バイト先の上司さまからすすめられたので
かねてから「男はつらいよ」を見てみようかと思っていた。
いろいろお世話になりましたでございますし。
たまたまBSジャパンで放送されていた77年公開の
「男はつらいよ 寅次郎と殿様」をジェイコムで視聴。
「男はつらいよ」シリーズを見るのははじめて。
だいぶむかしに酒をのみながらいい気分で見たら、ふむふむと思った。
山田太一ドラマは庶民批判があるけれど、
山田洋次映画にはただただ庶民礼賛しかないのである。
庶民は正しくてあったかくて、みんな苦労しているんだから、がんばって生きようみたいな。
まあ、男社会の厳しさが「男はつらいよ」を集団創作していたのはわからなくもない。
いまはむかしほどではないのだろうが、男社会ってホントーにきびちいんだ。
つねに競争を迫られ、会社のために、
ひたすら自分を殺すことを朝から晩まで要求される。
トラさんみたいに気ままに生きることができたらなあ。
昭和の野郎どもの願いの結晶が映画「男はつらいよ」シリーズだったのではないかと思う。
なんで男ばかりこんなつらい思いをしなきゃならんの、みたいなさ。
トラさんはおれみたいなやつなので参った。
定職にもつかずふらふらして、そのくせみなが言えない本当のことを随所で言っている。
それでも嫌われないのだからふしぎな存在である。
どこから見てもトラさんはいやなやつでしかないのだが、そこに大衆は惚れてしまうという。
大衆(庶民)の特徴は自分のあたまで考えず大衆(庶民)に右へならえをすることである。
そして、それが楽しいのだ。
みんなとおなじ価値観で考え、みんなとおなじ行動をする。
がために、ちょっと異質なトラさんが人気を得たのだろう。
大衆(庶民)にもわかるレベルにおける自由の象徴が「男はつらいよ」のトラさんなのだろう。

テレビライターの山田太一氏が推薦していた()映画「第三の男」を
だいぶまえジェイコムで録画視聴した。
いまネット検索をしないとストーリーを思い出せなかったくらいだから、
いまのわたしにとっては大した映画ではない。
むかし見ていたらどうだったかわからないし、
もしかしたら新たな体験をした将来に見直したらば、
これほどの名作はないと思うのかもしれない。
テーマはとてもはっきりしている。友情と正義のどちらがたいせつか、である。
もし親友が悪事をしていたら、どうしたらいいか?
山田太一ドラマは直接的な答えを出さないことが多いけれど、
映画「第三の男」では明確な答えを出していて正義のほうが大事だと主張している。
正義の主人公が親友をだらだら追跡したあと(長すぎてうざかった)射殺している。
正義のためなら世間的に悪人ということになっている親友を殺してもいい。
むしろ、正義のためなら親友でもだれでも殺すべきだ、
というメッセージがこの古典映画にはあるような気がする。
こんな映画が多数派の支持を受けた正義の時代があったんだなあ。

わたしはこの正義の思想に拒否感をおぼえてしまう。
主人公の親友のなした悪というのは、
自分の利益のためにペニシリン(薬剤)を水で薄めて売って薬害を出したことである。
友人のせいで小さな子どもが苦しんだり、死んだりしている。
だから友人は悪で、正義の主人公はかつての親友を射殺してもいい。
これが正義の思想である。
だが、ちょっと待てよ、などとわたしは思ってしまう。
自分の利益のために他人を苦しませるなんてみんなやっていることでしょう?
他人を苦しませるか自分が苦しむか――。
このとき、自分の利益を取るのがそこまで悪と言い切れるのかわからない。
自分と他人といったいどちらがたいせつなのか。
このとき他人のことを思えと言えるのは恵まれた偽善者だけではないか?

