漢方薬は即効性がないと聞くけれど、
超メジャーな葛根湯(かっこんとう)はすぐさま効くよねえ。
わたしは基本的に無駄な苦労は避ける主義だから暑かったらエアコン。
そのためか軽い夏風邪を引いてしまったので、苦しいのはいやなのですぐに葛根湯。
どうせ大して効かないドラッグストアの葛根湯ではなく、医者処方のツムラの葛根湯。
葛根湯は家に常備している。
だって、風邪を引いてからきついなかわざわざお医者に葛根湯を処方してもらうより、
風邪を引いたときのためにあらかじめ葛根湯をもらっておくほうがいいじゃないですか。
問題は、出してくれる医者と出さない頑固頑迷な医者がいること。
風邪を引いたときのために葛根湯をくださいってそこまで悪いお願いですか?
いま現にこうしてむかし処方してもらった葛根湯をのんで助かっている。
なくなりそうだから次の診察ではまた葛根湯を1週間ぶんくらいお願いしたい。
いつ風邪になるかなんてだれにもわからないのよ。
そしてそのときの医者が自分に効き目のあった葛根湯を出してくれるとは限らない。
そうだとしたら、事前に葛根湯をお願いしてキープしておくのがどうして悪いのか?
わたしは医者の実験的処方をむしろ応援しているが(なかなかしてくれません)、
なぜかといえばみんなに効く薬が自分に効果があるかはわからないから。
医療の目的はみんながよくなることではなく、
世界にひとりしかいないわたしの苦しみが消えることである。
自分の身体はいちばん自分がよく知っているという俗言はかなりの意味で「正しい」。
シナリオ・センターのお嬢さん社長の小林幸恵を長らく天敵のように書いているが、
うちうちにはばらしているよう、いまでは恨みなんかないに等しいのである。
まあ、嫌いだけれどね。そういう好き嫌いはもうどうにもならないから。
シナセン社長の小林幸恵さんはお嬢さん育ちで、
世間というものをぜんぜん知らないのだろう。
いかにもやばそうな客に向かって「厚顔」と言い放ったことからそれがわかろう。
生まれ育ったときから、なんの不自由も経験しておらず、
世間のいうような結婚をして一男一女をもうけた平凡人。
そのくせ威張りたいという世間のおばさんにありがちな虚栄心もある。
苦労を知らないため自分は総理大臣や大学教授より上の身分にいると、
いかにもいかにも良家の子女にありがちな勘違いをして老女になってしまった。
成功者の娘だからだれも彼女に意見するものはなく、蝶よ花よで育てられ、
そのノリでおのれを女帝と認識しながらシナセンの経営をしている。
世間を知った人はみなみな彼女をもてはやすから、
わたしのように「本当のこと」を言う人は世界から抹殺したい。
自分は慈善家で世を救っている偉大な女性なひとりという認識がある。
おいしい人生を生きてきたが、底辺を知らないので逆にそういう謙虚な精神がなく、
それどころか反対で、自分は高貴な生まれなのに不遇だと嘆いている。
小林幸恵っていつ死ぬのかなあ。
あのババアが死んだらこちらも生きる張り合いがなくなっちゃいそうで怖い。
がんばれ小林幸恵! 夢を追え 小林幸恵! ビックマウス小林幸恵よ永遠なれ!
明日逢いに行くのもいいかなあと思って、
かつて(いちおう客の)わたしを厚顔と大声でののしった小林幸恵社長のブログを読む。
ははん、なーにいい人ぶってんだか。
新井一の娘というだけで大威張りの小林幸恵は正体を隠すのがうまいなあ。
あいつ、裏ではめちゃくちゃを言っていたぜ。
あのババアにとっては少しでもシナセンにかかわって、
シナリオ作家協会の講師をしているものは裏切り者らしい。
山田太一はテクニックがぜんぜんできていないとおとしめていた。
しかし、ブログではそういう人ではないように見えるんだなあ。
日本人全員が新井一のようなシナリオを書けばいいと一時期は言っていたが。
しかし、自分は書こうともしないのだが。
あたしは日本人を指導する役割に生まれたといったようなことを言っていた。
あたしに逆らったものはシナリオ作家協会の人も許さないとも。
表のネット世界では見えない裏の現実の人間がいる。
そういう人間の裏表を身をもって大声でわたしに指導してくださったのが、
シナリオ・センター社長で成功者、指導者、教育者、文筆家、自称優良ブロガーの
小林幸恵先生である。この人、大っっっ嫌い。
明日は朝の4時に起きます。
5:20の最寄り駅の電車に乗るためです。
5:38池袋で6番ホームの山手線(新宿行)に乗り換えます。
恵比寿でおりて今度はおなじく2番ホームの東京メトロ、
日比谷線にチェンジ(北越谷行/6:05発)。
電車はなるべく進行方向の逆に乗ったほうがいいそうです。
六本木駅で下車して(6:10)西麻布口の改札に向かいます。
そうするとむかし一度派遣仕事を一緒にしたことがあるNさんが待っているとのこと。
7~10時、六本木ヒルズのビルの清掃をします(掃除機使用)。
時給千円ですから日給換算すれば3千円。交通費はぜんぶ出してくれるそうです。
お世話になっている派遣会社の社員さんがおっしゃってくださる。
モーニングコールをしましょうか?

