今日社会科見学に川口にあるとあるケーキ工場に行きました。
みんなが知っているあの会社のスイーツの仕組みを少しだけ理解しました。
おとなのみなさんは子どものぼくに仕事を丁寧親切に説明してくれました。
中学生のぼくは小学生のときに行ったパン工場の社会科見学を思い出しました。
工場で一生懸命働くおとなはかっこういいと思いました。
ぼくもいいおとなにならなきゃなあ(明日の学校はいやだけれど)。
お小遣いで工場直営店からお土産を買いました。
お礼をしなければならないとおとなの人は言いますから。
春のお楽しみ袋とジャンボシュー。
それから7、8割引だという売れ残ったバレンタインチョコを買いました。
ぼくはバレンタインにチョコを女の子からもらったことはあったっけ?
まだ中学生だもの。
お楽しみ袋にはマドレーヌのほかにクッキーのセットがありました。
長いあいだ食べたいとサンタさんにお願いしていたものがいまこうして。
しかし、ピスターチが割れていました。
だから、どうだという話ではありません。
このビニール袋にクッキーをあんなに入れるのは、
中学生のぼくの小さな手でも無理です。そもそもどこで割れたのかわかりません。
ぼくのお腹に入ればみんなおんなじだし。
クッキーの入れる順番が違っているような気がするぼくは超能力者でしょうか?
でも、気にしません。お口に入ればみんなおんなじ。
フランポワーズとかショコラとかチェックとか、ああ、みんなある。
食べたいものが食べ(ら)れるぼくはほんとうにしあわせ。
今日引率してくださったS先生にありがとうございますと言いたいです。
ぼくも立派なおとなになりたいなあ。
おれ、今年は元旦から働いていたんだよねえ。
川口駅からかなり距離のあるケーキ工場で。1月1日だよ。なに、この勤労精神。
なんで行ったかというと、以前川口工場には一度(派遣で)行ったことがあり、
そのとき出逢ったコウさんという中国人男性の話がとにかくおもしろかったから。
おいおい、今度はだれをからませてくれるのかという期待があった。
しかし、元旦にセット販売されたのはジュンくん。
長いことカラオケ店で働いていて、辞めたあとは部品工場へ派遣で。
一度派遣切りされて、また派遣。
とにかくこっちが聞いてもいないのによくしゃべる子で、
埼玉のカラオケ店で勤めるような子はこういう感じで、
家族構成はこうかという社会勉強にはいちおうなった。

けれども、元旦の川口工場は最悪なのである。
外国人の単発(スポット/日雇い)派遣がやたら多かった気がする。
靴置き場なんてもうメチャクチャで、こんなところでつくったケーキは食えねえと思った。
そのうえわざわざ元旦1月1日に派遣で呼ばれたのに、行ってみたら仕事がないのね。
監督者のN尾さんも困っちゃって、ふたりで掃除をしていてくれとか。
ほうきもないのにさ。おしゃべりしていたら、手で床のゴミを取れって。
そのほかにもわけのわからない指示をそれぞれしてくる人がいて、
川口工場は地獄だと思った。
もう二度と来ないと決めたから、あいつの言うことはわけわかんねえ、
とジュンくん相手に愚痴ったものである。
仕事がないのに呼ばれて、しかも早く帰ってくれと。
この日は元旦だったからバスが1時間に1本とかしかないの。
交通費だって気持しか出ていなかったはず。
帰りの埼京線で計算してみると、
通勤時間をふくめて拘束時間10時間以上で6500円の稼ぎ。時給650円。
元旦に働いておれはこれしか価値のない男なのだと苦笑いしたものである。
事実は事実だからしようがない。
今年はどうなるものかと暗澹(あんたん)たる気分になったものである。

先ほど派遣会社のSさんから電話があって、明日川口工場へ行ってくれないかとのこと。
「明日の予定はありますか?」
いやあ、明日は感想を書いていない本が7、8冊あるのでブログを更新しようかと……
とはもちろん言えず、予定はありません。川口へ行きます。
川口工場へ行くのは明日で3度目。
まだどこになにがあるかとかぜんぜんわからないのである。
いったいだれをおしゃべり相手に入れてくれるのだろう。
ケーキにイチゴをのっけるだけの仕事とかしてみたいけれど、
男にはぜったいそういう仕事は回ってこないらしい。
そうそう、あそこの川口工場で元旦に事件が起こったと聞いた。
朝、呼び出された派遣女子が
「あたし、こんなこと聞いてません」と泣き出して帰ったとか。
きっと明日も時給換算で650円くらいの仕事なのだと思う。
甘いものを大量につくるのは甘い話ではないのだろう。

採算度外視で生きていると意外とお得なことがある。
だから、明日もわたしは早起きする。
というか、働く意味ってお金というよりも人との出逢い、人生勉強ではないか?
みんないくらだって給料が高い仕事があるのに、
そこに行かないのはそういうことでしょう?
わたしの人生判断基準は「おもしろいか/おもしろくないか」。
明日もなにかおもしろいことを味わえないかなあ。
いつかそれを書くためのネタとなるような。おもしろい体験をしたい。世界を知りたい。
「知識ゼロからのマルクス経済学入門」(弘兼憲史・ 的場昭弘/幻冬舎)

→おれってなにも知らなかったんだなあ。
マルクス・エンゲルスの「共産党宣言」は大学1年のときのある講義で読まされた。
なんの記憶にも残らなかった。
恥ずかしながらよわい40にしていまごろ知ったが、
マルクスとエンゲルスって別人だったのか。
マルクスは生涯壮大なヒモとニートをやらかしたやつで、
エンゲルスというのはニート・マルクスのパトロン(資金提供者)だったのか。
本書で知ったマルクスの人格破綻ぶり生活破綻ぶり、
ちょーエゴイストでわがままなところは最高におもしろい。
偉大な思想というのはニートからしかおそらく生まれないが、
ニートがどこまでニートをやる根性があるか、
うまくパトロンを見つけるかの運の有無が天才と凡人をわけるのだろう。
だって、まじめに労働なんてしていたら疲弊して休日は寝るだけ。
とても自分のあたまで考える時間なんて持ちようがないじゃないか。

「万国の労働者よ、団結せよ!」
とかほざいたらしいマルクスは一度も労働をしたことがなかった。
これ、すごいよくわかるなあ。
底辺労働をしたことがないニートだから「万国の労働者よ、団結せよ!」なんて言えちゃう。
マルクスのこの発言は「正しい」のだ~よ。
いまのわたしの派遣先企業だって、いま契約更新時期らしいが、
パートがみんなで団結して契約を拒否したら会社は回らなくなる。
みんなで団結して時給を50円上げろと要求したらたぶん上がるだろうが、
実体験を込めて書くが労働者は仲が悪くそもそも団結しないものなのである、
いまの職場でいろいろな人から同僚の悪口を聞いてどれだけ楽しかったか。
労働者は職場で労働力という商品を搾取されているだけではなく、
むしろ共同体において悪口や意地悪、親切を楽しんでいると思う。
ニートのマルクスはそのことを知らなかったからこそ、
世界に革命を起こすような真に偉大な妄想哲学を構築することができたのだろう。

マルクスは人間を資本家と労働者にわけたが、ニートのおまえはなんなんだよ!
マルクスの言う、労働者は資本家に搾取されているというのもどうだか。
逆も言えるのだ。資本家は労働者に搾取されているとも言えよう。
商売が失敗したら資本家は借金を背負うが、労働者は新しい履歴書を書けばいいだけ。
倒産寸前の中小自営では、
(マルクスの言う)資本家の取り前より労働者の給与のほうが多いところもあろう。
そして、ニートのマルクスの言う資本家と労働者の対立構造も実相はどうだか。
資本家と労働者は対立しているのではなく、
共依存しているといったほうがむしろ現実を的確にとらえているのではないか。
どうしてか人は他人の役に立ちたいようである。
労働者は資本家の役に立っているとおのれの自尊心を満足させ、
資本家も資本家でおれがいなかったら雇用者(労働者)は食い詰めてしまうと、
そこに自己の存在意義やアイデンティティを見て取っている。

いまは資本家の存在がよくわからない。
大企業の社長だって雇われ身分でしょう?
だれが本当の資本家で、
労働者はいったいだれに搾取されているのかまるでわからない。
雇用関係も派遣ばかりで、資本家と労働者のめんどうくさい人間関係を排除している。
むかしは共産党は拡声器がうるさいので嫌いだったが、
いっかいの低賃金派遣労働者となり果てたいまはかの政党にも好感を持つ。
エフだから、いまのところ入れるのは(政策さえ知らない)公明党だけれど。
将来、生活保護をお願いする立場になったら、共産党に土下座することも辞さない。
というか、いまも共産党にはあたまが下がる(公明党にもだけれど)。
わたしなんか自分のことで手いっぱいなのに、人の役に立とうと尽力する人は偉いよ。
そして、いちばん偉いのはニートながら放蕩三昧で、
偉そうに「万国の労働者よ、団結せよ!」とかのたまったマルクス先生である。
働くと消耗するから、なんかどうでもうよくなって、みんなの意見に従っちゃうんだよねえ。



労働疲労には「共産党宣言」もいいが甘いものも実効的。



内情をばらすとうちのアフィからコージーの商品を買ってくれたものはひとりもいない。
うえーん。
「知識ゼロからの経済学入門」(弘兼憲史・ 高木勝/幻冬舎)

→いまふたたび経済学に興味を持ったのは、
職場のメイト(契約社員)Yさんの影響かなあ。
何度か「カネがない」という自虐アピールを休憩室で耳にしたし、
かといって悪い人ではなく気の弱い善人のせいで損をしているというか。
わたしはYさんを(も!)大好きだが、
日本経済はどうしてこのような労働者を生み出してしまったのか。
そんな素朴な中学生のような関心から絵本のような本書を読み、
自分のあたまで考える(←これが中高生にはできないこと)。

もしかしたら世界史上最大の悪人は「経済学の父」アダム・スミスではないかしら。
彼は経済世界なんて放置しておけば競争の論理が働き、
それぞれ利己的に自分勝手に動くだろうから全体経済はうまくいくと言った模様。
だれだって200円のマドレーヌと100円のそれがあったら後者を買う。
だとしたら、より価格を下げたほうがアダム・スミス経済社会では勝者になる。
けれども、200円のマドレーヌを100円にするためには、
どこかの生産費用を削らなくてはならないわけでしょう?
いちばん楽にできる経費節減は人件費。
労働者を酷使すればするだけ競争経済社会では価格を下げることができ、
結果としてお客さまの役に立つ。
会社は労働者の賃金はできるだけ安く抑えたいし、
早く終わらせて早く帰したほうがいい。
そんな労働者にカネがあるかと言ったら、あるはずがない。
稼いだカネでは自社のマドレーヌでさえ食えないという羽目におちいる。

低賃金労働者は本心では10円、100円の金に血まなこになっているのである。
経済の仕組みもなにも知らないパートのおばちゃんの正義は安いこと。
あたしゃ安いもんしか買わんからという理由で自分の労働力も激安販売する。
安いことや早いことはいいことだってテレビも言っている。
もっと早くしてもっと自分たちの給料を下げようと新人にビシバシ注意する。
あたし、間違ってないから。
だって、あたしのほうがベテランだし馴れているから仕事が早いもの。
もっと仕事を早くしようと周囲をピリピリ威圧して、そのぶんみんなの収入は下がる。
おかげでマドレーヌの値段は下がるが、おばさんは3000円のマドレーヌセットを
買う余裕がふんだんにあるかと言ったらそうではない。
人間を自由に競争させるとひどいことになることを、
低賃金職場で働いたことのない経済学者は身をもって知らなかったような気がする。

