今年あるところでいまさら気づいたけれど、
われわれがいまいる場所は男社会なんだなあ。
社会上層部にいるのは歳を取った男ばかり。
たしかに「想い出づくり」(約35年まえの山田太一ドラマ)の時代から比べたら、
いまは女性の社会進出が進んでいるといえよう。
むかしとは異なりいまや女性の結婚は24歳で行き遅れではなく、
30でも40でもいくらでも口はあるだろう。
しかし、むかしもいまも相も変わらずわが国はマチズモ(男性優位社会/努力絶対主義)。
わたしはこのブログで長らく女嫌いを表明していたが、
実のところ男も嫌いで、なにより人間という生物全般が(自分をふくめて)嫌いなのである。
人も嫌い。男も嫌い。女も嫌い。
みんな嫌いだが(自分もふくめて)、男よりは女のほうが好きである。
いままで女性に助けられたおかげで生きてこれたと言ってもよい。
男性はありきたりで通俗的な説教をするばかりであまりお世話になったという意識がない。
イプセン(女権推進派)よりもストリンドベリ(女性蔑視者)が好きなわたしだが、
そしてこちらはわが国最高のストリンドベリ愛好者(研究者)を自称しているが、
加齢とともにそろそろ変節の時期を迎えてもいいのではないだろうかと思う。
女性と手を組んで小さなところから男性優位社会を変えていきたい。
これは正義とか人権は関係しておらず、
ただただわが人生で女性にお世話になってきたからである。
そして、にもかかわらず、現実を見れば、
社会上層部には古株ぶった男性老人ばかり幅を利かせている。

自分が女連中ともうまくやっていけると思うのは、独占欲がないからである。
あるひとりの女性を独占したいとかさらさら思わない。
そもそもこちらにそんな資格がないことを熟知しているからだろうけれど。
むかし偉くなった男は2人も3人も愛人をつくり、
彼女たちは2号、3号と呼ばれたそうだが、
わたしは女性の5号でも6号でもいっこうにかまわないというほど、
その方面でのプライドやこだわりはない。
おれなんか相手にしてくれるのなら、だれでも女神さまである。
女性を好きになることはなくないけれど、独占したいと思ったことはない。
かえってその当面好きな女性に恋人がいたほうが、
嫉妬心がかきたてられておいしいかなあと。寝取られ妄想みたいの、悪くない。
なんでこうなっちゃったのかわからないけれど、
少なからず16年まえ母から目のまえで飛び降り自殺されたことが
関係しているような気がしなくもない。
あんがい、これもある種の妄想かもしれない。
人が嫌いで女が嫌いで男も嫌いだが、このなかでまだ女はやさしくしてくれる。
だから好きだって、そりゃあ打算が過ぎやしないかと言われそうだが、
みーんなそんなものじゃないのかなあ。
最近ふとテレビを見たとき知ったのだが、いまの都知事はなんでも女性らしい。
ああ、マチズモ男になってひとりの女性に夢中になり身も心も滅ぼしてみたい。
あるいはこのたびの女性愛好宣言は、そういうマッチョ願望の裏返しなのかもしれない。
自分でも自分のことがわからない。
社会のことも世間のことも世界のことも、もう40歳になるというのになーんにもわからん。