学歴コンプレックスを持っている人は思いのほか多いような気がする。
たしかに学校時代のお勉強は、
成績と努力が正比例で結びついていると思われがちである(現実にそうとも言える)。
お勉強は努力のぶんだけ成果が見られる可能性が比較的に高い(絶対的ではない)。
しかし実際、社会に出たら努力よりも
コネ(生まれ、血縁、根回し)のほうが重要視されることにみなみな気づくのではないか。
そこで改めて学歴の価値を思い知る社会人も少なくないと思われる。
当方がたまたま運よく早稲田に拾ってもらったのは、
実力や努力をうんぬんするよりもはるかに浪人時代、
当時たまさかうちの家に金があったようで、
予備校(河合塾)に通わせてもらったおかげである。
ここまで恵まれたものでも予備校に行かないとなるとあれだが、
わたしはせっかく親が通わせてくれる河合塾にせっせと通った。
河合塾講師の講義は、比較するのもいやみだが、
どの早稲田大学教授のお話よりも刺激に満ちていておもしろかった。
だから、勉強して合格したというに過ぎない。学歴はお金のちからが大きい。
講義のちからというのは、いかにものを効率的にたたきこむかではないような気がする。
なんでもいいからおもしろいお話をして、
学生(塾生)に自分から勉強をしようという気になってもらうか。
わたしは河合塾の講師からなにも教わっていないのかもしれない。
ただただ彼(女)たちは魅力的だった。お話がおもしろかった。
このため自分で勉強する気になったのだと思う。
早稲田大学の先生でおもしろい話をしてくれたのは客員教授の原一男先生だけだった。
原先生は中卒ではないか。夜間高校くらい出ていたのだったか。
「正しい」先生よりも「おもしろい」先生のほうがよほど人を育てるような気がしてならない。