医者にかかってお薬を処方されるでしょう?
その薬が効いたか効いていなかったのかは究極的にはわからない。
たとえよくなったとしても、その薬をのまなかった場合を検証できないわけだから。
あんがい薬をのまなくても、おなじようによくなっていたかもしれない。
ひょっとしたら薬をのまなかったら、いまよりも早くよくなっていたかもしれない。
同一人体で薬の効果は証明できないところがある。
なぜなら、その薬をのんでいなかったときの自身の状態がわからないからである。
これは薬のみならずあらゆる健康食品に言えることだ。
リハビリなんかもそうなんだよね。
知り合いが難病にかかって、その筋の権威からこうリハビリしろと言われた。
そのあとで身分は医師以下の、
なんとか療法士からはまったくべつのリハビリを推奨された。
彼が最初に診てもらった医師はリハビリのことなどひと言も口にしなかった。
男は非常に偏屈なやつで、ただただめんどうくさいから、
という理由でリハビリをいっさいやらなかった。
治らなくてもそれが宿命だと思っていた模様(バッカじゃねえの!)。

わたしは彼が大嫌いなので逢いたくなかったが、先ごろたまたま顔を合わせた。
話を聞くとリハビリをせずともレアな難病がかなりのところまできれいに治っているそうだ。
彼いわく、リハビリをしていたら逆に悪化していたのではないか?
そんなそんな世間を舐めたことを言う彼がわたしは大嫌いである。
でも、考えてみると、あらゆる努力(自力選択)におなじことが言えるのかもしれない。
成功した人、病気が治った人は、
自分のあの努力(自力選択)が功を奏していたのだと自慢することだろう。
しかし、本当に裏側がそうなっているかはわからないのである。
彼が努力をしなくてもおなじようにうまくいっていたかもしれないし、
努力をしなかったらいまよりも「上」に行っていた可能性もなくはない。
ひとりの人生におけるあらゆる自力行為の選択結果はよくわからない。
なぜならそれをしなかったときの結果はわからないからである。
あんがい自力(選択)を放棄して他力(自然・偶然)にまかせていたほうが、
結果的には自力努力根性主義よりもはるかにうまくいくのかもしれない。
そういった場合でも自力実験をしていないから比較はできないのだけれど。
いま有名健康食品の「しじみ習慣」の無料サンプルを試しているが、
なんだか体調が上向きである。
しかし、これは「しじみ習慣」が功を奏したのか、
一遍念仏がじわじわ効いてきたのか、
なにがどうなっているのか裏側はさっぱりわからない。

以上、書いたことは非常識らしく、なかなか他人に理解してもらえない。
とくにエビデンスを重視する医者はこのことが理解できないらしい。
ある人に効く薬が、別の人にはまったく効かないことがあること。
99人に効かない薬がひとりには劇的に効くことがあること。
もし薬をのんでいなかったらを検証できないから、薬の効能はよくわからないこと。
むかし効かなかった薬がいま効くかもしれないこと。
つまり、荒くまとめてしまえば、どういう処方が患者に満足してもらえるかわからないこと。
なかにはよくなったら困る患者もいるわけだから(これは医者ならわかると思う)。
そして、とにかく医者と患者は相性がかなり大きく影響する(たまたまの部分が大きい)。
希望は、以上のようなことをご理解くださるお医者さんもなかにはいらっしゃることである。
医者嫌いは多いようだが、わたしは薬好きなので(病院ファン、医療愛好者ゆえ)、
いまの医療はむかしと比べてだいぶよくなっているという発言をしたくなる。
さて、健康食品「しじみ習慣」をどうしようか?
いまふたたび一遍を読み込んでいる。
一遍は「とく死なんこそ本意なれ」と踊り念仏を始めた鎌倉時代のカリスマ僧。
「とく死なんこそ本意なれ」でググったらびっくり。
わたしの書いた一遍の記事を全文無断で転載しているHPがふたつある。
ひとつの記事はわたしではなく、そのサイトオーナーが書いたことになっている。
もうひとつの記事は、出典不明で、しかし文責はそのサイト作者にあるという。
なんでわたしの書いた文章の責任が他人にあるんだろう(笑)?
抗議したいとかではなく(連絡窓口もよくわからない)、まあいっかと。
要するに好意的に解釈すれば、わたしの文章を読んで感動して(?)、
これを自分の書いたことにしたいと思ったわけでしょう?
他人のブログやサイトを見るのは好きではないから、
調べたらほかでもおなじようなことがされているのかもしれないが、まあいいよ。
だって、わたしの言葉だってすべて他人からの借り物とも言えなくもないわけで。
仏典にもそういうところがある。
「歎異抄」が長らく公開されなかったのは、
親鸞の腹黒い子孫たちがパクリ元として利用して本を書いていたからだ。
自分で考えたわけでもないのに、自分の考えだと主張したくなった。
そのくらい「歎異抄」はおもしろかった。
大乗仏教のお経はその反対で、
自分の意見をこれは釈迦からの教えだとうそぶいたとも言えよう。

一遍の教えは過激である。早く死んだほうがいいって言うんだから。
去年の年末くらいからだけれど、体調不良はいま最悪の状態。
吐き気、倦怠感、無力感、希死念慮とか、いまがピークじゃないかな。
「酒がうまくない」なんて感じたのは高校生のとき以来である(ビール一口よ)。
これは一遍なんか読んでいるからとも言えなくもない。
だって、一遍の教えって「捨ててこそ」だから。
欲望も健康も生命への執着も捨てよ! 
こんな本を毎日読んでいたら、なにもかもどうでもよくなって死にたくなる。
往生を願うって「死にたい」ってことだし、
自力(努力)を捨てるって「すべてがどうでもいい(他力)」ってことじゃん。
こんりゃ、やばいわい。いまほしいのはあぶく銭かなあ。
あぶく銭だったら散財できて、世のくだらぬ快楽を試行できるかもしれない。
いまほんとうに欲望が消えつつあるからね。
ブログ記事を無断で全文転載されて、これは自分が書いたって言われても、
まあ、かまんかまん、ええよって許せるくらい。
冥途の土産に世間をお騒がせしたいという欲望がまだ残っているのが救いか。
軽犯罪でもして有名になろうかなってある人に相談したらストップがかかったけれど。

