「名医のウソ」(児玉知之/新潮新書)

→そもそも名医にかかりたいという人の気持がわからない。
たとえ99%の患者をよくする名医にかかっても、
自分が1%になってしまったら意味がないではないか。
反対によしんば悪評が高いヤブ医者でも自分が痛苦から解放されたらそれで大満足。
医師の国家資格をお持ちの著者の指摘するように、
たしかにいまは名医にかかるのもヤブにかかるのも同金額で不公平とも言えるが、
名医で悪化する人、ヤブで治る人もいることを考えると、
名医などしょせんは確率統計の問題に過ぎないことがわかり、どうでもよくなる。
むろん本書がダメというのではなく、いい本だからいろいろ考えさせられたということだ。

本書からすると、いまの医者はふたつに分かれるのではないか。
自分の経験を重んじる医師と、エビデンス(統計データ=多数派情報)に従う医師だ。
よく読み込むと著者はどちらもそれぞれいいという立場のようだが、
やはり若いこともあり(わたしと同年齢)エビデンス重視の医師を評価している。
これは意地の悪い見方をすれば、
目のまえの患者よりデータ(統計)を見る医者がいい、と言っているのに近い。
言うまでもなく、優秀な著者は、
現実の患者というものは生ものでエビデンス通りにはいかないことも熟知しているのである。
通常用法とは違うが実際効果のある薬を処方する医師の存在も著者から教わったことだ。
わたしが医者にかかるのならば、エビデンスに盲目的に従うよりも、
多数派はどうでもいいから、こちらの苦痛を取り除いてくれそうな人がいい。
明らかに自分勝手だが、他の99人が治ってもわたしひとりが苦しいままの医者は敬遠する。
医師選択の基準は、好きか嫌いか、ウマが合うかどうかを最上に置こうと思う。
しつこいが、これもまた本書から学んだことである。

「実際の医学は、紋切型に、こうしたら必ずこうなるという世界ではなくて、
個体差、ばらつきをはらむ学問です。確かにどんな病気にもスタンダードな診断、
検査とそれに基づくスタンダードな治療は存在するのですが、確実に、
ある一定の割合でスタンダードからはずれる個人差、個体差が必ず存在します。
経験のある医者ほど、その個人差を目の当たりにしていて、
人間は千差万別なのだと肌身で感じています。
だからいくら自分の診断や、診療がよいものだと信じていても、
ある一定の割合で自分とはウマが合わない患者が出てくるということを、
やはり肌身で知っています」(P120)


「幸運と不運には法則がある」(宮永博史/講談社+α新書)

→信じられないことにこの齢まで生きながらえて、
わずかながらではあるが世の人々の浮き沈みを見てきた。
質量ともに貧しいながらも人生体験と読書体験を蓄積した。
結果思うのは、幸運と不運にはまったく法則性が感じられないということだ。
人生はまったくのアットランダムでバッドやグッドが出てくるゲームではないかと思う。
アットランダムとは日本語で言うデタラメである。
デタラメよりもアットランダムと言ったほうが
なにやら米国科学的つまり知的な感じがしていいだろうとこちらで判断した。
バッド、バッド、バッドとアットランダムにバッドしか出ない人生もあろう。
バッド連続人生の場合、たまに出たグッドに涙するはずである。
一方、まったく非因果的にグッド、グッド、グッドばかり出る人生もなかにはある。
別に心がけがいいからではなく、グッドだから心がきれいでいられるに過ぎない。
心がけが悪いからバッドなのではなく、バッドだから心も黒ずむのである。

新興宗教なんかもアットランダム理論で説明できる。
たいがい怪しい新興宗教にはまるのはバッドもバッド、ワーストのときだろう。
アットランダムだから、確率的にそこまでバッドが続くこともまあ少ないのである。
そうだとしたら、ワーストの次はグッドが来やすいことになる。
これを教団は功徳だのなんだのと言いがかりをつけ宗教に依存させるのである。
ワーストの次は軽いバッドでもよくなったように見えなくもないのである。
もしアットランダム理論が正しいのならば、幸運法則も成功法則もないことになる。
わたしはたぶんアットランダム理論がかなりのところ正しいのではないかと思っているが、
完全にアットランダムだと考えると難病到来とか交通事故四肢切断とか怖すぎるし、
やはりまったくのアットランダムだとすると無気力になり人生が味気なくなるから、
たまにこういう本――「幸運と不運には法則がある」を読みたくなるのである。

