どうしてこんな変な人からしかメールが来ないのでしょう。
まったくもって自分の業というものをつくづく考えさせられます。
またも奇怪なメールが舞い込んだのです。
タイトルが英語でしたから、間違えてゴミ箱に捨ててしまうところでした。
相手は70歳の無職のご老人のようです。暇でさみしいのでしょう。
内容は「おまえは間違っている」です。
なんでも書籍の引用をしたときのページ数の表記の仕方が、
彼の知っている学術論文の書き方と違うとのことで、
自分の言うように修正したら少しは「しっかりしたもの」に見えるぞ、と言うのです。
本人もウェブサイトをやっているらしいのです。
また孤独な老人の繰言(くりごと)を読ませられるのかとうんざりしながら
まずプロフィールを拝見しました。
そのプロフィールが笑っちゃうほど長いんですね。
必死になって自分を重要人物のように見せかけている。
こまごまとした過去の肩書を画面いっぱいに表示しておられました。
その権威主義にあきれながらむかしは多少の地位があった70歳のご老人だとわかりました。
当初はメールを無視しようかと思いました。変な人にはかかわらないのがいちばんですから。
これは本当ですよ。宗教やセールスの勧誘は最初に無視することが肝心です。
しかし、さみしそうなご老人には親切にしなくてはなりません。
なんでさみしそうかというと悪口ばかり書いてあるんですね。
小谷野敦という男は最低だの、あいつもページ表記が違うだの。
池田信夫の言うことは自分から見たらくだらないが、ページ表記は自分とおなじだから悪くない。
だれも聞いてませんよ、そんなこと。
しかし、敬老精神を持たなくてはなりません。
さっそく(自分では)丁寧な返信を書きました。

メール、どうもありがとうございます。
くだらないブログをお読み頂き心より感謝申し上げます。
正しくないページ表記で○○様のご気分を害してしまい申し訳ありません。
さて、ご指摘の件ですが○○様が全くもって正しいと思いました。
当方の誤記をここに謝罪致します。
当方のブログは学術論文ではございません。
「本の山」は趣味の読書感想文ブログでページ表示は個人的な備忘のためのものです。
どうかお許し頂けませんでしょうか?

○○様のような地位のある方からメールを頂けたことをとても光栄に思っております。
この度は貴重なご指摘ありがとうございました。
今後とも何かございましたらご指導の程よろしくお願い申し上げます。



これでご納得いただけるかと思ったらダメでした。
要約すると「謝罪などいらない、おまえは間違っている」とのご返信をいただきました。
「P123」というのは通し番号のことだから、読者に正確に意味が伝わらないとのこと。
そのうえでわたしが送信したメールは
「皮肉と悪ふざけ」が感じられるとお叱りを受けてしまいました。
70歳になっても「自分は絶対正義」を主張してゆずらない人がおられるのか。
寿命が延びたから、これからどんどん氏のような迷惑老人が増えていくのでしょう。
誤りといえば、うちのブログには誤字脱字が異常に多いので申し訳なく思っています。

それにしても不愉快ですな。なんでこんなに腹立たしいメールしか来ないのでしょう。
わたしは基本的にメールまでして赤の他人を正そうなんていう気はない。
もし指摘するならば、それでも通じますが、学術論文ではこういう書き方をします。
なにかのご参考になればとお節介なメールを致しました、とか書きますね。
プロフィールが異常に長い人はおかしい確率が高いということが実地で検証されました。
さみしいんだろうな……その気持だけはわかります。
「学校の勉強だけではメシは食えない」(岡野雅行/こう書房)

→先ごろ所得隠しで話題になった痛くない注射針を発明した世界一の職人、
岡野雅行さん(現在)80歳の自己啓発書(成功本)を読む(2007年刊)。
こちら詳細はわからないが先の所得隠し騒動でよけいに岡野さんを好きになった。
だれが税金なんて払いたがるんだよ。
詳細はわからないが(岡野さんは熱烈な自民党支持者でそれゆえ官僚との軋轢うんぬん)、
批判しているのは百%偽善者ゆえ、もし見かけたら痛くないパンダパンチをお見舞いしたい。
税金を喜んで払うやつなんていないと思う。
岡野さんのおもしろいところは、サラリーマン経験がないこと。
二代目社長で成り上がっているのが素敵である。
世の中のプラスマイナスなんてわからないことがわかる。
こうしたらプラスになるなんてきっと言えないと思う。
しかし、岡野さんは偉そうにサラリーマンに説教しているのがいい。
「勝てば官軍」という実社会のルールを証明しているのが岡野雅行さんである。
当方は一生サラリーマンに説教なんかできないと思うから、
そのためよけいに感動したのだと思う。

「サラリーマンは儲からないって何度も言ってるけど、原因のひとつに、
自分に投資していない、っていうのがあるよな。
ノルマやルーティンをこなすのに一生懸命で、自分を成長させることを何一つしていない。
サラリーマンだって腕に職をつけろ。
そうすれば俺みたいに70過ぎても現役で働けるようになるよ」(P112)


こうして岡野さんがサラリーマンに説教できるのはそれだけ稼いでいるからである。
すべての自己啓発書(成功本)はこの原理に基づくと言ってもよいのではないか。

「きみ年収なんぼや?」

「プロ論。才能開花編」(B‐ing編集部[編]/徳間文庫)

→あさましい欲望にかられ成功者のインタビュー集をがつがつ読む。
なによ、それ、成功者のみなさんがみなさん、好きなことをやろうとばかりおっしゃっている。
そんな甘くはねえと思わないかい?
好きなことばかりしていちゃいけないとは思いませんか?
いくら天下の成功者が言っているからといって、好きなことばかりしていたら将来どうなる?
そりゃあ、運のいいやつはいいけれど、みんながみんな好きなことばかりしていたら……。
いまはいいけどよ、将来どうするんだよ。世の中、甘かねえぞ。
成功者のみなさん、好きなことばかりしていたら……ああ、成功したのか。
おれが成功者に説教してどうすんだって。
でもよ、わかるぜ、好きなことばかりしているのは最高に最高だってことは。

「随筆名言集」(作品社編集部:編/作品社)

→副題は「7000篇の名随筆より選び抜かれた心に滲みる真実の言葉1357」。
作品社から出ているテーマごとの随筆集からさらに選ばれた言葉らしい。
言葉フェチのわたしとしてはたいせつにしたい本である。
まず名言とはなにか? 真理とはなにか?

「すぐれた哲学論文を読んだときの感動を抽象化してみると、
「これはまさに私の意見である」という表現に要約できるのである。
つまり、著者の意見が自分の意見になってしまうのが真理の伝達ということであって、
私にとっては、そのように共感させられてしまうのがすぐれた哲学なのである」(真継伸彦P81)


なぜ言葉を読むのか?

「一体読書は娯楽であつて勉強では無いのだが、
読書するのを勉強すると同一に心得てるのが世間の第一の誤解だ」(内田魯庵P181)


娯楽のために生きる。

「人生五十年と思いさだめて、ヤリタイコトヲヤルというのが男の一生なのではないか。
そうやって偶然に七十歳まで生きてしまったのが古稀(こき)であり、
古来稀なりということになる」(山口瞳P21)


せっかく生まれてきたのだから、なにかに狂ったように夢中になりたい。

「多くのものは、クルイタイと思いながらクルエナイのだね。
そのかわりにクルッタものを賛美する。こうしてクルッタものが尊敬を集め、
英雄になったり、あるいは教祖になったりする」(なだいなだP76)


狂えぬものは酔えばいい。

「酔うのにも色々な酔い方があるが、酒は酔うために作られるので、
一升飲んでも、二升飲んでもどうもないとか、酒の味が解れば沢山だとかいうのは、
嘘であるか、あるいはもしそれが本当ならば、飲むだけ無意味である」(吉田健一P101)


博打に酔うのもいい。人生はギャンブルのようなもの。

「ギャンブルの場において人の幸せを願うやつはいない。
極論すれば、みな人の不幸を願っているのだ。
人の不幸の上に成り立つ自分の勝ち、ギャンブルの快楽はここにある」(高橋直子P156)


酒も博打も楽しめぬ男のよさを向田邦子の言葉から教わる。言葉はものを教える。

「記憶の中で「愛」を探すと、夜更けに叩き起こされて、
無理に食べさせられた折詰が目に浮かぶ。
つきあいで殺して飲んできた酒が一度に廻ったのだろう、
真っ赤になって酔い、体を前後にゆすり、母や祖母に顰蹙(ひんしゅく)されながら、
子供たちに鮨や口取りを取り分けていた父の姿である」(向田邦子P37)


他人からの「愛」は迷惑でもつきあってやるという優しさがまた「愛」なのである。
わたしがこの向田邦子の短文から教わったことは思いのほか多い。
しかし、むろんのこと「愛」だけでは生きていけない。

「「他人の悪口を言わない人間」は信用することができない。
人間は、他人の悪口を言うのが大好きな動物なのだから。
悪口を言わないのは相手に対して心を開いていない証拠になる」(嵐山光三郎P119)


こうして好きな言葉を集めたが、果たして言葉がそれほど当てになるものかはわからない。
最後は自殺したノーベル文学賞作家の川端康成の言葉である。

「死についてつくづく考えめぐらせば、
結局病死が最もよいというところに落ちつくであろうと想像される。
いかに現世を厭離するとも、自殺はさとりの姿ではない。
いかに徳行高くとも、自殺者は大聖の域に遠い」(川端康成P57)


「両手いっぱいの言葉 ―413のアフォリズム―」(寺山修司/新潮文庫) *再読

→寺山修司名言集。
10年以上まえ読んだときは、なにやら格好よかったけれど、いまでは響いてくるものがない。
なーに言ってんだよ、ぷっ! とか思ってしまうんだからダメなおっさんになったもんだ。
寺山修司の言葉は、お新香で薄いウイスキーの水割りをのんでいるような情けなさがある。
さて、もうとっくに死んでいるからわかるけれど、寺山は人生という賭けに勝ったのである。
そう考えたとき、以下の言葉はなにやら意味深である。

「賭博には、人生では決して味わえぬ敗北の味がある」(P216)

若いころからちやほやされまくった人生だったから、
賭博でくらいしか敗北を味わえなかったのか。そりゃあ、お気の毒だな。
たしかに人生は賭けで、しかも勝敗はすでに決まっている賭けなのである。

「はじめて賭博をしたときの私は「勝ちたい」とは思わなかった。
勝ちたいのではなく「知りたい」と思ったのである。
私自身の恒星の軌道を、運の祝福の有無を、
そして自分自身のもっとも早い未来を「知りたい」。
勝負を決めるのは、いわば見えない力の裁きのようなものであって、
それは、どう動かすこともできないだろう。
だからこそ「知りたい」のであり、賭けてみなければならないと思ったのである」(P221)


勝ったときは自分の眼力がよかったとか誇ったんじゃないかい、寺山さん?

「ジオノ・飛ばなかった男 寺山修司ドラマシナリオ集」(山田太一編/筑摩書房)絶版

→騙されたいよな、と思った。
活字で見るかぎり、寺山作品に何度も繰り返し出てくるのが「嘘と本当」である。
なんにもないんだから、せめて騙されていたい。
同時代を生きた若者は、それなりに寺山修司に騙されたんだろうけれど、
これはいまでは通用しない。いくら騙されようと思っても騙されないよ。
騙されるというのは信じるということである。
騙されるに足るものがないのでつまらない。
どんどんネットで裏が暴かれて、なにも信じることができなくなってしまう。
しかし、ネットが本当かはわからないんだから、もっと嘘の可能性はあると思うのだが。
女を騙すのはこちらの甲斐性では無理なようだから、
せめて女に騙されたいけれど騙されるのにもある種の才能がいるから難しい。
インチキに騙されてみたいと思った。
できたら騙してみたいけれど、騙されるのもまたいいのではないかと思った。
最後まで騙したら、最後まで騙されたら、それが真実になるのだから。
嘘を本当と死ぬまで言いつづけて嘘を本当にしてしまうような人生はいいと思った。
本当を嘘にするのも嘘を本当にするのも言葉だから、騙されるのも騙すのも言葉なのだろう。
そのためには賭けるに足る言葉をもっと蓄積しなければならないと思った。

「生きる悪知恵 正しくないけど役に立つ60のヒント」(西原理恵子/文春新書)

→こんなくだらない人生相談が売れるなんて世も末だと思った。
みなさん、どれほど自分で考える力がないのだろう。
しかし、すぐさま思い直す。ぼくが間違えていたのである。
どうしても人は自分が正しいという錯覚からなかなか抜け出せない。
間違えているのはぼくのほうで、多数派から支持されている本書は正しい。
こういう謙虚な姿勢がなかったから、結局のところぼくは人生でしくじってしまったのだ。