経済の自由放任主義のアダム・スミスに反旗をひるがえしたのがケインズである。
経済は自由放任よりもある程度、国家で統制したほうがいいのではないか?
いまの話で言えば、自由放任にすると過労死する東大卒女子が出ちゃうわけでしょう。
だったら、そこは国家的にある制限を設けたほうがいいというのが革命児ケインズ。
人間のエゴ(我欲)を肯定して自由競争経済にすると、
残業代ゼロ、商品偽装OK、違法解雇さえ無問題のハチャメチャ世界になってしまう。
アダム・スミスの言う「神の見えざる手」が通用するのは神のいる国だけではないか?
国家がある程度、市場に介入して計画性のもとに経済をコントロールしたほうがいい。
これが自由競争バンザイのアダム・スミス、
「経済学の父」に反抗した革命児ケインズの主張である。

経済は競争させるといいと思いついたものはデーモンではないか?
職場でピリピリした古株に叱られた薄給のパートさんが、
スーパーで1円でも安いものを探し回り、
レジの人のわずかな不手際に怒りを爆発させる――悪循環というほかない。
このパートさんがどうして働いているのかといったら子どもの塾費用のため。
子どもも子どもで子どものころから競争を迫られ、いい大学いい会社を目指し、
競争は善だという思い込みから同僚とあつれきを起こし退社して、
ひきこもりやニートになったら親はたまらない。

去年イギリスが抜けたらしいけれど、ユーロをつくったのは、
為替リスクや関税障壁をなくし、自由競争経済を活発化させるためらしい。
埼玉県の菓子アソート(詰め)倉庫でも、みんな競争しているところがある。
それもみんなが楽しむためではなく、お互いを苦しめるために。
で、お互い苦しめあって早く帰って、人生カネじゃないと強がる。
スーパーでは50円の違いに大騒ぎするくせにさ。
しかし、まさにその貧乏根性が職場環境とも連動しているのだが。
あるおなじ派遣会社のママさん労働者いわく、「人生はカネしだい」――。
カネを学問するのが経済学で、
その父とも称されている人が自由放任や競争を奨励しているのは、はてまあ。
いや、わかるのよ。ケインズのように国家の統制を入れれば入れるだけ、
民と官との賄賂(わいろ)や癒着(ゆちゃく)が増えてよくないという面もある。
でも、どうして賄賂や癒着がいけないのかという理由も、
自分のあたまでとことんまで考え尽してみればわかると思うが、わからない。
あの八百屋さんでむかしおまけをしてくれたから行こうというのも賄賂でしょう?

おカネがないなら創価してしまえばいいではないかというのが錬金術。
わたしが尊敬するスウェーデンの狂人であり文豪のストリンドベリは、
一時期執筆もしないで友人知人に借金ばかりして、
結局のところ結果が出なかった錬金術研究に取り組んでいたことがある。
ストリンドベリがいくら机上で研究しても発明できなかった錬金術を、
われわれ優秀な日本人はいくつも発案実用しているのである。
本書に指摘があったので、ああ、そうかと膝を打ったがバブルは錬金術の最たるもの。
みんなの価値観に従って生きているわれわれ日本人は、
土地の価値はうなぎ上りに高騰し下がることはないと挙国一致で盲信した。
大企業は土地を買いあさり、銀行はその土地を担保に企業に融資をしまくった。
企業は資産が年々なにもせずに増えるのだからプラス。
銀行も企業から多額の利子をもらいうるおった。
企業はカネがあるからいけいけゴーゴーでおもしろい遊びができた。
大企業の社員がカネをばらまいてくれるから、
末端の飲食店もいい思いをしたことだろう。

快楽がかりに消費(物品やサービス購入)であるとするらなば、
GNP(国内総生産)の高い国のほうが幸福なのだろう。
GNPはいままでどんな経済入門書を読んでもよくわからなかったが、
本書のおかげでようやく(間違っているかもしれないが)理解できた気がする。
たとえばマドレーヌ。あれの原材料はいくらなんだろう。
小麦粉やらなんたらで10円だとする。
それを工場で国籍さまざまな労働者がマドレーヌにするくらいで30円くらいになるのか。
(このとき10円のものを30円にしているから20円の付加価値=生産価値が発生する)
マドレーヌはそのままでは売れないからビニールパック詰めする。
このあたりでマドレーヌを買えば40円くらい?(付加価値10円)
マドレーヌはそのままで売ってもいいが、
見栄えのいい箱に入れると価値が上がるので箱詰めする(付加価値10円?)。
まあ、輸送費なども付加価値になっているのだが、
そこまで計算すると面倒なので飛ばす。
50円のマドレーヌを店頭でお客さんに売るきれいな女性がいなければならない。
(接客の人件費は高そうだから付加価値を20円で計算。残りの10円は会社の利益)
かようにしてこのマドレーヌは80円で販売される。
この場合のGNPは70円。なぜなら10円のマドレーヌが80円になっているから。
お給料というものは、この付加価値からそれぞれの役割に支払われているわけである。
とするならば、GNPが高い国(好景気な国、よくカネを使う国)ほど豊かな国になる。

坊主、丸儲けって言うけれど、あれはまったくの正解。
葬式の読経ひとりカラオケはともかく戒名にいたっては原価ゼロだから。
あと覚えておいても悪くはないことは価格のつかないものもあるってこと。
国宝級の芸術品には価格がつけようがないでしょう?
価格がつかないってことはゴニョゴニョ、ルノアールっていくら?
基本的に南無妙法蓮華経や南無阿弥陀仏は
現世における数字(価格、年収、偏差値)を否定しているからうまく利用すると儲かる。

狂人ストリンドベリの弟子を自称する我輩としては錬金術へ興味が尽きない。
おカネがないなら創ってしまえばいいのだから(低劣なカラーコピーとかではなく)。
だれか影響力の強い人がこれがほしいと絶叫したら創価できる。
みんなもそれをほしくなる。まあ、これは広告やCM、ステマの基本構造だけれど。
しろうとがなにを言うのかと笑われるかもしれないが、
国債もすばらしい錬金術だよね。
あるかどうかわからない未来を担保にして現在カネを集めるんだから。
あれを考えた人はまさに錬金術師だと思う。
国債なんかいつ便所紙以下になるかもしれないのに、よくみんな買うよねえ。
国債破綻は10年後かもしれないし、20年後かもしれない。
寿命との勝負っていうか、逃げ切れたら勝ちみたいな錬金術ワールド。

商売の基本はアダム・スミスやケインズに教えてもらうまでもなく、
安いものを高く売ること。その価格差が言ってみればGNP。
書店のみならず古本屋にも今年に入ってから一度も顔を出していない。
古本屋はあこぎだけれども、神保町の古書店街とかいまどうなっているんだろう?
古本屋は安く買いたたいて(100円)高く売る(4500円)の、まるで商売の基本。
でもさ、いまはネットがあるから、そこまで乱暴はできないでしょう?
古本屋の場合、コネ(仕入れ客)や古書知識(情報)を売っていたわけである。
わたしは古本世界を味わった最後の世代だからおいしい思いをしたと思う。
いまスマホを持っていたら面倒くさくて古本屋街になんか行けないと思う。
バブルの発端ともなった不動産業も、相変わらずいかがわしくておいしい商売。
聞いた話だが、不動産って売ったり買ったりするとき、
セールスマンと交渉すると売るときはどこまでも高くなるし、
買うときはどこまでも安くなるらしい。
きっと本来、不動産なんて価値のないものだからなのだろう。
ちかぢか来る東京大地震でみんな廃墟と化すのに、
よく不動産業で生きていけると、その営業根性にはただただあたまが下がります。
石ころをいかに創価して宝石に変えるかが錬金術の秘訣であろう。



銀座、お銀座の、マドレーヌはおいしいでございますことよ♪



これも聞いた話だが、ショコラがいちばん入れやすいらしい。
いままで宗教勧誘をされたことは一度もない。
このまえブログに幸福の科学のことを書いたら、
翌日すぐさまポストに機関誌が入っていてキターと思ったけれど。
今日はドアピンポン。
わたしは家では耳栓をしているのでふつうピンポンには気づかない。
それもこれも日蓮大聖人さまの功徳か。
玄関にだれかがいてベルを鳴らした気配が。
「どなたですか?」と聞いても反応はない。
ふつうはここでドアを開けちゃいけないのだが、
わたしはもう失うものがない孤独な中年男性。刺すなら刺せよとドアを開ける。
黒服の壮年男性がふたり。
このパンフレットを読んでくださいと顕正会の本のコピーを渡される。
それだけだった。折伏も討論もなにもなかった。
顕正会とは、わかりやすくいえば現代の創価学会過激派みたいなもの。
日蓮系の過激派新宗教。
いまの学会は穏便らしいが、
大宮を中心拠点とする顕正会は終末思想(この世は亡びる)を離さず、
かなり過激な宗教活動をしているらしい。
創価学会は本部に電話してもけんもほろろなのに、
幸福の科学や顕正会はやる気があるなあ。
ただしわたしを勧誘してくださるなら嫁候補の若い女性が必須なのだが、
そこを幸福の科学も顕正会もわかっていない。
実名過疎ブログを運営して何年かもう忘れた(10年以上?)。
もうあらゆるところに住所や電話番号がばれているのだろう。
ふつうならドアピンポン、黒服男性ふたり、宗教宣伝案内書の手渡しはビビるのだろうが、
そこらへんは当方においてはヘッチャラ。
ついにあの悪名高き(わたしはそうは思っていないが)顕正会の幹部さままで、
拙宅にご挨拶に来てくださるような宗教的身分にまで出世したかと、
おのれのいかがわしい自尊心の充足をいま安酒で祝っている。
しつこいが40まで生きるなんて信じていなかったからいまは余生。
なにかあるとすれば、知りたい。
人間の本当の喜びや悲しみを知り、
それをどういう形であれ(フィクションでも)書きたい。
書きたい。書くために知りたい。人間の喜怒哀楽を。人間の美しさを醜さを。
わたしはなにかを書きたい。書くためにあなたのことを知りたい。
むろん、そのままむき出しには書かないが、本当の人生というものを知りたい。
カッカしたい。生き生きしたい。
いつ死んでもいいと思っているから、どんな危険地帯にも分け入れる。
「トークセミナー『性愛』大論点」(三枝威彰ほか/小学館文庫)

→各界の成功者が、お互いを立てあってベシャクったところの男女論。
去年ある老嬢から、
自分は男に生まれたかったという話を長々と拝聴させていただく機会があった。
女はダメ。女だといくらがんばってもダメ。女では出世できないじゃない。
苦労人の彼女はバツイチで娘さんを女手ひとりで立派に育て上げた。
離婚の理由は、相手のセックスが強すぎたから。
年下の男だったが夜ごと毎晩、こっちが壊れれしまうくらい身体を求められる。
それが、とにかくいやだった。別れた。
こう語る女性のお嬢さんは商業高校を卒業後、大企業の印刷会社に就職。
仕事一筋、ずっとおなじ会社で働いているらしい。男とは縁がなくいまだ独身。
30代後半大企業正社員。
お見合いをしてみないかというようなことを示唆されたが、
そんな真っ当な人と当方が合うはずはなかろうとこわごわ辞退させていただいた。
なにより、めんどくせっ、というこちらの怠惰な精神が問題だった。