わたしはルックスがよくないから、なにを書いたって無駄なのね。
先月、ひさびさに本屋に行ったらわたしより10歳年下の美人が天台宗で出家したらしく、
そのお美しい顔写真が表紙になった本が売れ筋だったみたいだけれど。
瀬戸内寂聴さんの二番煎じをねらったのだろう。
ああそう、ずっと書いていなかったけれど、権威あるカリスマ医師の言うことは「正しい」ね。
覚えていますか? 去年の顔面神経麻痺騒動。
帝京大学病院の顔面神経麻痺の権威先生から、
重症、治らない、ひどい後遺症がのこると診断を受けたというあれ。
やはり帝京のカリスマ医者の言うことは正しく、
むかしからひどかった当方の顔面はいま人前に公開できないほど崩壊しているから。
モザイクをかけなければいけないレベルって言ったらわかるかなあ。
経験豊富なお医者さんの言うことはやっぱり「正しい」んだなあ、と権威に平伏した。
いまのわたしの顔はグチャグチャになっているけれど(鬼面や奇面レベルではない)、
まあ元からキレイキレイでもなかったから、
それにむかしから鏡はめったに見ないから、いいよいいよと。

創価学会の人に言わせたら、さんざん法華経を誹謗するからバチが当たったと。
きっと(言われてはいないが)そういうことなのだと自分も思う(学会員の知り合いはいない)。
自分の不幸を書くのがいやでごまかしていたけれど(ザマアと言われたくない!)、
いまの顔面崩壊ぶりは中学生未満の少女は泣き出すレベルだと思う。
中学生以上ならば、ぐっとこらえて社会常識をもって見て見ぬふりをしてくれる。
むかしおなじく醜形恐怖症の精神科医、
春日武彦先生からあたかも占い師のように近い将来バチが当たると予言されたけれど、
まさしくその通りになってしまったのだから、やはり有名ドクターの言うことは「正しい」。
自業自得で子どもが泣き出すような異常面相、崩壊顔面になってしまった。
それどころか外面のみならず内面も危なっかしい。
あたまを打ったせいで重度の顔面神経麻痺になったわけである。
医者によっては「硬膜外血腫」や「脳挫傷」という病名も受けたまわっている。
あたま(脳)がおかしくなっている可能性も少なからずあるのである。
今年に入ってからのブログをお読みになって、当方の脳異常を疑われた方も多かろう。

欲望が消えたのも、しかしあぶく銭がほしいなどとほざくのも脳異常のせいではないか。
意識不明で救急車で運ばれ、開頭手術の可能性もたぶんにあったくらいだ。
はっきり言って、打ちどころが悪かったら死んでいたと思う。
顔面崩壊、異常面相、激烈醜形くらいでとどまれたのはまだ運がよかったのかもしれない。
あれもこれも一遍上人から言わせたら、永遠に近い過去世の業ゆえであろう。
もう健康どころか人としてのかたちでさえ保てなくなったのが現在のわたしである。
おそらく妖怪のような異形をしていることだろう。希望は往生のみである。
だから、怖いものはないとも言えてゴースト(幽霊)になりたいのである。
大衆受けする美顔の持ち主とタッグを組んで、あぶく銭を稼げないか。
全文転載してこれは自分が書いたものだと言いたい人がいるほど、
鬼面亡者の当方の文章は一定少数の読者を麻薬のようにとりこにする。
実績として書いていいのかわからないが、
文学板トップ(笑)コテハン「美香」の正体はわたしわたしわたし。
ベストオブネカマのような軽犯罪的奇行をやらかしたのがこの文章の書き手である。
美少女や美女とタッグを組んでゴーストみたいなものをやれないかなあ。
瀬戸内寂聴さんからわかるよう、尼さん商法はおいしいのである。
かわいいシュケジョ(出家女性)がトンチンカンなことを書いたら一発二発、
金の花火が上がるのではないか? 著作権を主張するつもりはない。
その証拠として、今回のこと(無断全文転載、著作権強奪)にも目をつむると宣言している。
あぶく銭を稼いで、パーッと金ぴかの花火を打ち上げて、一瞬で消えていきたい。
「マイバースデーレボリューション」(古関夢香)

→いままでわかりやすい文章を書きたいとそればかり考えていたが、
わからないほうがおもしろいということもあるのではないか?
「マイバースデーレボリューション」とか古関夢香さんとか、
わかる人にはわかるけれど、わからない人にはまったくわからないでしょう?
むかしはいちいち説明していたけれど、
わからなければわからないで、それでいいのではないか?
べつにわかってもらえなくてもいいじゃん、っていうかさ。
古関夢香さんのネットパワーすげえ。
水着写真もウィキもネット上から抹消したのか。アネさんたら、やるやるやるう!
おれもさ、変なウィキに困っているのよ。
朝鮮人とか書かれていたかな。べつに朝鮮人でもいいんだけれど。
2回編集しなおした記憶があるけれど、直後に書きなおされ、
もうこれはダメだと思った(めんどくせってこと)。
あれを夢香さんは消させたわけでしょう? どんなふうにやったんだろ。
おれはむかし古関夢香さんの水着写真に危ない欲情をした記憶がある。

