昨日でお菓子関連の派遣仕事はひと区切り。
事務所の方に来週の水、木も入りたければ、というありがたいお言葉をかけていただく。
「使える/使えない」レベルの話をすれば、まったく使えないにもかかわらず。
本当に事務所のYさんにもTさんにもお世話になったと思う。
一度辞めたいと言ったときにYさんとお話する機会があった。
この年齢の女性はこのような考え方で仕事をなさっているのかと勉強になった。
だからといって、いきなり職場放棄をしていい言い訳にはならないけれど。
最終日の帰りはいつものようにEさん(65歳)、Aさん(57歳)といっしょ。
なんでもEさんが来週も5日入れるようになったらしい。
Eさんはわたしが枠を放棄したせいだと言っていて、本当はどうかわからないが、
もしそうだとしたらわたしが辞めることで、
結果的にお世話になったEさんのお役に立てたことが嬉しい。
別れ際、Eさんからは「すぐ働いたほうがいいよ」と含み笑いをしながら言われた。
Aさんからは「しばらくぼんやりしていればいいんじゃないの。
ツッチーはツッチーでいいんだから。ツッチーがいなくなるとさみしいなあ」――。
そんなお言葉をかけていただく。
Aさんとは今月30日に再会して酒をのむ約束を交わしている。

最後までわからなかったのは、職場の人のどこまでブログがばれていたのか?
別のラインで大声でわたしのブログの話をしている声が聞こえてきたことがあるから、
だれも読んでいなかったということはありえないと思う。
しかし、文章を読むのが嫌いな人は多い。
読んでいる人はいるが当人がどのようにだれに口伝えしているかまではわからない。
そのうえ文章というものは読む人によって解釈がかなり異なるところがある。
話し言葉も書き言葉もほぼ正確には伝わらないと思っていたほうがいい。
わたしのブログを読んでいる人がいることは嬉しかった。
そりゃあ、自分たちの職場のことを書かれたら読まざるをえないのだが。
しかし、文学。たとえば、純文学。
かりにわたしが純文学作品を書いて万が一にも新人賞を取ったとしても、
あの職場にいるような人たちは読んでくれないでしょう?
そもそも新人賞作品なんて出版されなくてもおかしくないし、
たとえ書店に並んでも売れるのは2、3千部と聞く。
ブログだったら無料だからだれにも手軽に読んでいただける。
9割以上の日本人は本を読む習慣がないのだと思う。
しかし、無料のインターネットだったら、
という希望のようなものが活字世界にもあるのではないか。

かなりお若いNさんという、とても親切にしていただいた若者がいる。
「おれなんかヤンキーのようなもんだから」と別ラインから声が聞こえてきた。
そのNさんがわざわざわたしに近づいて声をかけてくれたのである。
もう仕事を辞める直前である。
そのとき当方はチョー楽勝な箱作りをけっこういいかげんにしていた。
「土屋さんはいまなにを考えているんですか?」
「いやあ、働く意味ってなんなのかなあって」
Nさんは大笑いして去っていった。わたしも笑った。
元ヤンキーだろうがなんだろうが、いましっかり働いているのなら立派だよ。
新米おじさん相手に威張ったりもしないところはとても心根がいい。
これはほかの同僚にも言えることだけれど、
私服を着ている通勤時に逢うとみんなどこか心細そうなのね(Aさん、Eさん以外は)。
しかし、いざあの変な白衣を着るとみんな別人のような凛々(りり)しい職業人の顔になる。
いちばんそれが激しかったのは、わたしと遺恨があったとされるSさんかしら。
通勤時のSさんはこう言ったら失礼だけれど、さえないおじさんといった感がある。
だが、ひとたび職場に入ったら本当に生き生きした男のなかの男という顔になる。
仕事をしているときだけ生き生きするという人がいるのだろう。
あっちゃんも食堂で顔の白衣を脱いでいるときはすごいかわいいけれど、
通勤時にすれ違ったときはどこにでもいる子という気がした。
ミッキーもとくにそういうところがあった。
職場ではとても頼りになるおねえさんだけれど、
通勤時にあいさつをするとふつうの女の子だなあっていう。
おそらくわたしは正反対だったと思う。
職場では自信がないし、どこか腰が引けた、やる気のない顔になってしまう。
一歩職場から出ると、素の自分に戻り、好き放題を言うようになる。
とくにセブンイレブンで第三のビールを買ってからは、生き生きとした本音の連発。
おとといだったか、「ツッチーはビールをのむと別の顔になるねえ」と言われた。
職場から出た瞬間に顔つきが変わるとも。Aさんからだったか、Eさんからだったか。