著者はどういう方かというと、寺に貼ってある「本気でやればなんでもできる」
のようなチラシを読んで、そうだ、そうだと感動してしまうような好人物だ(P37)。
本書でもいろいろ幸運の法則らしきものが書かれているが、
根底にあるのは「本気でやればなんでもできる」のような幻想だと思う。
なぜなら成功者や幸運な人しかサンプルに取っていないからだ。
だれでも知っていることだが99%は人生で成功なんて味わえないのである。
1%から著者が恣意的に採取した法則だって99%の失敗者もやっていたのである。
なにやら法則があって、それをうまく用いれば幸運が舞い込むというのは虚偽だが、
我われ愚かな人間は完全なる無意味にはちょっと耐えられないから、
眉唾(まゆつば)程度に幸運法則をあたまに入れて、
人生不運ばかりではないとおのれを慰めるのも一興ではないかと思う。
決して肩書で判断しているわけではないが、著者の言葉だとあまり重みがないので、
ここは夏目漱石の弟子で物理学者でもあった寺田寅彦にご登場願おう。
ゆっくり幸運を待っていようという寺田寅彦の言葉である。
違っているかもしれないが、わたしはそう解釈した。

「いわゆる頭のいい人は、云わば脚の早い旅人のようなものである。
人よりも先に人のまだ行かない処へ行き着くことも出来る代りに、
途中の道端あるいはちょっとした脇道にある肝心なものを見落す恐れがある。
頭の悪い人、脚ののろい人がずっと後からおくれて来て
訳もなくその大事な宝物を拾って行く場合がある。
頭のいい人は、云わば富士の裾野まで来て、そこから頂上を眺めただけで、
それで富士の全体を呑込んで東京へ引返すという心配がある。
富士はやはり登ってみなければ分からない」(P239)


「使える!確率思考」(小島寛之/ちくま新書)

→読んでいるあいだはとてもおもしろくて、これは刺激的な良書だと思ったが、
むろんこちらのあたまが悪いためだが、いま感想を書くため重要箇所を拾い読みしたら、
結局あまりよくわかっていないことが判明していささかがっかりした。
とはいえ、書いてみないとわからない。なるほどと思ったところをメモ書きする。

・経済的な価値というのはすべて相対的なものだから(絶対的ではない)、
経済行為はすべて賭けになる。いつなにが高くなるか、なにが安くなるかわからない。
・完全な乱数を作るのは非常に難しい。まったくのデタラメの確率は出せない。
どういうことか。かならず出目に癖のようなものが出てしまう。
・1万人にひとりの成功者というのはかならず確率的に登場するが、
それはかならずしも本人の努力や方法が正しかったからではなく、確率的事実である。
とはいえ、先に述べたよう完全な乱数は作りにくいから(癖のようなものはあるから)、
もしかしたら成功者はその偶然の癖のようなものを無意識的に察知したのかもしれない。
しかし、偶然(乱数)の癖はあったとしても、言語化できるようなものではないだろう。

・偏差値(全体の中の自分の位置)よりも自分の成績のぶれに注目したほうがいい。
たとえば模試ごとにコンスタントに偏差値60を取るタイプなのか。
それとも偏差値45のときもあれば、偏差値70のときもあるというタイプか。
前者の場合、偏差値55の大学にはほぼ確実に合格するだろうが、後者は落ちることもある。
偏差値にぶれのない60タイプは偏差値70の大学にまず落ちるだろう。
しかし、偏差値にばらつきのあるムラのあるやつは一発勝負で最難関大学に入ることもある。

・サイコロに記憶はない。だから、以前の記録はまったく参考にならない。
どれだけ4がよく出ていても、次になにが出るかは1/6の確率である。
・しかし、人間の生存確率はそうではない。
いま20歳の人が現在の年金受給年齢65歳まで生きる確率は74%。
(これは4人に1人はもらえないということです)
いま50歳の人が65歳まで生きる確率は80%。
(それでも5人に1人はもらえないのですね)
どういうことか。サイコロは記憶を持っていないが、人間の寿命はそうではない。