人間は体験からしか物申せないかなしさのようなものを持っている。
いま時給850円で世間的には底辺と見なされかねない職場でアルバイトをしている。
いつクビになるかもわからず、
先日もわたしとおない年の社員さんから「ツチヤさんも呼ばれなくなるかもしれませんよ」
とありがたくもご忠言いただいた(生意気にも入庫はいやだと申し上げましたら)。
で、こういう下のほうの世界で働いているとわかることがたぶんにあるのである。
人間は「悪」のようなことをしないと生きていけない。
自分の利益のために他人を苦しませなければいけないというのが人間存在ではないか。
たとえば、いまの職場のマネージャーさんは決して悪人ではなく、
むしろいい人の部類だと思うが、
ご自分の立場(やご家族)のためにパートを苦しませなければならない。
外国人労働者から「今月はやばい」とか「生活が苦しい」
といったようなことを聞くとこちらもいっとき偽善的に深刻になってしまうが、
どうしてそうなったかはマネージャーさんのせいとも言えなくはないのである。
いや、経営者のせいか、株主のせいか、日本資本主義のせいか。

みんな自分の利益のために他人を苦しませていると言えなくもないのである。
わたしなどその象徴で、
わたしがバイトで少し楽をすることで苦しんでいる同僚がどれほどいることか。
しかし、わたしよりももっと楽をして
もっと多く稼いでいるパート仲間もけっこういるのである(Hくんとか世渡りうますぎ!)。
自分が生きるということは、他人を苦しませることだ。
我利我利亡者の古参パート女性が毎日たくさん稼ぐことでどれだけの人が泣いているか。
しかし、彼女は悪人とは呼ばれない。
社員さんがパートに早く帰ってくれと言うことで毎日多くの人が苦しんでいるのである。
しかし、それは社員が悪いからではなく、仕事としてそれを言わなくてはならないのである。
いったいどういう正義で悪人を裁けようか?
ペニシリン薬害で小さな子どもを苦しませるのがもし悪だとしたら、
自分の利益のために他人を苦しませているマネージャー、社員、古参パート、
そしてなにより自分勝手なわたしは悪だというのか?
たしかにわたしは悪人だが、ほかの人はそう悪人のようには思えない。
みんな自分(の地位や収入、家族)がたいせつだから仕方なくそうしているのである。

自分と他人とどちらが大事か?

究極のテーマになるのだろう。
だから、このテーマをあつかった映画「第三の男」は名作と言われるのかもしれない。
いったいだれが犯罪者を裁けるのだろう。
いまの職場の古株パート女性たちは、自分のために人を苦しませた犯罪者を、
テレビや新聞といったマスコミに洗脳された結果、正義という名のもとに裁くことだろう。
しかし、そういう本人たちこそ
底辺男性パートや収入不安定な外国人労働者を苦しませているのである。
そのうえ、そういう自覚さえまったくなく、
自分たちは間違っていないと群れて弱いものをさらに苦しめてなんとも思わないのである。
むろん、わたしもその一員である。その象徴かもしれない。
わたしのせいでどれほどのパート仲間が苦しんだことか、
苦しんでいることか、苦しむことか。
それを知りつつ、さらにクビになるのを恐れながら、明日もわたしは職場に行くことだろう。
そんなわたしには、とてもとてもこの映画の主人公のように、
他人を苦しめたという理由からだけで正義のために親友を射殺するようなことはできない。
自分とて同罪だと思うからである。