「女の人ってポイントカード制だから、
ずーっと何も言わなくてもポイントは貯まってて、
最後の何気ない一言でカードがいっぱいになって、
激怒して別れたり刺したりするんだから」(P107)


「女の人は一回別れた男にはまったく会いたくないし、どうでもよくなっちゃう。
ホント不思議なんだけど、あんなに好きだった人が、
ある日、急に路傍の石になってしまうという」(P188)


どうして自分の意見ごときが「女の人」全員を代弁していると信じられるのか
鈍感なぼくは何度繰り返し読んでも(ウソで~ちゅ)わからなかったが、
この「女の人」の白痴性とゴリ押しこそ、いまの世の中の正義というものなのでしょう。
星五つ。人生勉強になりました。買って損なし。現代人必読の書。ここに学べ。

「精神のけもの道」(文:春日武彦/漫画:吉野朔実/アスペクト)

→精神科医の春日武彦さんのエッセイはどうしてこうも笑えるのだろう。
いまもチェックしておいたところを読み返して、何度も何度も大笑いした。
腹を抱えて笑うというくらい現実に爆笑しているのである。
もう1時間くらい笑いつづけているのではないか。
笑いというのはどういう仕組みで発生するのだろう。
たとえば人気喜劇作家に三谷幸喜氏やクドカン氏がおられるけれど、
正直に白状すると、両作家のテレビドラマは一般的尺度でおもしろいのはわかるが、
実際に笑うかといったらば笑わない。
「身体は正直だな、グフフ」というようなセリフにうまく笑えないのである。
「あれは高卒の笑いだろう」なんて東大卒の「もてない男」氏のようなことを
当方は口が裂けてもいえないけれど、だれかがいってくれたらこっそりうなずくと思う。
ねじくれてねじくれてねじくれたやつの笑いが春日武彦氏の笑いのような気がする。
底辺は「上から目線」の笑いにひどく反発するが、
その気持に共感するけれど、しかしやはり精神科医の患者を見下す文章は笑える。
こんな文章で大笑いするわたしはよほど下劣な品性を持っているのだろう。
書いたのは春日武彦という精神科医ですので、抗議はそちらへお願いします。

「ところで精神科に通ってくる人たちの中には、≪日記系≫とでも称すべき人々がいる。
おしなべて彼らは話が長い。些細なことまで残らず、くどくど語りたがる。
実際に日記を携えてきたり、覚書のようなノートを持参し、わたしに読めと求める者もいる。
そして彼らの話や書かれたものは、おそろしく退屈である。
詳述される日常生活の中に、不平不満や恨み節や自己憐憫が混ざる。
あなたなりに問題点を絞ったりまとめたり、そういったプロセスこそ大事なのではないか
と指摘しても、彼らは聞き入れない。時間などお構いなしに自分語りをし、
わたしに賛同やコメントを求めることを以て
「ありのままのわたしを受け止めてもらう」と理解しているようなのである。
つまり自分自身を丸投げするということになる。
口調は丁寧で謙(へりくだ)っている。
あれこれ助言を求めたがり、ただし辛口のアドバイスは受け付けない。
結局のところは「人間だもの」的なコメントを喜ぶ。
当方もそういった類のことを心掛けて口にしてみると、
嬉しげにその言葉を雑記帳にボールペンで書き取ったりする。
書き取るけれども、自分自身を変える気はまったくない。
「なるほど!」とボールペン片手に深く頷(うなず)く瞬間が、最高の娯楽なのだろう。
ときおり電車の中で、自己啓発書や宗教関連の本を開きつつ、
アンダーラインを引いている人物を見かけることがある。
ああいった人に近い。彼らはあたかも謙虚で従順なようだが、
実は自分が気に入った言葉を聞くまで引き下がらない。
ただしその「言葉」は抽象的で励ましのトーンを含んでいる必要がある。
そういった意味で、彼らが求める言葉を語ることは至極簡単である。
が、簡単だからといってそれを平然と口にすることには、わたしには抵抗がある」(P110)


こういう箇所に泣くほど笑ってしまうわたしは、
世間知らずでインテリぶっている、庶民の悲哀を知らない最低の野郎なのでしょうね。
本当にごめんなさい。よくよく考えてみれば、
悪いのは笑ったわたしでこの文章を書いた春日武彦医師ではありませんでした。

「狂いの構造」(春日武彦・平山夢明/扶桑社新書)

→精神科医とその元患者だったらしい(いまも?)ホラー作家の対談である。
ファンだから批判めいたことは言いたくないけれど、
春日武彦氏もけっこういいかげんなところがある。
ほかの著作でもこのエピソードを見かけた記憶があるけれど、
いくら精神科医でもテレビで見ただけでだれかを精神病だと診断するのはいかがなものか。
春日医師は、「笑っていいとも!」でジャック事件を起こした
作家の有吉佐和子を躁病だと決めつけている(P138)。
しかし、小谷野敦氏の本によると、あれはすべてテレビ局の「やらせ」だったらしい。
橋本治氏が番組担当者から聞いた裏事情をエッセイに書いているとのこと。
(以上は小谷野敦氏「友達がいないということ」P47による)

とはいえ、本書で繰り広げられる精神科医の本音は楽しい。
精神科医がおすすめするいちばん楽な自殺方法は練炭とのこと。
あまりにしんどい話を聞いたとき、春日医師は飼っている猫に告白するらしい。
精神が健全な証拠は秘密を保てるかどうかだという。
実際、統合失調症の妄想はどれも秘密をめぐってのものとなる。
精神科領域の病気を「治す」ということにも、春日武彦医師はかなり懐疑的である。
いまから紹介するのは身もふたもない意見だけど、
おそらくこのあたりが長年臨床をやった精神科医の本音なのだろう。
この程度に思っていなかったら、精神科の勤務医なんてやってられないのかもしれない。

「だから、俺なんか、人格障害のヤツなんかを扱ってても、
治そうという気もないし、治ると思ってもないし。
じゃあどうするかって、相手が年取るのを待つわけだから。
その間をまあ、そんなに外さないでくれりゃあいいと思ってるんだけど」(P58)


「(前略)この商売を長くやってると、一応「患者の幸福」をゴールと考えるとさ、
その幸福をどの辺に見定めるかっていうのがものすごく難しくて。
やはり、本人だけでなくて家族単位として考えないとダメだから……。
だいたい、狂人なんてさ、単体だと「これは困った」ってことになるけれど、
家の中に狂人が出たから、ほかの家族がそれに対抗するために結束して
仲がよくなりましたというようなこともあるからね。あるいは
「そういう困ったヤツが出たんで、やっと生き甲斐を見つけました」とかさ。
全体として眺めると、少なくとも多数決でいえばさ、
「こいつはおかしいほうが世のため」
みたいなことがいくらでもあったりするからね」(P79)


いやあ、ガチっすね、春日さん。
よくいままで患者に刺されなかったと運のよさに感心する。
そういえば別の著書で医者の才能は運のよさだと語っておられた記憶がある。

「17歳という病 その鬱屈と精神病理 」(春日武彦/文春新書)

→いまから11年まえに書かれた精神科医による若者論である。
春日武彦さんもむかしは社会派論客になろうとしていた時期があったのかな。
キレる若者や援助交際をする女子高生が批判的に論じられている。
思えば、11年まえの若者はいまより元気があったのかしら。
いまの若者に対するこちらの間違った勝手なイメージは、
安定した公務員になるのに必死なマジメな子たちといったところだから。
学生時代に体育が大嫌いだったという春日武彦医師の、
言葉が通じなそうな体育会系若年男子への憎悪が本書からよく理解できた。
しかし、語彙が少ない若者は、そういう劣悪遺伝子を生まれつき持っているんだから、
それはもう努力ではどうしようもないわけで、
当時松沢病院医長だったお偉い春日先生がそこまで怒るのもどうかなと思った。
わたしも中高と体育会系男子だったから、批判されている対象に同情してしまうのだ。
春日先生が体育を嫌いなのも生まれつきで、努力してもどうにもならないのだから、
文学好きの精神科医が語彙の貧弱なものをそこまで差別するのはかわいそうではないか。
実際、あからさまな蔑視がここかしこに見られるのである(読んでいて楽しいが)。
いやいや、精神科医の春日武彦氏の主張は極めて正しいのである。
医師は言葉の重要性を語る。ここはたいへん勉強になった。
ちょっと難しいところもあるので、春日先生の文章を赤字で補足しながら抜粋する。

「言葉の問題は、結局のところ、世の中に対する違和感の問題に行き着くだろう。
あるいは精神の安定だとか自己抑制といった問題に帰着する。
些細な腹立ちも、ちょっとした不満も、
言語化という手続きによって自己の感情を客観視し、
それに応じてきめ細かく状況を整理することで初めて自分の気持ちをなだめたり、
あるいは「ありがちなエピソード」としてメモリーの隅に放り込んでおけるのである」(P159)


「私(立腹・不満→言葉)→世の中」

「ムカつくとかキレるといった言葉が世間に広く流通していれば、
そうした言葉の持つ吸引力によってたちまち頭の悪い連中は
ムカついたりキレる役割に嵌(は)まり込んでしまう。
流行語にはそれなりの心地よさと共に
世間からの「承認」といった性質が備わっているのである」(P160)


「私(……)←世の中(ムカつく・キレる)」

「このことを換言すれば、精神科の外来で出会うノイローゼ・レベルの患者のうち、
語彙の乏しい人はこちらの指導や助言で比較的治療効果が出やすい。
もちろん、胸襟を開いてくれたうえで、といった条件つきではあるが」(P160)


「精神科医(指摘・助言=言葉)→私(……)→世の中」

「逆に、言葉が豊かなのに精神症状に問題をきたしている人は厄介である。
元来、人格構造にかなり歪みがあるか、
語彙こそ豊富だがそれが身についていない人か、
そのどちらかということになってしまう。
そのような人々は、おしなべて「根が深い」のである。
精神科医を容易に信用しないくせに、ちっとも治らないじゃないかと
挑戦的になってくるのも、大概こういった人たちなのである」(P160)


「精神科医(指摘・助言)←私(うるせえバカ!)」

これはあくまでもノイローゼ(神経症)レベルの話だと医師も断っている。
精神病(統合失調症・双極性障害)になってしまうと言葉もへったくれもないのだろう。
わたしもいくつか神経症めいたものを抱えているけれど、
春日先生の言葉が本当ならば、精神科に行ってもあまりよくならないのだろう。
春日医師の嫌いな体育会系バカほど心を病んでも治りやすいというのは皮肉なものである。
体育会系バカは上の言うことには絶対服従だから、
精神科医の指摘や助言を疑いもせずに受け入れて、このため社会適応も早いのだろう。
ということは体育会系バカとは正反対の自らも病んだ精神科医の春日氏は「根が深い」――。

「心の闇に魔物は棲むか」(春日武彦/光文社知恵の森文庫)

→副題は「異常犯罪の解剖学」。
凶悪犯罪を起こしても、精神病と認定されたら、
責任能力なしでほとんど無罪放免になるわけだが、だれがそれを見極めるかといったら、
精神鑑定医つまり精神科医なのである。
どうでもいいことかもしれないが、本書によると精神鑑定医はコネで決まるらしい。
さて、では、ある犯人が精神病かどうかというのは皆目一致の見解があるものなのか?
もしかしたらかなり恣意的(適当)にふるいわけられているだけではないか?
本書で春日武彦氏は自身の臨床体験をもとにして問題提起する。
わたし個人としては、人生は不公平なものでほとんど運であるというあきらめがあるから、
精神病で責任能力なしと判断された犯人は幸運だったのだろうとしか思わない。

春日医師の本のおもしろさは、狂人をコミカルに描くところである。
鋭い論考や社会問題提起よりなにより、春日氏独自の症例報告みたいのが楽しいのだ。
春日先生には「今まで出逢った狂人たち」といった集大成をいつか書いてほしい。
いまくらい偉くなったら、多少人権やらなにやら無視しても、
そういうキャラクターだとすでに認知されているから、
相当に不謹慎な笑えるものが書けるのではないか。本書ではここがいちばん笑えた。

「名刺というものは、なかなか興味深い。
自己紹介の道具として名刺は印刷され配られるわけであるが、
そこに自己顕示欲だとか見栄、表現欲求や世俗的な思惑などが込められて、
ときおり奇妙な名刺が出現する。
発明妄想に取り憑かれた統合失調症患者の自宅を訪ねたときは、氏名と一緒に宋朝体で
「宇宙大ストリップ学」と記された名刺を本人から貰ったのであった。(中略)
自作の小説のタイトル(自費出版)を並べた名刺を配る神経衰弱気味の若者は
うんざりするほど物悲しかったし、
親指の爪よりも大きな活字で自分の名前を名刺へ印刷したジャーナリストには、
どこか精神的に不安定なものを感じずにはいられなかった。
さて、かつて勤めていた病院に、躁病の精神科医がいた。(中略)
その躁病のS医師が、名刺を新しく刷ったからとわたしにくれたことがある。
びっしりと肩書が添えてあって、まこと権威主義的かつ威圧的な名刺だった。
実家が会社を経営していて、その関連の役員だったりするのはともかくとして、
昭和○年医師国家試験合格だの、ナントカ新聞健康欄寄稿だとか、
どうでもいいことまで書いてある。もはやキッチュとしか言いようがない。
苦笑せざるを得なかった」(P206)


