「遠く離れて二万キロ」(山田太一/俳優座/早稲田大学演劇博物館所蔵) 非売品

→2000年に俳優座で上演された芝居台本。
たぶん山田太一さんはさらりと書いてしまったのだろうが、これがおもしろい。
山田太一の天性のエンターテイナーの資質はどこから来るのだろう。
舞台は日本から「遠く離れて二万キロ」、南米とある小国の首都。
海外青年協力隊の隊員が集まる宿泊所のようなもので、
繰り広げられる日本人青年男女の本音合戦。
山田太一さん特有のゲスな感性が実に巧みにエンターテイメントとして昇華されている。
まあ、海外協力隊に来るようなメンバーも善意のかたまりというわけではない。
日本に夢を持てなくなって、
とりあえずのモラトリアム(猶予期間)として海外に新天地を求めた若者たちである。
なかには母親の束縛から逃げてきた青年もいる。
タイトルの意味は日本と南米都市の距離が「遠く離れて二万キロ」ではなく、
実際のところ「遠く離れて二万キロ」だったのは日本人母子の距離感だったという。
で、この南米の小都市でクーデターが起こり若い日本の男女は動揺を見せる。
この国の若者はまだ国を変えようという情熱を持っていることに刺激される。
しかし、よそさまの国のクーデターには手を出せないし、
母国をかえりみたらもう日本には変えられるような余地は残っていない。
結局、ドラマは恋愛のようなものと母子関係にとどまるが、
ここが正義を説かない山田太一ドラマの長所だろう。
日本がどうだ、なんだのと一席ぶつ英樹という青年がいるが、
彼が結局言いたかったのはおなじ協力隊の真弓が好きだということだったのである。
ところが、真弓は謙という青年を好きな模様。
ドラマはこのようなところにしかないし、そこを愛さなかったら人生はなんにもない。
日本がどうした? 日本よりも大きいドラマは個人の内奥にある。
英樹が暴露を始める。

「英樹 怖いだけさ。日本へ帰るのが怖いんだ。居場所があるかどうか分らないからな。
真弓 それってこの人(謙)のせいかな。
謙  待ってよ。俺は会社を辞めてきたんだ。
   休職して、協力隊に二年行きたいっていったら、
   戻ってきても場所はないぞ、といわれたんだ。
   結構っていって、辞めた。今更、なにを心配するっていうんだ。
英樹 他のどこの会社も受け入れてくれないかもしれないって。
謙  それはおまえの心配だろう。
英樹 そういってもいい、でも、そっちも気にしてないような顔をするな。
   本当は、なんとかなんねえかと思ってるはずだ。
   日本はなんとかなんねえか。
   海外協力隊に行った人間をなぜ人材として歓迎しないんだ。
   世界中で、すげェ経験をして来た人間を、
   どうして大事にしねえかって思ってるはずだ、
謙  すげェ経験なんか、したか、俺たち。
英樹 茶化すなよ。日本は、なんとかならねえか。みんな、そう思ってるはずだ。
真弓 日本、日本て。
英樹 日本人だろ、俺たち。どこで暮したっていいか?
   どこで一生を終えたって本当にいいか?
   そんな簡単じゃないはずだ。生まれて育った国は、そう楽には片付かない。
真弓 おかしいよ、そんなの。世界中で、いくらだって日本人暮してるでしょう。
   そこで一生って人、いっぱいいるでしょう。
英樹 でも日本を忘れていない。もっと日本がいい国だったらって。
謙  民族主義者め。
英樹 気取ったことをいうな。日本は、なんなんだって、悔しくて不安で、
   女買いまくってるくせに。
謙  なに言いだす。
英樹 真弓さん――。
謙 人のことを、なんだって――。
綾  かぎ回ってるようね。
英樹 俺は、三月で日本へ帰る。こいつ(謙)は、一年延長した。
真弓 分ってるよ。
英樹 真弓さんは、六月までだよな。
真弓 だから?
英樹 俺が、とにかく、いいたいのは――。
謙  日本を愛せか。
英樹 こいつは、不安で、女を買いあさって、
   日本へ帰るのが怖くてたまらなくて一年延長したんだ。
真弓 よそう、もう。
英樹 愛しちゃいけない。こいつ(謙)を愛しちゃいけない。
謙  お前は、女をあさってないのか。
英樹 俺は買わない。俺は、女を買うようなことはしない。
謙  じゃあ、どうやってるんだ。
英樹 そんなことお前にいわれたくない。
謙  真弓さんの裸を空想してひとりでやってりゃあ清潔なのか。
綾  よそう、もう。
悦子 よそう。
英樹 俺は、あなた(真弓)が好きだ。
真弓 誰がダメだとか、日本がどうとか、そんなこという必要なかったね。
英樹 (打ちのめされ)ああ。
謙  ハハ、ひどいもんだ。隊員は、なにをしてる。
   のんだくれて、女買って、不安でへたばりそうで――」(1-52)


まるでいくら日本を論じようが、
個人の幸福は男女間のなかにしかないという福田恆存の思想をセリフ化したようなもの。
山田太一は青年時代福田恆存を愛読して強い影響を受けている。
いくら大きく日本を論じようが男なんてそんなもの、女もそんなもの。
日本へ帰ってもなんにもない。青年たちはどっか小さな会社に勤め結婚するだろう。
しだいに日本を論じるようなこともなくなり、小さな生活を守ることに汲々とするようになる。
女は母になろう。
さて、この芝居では「離れて遠く二万キロ」まで息子に逢いにやってくる母親が登場する。
先ほど大きく日本を論じて、真弓に告白して玉砕した英樹の母親である。
なんのことはない。
英樹は母親の過干渉から逃げたくて「離れて遠く二万キロ」までやって来たのである。
しかし、そこにもまた母親が来てしまう。
英樹は子どものようにいやいやをして母と逢おうとしない。
母親の言い分はこうである。

「あの子うんで育てたことが、結局人生で一番大きなことで、他にないの。
そんな母親だから、逢いたくないのよね。分ってるんだけど。
自分は、たしかに、この子をうんで育てたんだって、
肩のあたり掴みたくてたまらなくなったの。なんか――なんにもなくて――」(2-47)


日本のひんやりとした現実である。
海外青年協力隊の男女も日本に帰国したら、こういうひんやりとした現実が待っている。
しかし、その現実はたしかにひんやりしたものだが、
そうとばかりも言えないことを、
山田太一は日本を舞台にしたあまたの劇を書くことで証明したのであった。
もう1ヶ月経って、その後音沙汰なしだし、書いちゃってもいいかなあ。
マッサージや鍼灸師の資格を持ち、
生業(なりわい)としている27歳の男性から電話が来たのよ。
逢えないか、逢わないか、逢いたい。
わたしはもう捨身で死んでもいいから、
だれから逢いたいと言われても予定があえば逢う(ただし父は別、例外)。

その業界の裏話とか聞くとすげえおもしろいわけだ。
人と逢うとどうしていいのかというと、出逢いが新しい発想を生み出すからだ。
彼と話して気づいたのは、名医は食えなくなるということ。
マッサージ師でも鍼灸師でも1回で治してしまったら食えなくなるわけでしょう?
患者にはじわじわと治っていただかないと指名料も入らなくなる。
たとえば専門学校を出たての天才の新人鍼(はり)師がいたとする。
天才の彼は1回ですべての客を治してしまうためリピート客が来ない。
そのため経営者からこいつは使えないと判断され、クビになってしまう。
新人が開業するのは無理だし、もし開業しても経営的には赤字だろう。
医療者に1回で治してもらえればいいのだが、その人は食えなくなるだろう。
精神科なんてわけがわからない領域だから、
あんがい再訪客の少ない精神科医のほうが腕がいいのかもしれない。

