「中世を旅する聖たち展 一遍上人と時宗」(神戸市立博物館)

→昭和63年に神戸市立博物館で開かれた展覧会の図録である。
わたしが古本祭や古書市を好むのは、
こういった思いもよらぬ希少本をときに安価で入手できるからである(500円でした)。
そのような偶然性を愛さなかったら、なんとこの世界は味気ないものになるか。
展覧会の図録というのは(定価で買ったことはありませんが)本当に貴重なものだと思う。
恥ずかしながら芸術鑑賞みたいなことは正直、
生まれがクソ庶民なためでしょうかほとんど縁がなかったが、
たとえ展覧会に行ってもひとつのものをじっと見つめていられない事情くらいはわかる。
図録だったらたしかにコピーだが、気になるものを何度でも見ることができるのだ。
古本祭や古書店のワゴンで投げ売りされる展覧会図録がいかにありがたいか。

一遍の最初の弟子、他阿真教は斜視だったのではないか。
このため、悪人のように一部で思われるのかもしれない。ちなみに、わたしも斜視。
65ページに掲載された「遊行上人縁起記」は、ある真実を語っているような気がする。
日蓮宗の(自分たちを絶対正義と疑わぬ)連中が、時衆の道場に攻めてきている。
あたかも「勘弁してください」と拝むように泣いている時衆の尼さんと、
男根主義というほかない傲慢な日蓮宗徒の視覚的な差は、
根源的な自力と他力の宗派の相違を如実に表現していよう。
とはいえ、時衆とても一遍以降は女人を重んじなかったのはこの図録からうかがえる。
同65ページの「魔仏一如絵」の絵もいい。
踊り念仏をする時衆の尼さんが、いまで言うところのミニスカートなのである。
タイムマシーンが発明されるまで真実は断じてわからないが、
日本ミニスカートの元祖はもしかすると一遍時衆集団なのかもしれない。
一遍もわいせつな踊り念仏もミニスカートも、ひたすらどこまでもいい。好きなのだ。
本書にめぐりあえた偶然に感謝したい。
「絵で見る一遍上人伝」(長島尚道・編著/常楽寺/ありな書房)

→「一遍聖絵」の主要場面をカラーで紹介してくれるたいへんありがたい薄手の書物。
岩波文庫にもコピーは少し載っているけれど、あれでは白黒でぜんぜんわからない。
本書がとても貴重に感じられたのはこのため。
禁酒時、毎晩のように時宗の念仏テープを聴きながら本書をゆっくりひもといたもの。

一遍のどこがすごいかと言ったら、まったく肩書で勝負していなかったところだと思う。
残念ながら本書には掲載されていなかったが、
たしかうちらの時代の歴史教科書にも載っていた「一遍聖絵」の有名な場面に、
時衆結成以前の一遍がひとりで武家屋敷を訪問する場面がある(岩波文庫版に掲載)。
あれはいまで言うところの「飛び込み営業」なのである。
いきなり知らない人の家にアポなしで訪問して商談をまとめることだ。
一遍は酒宴中の武家屋敷のなかへひとりで入っていき、
まんまと念仏札を主人に渡したわけである。
「一遍聖絵」に詳細こそ書いていないが、
そのとき一遍が相当額の謝礼を受け取ったと思って間違いあるまい。
一遍の身分は私度僧(自称僧侶)。当時は乞食となんら変わりない身分。
いまで言うニセ医者、占い師、スピリチュアルカウンセラーみたいな存在だ。
そのうえ「飛び込み営業」をするセールスマンでもあった。
だが、抜群に「飛び込み営業」がうまかったのだろう。
そうでなければ無一文の身にもかかわらずひとりで各地を旅できるわけがない。

個人的な体験だが、異国をひとりで旅していると、直感的にこの人は偉いと思うことがある。
むろん、言葉は通じないから相手の詳しい地位(身分)はわからないけれども。
世の中には肩書に関係なく、オーラのようなもので、この人はすごいと思わせる人がいる。
そういう人物の存在がわかるのは、こちらが無目的な長期旅行をしたからだと思う。
人には旅をすることで鍛えられる日常的な肩書(身分)とは領域を別にする、
非日常的な威光のようなものがある気がしてならない。
「飛び込み営業」がたぶんめっぽうにうまかった一遍も、そのような威厳があったのではないか。
おそらく運もよかったのだろう。
酒宴のただなかなら人は旅芸人のような連中にも気前よく金銭を振舞うものである。
一遍は自分のような存在を求めている場所を探すのがうまかった。
あるいは捨て身で生きているから、自然にそういうところへ流れていけたのかもしれない。
我執がなく自然にまかせていると、ある種の必然として食いぶちくらいは得られるのだろう。