名刺ではないが、ブログのプロフィールが異常に長い人も笑える。
自称カウンセラーみたいのが、長々と小学校の思い出から書きつづっていて、
心を病んでいるのはおまえのほうではないかと思わせるものがある。
精神科医の春日武彦氏の本を読んでわかるのは、
狂うというのは自分をこじらせるということなのかもしれない。
そして、春日医師もその愛読者(わたしのこと)も見事に自分をこじらせているのが物悲しい。
そしてそして、ちょっとだけ笑える。この自嘲の笑いが救いなのだろう。

「顔面考」(春日武彦/河出文庫)

→精神科医の書いた古今東西、顔に関するよもやま話である。
むかしいつだったか父と逢う約束をしていて某所で待ち合わせたことがある。
そこで先に来ていた父が興奮して言うのである。
「あそこにおまえそっくりのやつがいるぞ」
興味がないので受け流そうとしたが、父はしつこく「ほら、見てみろ」
と悪趣味にある男を指さすのである。
そこにいたのは自分とは似つかぬ、いかにも野暮そうなずんぐりむっくりした男であった。
自分は人からはあのように見えているのかとひどいショックを受けたものである。
楽しそうに興奮している父に怒りをぶつけたが、
結局なぜわたしが憤っているのか理解してもらえなかった。「おまえはおかしいよ」
まあ、こんなものなのである。いまでは父の指摘のほうが当たっていたのだと思う。
むしろ、あの男のほうがわたしなどよりはいささかましではなかったかと思うくらいだ。

春日武彦医師もパーティー会場でおなじ体験をしたことがあるという。
「きみにそっくりなひとがいる」と言われ、見にいったことがあるそうだ。
ところが、友人の指さす方角を見たら――。
両手をポケットに突っこんだまま年長の人物と談笑する小生意気なやつがいた。
第一印象は、不満と不快感だったという。
「え、あんな不細工なやつとおれとがそっくりだって?」
腹が立つのと同時にさっそく内省的な精神科医は自分の顔を分析していて、
そこがおもしろい。
これを読んで春日武彦医師の顔写真を検索しないものは、
もっと他人に興味を持ったほうがいい、というのは間違えで、
ここが春日先生とわたしに共通する錯誤なのだが、人は他人の顔にそれほど関心を持たない。
春日氏は自分の顔をなるべく客観的に分析しようとする。

「けれども実際のところ、よく観察すると、彼の顔がわたしと似ているという
その根拠らしきものが薄々分かってくる。それはわたしにとって、
自分の顔だちに浮かび出た疎ましさであり、小心さと傲慢さと、
自信欠如と居直りとナルシズムと、まあそういった精神的要素が一定の比率で
ブレンドされた挙げ句に作りだされている一種の雰囲気ないし表情といったものである。
あえて無視したくなるようなまことに「うっとうしい」ものであり、
内面の安っぽさや俗物さをそのまま形象化した顔つきのことなのである。
そういった自己嫌悪を催す要素を友人は目敏く感知し、
まさにそれがわたしという人間の顔の特徴であると看破し、共通したものを持つ
別人を見つけ出して、「そっくり」であると宣言したのである」(P128)


春日医師の顔写真とこの文章を比較すると、よく自分の顔をわかっているなと感心する。
ちょっと笑いがとまらないところがある。
さて、本書のなかば過ぎで、春日武彦氏は自分が醜形恐怖症の傾向を持つことを告白する。
醜形恐怖症とは、自分の顔が異常ではないかと恐怖する神経症の一種だ。
具体的には、春日医師は自分の顔が他人に不快感を与えると信じているようだ。
なんでも、初対面でまだなにも話していないのに、敵意や反感を示されることが多いという。
ほかの本で読んだ記憶があるが、レストランで無視されることも多いそうだ。
顔を見た瞬間に、露骨に小馬鹿にされたこともあるという。嫌悪の表情を浮かべた人もいた。
自分の顔が嫌いで、スナップ写真や集合写真を渡されても見ないでシュレッダーへ放り込む。
鏡を見るときは、自己暗示をかけて感情を麻痺させた状態にする。
自分が精神科医になったのは、醜形恐怖症への対処策のひとつであるとまで白状する。
むろん、ならば本書を書いた理由もそういうところにあるのだろう。

失礼な話だが、たしかに春日医師の顔は、なんだかこちらをムカムカさせるのである。
みなさんも一度、ご覧になっていただきたいが、たしかに殴りたくなるような顔をしている。
このところが春日医師が醜形恐怖症ではなく、
本当の奇面、異面の類ではないかと思われるところで、
「中年以降の男は自分の顔に責任を持て」などという俗言があたまに浮かんでくると、
失礼にも程があるのだろうがクックックと奇妙な笑いが腹からこみあげてくるのである。
ちなみに、この笑いは自分もまた醜形恐怖症の傾向があることに関係していると思う。
わかるよ、春日先生のお気持はわかりますよ、なのである。
わたしも自分の顔が嫌いだから、写真を撮られるのを可能なかぎり避けている。
写真をもらってもさすがに捨てはしないが、見ないで片づけるところはおなじである。
メガネをかけていてよかったと思うのは、床屋で自分の顔がぼやけてよく見えないからである。
さいわいなことに、春日医師ほど醜形恐怖症をこじらせていない。
大して記憶に残らない「よくあるおっさん顔」くらいの自己認識を保つことができている。
春日先生のように、他人に不快感を催させる異常面相という心配はこちらにはない。

繰り返して申し訳ないが、春日氏の問題点は、本当は醜形恐怖症ではなく、
醜形とまではいかないまでも、事実そうなのではないかということである。
とはいえ、春日武彦氏もどうやら最近は醜形恐怖症を克服したようだ。
最新刊の帯にでかでかと自分の顔を宣伝として使っているのを見たことがある。
そこまでよく見ていないが(しつこいが、人はそれほど他人の顔に興味を持たない!)、
そういえば春日医師の顔は少しマイルドになったような気がしなくもない。
まさかとは思うが、整形でもしたのだろうか。
春日武彦氏はたぶん厚手の本書でなにかの賞を取ることを狙っていたのではないか。
それは失敗したけれど、おそらくこの本を書いたことが醜形恐怖症脱出への一歩に
なったのは間違いないので、よかったではありませんか、と届かぬメッセージを送ろう。

「屈折愛」(春日武彦/文春文庫)

→精神科医の春日武彦氏のこの本を読んで、精神医学とは物語なのだとつくづく思った。
変な人がいて周囲が迷惑している。
変な人本人も自分はおかしいのではないかという、うっすらとした自覚はあるものの、
まさにその変な感じを言葉にすることができない。
そこに精神科医が現われ、それは「○○」だと指摘することで、本人も周囲も安心し、
その安心に支えられた正しさをベースにして精神科医が変な人と面談するのである。
古典的なものでは統合失調症(精神分裂病)や双極性障害(躁鬱病)がそうである。

春日医師も精神医学のこの仕組みに本書において自覚的である。
というのも、新しい言葉に関する説明からこの本を始めている。
精神科医がまず指摘するのは「B級」という言葉である。
B級映画、B級グルメ、B級ニュースなどで使われるあれだ。
春日医師は「B級」という言葉が世に出たことによって、ある種の嗜好が明確化され、
その感覚が社会で広く市民権を得るにいたったという。
おなじような言葉に「電波系」があるともいう。
さて、本書の親本(単行本)のタイトルは、
「ザ・ストーカー/愛が狂気に変わるとき」だったという。
書かれた背景には当時(1997年)のストーカーブームがあったとのこと。
たしかに新語「ストーカー」も「B級」や「電波系」といった言葉の同類である。
新語が世に出たことによって、言葉の意味が広がり、ある種の人を説明してしまう。
いまわたしが思いついたのは「中二病」というのもそうである。
ある種の現象や人的タイプを説明する新語を、
管理および操作する役割をたとえば春日武彦氏のような精神科医がになっている。

で、本書はまだ定義すらない新語「ストーカー」の説明、物語を目的にしている。
春日武彦医師は、精神医学に30年ほどまえから登場するようになった、
「ボーダーライン人格障害」をストーカー物語の補強として用いる。
ストーカーのようなことをする変な人たちはボーダーライン人格障害の疑いがある。
春日医師のこの説明で当時の読者たちはそれなりの安心をおぼえたことであろう。
まったくの新しい現象ではなく、かつてからあったという物語が与えられたからである。
自身のストーカー加害者体験を小説に書いた「もてない男」がいるが、
たしかにボーダーライン人格障害はその人物の説明として妥当なように思う。

「ボーダーライン人格障害の人々は、
人間相互の「無条件の信頼感」というものに欠損がある。
疑い深いというよりも、対人関係に根源的な不安感がある。
他人を信頼できぬがゆえに強い「よるべなさ」があり、
常に見捨てられることを恐れている。孤独や孤立を恐怖している」(P91)


はっきりいって、わたしも含め、こういう人はごまんといるのだが、
たぶん春日医師もその傾向があるし、むしろ当てはまらない人のほうが少なそうだが、
それだけに、言葉は悪いけれど学のない人ほど
ボーダーライン人格障害という言葉に救われるのである。
僕のモトカノはボーダーライン人格障害だったのか! 
あの上司は間違いなくボーダーライン人格障害だ!
皮肉なことをいうと、精神科医以外が病名をつけても該当者は病人にはならないのだが、
しかしそれでも嫌いな不愉快なやつが世にたくさんいるボーダーライン人格障害だという
物語を得ることで、(自称)被害者は深い心の安らぎをもたらされるだろう。
ボーダーライン人格障害本人はめったなことでは自分からは病院に行かないと思うけれど、
あまりにも周囲の迷惑になる若者は命令されてボーダーライン人格障害の病名を、
たとえば春日武彦氏のような精神科医から押しいただいてくることだろう。
バカな若者はボーダーライン人格障害という言葉に選民意識を感じることもあろう。
これが精神科医の社会的機能のひとつである。

しかし、本書でも指摘されていたが、どっちが異常(妄想)かというのは難しいのだろう。
たとえば、大学教授が女子生徒にストーカーを仕掛けた場合、
立場においては教授のほうが上だからなかなか真相が露見しないことになる。
本書を読んで思ったが、最強のストーカーは精神科医が行なうものではないか。
とはいえ、こと春日武彦氏にかぎっては、いつも自分が異常ではないかと疑っている面があり、
このため春日先生のような人はめったにストーカーにはならないという法則は見いだせよう。

「歩くアジア」(下川裕治・阿部稔哉/双葉文庫)絶版

→旅とは偶然に身をまかせる行為である。
たとえパック旅行でも予定どおりに行く旅は海外未開発国の場合、
そこまで多くはないのではないか。
しかし、まさにそこがいいのである。旅はハプニングがいい。
予定外に立ち寄った場所で、こんな美しいものがあるのかと驚くのが旅である。
思うようにならないことで逆に収穫があるのが旅とも言いうる。
計画どおりに見たタージマハルやアンコールワットなど、
まったく記憶に残らないと思う(間違えていますか?)。
ならば、旅においてはハプニングやトラブルをもっと歓迎しなければならないのだ。
本書でも旅行者が窮地に追い込まれるところがある。
そのときの作者の思いは美しく正しい。

「正直なところ、もうどうにでもなれ、という心境だった」(P382)

結局は「なんとかなる」のだが、
そこには「どうにでもなれ」というあきらめがプラスに作用しているように見える。
「なるようにしかならない」という真実が本書のような旅行記を読むとよくわかる。
思ったようにはならないということをたしかめるのが旅という行為なのかもしれない。
これは下川裕治氏の複数の著作から教わったことである。

「夢街道アジア」(日比野宏/講談社文庫)絶版

→日比野宏さんのアジア放浪ものは大好きなので、これが最後だと思うとさみしい。
いまは経済発展のせいでどんどんアジアもインドもつまらなくなっていそうだが、
それでも若者には海外無鉄砲ひとり旅をおっさんはおすすめしたいのである。
旅とは人生であるとは偉い人がよく言っているが、
言葉の通じないところをひとりで旅すると
いろいろ人生についてわかったような錯覚が得られるのがいい。
ひとりで未開発の国を旅をするとなにがわかるのか?

