「山田太一、小此木啓吾、「家族」を語る」(PHP研究所)絶版 *再読

→ねじり鉢巻きをして自己啓発書やビジネス本を血まなこで速読するのもいいけれど、
好きな作家のイージーでチープかつルーズな絶版対談本を
だらだら酒でものみながら亀のようにゆっくり再読するのもまた楽しい。
本書を読んで、もしかしたら個性的な人間とは嫌なやつのことではないかと思った。
こちらはいままでほとんどだれからも褒められたことがないので、
もうやけくそになって人目をはばからず自画自賛をすると(てへへ♪←かわいく!)
わたしのどこがすごいかと言ったら古今東西の戯曲代表作をまあほとんど読んでいるからだ。
たいがいの研究者は専門外国語の枠にこだわるのが流儀らしいので、
これほど国や時代にこだわらず、言わば節操なく劇作を読み漁っているものはいないと思う。
世界万国、時代いっさい問わずに、だ。
万が一おられたとしても、感想をこうしてブログに残しているものはたぶんいないだろう。

いかにも嫌なやつらしく自分を厚顔にも持ち上げたあとに、
ついでだからとあまりにも多くの人間から褒められている現代日本のドラマ作家、
山田太一先生にもいくばくかのあまり意味のない賛辞を差し上げておくと(当方が無名ゆえ)、
どうしてかの先生が偉いかといったら
古今東西の劇作をあらかた読破した当方が(まったく生意気にも←ごめんなさいですm(__)m)
日本最高峰の劇作家であると評しているからである。
物怖じせずはっきり言っておきたいが、
日本のテレビドラマのなかでいちばんだと申し上げているわけでは断じてない。
ギリシア悲劇やシェイクスピア、ノーベル賞劇作家、近松門左衛門等と比較して、
山田太一は日本がほこる最高位のドラマ作家だと主張しているのである。
まだ存命の作家をこのように持ち上げるのはおべっかのように思われるかもしれないが。
所詮は好き嫌いに過ぎない作品感想を大仰に語っているのはおかしいのかもしれないが。

さて、世界各国各時代の劇作を、「ただおもしろいものを読みたいから」
という理由で無意味にも無目的にも読み漁ったわたしが
もっとも好きなのはどこの国のものかと問われたらイギリス演劇になる。
やはりシェイクスピアの伝統があるからかもしれないと思うけれど、
こちらはお偉い学者先生からは程遠い単なる台本マニアに過ぎないので断言は避ける。
無名のこちらの意見など、どうでもいい。
本書に山田太一氏があるイギリスのテレビドラマを見た感想が記録されている。
なんでもイギリスで視聴率50%を取ったテレビドラマがあるそうだ。
タイトルは「傷だらけの報復」で、もちろんわたしは未見だ。
「社会の底辺で生きる女性たちが、
それより優位にいる男たちに対抗して勝ってしまう話」だという。
以下、山田太一氏のお言葉を勝手ながら迷惑をかえりみず引用させていただく。
イギリスのテレビドラマは日本のものと人物の描き方だけはくっきり違うらしい。

「要約して言うと、一人として文句なく愛せるような人物がいないのです。
みんなあまり美しくないし、欠点をたっぷり持っているし、
いやらしいくらいの人たちばかりなのです。
これは日本の若くて綺麗で、
好人物ばかりのテレビドラマを見慣れている私には、異世界でした。
特別、嫌な人間ばかりのドラマを作ったのではなく、
人間はこんなものだよ、という共通の感覚があるのだと思いました。
日本でこんな「醜い」人たちのドラマをやったら、
五〇%はおろか、五%もとれないかもしれない。
日本は「いい人間」になれ、
という社会の欲求のかなりキツイ社会なのだなと意表をつかれた思いでした」(P98)