結局、男ってなに? 女ってなに? という問題にいま好奇心を抱いている。
・男は力仕事をしなければならない。しないと男らしくないと非難が集中する。
・男はいい会社に入っていい妻をめとりはらませ、妻子を養うのが義務である。
・男は弱音を吐いてはならず、なにごとも辛抱、忍耐しなければならない。
・女は男をサポートするのが義務で、男の仕事を家事育児雑用で支えるべし。
・女の人生は男で決まる。いかに男に好かれるかが勝負の分かれ目。
・女は男の性的消耗品。おのれの性欲より男の性欲を重んじなければならない。

いまの職場では男性よりも圧倒的に女性のほうが強い。
なぜなら女性はかなりの割合で旦那もちのパート主婦。
お金が必要なのは男女ともにおなじだが、
主婦は旦那の定収入という太いパイプがある。
しかし、男の派遣やメイトはこれで生活していかなければならない。
実家住まいならいいだろうが、ひとり暮らしでこの収入だと貧窮は避けられない。
かような理由で、いまの職場ではババアもといおねえさまが強くなるわけだ。
女はカネの事情に敏感だから、格下と見たら男をなめてかかってくる。
「供給」をやっているとき、短期バイトの気の強そうなおばさんに、
バンバンと番重(お菓子を入れる箱)をたたかれたことがある。
ここのお菓子がもうすぐなくなるぞ、と言いたいのはわかるが、口で言えよ。
おれら「供給」はてめえら亭主持ち富裕ババアの奴隷ではないからな。
「バンバンはないでしょう? 口で言ってください」
と短期バイトのおばさんに伝えたが、意味は伝わらなかったと思われる。
あたしはちゃんとした正社員の亭主も子どもも複数いる正規日本人。
どうせこんなところで力仕事をやっている非正規のあんたなんかたかが知れている。
あんたはサルみたいなもんで、言葉をかける必要はないのよ。
おばさんからは「供給」の仕方もからかわれたなあ。
「供給」には男性陣みんながしている身体に負担がかかる雄々しい(男っぽい)
方法と、これだったらあるいは女子でもやれるかという楽な方法があるのだ。
「あんた腱鞘炎なの?(どうしてみんなとおなじように男らしくしない?)」
と聞かれて、「こうしたほうが楽なんです」と答えたら鼻で笑われたような気がする。

男は男らしくしろよ!

男らしいってどういうことだろう?
力仕事をいやがらずにやって、
嫌いな新人には大声で怒鳴って威張るのが男らしい男なのだろうか?
職場にやたら女から慕われ、
女々しいおれさまを怒鳴ってくる愛すべきパチンカスがいるけれど、
ああいうのが男らしいと女から評価されるのだろうか。
本当の男らしいってどういうことだろう?
男の男たるゆえんは体力や罵声、強靭性にあるのではなく、
むしろ思念にあるのではないか。いわゆる「男のロマン」と呼ばれるやつのことだ。

「……男を支えているのはそうしたロマンチシズムであると思うんです。
負ける、死ぬとわかっていても、
それでも行かざるをえないのが男というかな。
男からロマンをとったら、もう何も残らない。
ただのぬけがら、粗大ゴミそのものだと思うんですね」(P105)


女性ってよくも悪くも壮大なロマン(誇大妄想)と縁がないよねえ。
つねにそれは損か得か、おいしいかまずいかの視点しか持ちえないのが、
女性の愛すべきところであろう。
誤解を恐れずにいいはなつと女性は商品。女性は男性に買われる商品。

「女性には、潜在的に大切にされたい、
自分を安く売りたくないという警戒心がありますよね。
性的な関係をもったなら見返りを得るべきという刷り込みが、
マスコミや親から色々な形でなされているんだと思うんです。
それが結婚という保障であったり、
あるいは単純にプレゼントすることだったりするのですが、
とにかく求めますよね」(P63)


いや、そうではない女性もけっこういることを
わたしは人生体験から知っているのだが、しかし一般的にはそうともいえよう。
いったい女性の性欲ってどうなっているんだろう。
一般的に女は男によって性の歓びを教わることになっているが、
じつはそうではないでしょう?
どんな厳格な家に育った少女も14歳ころおのずから自然に性に芽生える。
公立中学校っておもしろい。
なぜなら、選抜された高校大学と違って賢愚、貧富がさまざまだから。
公立中学校なんて男は顔がすべてである。
クラスの最高権力者だったイケメンが
まじめな優等生の同級生女子にこんな悪ふざけをしていたのをおぼえている。
怖いものがないイケメンは偶然を装って学生カバンを女子の股間に押し当てるのである。
ゆっくりピストンさせる。そのまま無言で押し黙っていた優等生女子。
しばらくしてから「なにするの?」と精一杯粋がって抗議する。
イケメンは「毎晩やっているんだろう」と返した。
成績優秀の女子はまさに顔を赤くしてその場から逃げ出したものである。
当時うぶだったわたしはこのシーンの意味をわからなかった。
しかし、長いこと記憶していたから、決してそこまで純真な中学生ではなかったのだろう。
夜ごといけない、いけないと思いながら、自慰にふけっている女子中学生とかいいよねえ。
よくパンチラする子とかいたけれど、あれはわざとだったのだろう。
修学旅行のときの内輪話で聞いたら、男子はみんなその子に注目していた。
女の性欲は男ほど可視化されていないぶん、それだけおもしろいし関心がある。
性交中、女が気持よがったってそんなものの大半は相手を喜ばせる演戯ではないか。
男が女を落として寝てやって攻略したという満足感もどこかしら演技的欺瞞の香りがする。
本当の快楽は男や女という区分を超えたところにあるのではないかと有名AV監督はいう。
代々木忠の言葉である。セックスにおいて――。

「いや、だから、その〝壊れる”っていう自分は、まだ本当の自分じゃないんですよ。
自分だと思い込んでいるけれども、そう思ってる自分というのは、
じつは「人からよく見られたい」と世間に合わせて作ったものだったり、
見栄やプライドが捨てられなかったりする自分だったりするわけだから、
言ってみれば〝制度の世界で造られた自分”ですよね。
それは、言葉を変えれば〝自我(エゴ)”でしかない。
そうした、無意識のうちに作り上げてしまった、
エゴに隠れている本当の自分自身を解放してあげるのが、
[AV監督という]ぼくの仕事でもあるわけです」(P120)


女は女らしくすべきか? 男は男らしくすべきか?
男は男らしくしろという社会的圧力は異常なほど強い。

「男のほうが、肉体的な刺激や快楽で勝負しちゃってる傾向が強いと思いますね。
女性は心で感じるんだという、本当のところがわかっていない。
男らしさとかSEXの強さという世間一般の概念にとらわれ過ぎているんです。
そういう意味では、男のほうが自由じゃない。
男がカッコつけてたり、強がってるのは結局、自分の弱さを隠しているわけでしょう。
本当はそれを隠さずに出しちゃったほうが、女性は安心すると思うんだけど、
それをわかろうとしない男というのは本当に多いですね」(P131)


かぎりなくインチキくさい宗教学者の中沢新一も本書に登場している。
おれもさ、どっか世界の僻地に行ってね、
そこの宗教指導者と酒でも飲み交わしてマブダチになり箔(はく)をつけて、
日本に帰国してから新興宗教のトップになりたいなあ。
チベットで箔をつけて帰ってきた宗教学者の中沢新一いわく――。
チベット密教の修業はセックスと類似性がある(似ている)。

「チベット密教の方法にも、どこか似ていますね。
向こうでは、瞑想するときに女に変身するんですよ。
それで〝大楽(だいらく)”という状態を作り出すんです。
それは性器は使わないんですが、
イメージの世界で完全に女性の神様になってしまうことで
オーガズムを体験する。ぼくも嫌いじゃないから、その訓練というのを体験して、
いまでもときどきやっているんですが……」(P154)


いまの日本って恋愛(性愛)しかないような気がする。
テレビドラマもマンガも大衆娯楽小説も、主題のほとんどはそれ。
マッチポンプだわな(自分で火をつけて消すこと)。
テレビで恋愛(性愛)バンザイをさんざんやらかして、
その影響を受けた庶民が真似をして、
結果やっぱり数字(視聴率)を取れるのは恋愛(性愛)ものだと大企業も判断する。
大企業も広告代理店もテレビ局も視聴者も
みんな恋愛(性愛)という阿片(あへん/麻薬)のとりこ。
わが人生での最大の後悔は、
インドで何度となくすすめられた麻薬や覚せい剤をやらなかったこと。
落ちぶれたいまなら烈しい恋愛をふくめどんな阿片も吸引する準備ができている。
カモン、カモンの状態なのだが、男はゴーゴーというのが社会規範。
男は男らしくとか女は女らしくとかうんざりだけれど、現実がそうならば従うほかあるまい。



ここ↓のマドレーヌはおいしいから食べて。

北戸田劇場の閉幕は今月28日のはずだったが、
派遣会社から4/3~14まで入ってくれないかというお達しが。
しかも「供給」なしでいいというツッチー特別待遇。
時給を書いたからばれたと思うけれど、採算度外視で働いていた。
あの給料では食えません(前職では食えていました)。
でもまあ、商業演劇以外の芝居は持ち出しでするのが相場だから、まあいっかと。
長い人生で3ヶ月くらいプランタニエ劇を味わうのもいいかなあ。
わたしは精神科に行けばたぶん病名がつくと思うが(残念ながらあなたもよ)、
このブログが職場の人に読まれているのではないかという病的妄想を持っている。
いまの職場の人に伝えたいことをこのブログに書いていたという面がある。
わたしの病的妄想が「正しい」ならば反響がかならず返ってくる。
その反響を意識したうえで読む本を変え、感想文を書いていたものである。
これはおととし働いていた書籍倉庫でやっていたことだ。
わたしはこれを最新演劇だと勘違いしていて、生きている最高の楽しみではないかと思う。
いままでは28日が最終日だったから、この日に燃え尽きてもいいという覚悟であった。
わずかでも人に影響を与えたいし、逆に影響を与えられたい(人のことを知りたい)。
いまの仕事は通勤時間が長いためか合わないせいか前職よりもはるかに疲れる。
でも、休日には老体に鞭打っていま読むべき本をものすごい速さで読み感想を書いた。
読書感想文にはいまの職場体験を入れまくっている。
働いているのか遊んでいるのかわからないという感覚であった。
昨日、同僚から聞いたけれど、わたしの「箱だし」のやる気のなさぶりは評判らしく、
話題になっているほどだという。それでも北戸田から来てくれとお声がかかる。
ツッチーはパンダみたいなもので、
職場の一隅にいるだけでおもしろいという面もあるのかもしれない。
ひょっとしたら生産性や効率性を超えた数少ない特殊作業員になったという可能性もある。