レボリューションといえば天龍源一郎。
むかしは天龍のことをただただすごいと思っていたが、いま考えると複雑だ。
天龍は全日本プロレスで天龍革命とかやったけれど、
あれは職場の同僚にとって迷惑きわまりない行為とも言えるわけでしょう?
馬場の全日本プロレスはいくらがんばっても給料は変わらない。
試合で怪我をしたら治療費も払われないほどブラックだった。
それなのに天龍はなんのためか同盟をつくって、過激なプロレスを始めたわけである。
がんばっても手を抜いても給料は変わらないのに激しい試合をおっぱじめた。
同僚は困るわけである。給料は変わらないのに、そんなにがんばるなよ、源ちゃん。
怪我でもしたら治療費なし、給料なしで、おまんま食い上げだろう?
だれが得をしたかというとお客さんである。
天龍のプロレスはわれわれ客から見たら、これほどおもしろいものはない。
お客さんは盛り上がり、全日本の収益はさぞかし上がったことだろう。

たしか3年で天龍革命(天龍同盟)は終わった。
なぜなら社長のジャイアント馬場が給料を上げなかったからである。
馬場は阿修羅を解雇して、天龍の子分の川田や冬木の給料も上げなかった。
がんばって試合をして(=怪我リスクUP、同僚から恨まれる)結果、給料が上がらない。
天龍にしてみれば、自分についてきた川田や冬木の給料を上げられなかった。
天龍源一郎は大企業メガネスーパーが経営母体になったSWSに移籍する。
しかし、そのSWSもターザン山本編集長の「週刊プロレス」からバッシングされ崩壊。
ターザン山本は馬場から多額の賄賂(わいろ/裏金)を受け取っていたという。
それどころか競馬の種銭ほしさに自分から馬場夫人に金を無心したこともあった。
善悪を主張したいわけではない。
わたしはむかしのプロレスのこういうアバウトでダーク、ヤクザなところが大好きなのだ。
ちなみに古関夢香さんは当方より2歳上の女性でターザン山本と関係があった。
いま夢香さんは作家で出版社社長でネット成功者らしい。

天龍源一郎はなぜレボリューションを起こしたのか、
それは自分でも正確にはわからないのではないか?
いろいろな回答例を列記すると――。
・つまらなかったから。仕事が退屈だったから。
・ジャンボ鶴田への嫉妬心。あいつより上に行きたいと思ったから。
・試合後にうまいビールを飲みたかったから(スーパードライ)。
・こんなこと自分以外はやれないだろうという自負心から。
・とにかく熱く生きたかった。
・お客さんが沸く(会場が盛り上がる)のがレスラー冥利に尽きたから。
・ひと言でまとめれば、そっちのほうがおもしろそうだったから。

わたしのむかしの夢はいつか一丁前になって天龍さんの寿司屋に行くことだった。
しかし、かなりむかしにお寿司屋さんは閉店している。がっかりした。
しかし、天龍同盟の川田が長らくラーメン屋をしている。
成城学園前ってどこ? って先日調べたら、新宿から小田急線か。
川田のレボリューション魂もすごい。
プロレスであそこまで行った人が、
いちから(だれの弟子にもならず)ラーメン屋を始めて続いているのだから。
ツイッターでメニューを見たら、オリジナル料理をいろいろ実験しているらしい。
そういうのはほんとうに天龍スピリッツというかレボリューション魂。
天龍は猪木に勝ったあとで、電流爆破も女子レスラーとの試合もやっているのだ。
おもしろそうだったら、なんでもやってやれ! 人の目なんて気にするな!
これが天龍源一郎、川田利明、ターザン山本、古関夢香に共通するおもしろさである。
いつか川田のラーメン屋で酒豪の天龍のように生ビールを10杯飲んでから、
焼酎を5本くらい開けたい。夢はかなわなくてもいい。
昨日知ったけれど、去年の3月にレスラーのハヤブサが死んでいたとか。
天龍とハヤブサの試合はなまで観戦している。
ハヤブサは2001年に試合中の事故で首から下が動かなくなる。
プロレス復帰をしたいという夢を15年語り続けて、結局かなわずに死んだということか。
だれもハヤブサの夢を否定できなかった。
わたしも万が一にも対面していたら、がんばってくださいと言うしかなかっただろう。

22日午前8時15分ごろ、東京都北区のJR赤羽駅で、女性が湘南新宿ラインのホームから線路に飛び降り、電車と接触した。

 警視庁赤羽署によると、女性は全身を打って搬送先の病院で死亡した。制服姿で学生証を持っており、都内の高校に通う3年の女子生徒とみられるという。自ら線路に飛び降りる姿が目撃されており、署は自殺とみて身元を調べている。

 JR東日本によると、この事故で、湘南新宿ラインや埼京線の上下線など41本に最大約1時間の遅れが出て、約5万人に影響したという。

「朝日新聞」

今日は医療品メーカー本部長の彼と逢うために出社したのにもかかわらず、
派遣同僚のNさんは来なかった。無断欠勤か健康理由かはわからない。
あーあ。今日同世代のエリート社員と話すのをチョー楽しみにしていたのに。
自意識過剰だが、あれがやばかったのなあとも思う。
同世代の男性とおなじ派遣という身分でバカっぱなしをできるのが嬉しくてねえ。
とうとうようやく自分もここまで治癒したかという無意識の判断があったのかもしれない。
知り合って4日目の人にあの話をしちゃったのよ。
母親から目のまえで飛び降り自殺された話。
そういうことがあったから、あれやこれやで、エタヒニンみたいな人になりましたという。
Nさんは一流社会人だから、そういうことは聞いてはならないと知りながらも、
好奇心には逆らえなくて詳細を聞いてくるわけである。
いつもの彼とわたしの冗談半分のノリで。それに淡々と答えている自分がいた。
泣いたでしょう? とか聞かれたけれど、泣くとかそういうレベルではないわけで。
詳細を好奇心から聞かれる。むかしはそういうのは死ぬほどいやだったが17年も経った。
答えるわけである。