いえ、ガラケーですが、機械音痴ですが、社会人完全失格ですが、
携帯電話のアラーム設定くらいはできます。
メールで出勤報告をいたしますのでご安心ください。
さてやれまあまあ、
10時に六本木界隈で自由の身になったそのあと、なにをしましょうか?
公園でカップ酒でも意地汚く飲んで過去の怨念を10倍、20倍にふくらませ、
株式会社シナリオ・センター社長の成功者、指導者、恩師の
小林幸恵先生に逢いに行くのもいいのかなあ。
新井一樹副社長が殴りかかってきたら被害アピールで警察を呼ぶ。
おお、おお、六本木が3千円でおれを読んでいるぜ。
「天龍源一郎自伝 レボリューション」(天龍源一郎/ベースボールマガジン社)

→あんがい人間の基礎をつくっているのは若いころの「あこがれ」じゃないかなあ。
ああいう男になりたい、ああいう女になりたいみたいなさ。テレビで見ましたっていう感じ。
子どもをつくった両親としては自分たちを尊敬していると思ってほしいことだろう。
わたしもプロフィール欄に「尊敬している人=両親」とか書いているけれど、
あれは皮肉だから。ふつう子どもの目のまえで自殺なんてできないだろう?
そんなことをリアルで現実的にできる母ちゃんすごすぎるぜ、というアイロニカルな感動。
で、母が自殺したとき別居していた父に電話したら、「そうか。いまから仕事に行く」
通夜にも葬式にも来ず、仕事をしていたが、
そういう父親もサブカル偉人伝レベルで見たら尊敬に値するという話である。
以上のような意味において、わたしは両親を尊敬している。おまえらすごすぎるぜえ!

少年期のわたしは父にも母にも「あこがれ」をいだかなかった。
じゃあ、だれにあこがれたかというとプロレスラーの天龍源一郎である。
このおっさん、かっこいいぜ! たまらん、もうたまらん。
母が精神病を発症したのが、わたしが10、11歳のころなのだが(小学校高学年)、
このころからミスタープロレス天龍源一郎の大ファンになった。
わたしが生まれてはじめて「あこがれ」をいだいたのは、
中卒の相撲あがりプロレスラーの天龍源一郎。
長らく後楽園ホールに近い小石川に住んでいたので、天龍の名勝負はすべて見ている。
男が男に惚れる(同性愛的な意味合いではなく)ということを天龍に教えられた。
小学校高学年のころから母が発狂してうちのなかはめちゃくちゃだったが、
天龍だけを心の支えにして、
思春期から青年期までの困難を生き抜いたような恥ずかしい過去がある。
夏目漱石を尊敬してとか言ったら見栄えがいいだろうが、天龍源一郎ではねえ。

で、わたしが10歳のころに発狂して家庭を恐怖の場におとしいれた母は、
むろん彼女にも言い分があろうが(だから膨大な悪口日記をのこしたのだろう)、
それから12、3年後にわたしの目のまえで飛び降りて死んだ。
その直後に天龍源一郎が全日本プロレスに復帰したのをおぼえている。
女子レスラーの神取とやって、女性の命、顔をボコボコに変形させたよね。
母が死んだ後もプロレスラー天龍源一郎はわたしの心の支えであった。
無宗教のわたしは教祖のような人を盲信する気持はいまひとつわからないが、
天龍源一郎と自分との関係を考えたらまったく理解できないわけではない。
池田先生を盲信するあまたの学会員さんたちの気持にある程度寄り添えるのは、
中卒のミスタープロレス天龍源一郎のおかげだろう。