「本の山」もいちおうアマゾンの宣伝をはっているけれど、
うちのブログ記事を読んでしまったら満腹で、もう読まなくていいような気になるだろう。
そのためかどうなのか、うちのアフェリエイト収入は月数百円である。
小谷野敦大ファンの同年齢の一橋大学卒の一流企業男性から、
「絶対儲かる話がある」と言われて逢って、アマゾンの広告を始めたのだったか。
会社名を教えられて知らないと答えたら、おまえはバカかというようなことを言われた。
鍼灸の男性も、一橋の男もいまは名前を忘れてしまった。
一橋男は親が北海道で不動産屋をしており、その収益で働かなくてもいいのだと聞いた。
27歳の鍼灸師は「金がない、金がない」と繰り返し、
サイゼリヤでパスタとハンバーグだかをむさぼるように食べていた。
競争だ、競争だ、競争しないものは淘汰される――と意識の高いことを言っていた。
本当は30歳くらいで人生をやめようと思っていたのだが、
うっかりいまも生きている。41歳でも肉体労働できるんだなあ。
生きていてわかった真実。バカほど大声で怒鳴る。
なぜなら声が大きいことが真実だからである。
短期派遣のいいところは永続性がないところ。
あのバカをいつ殴って辞めてもいい。
大声で意味不明の自分語を怒鳴るやつはどこにでもいるので、いま我慢している。
結局、しょせん派遣なんだから相手のあたまをパチンコ台でぶん殴ってもいいわけだから。
やれるのか? やれます。それを書いたらおもしろいと思うから。
大声で意味不明なことを怒鳴るやつは人間のクズ。
人って他人の幸福な、いい思い出はあまり読みたくないものですよね。
わたしがそうだから他人もそうと思います。
いいことがあってもブログに書いていませんもの。
だれがそんなもの読みたがるんだろうかって話。
他人の不幸は蜜の味。
ザ・グレート・カブキ灰皿テキーラの美人妻があれしたなんて話は最高にメシウマでした。
しかしまあ、今日はいい1日でした。やはり土日と休むとかなり身体は復活する。
おもてえパチンコ台を620運ぶ作業ができるのは月曜日だからか、まだ41歳だからか。
おれ、あと3週間で男性性に目覚めるかもしれません。
腕とか肩の筋肉がついちゃって、身体もいい感じに引き締まって、
チャンネー(おねえさま)を見たら捕獲したいと思うような凶暴な男性になるかもです。
ならねえよなあ。女、嫌いだもん。男も嫌い。まだましなのは女っていう程度。
パチンコ台620、今日はちょろかった。
終わりのほうは脳内で酒井法子の「夢冒険」を奏でていたから。
ほらあの「心に冒険を♪」ってやつ。おれまだ夢も希望もあるもんねえ。
たぶんいまの仕事はいちばん厳しい肉体労働だと思うけれど(夏ということもあり)、
そのぶん夕焼けビール(もどき)がうまいねえ。
ご想像がついているでしょうが、愛飲しているのはサントリーの「頂(いただき)」。
アルコール度7%のいんちきビール。
肉体労働をするとあたまが働かなくなる(バカになる)というのは本当。
いま食器洗剤がなくなっているのでマルエツに寄ったが、
どこにそれがあるのかわからなくなって母を求める迷子のような気持になりました。
帰宅。ふだんはドアのポストは見ないのだが、たまたま今日は見ると感動。
あの先生からの郵送物の不在票。わたしなんか、わたしなんか、わたしなんかに。
もしかしたら訴状かもしれないけれど(笑)。
いただき、頂、サントリーの頂点いんちきビール。
いまの職場は制服(ポロシャツ)を2枚しか支給してくれないのよ。
ということは、毎晩自分でシャワーのときに風呂場で洗濯しなければなりません。
こういう労働を込めて日給が1万円にはるかに及ばないのは、
現実なんてそんなもの。
おれ意外と男としていけるんじゃないかしら。パチンコ台620はおめえって。
チャンネーからの連絡を待っているぜ。そこのナオン、おれはいい男だぜ。
2017年のサマーはこれから大フィーバーだ。
「夜からの声」(山田太一/地人会/早稲田大学演劇博物館所蔵) 非売品

→2005年に地人会で上演された芝居台本。
山田太一さんはすごい作品を書く人なんだなあ。すごいとしか言いようがない。
本当のことはなんだったのかという、そのわからなさを徹底的に描いている。
本当になにが起こったのか本当のことはわからないのかもしれない。
本当のことは客観的に存在するのではなく、
人間の主観が創造するものなのかもしれない。

中年の真司(風間杜夫)の家に同世代の頼子がいきなりやって来る。
やっと突き止めたという。あなたでしょうという。
真司はボランティアで「話し相手コール」というものをしている。
話し相手のほしいさみしい人のために聞き役になってやるボランティアである。
頼子は真司に牙(きば)をむきだしにして問い詰める。
夫に電話でなにを言った。夫からなにを聞いた。言え。いいから言え。
鬼気迫る表情である。
なぜなら頼子の夫は真司と電話で話した直後、深夜飛び降り自殺をしたからである。
なぜ夫が死ぬ直前に「話し相手コール」に電話をしたことを知ったかといえば、
日記にそう残されていたからである。
いささか病的な頼子は真司に問う。本当のことを言え。
夫とどんな話をした? 夫になにを言った? 夫からなにを聞いた?
真司は守秘義務があるから答えられないという。
本当のことを言え! 守秘義務があるから言えない! いったい本当はなんなのだ?

後日、頼子の息子の柾(まさき)が真司(風間杜夫)を訪問する。
柾が言うには、ご迷惑をおかけしました。
母は鬱(うつ)病ということで精神病院に入院しました。
いま投薬治療をしています。このごろは、かなり薬で治るそうです。
どうか母のことは忘れてください。 
その場に居合わせた真司の義父は言う。おかしいよ。これで一切終わりか。

「鬱は薬で治るみたいなことも、いいすぎてた。(……)
薬で、はなれて行った恋人が戻ってくるかい、薬のむと死んだ女房が生き返るかい?
こっちはもう四年余り、生きかえって来ないのが骨身に沁みてるよ。
かなり薬で治るなんて、そんな、人の悩みをバカにした話はないよ」(1-51)


3週間後、はた迷惑にも頼子がまた真司の家を訪問する。
治ったという。薬できれいさっぱり治ったという。ポイすることにしたという。
マイナスはポイと捨てる。あっちからっこっちへポイする。ポイ、ポイ、みんなポイ。
これは精神医学的にリアリティーが問われるけれど、
専門医の春日武彦氏によるとたまに抗鬱剤が奇跡的に効くこともあるらしいから、
そのうえなにしろ劇場、壇上で現に起こっていることを観客は信じるものである。
さあ、本当にこれでいいのだろうか? 前向きで、明るくなればそれでいいのか?
暗いこと、本当のこと、「夜からの声」はポイポイ捨て去られていいのか?

本当はいったいなにがあったんだ? 
このときそれまで守秘義務を貫いていた真司が、頼子の夫に成り代わる。
妻よ、本当のことを話そう。じつは俺の父がボケていたではなかったか!
頼子、きみは6年間も介護をしたではないか!
これはもう風間杜夫の迫力でもってしか入れない異世界であろう。
頼子は答える。あたしは本当は義父のことを好きだった。
義父は男らしくて、夫よりも義父のことを好きに感じることがなかったとは言えない。
だから、ボケが始まったときは懸命に介護をしようと思った。
ボケがひどくなってきたとき、外に出ようとする義父をあたしは殴った。
そうしたら義父は一瞬、正気に返ったようになった。
その後、ときおり義父は殴ってほしそうな顔をした。あたしは義父を殴った。
ときには掃除機で殴るようなこともあった。
これは客観的には老人虐待だが、本当のことはいったいどうだったんだ?
風間杜夫は、頼子が父を虐待していることを知っていた。
いや、もっと本当のことにもうすうす気づいていた。
妻と義父はひそかに愛し合っているのではないか?
暴力がひどくなった6年後、義父を施設に入れようという話になった。
これで一件落着するはずだった。
ところが、1ヶ月もしないうちに施設は火事で全焼してしまう。
これからどうしようとボケたおとうさんを家まで車に送る途次――。
車中で頼子は義父を引っぱたいてしまう。風間杜夫は衝撃を受ける。
うすうす虐待には気づいていたが、まさか自分のまえでするとは。

「目の前で親父を平手打ちした女房を見たのはショックだった。
やはり、そうだった。虐待は事実だった。
しかし、その親父を膝に乗せている君を見ると、
あんなに優しい目をした君をはじめて見たような気がした。
妙な気持だった。なにか、わり切れない、よく分らない、立ち入れないようなものが、
君と親父の間に出来ていると感じた。
俺をぬきにそれだけの年月があったのだ、と。
まかせっきりで君を、そこまで追いつめてしまったのは俺だと思った。
そこまで追いつめた。そう。そう思いながら、
それが、どこまでなのか、なにを意味するのかは考えたくなかった」(2-38)


家に着いても親父は眠っていた。大きないびきをかいていた。
どうかしたんじゃないかと思いながら、なにもしなかった。
さあ、この後になにがあったのだろう? 本当のことはなんなのか?
風間杜夫と頼子はふたりで「現実」を創造しているのである。
「現実」はそこに客観的に存在するものではなく、
回想というかたちによってふたりないし3人、4人で創るものなのかもしれない。
――ふたりでおとうさんのいびきを聞きながら黙って焼酎をのんだ。

「真司 眠ったのは、君が先。
頼子 いいえ、あなたが先。
真司 いびきを聞いていた。
頼子 ええ。いびきを聞いていた。それから――。
真司 ――。
頼子 あなたは、起き上がった。
真司 そう。俺は立上り、襖(ふすま)を開け、父の部屋へ入った。
頼子 私は息をひそめていた。
真司 ベッドへ近づき、父を見下ろした。
   二回りも小さくなってしまった父が、小さな口をあけ、いびきをかいていた。
   お父さん。呼んでも、こたえはない。眠っているからではない。
   起きても一人息子を分らない。
   ビルマから復員して、戦後を造船一筋で生きたたくましい父は、どこにもいない。
   母が肺癌で死ぬ前の、
   なにもかも投げ出して傍にいようとした優しい父もどこにもいない。
   シミだらけで、ガツガツと弁当を食べ、車の中で暴れ、大いびきをかいている父は、
   それまでの父まで台無しにしてしまう。
   これ以上、そんな屈辱の中で生きていることに、なんの意味があるだろう。
   お父さん。ごめんよ、お父さん。俺は、両手で父の顔をおおった。
頼子 いびきが止った。私は起き上がっていた。
真司 そう。いびきがなかった。殺した、と思った。殺してしまった、と。
頼子 いびきが戻った。
真司 ああ、いびきが戻った。しかし、俺は、一時にせよ、父を殺していた。
頼子 私は、気づきながら、なにもしなかった」(2-41)


翌朝、父は死んでいた。警察が検死をした。
死因はいびきとは関係なし、とされた。脳出血でも脳梗塞でもない。心不全だった。
しかし、本当はなにが起こったのかはわからないのである。
本当は風間杜夫が父を殺していたのかもしれない。
だが、それではあんまりなので風間杜夫は頼子と共同作業で、
殺していないということにした。
人は真実には耐えられない。真実とは人びとがそうであってほしいと思うこと。
ならば、風間杜夫は父を殺していなかったのが真実になろう。
しかし、本当はどうだったのか? 
「夜からの声」が敏感な耳の持ち主には聞こえてこないか――。