肩書にこだわらない一遍のすごみはほかのシーンからもうかがえる。
これは本書にもきれいなカラーで掲載されているが、
一遍は亭主の留守に他人の家に上がり込み女房を出家(剃髪)させてしまったことがある。
初対面の女性をその場で出家させるくらいだから、
一遍は人を狂わせる力のようなものがあったのだろう。
さて、問題はここからである。激怒した亭主が刀を持って一遍を追ってきたのである。
憤怒のあまり抜刀した男と向き合う一遍の態度には寸分たりとも隙のようなものがない。
「殺せるなら殺してみろ」
男は反対に一遍の迫力にひるみ、妻とおなじようにその場で出家(剃髪)したという。

当時の中心地域、鎌倉へ時衆集団とともに入ろうとしたときもそうである。
一遍などまったく無名の人脈もなにもない乞食坊主に過ぎないのだ。
この道は本日通行禁止だと馬上の武士から恫喝(どうかつ)される。
「おまえはなにものだ? 売名行為が目的の田舎坊主は去れ!」
「念仏布教がしたいのみ。かなわぬならここで死ぬから切ってくだされ」
武士は身命を捨て切った一遍に恐れをなして、
郊外ならば布教してもいいと逆に逃げ腰になったという。
なんの後ろ盾(肩書)もない乞食坊主にみなが圧倒されたのは、
言葉にはできないけれども一遍から言い知れぬすごみのようなものを感じたからだろう。
現代の高僧がいったん豪華絢爛な法衣を脱いだら、だれもそうとはわからぬのとは正反対だ。
旅のさなかでは、だれしも肩書のないところでの一瞬の勝負をしなければならない。
一遍を鍛えたのは孤独な旅であったのだろう。
瞬間的な勝負では、肩書はまったく意味がない。
捨て身で一心不乱の一遍がやたら強かったのはこのためではないかと思う。
おそらく「飛び込み営業」の達人である一遍は、
天皇の血筋という噂があったがために空也を尊敬していたわけではないのではないか。
「お釈迦さまの肩へ」(ひろさちや/光文社カッパブックス)

→宗教ライターのひろさちやさんにとって2000年12月に
1億7千万円の空き巣被害に遭ったのは決定的な人生体験だったのだろう。
たしかにこれ以降、やけくそとも思えるくらい過激な内容の本を書くようになっている。
人の気持はわからないけれど、1億7千万円を一夜にして失うってどんな気分なんだろ。
悟っちゃうレベルの体験だったりするのかも。
ぼくなんかさ、1万円損しただけでも1ヶ月は根に持つから。
その1億7千万倍の失意、落胆、絶望――「こんちくしょっ!」があったに違いない。
秀才だったひろさちやさんは64歳にしてたぶんはじめて、
「明日をも知れぬ」という言葉の意味を身をもって、切実な痛みとともに知ったわけだ。
いいことをしてもいいことはないし、空き巣は1億7千万円を一夜にして得る。
たとえ1億7千万円があったとしても明日にはどうなるかわからない。
うん、これは究極的な宗教体験に近いのではないか。
この空き巣事件を経て、ライターひろ氏の宗教レベルが上がったのは間違いない。
本書は1億7千万事件から1年も経たぬうちに書かれた本だ。
そう考えると以下の引用は体験に裏づけられた真実性が感じられる。

「最近、おばあさんたちの顔がずいぶん変わりました。
かつては、菩薩のような顔をした人が多くいて、
深くて立派なしわには酸いも甘いも刻まれていました。
つまり、「世の中はでたらめである」ということをわかっている人です。
彼女たちは、さまざまな人間模様を長い間見ています。
羽振りがよかったのに末路が哀れだった人。
小学校のときは洟(はな)たれ小僧で成績が悪かったが、出世した人。
大金持ちだが、家庭は不幸だった人。
お金はないけどいつも幸せそうな顔をしている人……。
つまり、努力と幸せはまったく関係ないこと、
また、世の中には絶対的な法則などなく、無秩序な、
しかも思いもよらぬことの連続であることを知っていました」(P21)


