「学校の勉強だけではメシは食えない」(岡野雅行/こう書房)

→先ごろ所得隠しで話題になった痛くない注射針を発明した世界一の職人、
岡野雅行さん(現在)80歳の自己啓発書(成功本)を読む(2007年刊)。
こちら詳細はわからないが先の所得隠し騒動でよけいに岡野さんを好きになった。
だれが税金なんて払いたがるんだよ。
詳細はわからないが(岡野さんは熱烈な自民党支持者でそれゆえ官僚との軋轢うんぬん)、
批判しているのは百%偽善者ゆえ、もし見かけたら痛くないパンダパンチをお見舞いしたい。
税金を喜んで払うやつなんていないと思う。
岡野さんのおもしろいところは、サラリーマン経験がないこと。
二代目社長で成り上がっているのが素敵である。
世の中のプラスマイナスなんてわからないことがわかる。
こうしたらプラスになるなんてきっと言えないと思う。
しかし、岡野さんは偉そうにサラリーマンに説教しているのがいい。
「勝てば官軍」という実社会のルールを証明しているのが岡野雅行さんである。
当方は一生サラリーマンに説教なんかできないと思うから、
そのためよけいに感動したのだと思う。

「サラリーマンは儲からないって何度も言ってるけど、原因のひとつに、
自分に投資していない、っていうのがあるよな。
ノルマやルーティンをこなすのに一生懸命で、自分を成長させることを何一つしていない。
サラリーマンだって腕に職をつけろ。
そうすれば俺みたいに70過ぎても現役で働けるようになるよ」(P112)


こうして岡野さんがサラリーマンに説教できるのはそれだけ稼いでいるからである。
すべての自己啓発書(成功本)はこの原理に基づくと言ってもよいのではないか。

「きみ年収なんぼや?」

「プロ論。才能開花編」(B‐ing編集部[編]/徳間文庫)

→あさましい欲望にかられ成功者のインタビュー集をがつがつ読む。
なによ、それ、成功者のみなさんがみなさん、好きなことをやろうとばかりおっしゃっている。
そんな甘くはねえと思わないかい?
好きなことばかりしていちゃいけないとは思いませんか?
いくら天下の成功者が言っているからといって、好きなことばかりしていたら将来どうなる?
そりゃあ、運のいいやつはいいけれど、みんながみんな好きなことばかりしていたら……。
いまはいいけどよ、将来どうするんだよ。世の中、甘かねえぞ。
成功者のみなさん、好きなことばかりしていたら……ああ、成功したのか。
おれが成功者に説教してどうすんだって。
でもよ、わかるぜ、好きなことばかりしているのは最高に最高だってことは。

「随筆名言集」(作品社編集部:編/作品社)

→副題は「7000篇の名随筆より選び抜かれた心に滲みる真実の言葉1357」。
作品社から出ているテーマごとの随筆集からさらに選ばれた言葉らしい。
言葉フェチのわたしとしてはたいせつにしたい本である。
まず名言とはなにか? 真理とはなにか?

「すぐれた哲学論文を読んだときの感動を抽象化してみると、
「これはまさに私の意見である」という表現に要約できるのである。
つまり、著者の意見が自分の意見になってしまうのが真理の伝達ということであって、
私にとっては、そのように共感させられてしまうのがすぐれた哲学なのである」(真継伸彦P81)


なぜ言葉を読むのか?

「一体読書は娯楽であつて勉強では無いのだが、
読書するのを勉強すると同一に心得てるのが世間の第一の誤解だ」(内田魯庵P181)


娯楽のために生きる。

「人生五十年と思いさだめて、ヤリタイコトヲヤルというのが男の一生なのではないか。
そうやって偶然に七十歳まで生きてしまったのが古稀(こき)であり、
古来稀なりということになる」(山口瞳P21)


せっかく生まれてきたのだから、なにかに狂ったように夢中になりたい。

「多くのものは、クルイタイと思いながらクルエナイのだね。
そのかわりにクルッタものを賛美する。こうしてクルッタものが尊敬を集め、
英雄になったり、あるいは教祖になったりする」(なだいなだP76)


狂えぬものは酔えばいい。

「酔うのにも色々な酔い方があるが、酒は酔うために作られるので、
一升飲んでも、二升飲んでもどうもないとか、酒の味が解れば沢山だとかいうのは、
嘘であるか、あるいはもしそれが本当ならば、飲むだけ無意味である」(吉田健一P101)