風間杜夫は頼子の夫役から、
「話し相手コール」のボランティアをする会社員の真司に戻る。
真司は、頼子に「本当のこと」を言う。
旦那さんは電話で奥さんにとても感謝していましたよ。
頼子はそんなことはありえないじゃないという。
しかし、風間杜夫は「本当のこと」を繰り返す。
自殺するまえの旦那さんはあなたに本当に感謝していましたよ――。

山田太一は「本当の嘘」を書く偉大な作家であった。
「夜からの声」はホラー的な傑作だが、真司役は風間杜夫にしかやれないだろう。
公刊もされていない芝居台本にこんな恐ろしいものがあるとは。
大学の大先輩である作家の才能に感銘を受ける。
この作品をだれでも閲覧可能な状態にしてくれている早稲田大学にも感謝したい。
なーんかコメント欄でからんでくるやつがいるのでうざい。
何回も申し上げておりますが、ご質問のまえにまずうちのブログを読め。
生年月日を知りたいとか、調べたらわかるだろう?
聞きたいことがあるなら直接来い。具体的には電話してこい。
その場で答えられる質問なら、可能なかぎり対応したいと思っている。
コメント欄へ書き込むなら直接言って来いよ。ヘタレ、根性なし、チキンが。

土屋顕史(080-5188-7357)
「酒呑まれ」(大竹聡/ちくま文庫)

→父から幾度となく教え聞いたのは「飲む、打つ、買う」だあな。
男は飲む(酒、酒、酒)、打つ(賭博/ギャンブル)、買う(売女/買春)――。
このどれかで破滅するから注意しろ。
今日も父から明日の昼から飲もうという電話があったが、
月曜日からきつい仕事だし、書きたい本の感想も山ほど残っているので、
どうしようもないどうでもない事情ではないことを聞いたうえでお断りする。
バカな工員っぽいことを書くと(わたしのいまの身分はそれだが)、
男には酒、賭博、女しかないのだろう。それしか生きる楽しみなんかあらへんやないか。
正直、賭博も女もよくわからない(教えてくださいませ)。
酒だけは一丁前にわかっているような顔をしている男(わたし)の
絶賛するのが大竹聡さんである。むかしからファンだった。
大竹聡さんは「酒とつまみ」編集長にして、酒場エッセイ作家の技巧派。
著者の文章を読むと、うまいよなあと思うところが多い。
まあ、著者は酒を飲みながら売文を書くこともけっこうあるらしい。
開高健というすごさがよくわからないサントリー作家がいる。
山口瞳(男性)も同時代のサントリー作家だが、
サントリーには男の夢を誘うノウハウがある。
ぶっちゃけ、なにを厚顔にと叱られそうだが、サントリー作家の地位にあこがれている。
酒は健康によくないとされているけれど、飲むと楽しいじゃん。
いつしか古株酒場作家となったいかにも善人顔、イケメンで、
わたしもいつかお逢いできたらと願っている大竹さんの文章を引こう。
大竹聡さんは開高健のことをこのように書く。
開高健専属カメラマンだった高橋昇氏の思い出としてだ。
カメラマンは糖尿病なのに、ウニやらあんきもやら危なそうなものをがんがん食ったという。
好きなものは好きなだけやる(食う)。著者は――。

かつて開高健さんが通ったバーに[高橋昇に]連れて行ってもらったこともある。
昇さんは開高さんが残したザ・マッカラン十八年のボトルを受け継ぎ、
開高さんのネームプレートをボトルに下げたままにしていた。
もちろんストレートで飲む。
開高さんの思い出を話すとき、北海道出身の昇さんはなぜか関西弁になった。
「先生な、こうして、小指立てて、飲むんや、いつもな、小指、立ってるんや」
言っている昇さんの小指もピンと立っていておかしい。
何千冊だったかそれとも万単位だったか、数は忘れたけれど、
昇さんは開高先生から、とことん本を読んだら賢くなると教わったという」(P197)


わたしは酒、演劇、文学、宗教のことをよく味わった。それがわたしのいまのプライド。
えへっ、なんちゃって。いつかサントリーとお仕事をして、若者の酒離れをとめてみたい。
本書は酒好きが酒に呑まれながら書いたじつにいい本でした。

「一私小説書きの日乗 憤怒の章」(西村賢太/角川書店)

→結局、作家生活って幸福なのかなあ、といまさらながら考えさせられた名著。
作家で生活するってそこまでおもしろいことなんだろうか?
むかしは古臭い作家の日記を読んで、たいそうあこがれたものである。
しかし、現代文学の旗手、われらが兄貴、西村賢太氏の日記を読んでも、それほど――。
要するに作家は人生体験や読書体験という貯金がなくなると書けなくなるわけでしょう?
それでも作家だから書くのだが、
作品は編集者や編集長からダメ出しをこれでもかと食らう。
作品も人権意識が過剰なご時世、ほぼ書きたいことが完全に書けるということはない。
西村兄貴はサラリーマン根性をバカにしているが、
この日記で作家は同業界の人の本をべた褒めしているので、作家の世渡りを知る。
やたら古株や自分に目をかけてくれたものへの賛辞を繰り返し、
小説を書けない書けないと言いながら、高い税金を払い、
毎日おなじようなことを繰り返し、おなじような文体で生き、ささいな自己充足をはかる。
著者が業界の大御所、ビートたけしを描写する文章からは、
作家自身がバカにするサラリーマン根性以上のサラリーマン精神を感じたものである。
賢太兄貴はいまよりも、たぶん「苦役列車」の時代のほうが幸福だったのでは?
弟分の当方としては、いまけっこうな肉体労働をしているつもり(絶対女性不可)。
7時間で(重い?)パチンコ台を620運び、内部を簡単に処理して、
人力でベルトコンベアーに流す作業がどれほど辛いのかはわからない。
あんがい楽勝なのかもしれないが、こちらの軟弱な身体は悲鳴をあげており、
あざも痛みもけっこうあるが、思うのは、これはいわば修業で、
この軽作業(じゃない!)をあと3週間続けたら(短期派遣)、
わが男性性も復活して女性をレイプできるような凶暴性も再生するのではないか?
肩や腕に筋肉がつき、身体が引き締まれば女を支配したくなるのではないか?
わたしは西村賢太を非常に女性性の強い作家だと正体を疑っている。
ホテルに顔もわからぬ売女をよびつけて射精できるほど男性性は強くないと。
知らない人といきなり性行為におよぶのは本が好きな男にはできないと思う。
女性は身体をあずけるだけだから(マグロというらしい)繊細なものでも可能な商売だろう。
賢太兄貴は高額納税者となったいま幸福なのだろうか?
もしかしたら顕史(わたし)は苦役時代のいまがいちばん幸せなのかもしれない。

