろう。
智  なかった。
邦臣 ハハ、口は便利だ。なんとでもいえる。本庁の役人の女房だって、
   胸はって自慢そうにしていたのは、どこの誰だったか。
高志 よしましょう。もう、よしましょう。
   誰って、絵に描いたように綺麗に生きてやしません。
邦臣 あんたにいわれたくないッ。
   (中略)
邦臣 もういい。
智  よくない。このまま、人生おだやかに、温和(おとな)しく、終わりたくないッ」(2幕1場)


こういう本音のやりとりってゲラゲラ笑えるよなあ。
「想い出づくり」の佐藤慶を邦臣に当てはめると腸がよじれるくらい笑える。
「このまま、人生おだやかに、温和(おとな)しく、終わりたくないッ」
中年以上なら性別を問わずだれしも思っていることではないか。
それを口に出したら子どもになってしまうから大人はだれも言わないけれど。
世間常識でガチガチに固まった佐藤慶(邦臣)がおもしろいのである。
こんなセリフもいい。

「何故まだ分らないんだ。
人生あがいたって、大した花は咲かねぇよってことを」(2幕2場)


言ってみたいな、このセリフ。「人生あがいたって、大した花は咲かねぇよ」とか。
しかし、それではあんまりだから人はテレビ、映画、芝居に救いを求めるのであろう。
なかには宗教に救いを求めるものもいるかもしれない。
演劇(芝居)は宗教的儀式を祖としているという説はおそらく正しいのだろう。
ひとりぼっちてなんにもないそれぞれの人生を生きるには人は弱すぎる。
弱者は味気ないそれぞれの現実に向き合うためにフィクションを必要としている。
さて、古女房を高志に取られそうになった邦臣は、
意外な自分が目覚めていることに気づく。
邦臣は「私のなかの見えない炎」の存在を知る。
「河島を――あのインチキな不動産野郎を、憎んでいる」

「邦臣 こんな激しい情熱が自分にあるなんて思っていなかった。
   枯れたと思っていた。あとは静かに暮らすだけだと。
   ところが、身体中、指の先まで[高志を]憎んでいる。口惜しがっている。フフフ。
香織 嬉しいの?
邦臣 そうなんだ。一方で、こんなに煮えくりかえっていることを、喜んでいる。
香織 どうして?
邦臣 こんなに熱くなれるなら、私だって、ことによると、
   君ぐらいの女性とだって、恋が出来るかもしれない。
香織 私と?
邦臣 君とはいっていない。君ぐらいの齢のといったんだ。
   若い女なんて、面倒くさいだけだと思っていた。
   しかし、まだ、こんなに煮えくりかえることが出来るなら、
   面倒くさいことに溺れる力もあるのかもしれない。
香織 ついてけないけど――。
邦臣 その通り。若いあんたに分るとは思っていない。
   しかし、妙な話だが、いま私には力がみなぎっている。
   畜生、あいつら、どこにいるんだッという活気だよ。
香織 ほんと。はじめて見た時は、おじいさんかと思ったけど。
邦臣 どうせね。
香織 でも私、おじいさんの方がいいかもしれない。
邦臣 いいんだよ。
香織 ううん、ギラギラした奴より、優しくつつみこんでくれるような人を、私。
邦臣 フフ、じいさん」を優しいなんて思いこんじゃいけない。
香織 誰でもってわけじゃなく、この人。(と邦臣を指す)
邦臣 私?
香織 案外、私の、タイプかも――。
邦臣 え?
香織 そうよ」(2幕2場)


このやりとりは字面ではわかりにくいが、上演したら客席は笑いにつつまれるはずである。
作者の旺盛なサービス精神には参る。
「人間・この劇的なるもの」がいちばんカッカするのはいわゆる恋愛だろう。
で、カッカしてうっかり結婚をしてしまうともう人生で冒険をすることができなくなってしまう。
浮気や不倫といった火遊びは可能だが、
いちどきになにもかもを失ってしまうリスクがある。
「結婚はしてもしなくても後悔する」というだれだったかの名言があるけれど、
「私のなかの見えない炎」の取り扱い方は難しく、それを教えてくれるのが芝居なのだろう。