わたしが英国演劇を好きなのは、嫌なやつが多く出てくるからだと気づく。
思えばわが尊敬するユージン・オニール(アメリカ)や
ストリンドベリ(スウェーデン)の芝居にも嫌なやつが大量に登場する。
考えてみたら、わたしは嫌なやつというのがそう嫌いではないのかもしれない
嫌なやつを見かけると微笑んでしまうところがどこかにある。
嫌なやつもまたいいものだ。おかしいのかもしれないが、嫌なやつもまたよろしい。
山田太一ドラマでとっさに思い出すのは「ふぞろいの林檎たち2」の中井貴一の上司や、
「想い出づくり」の田中裕子を食ったと自慢する上司だ。
どうしてか嫌なやつのことが好きである。
作者は嫌なやつではないと知りつつも、山田太一ドラマが好きだ。

「何が終わり、何が始まっているのか」(山田太一+福田和也/PHP研究所)絶版 *再読

→よほど執念深い性格なのだろう。
いまだ忘れられないのだが、むかしある山田太一ファンに苦言を呈したことがある。
というのも、ファンを名乗るくせに山田太一さんの著作をまったく読んでいなかったからだ。
たぶんこちらがおかしいのだろうが、
わたしは著作を読んでもいない作家の講演会に行く手合いがわからない。
わざわざ手間暇をかけて講演会に行くよりも読書のほうが短時間で豊富な情報を与えてくれる。
当人はわたしとおなじ高校の卒業生だったから、
偏差値的に識字障害という可能性はありえない。
どうしてみなさん講演会に行くまえに
話者の著作を1冊でも2冊でも読まないのだろう。
山田太一さんの本を1冊も読んでいないくせにファンだというのはおかしい!
うっかり世間知らずにもこういう思いをネット掲示板で公開してしまったら、
とある山田太一信者の女性から叩かれまくった。
そのときまで知らなかったが、作家のファンクラブのような世界では、
作家と近い距離にいるものほど(=面会した回数が多いほど)権力を有しているようだ。
こうしてわたしは現実=世間を知った。
いや、教えていただいた(嫌味ではなく本音で感謝してまっす、Eさんに敬礼♪)。
本当にまったく現実=世間というものは、書物とはまるで違うのである。
そして、どうやらたいがいの人は書物を読むのをあまり好まないようだ。

このため、うちのブログのように本に書かれた内容を引用するのは問題なのかもしれない。
なぜなら、著者はお金を払って時間を取って読んでくれた読者のために
貴重なご意見を開陳してくださっているのだから。
書物をネット上に引用してしまうと、だれでも無料で読めてしまう。
本来なら本など嫌いで読まない人にも情報が行きわたってしまうことになる。
著者はわざわざ時間と金をかけて(しつこくてすんません!)
自著を読んでくださる方のために公開した内容かもしれないのに。
この対談本の出版当時(1998年)は、
まさかネットがこんなに盛んになるとはだれも思っていなかったと思う。
うまく世渡りしたかったら、批判めいたことはあまりおおやけにしないほうがいいのである。
作家ならばみんなが聞いている講演会ではあまり本音を述べないほうがいい。
せいぜい売れても1万部くらいの本だから言えることもあるはずだ。
以下の山田太一先生のご発言がそうかどうかはわたしにはわからない。
いまのご年齢とお立場を考えて、まあ大丈夫だろうとこちらが勝手に判断した結果の引用だ。
ともあれ、興味深いご意見である。

「ちょっと飛躍した例かもしれませんが、テレビのプロデューサーなどは、
誰を起用しようかというときに、結局、自分に蓋をしてしまうんですね。
この人には嫌悪感というものがないのかと思うことが時々あります。
とにかく視聴率が取れるのなら誰でもいい。
「視聴率がどうあってもあいつじゃないと嫌だ」というのがないんですね。
冷たい、自我がないというか、
そういうふうな人たちが増えているという気がするんですね」(P126)