言葉は通じないということをわからない人が多い。
たとえばひとつまえの記事「女の戦争」は、
アリストパネス「女の平和」が言葉以前にあるのだが、
よほどの演劇マニア以外はわからない(よって通じない)。
ギャグで書いた「こころに冒険を」も、
いまの若い人はらりP(のりP)を知らないでしょうから、どこまでわかってもらえるか。
言葉は通じないとわかると、お経の意味がわかるんだなあ。
このまえ時宗のお寺さんの行事に行ったけれど、
あそこで唱えていたのは真言(インド語の呪文)。
わからないところがいいんだなあ。
お坊さんだって真言の意味なんてよくわかっていないわけだから。
言葉は通じないから価値があるのかもしれない。
南無阿弥陀仏とかよくわからんでしょう? そこがええんじゃないかしら?
南無妙法蓮華経は南無阿弥陀仏よりもわかりやすいが、そこは好みの問題だろう。
さあさあ踊れ、こころに冒険を♪
男の願望がいけないような気がする。男目線のAVとかやっぱりどれもつまらない。
かといって、女目線のAVなどあるはずがないのだが。
男性用AVとかどれもおなじでしょう? よく知らないけれど。男を立てるみたいなさ。
女性視点の妄想のほうがよほどエロいし楽しいって思うんだろうけれどなあ。
まあ、男社会で女性は自立していないから仕方ないとも言えよう。
それにずっと男社会が続いてきたという伝統も変わらない。
社会学的のみならず生物学的にも男社会は変わらない。
べつに女社会になればいいとも思わないし、男女共同なんとかもどうでもいい。
要は自分がよければどうでもいいのだが、いまの男社会が自分にはつまらない。
またネカマでもして男を釣ろうかなあ。
言っておくけれどホモではなくて、男性性ゆえにネカマができるのだ。
だれか女と手を組んでネカマをして、いっちょう儲けてえ。
あんがい美少女や美女よりも「ふつうの子」のほうが言語的にはもてると思う。
ああ、そうだ。これを書いているおれが本当に男だって思う?
女かもしれないじゃない? 
おれが名義を貸して女性がこの文章を書いているのかもしれないではありませんか?
女性性も男性性もいやだが、やさしくて怖いナースさんはいいなあ。
なんか叫びたくなった! こころに冒険を♪
ちかぢか創価学会の教学試験があるらしいが、あれをぼくが受けても通らない。
梅原猛が創価学会の教学試験を受けても、おそらく落ちるような気がする。
浄土真宗や真言宗の高僧も、創価学会の試験では高得点を取れないだろう。
答えとはなにか? 答えとは出題者の求める「正しい」ものである。
最前、読者から東大の現代文を解いてくれとコメント欄で依頼された。
ぼくはいまの東大教授がだれかなんか知らないし、そもそもめんどうくさい。
ふたつの詩を読んでどうこうだった気がする。
ぼくの答えは「どちらもつまらない詩だなあ」である。
もし当方が出題者(権力者/権威者)ならば、ぼくの答えが「正しい」のだ。
創価学会の教学試験ってマークシートらしいね。
ぼく、ぶっちゃけると五蘊も十二縁起も覚えていない(すぐ忘れる/覚える気がない)。
そんなもんパソコン(スマホ)で検索すればすぐ出て来るんだから覚える必要ないじゃん?
日蓮の言葉を正確に記憶して、いったいそれがどんな価値を創造するのだろうか?
いまはパソコン(スマホ)があるから記憶(暗記)にそれほど意味はない。
記憶力ではない想像力、創造力、創価力を測定する試験は「正しい」答えがないから難しい。
究極の真実に気がついてしまった。金は貯まらないものである。
時給の高い肉体労働をしたら食費が給料以上にはねあがる。
給料のいい高身分ワークはそのぶんストレスも高く、いろいろ散財をせざるをえない。
酒好きが酒をやめたら、今度は甘いものを身体が欲し金は貯まらない。
基本的に金は稼げば稼ぐほど税金が高くなるから、どうしたって金は貯まらない。
変なことをして金を稼ごうとしても身体的にガタが来て医療費が高騰する。
ひっくり返せば、貧乏根性の庶民は
権威へのおそれもあって病院に行かないから生活できる。
朝日賞作家の(病院嫌い)山田太一先生の名言は、
「病院は病気になりたいやつが行くんだ」――。
貯金をできる人って本当にすごいよなあ、と思う。こつこつ蓄えるとか尊敬します。
どうすれば儲かるかと言えば、客を中毒(依存症)にしてしまえばいいのである。
わたしは酒のほうがタバコよりも有害ではないかと思っているが(だからいい!)、
いまはどうしてだかニコチン中毒のほうが問題視されお気の毒にも迫害されている。
まあ、ぶっちゃけ若い女の子が喫煙者だと、どんなお育ちなの? とは思う。
ラーメン屋なんかも店をつぶさないためには客を依存症にするしかない。
競馬も競輪もそうだが、胴元が国家ではないぶんパチンコはまだ健全だろう。
この人の文章をどうしても読みたいと読者に思わせたら本は売れるし、
編集者からの依頼も来る。
客を病みつきにさせるしか濡れ手に粟の商売はないが、
なにが客をとりこにするかはわからない。
よく知らないが、身体の相性がよくて別れられない夫婦は、
セックス依存症という診断もできよう。
なにかに夢中になっていたほうが楽しいとは言うことができるのではないか?
そして危険のない中毒(依存症)はない。
だとしたら、いちばん健康的な依存症はワーカーホリック、仕事依存症、仕事中毒では?
「おれには仕事がある」ですべての当面の問題をごまかすことができる。
少なくとも病的賭博(ギャンブル依存症)よりは仕事中毒のほうが経済的だろう。
仕事中毒はかなりの確率で自分の心身や家族関係を壊すが、
本人が好きでやっているのだからとめるのは難しい。
家族が精神病になっても自殺しても仕事中毒で逃げ切った男を知っている。
果たして大麻や覚醒剤は酒よりも気持いいのか?
クスリでラリってのりPと決めセクした男は、
総理大臣や大企業社長よりも幸せ者である。
のりのり、らりらりでマンモスハッピーを経験したいぜ。
あ、そうそう。精神病者(躁鬱病患者)はどうやら脳内で麻薬物質を自家造成できるらしい。
躁状態なんて絶対麻薬なんかよりハッピーそうじゃん。
もしかしたらわたしは覚醒剤的快楽をすでに経験しているのかもしれない。
みんな、往っちゃう? 往っちゃおう! 往こう、往こう♪
当方は受賞歴ゼロだけれど、コンクールに当たるかどうかもパチンコだよね。
当てた人は自分のパワー(努力・実力・強運・時勢)を信じるものだが、
コネ(遠隔操作)が働いていた可能性もあるじゃない。
絵画なんてほぼ師匠筋で受賞が決定するとか聞く。
文学なんかもときたま変な芸人さんが華々しく大フィーバーすることもある。
大当たりすればいいのかわからないのはパチンコもおなじ。
むかしヘソにピアスだがおめこピアスだが、
よく覚えていないけれどそんな感じのご作品で芥川賞を受賞なされた、
父親が大物文化人の不良美少女がいたけれど、
あの大当たりは本当に幸福だったのかいまになるとわからない。
ギャンブルで大当たりすると一生その記憶を反芻(はんすう)するでしょう。
わたしは株をやっているという人から「大負けした」という話をリアルで聞いたことがない。
みんな少し勝っているというようなことを口にする。
本当の本当は株で大勝利するほど危険なことはないのかもしれない。
株どころか賭け事全般やったことがないし、
人生というギャンブルおよびゲームでもギャグのような負け方しかしたことがない。

どうでもいい人生ヨタ話。
パチンコが大好きな独身派遣労働者(フルキャスト)と、
おなじ職場の意地悪な女性のカップルとかええなあ。それこそ純愛やんけのう。
高齢独身女性は性悪なからみ方をたまにしてくるのだが、
あれもパチンコ依存症男性への愛ゆえと思えば、いまではぜんぜん許せる。
ああいう職場疑似夫婦の孤独なねじれた日常は文学的でさえある。
パチンコはやらないが、出玉の真相には興味がある。
パチンコで遊戯者が大当たりするのは
当人の持っているもの(運、忍耐力、確率強度)なのか、
それとも店内で出玉コントロール(遠隔操作)している結果なのか?
人生もパチンコのようなものじゃない。
出るときはなぜか出るけれど、出ない人にはいくら賭けてもまったく出ない。
と思っていたら少し当たりをくれてもう少しがんばろうかなどと思わせてくれる。
人生というゲームは確率的事象や偶然、運なのか、
それとも神や仏にコントロールされているのか。
まあ、あの真言(呪文)を唱えればうまくいくという宗教まがいはあるよねえ。
パチンコでもなんでも遊ぶのはいい。好きなことがあるのはよろしい。
山田太一さんもお父上は伊豆かどっかで当時めずらしいパチンコ店を始めて、
大フィーバーしたから金のかかる都内の有名私大に入ることができたという。
そこで山田青年は授業にたいしてて出ず、
本ばかり読んで友人とまったく生活とは無縁の議論をしていたとか。
ならば、パチンコが山田太一作品を創ったと言ってもいいのかもしれない。
パチンコは大学生のとき、10分で5千円すっちゃったからなあ。
それが幸運だったのか不運だったのかは、
人生やパチンコ台の裏側のようにわからない。
たまに我輩さまを知らない人から聞かれることがある。「結婚をしたいか?」
「相手がいない」――このひと言に尽きる。相手がいない。
ならがんばれと言われるかもしれないが、
金を稼いだら寄ってくる女なんて売春婦のようなもの。
当方は白痴で生活能力も乏しいが、生活費をまかなってくれるのなら喜んで結婚する。
女が結婚したい理由なんかもこれでしょう?
で、アラフォーに近づくと子どもを産めなくなるからあわてる。
結婚はしたいとも言える。書くネタを求めて。
だって、結婚すると女の本性が見えるっぽいじゃないですか?
ストリンドベリも山田太一も夫婦生活を表現の養分にしている。
83歳で半身麻痺の山田太一は
和子夫人から遠くの病院にリハビリに行けと言われているらしいが、
老夫婦とてわかりあえないのである。そのおもしろさといったら!
たいがいのものは求めなくなったら手に入るような気もする。
タマゴが先かニワトリか先かの問題になるけれど、
貧乏人ほど10、20円に細かいでしょう?
異性にがつがつすると必死感のようなものがにじみ出てしまい逆効果。
一生、独身で貧乏で孤独に早死にしてもいいと思ったら、逆にあんがい?
答えは、存じませんよ。みなさまがそれぞれたしかめるしかないんだから。
さあ、トライ、チャレンジのサマーがもうすぐ終わろうとしている♪
匿名の卑怯な批判コメント者には参っている。
今日はソープに行けとか書かれたが、次元が違うんだよ。
バカはマニュアルがないとなにもできないのだろう。
1.土屋顕史に電話する(080-5188-7357)。
2.出なかったら折り返しの電話を待つ。
 繰り返し電話してくれるほうが嬉しい(電話代節約)。
3.あなたはあなたのお名前を名乗る。
4.逢う日時と場所を調整する。
5.対面であなたは言いたいことをおっしゃればいい。
 わたしはたぶん議論はしない(めんどくせっ)。
6.あなたは言いたいことを言って満足する。
 わたしはこれで批判者がひとり消えたかと思う。

わたしはどんな電話にも出るし、だれとでも時間と場所、金銭の都合がつく限り逢う。
本当に当方に言いたいことがあったらご連絡をいただけませんか?
むかしはメール希望だったが、
いまはダイレクトに声(人柄)がわかる携帯も嫌いではない。
匿名でせこせこ批判をしていると、自分の人生の運を落とすと思うなあ。
運が落ちたら悲惨だよ。
わたしが「もてない」とか書いたら、みんなそう思っちゃうわけでしょう?
もしかしたら壇蜜には「もてない」だけかもしれない。
わたしが「金がない」と書いても、だれもアマゾンのウィッシュリストで本を送ってくれない。
これは10万円の「金がない」と読者が解釈しているのかもしれない。
言葉は真理を伝えられない。それが南無阿弥陀仏の意味である。
南無阿弥陀仏は言語では伝達不可能な、たとえば「死」のような絶対的真理。
南無阿弥陀仏はどういう意味かって、それは言葉では伝えられない。
南無阿弥陀仏の意味はしいて言えば「わからない」。
なぜあなたがブスなのかは南無阿弥陀仏。
なぜあなたが貧乏なのかは南無阿弥陀仏。
どうしてあなたがお金の苦労をしたことがないのかも南無阿弥陀仏。
愛する親族があなたの必死の願いにもかかわらず自殺したのも南無阿弥陀仏。
成功者がドヤ顔で大勝利アピールしているのも南無阿弥陀仏。
いくら努力しても、寝る間を惜しんでがんばっても報われないのは南無阿弥陀仏。
あなたがいくら衣服に金をつぎ込み、美容院で散財しても「もてない」のは南無阿弥陀仏。
あなたが将来どうなるかは南無阿弥陀仏。
あなたが死んだらどうなるかは南無阿弥陀仏。
自然、それが南無阿弥陀仏。しかし、あなたは南無妙法蓮華経でもいい。
なぜならそれは南無阿弥陀仏だから。
「夜中に起きているのは」(山田太一/地人会/早稲田大学演劇博物館所蔵) 非売品