自分の書いたものの反応がその場で見られるという最新演劇は怖いが楽しい。
いま春だからか近所で高時給の仕事がたくさん出ている(受かるかは知らん)。
もう少し採算度外視で人生を楽しんでみるのも、一回きりの人生なら悪くもなかろう。
「仕掛ける」というのは師匠の原一男先生の教えである。
味気ない現実になにかを仕掛けていけ。劇的たらしめよ。
そしてドラマというのは出逢いと別れ。
わたしがいまの職場を去ることでひと芝居が終わる。
予定外の延長にもうまく応えられるのが、いい劇作者なのだろう。
しかし、わたしは作者ではない。
いまの職場のキャスト(演者/役者)、だれひとりにもセリフやト書きを指定していない。
みんな自由に話してくださって動いてくださっていい。
それで全体としてひとつの劇が完成する。
いったいどんな劇ができるのだろう。若い男女がくっついたりすることはあるのか。
みんながいまの自分を変えたいと思っているのはなんとなくわかる。
若い子なんかとくにこのままでいいのだろうかという悩みがあろう。
いまのままでそのまんまで生き生きしよう。笑おう。楽しもう。
労働はかならずしも退屈なばかりではない。楽しい労働だってきっとあるさ。
もうしばらく早起きして朝の埼京線に乗ることが続くのだろう。
早起きは嫌いだが、もう少しならばがんばれる。
以上、壮大な病的妄想を書いてみました。
本当はいま職場の直接雇用グループの契約更新期間だが、
驚くほど更新者が少なくて、とにかく使えない土屋でもいいから仕方なく呼ぶか。
現実はそういうところにあるのかもしれない。
あそこで働くのもあと3日。
今日はわたしなんかにとてもよくしてくれたEさんとのお別れの日だ。
Eさんとはほぼおなじ時期にいまの職場に入った。
65歳のEさんは高倉健が好きだと言っていたが、
思い返してみればどこか寡黙なところがかの名優に似ていたような気がする。
男は背中で勝負するというようなところがあるじつに堂々とした人だった。
目がとても若いのである。そして、威張ったところがまったくない。
男の老人は過去の自慢話をしたがるものだが、
いくら話を振ってもそういう武勇伝は聞き出せなかった。
帰途連れだって帰ることがもっとも多かった。
Eさんは歩くのがとても遅いのである。わけを聞いたら――。
「ゆっくり生きようよ。急いでどうする」
おれ40歳になるのに結婚もしていなくて、
本来なら女子高生の子どもがいてもおかしくないのにと愚痴ってみたら――。
「人それぞれだよ」
Eさんはどっしりしているというのか、
かなりわたしの素のスーパーフリーの部分を出せるのである。
まあ、非常識なことを何度も言った。
怒ることは一度もなく人物だと思ったものである。
結局、プライバシーはあまり聞き出せなかった。
税制や社会のことにびっくりするほど詳しいところがあった。

これから人生どうしたらいいんでしょう、と問うたら――。
人に金を貸すときに必要な資格があるんだよ。
勉強してそれでも取って闇金にでも入ったらどう?
なにがおもしろくて生きているんですか? とかかなりガチのことも聞いたなあ。
お茶目な部分もある人だった。
ある日の帰途、パトカーがサイレンを光らせてとまっている。
なにか事件があったようだ。
缶(第三の)ビール片手のわたしが、
「見ていきますか? 人の不幸っておもしろいよなあ」
と不謹慎なことを言ったら、
「わたしがやりました。わたしが犯人です、と言ってきたら」
と笑いながらEさんは言う。「どう見ても不審者だから」
たしかにまだ明るいのに缶ビールをのみながら歩いているわたしは不審者だ。
一本取られたと思ったものである。
ロッカールームで「もうすぐお別れかあ。さみしい」と言ったら、
「さみしいなあ」と湿っぽく合わせてくれた。
いつかどこかで逢うんじゃないか、とも。
結局最後まで正体不明であった。
そこがよかったのかもしれない。わからないのがよかった。
旅とおなじで派遣稼業はこういう出逢いと別れがあるからよろしい。
もう一生逢わないであろう人との一定期間の交流と別離。
踊り念仏の一遍上人の歌が思い出される。

「をのづから相あふときもわかれてもひとりはいつもひとりなりけり」
わからないことばかりだが、もっともわからないことのひとつは在日差別。
なんで朝鮮人はニートやホームレスのように差別されなければいけないわけ?
わたしは本当に韓国方面と縁がなかった。
育ちも韓国朝鮮とは縁がなく、
キムチをはじめて食べたのは成人近くだったのではないか。
焼肉屋に入ったことは、大学生時代に父に連れられての1回きりである。
あと3日勤務でフィニッシュの派遣先企業は、どうやら韓国に本社があるらしい。
韓国の物価は知らないが、これも縁だと思い切り、
いままで一度も行ったことのない韓国という国を見てみたい。
どのみち29日以降はフリーだし。
パックツアーでもいいのだが、孤独だしひとりだから、だれもいないから、
パックだと追加料金が数万円かかってしまう。
だれか、おいらといっしょに観光パックツアーに行ってくれないかとも思うが、
そんな奇跡は常識的には起こらない。
わたしが文学に開眼(?)したのは、
大学時代に読んだ在日朝鮮人作家の柳美里の「水辺のゆりかご」がきっかけ。
いま韓国へ行きたい。韓国のリアルを知りたい。
ソウルではなく韓国の田舎にわずかでも滞在したいが、
あんがいまずソウルから入ったほうがいいのかもしれない。
もういいおっさんだし、ガイドがいたらなあ。
いまわたしは韓国に興味がある。おまえに興味がある。
昨日の記事であいさつもしないし、
仕事中に仕事のことで話しかけても無視されるMさんのことを書いたけれど、
恨んでいるとか嫌っているとか、そういうことはない。
あっちにもなんか事情はあるんだろうし、
あいさつをしない人なんていままでいっぱい見てきたし、そういう人もいるか程度。
仕事上の報連相ができないのは困るけれど、
向こうが土屋とは入りたくないと言っているのか、
ほとんどいっしょのラインには入らないし、
なにしろ言葉が通じない知的障害者と働いていた経験があるから、
まあ、そういう人もいるんだろうなあと。

いまの職場に派遣で入ったとき、契約確認書みたいのを書けと言われた。
長所とかいう欄があって、横にいたEさんに、
どうしよう、わたし長所なんかないですよといった記憶があるが、
結局書いた長所は「こだわりがない」――。
横のEさんの用紙を見たら、長所は無記入だった。
もうよわい40にもなると、変なこだわりとか薄れつつあるねえ。
いまは他人のミスを指摘したり、注意するのがとくに嫌い。
他人のミスを目を皿のようにして探し回っていた前職の上司からは、
そんなことでは土屋さんは一生人の上には立てないぞ、
とよく注意された(指導された)。
他人のミスを見つけたら、相手に気がつかせないでこっそり直しちゃいたいほう。
相手が気づくと双方気まずい思いをする。

いまの職場はちょっとやばいというか、いや、どこもあんなものなのだろう。
最初に配られたシフト表より2日よけいに休んでくれと言われた。
ホワイトデーを過ぎると仕事量が少なくなるから仕方がないのだ。
でも、ほら、強制的に休ませたとなると法律的にあれだから、
労働者が自分で休みたいので休んだという形式にするわけよ。
で、休日申請書みたいなものを2枚書かせられる。
ある休み明けの日に、
「はい、土屋さん、これ」と言って社員からある紙を渡される。
自分で休みを申告しましたよというまた別の紙で、笑ったのはサイン欄。
わたしの筆跡ではなく、社員がわたしに成りすましてサインしているのである。

私文書偽造? ってほど大げさなものではないけれど、
え? それはちょっと、
と思い女性社員さんにここは自分でサインをするところではと質問する。
相手が困った顔をしていたから、「まあ、いいです。なんでもないです」と丸く収めた。
そうしたらより職位の高いグループ長さんが飛んできて、理由を教えてくれる、
どうしてもこの用紙を昨日、本社に提出する必要があったけれど、
わたしは昨日休みだった。だから、仕方なくわれわれでサインをした。
実際、土屋さんはおなじような紙にサインしているからいいでしょうと?
かなり大きな声だった。わたしは苦笑しながら「だから、いいです。気にしていません」と。
まえにもサイン欄がすでに書かれていたことが数度あったから、
これはここの社風みたいなものなのかと、そういうものならそれはそれで。
いちいちめんどうや騒ぎを起こしたくないし、どこもそんなものでしょ?

先日、ある銀行から向こうの都合で電話をしてきた。
じゃあ、明日は休みだから16時に電話してくださいという話にまとまった。
そうしたら16時どころかその日深夜まで電話を待ったけれど来ないの。
天下の銀行さまがそれはないよなあ、
と思ったけれどなにか特別な事情でもあったのだろうと、
人生まあこんなものさと受け流した。
逆に相手の気まずさを想像したりして。
わたしだったらそういう電話約束を破ったらかなり気まずい思いをするから。
まえにある派遣会社に二度おなじようなことをされ、
その後担当者に逢ったとき、それほど悪いとは思っていなかったようなので、
そのときはさすがにそりゃないんじゃないの? 
と思ったけれど、そのときも、まあ人間なんてこんなもんさと。
銀行からは翌日に電話。不在着信が入っていた。
その30分後くらいに留守電が。昨日は電話をしなくてごめんなさいだって。

いいよ、許す、許す。最近、本当に他人のミスに寛容になった。
なにしろ自分がけっこうミスをするからね。
それにミスなんて、
南無妙法蓮華経や南無阿弥陀仏の宇宙観から見たら塵芥(ちりあくた)。
こう思っているからかたとえ自分のミスを指摘されても、
(怒鳴られないかぎりにおいて)そこまで落ち込まないようになっている。
ミスを指摘され大声で怒鳴られると委縮してミスを連発するのはメンタルの弱さか。
だれでもそうかもしれないけれど、男女問わず怒鳴られるのは嫌い。
職場でよく怒鳴る人がいるけれど、怒鳴る人は絶対に怒鳴られないのね。
怒鳴る人がなぜ怒鳴られないかというと、怒鳴るような人だから。
怒鳴る人もミスをすることがあって、そういときどうするのか見ていると、
まあいっかとごまかし笑いをして済ませている。いろんな人がいるもんさ。
最後に小声でつぶやくと、いまならシナリオ・センターとも和解できるような気がする。
まあ、手打ちの仲介をしてくれるような人がいないだろうけれど。
それに「シナリオ・センター退学処分」の記事を、
元気がないとき読み返してそのたびに笑ってくれるという友人もいるから。
人って驚くほど知らないうちに変わっているよね。
変わろう変わろうと思っても変わらないけれど、
気づくといつの間にか変わっているという不思議。

*出勤まえに急いで書いたから誤字脱字失礼。
Aさんが「供給」の翌日が休日だと1日ぶっ倒れて寝ていると言っていて、
いくらなんでもさすがにそれは大げさだろうと思っていたが、
いまひじもひざも腰も痛い。肩とかうで全体が痛む。
身体のふしぶしが痛いって感じ。
わたしが軟弱すぎるのだろうが、「供給」って身体に悪いんだろうなあ。
高倉健が好きな65歳のEさんは「供給」なんてへっちゃらと言っていたが、
おとといだったが本当に本当ですか? と問い詰めたらやはりきついと。
メイトのKさんも「供給」が嫌いというわけではないと言っていたが本当かしら。
なんか身体がSOSを出しているけれど、あと4日だから這ってでも行くつもり。
本来なら「供給」はオートメーション化(機械化)されていていいと思うんだけれど、
あそこを人力でやらせるのがむかしながらでいいとも言えよう(言えるか?)。
むかし働いていた書籍のラインでは、供給は人力ではなく機械だった。
まだ40歳なのに、これだけ身体が弱いって恥ずかしいことなのかもしれない。
わたしは痛みがあったら、
すぐに薬に頼る根性なしだから今日は痛み止めで乗り切ろう。
毎回「供給」をやっているM青年の自己主張が激しいのも、
「供給」を振られることが多いSさんが息抜きにパチンコをしたくなるのも、
わが身の痛みをもって考えるとわからなくないこともない。
いまの仕事はどうしてかやたら疲れるのである。
ライン作業で常に急かされているのが性格的に向いていないのか。
しかし、昨日なんかとてもラインは遅かったって聞くし(すると「供給」も楽になる)、
やはり当方の身体が軟弱だという結論に行き着かざるをえない。
あと4日、完走したい。
北戸田駅付近で3ヶ月間お世話になったAさんとあいさつを交わす。
「雨いやですねえ」
「今日はみんないらいらしていますでしょう」
「そういわれたら……」
「なんか今日は事件が起こりそうな気がします」
「わかる、わかります」
「Sさん。ほら、パチンコが好きな」
「ええ、Sさん」
「あの人、昨日休みだったでしょう?」
「はい」
「なにしていたんでしょう?」
「さあ……」
「どうせパチンコでしょう!」
「そんな決めつけるのは(よくない)」
「昨日も負けているはずだから、今日もピリピリして大声で怒鳴りますよ」
「……」
「Aさんもわたしも今日『供給』でしょう?」
「(ため息まじりに)はあ」
「いやですよね」
「うん。ツッチーとおなじでいや」
「いまわれわれふたりが職場に行かなかったら会社は回らなくなる」
「たしかに(そうとも)」
「このまま逃げちゃいましょうか?」
「!」
「そうしたらどうなるか」
「朝からお酒でものみますか?」
「おおっと、そう来ましたか!」