母は精神病(躁鬱病)でその時期は常日頃から「死にたい」と言っていた。
死にたいけれど、どうしたらいい?
そんなことは20過ぎの息子にはわからない質問である。死なないで、と言うしかない。
梅雨の早朝のことだ。朝4時過ぎのこと。
わたしはコンビニに買い物に出かけたのだが、そのドアの開閉音を母は聞いたのだろう。
母はわたしが帰宅するのを上から待ち伏せしていた。
いきなり「ケンジ」と名前を呼ばれる。上を振り向く。
そうすると9階上の自宅ベランダから母が飛び降り自殺をしてきたのである。
母はわたしの目のまえで血まみれになって死んだ。
救急車が来た。即死という診断だった。父に電話したらこれから仕事だと言われた。
いまは父の気持もわかるから、それをどうこう言いたいわけではない。
いきなり派遣先で正体不明のおっさんからこんな話をされても困るよねえ。
Nさんが今日欠勤した理由がわたしにあるのかどうかわからない。
当方は今日バーミヤンで30分でも1時間でも、
まっとうな社会人の話を聞くことを非常に楽しみにしていた。
しかし、裏切られたという思いもなく、人間なんてそんなもの。

驚いたのは自分。
彼の器量もあるだろうが、ご縁もあろう。わずか逢って4日の人にこんな話をできたこと。
好奇心からあれこれ詮索されても、まあいっかと答えられたこと。
きっと治ったんだなあ。17年経過して、どのくらいかはわからないけれど。
むかしはだれかに自分の苦しみを理解してほしいと思っていたが、
いまはそういうことを完全にあきらめられたから雑談でこういう話をできるのかもしれない。
いまの不安定な身分を話したら、定職に就けと。
けれどさ、目のまえで母親が死ぬ瞬間を見ちゃうと、いざとなったらあれもありかと。
いざ行き詰ったら、母とおなじようにあれをしたらいいわけじゃん。
あれはいつでもできる。
一流会社員で同世代の好人物Nさんとお話させていただいてわかったのは、
わたしが結婚とか家族に願望をいだいていないのは、
両親の関係があるのかもしれないなあ。一家団欒なんて経験したこともないし。
物心がついてからはいつも父と母の板挟みになって苦しんできたし。
しかし、いまは父を恨んでいるわけでもなし、母を恨んでいるわけでもなし。
宿命のようなものだからしょうがねえよなって感覚。
とりあえず明日までは生きるが、それ以降どうするかは自分でもわからない。
あさって以降はスーパーフリーである。
なんにもない。なにをしてもいい。なんにもしなくてもいい。
ひょっとしたらわたしの苦しみをいちばんわかってくれたのは、
偶然にもいま派遣仕事で知り合いもう逢うことはないNさんなのかもしれない。
韓国旅行1週間より短期派遣5日間のほうがおもしろかったと結論づけておく。
そうそう、今日は18時まで働くことができた(日給8千円)。
わけわっかんね。
わたしは派遣会社から7日の日曜日まで9~18時の仕事と聞いている。
8日も入れられるけれど、仕事の進捗しだいによっては時間短縮もありうる。
8日月曜に入りたいならば早帰りを覚悟してほしいという話だった。
わたしはそもそも月曜日は通院日だからNG。
7日の18時まで働けるのなら都合がいいと思ったものである。
しかし、今日聞いた話によると明日は16時で終わりとのこと。
その件は派遣みんなに連絡がいっているというが、うちには来ていない。
いまの派遣先には交通費が出ないらしく、みんなほとんど赤字感覚で来ているのである。
交通費千円以上の人もけっこういるから、そういう人たちは明日は日給5千円か。
子どものおこづかいレベルではないか。
これを仕組んでいるのが大手のあそことあそこなのである。
労働者にそんなことをしてもいいの? 法律的にやばくない? 派遣はスーパーフリー。

当方もお金目的というよりも、
社会性獲得修行の一環として参加しているから明日の日給6千円はいい。
このことに疑問や怒りをおぼえないという労働者感覚はなじんだ、と思いたい……。
しかしさあ、でもでもよ、ふつう怒るでしょ? 
早くやれって言われてささいなミスを叱られて、
今度は丁寧にやったら遅いって言われて、やけくそで早くやったら収入が減る異世界。
わたしは男性なので結果的にうまくいけばいいと思うが、
女性のなかには自分の正義をピリピリ発散させたくて働いている人もいるのだろう。
理想と現実は違う。現実問題としてうまくいっているなら、それはそれでいいではないか。
理想を追求したら遅くなるぜ。
遅くなったらおまえも時給換算の派遣のくせにどうして怒るんだろう? 
お金ほしくないの?
派遣のぶんざいで愛社精神とかやめろよ。結果オーライだろう。
今日なんだかレアな問題が起こったらしく、監視カメラの解析をしていたとか。
わたしが関係しているらしく、
ならもうご迷惑をかけたくないから社員さまに「帰りましょうか?」と。
いやいや、というお答え。派遣ってよくわからない。
派遣が早く帰ったり急に辞めたりするのはNGで、
派遣先がいきなり解雇したり早く帰したりするのはOKなんでしょう?

