「名短編、ここにあり」(北村薫・宮部みゆき:編/ちくま文庫)

→ポプラ社の百年文庫シリーズをたまたま数冊読む機会に恵まれ、
いい小説というのは短くてもあれほど人を揺り動かすちからがあるのかと感心する。
いい小説を読んで会社に行くでしょう。世界が違って見えるのである。
いい小説の感想を書いて会社に行くと、パート仲間に変化が見られるのである。
名短編のすごさを、言葉のちから物語のちからを改めて思い知ったしだいである。
とはいえ、震えるような小説とはめったに出逢うことができない。
普遍的なだれでも感動する名作というのはないのだと思う。
ある小説を他人にすすめる行為はこの上ない親愛の情の発露には違いないが、
ふたりが感激を共有することはまずないであろう。
小説はいつどのようなタイミングで読むかによって感想はいかようにも変わりうる。
40近くなってわかる小説があれば、高校生にしか共感できない小説もあろう。
性別、年代、読書歴、職歴、家族構成によって小説の感想はいくらでも変わる。
名作とされる小説がまったくつまらないことのあるのはこのためである。
このアンソロジーの「名短編」のなかにも、どこが? と思うものもいくつかあった。
やはり松本清張や井上靖は桁違いにおもしろいのである。
そうは言っても、読み物としておもしろいというだけで、それ以上はない。
むろん、小説ごときにそれ以上を求めるのは期待が過剰すぎるのではあるけれど。

松本清張の「誤訳」はいろいろ考えさせられた。
翻訳と創作についての関係である。
マイナーな言語の文学作品はメジャーな言語(英語等)に翻訳されないと読まれない。
とりあえず英語にさえしてくれたら、あとは英語から重訳することが可能になる。
このとき翻訳者が原作を無視して創作してしまったら、どうだろう。
マイナー言語の希少性という権威だけ借りて、内容は訳者が創作してしまう。
この翻訳が評価されてしまった場合、いったいだれの功績になるのだろうか。
ユングと河合隼雄の関係も、これに近いところがある。
河合隼雄はユングの権威だけ借りて、自分のやりたいことをやったわけである。
ユングとは関係ないことを、ユングという後ろ盾を利用して行なった。
原典よりも翻訳や解説のほうが深くておもしろかったら、
たとえ正しくなくてもそれでいいのではないか。

井上靖の「考える人」もたいへんな傑作であった。
むかし一度だけ見たカイコウ上人という奇妙な木乃伊(みいら)をめぐる物語である。
かつて即身仏になるような貧農や罪人くずれがいたそうである。
おそらくカイコウ上人もまたそのひとりかと思われる。
しかし、どうにも不思議だったのは悟ったポーズではなく
「考える人」の格好をしていたからだ。
登場人物は協力してカイコウ上人の物語をつくっていくが、そこがおもしろい。
おそらく現実のカイコウ上人の人生よりも、
彼らのつくった物語のほうがおもしろくなってしまうのである。
事実と虚構(フィクション)の関係を考えるときに示唆に富む小説である。

吉村昭の「少女架刑」はエロくてよろしい。
16歳で死んだ貧乏なうちの美少女が家族の意向で献体に出される。
この小説の設定では少女の肉体は死んでいるが、
意識は生きており一部始終を観察しているのである。
医局員は生娘の全裸体にメスを入れていく。
「生殖器は俺が受け持つか」と髭の来い男は提案したが、
それは背の高い相棒のみならず死んだ少女の意識にも聞こえているのである。
自分の肉体がおもちゃのように切り刻まれようとしているが、
少女の意識はなにもできない。
ただし、すべて見えているし聞こえている。

「髭の濃い男は、私の足部の方に廻っていた。
腿に指がふれると、私の両足は、大きくひろげられた。
私の体中に、羞恥が充満した。
私の腿の付け根に、男の視線が集中しているを強く意識した。
自分の姿態が、ひどくはしたないものに思え、息苦しくなった。
ふと、私の下腹部の腿の付け根に落ち込んでいるなだらかな隆起に、
なにかが触れる気配がした。
そこには、まだ十分に萌え育たない短い海藻のような聚落があった。
ふれたものが、男の指であることに気づいた時、
私は、自分の体が一瞬びくりと動いたような気がした。
私の耳に、指とその聚落の触れ合う微かな音がきこえてきた。
それは、体全体に伝って行く繊細な、しかも刺戟に満ちた音であった。
「おい」
背の高い男が、声をかけた。
髭の濃い男は、含羞んだように笑うと漸く指を離した」(P134)


こんな文章を読んで顔を真っ赤にさせ胸がどきどきする文学少女なんて、
もう絶滅危惧種なのであろう。
というか、そもそも文学少女など男のあたまのなかにしか古今いないのだろう。
小説を読むことで、つまらない現実へ妄想を付加しなければ、
生きているのは味気ないばかりなのだろう。
現実はどこまでもどうしようもなくつまらない。
小説でも読んでいろいろ妄想しなければ本当のことに押しつぶされてしまう。
異性など妄想しているうちが華だという部分もあるのかもしれない。
つまらないなあ。小説のようなおもしろいことはないかなあ。