という会話を交わしながらふたりはとぼとぼ職場へ向かったとさ。
最近の変化。
もう数十回近く毎朝お逢いするたびにあいさつを申し上げても、
いっさい無言の(おなじ派遣会社の)M月大先生にあいさつをしなくなったこと。
M月先生は仕事中に話しかけても1回もお答えくださったことはない。無視される。
世の中にはどれほど偉い大先生の若者がいるのだろうと感心するが、
あいさつもできないやつが威張っているのが底辺の会社というものなのだろう。
もうあと数日だからと今日からあいさつするのをやめた。
AさんもM月先生にあいさつしても1回も返答をもらえたことがないらしい。
あの大声で怒鳴るパチンカスのSさんでさえ、
最近はあいさつを返してくれるようになったのに。

あと5日か4日か。派遣会社の事情もわかるのである。
どうやら埼玉県のこの派遣枠に入りたいという主婦層が大勢いるようだ。
そこにEさんやわたしが入ったから恨みを買うのかもしれない。
でも、今月はわたしもけっこう「供給」をやったでしょう?
女性には絶対できない、
しかし女性はしたこともないのにあんなものは楽勝だという「供給」。
女性陣はしたこともないのに「供給」は楽な仕事という。
わたしからしたら、あれは時給1000円ではとてもできない仕事。
ほかの日の楽勝仕事かあるため、数日に1回なら「やれやれ」やるかという。
今月いっぱいならさ。かわいい子もいるしさってほんと?
28日が終わりでその先、なんにもないがこれで終わりなのだろうか?
いろんな人といろんなことがあったなあ。
いったいどのくらいの人と仕事上でつきあったことだろう。
妄想ゆえ孤独を忘れたことだろう。
まさか40歳でこんなプランタニエを味わえるとは思わなかった。
みんな、ありがとう。ひと足お先にさようならと。さようなら。グッバイ。サンキュー。
また今年の年末に派遣で呼ばれて、
「供給」じゃなかったらいいです、Sから怒鳴られないならいいです、
とか言ったら、まあ呼ばれないだろう。
驚くほどみんなのフルネームを覚えている。
フトシさん、できたらツチヤくんではなく、ツッチーと呼んでくだされ。
今日も魔の力仕事「供給」。ラインにお菓子を供給する仕事。
いちばんめんどうくさいのは最後に数が足りなくなること。
ラインのおねえさまがたから厳しいご批判のまなざしや、
無言あるいは有言のきついご非難をいただくからである。
古株のSさんに聞いたら、あれは「全体供給」が悪いとのこと。
とても人柄のいい「全体供給」さんに聞いたら、
うちらはぎりぎりで数を合わせているがロスが出るから仕方がないと。
ロスとはラインの人が、少しでもお菓子の形や色が悪いと廃棄すること。
そんな高いお菓子じゃないんだから、そこまでこだわるのもどうかと思うが。
それ以外に、「検品」から自分のミス(奇形菓子未発見)を
指摘されるのがいやなこともあろう。
「検品」さんとしてはお客さまに完全な状態のお菓子を
ご購入いただくためにまじめにお仕事をなさっているのである。
こういう事情で少しでもふぞろいなお菓子はどんどん捨てられていく。
で、数が足りなくなって、「供給」が白い目で見られる。
「供給」は現在かなりのスピードで流れている最中に残量を計算しなきゃならないわけ。
あれはがんばればなんとかなるレベルではない気もするが、いちおうがんばるけれど。
結局、だれが「悪い」かといえばお客さまではないかという結論にいたる。
もっと限定すれば、クレームをいちいちつけてくるお客さま。
しかし、お客さまは神さま。となると、そうだ!

神さまが悪い!

今日は「供給」さんがひとりお休みなので、
いっしょに帰ることの多いEさんとAさんとわたしが「供給」のはず。
この3人がいっしょに「供給」をするのは今日が最初で最後では?
夢の3共演ってやつだ。
昨日調べたらAラインが切り替えが3つあっていちばんきついはず。
だれがAラインに振られるんだろう。いちばんベテランのAさんだろうなあ。
ラインのおねえさまがた、今日はぼくたちにやさしく接してくださいませ。
不安なので朝から法華経を読誦してしまったよ。

*今日はラインが3つではなく2つになるという説もある。よくわからないんだよ。
ギャンブル必勝法はない。
ただ確率的に言えるのは、はまればはまるほど損をすること。
店がいちばんいやがるギャンブルの仕方は、
1回しか来なくてその1回に大金を賭けるギャンブラー。
100万円を1万円ずつ100回賭けるよりも、
100万円を1回のたとえば丁半勝負に賭けるほうがいい。
詳細はうちのブログの「運・ツキ・偶然」を読み飛ばしてくだされ。
職場にひとりパチンカスがいて、よく大声で意味不明に怒鳴られたけれど、
数年先には彼をいちばん懐かしく思い出すのかもしれない。
パチンコ依存症はああなっちゃうというのがいまではよくわかるし、
彼がわたしを毛嫌いしたのも、
当方が彼に文学的好奇心をいだいたのもたまたまや偶然ではなく必然かもね。
ギャンブルのみならず勝負は一回きりのものに全財産を賭けたほうがスリルがあるし、
大負けするリスクもあるが大勝利するとしたらこれしかない。
問題はいつ大勝負をするかだ。
いつも小さな勝敗にピリピリしている中年男性を好む女性も少なくないらしいが。
ま、人それぞれさね。
「セックスレス亡国論」(鹿島茂・斎藤珠里/朝日新書)

→ラカンじゃなかったかと思うけれど、
紅毛人のお偉いさんが、みな「他人の欲望」を生きているだけじゃないかと、
まあ有名な言葉だがそんなことを言っていたような気がする。
恋愛とかセックスとかいまは「自分の欲望」ならぬ
「他人の欲望」に成り果てているのではないか。
テレビドラマや映画、大衆雑誌、娯楽小説を読んで性愛というものにあこがれをいだく。
自分も「他人の欲望」を解消したいという思いである。
男が無修正AV動画をみて、いろいろな性交渉にあこがれるなんてその典型だろう。
おそらく現代日本の恋愛、性愛、性的関係は、
グルメ情報(願望)とおなじように「自分の欲望」ではなく「他人の欲望」の模倣。
みんながいいって言っているから恋愛や性愛、肉交渉を求め、
しかしそれらがテレビドラマのように得られず苦しむものも少なくないのではないか?
しかし、あなたやわたしは本当のところなにを求めているのか?
正真正銘「自分の欲望」といえるものはなにか?
みんなから好ましく思われる人を好きになり、
みんながそうしているからという理由でありきたりな恋愛模倣行動を繰り返し、
みんながしているように「他人の欲望」のままに最後に性器を接続するのではないか?
そして、みんなのようにそれを快楽と錯覚して満足するのではないかしら。
そして、そうしてみんながしているように結婚して子どもを産み、
男は仕事、女は育児&家事(&パート仕事)。
女のほうの苦労が多いような気がするけれど、これは宿命と思っていただくほかない。

セックスレスが増えると子どもが産まれず国が亡びる?
べつに国が亡びたっていいではないか? そんなことはわれわれには関係あるまい。
国が亡びるから恋愛しろ? 働け? セックスしろ? 出産しろ?
あなたもわたしもお国のために生きているわけではないことを忘れないでおきましょう。
なんのために生きるのか? 
答えは人によってさまざまでそれぞれ「正しい」のでしょうけれど、
わたしは「他人の欲望」ではなく「自分の欲望」を見極めたいがために、
いまのところいやだなあと内心どこかで思いながらも生きているところがある。
どうしてギャンブル依存症(パチンカス)やアル中は問題視されるのに、
セックス依存症(恋愛体質)のみ肯定的な価値判断をされるのかわからない。
まあ、酒でもパチンコでも女でも男でも教祖でも、好きなものがあるってことはよろしい。
ゲームが好きでそれで当面生きているというのもぜんぜん悪くないし、
むしろきつい肉体労働をいとわずしているのならばどこかのカスおっさんよりも偉い。
セックス(恋愛)依存症はパチンカスやアル中、ヤク中とおなじ病気といえなくもあるまい。
いいか、仕事依存症、労働依存症、ワーカーホリックもパチンコ狂いとおなじだからな。
しかし、それが悪いというわけでもない。
ことさら称賛されるべきかはわからないけれど。

もうすぐ(会社から)消えるから書いちゃおう。
いまの職場でさ、だれかは書かないけれど、
ラインに立っている女性労働者ふたりの雑談を
耳にしたときはけっこう興奮しちゃったかも。
男性派遣労働者の品定めをしていたのである。
「どっちがあれ(セックス)がうまいだろう」――。
女性の性欲は最後まで隠しておいたほうがいいような気がする。
あからさまにあってもないふりをしておいたほうが亡国しないかも、あはっ。
いや、セックスレスでこの国が亡んでもぜんぜんかまわないのだが。
女子中高生の性欲ってどうなっているんだろう?
ない人はまったくないって聞くしね。これは男子も同様で個人差の世界。
性に目覚めたうぶな女子中高生とかプランタニエでええなあ。



聞いた話だと、埼玉コージーコーナーのマドレーヌは投げても壊れないのも魅力のひとつ。
買え、買ってけろ、お買い求めください。お金がほしい。

「オン・セックス」(鹿島茂/文春文庫)

→仏文学者の鹿島茂教授のセックス対談集を拝読する。
むかし「レイプをできるのは元気な証拠」と言って、
デエジン(大臣)をクビになった人がいると記憶しているが、あの人は正直者だ。
おれも正直レイプというのがぜんぜんわからない。
相手がいやがってるのにおちんちんがたつやつってすげえと思う。
性的合意とか言うけれど、女だってひとりの人格を持った生き物なんだよ。
女だって力はあるし、ぶっちゃけ女は男からのセックス要求を拒否できるでしょう?
むかし柔道経験のある女の子を組み伏せようとしたら逆に負けたから、
これは実体験的真実。
セックスって演戯じゃないのかなあ。
男が女を征服しているという演戯、女が男に征服されているという演戯。
しかし、我輩さまは女性さまを征服したいという欲望がないので困っている。

こんなことあるのかな? 
埼玉の底辺職場で57歳の同僚と携帯番号を教えあう。
昨日来たメールが「ツッチーも彼女を作りなさい」――。
いやね、奉仕してくれる彼女はほしいのだけれど(お人形さん?)、
容貌や収入が相手の希望を満たさないだろうという現実的な感覚があって。
おれはさ、ワリカンが当たり前で、あわよくば女に奢ってもらいたいという男だから。
というか、まえにも書いたが、モテ男でもないのに、
収支を考えたら女に奢ってもらったほうが多いという不思議生命体。