ひろさちやさんも64歳にしておなじことを理解してしまったのでしょう。
ならば、1億7千万の空き巣犯人は氏の人生にとって最大の知識(師匠)になるのでは?
なーんて、なるはずないよね、ごめんなさい、ひろ先生!
しかし、「世の中はでたらめである」というのは本当に真実だと同感する。

「往生極楽のはなし」(小堀光詮・ひろさちや/佼成出版社)

→三千院門主の小堀光詮なんてだれも知らないから本も売れないだろう。
だから、ひろさちや氏との共著にしたのがまるわかりでげんなりする。
本のいちばん最初には高そうな袈裟(法衣)を身にまとった小堀光詮のカラー写真。
虚栄心と偽善が顔全体に浮かんだ、いかにも庶民がイメージする高僧の面相で笑える。
どれだけ人の足を引っぱり、上にお追従を繰り返して、ここまで出世したのか。
今年の6月に三千院門主の小堀光詮は91歳で死んだらしい。
葬式ではみんな内心ニヤニヤしていたんではないかと邪推してしまう。
しかし、高僧のうまみは死んでもまだ終わらない。
三千院門主のご子息は延暦寺法務部長。しっかり権力を世襲しているのだ。
本書の冒頭で三千院門主、すなわち自分がいかに偉いかくどくどしく説明している。
なんでも天皇や皇太子もお見えになる寺だから三千院門主の小堀光詮は偉いらしい。
天台宗では座主がいちばん偉いが、
その座主よりも先に皇族に拝謁できるから三千院門主の小堀光詮は偉いのだ。
天台宗座主が自分をうらやましがっていたこともあるから、
(おまえらバカな読者のために繰り返すが←脳内妄想)三千院門主の小堀光詮はとても偉い。
こうして仏教書も上梓しているから、なおのこと三千院門主の小堀光詮は偉い。
――いやあ、ほんと仏教界って腐りきっていますね♪

ひろさちや氏との共著なのだが、どこをどちらが執筆したのかよくわからない。
二か所、参考になったところをメモする。
まず、融通念仏の祖とされる良忍について。
わたしがファンである一遍は熊野権現から「融通念仏すすむる聖」と声をかけられている。
これは一遍が証空(西山上人)や法然ではなく、
融通念仏の祖である良忍を慕っていたからではないか、と栗田勇氏が指摘していた。
だったら、融通念仏とはなにか、という興味があった。

「永久五年(一一一七)五月のある日のことです。
念仏三昧を修していた良忍に阿弥陀仏の示現がありました。
このとき良忍は四十六歳。彼は左のような偈(げ)を感得しました。
≪一人一切人、一切人一人、一行一切行、一切行一行≫
そして、彼はこの偈をもとにして、
――融通念仏の思想――
を確立しました。また大阪に現在の大念仏寺を建立するに至ったのです。
この融通念仏の思想は、お気づきのように『華厳経』の、
≪一即一切、一切即一≫――一がそのまま多であり、多がそのまま一である――
という考えにもとづいています」(P104)


華厳経は河合隼雄も言及していたし、信者としてはいつか読みたい。
本書に話を戻すと、上人と聖人の違いを知る。
官僧(国家公務員)の坊さんは上人。
官僧以外の私度僧(自称僧侶)みたいな坊さんは聖人、あるいは聖(ひじり)。
親鸞や日蓮は流罪になって国家資格を失っているから聖人。
一遍は国家資格がないから捨聖、念仏聖。
法然も一度流罪なったが、その後許されたので法然聖人ではなく法然上人が正しい。
へえ、なるほどと勉強になった。
しかし、一遍も一遍上人と表記されることがあるから、そこまで厳格ではないのだろう。

三千院門主の小堀光詮は出世して91歳まで長生きして、おまけに息子も出世させて。
およそ最高最上と言ってもいい恵まれた人生を送ったのだろう。ああ、うらやましい。

「法然上人とその弟子西山上人」(ひろさちや/春秋社)