いきなりぶっ飛んだことを書くと、まだわが人生はこれからだと思っている。
敗戦処理モードがあるいっぽうで、矛盾しながらこれから一旗あげたいという気持がある。
天龍なんかも40を過ぎてからの活躍のほうがおもしろいわけでしょう?
ツチヤケンジ、ちょっと世間さまに一発かませないか?
そのような自己啓発の心理が働いてもう30年以上もファンである天龍の自伝を読む。
天龍は2015年の11月に引退しているが、
おのれのレスラー人生を回想してこう語っている。
橋本真也ではないが「天龍のようなおっさんになりたい」わたしは、
この人生態度を真似るしかないだろう。
天龍にはおなじ業界のレスラーのファンも多いのである。
天龍はレボリューション人生を送った。

「レボリューションと言われると、すごく革新的なことをやっているように思われるけど、
超安定志向ゆえの不安が根底にあったのかなと、俺はそう思っている。
そんな嶋田[天龍]源一郎が、なぜこれだけ、ファンの人に応援してもらえたのか。
俺を応援してくれる人を飽きさせちゃいけない。
超安定志向だからこそ、俺はずっとそれを考えてきた。
みんなが面白いと思うことを、と思って、俺はずっとプロレスをやってきた。
いろいろな相手といろいろなシチュエーションで試合をしてきたけれど、
みんなの目先が変わって、飽きないで応援してくれただろうな、という自覚はある。
プロレスに限らず、「格」という言葉がある。
ベテランになればなるほど、これにこだわる選手も増えてくるが、
俺は「格」なんてクソ食らえだと思っている。
オファーが来て、それを受けるかどうかの判断基準は、ただひとつ。
「コイツとやって面白いか、面白くないか」
それだけだ。「面白い」という感性が、天龍源一郎というレスラーを作り、
「レボリューション」と呼ばれるプロレス人生の礎になったのかもしれない」(「はじめに」)


だれが書いたかわからない(ゴーストライター)天龍自伝本をさらに要約する。
どうしたら天龍のようなかっこいいおっさんになれるのか。

1.お客におもしろがってもらう。

2.格など気にせず(自分が)おもしろいことをしよう。


手前みそだがブログ「本の山」も天龍レボリューション魂の結晶である。
だれがなんといおうがうちのブログはエンターテイメント主義だから。
学術的正誤とかそんなものはどうでもよく、
いかに数少ないお客さんにおもしろがってもらうか。
わたしがこんなところで働いたことを書いたら、読者はおもしろがってくれるんじゃないか。
そして、他人のおもしろいは究極的にはわからず、わかるのはおのれのおもしろいだけ。
だったら、自分の「おもしろい」を徹底的に追及してやろうじゃないか。
天龍の自主団体WARは嶋田家(天龍家)からの完全な持ち出しだったらしいが、
「本の山」にもスポンサーはいなくて、自腹を切っている。いわば土屋家の持ち出し。
それもおそらく数千万単位になるのではないか。
だってさあ、850円の時給で働いてひとり暮らしで生活が成り立つわけがない。
おもしろいことをしたかったから、
損をするとわかっている行為を天龍を真似てやっていたのかもしれない。
このブログはもう10年以上やっているが、どのくらいファンはいるのだろう?
先日、鹿児島の男性から電話があり、
「長らくあなたのファンです。本当に原稿依頼がないんですか? ふしぎです」
そう言われたけれど実際に大手マスコミどころか、
マイナーな出版世界からも相手にされていない。
しかし先日、名高い作家先生からサイン入りの新刊を2冊も送ってもらったから、
見ている人は見ているのだろう(と信じたい)。

話を最初に戻すと、「あこがれ」が人にとっていかに重要か。
鳴り物入りで相撲界からプロレスに26歳で入ってきた天龍源一郎は、
しかし長いこと鳴かず飛ばずの状態が続いた。
海外遠征(米国武者修行)に飛ばされることも多々あった。
そこで天龍は「あこがれ」の存在を知る。ザ・グレート・カブキとマサ斎藤である。
天龍はふたりの日本男児を米国マット界で知る、