もうすぐ派遣切りになるいまの職場で、
スポット派遣の18歳の男の子とおしゃべりしたとき長年の疑問を聞いた。
いまの若い男ってつまらなくない?
おれはさ最後の世代。
携帯電話がなかったから好きな女の子に電話するとき、
家に電話して彼女への取り次ぎを頼まなければならない。
いまのようにおまんこを自由に見られるわけではない。
反対から言えば、いまはスマホで中学生でも高校生でもおまんこ見放題。
まんこなんて見たら見たで、きたないもんでしょう?
いまの男子高校生は女子にどんな希望を持っているのか?
職場の休憩時間に食堂(?)で見たらイケメンの男子高校生いわく、
「おれ、そういうのにあんまり興味がなくて」――。
いまは同級生の女の子に告白されて、彼女の親とも会ったらしい。
スマホで彼女の写真を見せてもらったけれど、かわいい子だった。

職場同僚のアラカンAさんにすすめられたので、いま彼女募集中。
来月からは無職。どうせ底辺。女にことさら優しいわけではない。
むしろ、女から優しくされたい、尽くされたい、底辺仕事さえできないダメ男。
本書によると女性評論家の藤本さんは男はもっと弱さをアピールすべきだとか。
いわく、「男を脱げ」――。

「でも、女の人は、弱体化した男の人に優しいと思いますよ。
弱くなったら、けっこう上手に励ましてあげたりすると思う。
だから、もし自分が弱みを見せたらすべてが崩れてしまうんじゃないか、
日常生活も営めなくなってくるんじゃないか、
なんて心配するのをやめてしまえば、
男はもっと楽になれるんじゃないですか」(P194)


おれ男だけれど、力仕事とかいやだもん。
男は男らしくしろとか考えているババアにむかつくのは男性性ゆえか、
それとも人間として性格が悪いからか、根が腐っているからか。
女子高生は好きだけれども、犯したいとは思わない。
きみはどんな男と出会っていくんだろうねというあしながおじさん気分。
いま思えば中高生のころがいちばん性欲旺盛でよかったなあ。
禁欲的共産主義全盛の中国を生きたシナ人の張さんは言う。

「高校時代に観たソ連映画の中で、ほんの数秒間、
美しいバレリーナが「白鳥の湖」を踊るシーンがありました。
刺激的な白い下着がチラリと見えるでしょう。
それでひどく興奮して、同じ映画を何度も観ました(笑)。
規制が厳しい社会の興奮の沸点は低かったわけです。
水着、体操、バレエが最大のポルノでした」(P86)


もうおっさんだからか、わかるなあ。
いくらかわいくて若い女の子が笑顔でおまんこクパアしていてもげんなりっていうか。
そんなことをするくらいなら死んでもいいっていう子が、
絶望の表情でこれだけは見せちゃいけないといった感じで
おまんこクパアするのならばいいけれど。
とすると、エロって教養や文化なのかな。
「恥ずかしい」という感覚を育てるのが文化というか教養というか、まあ育ちの問題。
あけっぴろげなおばさんは怖い。日本の女房は怖い。

「日本にはそういうものがない。
結婚したら奥さんを団地に閉じ込め、奥さん連中は、
子どもの砂場の周りで、
亭主のセックスの下手さかげんをゲラゲラ笑いながら話すだけでは、
いくらなんでも不毛です」(P185)


いちばんわからないのは、いわゆるおばさん。
いまはヒステリックで無教養なおばさんでも、かつて男をうまく捕獲したわけでしょ?
どうしたらそのような詐欺ができるのか?
人気者の仏文学教授は詐欺に関する本質を突いた発言をなさっている。

「基本的な詐欺のパターンは、イヌとかネコを小道具に使うんです。
一人の詐欺師がイヌを抱いて酒場に入り、店の主人に
「おじさん、ちょっと悪いんだけど、
一時間したら戻ってくるからこのイヌを預かっててよ」。
次に、客を装った別の詐欺師が顔を出し、
「おじさん、すごいイヌを持ってるね。譲ってくれない?」。
そう言って、高い買値をつける。店の主人は、
「いや、これはちょっと預かっているからだめなんだ」と断りつつ、
頭の中では<さっきの男から安く買って、こいつに高く売ろう>と欲を出す。
そこにイヌを預けた詐欺師が再び登場し、「いや、どうもありがとう」。
そこで、「あんた、このイヌを売らないか?」
と尋ねる主人に目一杯値段をつり上げたすえ、駄犬を売りつけ、ドロンする。
このパターンを使えば何でも売れる。
株取引なんかも、まさにこれでしょう」(P127)


男や女の価値もそんなものじゃないのかなあ。
おれなんかもさ、あんがい肩書(他人の評価)がついたらモテモテかもしれないわけ。
はくさえつければ、あの子にあんなこともこんなこともできるのかもしれない。
しかし、その「あの子」がいないから、いまがんばろうという気にならない。
「やる気」が出ない。実名ブログでこんなことを書いていいのかわからないが、
レイプとか強姦とか痴漢とか、そういうことをできる男らしい男はすげえぜ。
おれがいま女の子とつきあいたいと思っているとすれば、
それは「エロスに問題がある」からだと思う。
いやいや、我輩さまはご存じでしょうが凡人の極みでありますよ。
問題を抱えている凡人。

「谷崎潤一郎なんかでも、
自分は自分の中にこれだけ深刻な問題を抱えているけれど、
あるとき、それこそが自分の宝庫だと気付いたって、どこかに書いていましたね。
自分の中にデーモンを抱えてる人間だけが、きっとすごい作品を書けるんです。
でも、どうなんでしょう。
昔はそんなふうに自分の中にデーモンを抱えてる人間が
引き寄せられるものが文学しかなかったわけでしょ。
三島由紀夫にしてもバタイユにしても、そうだしね。
でもいまは仮に自分の中に何か強迫観念(オブセッション)を抱えてても、
それに対応するものがみんな金で買える。
風俗産業だって、やれアナル・ファックが用意されてます、
やれなんとかが用意されてますって、何でもある。
で、簡単にある程度欲望を満たせてしまう。
だけど、本当に満たされるかといえば、そうじゃない。逆に不幸ですよね」(P324)


「彼女を作りなさい」と職場の同僚から指導(?)されたけれど、
それは本当に「正しい」のだけれど、
おれのエゴイズムに耐えられる女なんかいないっしょ?
彼女を作るもなにも、おれは女に奉仕する気はほとんどないから。
奉仕されたい、甘えたい、女におぼれたい。バッカヤロな底辺のおれっす……。



この↓商品にどれだけの愛憎や怨恨が詰まっているか、いつか書くのかしら。

いまの身分は最底辺の派遣。
派遣なんて人間じゃないんだから、壊れてもいいしむしろ壊せ。
新人も壊していいし、むしろ新人を壊すのが古株の楽しみだ。
わけわっかんねえ。
社員さまから休みを変えてくれと言われる。
そんなもの、こちとら最底辺なんだから断れるわけがない。
で、新しいシフト表を見たら、明日もきつい力仕事の「供給」にはいっている。
まえのシフト表ではそうではなかったのに。4連続「供給」じゃん。
効率や生産性を考えたらスウさんに「供給」をやってもらったほうがいいでしょう?
しかし、なぜか明日の「供給」がスウさんからわたしに変わっている。
短期バイトの高橋さんに聞いたら、強制的に休みを言い渡された日はないらしい。
しかし、こちらは3日も強制休日よ。しかも「供給」ありで。
明日はクッキーのバンジュウでも社員に向けてぶちまけてやるか。
おまえらばかりいい思いをしやがって。
埼玉マドレーヌや埼玉クッキーのどこがそんなに高級品なのか?
「供給」ほどわけがわからない仕事はなく、絶対やりたくない。
人によって言うことがまちまちで本当に生きているのがいやになる仕事だ。
だれかが「供給」をしているときに、そのだれかが「事件」を起こしたら、
本社のロッテも少しは底辺労働者のことを考えるのではないか?
もういやになっちゃう。切れる寸前だ。
いざとなったらバンジュウを威張っているラインのババアにぶん投げてやるからな。
「オール・アバウト・セックス」(鹿島茂/文春文庫)

→仏文学者の鹿島茂教授のご著作を拝読する。
セックスにまつわる本の雑誌連載書評を1冊の書籍としてまとめたものである。
当たり前のことだが、自分のセックス経験、セックス嗜好は書いていない。
たとえば、いままで何十人(何百人?)の女子大生を食ったとかさ。
いや、著者はインテリだし、長らく女子大の教授だったから、
ある変態性に芽生えたということは本書から読み取れる。
たぶん大学教授の著者は、女子大生から無数の恋愛相談を受けたことだろう。
そのなかには自分が好意を持っていた学生もいたはずである。
彼女がバカな男に寝取られていると知ったときのマゾ的な快感。
これこそ最高の性的快感ではないかと、
宗教人類学者の植島啓司とおなじように著者も思っているのではないかとうかがわれる。

もう人生沈没寸前なのだが、いちおう早稲田一文卒なのである。
文学部なんてほとんどオスはいない高偏差値のメスの盛り場である。
ある子から初体験の想い出を聞いたなあ。
なんでも早稲田近くの小料理屋でバイトをしていた。
そこで知り合った高卒の自衛官に処女をささげたとか。
男はきっと未通女(おぼこ)の早稲女を食ったとほうぼうで自慢したことだろう。
彼女は彼女であたしは愛されていると満足げであった。

一般的な話をすると――。
男は女を支配したい(その象徴がフェラチオ)。
女は男に支配されたいが、支配されたくないふりをしなければならない。
ある女性の作家がこう書いているという。

「十六から十七歳くらいのときに、ムチャクチャ痴漢にあってまして、
そのときに私の体が女だからだ、と気づくんですね。
私が嫌悪していたものが、なんだ実は〝ゴチソウ”じゃないかって(笑い)」(P158)


そうそう、女であることはゴチソウなんだよ!
わたしの夢は来世でゴチソウたるそこそこかわいい女の子に生まれて、
わざとパンチラしたり胸チラしたりすることなのかもしれない。
あんがい痴漢に性的快感を教えてもらう女学生に生まれ変わったりして。
基本的に男はS(エス)で女はM(エム)とみて間違いなかろう。
ある女性作家はセックスよりもエム的な行為にむしろより上質な快楽を感じるらしい。

「挿入されると、感じますが、感じ方が、何か違うんです。
性的快楽というより、彼の思いのままにされている快楽の方が勝っているんです。
惨(みじ)めな姿勢で好き勝手にされているという快感.
私はずっと声を上げていましたが、タオルが次第に濡れてくるのがわかります。
抗議の言葉一つ上げられないことを思い知らされ。
それがますます、私をMの快楽に押しやるのです」(P112)


話は変わるけれど、Mの快楽で生きている労働者って多そう。
苦しまされると萌える男女労働者のあわれさと高貴さよ。
あんがい人が働く理由ってMの快楽のためではないかしら。
わたしはたぶんSだが、SはSでもMを直接的にいじめるわけではなく、
放置プレイを味わっていただきたいという特殊なサディストだと思う。

日本って各国に比べていちばんフェラチオが安い国なのだとか。
わたしは常日頃から来世は女になりたいと願望しているが、フェラチオはしたくない。
いまはどうやら男らしいのだが、フェラチオは無理っしょ、
という異性への思いがある。べつにしてくださらなくても。
あれって愛情確認みたいなものだよね。
そんなに女っていいのだろうかという非生物学的な思いもなくなない。
それほど女って目を血まなこにしてまで求めるものなのか。
それは威張りたがる男よりも優しい女のほうがいいけれど、
女にもやたら威張りたがるいまは性的価値のない怖いおばさんという人種がいるし。

性的嗜好がけっこう似ていると思う団鬼六の処女作は以下のようなものらしい。
あらすじ紹介である。

きっぷがよくて美人の水茶屋の女お町は、
盗っ人を捕らえたために、その情婦の恨みを買う。
情婦の配下に誘拐された恩人の娘を救い出そうと
敵地に単身乗り込んだお町は廉恥心を失わず、サディスティックな責めに耐える。
それが余計に男たちの欲望を刺激する……(中略)
SM作家やアーティストというのは、
少なくともそのデビューにおいては、
他人を喜ばせるというためよりも
自分の欲望に満足を与えるために筆を執っているのである」(P51)


どうしようもなくセックスはよくわからん。
こちらとしてはどうしても無理というおばさんが、
夜ごとご主人さまとの営みで女の歓びに打ち震えているかもしれないわけだから。



埼玉コージーコーナーのケーキやお菓子はだれがつくっているのか知っている?
本当のこと、知りたい?