→踊り念仏で知られる一遍の師匠が聖達。聖達の師匠が証空(西山上人)。
それでそれで証空の師匠がいちばん有名な法然なわけである。
正直さ、こちとらもうおっさんで記憶力が鈍っているのだから、
証空なら証空で西山上人(西山は地名かな?)とか別名をつけないでほしい。
いちいち覚えてらんないって。だれもおまえに興味なんてないんだよ。

白状すると証空(西山上人)なんて知らなかった。だれそれ? の話で。
ファンである一遍の師匠のそのまた師匠ということで興味を持ったわけである。
とはいえ、わざわざ専門書とか読む義理はないから、
いつものようにひろさちや先生のわかりやすいご本のお世話になるわけである。
この本を読んで、ふって瞬間的に思ったけれど(気の迷いかもしれない)、
いまの仏教界でいちばん偉いのはひろさちや先生ではないのん。
ひろ先生の偉いところはいろいろあるけれど、まず群れない!
仏教は弟子や子分を作って「先生は偉い!」と言ってもらいたがる人ばかりなんだ。
どこの宗派(派閥)にも属していないから、かなり好きなことを言えるのも先生の魅力。
それからひろさちや先生が偉いのは、仏教を完全な独学で勉強したところ。
(ちなみに梅原猛先生も仏教は独学のはず。だから、おもしろいとも言いうる)
大学や僧院(宗門)で勉強しちゃうと、基本的に師匠の教えにNOが言えないわけである。
なぜなら上役に絶対服従しないと、どこの組織だって出世できないのだから。
師匠にYESを言いつづけていると、そのうち自分のあたまで考えられなくなる。
むしろ自分のあたまでなんか考えないほうが仏教界(宗門、学界)で出世できる。
ひろさちや先生が偉いのは、すべて自分のあたまで考えた自分の言葉で
一見すると難解な仏教思想を平易に説明できるからである。
本当にあたまがよくないと絶対にひろさちや先生のような説明はできないと思う。
うほっ、ちょっと受賞歴ゼロの宗教ライターひろ先生をほめすぎちゃったかな。
しかし、受賞歴ゼロというのも偉いんだよ。
「捨ててこそ」なんて澄ました顔で言っている坊さんや仏教学者が、
実際は血まなこになって勲章を求めているのが現実というやつなのだから。
勲章が大好きなのはみなさんが嫌いな(好きな?)池田先生だけじゃないんだぜ。

本書もたいへんわかりやすく、かつおもしろかった。
自分の言葉で要点をメモしたい。まず基礎的知識を整理しておこう。

法然:浄土宗開祖。弁長、証空、親鸞の師匠。
弁長:浄土宗鎮西派の祖(浄土宗の主流)
証空:浄土宗西山派の祖(浄土宗の亜流で、宗派もまだ枝分かれするが省略)
親鸞:浄土真宗の開祖(後に巨大利権仏教団体に成長する)


4人のなかでいちばんマイナーなのは証空(西山上人)である。
しかし、3人の弟子のうちもっとも師匠に長期間にわたり教えを受けたのは証空。
というのも、親鸞(6年)、弁長(6年)、証空(22年)ゆえ。
そのうえ法然が後継者と決めていたのは親鸞でも弁長でもなく証空。
「法然上人亡きあとは、だれに教えを受けたらいいですか?」
九条兼実と実信房蓮生が法然にこの質問をしている。
そのときの法然の答えは両者に「証空こそ真の弟子」と言っている。
ところが、たった6年しか教えを受けていない親鸞や弁長のほうが
(表現はよくないが)成り上がったのだから、歴史というのは皮肉なもの。

証空にはヘタレ(弱虫)疑惑がある。
「嘉禄の法難」のとき、弁明書を出してひとり迫害を逃れたとのこと。
おなじく法然の弟子、隆寛、幸西、空阿の3人は流罪になる。
この法難は、当時主流派の天台宗が新興で人気の浄土宗へ行なおうとした嫌がらせ。
具体的には、天台宗の連中が権力にまかせて法然の御廟(墓)をぶち壊して、
なおかつ遺体を加茂川に流そうとした。
証空が日和見主義で逃げたのかどうかは解釈がわかれる。
証空は金持の坊ちゃんだったため反骨心がなかった、と見ることもできる。

法然の浄土宗立宗には批判もなくはなかったとのこと。
理由は、天台宗開祖の最澄や真言宗開祖の空海のように中国留学体験がないため。
それから立宗の根拠とした善導(中国僧)「観無量寿経疏」が弱い。
弱いというのは経典ではなく、経典を注釈した論書に過ぎないという意味。