まあ、あそこもあそこに仕事を発注したあそこもあれな会社なんだとわかった。
みんな同じく和やかに生きよう。同和しよう。同調同和は正義。同和。
正直、明日日給6千円のために働きたくないわけだ~よ。
しかし、それは契約違反。しかし、18時までの労働という約束を破るのは合法(なの?)。
わたしは世間法(日本国憲法)など認めていないし、
金銭への執着もいまだけかもしれないが消失しているからどうでもいい。
近所だし、歩いて20分だし、ピックは楽だし。
でもさ、交通費千円以上かけて来ている貧困者にそれをやっていいの?
聞くとみんな怒っていないで、そういうものだとあきらめているのである。
おかしいよ、おかしいって、こういう仕組み自体が。

わたしは派遣先で同世代のエリート社員と知り合えたから、プラスプラスおめでたい。
身分の異なる他人の世界というものにちょー興味がある。
明日16時に終わったらバーミヤンで少し話そうねって話だけれど、おもしろすぎるぜ。
39歳のエリート(と本人は認めていないが)会社員はどんなことを考えているのか?
これはいくら本を読んでもわからない。まさにプライスレスの体験。
相手だってわたしの価値観を知ったら人生が豊かになるわけで、そこはウィンウィンと。
世界を知りたい。自分を知りたい。
本当のことを知りたい。嘘でもいいから(ってそれなに?)。
派遣同僚のイベントディレクターのHさんとか生き生きしているもんな。
生命力にあふれているというか。いかにも、もてそうというか。
明るいしはきはきしているし、だれにも分け隔てなく丁寧に接している好青年。
やはりああいうキャラじゃないとクライアントから仕事を取れないのだろう。
飲みの席で上から気に入られて仕事をもらっていくと言っていたなあ。
上から気に入られるというのは、当方のいちばん苦手とするところでもある。
ふざけて言われたなあ。
土屋さんのブログをバージョンアップして、もっと集客率を上げてみせましょうか?
もちろん、有料ですけれど(笑)と。お願いしてみてもいいんだ。
しかし、アクセス数が上がっても、広告報酬が十倍の数千円単位になっても、
それは嬉しいけれど、なんか気力がわかない。
広告報酬が千倍の数十万単位になるのなら興味があるけれど、それは詐欺話でしょう。

だれがこんなブログを読みに来るかって話で、自分でもそれは自分でわかっている。
けっこうおもしろいブログを書いているつもりだが、愛読者は10人ちょっとくらい?
1歳年下の本部長からは悪気なく、
どうせそんなブログの読者なんて5人くらいでしょうとからかわれて、
あながち否定もできなかったけれど。
むかしは同世代の一流会社社員、本部長、妻子持ちとか、
嫉妬や憎悪の対象になったけれど、いまはいいやつだよなあ、としか思わない。
実際、人当たりもいいし、こいつなら人生うまくいくだろうなあと思う。
世の中の底辺みたいなものを見学してみたくて生まれて初めて派遣登録したとか。
実際、彼の収入と住まいから考えたら、
うちの近くに交通費なしで働きに来るのは社会見学でしかないだろう。

ちょっとだけ裏をばらすと、派遣をやっている人にお金持がいないわけでもない。
老人の派遣さんなんか悠々自適の老後を過ごせるお金があるのに、
刷り込まれた勤労精神から一生懸命派遣労働していらっしゃる方が多い。
いやみを言えば、家に居場所がないのかもしれないけれど。
そういうご老人も、まあ向上心があるともバイタリティがあるとも言えるわけである。
もっと上を目指したいとか、上に行きたいとか、
そういう創価学会的バイタリティが本当に消えつつある。
だから、嫉妬とかあまりしなくなり、精神的に平安と言えば、たしかにその通りなのだが。
しかし、まだ40歳でこれではあんまりだよなあ。
今日と明日働いて月曜は病院でお薬をもらう。その先の予定はまったくなし。
ほしいものがほしい。感謝の言葉がほしいとか思っている健康人のメンタルが理解不能。
こりゃ本当に本部長の言うようにエタヒニンだなあ、えへっ。
これと思った人にはたいがい聞くよね。ほしいものはなんですか?
お金以外にほしいものなんてありますか?
カゾクとかクルマとかイエとかセイシャインとかまじめにお答えくださる方が多いけれど、
数こそ少ないが、ほしいものは「自分の時間」という人もいる。
わたしは「自分の時間」にあきて好奇心から働いて、
もう働くのがいやになったところがある。
しかしそう思うと今日は働くおもしろさを感じるんだなあ。
へええ、ふうん。
朝から「土屋さんはエタヒニンじゃないですか?」
と冗談半分で言った1歳年下の彼はあの企業の出世頭、本部長だったのかあ。
「かみさん」は1歳年上。結婚したいきさつまで聞いてしまった。
結婚すると帰宅すると妻がいて、夕食が待っているのかあ。
なおセックスはあまりしなくなる模様。
わたしは正体不明にもほどがある。朝からエタヒニン呼ばわりされるゆえんである。
彼は某医療品会社の若きエリート本部長で、
そこまで明かしてくれるならとわたしは無名の売れないブロガーだと告白した。
こういう本部長と退勤後に最寄り駅まで話せる経験はプライスレス。
冗談で、話半分で、いま実名ブログをやっているから、
派遣同僚のNさんからエタヒニン呼ばわりされことを書いちゃおうかな実名で。
Nさんの実名で? いいよって言われちゃうんだから、うふっ。やらないけどさ。
いまほしいのはハングリー精神だよなあ。
もう人生のいったんの終了地点を今月8日に決めている。
あとのことはなにも考えていない。もういいじゃないかという思いもある。
よくがんばったじゃないか(自画自賛するな!)。
イケメンのディレクターH氏から笑われた。
10年もブログをやっているのに月の広告報酬は数百円だと答えたら。
もうカネもオンナもいらないネハンに入りつつあるのかもしれない。
あと2日でひと区切りつく。思えば(ごまかせば)、いい人生でした。
ぶっちゃけ、韓国旅行よりもこっちの短期派遣のほうがおもしろい想い出になりそうだ。
本ばかり読んできたから世の中を知らないというコンプレックスがある。
派遣仕事をすると、いろんな人に出逢え、
わずかでも交流を持てるからほんとうにおもしろい。
昨日知り合ったのは、
4年血縁の者の介護をしていて無職だったという29歳の青年でしょう。
今日は同年代の医療品メーカーの社員さんとおしゃべりすることができた。
いかにも遺伝子レベルが高そうな風貌をしていたが、39歳で7歳の子持ちだって。
医療業界の裏側めいたものを休憩時間に教えていただいた。
こちらは友人も知人もほとんどいないし、
働くといっても遺伝子レベルの関係でそこまで高時給のところはないから、
あんまりいわゆる「上」の人と交流を持つ機会がないのである。
遺伝子レベルが自分とおなじ程度の方たちのお話をうかがうことが多い。
だから、今日みたいに同世代のちゃんとした会社員さんのお話を聞くと影響を受けるねえ。
これってだれかが仕組んでいるですか? と思うくらい。