1.旅(=人生)は決して思うようにならないがそこにこそ楽しみがあることがわかる。
2.ピンチになっても思いがけないことが起こり「なんとかなる」ことが実感としてわかる。
3.人は見かけによらないことが軽い痛みをともないながらわかる。

インドなんて近づいてくるのは大半が詐欺師だから騙されるいい勉強になる。
騙されてもせいぜい千円くらいのものだから、勉強料としては激安である。
(言うまでもなく、もっと悪質なものもありますが、ほとんどがせこい騙しです)
わたしも世界各地で(というほどの旅はしていませんけれど)いろいろ騙されたが、
結局人は見かけによらないのだ。
思いきり怪しそうな人が困ったときに助けてくれて感動したこともある。
ひとりで旅をしていると旅行者同士で助け合わなければならないことも少なくない。
そういうときに相手を信頼できるかどうか判断する勘も旅で磨くことができよう。

「行きずりの旅行者となんらかのきっかけで話す場合、
まずお互いに名を名乗らない。職業を明かさない。つぎにプライベートな話をしない。
二度と会わないであろう旅行者同士の、自然にそなわった知恵でもある」(P11)


旅行初心者ほど相手の身分を聞いて騙されるようなところがあるのだ。
どうして日本人の甘ちゃんは相手が本当のことを話すと思うのだろう。
ひとり旅では、相手のことをなにも知らずに、信頼できるかどうか賭けなければならない。
名刺交換などいっさいないのである。そこが楽しい。
ひとり旅ほど楽しいものないのではないか。
ひとり旅を描いた本書もとてもよかった。
冷静に考えると共通言語のない現地人と著者がふつうに会話しているのが噓くさいが、
実際に海外ひとり旅をしたことがあるものならば、
言葉が通じなくてもそれなりの会話ができることはみな経験しているはずである。
なにより万事において、日本のやり方が絶対的に正しいわけではないことがわかるところが
海外ひとり旅のよさであり、またこういった旅行記を読む楽しさでもあろう。

「女の好きな10の言葉」(中島義道/新潮社)

→中島義道博士はご専門の哲学書よりも(あったっけ?)ライトエッセイが楽しい。
えんえんと女の悪口を並べた本書もケタケタ笑いながら読ませていただいた。
中島哲学博士はこの本のなかで、女をめちゃくちゃ悪く言っているが、
どうして(わたしも含めて)人は露悪的なことを真実だと思いたがるのだろう。
なぜか露悪的なことを言ったほうが本当(真実)らしく聞こえるのである。
どんな偉人にも裏話というのがついてまわっており、
それを聞いて「ああ、やっぱりね」なんて安心してからようやく
対象を愛せるような浅ましさが我われにはあるような気がする。
女は人間のクズというのが正しい一方で、女は母なる美しさを有しているのだと思う。
どちらも正しいのである。
中島博士やストリンドベリが言うように、女は人間のクズというのは真理である。
同様に女は人間の美しき結晶というのもまた同時に真理なのである。
もちろん、中島哲学博士もこんなことくらいは知っているのだが、偉大なる氏は、
真理なぞは退屈で悪口こそおもしろいという人間の下劣さにも天才的に通じておられる。
さすがは中島博士、あっぱれでありますぞ。

「偏見であり下品であることを覚悟で言いますと、
ひどいブスでも、隣にひどいブサメンの夫がいて、そのあいだに両方に似た
そろいもそろって醜い顔を晒した子供たちをぞろぞろ連れていると、
ほのぼのした気分になってくる。
彼女を選んだ男がいて、彼が彼女を妊娠させたと思うと、
なんだか「安心する」のです」(P16)


中島義道博士の悪口のうまさには舌を巻く。この文章は笑いがとまらなくなった。
小説家よりもある意味、文章がうまいと思う。

「小説家とは、たとえどんな周囲の者が苦しんでも、自殺さえしても、
それでも書いてしまう、という悪魔性を持たねばやっていけないのかもしれません」(P51)


でもさ、博士、本当に吉行淳之介の小説がおもしろかったですか?

「女は自分で評価するということが限りなく苦手であって、
「みんな」の憧れる人が好きであって、「みんな」の無関心な人に無関心であって、
「みんな」の軽蔑する人を軽蔑する。
だから、残酷なことに、「男の偏差値」はほぼ客観的に決まってしまうのです。
それにしても、少女のころから軽薄な有名人に夢中になってキャーキャー騒ぎ、
(大の?)おばさんになっても、韓流スターを追いかける
あの凄まじさは恥も外聞もあったものではない」(P138)


一見もっともらしいですけれど、ここは女を人間に言い換えても文章は成立する。
女だけじゃなくて、人間なんてそんなものとも言える。
男だっていい歳をしたおっさんがAKB48とか、ねえ……。
同様、女を男に言い換えたら「女の偏差値」も客観的に決まることになる。
クラスの男連中でこっそり女の順位とかつけていたよね。
にもかかわらず、あれだけの数の男女がそれぞれの偏差値に応じて
みなさん結婚しているのは心底から立派だと思う。
ブスとブサメンの夫婦、子供連れを見るとなにか和むという、
最初引用した中島博士の下品発言にも通じる当方の感慨であります。
悪口っておもしろいね♪

「人を愛することができない」(中島義道/角川文庫)

→当時の著者は自己愛が強すぎて「人を愛することができない」ことに悩み、
うだうだ長たらしく自分の過去や家族のことをこの本に書き連ねている。
「だれもおまえに興味はないぞ」は言ってはいけないことになっているので、
もう少し発展的なことを書くと、
著者は本書で自問自答をしており悩みへの回答も律儀に書かれている。
「人を愛することができなくても別に構わない」が答えであろう。
だいたい女子供の好きだというテレビドラマが諸悪の根源なんだと思う。
家族は愛し合わなければならない。
子供はかわいく親子愛ほどすばらしいものはない。
男女は結婚したほうがいい。
男女の恋愛ほど美しいものはない。
友人のたくさんいることが良質たる男女の証拠である。
以上のような主にテレビから垂れ流される社会規範こそ我われを苦しめているのである。
夫婦(および家族)は愛し合わなければならないなんて、なにかに洗脳されているから、
愛されないことや愛することができないことに悩まなければならなくなるのではないか。
恋愛なんて別にしなくてもいいし、友人がいなくてもいいし、
家族で憎しみ合うのもまたオツなものである。
それが当たり前なんだよ。悩むこたーない。
しかし、悩む快楽を突き詰めたのが哲学だから、
本書で著者は何度も自慰の絶頂を味わったことだろう。
実のところ愛情や友情といった概念が我われを苦悩に導いているだけなのだが、
哲学者が熟知しているよう苦しみ悩むのもまた人生の味わいだから、
今日も明日も明後日も人は愛についてときにうっとりと、または髪を振り乱して問うのであろう。
愛ってなに? もっと私を愛して! それが愛なの?

「友達がいないということ」(小谷野敦/ちくまプリマー新書)

→友達という言葉に関する最大の恐怖はあれである。
かりにこっちが友達だと思っていても、相手がどう思っているかわからないということだ。
要するに、他人の気持はわからない。
よって、ぼくは自分に友達がいるのかどうかわからない。
なぜなら、たとえぼくが友達だと思っていても、向こうはそうではないかもしれないからだ。
基本的に家族以外の人間関係は(家族も例外ではないとも言えるが)損得が入らざるをえない。
ぼくはプラスマイナスを見たら、あまり相手に与えられるプラスがない。
一緒にいても見栄えするわけでもないし、話もつまらないし、他人に合わすのが苦手だ。
たまに一緒にいてくれる人や話し相手になってくれる人がいると
感謝で胸がいっぱいになる(大げさやね)。

友達は幸福とおなじであまり考えないほうがいいような気がする。
友達ってなんだろうと考え始めると心が病んでくるようなところがないか。
やたら孤独感が強いらしい著者が主張するのは、
顔の見えない名前も知らないネット友達も友達と思っていいのではないか?
これは人それぞれでそう思える人はそう思って孤独をごまかせばいいのだろう。
ぼくは相手のブログを毎日読みに行くような行為をなぜかストレスに感じてしまうので、
ネット友達はできにくいだろう。

著者の分析では、テレビ番組「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングにおける、
「友達の友達は友達だ、みんなで広げよう、友だちの輪!」というキャッチフレーズが
「友達至上主義」の圧力をいっそう強めたということである。
たしかに「友達の友達は友達か?」というのは、かなりおもしろい問題だと思う。
社交的な友達の多い人は「友達の友達」をその後友達にしていることに気づく。
ぼくは友達の友達というのがいまのところどうやら苦手なようだ。
二人でいるのが好きで、三人、四人となると立ち振る舞いがぎこちなくなる。
今後修練を積まなければいけないのかもしれないし、どうにもならないのかもしれない。

ぼくの結論――。
友達はいたらいいのだろうが、しかし作ろうと思って作れるわけでもなく、
友達なんていらないと思っていても気が合うやつはふと現われるもので、
そうはいっても人はいつか離れていくものだから依存せず、
もしかしたら友達がいないことよりも、
友達がいないと見られることを怖れているのではないか、ということに気づいたうえで、
なるべくひとりでもできる好きなことの研鑽を積んでおくべきだろう。

「偽善の医療」(里見清一/新潮新書)

→医者の本音が書かれた本ゆえペンネームだが調べればすぐに本名が出てくる。
国立がんセンターに長らく勤務していた医師である。
本音だから、医師なんて割に合わないと最初からぶちまける。
子どもや身内から医者や看護職に就きたいと相談されたら、即刻やめろと著者は言うそうだ。
なぜなら医者の場合、開業医はそうではないが、勤務医は給料が安い。
そのくせ理不尽な要求にさらされ、感謝もされず、ミスをしたら刑事罰を問われる。
どのみち就いてもモチベーションが長く続かないからやめたほうがいい。
がん専門医としていちばん困るのが、もはや打つ手がないときだという。
このような際、多くの患者はなにもしないよりもなにかしていたほうがいいに決まっている、
という誤った思考におちいりやすいので説得するのに骨が折れる。
ダメでもともとでいいから、なにかしたがる患者や家族が多い。
しかし、金はかかるし、副作用で苦しむのは患者自身なのである。
失うものはないというが、下手をしたら家族と話す時間までなくなってしまうことになる。
それでもなにか治療法があるのではないか、と食ってかかる患者や家族がいる。
あきらめないことが肝腎だ。希望をくじくようなことを言うな。
余命3ヶ月と言われて奇跡的によくなった人もいるではないか。
どうしてあんたはネガティブなことを言うんだ。もっとポジティブな医師がいい。
ネガティブはやめろ! ポジティブが健康にいいんだ! おまえは本当に医者か?
アメリカの科学でもポジティブの正しさは証明されている。もっとポジティブになれよ!
こういう患者や家族が怪しげな民間療法でぼったくられているようだ。

「野暮を承知で、また繰り返しになって恐縮だが、これは覚えていただきたい。
医者にとっては「もう無理だ、やめよう」というよりも、
「駄目でもともとだろう、やってみよう」という方がはるかに楽である」(P167)


しかし、やっても患者の苦しみと医療費が増すだけらしい。
それから著者は病名の告知はすることにしているという。
どうせ隠しても、待合室で別の患者が教えてしまうのだという。
がん患者は自分の体験から、それなら本当はこのレベルよ、と親切(?)をするのが常だ。
患者同士の会話で誤った知識を持つくらいなら(自殺騒動まであったとのこと)、
最初から本当のことを言ったほうがいいと著者は考える。
なお、著者はタバコは吸わないが、
がん病棟にも喫煙室はあってもいいのではないか、と指摘する。
タバコも酒も健康には悪いが、まあいいのではないか。

「健康や生命はそれ自体貴重なものであるが、他のすべてに優先するものか、
これを第一義的に尊重するのが唯一の正義なのか、私には確信がない。
私には、今の禁煙運動の正義は、愛国婦人会の正義と重なるのではないか
という疑念がどうしても拭えない」(P120)


「名医のウソ」(児玉知之/新潮新書)

→そもそも名医にかかりたいという人の気持がわからない。
たとえ99%の患者をよくする名医にかかっても、
自分が1%になってしまったら意味がないではないか。
反対によしんば悪評が高いヤブ医者でも自分が痛苦から解放されたらそれで大満足。
医師の国家資格をお持ちの著者の指摘するように、
たしかにいまは名医にかかるのもヤブにかかるのも同金額で不公平とも言えるが、
名医で悪化する人、ヤブで治る人もいることを考えると、
名医などしょせんは確率統計の問題に過ぎないことがわかり、どうでもよくなる。
むろん本書がダメというのではなく、いい本だからいろいろ考えさせられたということだ。