・確率によって確率が変わることがある。
たとえばガンを告知して5年生存率70%と教えてしまうと生存率が下がる。
これは悲観的になってしまいストレスが増加するためと推測される。
これを一般的法則に当てはめるならば、知らないほうがいいこともあるってこと。
難関だと知らないで受験したほうがうまくいくこともある。
たとえば脚本家になれるのは学校在籍者の0.1%だという事実は知らないほうがいい。
これは危険な解釈だが、いろいろ周囲は迷惑するし金もたくさんかかるけれど、
「願えばかならず治る」と信じている新興宗教会員はガン罹患後も生存率はいいはず。

・働きアリ、怠けアリの秘密はゲーム理論で説明できる。
働くメリット、働くデメリットおよび怠けるメリット、怠けるデメリットを
計算式に入れたら、いちおうそれらしき数字は出るらしい。
怠けアリばかり集めてもこのメリット・デメリットで一部がかならず働きアリになる。
同様に働きアリばかり集めてもメリット・デメリットの関係で絶対に一部は怠ける。

・人生でふたつに賭けることはできない。
たとえば、人事採用面接は落とした人が優秀だったかどうかはわからない。
採用後に批判されるのを恐れて、人事は無難な保守的な採用をするようになる。
・ふたつのレバーがあるとする。当たる確率はわからないとする。
Aというレバーを10回引いてすべてはずれだった場合、人はBのレバーに行く。
Bで6回目に当たりが出てしまうと、この人はもうAに戻ることはない。
もしかしたらAのほうが当たる確率が高いのかもしれないが、
そうだとしたらその人は損をしていることになる。
・総じて人間は保守的になるということである。いまの当たりを失いたくない思いが強い。

・確率に基づいた「合理的な選択」はかならずしも「正しい選択」ではない。
90%成功する手術でも、10%の確率で失敗して死んでしまったら、
それは「合理的な選択」にもかかわらず「正しくない選択」ということになってしまう。
確率では99%失敗する「非合理的な選択」でも確率1%の成功に恵まれたら、
「非合理的な選択」が「正しい選択」になってしまうということである。
ということは「合理的な選択」や「非合理的な選択」というのはデータ上のもので、
1回きりの人生を生きる人間にはどちらが「正しい選択」かはわからないということである。

こうして重要事項を書き上げてみるとけっこう理解しているような気もする。
もしかしてぼく、自分で思っているよりあたまがいいのかな。
いやいや、みなさんにご理解いただけたかどうかです。
みなさんもフンフンとお思いになられたのでしたら、ぼくも少しは誇れるのですが……。
いかがでしたでしょうか?

「他人の女房」(源氏鶏太/集英社文庫)絶版

→死後完全に忘れられた大衆作家のサラリーマン短編小説集を冗談半分で読んでみる。
ウィキペディアで見て驚いたけれど直木賞作家・源氏鶏太の肩書はすごいね。
紫綬褒章のみならず勲三等瑞宝章まで取っているのか、やるなあ。
元大阪大学助教授の小谷野敦博士の悪影響で、
このところ人の肩書にばかり目が行く最低の人間になりつつあるので注意したい。
常務のお古をそうとは知らずに女房にした男が盗み聞きで真相を知ってしまい、
おまえはあいつに仕込まれていたのかと妻に怒りをぶつけるサラリーマンがよかった。
最後はなぜかこれが「人間の業だ」などと仲直りするのだが、
ずいぶん安っぽい「人間の業」だなと思いながらも、
こういう娯楽小説を愛したであろう昭和40年代のサラリーマンに思いをはせ、
いま殺伐とした平成を生きるぼくは微笑ましい気分になった。
上司からの依頼で愛人と別れさせることに成功するものの、
ひいきにされるのではなく、逆に秘密を知られていると疎まれ、
左遷される昭和の独身サラリーマン氏。
彼は「運が悪かったな」とだけ思い、なにも文句を言わずに僻地に飛んでいくのだが、
その自己主張なき雄姿はそれなりに格好いいと思った。
総じて思っていた程度の娯楽であった。
紫綬褒章作家の源氏鶏太は永久によみがえることはないだろう。
絶対に再評価をされない当時の人にのみ売れるものを書けるのもまた才能だと思う。
これは悪口や批判ではない。
本当に読んだという証拠に偉い人の小説から一文を抜いておく。

「サラリーマンなんて、そういう他人の不幸をよろこぶように出来ているんだ」(P134)

「中陰の花」(玄侑宗久/文春文庫)