いまの職場に入ったときから目をかけてくれたHさんから、
ファックユーの意味って知っている? と聞かれる。
ああ、そろろろ限界なんだな。
みんなわたしにファックユーって思っているんだなと気づく。
昨日の記事は削除したけれど、酔っぱらっても書いちゃいけないことがある。
あと行くのは10日くらいだし、ちょっと痕跡みたいのを残したいと思ってさ。
去年の年末に入って3ヶ月間、いい経験をしたと思うし楽しかった。
「辞めどきじゃない」という声が聞こえてきたが、たしかにそうなのだろう。
でもさ、みんなも楽しかったでしょ?
あっ、ツッチーがいきなりスポット派遣さんとおしゃべりを始めた、とか。
えええ、ツッチーなんでそんなこともできないの? とか。
いい笑いのネタを職場に十全に「供給」したという勘違いめいたものがある。
みんなでひとつの劇を創作している。劇は今月28日に閉幕する。
パンダみたいなものなんだから、わたしをなまで見るのは。
なーんか愚痴っぽくなっちゃってごーめんよ。
いいこともあるわさ。
今日医者が頼んでもいないのにロペミンを出してくれた。
むかし東南アジアでも行こうと思ったとき、
当時の文京区の医者に出してくれとお願いしたらぜったいダメと言われた薬。
タイでは薬局でイモジンという名前でふつうに買えるが。
いまの職場はトイレに行けることになっているが、非常に行きにくいのである。
ある人にいまの職場の話をしたら、
自分だったら絶対そんなところで働かないと言われた。
40歳になっていまごろロペミン初体験かよお。
生きていたら夢がかなうって本当かもな。
いいこともあるさ。生きていたらいいこともあるわさ。
おれなんかと電話で長時間話してくれる人もいるわけだし、生きていたらさ。
AさんやEさんと帰社時、
北戸田駅まで安い第三のビールをのみながら歩いていると、
とっても遅れてきた青春みたいなものを感じる。
朝、女子高生たちといっしょに小川の上の橋をわたって職場に向かう、
橋の片方には女性の裸像、反対には男性の裸像がなぜかある。
通学路としてそれが適切なのだが、
女子高生たちはひとりも男性裸像のほうに行かない。
生きているのも悪くないと思う。プランタニエを感じる。まだまだ、これから。
芝居っ気が多すぎるので困る。人生に芝居のほかに楽しみがあろうか?
芝居とは、なにから生じるか。
見間違う、聞き間違う、誤解するというところが大きい。
ある人が見たものを他の人に伝えるとき、かならず正確には伝えられない。
そもそも言葉は物事を100%正確に伝えられるほどの精度を持っていない。
だから、めんどうくさいとも、がために、おもしろいとも言いうる。
うわさはどんどん尾ひれがついていく。
ゴシップっておもしろいよねえ。
下世話な「あいつは嫌い」とか、そういう共同体のうわさ話は大好き。
今日もわたしはいろいろな人から話を聞いた。
それがこのブログを形成しているわけだ。
聞いた話のみならず、自分が口にした言葉もまた、たとえば読む本を変えている。
そして、この読書感想文ブログをお読みになった方がさまざまな受け取り方をして、
精度の低い言葉のバトンタッチをしてくださる。
自称スーパーフリーな人がひとり生きているだけで、
効率とか生産性とかこの国の未来とか関係なしに、
たとえばあなたやわたしが生きていることでどれだけ全体に役立っているか。
役立ちたいとは、役を演じたいということだろう。
みんながそれぞれそれぞれに役立ちたい、役を演じたいと思っている。
役立つとは社会貢献とかそういう意味もあろうが、役を思う存分に演じることではないか。
役に立つとはたしかに人のためになにかをしたいという面もあるだろうが、
それぞれがそれぞれの持ち役に立つ、
おのれの役を可能なかぎりうまく演じるというのもだれかの役に立っているのだろう。
だれかが憎まれ役や悪役をやらなければ、この全体演劇社会は成り立たない。
わたしは人の役にも会社の役にも社会の役にも立っていないけれど、
別の面から見たら、わたしもそれなりにわたしの役を演じているのかもしれない。
言い訳、ごまかし、弁明、ごめんなさい――。
「悪女入門」(鹿島茂/講談社現代新書)

→フランス文学者である国民的人気学者の鹿島氏のご著作を拝読する。
フランス文学者とはなにか? 大学のフランス文学部教授であるということ。
教授ってなに? お偉いさんってこと。
大学でフランス文学を研究して教えているから著者はその筋の権威である。
だけどさ、フランス文学(小説、戯曲、詩)を研究するってどういうことなのだろう?
原文でおフランスものの作品を読むということだろう。
いったいそんなことをして、なんのためになるのだろう?
原文でおフランス作品やその評論を読むことのどこがご立派なのか?
大学でフランス文学を教えるってどういうこと?
文学(小説、戯曲、詩)は他人から教えられるものではなく、
それぞれ勝手に好きなものを好きなように読んで楽しむものでしょう?
旧「もてない男」の小谷野敦さんも言っているが、
文学研究ほどわけのわからないものはない。
本書は国民的なフランス文学部教授の著者が、
女子大で女子大生に向けて、こうしたら男にもてると講義した内容がオリジナル。
こうしたら恋愛上手になり、こうしたら男にもてるの根拠はフランス文学オンリー。
ものども頭(ず)が高いぞよ、おフランスさまはこうおおせである。
というのが外見はフランス文学入門書、
正体は(20年近くむかしの)女子大生向け恋愛指南本の本書の内容だ。
おら、いなかもんじゃけん、さっぱりわからん。
なしておフランスものが「正しい」のかのう。
ここは日本じゃなかばってん?

「文藝春秋」ともベタベタの関係だから、著者はおフランスの最高権威なのだろう。
ちなみにわたしが世界でいちばん嫌いな国はフランス。
おフランスさまによると――。
「悪女」とは「ファム・ファタル」のこと。
「ファム・ファタル」とは――。

「恋心を感じた男を破滅させるために、
運命が送りとどけてきたかのような魅力をもつ女」(P10)


わかりにくいよねえ。それは、つまり――。

「意地悪く言ってしまえば、失うべき何物も所有していないそこらのダメ男が、
なじみのスナックのあばずれ女に入れこんで、
新聞の三面記事にでも出てきそうな事件をひき起こしたとしても、
また安っぽい男性タレントが淫乱な女性タレントにのめり込んでも、
その女をファム・ファタルとは呼ぶべきとはないということです」(P12)


はあ? ファム・ファタルとかわけわっかんね。
おれ、いま失うものはなにもないし、ならファム・ファタルも寄ってこないだろう。
以下にわが国におけるフランス文学の権威であられる鹿島茂教授の
お言葉をせんえつながら引用させていただく。
著者のお言葉がなぜ「正しい」かといえば、おフランス文学をいっぱい読んだから。
そして大学教授で著書多数で、マスコミからひっぱりだこだから教授は「正しい」。
みなのもの、ご託宣をありがたく聞きたまえ。
そしてわずかでも本書の紹介者に好感を持ってくだされ。

「女と猫は呼ぶと来ないけど呼ばないと近よってくる」(P42)

「恋愛においては、羞恥心を最も効果的に使った女性が
最終的に勝利を収めるということを忘れないようにしてください」(P66)

「そうです、ほとんどの女性が誤解していますが、
男をひきつける女の魅力とは、美貌でもスタイルでも、
ましてや心や頭でもないのです。
男がかくあってほしいと願う女に自分を重ね合わせる変身能力、
これこそが一般に「女の魅力」と呼ばれているものの根源です。
この能力を欠いている女性は、たとえどんな美人であっても決してモテません。
また美人でない人が整形して美人になっても、
この変身能力を獲得しないかぎり、モテるようにはなりません。
イメージ動物たる男は、あるがままの女ではなく、
自分の心の中の女に向かって欲情するものだからです」(P85)


ここまではたまたまフランス文学の権威と意見が一致した。
だが、以下はそうではないのではないか、
と2017年まで生き延びた昭和51年生まれの男は思う。

「男というのはなんとも哀れな生き物で、
常に自分をほかの男と比較して、その優劣に一喜一憂しているのです」(P29)


正しくは「鹿島茂教授はというのはなんとも哀れな生き物で、
常に自分をほかの男と比較して、その優劣に一喜一憂しているのです」かもしれない。
「女はめんどうくさいから嫌い」
これは職場の大先輩である男らしいSさんがロッカールームでおっしゃっていたことで、
入ったころは男から何度も大声で怒鳴られ(あいつ女にはやさしいのにケッ)
大嫌いだったが、いまではとても親しみを感じる彼とももうすぐお別れである。
フランス文学とは縁のない日本の庶民の色恋事情にたまらなく興味がある、
あと少しだけ女社会で働けるようなので自己研究を深められればと思っている。



男って自分を甘やかしてくれる女性を好むんじゃないかしら。
スイーツといえばマストなのは銀座コージーコーナー。
埼玉コージーコーナーではなく、銀座コージーコーナー♪
おすすめ↓買ってネ。



(関連記事)
「SとM」(鹿島茂/幻冬舎新書)
数えてみたら早起きしていまの職場に通うのもあと14日か。
その後はおそらくだれとももう逢うことはないだろう。
スポットでわざわざ呼ばれるほどできるやつでもないから。
こういうのを劇的と言うのだろう。
去年の年末に突然入ってきた変な中年男があるときふっと消えている。
わたしにはすごい思い出深い職場経験だったが、
周囲の記憶に残るほど個性があるやつだという自覚はない。
まえの職場から追い出されなかったら、いまの人たちとも出逢えなかった。
いまの職場を去ることで、結果として新しく出逢う人たちもいるのだろう。
それが退屈な日常を生きるわれわれの味わえるささやかな劇だ。
今日は「供給」でいやだなあと思って職場に行ったら、
ボードを見ると65歳のEさんがやることになっている。
ちらちら見ていたが、「供給」は本当にきつそう。
残量が少なくなっているのに、全体供給から出されていなかった。
おれならそこであわてたが、
Eさんは落ち着いて昼休みになんとかなるだろうと判断したらしい。
しかし、人の「供給」を見ているのでもきつすぎる。
ああ、Eさんが壊れちゃうと思いながらも、
今日自分がそこでなくてよかったという思いも。
Eさんも戸惑っていたが残量の正確な計算は天才以外ほぼ絶対にできないから。
あと余った供給をどう全体供給に返すかは(重ねるか、ふたを乗せるかは)、
ルールが定まっておらず困惑する原因。しかし、あとひと月もない。
どうして今日、自分は「供給」からはずされたのだろう。
お若い社員さまから2日休んでくれと言われたのが関係しているのか。
わたしは契約なんて交わしたおぼえはないが、
いちおう決まりのうえでは公休というのがあるらしい。
当方は今月1日休みが多かった(一般的な見解ではそれだけ稼げない)。
ホワイトデーが終わったらお菓子会社の出番もない。
ということで合計3日よけいに休んでくれということらしい。