博打に酔うのもいい。人生はギャンブルのようなもの。

「ギャンブルの場において人の幸せを願うやつはいない。
極論すれば、みな人の不幸を願っているのだ。
人の不幸の上に成り立つ自分の勝ち、ギャンブルの快楽はここにある」(高橋直子P156)


酒も博打も楽しめぬ男のよさを向田邦子の言葉から教わる。言葉はものを教える。

「記憶の中で「愛」を探すと、夜更けに叩き起こされて、
無理に食べさせられた折詰が目に浮かぶ。
つきあいで殺して飲んできた酒が一度に廻ったのだろう、
真っ赤になって酔い、体を前後にゆすり、母や祖母に顰蹙(ひんしゅく)されながら、
子供たちに鮨や口取りを取り分けていた父の姿である」(向田邦子P37)


他人からの「愛」は迷惑でもつきあってやるという優しさがまた「愛」なのである。
わたしがこの向田邦子の短文から教わったことは思いのほか多い。
しかし、むろんのこと「愛」だけでは生きていけない。

「「他人の悪口を言わない人間」は信用することができない。
人間は、他人の悪口を言うのが大好きな動物なのだから。
悪口を言わないのは相手に対して心を開いていない証拠になる」(嵐山光三郎P119)


こうして好きな言葉を集めたが、果たして言葉がそれほど当てになるものかはわからない。
最後は自殺したノーベル文学賞作家の川端康成の言葉である。

「死についてつくづく考えめぐらせば、
結局病死が最もよいというところに落ちつくであろうと想像される。
いかに現世を厭離するとも、自殺はさとりの姿ではない。
いかに徳行高くとも、自殺者は大聖の域に遠い」(川端康成P57)


「両手いっぱいの言葉 ―413のアフォリズム―」(寺山修司/新潮文庫) *再読

→寺山修司名言集。
10年以上まえ読んだときは、なにやら格好よかったけれど、いまでは響いてくるものがない。
なーに言ってんだよ、ぷっ! とか思ってしまうんだからダメなおっさんになったもんだ。
寺山修司の言葉は、お新香で薄いウイスキーの水割りをのんでいるような情けなさがある。
さて、もうとっくに死んでいるからわかるけれど、寺山は人生という賭けに勝ったのである。
そう考えたとき、以下の言葉はなにやら意味深である。

「賭博には、人生では決して味わえぬ敗北の味がある」(P216)

若いころからちやほやされまくった人生だったから、
賭博でくらいしか敗北を味わえなかったのか。そりゃあ、お気の毒だな。
たしかに人生は賭けで、しかも勝敗はすでに決まっている賭けなのである。

「はじめて賭博をしたときの私は「勝ちたい」とは思わなかった。
勝ちたいのではなく「知りたい」と思ったのである。
私自身の恒星の軌道を、運の祝福の有無を、
そして自分自身のもっとも早い未来を「知りたい」。
勝負を決めるのは、いわば見えない力の裁きのようなものであって、
それは、どう動かすこともできないだろう。
だからこそ「知りたい」のであり、賭けてみなければならないと思ったのである」(P221)


勝ったときは自分の眼力がよかったとか誇ったんじゃないかい、寺山さん?

「ジオノ・飛ばなかった男 寺山修司ドラマシナリオ集」(山田太一編/筑摩書房)絶版

→騙されたいよな、と思った。
活字で見るかぎり、寺山作品に何度も繰り返し出てくるのが「嘘と本当」である。
なんにもないんだから、せめて騙されていたい。
同時代を生きた若者は、それなりに寺山修司に騙されたんだろうけれど、
これはいまでは通用しない。いくら騙されようと思っても騙されないよ。
騙されるというのは信じるということである。
騙されるに足るものがないのでつまらない。
どんどんネットで裏が暴かれて、なにも信じることができなくなってしまう。
しかし、ネットが本当かはわからないんだから、もっと嘘の可能性はあると思うのだが。
女を騙すのはこちらの甲斐性では無理なようだから、
せめて女に騙されたいけれど騙されるのにもある種の才能がいるから難しい。
インチキに騙されてみたいと思った。
できたら騙してみたいけれど、騙されるのもまたいいのではないかと思った。
最後まで騙したら、最後まで騙されたら、それが真実になるのだから。
嘘を本当と死ぬまで言いつづけて嘘を本当にしてしまうような人生はいいと思った。
本当を嘘にするのも嘘を本当にするのも言葉だから、騙されるのも騙すのも言葉なのだろう。
そのためには賭けるに足る言葉をもっと蓄積しなければならないと思った。