→よくわからないけれど、芥川賞を取ったんだからいい小説じゃないんですか?
いつもつまらない小説を読んだら怒りがこみあげてくるけれど、そういうのもない。
なんか作者には失礼な話なんでしょうが、どうでもいいというか。
まったくいまのぼくの状況と関係ないから、ほんとどうでもいいとしか。
好きな人は好きでいいんじゃないですか、としか。
おまけの「朝顔の朝」のこの描写が気になりました。
「二人はどちらからともなく唇を重ねた」(P128)です。
接吻って、どちらかがかなり空気を読んで協力しないとできないんじゃないか、
なんて恋愛弱者的な恥ずかしい疑問を持ってしまいました。
僧侶でもある著者はあんがい恋愛経験が豊富なのかもしれません。
当時は(たぶん)新人作家だったでしょうに、解説を多忙な河合隼雄に頼んでいる。
この人、すごい人脈を持っているんじゃないか。そこにいちばん感動しました。
山田太一さんと著者が対談しているのを雑誌でお見かけしたこともあります。
佐江衆一氏の小説「わが屍は野に捨てよ 一遍遊行」の文庫解説でも拝見しました。
いくら解説でもそこまでほめるかというくらい大絶賛していて常識人だなと思いました。
著者はたぶん平和主義のとてもいいお坊さんなのではないでしょうか。

「笹舟日記」(三浦哲郎/新潮文庫)絶版

→1年かけて連載されたという短編小説ふうの自伝的エッセイ集。
年譜を見ると、三浦哲郎6歳のときがいちばんの暗黒時代だろう。
まず3月、三浦哲郎の誕生日に次姉の貞子が青函連絡船から投身自殺している。
これが三浦哲郎の決定的な、いわゆるトラウマになったようである。
自分の誕生日を祝えなくなってしまった。
同年夏、長兄の文蔵が突如失踪する。同年秋、白子症だった長姉の縫が服毒自殺。
三浦哲郎の残っているきょうだいは次兄の益男、それから三姉のきみ子である。
作者は小学校のころ、「おまえの姉ちゃんイルカに食われたんだろ」
と同級生からからかわれてショックを受けている。
丸三呉服店の娘の入水自殺は当時の地方新聞にでかでかと掲載されたそうだ。
12年後、三浦哲郎は次兄・益男の経済的援助もあり早稲田の政経に通っている。
益男は当時34、5歳でまだ独身、材木会社に勤務し「専務さん」と呼ばれていた。
この益男が原因不明の失踪をしてしまうのだが、その直前に哲郎は次兄に逢っている。
益男の恋人らしき女性と三人でブルースの女王とやらのリサイタルに行ったのだという。
このときの思い出を描いた「もういちど逢いたい人」はとてもいい。

頼りにしていた次兄が出奔してしまい哲郎は休学届を出し帰郷する。
一度中学校に勤務するもののすぐに辞め、脳軟化症で闘病している父のもとへ行った。
もうどん詰まりで先行きがまったく見えない。
このとき立ち上がったのが、いままで引っ込み思案で、
いつも母の陰でうつむいていたような白子症の三姉きみ子である。
きみ子は自殺した長姉から琴を習い、その後は高名な師匠の弟子にもなり腕を上げていた。
障害があるためこれまで影の薄かったきみ子がだしぬけに言ったという。
「私たち、もう死んだ気になって、
自分の出来ることをやってみるより仕様がないんじゃない」
実際きみ子は行動に出る。不自由な目に薄墨色の眼鏡をかけ、
ひとりで知り合いのあいだを奔走して3つも稽古場を開設することに成功したのである。
以降は「書き初め・弾き初め」から抜粋する。本当にいい。

「「あんたも暗い顔ばかりしていないで。」
と、あるとき姉は私にいいました。
「なにかやりたいことがあったら、本気でそれをやる気になったら、どう?
東京へいきたいなら、いったっていいよ。足りない分は、私が助けてあげる。
でも、なまじっかは、私は厭(いや)だからね。それに、お金だって、
あんたが一人前になったら三倍くらいにして返して貰うんだから。」
姉は、悪戯っぽく笑っていましたが、私はそのとき、
姉にいやというほど背中をどやされたような気がしたことを憶えています。
誰よりも弱者だと思っていた姉に、私は背中をどやされたのです。
私は恥ずかしくて、顔も上げられないような気持でした。せいぜい、
「御希望なら、三倍を五倍にしたっていいんだぜ」
そんなことをいうのが精一杯でした」(P290)