法律とかどうこう言うつもりはさらさらない。
派遣なんてそんなもの。辞めたいと言っても辞めさせてもらえず、
勤務日が決まっていても派遣先会社の自由気ままに休ませられるのが醜い派遣さん。
わたしは心底から派遣とはそういうものだと思っているから、怒りもなく受け入れた。
今日は「供給」じゃなかったのでラッキーなんて思いながら。
18時まで残業させてくれたのは、強制休日への恩返しみたいなもんだよね。
今日も65歳のEさんと、自分だけ第3のビールをのみながら帰宅。
大先輩は飲むヨーグルトで喉をうるおしておられた。
なんでもいいとけっこう思っている。あまり契約やルールにうるさいことを言いたくない。
今日「供給」だったら、いまごろぶっ倒れていてこんな記事を書く余裕はなかっただろう。
65歳のEさんはわたしよりも天龍源一郎よりもおそらく動ける(働ける)。
とはいえ、べつにああなりたいとも還暦まで生きたいとも思わないのが、
当方の残念なところ。今日改めて思ったのは「供給」からはできる限り逃げたい。
帰りたい、辞めたいはダメ。会社から休んでくださいはOK。
そんなもの、そんなものだって醜い派遣の子は思う。
おれはそこまで融通の利かない朴念仁(ぼくねんじん)ではありません。
さあ、終わりが見えてきたのでブログのボルテージを上げていきたい。
みんな、盛り上がろうぜ。フィーバーしようぜ(昭和)!
職場同僚の純子さんの息子さんが大学に合格したことは、
わざとらしい母親同士の雑談で聞かされたけれど、大学に行く価値とはなにか?
就職に有利とか世間体とかいろいろあるのだろうが、
わたしの場合は早稲田大学に親の金で入れてもらってよかったと思うことは、
大学および教授がどれほどつまらないかということを身をもって体験できたところだ。
大学教授の講義とかほんとうにびっくりするくらいどれもおもしろくないんだぜ。
あんな講義を聴くくらいならサークルやバイトで時間を有効活用すべし。
試験なんて第二外国語(中国語)以外はすべて楽勝だったから。
出席を取らない授業なんか出るのがバカというもの。
だって、教科書に書いてあるじゃん。
コネでノートをもらえればそれだけで試験はパスできる。
大卒なんかによけいなコンプレックスを持っている人は現実を知らないのだろう。
大学教授なんてほとんどがお菓子の箱入れもできない、
学内政治がうまいやつというだけ。かといって、
たかが菓子を箱に入れることの速さがどれほど偉いのかもわからないけれど。
肉体労働礼賛みたいのも嘘くさく、汗水流して働いている労働者はたしかに偉いが、
政治家や宗教家がときにするようにそこまで礼賛するのはどうかとも思う。

話を元に戻すと、大学に入ると大学(教授)のくだらなさがよくわかる。
これとおなじで、おそらく結婚したらその実態が見えるのだろう。良くも悪くも。
しかし、結婚してみないとそれはわからないことだから、
結婚にあこがれる独身男女が少なからずいるのだろう。
おそらくお金持になっても、うつのようなものが忍びよってくるだけなのだろうが、
そういうことはわたしをふくめて多くの貧民、貧困者は理解できない。
最後に言いたいのは、死の問題である。
だれも死んでから生き返ったことはないのに、なぜか死は忌むべきものとされている。
死んでみたら、こっちの世界のほうがよっぽどいいと思うかもしれないのにさ。
要領がいいのか、講義にろくに出席していないのに大学の成績はやたらよかった。
めずらしく「C」をつけられたのは、
ドキュメンタリー映画監督の原一男客員教授の文芸演習である。
なぜかというと最後まで粘ったが、課題を出せなかったからだ。
課題は「私の表現したいこと」――。
いつか出すために生きているようなところがあったが、
いつの間にか17年も経ってしまった。
人生の宿題のようなものかもしれない。
もうこのブログで答えを出しているとも言えるのだけれど、
他人からの評価をもらっていない。
それがいいのか悪いのかはもちろんわからない。
あれから17年近く経つと職場の同僚にも母が自殺して、
とかけっこう気楽に言えるのね。
さすがに目のまえでとか詳細はあまりにグロテスクすぎて常識的に言えないけれど。
いまもいま自死遺族は増えていると思うが、
20年先を見据えたらかなり楽になるケースもある。
わたしはたまたま運がよかったのかもしれないけれどさ、ほんと運よ運。
いまは自死遺族の会とかあるじゃない。
わたしも1回だけ行ったことがあるけれど、あれは嫌いだなあ。
あれに救われる人がいてもいいけれど、苦手な人もこうして生きていていい。
自死遺族の会の人は、
自殺はいけない、自殺は悪という前提でものを語るじゃないですか。
その善悪観念こそ自分たちを苦しめているという構造になかなか気づくことができない。
愛する人が自殺した場合、自殺が悪だとすると、愛する人が悪になっちゃうわけじゃん。
自殺は善でも悪でもない、自然だ宿命だ運命だと遺族が心底から納得できたとき、
その人は苦しみから救済される。
自死遺族会のメンバーで自殺は悪だと声高に主張している人は、
一生苦しみから解放されないだろう、
しかし、苦しんでこそ人生の味わいがわかるという面もあるから、
それを否定したいわけではない。
これだけ自死遺族をアピールしているのに、あの群れからもお声がかからない。

自殺は絶対にしちゃいけません!
ぼくは親に自殺されたけれど奨学金で大学へ行って大企業に入り、
いまは愛する妻も子もいます。だから、自殺は絶対ダメ。
そういう主張しか日本の自死遺族の会は受け入れないわけなんだなあ。
自殺は悪ではなく、
もしかしたら善かもしれないと気づいたときに救われる自死遺族もいる。
だって、お釈迦さまだって伝説上は過去世で何度も自殺したことになっているわけだから。
あらゆることに善悪はないのかもしれない。
ああ、変な宗教を始めてがっぼり儲けたいが、
人徳というものがからきしなく、弟子がひとりもいねえぜ、くうーん♪
職場の力仕事「供給」が怖いと書いたけれど、やれと言われたらやれるしできる(と思う)。
いろいろな人のルールがあって、だれのルールに合わせたらいいかはわからないけれど。
だって、65歳の老人だって57歳だって、
かつてヘルニアをやった青年でさえやっているわけだから。
率先してやりたいというわけではないけれど、
男はみんなやっているしわたしはまだ40歳だし、やれないことはないと思う。
ぶっちゃけ、ミスをしたって
そのぶんみんなの休憩時間をつくってあげたようなものなんだから。
ミスはかならずだれかが気づく体制がかなりしっかり成り立っているからそこは大丈夫。
もてたいがために男らしさをアピールするために「供給」をやりたがる人もいるのかなあ。
やっぱり女って男らしい男に惚れるよう遺伝子的にそうなっているわけ?
逆に聞かれてしまうかもしれない。男は女らしい女に惚れるのかって。
わたしに関してはそんなこともなく、中性的な子を好きになったこともあるし、
いかにも女々しいおんなおんなしたやつを好きになったこともある。
すべては母が自殺をするまえの話である。
劇的というのは過激な行動をすることではない。
日常がそもそも劇構造になっているというか。
劇というのは、突き詰めれば出逢いと別れ。
テレビドラマでも映画でも人が出逢って、別れているではありませんか?
基本的な劇パターンは、
新参者Aがなんらかの共同体(職場、学校、サークル)に入ってきて、
あれこれあって、それぞれの価値観が揺さぶられて、
結果としてだれかが出ていく(去る)ところで劇は終わる。
去っていくだれかはAのときも別人のときもあるだろう。
Aといっしょに出て行くものがいる場合もある。
古今東西の劇作品(戯曲)をただただ好奇心から(好きだから!)大量に読んで、
一銭にもならないのにその感想を逐一ブログに書いたのはたぶん当方くらいだろう。
そのわたしがいちばん惚れこんだ脚本家・山田太一のドラマ
「想い出づくり」がもうすぐ有料放送ジェイコムで始まる(今日で第何話だったか)。
この作品は、わたしがいちばん好きな山田太一ドラマである。
ということは古今東西の劇作品でいちばん――。
わたしにとって3月4日は特別な日なのね。まあ、ある大恩人の誕生日なのだが。
なんで他人の誕生日に神さまはわたしなんかにプレゼントをくださる?
今日ライン横が女子高校生だった。
正確には女子高校生以上女子大生未満。
今春、高校を卒業して(もう式は終わったらしい)大学に入る。
横が(旧)女子高生だと思ったら、もう胸がときめいちゃってね。
大学名を聞いてはいけないのは常識で知っていたが、
専攻(学部)を聞いたら特殊なところで自分から学校の名前を教えてくれた。
へえへえ、高校時代の部活はあれでバイトはあそこで、
塾には行かず進研ゼミで独学したんだあ。
そういうひとつひとつの話がキュンと来るのね。
無色あるいは白黒の世界が色彩を取り戻すというか。離人症? うつ病?
華やいだなあ、華やいだ。世界がぱあっと華やいだ。
他人の気持はわからないことはわかりきっているけれど、
それでも他者の世界に分け入りたいという欲望がある。
自分をさらけださないと(自己開示しないと)
相手も心を開いてくれないのかもしれないけれど、
いちおう見せられる限界まではこのブログに書いているから許してちょ。
一般人がなにを考えているかは、読書ではわからないことだから、すごく興味がある。
それが女子高生、女子大生ともなれば、まあもう興味しんしんさ。
いまの埼玉の女子高生って遊びに行くとなると江ノ島なの?
夏でもないのにどうしてなんだろう?

生きているのっておもしろいなあ、という日もある。
たぶんいま生きているのは3月4日生まれのあの子のおかげなんだけれど。
本当に感謝しているから、あえて誕生日おめでとうメールは今年も送らない。
ふたりでだいぶバカをしたよねえ。
「ツチヤさんと逢いはじめてから、なんかおかしくなってきた。
このまえも酔ってゲエゲエ吐いちゃったし」
うわっ、ごめんなさいと思ったものである。
たしかあの恩人が会社をサボって昭和記念公園(?)にふたりでいったとき、
もう楽しくて幸せで山田太一ドラマ「想い出づくり」の主題歌を口笛で吹いていたら、
「ツチヤさんって本当にそういうのが好きね」と言われた。
3月4日が今年も来た。
柔道が強い子でけんかをして負けたことがある。
玄関で土下座して謝罪したこともある。大恩人であり友人でありました。
おっと人生回想モードに入っているぞ。もう寿命かしら、わくわくどきどき。
死後の世界ってどうなっているんだろう。
わたしは絶対に生まれ変わりはあると思っているが、はたして。
このブログに百回近く書いたが生まれ変わるのならかわいい女子高生でお願い。
人ってなんで生まれてくるんだろうなんて、40歳のいいおっさんがもう笑っちゃう。
これからだれと出逢い別れ、そうしてどのように死ぬのだろう。