時事ネタは書かないと決めていたが、「現代のベートーベン」はおもしろすぎる。
やるなあ、すげえ、と笑いがいまもとまらない。現代のキリストじゃないか、あれは。
「現代のベートーベン」も暴露がなかったらホンモノだったのである。
歴史上うまくホンモノとして逃げ切ったものは大勢いただろうに、もったいない。
もう少しで千年にひとりの天才になれたのに(不謹慎だが)彼がかわいそうだ。
もし「現代のベートーベン」が先月に亡くなっていたら天才作曲家として歴史に残ったと思う。
天才はこうでなければならないという大衆の夢をじつにうまく演じていたではないか。
たぶんいま歴史のうえで天才とされている人物の何%かは「あれ」だったのだろう。
きっとほんとうの天才というのはゴーストライター氏のようにつつましい存在だと思う。
わかりやすい天才はインチキなのだが、ならばすべての天才がどこかインチキめいている。
インチキくささこそが天才の資質なのだと思う。
このたびのニュースではじめて存在を知ったが、「現代のベートーベン」氏のファンになった。
わたしにとっては彼は天才である。あのわかりやすいキッチュな感じがたまらない。
天才はやはりあのように俗っぽくいかがわしくなくてはなるまい。
おそらく天才学の権威である精神科医の春日武彦氏も同意してくださるだろう。