古いパソコンを捨てるのも面倒なのである。
リサイクル法にしたがい製造元の日立に送るのが一般的なのだろう(無料!)。
だが、梱包はこちらでしろというではないか。
そのうえで自分で郵便局と連絡をとって引き取ってもらえ。
いくら無料でも怠惰なわたしにはやりたくないことばかり。
ところが、さすがインターネットである。
こちらで梱包などしなくてもよく、
向こうから無料で引き取りに来てくれる業者があるというではないか。
さらに、同時にプリンター、ワープロ、オーディオ機器も無料で回収してくれる。
おお、この機会についにこれで大学の卒論を書いたワープロも捨てられる!
すぐに飛びつきそうになったものである。
しかし、そんなうまい話があるものだろうか?
いちおう用心のため、その企業のことをインターネットで検索する。
悪評が出てきたら取引をやめるつもりであったが、トラブルの報告例はなし。
それにしても企業名でネット検索したら悪評が出てくる業者はなんなのだろう。
よほどひどい接客をしないかぎり、ネットに悪口は書かれないはずだ。

このネット検索結果をふまえて
「パソコン回収.com」さんに電話したら実に対応がいい。
わたしは吃音(どもり=言語障害)を持っているので、
つっかえつっかえで聞き苦しかったと思うが、丁寧につきあってくれた。
最初は2月8日まで回収は無理だとのことだったが、
早く処分したい旨を伝えると明日なんとかしてくれることになった。

いきなり話は飛躍するが、日本ほどいい国はそうないのではないかと思う。
大して旅をしたわけではないが、
わが国ほど接客サービスがいいところはないのではないか。
新しいパソコンは東芝のものを購入したが、アフターサポートが本当にいいのである。
こちらはパソコン初心者なので、わからないことがあるとつい電話してしまう。
購入してからまだいくらも経っていないのに2回もサポートに電話している。
どちらともとても親切な対応をしてくれた。
東芝のパソコンを買ってよかったと思ったものである。
そういえば大学の卒論は東芝のワープロで書いたから、原点に戻ったのかもしれない。
こういうことを書くのが底辺庶民なのだろうが、買った東芝パソコンは8万円なのである。
8万円の商品に、こうもアフターサービスが充実している。

いまさらぶり返したくないので企業名は伏せるが、
ある企業に十数万円支払ったことがある。
十数万円といったら、うちのブログをお読みのような方には大金だと思う。
東芝の親身なサポートを知ったいまだからいいたいのだが、
わたしから十数万円のお金を徴収したこの企業の顧客対応は本当にひどかった。
いきなり狭い場所に座らせられて3時間半もトイレにさえ行かせてもらえなかった。
なにをされたかというと、鬼のような形相をした老女からの難詰である。
十数万円も支払った企業のトップからわたしは延々と人格批判をされた。
あげく、わけもわからずに企業との契約を一方的に解除されたのである。
こちらが支払った代金が一部でも返金されることはなかった。
いまだから書けるが、このときお金の話をしたら、

「ふざけんじゃないわよ!」

と経営者は声を荒らげた。いまでも耳の奥に声色が残っている。
それから「どうせあんたは匿名ブログでしかものを書けないでしょう」とこちらを見下した。
(当時「本の山」はいまとは異なり匿名ブログだった)
社長は実名でブログを書いているのが自慢らしく、
「あんたなんかとは違う」といわれた記憶がある。
後日、不明点があり、この企業に電話したら、また社長が大声でわたしを怒鳴った。
東芝は8万円の客にあれほど親切にしてくれるけれども、
わたしが十数万円支払ったその企業は経営者みずからが怒鳴りつけてくるのである。