次兄の失踪に衝撃を受けた三浦哲郎は当時、
「自分たちのきょうだいには、滅びの血が流れているのではないかと思い、
ならば末弟の私はその血の分析に生涯を費やしてもいい、
などと考え」(P112)ていたため、姉きみ子の経済的援助を得てふたたび上京する。
滅びの血の末弟、三浦哲郎は文学立身をめざし早稲田大学文学部仏文科に再入学する。

「拳銃と十五の短編」(三浦哲郎/講談社文庫)

→三浦哲郎の私小説というのは、いったいどこまでが本当なのだろう。
お姉さん二人が自殺、お兄さん二人が失踪、ここまでは事実だと思う。
本書に出てくる話だが、作者が二十歳のころに
医者に失恋した白子症(アルビノ)の姉が自殺未遂したというのは本当なのだろうか。
都内に住んでいるその医者が死んだということで故郷の姉から作者に電話が入る。
そこから姉の自殺未遂が回想されるというのが短編小説「水仙」だ。
かりに本当だとして、いくら家族とはいえ、こんな秘密に属することを書いていいのか。
というのも、その白子症の姉は当時まだ存命しており故郷で琴の師匠をしているという。
どんな田舎にも書籍は流通しているわけで、
こんなことを書いたら田舎の人はうわさ好きだから
その姉を色眼鏡をかけて見るようになるのは当然で、ならばモデルは迷惑するのではないか。
とするならば、白子症の姉の自殺未遂はやはり本当に起きたことなのだろう。
もしフィクションだとしたら、それは人間としてやってはいけない行動になってしまう。

死んだ父の遺品から拳銃が見つかったというのは本当なのだろうか。
あまりにもうまい小道具すぎるのである。父は死んでいるからウソでも迷惑はかからない。
ならば、父の遺品に拳銃があったというのは、あるいはフィクションではなかろうか。
話ができすぎている気がするのである。
なぜ病死した父は拳銃を持っていたのだろうと三浦哲郎は父のことを思う。

「私は、父親の病気が再発したという知らせを受けて帰ってきて、
毎日すこしずつ死んでゆく父親を見守りながら、
村の郷土の子に生まれ、町の呉服屋の婿になり、白い子供を二人持ち、
娘たちには勝手に死なれ、息子たちには家出をされた男親というものは、
一体なにを支えにして生きるものかと、そんなことばかり考えていたものだが、
金庫の底から出てきた形見の拳銃を目にした途端に、
父親のすべてがわかったような気がしたのであった。
この拳銃こそが父親の支えだったのではあるまいか。
その気になれば、いつだって死ねる。確実に死ぬための道具もある――
そういう思いが、父親をこの齢まで生き延びさせたのではあるまいか。
私はそう思ったのだ」(P19)


もしこの拳銃の話が事実だとしたら、
三浦家の八人は哲郎以外、全員自殺願望を持っていたことになる。
実際に自殺してしまたものが二人、失踪というかたちで自滅したものが二人。
母が自殺を思ったことのあることは「愁月記」に書かれている。
父までもいざとなったら自殺しようと拳銃を隠し持っていたのである。
なぜ三浦哲郎は滅びの血を継承していながら自殺をしなかったのか。
芥川賞受賞作「忍ぶ川」に出てくる美しい志乃と25歳のときに学生結婚したからである。
三浦哲郎の自殺した姉二人、失踪した兄二人は未婚であった。
さらに作家は28歳のとき健康な娘をさずかっている。
これでもう死ねなくなったのである。30歳で芥川賞受賞。よけい死ねない。
とはいえ、いちばん大きかったのは25歳のときに美しい女から愛されたことだろう。
三浦青年は大層ハンサムだったというから(瀬戸内寂聴「奇縁まんだら」)、
ならば呪われた生まれの血がこの場合は身を助けたということになろう。
本書でも作者と思しき人物が自殺を批判している。

「自殺ってやつは、あとに残る者へ自分の中身をそっくり預けて、
抜け殻になることじゃないか。死んだ奴はそれで楽になるが、
あとに残された者は死んだ奴の分まで荷物を背負わされてしまう。
死ぬ自分より、死なれる相棒や身内の方がどれほど難儀なものか、死ぬ奴は知らない。
尤(もっと)も、そんなことを知っていたら、おいそれとは死ねないさ。
だけど、死ねないのが当り前なんだ。
死ねなかったら、みんなと一緒にじっと生きてたらいいじゃないか」(P75)