本書からすると、いまの医者はふたつに分かれるのではないか。
自分の経験を重んじる医師と、エビデンス(統計データ=多数派情報)に従う医師だ。
よく読み込むと著者はどちらもそれぞれいいという立場のようだが、
やはり若いこともあり(わたしと同年齢)エビデンス重視の医師を評価している。
これは意地の悪い見方をすれば、
目のまえの患者よりデータ(統計)を見る医者がいい、と言っているのに近い。
言うまでもなく、優秀な著者は、
現実の患者というものは生ものでエビデンス通りにはいかないことも熟知しているのである。
通常用法とは違うが実際効果のある薬を処方する医師の存在も著者から教わったことだ。
わたしが医者にかかるのならば、エビデンスに盲目的に従うよりも、
多数派はどうでもいいから、こちらの苦痛を取り除いてくれそうな人がいい。
明らかに自分勝手だが、他の99人が治ってもわたしひとりが苦しいままの医者は敬遠する。
医師選択の基準は、好きか嫌いか、ウマが合うかどうかを最上に置こうと思う。
しつこいが、これもまた本書から学んだことである。

「実際の医学は、紋切型に、こうしたら必ずこうなるという世界ではなくて、
個体差、ばらつきをはらむ学問です。確かにどんな病気にもスタンダードな診断、
検査とそれに基づくスタンダードな治療は存在するのですが、確実に、
ある一定の割合でスタンダードからはずれる個人差、個体差が必ず存在します。
経験のある医者ほど、その個人差を目の当たりにしていて、
人間は千差万別なのだと肌身で感じています。
だからいくら自分の診断や、診療がよいものだと信じていても、
ある一定の割合で自分とはウマが合わない患者が出てくるということを、
やはり肌身で知っています」(P120)


「幸運と不運には法則がある」(宮永博史/講談社+α新書)

→信じられないことにこの齢まで生きながらえて、
わずかながらではあるが世の人々の浮き沈みを見てきた。
質量ともに貧しいながらも人生体験と読書体験を蓄積した。
結果思うのは、幸運と不運にはまったく法則性が感じられないということだ。
人生はまったくのアットランダムでバッドやグッドが出てくるゲームではないかと思う。
アットランダムとは日本語で言うデタラメである。
デタラメよりもアットランダムと言ったほうが
なにやら米国科学的つまり知的な感じがしていいだろうとこちらで判断した。
バッド、バッド、バッドとアットランダムにバッドしか出ない人生もあろう。
バッド連続人生の場合、たまに出たグッドに涙するはずである。
一方、まったく非因果的にグッド、グッド、グッドばかり出る人生もなかにはある。
別に心がけがいいからではなく、グッドだから心がきれいでいられるに過ぎない。
心がけが悪いからバッドなのではなく、バッドだから心も黒ずむのである。

新興宗教なんかもアットランダム理論で説明できる。
たいがい怪しい新興宗教にはまるのはバッドもバッド、ワーストのときだろう。
アットランダムだから、確率的にそこまでバッドが続くこともまあ少ないのである。
そうだとしたら、ワーストの次はグッドが来やすいことになる。
これを教団は功徳だのなんだのと言いがかりをつけ宗教に依存させるのである。
ワーストの次は軽いバッドでもよくなったように見えなくもないのである。
もしアットランダム理論が正しいのならば、幸運法則も成功法則もないことになる。
わたしはたぶんアットランダム理論がかなりのところ正しいのではないかと思っているが、
完全にアットランダムだと考えると難病到来とか交通事故四肢切断とか怖すぎるし、
やはりまったくのアットランダムだとすると無気力になり人生が味気なくなるから、
たまにこういう本――「幸運と不運には法則がある」を読みたくなるのである。

著者はどういう方かというと、寺に貼ってある「本気でやればなんでもできる」
のようなチラシを読んで、そうだ、そうだと感動してしまうような好人物だ(P37)。
本書でもいろいろ幸運の法則らしきものが書かれているが、
根底にあるのは「本気でやればなんでもできる」のような幻想だと思う。
なぜなら成功者や幸運な人しかサンプルに取っていないからだ。
だれでも知っていることだが99%は人生で成功なんて味わえないのである。
1%から著者が恣意的に採取した法則だって99%の失敗者もやっていたのである。
なにやら法則があって、それをうまく用いれば幸運が舞い込むというのは虚偽だが、
我われ愚かな人間は完全なる無意味にはちょっと耐えられないから、
眉唾(まゆつば)程度に幸運法則をあたまに入れて、
人生不運ばかりではないとおのれを慰めるのも一興ではないかと思う。
決して肩書で判断しているわけではないが、著者の言葉だとあまり重みがないので、
ここは夏目漱石の弟子で物理学者でもあった寺田寅彦にご登場願おう。
ゆっくり幸運を待っていようという寺田寅彦の言葉である。
違っているかもしれないが、わたしはそう解釈した。

「いわゆる頭のいい人は、云わば脚の早い旅人のようなものである。
人よりも先に人のまだ行かない処へ行き着くことも出来る代りに、
途中の道端あるいはちょっとした脇道にある肝心なものを見落す恐れがある。
頭の悪い人、脚ののろい人がずっと後からおくれて来て
訳もなくその大事な宝物を拾って行く場合がある。
頭のいい人は、云わば富士の裾野まで来て、そこから頂上を眺めただけで、
それで富士の全体を呑込んで東京へ引返すという心配がある。
富士はやはり登ってみなければ分からない」(P239)


「使える!確率思考」(小島寛之/ちくま新書)

→読んでいるあいだはとてもおもしろくて、これは刺激的な良書だと思ったが、
むろんこちらのあたまが悪いためだが、いま感想を書くため重要箇所を拾い読みしたら、
結局あまりよくわかっていないことが判明していささかがっかりした。
とはいえ、書いてみないとわからない。なるほどと思ったところをメモ書きする。

・経済的な価値というのはすべて相対的なものだから(絶対的ではない)、
経済行為はすべて賭けになる。いつなにが高くなるか、なにが安くなるかわからない。
・完全な乱数を作るのは非常に難しい。まったくのデタラメの確率は出せない。
どういうことか。かならず出目に癖のようなものが出てしまう。
・1万人にひとりの成功者というのはかならず確率的に登場するが、
それはかならずしも本人の努力や方法が正しかったからではなく、確率的事実である。
とはいえ、先に述べたよう完全な乱数は作りにくいから(癖のようなものはあるから)、
もしかしたら成功者はその偶然の癖のようなものを無意識的に察知したのかもしれない。
しかし、偶然(乱数)の癖はあったとしても、言語化できるようなものではないだろう。

・偏差値(全体の中の自分の位置)よりも自分の成績のぶれに注目したほうがいい。
たとえば模試ごとにコンスタントに偏差値60を取るタイプなのか。
それとも偏差値45のときもあれば、偏差値70のときもあるというタイプか。
前者の場合、偏差値55の大学にはほぼ確実に合格するだろうが、後者は落ちることもある。
偏差値にぶれのない60タイプは偏差値70の大学にまず落ちるだろう。
しかし、偏差値にばらつきのあるムラのあるやつは一発勝負で最難関大学に入ることもある。

・サイコロに記憶はない。だから、以前の記録はまったく参考にならない。
どれだけ4がよく出ていても、次になにが出るかは1/6の確率である。
・しかし、人間の生存確率はそうではない。
いま20歳の人が現在の年金受給年齢65歳まで生きる確率は74%。
(これは4人に1人はもらえないということです)
いま50歳の人が65歳まで生きる確率は80%。
(それでも5人に1人はもらえないのですね)
どういうことか。サイコロは記憶を持っていないが、人間の寿命はそうではない。

・確率によって確率が変わることがある。
たとえばガンを告知して5年生存率70%と教えてしまうと生存率が下がる。
これは悲観的になってしまいストレスが増加するためと推測される。
これを一般的法則に当てはめるならば、知らないほうがいいこともあるってこと。
難関だと知らないで受験したほうがうまくいくこともある。
たとえば脚本家になれるのは学校在籍者の0.1%だという事実は知らないほうがいい。
これは危険な解釈だが、いろいろ周囲は迷惑するし金もたくさんかかるけれど、
「願えばかならず治る」と信じている新興宗教会員はガン罹患後も生存率はいいはず。

・働きアリ、怠けアリの秘密はゲーム理論で説明できる。
働くメリット、働くデメリットおよび怠けるメリット、怠けるデメリットを
計算式に入れたら、いちおうそれらしき数字は出るらしい。
怠けアリばかり集めてもこのメリット・デメリットで一部がかならず働きアリになる。
同様に働きアリばかり集めてもメリット・デメリットの関係で絶対に一部は怠ける。

・人生でふたつに賭けることはできない。
たとえば、人事採用面接は落とした人が優秀だったかどうかはわからない。
採用後に批判されるのを恐れて、人事は無難な保守的な採用をするようになる。
・ふたつのレバーがあるとする。当たる確率はわからないとする。
Aというレバーを10回引いてすべてはずれだった場合、人はBのレバーに行く。
Bで6回目に当たりが出てしまうと、この人はもうAに戻ることはない。
もしかしたらAのほうが当たる確率が高いのかもしれないが、
そうだとしたらその人は損をしていることになる。
・総じて人間は保守的になるということである。いまの当たりを失いたくない思いが強い。

・確率に基づいた「合理的な選択」はかならずしも「正しい選択」ではない。
90%成功する手術でも、10%の確率で失敗して死んでしまったら、
それは「合理的な選択」にもかかわらず「正しくない選択」ということになってしまう。
確率では99%失敗する「非合理的な選択」でも確率1%の成功に恵まれたら、
「非合理的な選択」が「正しい選択」になってしまうということである。
ということは「合理的な選択」や「非合理的な選択」というのはデータ上のもので、
1回きりの人生を生きる人間にはどちらが「正しい選択」かはわからないということである。

こうして重要事項を書き上げてみるとけっこう理解しているような気もする。
もしかしてぼく、自分で思っているよりあたまがいいのかな。
いやいや、みなさんにご理解いただけたかどうかです。
みなさんもフンフンとお思いになられたのでしたら、ぼくも少しは誇れるのですが……。
いかがでしたでしょうか?

「他人の女房」(源氏鶏太/集英社文庫)絶版

→死後完全に忘れられた大衆作家のサラリーマン短編小説集を冗談半分で読んでみる。
ウィキペディアで見て驚いたけれど直木賞作家・源氏鶏太の肩書はすごいね。
紫綬褒章のみならず勲三等瑞宝章まで取っているのか、やるなあ。
元大阪大学助教授の小谷野敦博士の悪影響で、
このところ人の肩書にばかり目が行く最低の人間になりつつあるので注意したい。
常務のお古をそうとは知らずに女房にした男が盗み聞きで真相を知ってしまい、
おまえはあいつに仕込まれていたのかと妻に怒りをぶつけるサラリーマンがよかった。
最後はなぜかこれが「人間の業だ」などと仲直りするのだが、
ずいぶん安っぽい「人間の業」だなと思いながらも、
こういう娯楽小説を愛したであろう昭和40年代のサラリーマンに思いをはせ、
いま殺伐とした平成を生きるぼくは微笑ましい気分になった。
上司からの依頼で愛人と別れさせることに成功するものの、
ひいきにされるのではなく、逆に秘密を知られていると疎まれ、
左遷される昭和の独身サラリーマン氏。
彼は「運が悪かったな」とだけ思い、なにも文句を言わずに僻地に飛んでいくのだが、
その自己主張なき雄姿はそれなりに格好いいと思った。
総じて思っていた程度の娯楽であった。
紫綬褒章作家の源氏鶏太は永久によみがえることはないだろう。
絶対に再評価をされない当時の人にのみ売れるものを書けるのもまた才能だと思う。
これは悪口や批判ではない。
本当に読んだという証拠に偉い人の小説から一文を抜いておく。

「サラリーマンなんて、そういう他人の不幸をよろこぶように出来ているんだ」(P134)

「中陰の花」(玄侑宗久/文春文庫)

→よくわからないけれど、芥川賞を取ったんだからいい小説じゃないんですか?
いつもつまらない小説を読んだら怒りがこみあげてくるけれど、そういうのもない。
なんか作者には失礼な話なんでしょうが、どうでもいいというか。
まったくいまのぼくの状況と関係ないから、ほんとどうでもいいとしか。
好きな人は好きでいいんじゃないですか、としか。
おまけの「朝顔の朝」のこの描写が気になりました。
「二人はどちらからともなく唇を重ねた」(P128)です。
接吻って、どちらかがかなり空気を読んで協力しないとできないんじゃないか、
なんて恋愛弱者的な恥ずかしい疑問を持ってしまいました。
僧侶でもある著者はあんがい恋愛経験が豊富なのかもしれません。
当時は(たぶん)新人作家だったでしょうに、解説を多忙な河合隼雄に頼んでいる。
この人、すごい人脈を持っているんじゃないか。そこにいちばん感動しました。
山田太一さんと著者が対談しているのを雑誌でお見かけしたこともあります。
佐江衆一氏の小説「わが屍は野に捨てよ 一遍遊行」の文庫解説でも拝見しました。
いくら解説でもそこまでほめるかというくらい大絶賛していて常識人だなと思いました。
著者はたぶん平和主義のとてもいいお坊さんなのではないでしょうか。