→1995年に地人会で上演された芝居台本。
巧みな手かざしセラピーをする女主人(八千草薫)がいることで有名なペンションがある。
ここにいろいろ訳ありなな客がやって来ることでドラマが発生する。
まず八千草薫の元旦那だったという老人が再会しに来る(北村和夫)。
むかしは事業家として羽振りがよかったようだが、いまは尾羽打ち枯らしている。
その落ちぶれた北村和夫を尾行してペンションにやって来るのが風間杜夫。
風間杜夫は怪しげな探偵のまねごとをしていて、
いまは北村が自殺しないか見張っている。
風間杜夫を尾行して来る夫婦もいる。
老婦人は風間杜夫を好きになってしまったのだ。
そのいきさつがおもしろい。風間杜夫はいんちきな探偵商売をしている。
ラブホテルのまえで張っていて出てくるカップルの写真を隠し撮りする。
その写真を使って口止め料と小銭をせびるのである。
旦那がどうして怒らないかというと、
会社の名義やら家の名義やらが妻のものになっているからだ。
こんな60を過ぎた老妻の色ボケなど
1、2回遊ばせてやればそれで済むとたかをくくっている。
ところが、40半ばの風間杜夫のほうが60過ぎの老女にその気になれない。
据え膳をどうしても食えないのである。
以下のセリフのやりとりは、
なにやら男女関係の秘密を公開しているような気がしてならない。
以前は盛り上がったが、老女から迫られ、
旦那の許可も下りていると風間杜夫の健康な下半身が言うことを聞かない。
圭介(風間杜夫)、真純(老妻、老女、河内桃子)の回想である。

「真純 喫茶店に私を呼び出した時のあなたは、すっごくギラギラしていた。
圭介 そりゃあ、一種の犯罪だからね。
真純 緊張でこのあたり(まぶた)がピクピクしてたわ。
圭介 ケチな探偵社にやとわれてるとね。何日も何週間も仕事がない。
   仕事がないと一円も入らない。先輩が教えてくれたんだ。
   ラヴ・ホテルから出て来る中年女と若い男の写真をとれって。
   それから女を尾行して住所をつきとめる。
   電話をする。喫茶店へ呼び出す。写真を見せる。
真純 うちのは、ああいう奴だから、写真なんか平気だった。
圭介 そうは見えなかった。
真純 あなたを見て。脅かされてやろうと思ったの。
圭介 とても芝居とは思えない。
真純 主人に黙っていてくれれば、なんでもしますといったわ。
圭介 倒れるんじゃないかと青い顔をして震えていた。
真純 そうね。半分は、しなれない芝居をしている自分になれなくて、
   本当に震えていたのかもしれない。
圭介 なんでもするというから、ついこっちもかき立てられた。
真純 ついて来い、ってあなた甘く囁いた。
圭介 別に甘くじゃない。
真純 甘く聞こえたわ。
圭介 そっちの勝手。
真純 ホテルへ入ると、あなた勇気をふるって、脱げっていったわ。
圭介 勇気をふるったわけじゃない。
真純 ううん、あれは思い切っていった声、脱げッ。
圭介 (苦笑)
真純 なにを脱ぐのって私が聞くとなにをなんて聞くなって、全部だって。
圭介 忘れたよ。
真純 フフ、男って都合の悪いことは、みんな忘れる。
圭介 ほんとに忘れたんだ。這いつくばって生きてるんでね。
   したことはすぐ忘れないと、屈辱でへたばっちまう。
真純 スカートを脱ぎ、スリップを下に落としても、あなた、私の方を見られなかった。
圭介 見なかっただけさ。
真純 ううん。悪ぶっても、いい人なの。私を見られなかった。
   ブラジャーをとって、パンティを脱いでも。
圭介 そんなこと思い出させて、どうするの?
真純 興奮しない?
圭介 ケーッ。
真純 そのあとは、まるで愛の嵐」(1幕)


いまのところ八千草薫が経営するペンションは手かざしのおかげで繁盛している。
その手かざしセラピーは偽物ではないかと疑う青年男女が来客する。
じつのところ、八千草薫こそ手かざしがいんちきであることに気づいている。
このあたりにペンションはいくらでもある。
料理をいくらこったって外観をどうしようがそうそう競争に勝てるものではない。
そこで雑誌で見かけた手かざしをなりふり構わず、
いんちきだと知りながら始めたのである。
しかし、八千草薫の手かざしが効くというのが評判となりペンションは繁盛してしまった。
八千草薫は自分になんの能力もないことをだれよりも人一倍知っている。
しかし、客が来てしまうのである。よくなったといって客は喜んで帰っていく。
なかには幼い愛児を亡くしたという悲惨な親が客として来たこともあったが、
八千草薫の手かざしセラピーはそういう重度の悩みをかかえた客にも効いたのである。
八千草薫はかつての自分を知る元旦那のまえで手かざしなんてやりたくない。
だが、心身ともに追い込まれた元旦那はかつての妻に手かざしをしてもらいたい。
行き詰っている風間杜夫もぜひ八千草薫の手かざしを受けたいという口である。
いったい八千草薫の手かざしの正体はなんなのか?
この芝居はこの興味で客の関心を最後まで引っ張ったと言ってもいいだろう。
さあ、八千草薫(恭子)の秘密のマジック、手かざしショーを公開するときがきた。
恭子以外の人物は気にしないでください。徳永は零落した恭子の元夫。

「徳永 見せてくれ。
恭子 ――。
徳永 想像したんだ。あんたが手をかざすのを。
   インチキなんてもんじゃないはずだ。
恭子 ううん。
徳永 どうやるの?
恭子 ――。
徳永 さあ。
恭子 どうって――。
徳永 やってみてくれ。
久代[従業員] そうです、ママ。
真純 見たいわ。
徳永 形でもいい。気持をこめなくてもいい。
圭介[風間杜夫] 気持はこめてもらいたいなあ。
徳永 (おさえて)じっとだ。(恭子へ)さあ、ママ、どうやる?
恭子 ――。
徳永 どうやる?
恭子 こう、手をかざして。
徳永 ああ。
恭子 この手をゆっくり、五分くらいかけて、肩におろして行くの。
徳永 ああ。
圭介 (徳永に)かわりましょうか。
徳永 余計なことをいうな。
恭子 それから十分。お客さまが少なければ十五分、その人のことだけを思うの。
   なるべく、そうしようと思うの。
徳永 ああ。
恭子 それから――。
徳永 うん。
広田[客] まだ、なんかすんの?
恭子 ダメ。
徳永 どうして?
恭子 はずかしい。
真純 なにをするの?
広田 ああ、つまり、相手が男と女では、やりかたがちがうとか?
恭子 みんな、同じ。同じようにいうの。
広田 いう?
徳永 なにをいう?
恭子 分るわ。
真純 分るわ。
恭子 大丈夫よ。
広田 大丈夫よ。
恭子 そう。分るわ。大丈夫よって。
徳永 すごいじゃないか。誰があんた、そんなことをしてくれる?
   十五分も二十分も向き合って、肩に手をあてて、じーっと自分のことを思ってくれる。
   そのあげく、分るわ、大丈夫よ、だ。
   嬉しいに決まっている。元気が出るに決まっている。
   これは超能力なんてもんじゃない。
   誰が誰にやったって、嬉しいさ。誰もやらないだけなんだ。
   ママは、それをやったんだ。インチキなんてもんじゃない。そうだろ、坊や」(2幕)


こんな秘術を公開されたら、カウンセラーは商売あがったりではないか。新興宗教もそう。
人間の弱点は孤独と不安なのである。我われは孤独感と不安感に苦しんでいる。
真心こめて他人からあなたのことを「わかる」と言われたら、どれだけ嬉しいか。
そのうえで安心に満ちた笑顔で「大丈夫」と言われたら、どれほど励まされるか。
人の悩み(孤独・不安)は「わかる」と「大丈夫」で
ほぼ消失すると言ってもいいのではないか。
しかし、そこは発言者の人間パワーが関係してくる。
八千草薫だから効くという面もあろう。
口にピアスをしているあんちゃんから、
「ちーっす。気持、わかるっすよ」「ああ、それ大丈夫っす。なんとかなりますって。大丈夫」」
こういうことを言われても腹が立つだけで慰めのようなものは得られないだろう。
やはり酸いも甘いもかみ分けた人の真心あふれた「わかる」「大丈夫」が効くのだろう。
しかし、山田太一は宗教家ではなく劇作家だから「わかる」大丈夫」を万能薬にしない。
批判めいたものもしっかり劇中人物に言わせている。