また別の、フリーのイベントディレクターとも会話したけれど(イケメンだなあ)、
当方より遺伝子レベルが10倍以上高いのではないかと思う。
遺伝子レベルが高い人たちは難しそうな梱包で、
あれな当方はピッキング(不満なわけではなく能力差をすなおに受け入れている)。
一流会社の社員さんはやっぱり人(派遣)を見る目があるなあ。
人海戦術といったって、なかには遺伝子レベルの能力差が多様にあるわけだから。
なかには数字を確認できるのがせいぜいの我輩さまのような愚人もおり、
またおなじなかに芸能人のイベントを仕切れるようなフリーディレクターもいる。
いまの派遣会社の登録会は最高におもしろかった。
いくら派遣でも通常は最低前職や学歴経歴くらい聞くのだが、ここはスーパーフリー。
医療品メーカー社員は履歴書を持ってきたらしいが、
履歴書不要、学歴不問、性別不問、18歳以上の日本人ならたぶんみんなOK。
え? 派遣ってはじめて登録したけれど、こんな感じなんですか?
と問われ、いや、いや、ここのゆるさ(やさしさ、フリーダム)はめずらしいですよ、と答えた。
いまの派遣会社はほかではよくいる外国人がいないから、
そういう縛りはあるのかもしれない。
けれど、いくら日本語を多少読み書きできても、
あの仕事を外国人にさせたら信用が落ちるだろう。
あの業界は信用が第一で、どこの口からでも信用失墜がもれたら崩壊しかねない。
外国人は怖くて使えないだろう。

ところで、なんでみんなわたしなんかに構ってくれるの?
むかしはブログが関係しているという妄想もあったけれど、
アクセス数はスズメのなみだよ(どんどん減るばかり)。
まあ、現実がおもしろければなんでもいい。
今日1歳年下の妻子持ち医療メーカー社員に、
社会人としての心構えをあと3日で教えてくださいとか、冗談半分でお願いしてしまったよ。
むかしよりも変なオーラが出始めているのかもしれない。それは死臭かもしれない。
思えば、むかしはよく人といざこざを起こしたが、
いまはなぜか人のいいところがよく見える。うさんくせっ! おれ、うさんくさい!
むかしから結婚とは無縁である。
もてないのに恋愛以降の結婚なんてそもそもあるかよって話だが。
おそらく無理だろうが結婚して子どもを持ったら、
こんなわたしでも少しはしっかりするだろう(えええ?)。そもそも、もてないけれど。
結婚願望はないし、子どももかならずしも好きとは言えないわたしわたしわたし。
結婚して子どもができちゃうと夫婦ともに責任が発生するよねえ。それ、めんどくさくね?
というか、どうして根本の問題として結婚や子づくりをできるのかがわからない。
結婚とかギャンブルすぎるでしょう? 
どうしてこの人を(かりそめにも)永遠のパートナーにできると
(一時的にも)決められるわけ?
なんかおかしな高視聴率恋愛ドラマでもポテチをセットに見ていたらそう思えるわけ?
わたしは女性のみならず人間全般にもうあまり期待しなくなったから、
結婚という制度には競馬以上の利益率さえ求めていない。
そもそもからして自分となんか結婚したら相手は不幸になるという確信めいたものがある。
どうしてそんなにみんな自分に自信を持っているの?
おれなんかまあ、
おれと結婚したら相手を99.99%不幸にするというおかしな自信がある。
というのも、だって、遺伝子が悪いもの。父は神経症(吃音)で母は精神病で自殺。
当方は吃音も遺伝しているし、ならばおそらく精神病も(専門医に診てもらっていない)。
とにかく遺伝子の質が悪いんだよ。遺伝子レベルで存在が劣悪なんだよ。
おれの遺伝子をこの世にのこしたら、どんな悪さをするかわからない。
だから、結婚も子づくりも世界人類の平和のために(笑)したくない。
今日また運よく派遣仕事で新しい職場を見学させていただいたけれど、
こういうことを言ったら失礼になるけれど、しかし本当のことだから言うと、
顔を見た瞬間に遺伝子のレベルのようなものがわかるところがないとも限らない。
本当に顔だよね顔。顔を見たらその人の遺伝子レベルがわからなくもない。
わたしの遺伝子レベルもさっそうとばれたのか、イージーな仕事にまわされた。
どうしてみんな自分の遺伝子レベルがわからないで結婚して子づくりするの?
国家繁栄のためなんですか? そういうのが遺伝子にプログラムされているわけですか?
あなたがその程度なのに、一部の親はいったい子どもになにを期待しているのだろう?
「河合隼雄 全対話5 人間、この不思議なるもの」(第三文明社)