「笹舟日記」(三浦哲郎/新潮文庫)絶版

→1年かけて連載されたという短編小説ふうの自伝的エッセイ集。
年譜を見ると、三浦哲郎6歳のときがいちばんの暗黒時代だろう。
まず3月、三浦哲郎の誕生日に次姉の貞子が青函連絡船から投身自殺している。
これが三浦哲郎の決定的な、いわゆるトラウマになったようである。
自分の誕生日を祝えなくなってしまった。
同年夏、長兄の文蔵が突如失踪する。同年秋、白子症だった長姉の縫が服毒自殺。
三浦哲郎の残っているきょうだいは次兄の益男、それから三姉のきみ子である。
作者は小学校のころ、「おまえの姉ちゃんイルカに食われたんだろ」
と同級生からからかわれてショックを受けている。
丸三呉服店の娘の入水自殺は当時の地方新聞にでかでかと掲載されたそうだ。
12年後、三浦哲郎は次兄・益男の経済的援助もあり早稲田の政経に通っている。
益男は当時34、5歳でまだ独身、材木会社に勤務し「専務さん」と呼ばれていた。
この益男が原因不明の失踪をしてしまうのだが、その直前に哲郎は次兄に逢っている。
益男の恋人らしき女性と三人でブルースの女王とやらのリサイタルに行ったのだという。
このときの思い出を描いた「もういちど逢いたい人」はとてもいい。

頼りにしていた次兄が出奔してしまい哲郎は休学届を出し帰郷する。
一度中学校に勤務するもののすぐに辞め、脳軟化症で闘病している父のもとへ行った。
もうどん詰まりで先行きがまったく見えない。
このとき立ち上がったのが、いままで引っ込み思案で、
いつも母の陰でうつむいていたような白子症の三姉きみ子である。
きみ子は自殺した長姉から琴を習い、その後は高名な師匠の弟子にもなり腕を上げていた。
障害があるためこれまで影の薄かったきみ子がだしぬけに言ったという。
「私たち、もう死んだ気になって、
自分の出来ることをやってみるより仕様がないんじゃない」
実際きみ子は行動に出る。不自由な目に薄墨色の眼鏡をかけ、
ひとりで知り合いのあいだを奔走して3つも稽古場を開設することに成功したのである。
以降は「書き初め・弾き初め」から抜粋する。本当にいい。

「「あんたも暗い顔ばかりしていないで。」
と、あるとき姉は私にいいました。
「なにかやりたいことがあったら、本気でそれをやる気になったら、どう?
東京へいきたいなら、いったっていいよ。足りない分は、私が助けてあげる。
でも、なまじっかは、私は厭(いや)だからね。それに、お金だって、
あんたが一人前になったら三倍くらいにして返して貰うんだから。」
姉は、悪戯っぽく笑っていましたが、私はそのとき、
姉にいやというほど背中をどやされたような気がしたことを憶えています。
誰よりも弱者だと思っていた姉に、私は背中をどやされたのです。
私は恥ずかしくて、顔も上げられないような気持でした。せいぜい、
「御希望なら、三倍を五倍にしたっていいんだぜ」
そんなことをいうのが精一杯でした」(P290)


次兄の失踪に衝撃を受けた三浦哲郎は当時、
「自分たちのきょうだいには、滅びの血が流れているのではないかと思い、
ならば末弟の私はその血の分析に生涯を費やしてもいい、
などと考え」(P112)ていたため、姉きみ子の経済的援助を得てふたたび上京する。
滅びの血の末弟、三浦哲郎は文学立身をめざし早稲田大学文学部仏文科に再入学する。

「拳銃と十五の短編」(三浦哲郎/講談社文庫)

→三浦哲郎の私小説というのは、いったいどこまでが本当なのだろう。
お姉さん二人が自殺、お兄さん二人が失踪、ここまでは事実だと思う。
本書に出てくる話だが、作者が二十歳のころに
医者に失恋した白子症(アルビノ)の姉が自殺未遂したというのは本当なのだろうか。
都内に住んでいるその医者が死んだということで故郷の姉から作者に電話が入る。
そこから姉の自殺未遂が回想されるというのが短編小説「水仙」だ。
かりに本当だとして、いくら家族とはいえ、こんな秘密に属することを書いていいのか。
というのも、その白子症の姉は当時まだ存命しており故郷で琴の師匠をしているという。
どんな田舎にも書籍は流通しているわけで、
こんなことを書いたら田舎の人はうわさ好きだから
その姉を色眼鏡をかけて見るようになるのは当然で、ならばモデルは迷惑するのではないか。
とするならば、白子症の姉の自殺未遂はやはり本当に起きたことなのだろう。
もしフィクションだとしたら、それは人間としてやってはいけない行動になってしまう。

死んだ父の遺品から拳銃が見つかったというのは本当なのだろうか。
あまりにもうまい小道具すぎるのである。父は死んでいるからウソでも迷惑はかからない。
ならば、父の遺品に拳銃があったというのは、あるいはフィクションではなかろうか。
話ができすぎている気がするのである。
なぜ病死した父は拳銃を持っていたのだろうと三浦哲郎は父のことを思う。

「私は、父親の病気が再発したという知らせを受けて帰ってきて、
毎日すこしずつ死んでゆく父親を見守りながら、
村の郷土の子に生まれ、町の呉服屋の婿になり、白い子供を二人持ち、
娘たちには勝手に死なれ、息子たちには家出をされた男親というものは、
一体なにを支えにして生きるものかと、そんなことばかり考えていたものだが、
金庫の底から出てきた形見の拳銃を目にした途端に、
父親のすべてがわかったような気がしたのであった。
この拳銃こそが父親の支えだったのではあるまいか。
その気になれば、いつだって死ねる。確実に死ぬための道具もある――
そういう思いが、父親をこの齢まで生き延びさせたのではあるまいか。
私はそう思ったのだ」(P19)


もしこの拳銃の話が事実だとしたら、
三浦家の八人は哲郎以外、全員自殺願望を持っていたことになる。
実際に自殺してしまたものが二人、失踪というかたちで自滅したものが二人。
母が自殺を思ったことのあることは「愁月記」に書かれている。
父までもいざとなったら自殺しようと拳銃を隠し持っていたのである。
なぜ三浦哲郎は滅びの血を継承していながら自殺をしなかったのか。
芥川賞受賞作「忍ぶ川」に出てくる美しい志乃と25歳のときに学生結婚したからである。
三浦哲郎の自殺した姉二人、失踪した兄二人は未婚であった。
さらに作家は28歳のとき健康な娘をさずかっている。
これでもう死ねなくなったのである。30歳で芥川賞受賞。よけい死ねない。
とはいえ、いちばん大きかったのは25歳のときに美しい女から愛されたことだろう。
三浦青年は大層ハンサムだったというから(瀬戸内寂聴「奇縁まんだら」)、
ならば呪われた生まれの血がこの場合は身を助けたということになろう。
本書でも作者と思しき人物が自殺を批判している。

「自殺ってやつは、あとに残る者へ自分の中身をそっくり預けて、
抜け殻になることじゃないか。死んだ奴はそれで楽になるが、
あとに残された者は死んだ奴の分まで荷物を背負わされてしまう。
死ぬ自分より、死なれる相棒や身内の方がどれほど難儀なものか、死ぬ奴は知らない。
尤(もっと)も、そんなことを知っていたら、おいそれとは死ねないさ。
だけど、死ねないのが当り前なんだ。
死ねなかったら、みんなと一緒にじっと生きてたらいいじゃないか」(P75)


かわいい嫁をもらい娘にも恵まれ、文壇でも出世した男の言葉だと思うと鼻につくが、
おなじ自死遺族のひとりとしてはまったくの正論だと思う。
しかし、自滅したきょうだい四人がいなければ、「忍ぶ川」は書けなかったであろう。
もし人生の道を踏み外したきょうだい四人がいなけければ、
この「拳銃と十五の短編」も書けず、野間文芸賞を受賞することもなかったのである。
さて、この短編小説集によると、死んだきょうだいは四人ではないらしい。
もう一人、三浦哲郎には姉がいたが、生まれてすぐに死んだという。
三浦哲郎はこの秘密を従姉から教わり、従姉は哲郎がこの事実を知らなかったことに驚く。
作家は一度も母から聞かされたことがなかったという。
生まれてひと月たらずで死んだ赤ん坊は姉ふたりとおなじく白子症であった。
このため、三浦哲郎は母がその白子症の赤ん坊を
間引いた(殺した)のではないかという疑いを持つ。
恐ろしくて母親には、この仏壇に位牌もない清子という姉について聞けないと作者はいう。
しかし、書いてしまっているではないか。書いたらみなの知るところになるのだぞ。
この生まれてすぐに死んだ白子症の清子という赤ん坊は本当に存在したのだろうか。
それとも小説家のフィクションなのだろうか。
本当のことでもフィクションでもこのことを書いたら母親は傷つくだろう。
あんがいフィクションだったほうが傷つかないのか。
小説家というのはみなウソつきである。
文筆を生業として地元のほまれのようになった息子の書いた小説なら、
母親はなにもかも許したであろう。
本当のことはたぶん三浦哲郎と母親しか知らなかったはずである。
そして、もうどちらも死んでいるから本当のことは永遠にわからない。
それにしても、これだけ呪われた血を持つ三浦哲郎は、
よく結婚しなおかつ妻をはらませることができたと感心する。
そうしなければ生きていけなかったのかもしれないが、
それがよかったのかどうかの答えはまだ出ていない。いや、もう出ているのか。

「勿論、私には自分の血を怖れる気持がある。
私のところには女の子ばかり三人いるが、
この子たちが将来染粉を要る子[白子症]を生むことになりはしないだろうか
と考えたりすると、忽(たちま)ち夜が白夜のようになってしまう」(P157)


「愁月記」(三浦哲郎/新潮文庫)絶版

→読みながらわんわん涙がとまらなかったが、
三浦哲郎の書くものは自死遺族文学なのである。
穢(けが)れた血の文学である。
瀬戸内寂聴さんによると、若いころの三浦哲郎はぞくぞくするほどの美青年だったという。
おのれの穢れた血を文学作品として克明に記録した三浦さんももう逝ってしまった。
果たして穢れは文学で昇華できたのだろうか。
三浦哲郎にはお嬢さんが三人いる。
三浦さんに何人お孫さんがいて、そのうち遺伝病や自滅、失踪したものはいるのか。
知りたいけれども、軽々しい興味からは知ってはいけないことなのだろう。
本書は穢れた家族のことを描いた私小説である。亡母のことが中心になっている。
白子症(アルビノ)の娘を二人産んだ母親の91年の人生というのはなんだったのか。
母は娘を三人、息子も三人産んだけれども、そのうち二人が自殺、二人が失踪してしまった。
三浦哲郎はむかし母の声を聞いたことがあるという。
いや、あれは母の声だったかは、正確には思い出せない。

「そういえば、たった一遍だけ、気弱になって、よからぬことを考えたったけな。
寝ていて、ぼんやり箪笥(たんす)の引手を見上げて、
あのいちばん上のやつに腰紐(こしひも)を掛けたら……
そしたら早く楽になれるなあって、そう考えた。
魔が差したって、ああいうときのこったえなあ」(P17)


この母は三浦哲郎を産むかどうかだいぶ迷ったという事実を後年作者は知る。
自然に流産できないか、何度か母は試したこともあったという。
白子症の子を二人も産んでいるのだから仕方がない。
産婆に励まされて6人目の子を産むことにしたという。
このような事情を後年産婆から聞いた話を三浦哲郎はそのまま小説にしている。
産婆から「お子さんは?」と聞かれる。
作者は「女の子ですが、目も肌も黒い子です」と答える。
産婆は安心して言う。
「時には、蛮勇みたいなものが必要ですね、自分の道を切りひらくには」
この小説集からわかったことは、自殺は50年も後を引くということである。
三浦家が破滅の道を進むようになったきっかけは次姉が19のときに、
よりによって三浦哲郎の6歳の誕生日に青函連絡船から投身自殺したことである。
あれから50年経っても三浦哲郎のかなしみは消えていない。
中年作家はいまや三人の娘を持つ父親でもある。過去に縛られた一人旅をしている。

「バスの発車時刻にはまだ間があったので、去年のように裏の岩浜に降りてみた。
去年、子熊の縫いぐるみをみたときもそうだったが、
この腐れかけた花束も海峡からの漂着物に違いないと、すぐにそう思った。
私は、家に三人いる娘たちが姉の享年とおなじ十九になるたびに、
その子を連れてこの海峡にくる。
青森から、姉が乗ったのとおなじ夜航の連絡船に二人で乗って、
姉の短かった生涯や、姉をこの船の回廊にまで追い詰めた事情の数々を、
隠さずに話して聞かせる。その折に、
海峡のまんなかあたりで同行の娘が暗い海面に落してやる菊の花束が思い出された」(P130)