「徳永 誰だって、肩に手を置いて、分る、大丈夫だっていって貰いたいよな。
久代 ええ。(とうなずく)
明恵 でも、それはインチキ。
徳永 うん?
明恵 誰も、ひとのことなんか分りゃしない。誰もちっとも大丈夫じゃない。
浩一 ああ。
恭子 そうね。
圭介[風間杜夫] 二階へ行け。ここはお前ら[若者]のいるところじゃない。
広田 そんなこをいっちゃいけない。
圭介 二階へ行けよ。
広田 行かなくていい。ママには悪いが、この子たちのいう事は事実だろう。
   誰もひとのことは分らないし、誰も大丈夫じゃない。
圭介 そんなことは百も承知だよ。
   それでもそういうインチキな、やさしい声が欲しいんだろ。
広田 でもインチキはインチキだ。
   この子たちが悪いようなことをいっちゃいかん。
圭介 あなたは正しい。お前らは正しい。
   正しい奴は二階に行って正しい口をきいてくれ。
広田 それはないだろう」(2幕)


人はわかりあえない。人はいつだれがどんな不幸に巻き込まれるかわからない。
人間はいくらかりそめ群れても孤独だし、いつどんなことになるかわからない。
しかし、あんたの気持は「わかる」と言ってもらいたい。
「大丈夫」と肩に手を置いてもらいたい。
「夜中に起きているのは」孤独や不安でいっぱいの人間である。
孤独や不安をまぎらわす「わかる」「大丈夫」は
いんちきだが偽薬が効果を上げることもある。
山田太一ドラマはフィクションだが、多くの人間を孤独や不安から救ったと思う。
わたしの言葉ではまったく効き目がないことは重々承知で最後に書いておく。
あなたの苦しみは――。

「わかる」「大丈夫」

*いまから派遣の面接なので誤字脱字失礼!
このまえコージーコーナーの派遣仲間だったAさんと激安店で飲んだ。
これって信じられないでしょう?
おれなんか17年まえに母から目のまえで飛び降り自殺をされ、
ぐちゃぐちゃの血まみれ死体を見た男よ。
こういう不運な男は精神病院に入って廃人として生きていくか、自殺するしかない。
でも、こうしてAさんのような好男性にめぐりあって、
たまに飲むような関係になっているんだなあ。世界って底知れないよね。
あのコージーコーナー北戸田はいい想い出だった。
いくらでも物語を今後産みだせそうな豊饒な地であった。
リンさんという既婚の20代中国人長身女性がいたのよ。
やたらリンさんがわたしなんかに親切にしてくれるのである。
コージーコーナーは白衣を何重にもまとって仕事をする。
白衣を取ったリンさんを見たら髪が長くてきれいなの。
まあ、そこで関心を持ってリンさんが独身か既婚か調べたのだが。
いまでも酒のつまみになる話題だが、どうやらAさんはリンさんから厳しくされたようだ。
わたしからしたらリンさんはやさしくて常にぼくなんかのことをおもんばかってくれ、
ああ、惚れそう、好きになっちゃうの世界だったのである。
そのリンさん、リンさんが
僕が非常にお世話になったAさんに冷たかったという事実は、
どんな教科書よりも世界の真実を教示しているのかもしれない。
おれはいまでもAさんもリンさんも好き。
社員だった桑原さんにはいい男を紹介してあげたいけれど、
そういうご縁はいまのところない。
男も女も顔でしょう? パッと見た第一印象がたいせつじゃないですか?
人間は「金、顔、肩書」だけれど、三分割しても「顔」の価値は大きい。
おれ、アイドルとか女性タレント、女優に好きな顔はいない。
みんなおんなじようにしか見えない。
「1970ぼくたちの青春」の川越美和はいまでも好きだなあ。
しかし、そもそもいまの女優を知らない。
AKBのあっちゃんは唯一ぼくがなまで見たことのある芸能人(荒川土手)。
お人形さんみたいだなあと思った、
お人形さんなんだから(人間ではない)好きも嫌いもない。
ああ、あのきちがいの鳥居みゆきもいいが、介護はちょっと無理。
仏教的な壇蜜も好きだが、おれの求めているのはそこじゃない(えらそうっすねえ)。
むかし時給850円職場の同僚だったベトナム人のゴックはよかったなあ。
笑顔がきれいな子で、そういうところを八方美人的に感じてしまい、当初は苦手だった。
でもさ、あたまがよく日本語ペラペラよ。アニメで学んだってさ。
最後のほうはゴックかわいいんじゃないかと脳プリンがぷるぷるしていた。
あの子はかわいい。悪い男にだまされるか、ばかな男をだますか、どちらか。
1回悪い男にだまされて身も心もぼろぼろにされ悪女になるのかなあ。
ゴックが悪い男におもちゃにされるところとか想像するとカッカする。
でも、ゴックさん、「ベトナムの女、怖い。舐めないほうがいい」と言っていたなあ。
結局、ゴックさんから電話番号を聞き出せなかったぼくでした。
去年わたくしがある会社をクビになったのは、
ブスの古株女性から「あんたはセクハラ野郎」と言われたからかもしれません。
上○志保という、わたしと同年代の女性で、いつも赤い爪化粧をしていました。
あそこのリネン工場は男は肉体労働で、女は楽な軽作業なのですが、
上平志○はわたしよりも楽をしながらはるかにいい給料を取っていたと聞きます。
一度、近所のスーパー「カズン」で逢ったことがあり談笑しました。
聞くと上平○保は駅の近所に住んでいるとのこと。
これからも逢うかもしれないと思いました。
ところが、○平志保は秋になると当方をセクハラ男と思うようになったらしい。
なんにもしてないんですよ。だって、あの人、デブでブスだもん。
セクハラというが性欲なんかからきしわかない。
しかし、会社はか弱き女性の意見を重んじるのですね。
わたしのまえのバイトのYさんも上平○保に讒言(ざんげん)されたようです。
女性の古株だから、上に取り入るのがうまい。
さあ、上平志保だ。いつ逢うのか、いつ逢うのかいまだ待っているがいまだ逢わない。
ご近所さんでしょう? だったら絶対にいつか逢う。
おれがいつおまえにセクハラなんかしたかと問いただしたい。
おれの経済的損失をどのように保障してくれるのかと上平志保に言ってみたい。
職場のまえで待っていてもいいが、それをしたらストーカー。
おれって女が嫌いだし、そのおれさまをセクハラ呼ばわりしてクビにしたのが上平志保。
おまえはセクハラされるような顔か鏡を突きつけて真実(笑)を追求したい。
いくらオジンのおれでもおまえごときババアにセクハラなんてするわけがないだろう?
おまえは女利権を生かして何人もの新人バイトを辞めさせ、
毎晩のようにうまい酒とつまみを樽のような腹に詰め込んでいるのだろう。
いつか上平志保、挨拶もできないおまえに再会してセクハラの真意を問いただしたい。
おまえにセクハラをする男なんていないと真実を突きつけてやりたい。
その日は明日来るのかもしれない、ご近所さんだから。
女を好きになるってどういう意味なんだろう?
個人的には、相手に好きな男ができたら嫉妬をするのがその意味だと思う。
嫉妬とか、ちょーしてみてえな。
でもさ、はいはい、そっち(の男)に行けば、ばいばい、になっちゃうじゃないかなあ。
これは男の一種の本音だろうが、
おれは女から尽くされたいが、女に尽くす余裕はない。
女はおれのあるかなきかの才能に賭けて全身で惚れてくれ、尽くしてくれ。
おれがさあ、横浜中華街で女とデートとかありえないっしょ?
しかし、聞いた話だが中華街にはいま、食べ放題飲み放題の格安店が多く、
そういうところでランデヴーして青空のした女とうきうき気分で手をつなぐのは悪くない。
おれが酔っぱらったら介抱するのはおまえ。
基本、酒は強いからちょっと寝かせたらすぐに復活する。
婚活とかばからしいねえ。おれの年収、年齢は○○で貴女の条件に合いますでしょうか?
ばかいってんじゃねえよ。おれはおれだよ、おれおれ詐欺。
おれはおれ。おまえはおまえ。
数字が好きなおまえは朝日新聞記者にでも色目を使えってバカヤロウ!
朝日賞作家の山田太一は(朝日新聞購読層である)熟女が好きだそうだが、
平均的男性なら女性はやっぱり若ければ若いほうがいいよねえ(違いまっか?)。
女子大生とか女子高生とかJCとか命の輝きというくらい生命感にあふれているじゃない?
おれはJKやJCに興味がないという男は嘘をついていると思う。
とくに田舎の天然JK、JCがかわいいんだ。
奈良に行ったときも神奈川の無量光寺にいったときも、
ほどよく都会ずれした、しかしよく見れば天然のJK、JCに魅力に参った、
高校生カップルとか見かけると、こちらの妄想がふくらみ最高に楽しい。
やはり女子高生にはおっさんよりも同学年か大学生が合っている。
この夏でおんなになった女子高生とか最高にかわいいじゃないですか?
いや、まだおんなになっていない女学生のかわいさを信仰する向きもあり、
わたしもそちらへの支持を一票入れたい気分がないこともない。
淫行とかなんとか言うけれど、相手も喜んでいるんならいいのではないか?
レイプはダメだが、レイプによって独自の性的快感が開発され、
人より上質な性的快感を得られるようになった女性もまったくいないとは言えまい。
経験すればわかるが、肉体労働現場では男に人権はないに等しい。
ならば女にも人権はないでいいんじゃないかなあ。男も女も人権はない。
男も女も人権のようなものを身にまとっていないアニマル状態に還ろう。
「人権」という言葉がいかにどれほど日本の自然を破壊したか?
インテリ集団・朝日新聞には「人権」による環境破壊にもぜひぜひ言及していただきたい。
いまから嘘をつくが、わたしには金銭への執着があまりない。
だから嘘だって。スーパーでは50円、100円の違いに大騒ぎする小さな男である。
今月16日にはあるお仕事の話をたとえ年収1千万でもいやだと言い放った。
しかし昨日19日には時給900円でここで働くのもいいかなと。
非常にお金に対して鈍感である。
お金よりも死に関心があり、明日死んじゃったらすべて終わりという。
女を好きになって結婚して子どもができてがむしゃらに働く。
それが人生というものだろうが、それではあまりにもありきたりだなあ。
当方の小生意気な不遜な人生態度はいつだれに矯正されるのか。
悪い女にぼろぼろにおぼれたい。
もうどうせ長く生きている気はないから、世の中のことなんてどうでもいい。
とっくに遁世している、世を捨てている。
だから、よく知らないが、いまは女が強くなっている。
階段でスカートの中を盗撮って、そんなことで実名報道をする必要があるか?
それもおれがしたら大丈夫(無報道、注意勧告で終了)、
自衛官や教師、国家公務員がやったら即時に人生終了という。
そういう天国から地獄へのダイビングはたまたま見るとおもしろく、
それはそれでいいのだが。
あとあれさ、いまは男性の不倫や浮気(本気)が厳しく叩かれるでしょう。
あんなもんええやん。おまえがされたらどうかって、
おれはもてないから女が不倫や浮気(本気)をしてもぜんぜんOK。
それでもまだ自分とつきあってくれる彼女に感謝することだろう。
相手の男からどんな性技をされたのだろうと妄想して
逆に女への愛が強まるかもしれない。
客観的事実を指摘すると、女性なんか期間限定の売り物でしょう?
女は若ければ若いほど価値が高まる。
45歳を過ぎた女はもう子どもを産めないから買い手の数はかなり減ることだろう。
休日の男女の恋愛芝居、結婚芝居、家族芝居に
だまされることはないと孤独な男性に言いたかった。
しかし、我輩さまはおれさまの才能(笑)に惚れてくれる女性をいまだに完全錯覚募集中である。
男女の友情をあつかった「友だち」という山田太一ドラマがあった気がする。
シナリオ本の解説に、脚本家が有名女優から打ち上げで言われたことが書かれていた。
いわく、男女の友情なんか(テレビドラマならぬ)現実であるはずがない。
そんなもんかなあ、と思ったというようなことを妄想過剰な脚本家は書いていた。
果たして男女間の友情はあるのか? わたしはあると断言したい。
現証(創価学会用語)を見よ、である。わたしにはふたり女性の友人がいる。
男の友人はいないが(最近候補ができてAさんとN本部長)、これはまだまだわからない。
ふっと酔っぱらっておっぱいをさわってピシャリと叩かれたことがある。
それを乗りこえて草むらに押し倒すのが男性性なのだろうか?
相手がいやがることって、あんまりやりたくないじゃん。
しかし、わからないんだあ。なぜなら、いやよいやよも好きなうち、という古い言葉がある。
でも、あれは古臭すぎるでしょう? 
いまは女のほうが絶対に男よりも(世間法上)強い。
ギンギンにおちんちんをおったてて
女に向かっていけたむかしの男はえらい、尊敬する、うらやましい。
20年近く自殺願望が消えない我輩さまの救いがあるとすれば芝居である。
ぶっちゃけ、恋愛とか結婚生活とか芝居ではありませんか?
恋愛では男は男の役割を演じ、女は女の役割を演じる。
お互いの役割期待を尊重してひとつの芝居を完成させる。
長らく、女を好きになりたいと思っている。
それはわたしが男の役割(力強いマッチョ)を
演じるのが下手だからうまくいかないのかもしれない。
わたしは女性が女ぶるのを(ビールをつぐとか)見るとげんなりしてしまう。
男を立てられるのは嫌だが男根は勃ててほしいという弱性男子。
むかしから何度も書いているけれど、
無差別レイプをできる早稲田の和田さんとかすげえ。
男性性のかたまりである。
わたしはわたしの妄想である女性の強さと弱さを体現した相手ではないと欲情しない。
女子高生が好きとか書いているけれど、JKに欲情するわけがない。
だって、あいつらなんにもないじゃん。
おれさあ、やる気さえ出せば身体は健康だし、まだまだいけるような気がする。
だれかわたくしめを本気にさせてください。
自分で本気になれって、だからだから、いいか、それは無理なんだ~よ。
「人が恋しい西の窓」(山田太一/文学座上演台本/早稲田大学演劇博物館所蔵) 非売品