このあたりに「働く意味」のようなものがあるのではないか?
たとえ職場以外では、どこにでもいるような人間が、いざ働くと固有の顔を持てる。
プライベートの時間よりも、働いているほうが生き生きできる。
仕事をすると「役に立つ」というのは、むろん人の「役に立つ」こともそうだが、
自分という「役に立つ」ことができるのも「働く意味」のひとつではないか?
自分という役を職場で演じることで生き生きできる人がかなりの割合で存在する。
プライベートでは女性とろくろく会話を交わせないような男性も、
職場においてはやたら饒舌にペラペラとおしゃべりすることができる。
なぜなら、職場では役割がかなりのところまで固定しているからである。
役割においてコミュニケーションができるのだ。

調べてみたら去年の12/14から今年の4/14まで、
とあるお菓子会社で派遣として働いたことになる。
お給料はいくらもらったのか知らない(通帳を見ればわかるのだが)。
おとといだったか、
Eさんに聞いたら給与明細はネットで見(ら)れるようになっているとのこと。
わたしがいまの派遣会社に登録したのはずいぶんむかしだから、
そういうことは知らなかったし、給与明細とかどうでもいい。
基本的にそういうところでは人や会社を信じているところがある。
ちょうど4ヶ月働いたのかあ。
そのあいだにクリスマスがあり、お正月があり、バレンタイン、ホワイトデー、ひな祭り、
それからお菓子会社はそういうものらしく(事前に商品を準備する)、
一足お先に子どもの日や母の日まで経験させていただいた。
まえに何度も書いたが、この4ヶ月をひと言で要約すれば、とにかくおもしろかった――。
いやなことがなかったといえば嘘になるし、
むしろわたしのほうが周囲に迷惑をかけたケースが多いのだろうが、
そういうマイナス面がいまとなるとじつにいい想い出になっているのである。
そつなく仕事をこなしてみんなともうまくやって辞めた――だったら、
こうまでいい想い出にはなっていない気がする。

北戸田最終日の想い出。この日は朝からしんどかった。
前日にブログを大量更新して夜更かししたため。
最終日はいちばん楽な箱だし。
つぎの仕掛け品はいまだ苦手な(お菓子の袋)詰めかなと思っていたら、
それまで供給をしていたAさんがやってくれるとのことで、
またまたいちばん楽な段ボールをさせていただいた。
昼休みの話。Aさんにくっついて喫煙コーナーに行く。
天気は晴れでポッカポカ。春爛漫。
そこにいたのはHグループ長、因縁のあるSさん、Aさん、わたし、
それからむかし案内嬢で高給を取っていたという女性。
わたしはSさんとのことでHグループ長にご迷惑をおかけしたことがある。
HさんともSさんとも、ろくに話をできなかった。
わたしはHさんはむろんのこと、Sさんも独特のその味わいが好きなのである。
Hさんも、Sさんとわたしが同席していることから関係改善を見て取ったことだろう。
だれもなにもしゃべらなかった。春の日差しは暖かかった。
しかし、これはこちらの勝手な感傷だろうが春が来たという平和な幸福感に満ちていた。
わたしの勤務最終日はそういう日でありました。

この日は17:30勤務終了だったのだが終わり5分まえごろ、
おなじ派遣会社の顔なじみの女性から「お疲れさまでした」とお声をかけていただく。
まるで今日が最後だと知っているかのような口ぶりだったが、
深い意味はないのかもしれない。
きれいなお別れをできたのではないかと思う。
わたしは派遣先のお菓子会社にも同僚にも、
紹介してくださった派遣会社にも感謝している。
3回行かされた川口工場のほうではいろいろ知ってしまった面もあるが、
お世話になった以上、相手の不利益になることは書かない。
北戸田に入ったとき思ったのは、ここで自分は大量にお菓子を破損させるのではないか?
しかし、運よく最後までそういう大惨事は引き起こさなかった。
別れのどこがいかといったら再会があるからである。
いつかもう一度、北戸田のみなさまと再会したい。
たとえば今年のクリスマス付近の繁忙期(あるいは人がいない年末年始)に、
どの1日でも構いませんからスポットで入れてくださいと、
派遣会社のSさんに電話してお願いしたら、入れてくれないこともないと思う。
そのまえにどうしても人が足りない日が来ちゃうかもしれませんけれど。
ご存じでしょうが、中国語の「さようなら」は「再見」である。再び見(まみ)えよう。
北戸田よ、さようなら! ありがとう! 
「退職勧奨」されたのに失業保険をもらえないという憤懣を北戸田は消してくれた。
北戸田に救われたという面もなくはない。あばよ北戸田! 再見!

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