白子症の長姉は睡眠薬自殺している。
おなじく白子症の姉は一度未遂をしたが生きながらえ、いま60も半ばである。
目が不自由なため、ずっと母親と暮らしてきたが、いまその母も死んだ。
三浦哲郎は姉のことを思う。

「姉が色素のない体に生まれついたのは、誰のせいでもない。
けれども、姉にすれば、産んだおふくろのせいだと思うほかなく、
おふくろもまた、自分が産み損なったのだと思わずにはいられなくて、
一方は絶えず相手を和毛(にこげ)の棘(とげ)で責めつづけ、
一方はそれを甘んじて受けながらひたすら相手を案じることで、
二人は根強く結ばれていたのではなかろうか」(P84)


どうしてこうなのだろうか。
三浦哲郎は大学時代、新聞社の入社試験を受けたという。
学科試験の後に身上調書を書きなさいと言われた。嘘やごまかしを書いてはいけない。
家族の名前、続柄、年齢、職業、死因を書かねければならない。
三浦哲郎の筆はとまった。六人きょうだいのうちすでに四人が欠けていたからである。
兄ふたりは行方不明。長姉は睡眠薬自殺。次姉は投身自殺。
しかし、三浦哲郎は死因に自殺と書けなかったという。
自殺者にとって自殺は方法であって、本当の死因は別にあるはずである。
行方不明だってそれぞれの、のっぴきならない事情があるだろう。
自殺、行方不明と簡単に記してしまっていいのか。
書いたところで結果はわかっている。八人家族のうち半分が人生の落伍者である。
一家から自殺者を二人、失踪者を二人出しているとは、ただごとではない。
しかも、四人ともまだ若年のうちに道を踏み外している。
人事担当者は思うはずだ。こういう薄気味悪い男とは関わり合いたくないと。
三浦哲郎は身上調書を白紙のまま裏返し、会場を後にしたという。

「その晩、住んでいるアパートに近い三軒茶屋の屋台店で、
モツの煮込みを肴(さかな)に梅酢で色をつけただけの安い焼酎を飲みながら、
今日の調書に書けなかった兄や姉たちの短かった生涯と死因を
いつか自分の手でかならず書こう、勿論(もちろん)彼ら一人一人のためにも、
彼らを恥じて残りの生涯を伏目がちに生きた両親のためにも、
置き去りにされた末弟のひそかな追憶の証(あかし)として、
かならず書こうと、ひとりで誓いを立てたものだが、
肝腎の自分自身がいっこうに熟さなくて、
それを実現させるのに二十五年もかかってしまった」(P196)


常識人はこういう暗い男に逢ったら、どんな言葉をかけるのだろうか。
「早く忘れろよ」「前向きになれ」「ポジティブがいちばんだ」「いい宗教があるよ」
男は前向きにならず過去にこだわりつづけ、家の恥を作品として世に問い、
無宗教のまま2010年に79歳でこの世を旅立った。
あの世でだれとどんな話をしているのだろう。

「わが山本周五郎」(土岐雄三/文春文庫)絶版

→「いやなやつがいい小説を書く」「作家の周りは死屍累々」は、
どちらとも筒井康隆氏のお言葉と判明する。
本書はいわゆる暴露本と言っていいだろう。
生前山本周五郎からかわいがってもらい家族ぐるみのつきあいまであった著者が、
文豪が生きていたら決して言えなかった本当のことを没後3年にして公開した。
著者の土岐雄三は三井信託銀行に勤めながら副業として売文にも手を染めたという人物。
山本周五郎のほうから著者に関心を持ってきたということである。
独善的な山本周五郎は没後に「サル山の大将」と批判されたらしいが、
ボスは複数の子分を必要とする。
その子分として山本周五郎に選ばれたひとりが4歳年下の土岐雄三であった。

山本周五郎が大嫌いで大好きという人が書いた本でとてもおもしろかった。
要するに、などと簡単にまとめてはいけないような名著だが、
それでも読者の便宜のためにわかりやすい表現を使うならば、
表現者と生活者のたたかいの経緯を長生きしたほうがなかば勝ち誇りながら書き残した。
表現者の山本周五郎は銀行員の土岐雄三に幾度か、
仕事なんか辞めて文筆専業にしろとアドバイスしたという。
無頼の文学者へのあこがれもあったが土岐はおのれの才能を見切り生活のほうを重視した。
この生活者的態度をだいぶ山本周五郎からやり込められたらしい。
そのときの著者の怨念が「死んだ人の悪口」というかたちで結晶したものである。
そんなに文学者は偉いのか? 
たしかに小説はすばらしいが、山本周五郎よ、おまえは何人のものを犠牲にしたのか?
そういう生き方は格好いいのだろうが、おまえの芸のこやしになったものはどうなる?
土岐雄三は生活者として、つまり銀行員として最高峰の重役にまで出世した。
この生活者トップという立場から、かつて親交のあった孤高の表現者を断罪するのである。

「山本周五郎は小説を書くために生れ、小説を書き尽くせぬままに生涯を終えた。
彼にとって、生活のすべてが小説のために在った。
それ以外に、なんの意味もなかった。
肉親も、友人も、酒も女も、愛欲でさえ、
小説のこやしにならないものはよせつけなかった」(P7)


いかにも作家らしい演技がかった臭みのある無頼を山本周五郎は好んだ。
知り合って間もないとき著者は山本周五郎が山岡荘八と殴り合いの喧嘩をするのを目撃する。
このとき抱いた違和感を生活者・土岐雄三は最後まで大切にして本書を描いたのだろう。
多少長い引用になるが、ここを落とすと、
この名著が文豪への嫉妬から書かれた単なる暴露本、悪口本に思われてしまうのでお許しを。

「作家とは、スゲエもんだ、と思った。
感銘する反面、バカらしい気がしなくもなかった。
私はもともと文学者でも、芸術家でもない。ごくありふれた一介のサラリーマンだ。
ものに感動することはあっても、
それを暴力に結びつけるほどの深刻さは持ち合わせないのだ。
尤(もっと)も文学者や、小説作者が、軽蔑するであろう
(それが軽蔑に値するかどうかは別として)常識の世界、サラリーマン社会にも、
人並みな感動も怒りも哀しみもある。
しかし、それはそれ、生活は生活だ。
感動や感激を殴り合いにまでエスカレートさせるには、
いま云われる平衡感覚というやつが邪魔をする。
怒りや哀しみを顔にも行動にも現わせないのが、サラリーマンの習性である。
われわれは、殴り合い以上の陰湿な葛藤を、内に外に、くり返している。
怒りを忘れたのではなく、哀しみを知らぬのでもない。
むしろ、それらは殴り合い程度では、おさまらぬほど深刻なのだと思うこともある」(P40)


表現者・山本周五郎はだれを自分の芸のこやしにしたのか。
まず元「講談雑誌」編集長の風間真一である。
戦後しばらく山本周五郎はほとんどこの「講談雑誌」しか書く場所がなかった。
風間真一は自分でも細々と小説を書く作家もかねた編集長である。
風間は小説家としては山本周五郎にはるかに及ばぬことを知っていたが、
いや、そのために、だれよりも周五郎の才能に惚れ込んでいたから、
編集者として作家に意見することもあった。
とはいえ、周五郎の才能をだれよりも知っている恐れから、酒の力を借りないと意見できない。
このため、渡した巨額の原稿料を周五郎にその場で燃やされたこともあったという。
「あれはつまらない」と言ったがために周五郎の逆鱗(げきりん)に触れたのである。
また風間真一は「サル山の大将」だった周五郎の子分のひとりという位置づけでもあった。
山本周五郎とて最初から文豪だったわけではない。
むかしは新潮どころか文春、朝日にさえ
書かせてもらえない低級の読み物作家に過ぎなかった。
ブームが起こったのは山本周五郎が50を過ぎてからである。
それまで周五郎の才能と真剣に向き合い、その向上に寄与したのが風間真一であった。
しかし、山本周五郎が出世したあとは、風間は生来の酒癖の悪さも相まって、
「サル山の大将」から追放処分を受けた。
朝日や文春、新潮の編集者に取って代わられたという意味だ。
「講談雑誌」からもクビになった風間真一は専業作家になると宣言したが、
女房に働かせて毎日酒を飲むだけの男に落ちぶれ早死にしたという。
著者の分析では、なまじ山本周五郎の才能を知っているぶん、
中途半端な自分の小説が書けなくなってしまったのが酒に溺れた原因らしい。
長年、作家と編集者としての関係があった山本周五郎は風間真一の葬式に来なかった。

土岐雄三自身も犠牲になったと思っていたようだ。
山本周五郎の才能に圧倒されて、自分の下らなさが見えてしまい、書けなくなるのだという。
せっかく書いても、山本周五郎が手紙でいろいろ意見してくる。
もちろん、たくさん褒められたけれども、それだけではなかったという。
巨大な才能をまえにすると自分がなくなってしまいそうになる恐怖を著者は何度も語る。
周五郎は著者に生き方の改変まで迫ってきたという。
群れるな。会社を辞めろ。家族とも一線を引け。つまり、孤独になれ。孤独を恐れるな。
そうでないといつまで経っても一流のものは書けないぞ。

「究極のところ、人間はじぶん一人でしかない、周五郎の説話は、これにつきる。
人間は一人で生れ、一人で死んでいく。
どんなに心ゆるした友人でさえ、「死」の門をくぐるまでの道連れと思え、
私は周五郎に何度云われたか知れない。
文学とか、小説書きとかいう世界に生きる人たちは、程度の差こそあれ、
孤高の精神を尊ぶし、事実、孤高でもある。
妥協も協調もない。妥協や協調は、卑俗な常識人のすることだ。
つづめていえば、そういうことになるのであろう」(P179)


土岐雄三が孤高とは相いれない甘えた世渡り上手になったのは生い立ちが関係している。
土岐は父親の留守中に母親が若い学生と密通してできた子どもなのである。
そのうえ土岐の兄姉は3人いたが、そのうちひとりが4、5歳のとき、
土岐から湿疹をうつされて死んでしまったという。
両親からしたら自分のほうが死んでほしかったのはあきらかであろう。
土岐は4歳のとき養子にやられたが、この養母もひどく多情で、
土岐のまえで若い情夫とむつみあうこともあったという。
こういう生い立ちがあるから自分はつい人に甘えてしまい孤独にはなりきれない。
土岐雄三は、孤独を執拗にすすめてくる周五郎にこのような説明をした。
山本周五郎は土岐雄三の生い立ちをモデルに小説を1本書き上げたという。
周五郎は小説の鬼で、どんなことも小説のネタにできないかという視点で見ていたという。

「美しいもの、醜いもの、愛情も、裏切りも、それが人間から生まれるものである限り、
彼[周五郎]は貪婪(どんらん)に吸収する。吸収して、貯蔵する。
「人間を描く」という周五郎の小説作法の基底は、
人事百般の事実を客観視することにあるらしい。
女には惚れさせるが、自分は情に溺れないのが、
小説作者の心構えというふうに見えた」(P82)


周五郎が風間真一を見捨て出世してからは、著者とも疎遠になったという。
これは著者が支店長、重役と出世していったのとも関係しているかもしれない。
一度周五郎の娘の結婚式に呼ばれたが、
これは銀行のお偉いさんを呼びつけて飾りにしようとする意図だったのではないか、
と土岐雄三はおそらく山本周五郎ゆずりであろう意地悪な見方をする。
晩年、急に懐かしくなりアポなしで訪問したが、
秘書に門前払いされたことを恨みがましくつづる。
そのうえで山本周五郎の作品は出世するまえのほうがよかったと晩年の名作をくさす。
知り合いが文筆で出世してしまうと、いくら銀行の重役とて嫉妬するのである。

山本周五郎は家族をも犠牲にしている、と土岐雄三は弾劾する。
後妻のきん夫人は健気にも前妻の子を4人も育て上げている。
一度きん夫人が妊娠したことがあったのだが、周五郎は流産を強いたという。
土岐雄三は善人気取りで周五郎の悪人ぶりを責めたてる。
また土岐は自分の子ども4人は全員うまく社会に出たことを書いたうえで、
意地悪くも周五郎が子育てに失敗していることを指摘し勝ち誇る。
周五郎の次男、清水篌二はふらふら遊び歩くどうしようもない青年だったが、
あるときを境に脚本家になったという。この裏側はなんのことはない。
周五郎が自分の原作のドラマは息子を脚本家にしないと許可しなかったのである。
土岐によると周五郎の長男、清水徹は、
父の没後もまともな職に就かずぶらぶらしているという。
エリート銀行員からしたら、いまのニートのような存在は小気味のよい愚弄対象なのだろう。