かわいい嫁をもらい娘にも恵まれ、文壇でも出世した男の言葉だと思うと鼻につくが、
おなじ自死遺族のひとりとしてはまったくの正論だと思う。
しかし、自滅したきょうだい四人がいなければ、「忍ぶ川」は書けなかったであろう。
もし人生の道を踏み外したきょうだい四人がいなけければ、
この「拳銃と十五の短編」も書けず、野間文芸賞を受賞することもなかったのである。
さて、この短編小説集によると、死んだきょうだいは四人ではないらしい。
もう一人、三浦哲郎には姉がいたが、生まれてすぐに死んだという。
三浦哲郎はこの秘密を従姉から教わり、従姉は哲郎がこの事実を知らなかったことに驚く。
作家は一度も母から聞かされたことがなかったという。
生まれてひと月たらずで死んだ赤ん坊は姉ふたりとおなじく白子症であった。
このため、三浦哲郎は母がその白子症の赤ん坊を
間引いた(殺した)のではないかという疑いを持つ。
恐ろしくて母親には、この仏壇に位牌もない清子という姉について聞けないと作者はいう。
しかし、書いてしまっているではないか。書いたらみなの知るところになるのだぞ。
この生まれてすぐに死んだ白子症の清子という赤ん坊は本当に存在したのだろうか。
それとも小説家のフィクションなのだろうか。
本当のことでもフィクションでもこのことを書いたら母親は傷つくだろう。
あんがいフィクションだったほうが傷つかないのか。
小説家というのはみなウソつきである。
文筆を生業として地元のほまれのようになった息子の書いた小説なら、
母親はなにもかも許したであろう。
本当のことはたぶん三浦哲郎と母親しか知らなかったはずである。
そして、もうどちらも死んでいるから本当のことは永遠にわからない。
それにしても、これだけ呪われた血を持つ三浦哲郎は、
よく結婚しなおかつ妻をはらませることができたと感心する。
そうしなければ生きていけなかったのかもしれないが、
それがよかったのかどうかの答えはまだ出ていない。いや、もう出ているのか。

「勿論、私には自分の血を怖れる気持がある。
私のところには女の子ばかり三人いるが、
この子たちが将来染粉を要る子[白子症]を生むことになりはしないだろうか
と考えたりすると、忽(たちま)ち夜が白夜のようになってしまう」(P157)


「愁月記」(三浦哲郎/新潮文庫)絶版

→読みながらわんわん涙がとまらなかったが、
三浦哲郎の書くものは自死遺族文学なのである。
穢(けが)れた血の文学である。
瀬戸内寂聴さんによると、若いころの三浦哲郎はぞくぞくするほどの美青年だったという。
おのれの穢れた血を文学作品として克明に記録した三浦さんももう逝ってしまった。
果たして穢れは文学で昇華できたのだろうか。
三浦哲郎にはお嬢さんが三人いる。
三浦さんに何人お孫さんがいて、そのうち遺伝病や自滅、失踪したものはいるのか。
知りたいけれども、軽々しい興味からは知ってはいけないことなのだろう。
本書は穢れた家族のことを描いた私小説である。亡母のことが中心になっている。
白子症(アルビノ)の娘を二人産んだ母親の91年の人生というのはなんだったのか。
母は娘を三人、息子も三人産んだけれども、そのうち二人が自殺、二人が失踪してしまった。
三浦哲郎はむかし母の声を聞いたことがあるという。
いや、あれは母の声だったかは、正確には思い出せない。

「そういえば、たった一遍だけ、気弱になって、よからぬことを考えたったけな。
寝ていて、ぼんやり箪笥(たんす)の引手を見上げて、
あのいちばん上のやつに腰紐(こしひも)を掛けたら……
そしたら早く楽になれるなあって、そう考えた。
魔が差したって、ああいうときのこったえなあ」(P17)