→2002年に文学座で上演された芝居台本。
読書しながらメモをする癖があるが、「わからない」の連発である。
山田太一さんはたまにこういうわからない作品を書いちゃうんだよなあ。
こじつけて話をすると、わからないといえばなにもわからないわけでしょう?
我われは両親を父だ母だと思っているが、本当はそうではないかもしれない。
母親は自分が産んだ子をわかるが、父親は自分が父親かはわからない。
DNA鑑定したらわかるのだろうが、
そんなことをしたいと言い出したら夫婦関係に一生の禍根を残すだろう。
夫婦関係だってわからないといえばわからない。
もしかしたら相手がずっと不倫、浮気(本気)をしているかもしれない。
そもそもみんな大事にしている家族だってフィクションと言えなくもない。
一緒に住んでいれば家族になってしまうようなところがある。
「人が恋しい西の窓」は女房に逃げられ職を失った53歳の孤独な男が、
45年ぶりに父親と再会する話である。
あろうことか、ひとりはさみしいだろう、一緒に住まないか、といったようなことを言う。
男はずっと自分は父親から捨てられたのだと思っていた。
しかし、事実はそうではなく、本当は母が悪かった。
男は、母親が(父とは別の)村の有力者と関係を持って生まれた子なのである。
父は年々息子の目が間男に似てくるのがいやで息子が8歳のとき家を飛び出した。

よく考えると、ホラーめいた構造がなくもない。
うちも父と母の仲が悪くて、あいだに挟まれ苦しんでいた。
わたしは母の味方だったが、母の自殺後に日記を見たらなんだかおかしいのである。
母は自分の病気をうつ病と言っていたが、じつは重度の精神病であった。
いままでは母が正義で、父が悪いと思っていたが、そうとも言い切れないのである。
夫婦ってわからない、親子もわからないと思う。
わたしは父と一緒に暮らした時期がほとんどないが、
それでも法律上はあの男しか父のようなものはいない。
「人が恋しい西の窓」では血縁上は父子ではなかったふたりが、
これからも親子を演じていこうというような話のまとまりを見せる。
なんだかよくわからないお芝居だったので、感想をわかりやすくというわけにはいかない。

「なんとまあ、人生は、言葉ひとつで簡単にひっくりかえりますね」(P117)

自分の仇敵だと長年信じてきた人が正反対の恩人だったりするのが人生なのである。
もっとも愛し愛されたと思っていた人が一夜をさかいにして相貌を変えることもある。
「オイディプス王」ではないが我われの目にはじつはなにも見えていないのかもしれない。
本当のことは知ればいいというものではないが、本当のことは重い。
我われは本当だけでは生きていけず嘘を必要としているが、本当のことは重い。
嘘のような本当も、本当のような嘘も実人生にはあふれている。
あまりにも嘘っぽいことが実際は本当で、いかにも本当らしいことが嘘の場合もある。
山田太一ほど本当と嘘の微妙な関係を娯楽作品として極めた劇作家はいまい。
「私のなかの見えない炎」(山田太一/地人会第75回公演■上演台本/早稲田大学演劇博物館所蔵) 非売品

→2000年に地人会で上演された芝居台本である。
山田太一は現実というものが、身もふたもないものであることを深々とあきらめている。
どういうことか。いくら家族がいようが、人間はひとりぼっちである。
そして「仕事が生きがい」などと思い込もうとするが結局、人生なんにもない。
人間はひとりぼっちでなんにもない人生をどうにかして生きていかなければならない。
ここで必要になってくるのは嘘である。フィクションであり、騙(だま)しだ。
人間って意外と騙されることを楽しいと感じるもんじゃないですか?
先日、楽天で味噌汁のもとを購入したら、宣伝写真とは似て非なるものが届けられ、
やるなあ、としばし喝采をあげたものである。
老夫婦で世界一周の船旅とか想像するのは楽しいけれど、現実はそうはいくまい。
夫婦喧嘩だってするだろうし、
船内の人間関係はめんどくさいし、美食にも観光にも飽きる。
ひとりぼっちで生まれてきた人間は、恋愛や就職、家族とおりおり自分を騙しながら、
最後は「自分の人生もなかなかのものだった」と自分を騙して死んでいく。

大きな話をすれば宗教もそうでしょう?
まあ、ふつうに生きて大人になれば神や仏がいないことくらい気づくわな。
でも、それではあまりにひとりぼっちではないか。
人生なんにもないと言っても神や仏がいなかったらあんまりじゃないか。
だとしたら、神や仏はいるのである。
むかしは嫌いだった法華経だが、あれはよくできている。
全編が詐欺経典とも言えなくもない法華経には化城喩品という話がある。
なんにもない砂漠をそれぞれひとりぼっちの旅人が、
それでも安全を求めて隊列を組んで歩いている。
みんなのなかのひとりがあそこに城が見えるぞと言う。
見えていても見えていなくても人々はその嘘に救われるのである。
とりあえずそこに向かって歩を進めればいい。目標ができたら人は連帯もしよう。
城が実際になかったことが判明しそうになったとき、
今度は別の人が向こうにオアシスが見えると口にする。
今度はそこをめがけてみんながんばるのである。
それぞれひとりぼっちの人間はなんにもない人生を終え孤独に死んでいくのだが、
その最終目的地の死を見ないための城でありオアシスである。

人間、人生、そんなもんじゃないですか?
とりあえずいい学校に行っておけ。いい会社に入っておけ。結婚はしておくもんだ。
孫の顔が早く見たいと親から急かされる。子どもができたら人生でもう冒険はできない。
あとは死ぬだけだが、その死を子どもの進学、病気、就職が隠してくれる。
子どもさえつくっておけば死ぬときも自分は生きて仕事をしたような錯覚をいだける。
しかし、これだけでいいのだろうか? それではあんまりではないか?
本当に生きたと言えるのか? 「私のなかの見えない炎」はどこにいってしまったのか?
どのみちみなみなそれぞれひとりぼっちになんにもない人生を終えていくしかない。
だが、少しくらいはカッカしたくないか?
「私のなかの見えない炎」を燃え上がらせてみたくないか?
レールを踏み外してみたくないか? ルールを破ってみたくないか?