「頑張って試合して、お客から歓声を受け、罵声を浴びせられ、
日本人でありながらアメリカのリングで光っている。
そんなカブキさんとマサさんは、本当に輝いて見えた。
試合が終わったら終わったで、2人とも高級外車を乗り回し、
好きなところで飲み食いしている。
そういう2人の姿を見たもんだから、
「頑張らなきゃ」という気持ちと「頑張ろう」という気持ち、
ふたつの気持ちが俺のなかで生まれたのだった」(P70)


しかし、ミスタープロレス天龍源一郎は覚醒しない。
風雲昇り龍・天龍源一郎の飛躍のきっかけになったのは、
ビル・ロビンソンと組んで各上の馬場と鶴田のタッグベルトに挑戦した試合であった。
天龍はやる気をなくしており、この試合が終わったら、アメリカに行って、
ぷらぷらとフリーレスラー生活でもするかと思っていた。
そもそもロビンソンとのタッグが決まったのも偶然で、
正規パートナーが事故で帰国したからである。
天龍は各上のパートナー、ロビンソンから「お前は好きなことをやれ」と言われる。
もう日本での評判はどうなってもいい天龍は、
ジャンボ(鶴田)や馬場との試合で、プロレス界のタブーを犯した。
ライバル団体新日本プロレスのエース、
アントニオ猪木のオリジナル技(えんずい斬り、卍固め)
を全日本のマットで披露したのである。
どうにでもなりやがれ、とタブーを破ってみたら、
翌日のスポーツ新聞紙の評価がめっぽう高かった。
おそらく天龍がプロレス開眼したのはこのときだろう。
人間・嶋田源一郎がやる気を取り戻したのは、
まき代夫人との結婚で家庭を持ったことであった。
いちおうこの本は自己啓発本として読んでいたのだった。

3.好きなことをやれ。

4.タブーを思い切って破ろう。


まあ、5としては結婚して家庭を持とうになるのだろうか。
プロレスといえばむかしからヤオガチ論争がある(八百長かガチンコか)。
ミスタープロレス天龍源一郎は本書で、
ヤオガチという区分方法の誤りをさりげなく指摘している。
相撲は勝負をするところだが、
プロレスはお客さんに喜んでもらってなんぼの世界でしょう?
そもそもプロレスはお客さんからお金をいただいておもしろがってもらうもので、
町の尖がったおにいちゃんたちの喧嘩をリング上で見せてもお客さんは満足してくれない。
天龍はSWSに入ったとき、
自分から三流レスラーのジョージ高野に負ける企画を提案したという。
いまターザン山本の「週刊プロレス」
に叩かれている自分が負けたほうがお客は喜ぶのではないか。
SWSでは派閥抗争がすごかったらしい。
あいつとはガチ(喧嘩)でやってやると吹かす、勘違いした肉体芸者がいたようだ。
派閥が異なるレスラーが「この試合はガチンコでやるんですか?」と言ってきた。
ミスタープロレス天龍源一郎はどう答えたか。

「そう言われた俺は「ガチンコってどういう意味よ? 八百長ってどういう意味だ?」
と戸惑ったが、彼らは
「道場でやっているような感じで、マジなことをやっていいんですか?」
と言ってきた。俺は逆に聞き返した。
「お客に殴りあいを見せるの? 技術を見せるの? お前ら、どうしたいの?」(P144)


ただの喧嘩は陰惨なだけでおもしろくないでしょう? エンターテイメント性がない。
その点、わたしと株式会社シナリオ・センターとの喧嘩は、
まるで天龍プロレスのようだったでしょう?
どういうことかと言うと、つまり読んでいておもしろいかどうか。
ぶっちゃけ、あれから8年も経っているし、
いまはシナセンに遺恨感情はないと言ってもよい。
いや、正しくはあって、その怨念の感情を生きるエネルギーにしている。
それになにより「シナリオ・センター退学処分」の記事は
「本の山」で一二を争う傑作記事では?
べつにいまさらシナセンなんかほとんどどうでもいいのだが、
お客さんにおもしろがってもらいたい
という当方の根っからのエンターテイメント精神があの記事を削除させない。
わたしはまだ41歳。天龍のレボリューション魂は消えていない。
天龍源一郎は週刊プロレスに叩かれ、SWSを解散に追い込まれたとき、こう思ったという。