この母は三浦哲郎を産むかどうかだいぶ迷ったという事実を後年作者は知る。
自然に流産できないか、何度か母は試したこともあったという。
白子症の子を二人も産んでいるのだから仕方がない。
産婆に励まされて6人目の子を産むことにしたという。
このような事情を後年産婆から聞いた話を三浦哲郎はそのまま小説にしている。
産婆から「お子さんは?」と聞かれる。
作者は「女の子ですが、目も肌も黒い子です」と答える。
産婆は安心して言う。
「時には、蛮勇みたいなものが必要ですね、自分の道を切りひらくには」
この小説集からわかったことは、自殺は50年も後を引くということである。
三浦家が破滅の道を進むようになったきっかけは次姉が19のときに、
よりによって三浦哲郎の6歳の誕生日に青函連絡船から投身自殺したことである。
あれから50年経っても三浦哲郎のかなしみは消えていない。
中年作家はいまや三人の娘を持つ父親でもある。過去に縛られた一人旅をしている。

「バスの発車時刻にはまだ間があったので、去年のように裏の岩浜に降りてみた。
去年、子熊の縫いぐるみをみたときもそうだったが、
この腐れかけた花束も海峡からの漂着物に違いないと、すぐにそう思った。
私は、家に三人いる娘たちが姉の享年とおなじ十九になるたびに、
その子を連れてこの海峡にくる。
青森から、姉が乗ったのとおなじ夜航の連絡船に二人で乗って、
姉の短かった生涯や、姉をこの船の回廊にまで追い詰めた事情の数々を、
隠さずに話して聞かせる。その折に、
海峡のまんなかあたりで同行の娘が暗い海面に落してやる菊の花束が思い出された」(P130)


白子症の長姉は睡眠薬自殺している。
おなじく白子症の姉は一度未遂をしたが生きながらえ、いま60も半ばである。
目が不自由なため、ずっと母親と暮らしてきたが、いまその母も死んだ。
三浦哲郎は姉のことを思う。

「姉が色素のない体に生まれついたのは、誰のせいでもない。
けれども、姉にすれば、産んだおふくろのせいだと思うほかなく、
おふくろもまた、自分が産み損なったのだと思わずにはいられなくて、
一方は絶えず相手を和毛(にこげ)の棘(とげ)で責めつづけ、
一方はそれを甘んじて受けながらひたすら相手を案じることで、
二人は根強く結ばれていたのではなかろうか」(P84)


どうしてこうなのだろうか。
三浦哲郎は大学時代、新聞社の入社試験を受けたという。
学科試験の後に身上調書を書きなさいと言われた。嘘やごまかしを書いてはいけない。
家族の名前、続柄、年齢、職業、死因を書かねければならない。
三浦哲郎の筆はとまった。六人きょうだいのうちすでに四人が欠けていたからである。
兄ふたりは行方不明。長姉は睡眠薬自殺。次姉は投身自殺。
しかし、三浦哲郎は死因に自殺と書けなかったという。
自殺者にとって自殺は方法であって、本当の死因は別にあるはずである。
行方不明だってそれぞれの、のっぴきならない事情があるだろう。
自殺、行方不明と簡単に記してしまっていいのか。
書いたところで結果はわかっている。八人家族のうち半分が人生の落伍者である。
一家から自殺者を二人、失踪者を二人出しているとは、ただごとではない。
しかも、四人ともまだ若年のうちに道を踏み外している。
人事担当者は思うはずだ。こういう薄気味悪い男とは関わり合いたくないと。
三浦哲郎は身上調書を白紙のまま裏返し、会場を後にしたという。

「その晩、住んでいるアパートに近い三軒茶屋の屋台店で、
モツの煮込みを肴(さかな)に梅酢で色をつけただけの安い焼酎を飲みながら、
今日の調書に書けなかった兄や姉たちの短かった生涯と死因を
いつか自分の手でかならず書こう、勿論(もちろん)彼ら一人一人のためにも、
彼らを恥じて残りの生涯を伏目がちに生きた両親のためにも、
置き去りにされた末弟のひそかな追憶の証(あかし)として、
かならず書こうと、ひとりで誓いを立てたものだが、
肝腎の自分自身がいっこうに熟さなくて、
それを実現させるのに二十五年もかかってしまった」(P196)


常識人はこういう暗い男に逢ったら、どんな言葉をかけるのだろうか。
「早く忘れろよ」「前向きになれ」「ポジティブがいちばんだ」「いい宗教があるよ」
男は前向きにならず過去にこだわりつづけ、家の恥を作品として世に問い、
無宗教のまま2010年に79歳でこの世を旅立った。
あの世でだれとどんな話をしているのだろう。