芝居「私のなかの見えない炎」は不動産詐欺の話である。
悪徳金融屋と落ちぶれた不動産屋が、
違法建築の別荘を老夫婦に売りつけようとうする。
別荘の立地は悪くなく、海が見えるローケーションはロマンがないとも言えない。
しかし、建築のほうは手抜きもいいところで、とても人が住める代物ではない。
ところが、詐欺契約はかんたんにはまとまらない。
なぜならリタイヤした老夫婦の旦那(邦臣)は元建設省の役人だったからである。
こんな違法建築くらいすぐに見破れる。
そして、もうひとつの偶然がドラマを活性化する。
うらぶれた小汚い不動産屋の高志と元建設省役人の妻(智/とも)には因縁がある。
高志と智は27年まえ婚約までした仲であった。
ふたりはこの違法ペンションで27年ぶりの再会を果たしたのである。
もちろん、邦臣はおもしろくなく、妻のまえで高志をやっつけてやろうと思っている。
このペンションに飛び込んできた女性、香織はいま離婚しようか迷っている。
というのも、仕事はできない高志だが一丁前の色男で、
かつて香織を誘惑したことがあった。
邦臣と智のリタイア夫婦。悪徳不動産屋の高志。高志を追ってきた人妻の香織。
さあ、4人はどんなドラマを繰り広げるか。
こういうセリフのやりとりを見ると、
山田太一は世界レベルで一二を争う劇作家であることに気づく。
智は高志と再会したとき打ちのめされたという。
(邦臣は佐藤慶が演じているのだが、これは佐藤慶にしか無理だと思う)

「智  この齢になったからこそっていったわね?
香織 ええ。
智  そうなの。十年前だったら、河島[高志]さんにバッタリ逢っても、
   こんな気持にはならなかったと思う。
高志 分らないな。
香織 うん――。
智  いまふりかえるとね。
高志 ええ――。
智  結局、私の人生って、河島[高志]さんとのことくらいしか、甘い思い出がないの。
高志 まだ分りませんよ。これからだって、なにがあるか分らない。
智  いつの間にか、忘れかけていた思い出が、大事になっていたのね。
香織 そう――。
智  結局、あの頃しかなかった。
邦臣 今更よくもまあ。
智  ごめんなさい。でも、そうなの。
邦臣 しかし、分ったってわけだ。
   思い出のこの人(高志)は美しいが、現実はこの通り。
   私たちをだまくらかそうという情けない、ペテン男、ボロボロ男。
高志 なんとでもいいなさい。奥さんに、こんなことをいわれては、おつらいでしょう。
邦臣 ハハ、私を哀れんでくれるのか。
智  よして。
邦臣 なにがよしてだ。いいたいことをいいやがって。
高志 そこまで。
邦臣 そこまで? 格好つけやがって。お前なんかいつでもぺしゃんこにしてやる。
智  よそう。
邦臣 くさり切っている。立派なペテン師だ。いつでも告発してやる。
   小綺麗な口をききやがって。キツネの尻尾がヒラヒラ肩越しに見えてらあ。
   下劣な野郎だ。女房子に逃げられた。なにをしたんだ。
   真面目に不動産屋やってて、女房子が逃げるか。借金とりが、はりつくか。
   下劣な野郎だ。こんな奴に、なんの取り柄がある。どこがいいってんだ。
   ここでなにをしている? いままでなにをして来た。
   お前はこの三十年なにをして来たんだ? 自慢することがあるのか。
   あるなら、いってみやがれ。お前なんか――」
香織 (立ちふさがり)そこまで、いうことはないでしょう。
邦臣 ハハ、やさ男に女の味方か。
智  もう、よそう。
邦臣 味方が二人になったぞ。女ってのは、わけが分らない。なんで、こんな男を――。
智  (立ちふさがる)
邦臣 ――なんだ、その顔は。
香織 そっちは、なんなの?
高志 いいんだ。この人のいう通りだ。私は、なにもして来なかった。
   失敗の連続だ。取り柄もない。下劣な野郎だ。ペテン師だ。
邦臣 そうやって自分を簡単に投げ出すと、女がくらいつくって訳か。情けない野郎だ。
智  あなたは情けなくないの。
邦臣 なんだと。
智  あなたは、なにをして来たの? あなたの三十年は。なんなの?
邦臣 なんなのって――。
智  (香織へ)この人はね、私立の法学部を出たの、
   それで、政務次官とか、そういう出世コースには、ほとんど可能性がなくて、
   かげで東大出の悪口をいいまくって、そのくせ前へ出るとぺこぺこして、
   仕事を呪っているくせに外へ出て行くと建設省にいることが自慢でたまらなくて、
   えらそうで、業者が談合して落札することなんか百も承知で、
   お中元やお歳暮が増えると嬉しくて数えて――。
邦臣 お前はどうだ?
   建設省の役人の女房だってことで、いい思いしたことだってあるだろう。
智  なかった。
邦臣 ハハ、口は便利だ。なんとでもいえる。本庁の役人の女房だって、
   胸はって自慢そうにしていたのは、どこの誰だったか。
高志 よしましょう。もう、よしましょう。
   誰って、絵に描いたように綺麗に生きてやしません。
邦臣 あんたにいわれたくないッ。
   (中略)
邦臣 もういい。
智  よくない。このまま、人生おだやかに、温和(おとな)しく、終わりたくないッ」(2幕1場)


こういう本音のやりとりってゲラゲラ笑えるよなあ。
「想い出づくり」の佐藤慶を邦臣に当てはめると腸がよじれるくらい笑える。
「このまま、人生おだやかに、温和(おとな)しく、終わりたくないッ」
中年以上なら性別を問わずだれしも思っていることではないか。
それを口に出したら子どもになってしまうから大人はだれも言わないけれど。
世間常識でガチガチに固まった佐藤慶(邦臣)がおもしろいのである。
こんなセリフもいい。

「何故まだ分らないんだ。
人生あがいたって、大した花は咲かねぇよってことを」(2幕2場)


言ってみたいな、このセリフ。「人生あがいたって、大した花は咲かねぇよ」とか。
しかし、それではあんまりだから人はテレビ、映画、芝居に救いを求めるのであろう。
なかには宗教に救いを求めるものもいるかもしれない。
演劇(芝居)は宗教的儀式を祖としているという説はおそらく正しいのだろう。
ひとりぼっちてなんにもないそれぞれの人生を生きるには人は弱すぎる。
弱者は味気ないそれぞれの現実に向き合うためにフィクションを必要としている。
さて、古女房を高志に取られそうになった邦臣は、
意外な自分が目覚めていることに気づく。
邦臣は「私のなかの見えない炎」の存在を知る。
「河島を――あのインチキな不動産野郎を、憎んでいる」

「邦臣 こんな激しい情熱が自分にあるなんて思っていなかった。
   枯れたと思っていた。あとは静かに暮らすだけだと。
   ところが、身体中、指の先まで[高志を]憎んでいる。口惜しがっている。フフフ。
香織 嬉しいの?
邦臣 そうなんだ。一方で、こんなに煮えくりかえっていることを、喜んでいる。
香織 どうして?
邦臣 こんなに熱くなれるなら、私だって、ことによると、
   君ぐらいの女性とだって、恋が出来るかもしれない。
香織 私と?
邦臣 君とはいっていない。君ぐらいの齢のといったんだ。
   若い女なんて、面倒くさいだけだと思っていた。
   しかし、まだ、こんなに煮えくりかえることが出来るなら、
   面倒くさいことに溺れる力もあるのかもしれない。
香織 ついてけないけど――。
邦臣 その通り。若いあんたに分るとは思っていない。
   しかし、妙な話だが、いま私には力がみなぎっている。
   畜生、あいつら、どこにいるんだッという活気だよ。
香織 ほんと。はじめて見た時は、おじいさんかと思ったけど。
邦臣 どうせね。
香織 でも私、おじいさんの方がいいかもしれない。
邦臣 いいんだよ。
香織 ううん、ギラギラした奴より、優しくつつみこんでくれるような人を、私。
邦臣 フフ、じいさん」を優しいなんて思いこんじゃいけない。
香織 誰でもってわけじゃなく、この人。(と邦臣を指す)
邦臣 私?
香織 案外、私の、タイプかも――。
邦臣 え?
香織 そうよ」(2幕2場)


このやりとりは字面ではわかりにくいが、上演したら客席は笑いにつつまれるはずである。
作者の旺盛なサービス精神には参る。
「人間・この劇的なるもの」がいちばんカッカするのはいわゆる恋愛だろう。
で、カッカしてうっかり結婚をしてしまうともう人生で冒険をすることができなくなってしまう。
浮気や不倫といった火遊びは可能だが、
いちどきになにもかもを失ってしまうリスクがある。
「結婚はしてもしなくても後悔する」というだれだったかの名言があるけれど、
「私のなかの見えない炎」の取り扱い方は難しく、それを教えてくれるのが芝居なのだろう。