→大学時代から河合隼雄は好きだったから、もう20年近くの関係になるのか。
河合隼雄はなにもしてくれない。
こっちが勝手に本を誤読して影響を受けるというイビツな関係。
どこを分け入っても河合隼雄に行き当たるので困ってしまう。
シェイクスピアを読み込んでいたときも、行き着いたのは河合隼雄。
日本古典文学を読んでいってもどうしてか河合隼雄が現われる。
仏教世界はかなり本気で分け入ったが、
河合隼雄がいちばんわかっているような気がしてならない。
精神ストリッパーの小谷野敦さんふくめ、
みんなが嫌いなノーベル賞寸前作家の村上春樹も河合隼雄とは手を組んでいるし。

河合隼雄の本職はカウンセラー。
きっといろんな成功者、有名人の秘密を聞いたのだろうな。
地元の名士みたいな開業医が、
くだらない中学生が悩むようなことを深刻に悩んでいたり。
父親にすすめられて歯科医になったけれど、自分は本当は
売れなくてもいいから好きな音楽を続けたかったとかさ(中坊っぽいっしょ?)。
地位や財産が人の満足に直接的に結びつかないことを、
カウンセラーほど聞かされる職業はないのかもしれない。
地位や財産よりももっとおもしろいものがある。それは自分という未知の世界だ。
なぜか運よく世界遺産は若いときにまわったほうだが、
どこに行ってもぶっちゃけ、ここだけの話をするとつまらないわけ。
ああ、ガイドブックとおなじだねっていつも思っていた。
おそらく世界を知るというのは名所旧跡をまわることではないのだろう。
世界を知りたかったら世界遺産よりもおのれの心に分け入れ。

「つまり、心とか世界とか分けてるということがそもそも近代的な分割法ですね。
ところが、究極の存在のほうへいきますと、心イコール世界とか、
そういうところへ近づいていくんじゃないでしょうか。
そうなってくると、心の中を探っているのか、世界を探っているのか、もう分からない。
その主客[主観/客観]の分離する以前のところですね。
それといろいろな言葉で言ってるのは、むしろ仏教でしょう、と私は思いますけれど」(P196)


地位や勲章、肩書、財産は客観的存在と言えよう。
貯金1億円は客観的存在でしょう。事故保険金100万円は客観的存在である。
和解金1千万は客観的な数字である。数字というのは客観的世界の象徴かもしれない。
札束のみならずコップひとつとっても客観存在ではあるけれども、
同時に(札束や勲章のみならず)コップもまた主観存在であると言うことができる。

「だから、そのコップの深いところまで見えたときに、それを物語る言葉を失って、
そして通常の言葉で言おうとしますね。
そうすると、私がどう言うかというと、「このコップは神さんです」とか、
あるいは「このコップは一億円で売れるんだ」とか、
そう言うよりしかたがないでしょう。そんな言い方をすると、
みんな「あいつは狂ってる」と、こういうふうになるわけです」(P196)


河合隼雄の言う「主客の分離する以前のところ」とはどこか?
そこから見たらコップが神さんにも1億円の価値を持つとも言えるわけでしょう?
もしかしたら自宅の小さな庭が世界遺産以上に美しく見えるかもしれない。
仏教修行者がたまに到達できる「主客の分離する以前のところ」とはどこか?
それは誕生以前の世界であり、死後の世界のこと、つまり「たましい」の世界である。
赤子は客観として誕生して、しだいに主観を持っていくでしょう?
ご老人は死が近づくにつれ、
しだいに主観を失い(意識もうろう)客観存在(死体)におなりになるわけでしょう?
死後の世界=誕生以前の世界=たましいの世界から見たら、
ひとつのコップを形容する言葉でさえ(具象する絵画でさえ)さまざまなものになる。
主客分離以前のたましいの世界から世間を見てみたらどうなるか?
計算できない、数字に表象できない、たましいの世界のことをときに考えたらどうだろう?
アハハ、なーんかうさんくさい宗教指導者みたいでしょう、おれおれ詐欺(笑)。
しかし、インテリのみならず、みんなたましいの眼を持っているような気がする。
まえの職場で最後までどうしてもダメだったパートのおばさんとかいたけれど、
そういう人にも旦那さんやお子さんがいらっしゃるわけでしょう?
たましいのことでも考えなければ、あのおばさんの夫や子どもは想像つかないもの(笑)。
ある程度みなさん、たましいの眼を持っているから、
そうそう美男美女ばかりでもないのにポンポン結婚する男女が現われるとも言えよう。
なんか、おれ、ひどいことを書いている気がする、やべっ。
インテリぶってまじめにユング心理学のなかでも難しいとされる元型の話をしよう。
元型(アーキタイプ)とは、物語の原初形とでも言ったらいいのか。
人間の心の内奥にひそんでいるとされる物語(ストーリー)の種類(タイプ)である。
パートの口うるさい無学なおばさんの心理的奥底にも、
難解なユングの言う元型が働いているのかもしれない。それはどういうことか?
日本ユング心理学のボスでありカウンセラーの親玉、
河合隼雄が難解な元型について遠藤周作相手にめずらしくわかりやすく語っている。