むかし山田太一さんの影響でシナリオライターに興味を持ったことがある。
その関係でいつだったかライター志望者向けの某テレビ局プロデューサーの講演会に行った。
どうして詳細を書かないのかと言うと、書くなとなかば脅されたからである。
みなさん、今日自分が話した内容はいっさいツイッター、ミクシィ、ブログ、
つまりネットに書かないでください。
コンクールの選考委員もしている権力者の言葉である。
もうむかしのことなのでよく覚えていないが当時、ある政治家がマスコミに向かって、
このこと(オフレコ)を公開したらその記者はどうなるかわかるね?
という脅迫をしたことがたいへんな話題になっていた。
なーんだ、テレビ局のお偉いさんも政治家とおなじかと思ったものである。
わたしはマスコミ社員のように大企業に守られていないから、
書くなと禁じられたことは断じて公開しない。
おそらく、あの発言が出世に響くだろうと小心にもおびえたのだと即座にわかった。
(わたしから見たらぜんぜん大したことではないんですよ)
とはいえ、権力者に軽々しく逆らうものではない。
このため、そのネタを外して穏便なところだけ、まあフィクションのようなものとして書く。
いつだったかどこかのテレビ局プロデューサーさんは、
やたら保険という言葉を講演会で使っていたような記憶がおぼろげながらある。
うちらはサラリーマンだから絶対に大失敗はできない。
こういうことをライター志望者のみなさんが知ったらショックかもしれないけれど――。
そう前置きをして、テレビドラマの作り方を説明してくださった。
とにかく保険をかけまくるのだという。
人気作家の原作小説、人気俳優、人気脚本家――。保険はかければかけるほどいい。
サラリーマンだから冒険なんてできない。テレビドラマとはそういうものだ。
このお話をうかがって以降、なにやらつきものが落ちたようにシナリオに関心がなくなった。
だから、反発どころか現実を教えていただいて感謝している面もある。

山田太一先生のいわばオフレコだけを公開するのは卑怯かもしれないと勝手に思い違え、
いつのことだかどこのことだかも定かではないうろ覚えのことを生意気にも書いてみました。

「幸福になれない理由」(山田太一・小浜逸郎/PHP研究所)絶版 *再読

→酒をのみながら好きな作家のゆる~い対談本を読むのはいいものだよ。
最近になってようやく気づいたのだが、
どうやらわたしはテレビドラマがとりわけ好きなのではなく、
山田太一ドラマのみ偏愛しているようだ。
このことがわかったのはいつも山田太一情報でお世話になっている
ドラマ・ファン掲示板の管理人、あいどん氏のおかげかもしれない。
あいどん氏はもう……おっと! 
うっかり個人情報である年齢を書きそうになってしまった。
自分が個人情報を公開しているからといって人様のものまで書いていい理由にはならない。
あいどん氏はけっこういいお年なのだが(ぼかしましたからね)、にもかかわらず、
いまやっているテレビドラマまでがんがんご覧になっているというのだから。
もしかしたらあの世代はことさら感覚がヤングなのかもしれないが、それでもすごい。
わたしはテレビドラマを辛抱と思ってみることが多い。
正直、よく理解できないのである(哲学書のようなもんですな)。
もはや自分が正しいという傲慢な感覚は完全に捨て去っている。
テレビドラマはみんな(多数派)のためを思って、
社会上層部にいらっしゃる優秀な方たちが何度も会議をして創ってくださっているのだから、
理解できないとしたらわからないほうが悪いのである。
老いてなおますます人格がゆがんできたわたしのように悩みの多い人間は、
テレビを見るより本を読んだほうがいいのだろう。
大半のテレビドラマは悩みを描くものではないと本書で山田太一先生もおっしゃっている。

「若い人たちの内面の悩みというのは
身の上相談レベルでは出にくいものが多いから、
なんとかそういう深度に手が届くようなドラマを書きたいと思うのですけれど、
ま、多くの観客は、そんな現実はいいよと、むしろ現実を忘れる架空の物語、
当たりさわりのない友情のすれちがいとか、恋のすれちがいとか、
そしてハッピーエンドで終わるドラマを、
いい音楽ときれいな俳優さんといい映像で見ればいいというところでしょう。
それも私はあるリアリティだとは思うけれど」(P49)


まったく本当にそうだと思う。山田太一先生は正しい。
世の中は理不尽なことばかりでいまの若い人はとくに傷ついているのではないかと思う。
そういうたいへんな人たちのためにテレビ局の人たちはドラマを制作なさっている。
しんどい現実なんか見つめさせてどうする?
現実は見つめるものではなく、忘れるものだという見方は意義あるものだと思う。
深みのあるドラマを求めているのはある意味苦労知らずの有閑者だけなのかもしれない。