本書で土岐雄三が公開している、山本周五郎の実際的な創作作法がおもしろかった。
周五郎は書くまえに出版社から多額の原稿料を前借して、それをすべて使い果たした後、
著者の言葉を借りるならば「金銭的に背水の陣を敷いて」(P114)執筆するのだという。
追い込まれないといいものは書けないと山本周五郎は信じていたのであろう。
これは国、時代こそ違うが、ギャンブルで金を使い果たしてから
小説を書きはじめるドストエフスキーとおなじ流儀である。
周五郎は区切りとなる小説を書き上げると、「アタマを洗う」と称して、
高級料亭で連日にわたり子分や芸妓を集めた壮大な酒宴を催し散財したとのことである。
こういう事情で山本周五郎の死後、まったく資産が残っていなかった。
周五郎は生命保険にさえ入っていなかったことを銀行屋の著者は暴露している。
65歳で死んだ山本周五郎とは異なり、
家族に恵まれ82歳まで長生きした生活者の土岐雄三はいくらの遺産を残したのか。
しかし、いま土岐雄三の作品を読み返すものは少ないだろう。
土岐がバカにしていた周五郎の息子ふたりには長いこと印税が入っていたはずだ。

孤独な山本周五郎は、甘えた性分で世渡り上手の土岐雄三が
自分とはまったく異なるがゆえに惹かれたのだろう。
周五郎は土岐を「若い友人」と呼んでいたという。
土岐雄三も自分とは比べ物にならぬほどの才能を持った周五郎に愛され嬉しかった。
ふたりは一時期交際して、そして別離した。
周五郎の才能は死後に「若い友人」から悪口をこれでもかと書かれる類のものであった。
ふざけた調子の悪口ではなく、本書は人生を賭した命がけの悪口である。
だから、よかった。山本周五郎も土岐雄三もそれぞれにいい。それぞれよろしかった。

「酒みずく・語る事なし」(山本周五郎/新潮文庫)

→10年以上まえに買ってずっと積ん読していたのだが、このたび読んでとてもおもしろかった。
文豪のエッセイ、青年期の日記、対談を新たに編集しなおしたものだという。
表題にもなった「酒みずく」というエッセイに
61歳のときの山本翁の酒食生活が記録されている。これがすごいのである。紹介したい。
――朝7時まえに起床。シャワー。仕事場でウイスキーのストレートを1杯。
ストレートは最初の1杯のみで次は水割りかソーダ割りに切り替え、
酒をすすりながら原稿用紙と向き合う。バックミュージックは古典的通俗的な曲。
昼食は取らないで水割りをのみつづける。来客があれば酒量増加。
午後4時、夫人が仕事場にやってきて晩飯の支度にかかる。
夕飯時一度ビールに切り替え、しかしまたすぐ水割りに戻る。
食事は晩のみで米は食わず、パン、コーン類、オートミール、ポテト等を食す。
夕食後、1時間ほど仮眠。起きたらまたウイスキーの水割り。
午後10~11時、夫人が自宅へ戻る。睡眠薬を濃い水割りと一緒に服用。
眼があいていられなくなるまで酒をすすり限界が来たら寝床にもぐり込む。

山本周五郎はこの原稿を書いた2年後に没しているが当たり前と言わざるをえない。
しかし、いつからこんな酒びたりの生活をしていたのだろうか。
もしかしたら人間の身体というのはかなり個人差があるのかもしれない。
頑丈な人は頑丈で、たとえ上記のようなめちゃくちゃな酒食生活をしていても
山本周五郎は65歳まで生きているのだから。

本書に山本周五郎の青年時代、修行時代の日記が掲載されている。
山本青年25~26歳時の記録でタイトルは「青べか日記」。
これは作者没後の公開だから、おそらく金の誘惑に遺族がやすやすと負けたのだろう。
それとも、うまいこと担当編集者が遺族を言いくるめたのか。
これは間違いなく山本周五郎本人は公開されたくなかったであろう記録である。
それだけにおもしろいのだが、文豪ともなると悲惨なものとも言えよう。
若き山本周五郎青年はかなりヤバいやつだったことが「青べか日記」から推察される。
あたかも新興宗教教祖の青年時代のような自己愛、選民意識と迫害妄想が見られる。
言い方を換えたら、精神病だったストリンドベリの影響が強く見られる。
よく知られていることだが、ストリンドベリは山本青年が愛読したスウェーデンの作家。
以下引用文中の三十六(さとむ)とは山本周五郎の本名である(清水三十六)。

「しっかりしろ三十六、貴様は挫(くじ)けるのか、
世間の奴等に万歳を叫ばし度(た)いのか、大きな嘘吐きとして嘲笑されたいのか、
元気を出せ、貴様は選ばれた男だぞ、忘れるな、いいか、起(た)て、
起てそして確(しっか)りとその両の足で立上って困苦や窮乏を迎えろ、
貴様にはその力があるぞ。あるんだぞ、忘れるな、自分を尚(たっと)べ大事にしろ。
そして、さあ、笑え、腹の中から声を出して笑え」(P211)


この日記は昭和3年11月6日、夜11時に書かれたものだそうである。
おそらく低学歴(小学校卒)のためだろうが、劣等感の裏返しである選民意識、
および自分は世間から虐げられているという被害妄想めいたものが見られる。
この前月の日記もまたおもしろい。
職を失って無収入であるのに10月6、23、24日と売春宿で娼婦を買っているのである。
「確りとその両の足で立上って困苦や窮乏を迎えろ」――。
日記にあえて宣言して、自分から困苦や窮乏へ向かってひた走っているのである。
まったく計画性もなく(翌月のことも考えず)、
ひと月に三度も買春する山本周五郎25歳はたしかに大物の器と言えよう。
さらに、である。むかしといまでは性的規範が異なるからよくわからないが、
この日記執筆時に山本青年は末子という女性と婚約しているのである(結局婚姻せず)。
10月3日の日記は買春報告のあとに、
「末子よ安らかな眠りと甘い静かな夢が貴女の夜を護るように」などと、
青年の感傷めいたことを書いてあるので気持悪いと言うのか、笑えると言うのか。
山本周五郎青年は相当なタマであったことがうかがえる。

山本青年はなんとか成り上がろうとわずかなツテをたどって、
既成作家の徳田秋声55歳の家に作品を持参して読んでくださいとお願いする。
日記に内心は徳田秋声をバカにしたようなことが書かれているのがおもしろい。
「いまは(徳田秋声)先生と云わねばならぬ」――。
野心あふれる生意気な青年というものは、ときに迷惑なものである。
おそらく、徳田秋声は山本青年の原稿なぞ本気で読まなかったのではないか。
山本周五郎が原稿を返してほしいと3ヶ月後に訪問すると、
徳田秋声は原稿をなくしたという。
それどころか「あんな物を持ち廻ったところで、売れやしないぜ」とバカにされる。
絶望のさなかにある山本周五郎青年は日記に憤懣と悲嘆を書きつける。
ここも被害妄想的でとてもよろしい。
こういう感覚の持ち主が、のちに文豪と呼ばれる作家になるのかと勉強になった。
引用文中の[カッコ]内の記述は当方の書き入れた補足です。

「彼[徳田秋声]如きに大事な原稿を預けたのが予[私]の過失であった。
予は有(あ)らゆるものに信を喪(うしな)った。予は全くの一人だ。
家婦は予に爪を切る鋏(はさみ)を貸すことを断わった。
剃刀(かみそり)を貸すことを断わった。
世の中は如何(いか)に冷酷な無味乾燥な埃(ほこり)まみれな場所だろう。
今予はストリンドベリイの「青巻」を読んでいる。
ストリンドベリイは毎度予にとっては最も大きく且つ尊く良き師であり友である。
予は涙をもって彼の名を口にする」(P223)


どういう因縁か、この青年が当時若者を黙殺した徳田秋声とおなじ年頃になったとき、
山本周五郎の大ブームが起こることになるのである(土岐雄三「わが山本周五郎」)。
青年が世間から大々的に評価されるのは「青べか日記」を書いた約30年後である。
印刷所に廻すまえから編集部員が奪い合って山本周五郎の作品を読んだという。
しかし、山本青年が心酔したストリンドベリが世にかえりみられることはなかった。
最後に、徳田秋声などはるかに超える国民的作家になってからの
山本周五郎の言葉も引いておく。

「わかりきったことだが、小説は作者が「書かずにはいられない主題」があって書きます。
(中略) 作者のつかんだ主題が、歴史の中にみつけられたにせよ、
現実の中からつかんだにせよ、「書かずにはいられない」という情熱を感じたとすれば、
それは現代の読者に呼びかけ訴えたいという欲求に通じているはずです」(P15)


「読書、なかんずく小説を読むよろこびは、もう一つの人生を経験することができる、
という点にある。こちらに積極的な「読み取ろう」とする気持がありさえすれば、
たいていの小説はそれを与えてくれるものだ。
というより、ある場合には現実の生活では得られない情緒や感動を、
現実よりもなまなましく、――ときには肉体的にまで、――経験することができる」(P81)


「青べか物語」(山本周五郎/新潮文庫) *再読

→完全な小説だとは思うけれども、やはり古くさい。
作者の異常なまでの人間嫌いと劣等感が透けて見えて、
いやなやつほどいい小説を書くという定理が真実であることを思い知らされる。
自分は絶対正義とか信じていないとこういう名作は書けないのだろう。
山本周五郎といえば人情作家のように思われているが、
晩年の名作「青べか物語」は底辺が底辺をバカにしまくる楽しい小説である。
ああ、学や金のない底辺の人たちって怖いんですね。
それは同時に人間味豊かであるということなんだけれど、ちょっと濃すぎて、そこがおもしろい。
山本周五郎といえば、忘れられた文豪ストリンドベリを愛したことで知られている。
たまたまわたしもストリンドベリ邦訳作品はほとんど読んでいるので(こんなやついないだろ)、
せめて山本周五郎のストリンドベリ的なところを指摘したい。
これだけ評価の高い作家の作品にいまさらわたしごときが付け加える感想は思いつかない。
ストリンドベリはとにかく人間不信、人間嫌いで、
バカにしあう人間同士や男女を好んで描いた。
人間というものはずるくて汚くて自分のことしか考えず、他人をバカにするのが大好きだ。
これがストリンドベリの人間観であり、また「青べか物語」の人間模様だと思う。

老人の顔の描写である。実にストリンドベリ的でなおかつ日本語としてもうまい。

「眼には非人間的な鈍い冷たい光があり、
殆(ほと)んど唇が無いようにみえる薄い唇には、いつも人を小ばかにしたような、
狡猾な微笑が刻みつけられていた」(P17)


底辺漁師部落の五郎さんは若い妻をめとったけれどもすぐに離婚してしまった。

「町の人たち、ことに五郎さんの友人たちはこの離婚に不審を持った。
友人たちはこの結婚に嫉妬と羨望を感じ、五郎さんとのつきあいも疎遠になっていた。
云うまでもなく、花嫁が縹緻(きりょう)よしで、東京の女学校出身であることが、
かれらの庶民的な生活感情を刺激したのであって、
それが半年と経たないで離婚したとなると、かつての羨望や嫉妬が、
今度は激しい疑惑と詮索欲とに変った」(P59)


人間の本性は嫉妬で、人の幸運は腹立たしく、また人の不運は好奇心をくすぐられるのだ。
それから縹緻は新潮文庫さん、ルビを振ってくださいよ。
文脈から「きりょう」しかないとは思ったけれども、こんな漢字があったとは。
さて、底辺層の被害妄想を山本周五郎文学は心地よく、とろけるような甘さでくすぐる。

「彼は出るところへ出たのだ。県の県警本部までゆき、
金も地位もない者がどんな扱いを受けるかということを、
自分ではっきりと経験した」(P76)


以下は人生を貸借関係と見るストリンドベリ的人物と瓜二つの思考形式でうすら寒くなった。

「これだけ酷(ひど)いめにあわされれば、人は温和な気分を保つことはできないだろう。
自分が払わされただけのものを人にも払わせてやろう、
というような気持になるのが当然かもしれない」(P256)


「涙の数だけ優しくなれる」や「傷ついた人は人の気持がわかる」なんていうのは嘘で、
人生から残酷な仕打ちを受けたものは、おなじかそれ以上のことを人にやり返すのだ。
いじめられっ子が長じて自分がされたよりもはるかにひどいいじめをするのが底辺だ。
先輩からこれでもかと殴られた運動部員は残酷な笑みを浮かべながら後輩を殴ることに酔う。
人を苦しめるのはなんて楽しいのだろう。バカほどバカをバカにする。
山本周五郎の名作「青べか物語」の登場人物はストリンドベリ的でわたしにとても近しい。