「ものすごく簡単な言い方をしますとね、
たとえば[カウンセラーの]私は、
人間としてのAさんならAさんという人に会ってますね。
ところが、Aさんの背後に、非常に単純な言い方をしますと、
女神とか神とかが立っているわけです。
それによってその人が動いているわけです。
それがユングに言わすと元型みたいなものでして。
だから、私がたとえばゼウス[ギリシアの神]ならゼウスというものに似通っておったら、
どうしてもいっちょう大きいことをやりたくなってくるし、
美しい女性がおったらふらふらと行きたくなるし、
そういうふうに動いているときに、その人だけじゃなくて、
その背後にいるものも込みで見ていこうと。
そして、その背後にいるものの働きというものがその人を癒すであろう。
私が癒すんじゃなくてね、というふうな考え方をしているわけです」(P168)


これでもわかりにくいっしょ? 間違っているかもしれないことを覚悟で、
わたしがリライトすることを許されるならば、
たとえば(いまはあるのか知らんが)ヤクザ映画。
ヤクザ映画が好きで何度も見ていると、
ついつい(実際のヤクザではなく)ヤクザ映画的な物語に飲み込まれちゃうよねってこと。
俳優の高倉健が好きだと、
ついつい(その実像ではなく)その役者ぶりを実人生で真似てしまうというか。
難解なユングの元型思想をここまで噛み砕いていいのかわからないけれど、
しかし、そんなことをできるのは学者でもなんでもない当方だけだろうから許して。
物語のパターンってあるじゃないですか? 
あれを念頭に置いていると、おもしろいってことだと思う。
カウンセラーは古今東西の物語のパターンをたくさん知っていなければならない。
なぜならクライエント(有料相談者)がどう動くか見立てのようなものがつくからである。
これは小説家が登場人物をどう動かそうかと考えるのとおなじの模様。
権威主義の西欧かぶれ作家の遠藤周作は言う。
(たとえば聖書のような)基本的物語(元型)から逃れることは容易ではない。

「だから、われわれ小説家の場合は、作中人物がひとりでに動き始めたら、
その小説が成功すると言われます。
こっちの操り人形で、右向け右って言って、作中人物が
ぼくの初めのプランどおりにいっちゃうと、これはもうだめになる。
だから、作者の意思に抗して向こうが自由に動き始めたら、
生きた人間になるとは言われますけどね」(P166)


年下の天才的世渡り上手、河合隼雄はこう返す。

「同じだと思いますね。ただそこで、
私の考え、私のアイデアというのはやっぱりあるわけですね。
だいたいこういくんじゃないかとか[元型!]、
この人はこういう解決法にいくんじゃないかと思ってるけど、
向こうの自由にしているわけでしょう。
そうすると、私の考えと向こうの流れとがぶつかるわけですね。
このぶつかりというのはものすごく大事だと思いますけど。
(遠藤「そう。そのとき、えも言われぬ快感があるでしょう。ぶつかったときに」)
そうそう。そして、ぼくの知恵を超えた答えを向こうが出すわけですから、
それはもう感動しますね。しかし、だいたいは相手の知恵のほうが深いです、
われわれよりは」(P167)


一部の人にしかわからないことを書くと、紫綬褒章作家で大勝利者の宮本輝。
宮本輝の若いころの小説は創価学会の物語(教学)に寄り添いながら、
登場人物が作者の筆に逆らっていきいきとしていた。
ところが、いまの氏の小説は「師弟不二」とか創価学会の物語をそのままなぞっている。
だから、つまらないという意見もあるだろうし、
老人富裕読者の大勝利意識を満足させる傑作になっているという見方もできなくはない。
物語というのは、偶然をどう解釈するかだと思う。
自他の人生を物語的に見ていると、小さな偶然に気づきやすくなる。
あなたやわたしがあなただけの物語(人生)をつくりたかったら、
あなたの周囲に起こっている偶然に目配りして即座に反応するしかない。
カウンセラーというのは、クライエントの物語を創作する助手のような仕事ではないか?
なんでもない事象(ささいな事件)を、
意味のある偶然と認識できる優秀な視力を持つカウンセラーが、
いわゆる河合隼雄的な心理療法をできるのだろう(それが効率的かはわからない)。
河合隼雄は自分の職業を「偶然屋さん」とべつの本で呼んでいる。
「偶然屋さん」いわく――。

「だいたい現実というものは、その人がそう思っているだけであって、
いろいろに見えるわけです。現実は偶然に満ちている。
たとえばぼくのところへ相談に来られた人の話をそのまま書いたら、
偶然だらけですよ。途方もない偶然でパーッとよくなったりするわけです。
ところが、ぼくのところへ来られた人のお話ですよということで書いたら、
みんなフーンと思うかもしらぬけれども、
それをぼくが小説にそのまま書いたら、こんな偶然はあるはずがないと言われる。
リアリズム自身ものすごく難しい問題ですね」(P146))


偶然を信じているというのは、自分は仏や神を信仰しているというのと同義だろう。
河合隼雄は元型(物語)の偶然をよく知っていたから、
元型的偶然のみならず元型ではない偶然をも直観することができた。
おそらく、氏のクライエントを癒したのは後者の偶然であっただろう。
偶然は主観的には強い意味があるけれど、客観的には確率的事象に過ぎぬ。
「主客の分離する以前のところ」=たましいの世界から偶然はやってくる。
わたしは河合隼雄にならって偶然に任せて生きていこうといまのところは思っている。
明日から5日間、近所で短期派遣バイトをさせていただくことがさっき決まった。
そこでいただくお金は4万円だが、あるいはたましいの領域では300万円かもしれない。
単純労働世界のようだが、あるいはそこで、
最前突発的におもむいた1週間の韓国旅行よりも
はるかにおもしろい経験ができるのかもしれない。
わたしは偶然を深く信じていた「偶然屋さん」の河合隼雄さんの本に、
いままでどれだけ助けられてきたことか。20年近く見守られてきたという錯覚がある。