法然ネタでもうひとつおもしろいゴシップを教えてもらった。
「法然上人伝記」に書いてあることだという。
あるとき法然と師匠の叡空が喧嘩をした。
法然「往生するのは称名念仏(声に出す念仏)がもっともいいんです」
叡空「馬鹿者! 観想念仏(想像する念仏)のほうが称名念仏よりもいいのじゃ」
法然「聖教によれば、それは間違っています」
叡空は激怒して法然をボコボコにグーで殴る。
法然「それでも称名念仏のほうが正しい。どうしてわからないんですか?」
叡空「わしの師匠の良忍さまがそうおっしゃっていたからじゃ」
法然「どうして先に生まれたというだけで良忍さまは正しいのですか?」
叡空はぶち切れて下駄を持ち出して来て、法然をこれでもかと殴打する。
法然「聖教をよくよくご覧になってください」

いろいろなことがわかる意味深いエピソードだと思う。
むかしから個性を育てる教育なんかなかったということ。
立場が上の人の言うことは絶対に正しく、反論したら殴られても文句は言えない。
仏僧といえども殴るときは殴る。権力が上ならば下駄で弟子を血まみれにしても構わない。
そして、ときに体罰が人を育てることもある。
好きなことを言うためには、むかしから法然のように組織から飛び出さなくてはならない。
組織ではだれの弟子かというのがかなり重要。
これはいまのサラリーマンがどの上司についていくかで出世が決まるようなもの。
大学院生が指導教授によってアカポス(職)にありつけるかどうかが決定するのもおなじ。

ひろさちや先生の俗っぽさ、ゲスなところがたまらなく好きだ。
比叡山は東大のようなもの。寺院での出世は親で決まる。
こういう本当のことは聖職者ぶった高僧にはとても書けないことだと思う。
ここはひろさちや先生のガチ発言を敬意を表してそのまま抜き書きする。

「当時の状況にあって、比叡山の天台宗における出家が、
僧としての栄達がいちばん見込まれます。
仁和寺や醍醐寺といった真言宗も出世コースです。
南都の東大寺や興福寺もあります。
インド的には、出家者となることは世間的な栄達を放棄することですが、
日本のお坊さんは、おかしなことに
むしろ僧になることによって立身出世をはかる側面があります。
もちろんすべてのお坊さんがそうであったというのではありませんが……。
だから、[西山]上人は久我通親の猶子であるのですから、
その七光りによって、出家しても僧の世界で偉くなれるのです」(P18)


むかしから「人生は親で決まる」は真実だったんだな~。
さてさて、証空は名門寺院ではなく、はみ出し者の法然の弟子になりたいと言ったのだが、
結果としてはおかげで後世に名が残るほどの仏僧になったわけだから、
いい上役を選んだとも言っても、まあ許されるのではないだろうか。
話は変わって、ひろさちや先生が読者からの相談手紙に返事を書かないのは、
以前どこかの著書で読んで知っていたことだ。
本書でひろ先生が批判にどう対応しているのか知ることができた。
一部の仏教関係者は破邪顕正とかおかしなことをひろ先生にも仕掛けてきたのだろう。
先生の基本スタイルは「批判する奴は勝手に批判させておけばいいのです」――。

「わたしなんかも、ときに言い掛りをつけられることがあります。
わたしにすれば言い掛りですが、相手にすれば批判だと思っている。
それをどこかの雑誌に書いて、わざわざわたしの所に送って来ます。
そのときは、わたしはそれを無視するか、相手が知っている人で無視できないときは、
「あなたの言われる点はよくわかりました。
以後、その点に留意して執筆するようにします」と返信を出します。
そうすると、自然におさまります」(P126)


ひろさちや先生は「人はわかりあえる」なんていう幻想を持っていないのだろう。
ねばねばした師弟関係よりもドライな関係を好む人であることがよくわかる。
だからひろ先生はまったく出世していないが、しかし一部読者からは支持されている。
わたしのような変な読者から好かれても迷惑なだけでしょうが、
ことさらファンレターを書くわけでもなく、
だれも読んでくれないブログにしこしこ本の感想を書いているくらいですので、
ひろさちや先生にとってはどうでもいいことでしょう。