「SWS解散のときが「ある程度お金もあるし、ここで辞めよう」
と決断するいい機会だったのかもしれない。
ただ、心のどこかに
「天龍源一郎がこのままおめおめと終わっていいのか」と思う自分がいた。
生きていけるかどうかなんて、わからない。
でも、心には火がついている。
42歳の俺は、そんな心境だった。
「このまま、おめおめと消えてたまるか。こんだけ俺をクソまみれにしやがって!」
あのときの感情を言葉にしたら、たぶんそんな感じだったと思う」(P158)


30年以上、天龍を応援してきていま41歳になってしまったわたしは本書を読んで思う。
「土屋顕史がこのままおめおめと終わっていいのか」

いまや持ち芸、持ちネタに近いという説もあるが、
毎度のことでありますけれど、17年まえの梅雨に母親に眼前投身自殺をされた。
文豪酒豪高血圧の三浦哲朗は自殺は卑怯だと書いている。
(自殺者が)未解決の問題をそっくりそのまま遺族にだけ残して死ぬのは、
残されたほうとしてはたまったもんじゃないと。
おなじ自死遺族としてはまったく同感である。
母は自分の抱えた問題を未解決のまますべてをわたしに放り投げてきた。
あとは任せたよ、状態であった。
お墓の問題とか親族関係とか、知ーらねっと。
あとはケンジが好きにして、とほっぽりなげた。
いわばわたしの17年間は母のために生きた、母の呪縛との対決であった。
で、結局、ほとんどの問いは解けなかった。
今年75歳の父も、わたしの思い違いかもしれないが、
そろそろお迎えがきてもおかしくない年齢だ。
父は母や子どもの問題をすべて「おれには仕事がある」で逃げた。
17年まえのいたましい事件をいっさい直視しようとせず、
「おれには仕事がある」と妻の精神病の現実から目を背けつづけた。
「おれには仕事がある」「そういうことはよくわからないが、俺には仕事がある」
「おれには仕事があるから、
そういう細かい事情を聴いている暇がない。なぜならおれには――」
母の自殺問題は解けない問題なのである。
現実的にありえないがもし当方が結婚して子どもをもったら、
この問いは引き継がれるだろう。
しかし、そういう不毛なことをしてもしようがないと思うから妻も子もいらない。
父が死に、わたしが死ねば、母の自殺問題は解のないままに消えよう。
それが人生だし、そんなものだし、そういうところにしか救いのようなものはない。
働きたいと思っていたと書いていた近所の短期派遣仕事。
今日お電話をいただきまして、その内容がリアルで正直でうなった。
そこのパチンコ台組立工場は20日までお盆休みなのである。
さて、お盆明けの21日に何人の派遣がばっくれないで戻ってくるか。
この休み明けの人頭数が当方の採用の可否に大きくかかわっているとのこと。
結論は21日まで当落はわからない。
もう現場に入っているAさんからは仕事内容をかんたんにうかがっている。
まあ、なんとかこんな自分でも可能な製造作業だと思う。

おとといAさんと飲んだけれどおもしろかったなあ。
Aさんとはコージーコーナーの派遣で知り合った仲間。
50代後半。しかし20代後半の美人婚約者がいると言い張る。
この人の人徳はおれとなんかつき合えるところ。
わたしはコミュ障、トラウマ持ちの、屈折廃人だからよくもまあ関係が続いていると。
17年まえ母から目のまえで飛び降り自殺されたときは、
もうまっとうなおとなの男性とゆるい関係を持つことなど一生ないと思っていた。
だれもおれの苦しみを理解しちゃくれないだろう。
しかし、Aさんと触れ合っているうちに、
そういう意固地な偏屈根性が穏やかに霧散した。
在職中にも1回飲んで、Aさんのコージーコーナー期限切れでも飲み、
このたびはAさんの派遣先職場を知りたいという好奇心からご相伴した。

まあ、逢う理由なんかあとづけで、
わたしはAさんに「おまえに興味がある」状態だっただけとも言えよう。
埼玉県某所にある3時間2千円で飲み放題、食べ放題のところに行った。
わたしはここより安い店を知らない。
かりに引っ越しするら埼玉のここしかないと思ってしまうくらいの激安店。、
派遣で知り合ったおっさんと飲むなんて、17年まえには考えられなかった。

オープンマインド期に入りつつあるのかもしれない。