今日は強制的に休めと言い渡された日。もちろん有休なんかじゃない。
職場のババアどもはわたしの噂話をしながら、たんまり稼いでいるんだろうなあ。
休みの日にも職場の仲間のことを考えてしまうくらいの会社人間、仕事人間である。
本日はパート仲間のナカウチさん(以下、巨匠と呼ぶ)とカリヤンを紹介したい。
ふたりとも40オーバーの男性パートである。
ライン(流れ作業)でこの人の横に入りたくないランキングをつくったら、
巨匠とカリヤンとわたしがトップ3に入るのではないか。理由は怖いからにでもなろうか。
巨匠とカリヤンはわたしとは異なりよく仕事ができる男性パートである。
そして、わたしの才能というのは巨匠とカリヤンにラインで挟まれても
平気でいられるタフな精神力を持っているところである。
巨匠を巨匠と呼ぶわけはこの人には天才の狂気のようなものを感じるからである。
いつもラインでヘビーなところを振られて、
一定期間を過ぎると「きつい、きつい」とうめきはじめるのである。
いっとき「チクショー、チクショー」に変わったが、昨日は「きつい、きつい」に戻っていた。
ヘビーなところを振られてもスピードを落とせばきつさは多少軽減するのである。
しかし、巨匠はいっさい手をゆるめず全力で仕事をしてしまうのである。
そして、「きつい、きつい」とうなり声を上げるのである。
この「きつい、きつい」を4、5時間拝聴するのもわたしの仕事のひとつだと思っている。
ふつうの人ならあの「きつい、きつい」を1時間も聞けば精神のバランスが崩れるはずだ。

昨日なんかみんな24時まで働く気でいっぱいだっただろう。
しかし、巨匠が本気を出してしまったから23時で帰らされてしまった。
あそこに稼ぎ頭のアベさんやとても偉い(偉そう?な)キノシタさん
(どちらも女性古株パート)をぶち込んでくれていたら、
確実にライン終了は24時を超えたことだろう。
アベさんは勝ち組主婦なのに楽をして巨匠よりもはるかに稼いでいるのがおもしろい。
巨匠というのは金にならない仕事なのかもしれない。
カリヤンはいったいどういう人生を送ってきたのか知りたくて仕方がなくなるほど、
人との関係において閉じた男性パートである。
入った当初はカリヤンほど怖い人はいないと思ったが、
ある機嫌の悪い日に持ち前の異様な目つきで横のカリヤンを威嚇していたら、
なんとかの男の手が震えだした。
ということは、この文章の書き手はどれほどやばい男性パートなのだろう。
いろんな仕事があるのである。
巨匠とカリヤンに挟まれてなお正気を保っていられるのは女性には難しいのではないか。
17時に仕事ができる巨匠とカリヤンは入庫という一段ステージの高い場所に
移動していくことが多いが、ここで良心の痛みを感じながらも、
それにぐっと耐えられるのもわたしの職能のひとつと言っていいだろう。
わたしは入庫が嫌いゆえ下手だから(ミス多いぞお!)、
生産性を考えたら巨匠とカリヤンに入庫に行ってもらったほうがいいことになる。

職場は芝居の舞台のようなところがある。
うちの職場にはユーコさんがふたりいるが、
高いほうのユーコさんと巨匠は昨日はじめて邂逅(かいこう/出会う)したのではないか。
働く時間帯が異なるからふだんは会わないふたりなのである。
巨匠は巨匠ゆえ孤独なところがあり、なかなか助けに入っていけないのである。
ユーコさんはすさまじい人間パワーでさっと巨匠の手助けに入っていったのである。
ユーコさんは怖い人のわたしともコミュニケーションを取れる貴重な人材。
A山さんとともにこの職場にはもったいないような人材とも言えよう。
ユーコさんへ敬意を表して「ここだけの話」をしてしまった。
そのあと社員さんから「おい、バカ、変なこと教えるなよ」という視線を感じて、
「ごめんなさい」と心のなかで100回言いました。ごめんなさい。
ユーコさんにもご迷惑をかけてしまった。知らなくてもいいことってあるよねえ。
知ったら逆に苦しみの増すような情報というものがあると昨日実地で確認した。
昨日はいったいどういう日だったのだろう。
ものすごい久し振りにベトナム人美少女のFさんを見かけた。
声をかけようか迷ったが、向こうはわたしなど覚えていないだろうと思って遠慮。
玄関で見かけただけだが、いったいどこで働いていたのだろう。
今日は愉快な仲間たちが働いているなか、ひとり休んでいる。
けれども、休まされているわけだから罪悪感のようなものはない。
貴重な休日のため歯医者の予約を入れている。
明日また愉快な仲間たちとお会いできることをとても楽しみにしている。