東芝のサポートのすばらしさを知って、
いまさらながらその企業のひどさを思い返した。
というか、東芝のみならずNTTもパソコン回収.comもみなサービスがいいのである。
高い料金を払ってくれた客を怒鳴るような会社は日本にはほとんどない。
わたしは「お客様は神様だ」とは断じて思っていない。
だが、人としてお金をもらった相手を罵倒するのは問題ではないかと思う。
企業名を書いていないが、むかしからの読者様はそこがどこかおわかりだと思う。
正直、そこの企業には本当に迷惑しているのである。
その企業経由でおかしなメールがいまでも来るからである。
あまりにもひどいので昨日、その企業に電話をした。
電話相手は、上にはとりつげない、とのことだった。折り返しの電話もしない。
相変わらずのひどい顧客対応にむしろ「変わらないな」と感動すらおぼえたわたしは、
かなりの変わり者なのだろう。
いろいろな会社があってよろしい。
なかには株式会社シナリオ・センターのような殿様商売の企業があってもいいと思う。
新しいパソコンをネットにつなげることに難渋した経緯は以前書いた。
NTTのサービスのおかげで翌日には驚くほど楽ちんにつながった。
そのほかのものとはどうだったか。
プリンターとは1時間半程度の格闘でつなげるのに成功した。
そして、なんと奇跡が起こって、テレビとつなげることにも成功したのである。
古いパソコンでは人の力を借りたけれど、結局テレビとは接続できなかった。

地デジというものを生まれて初めて見たが、きれいなもんだ~ね。
ちなみにうちのテレビは地デジ非対応の旧型(購入は2000年)。
地デジ化でテレビが見(ら)れなくなるのかな~とのんきに構えていたら、
なんでもケーブルテレビのデジアナ変換とかでふつうに映っている。
さらにどうでもいい個人環境をさらすと、うちではいまでもビデオデッキが健在だから。
録画したいときは(そんなのはいまや山田太一ドラマだけだが)
ビデオテープのお世話になっている。
もっともビデオデッキは時計機能が壊れかかっていて、もはや引退寸前だ。

このためパソコンでテレビが見(ら)れるのが嬉しかったのである。
というのもパソコンで録画もできるし、
その映像をDVDにコピーすることも可能らしいのだから。
もちろん、テレビを見ながらネットをすることもできる。
2日まえに初めてこれをやったときは自分が貴族かなにかになったような気がした。
テレビを見ながら、ネットもやる! ハイテクだぜ、おれおれおれ!

プリンター接続とテレビ接続で、マニュアルの読み方がようやくわかった。
いっさいよけいなことを自分で考えてはならないのである。
無私に徹してマニュアルの指示通りに行動すればよろしい。
うまくいかなかったら対策を自分で考えたりしないで、
再度マニュアルに従い同じ行為を繰り返すべし。
人間は変わるもんで、以前はマニュアルが嫌いだったけれども、
いまではマニュアルもなかなかのものではないかと思いを改めている。
マニュアルも、そう悪くない。マニュアルにもいいところはある。
なぜならマニュアルのおかげで、
こんな機械オンチのわたしがパソコンをプリンターやテレビにつなげることができたからだ。

マニュアルでつながろう!
あんがい対人関係や人生にも(いままでは嫌っていたけれど)
マニュアルが有効なのではないだろうか。
パソコンのつながりのみならず、人とのつながりにもマニュアルがあるのではないか。
明日にでもブックオフで人生や人間のマニュアルを買ってこようか。
「成功者がしている10のこと」
「友人の作り方」
「女は男のここを見ている~銀座ママが教える、もてマニュアル秘伝10~」
「夢がかなう法則があった! これであなたの人生は激変する!」
「引き寄せの法則! 人生は思い通りになる!」

しかし、人とパソコンは違うだろう。
パソコンは出荷時にはみなおなじだからマニュアルが有効である。
ところが人間は初期設定が千差万別といっていいほど異なる。
出荷時のパソコンのように一様ではない。
バカがいれば秀才もいる。美人がいれば醜女もいる。金持と貧乏人では大違いだ。
いや、考えるな。よけいなことは考えずにマニュアルに従え。
マニュアルは正しい。
マニュアルに書かれた通りに行動したら、きっとうまくいく。
マニュアルでプリンターともテレビともつながった。
どうにかしてマニュアルで人ともつながりたい。
つながろう、つながろう、つながろう、マニュアルで!
やたら個人情報を守ろうとする最近の風潮はバカげているのではないか。
おいおい、おまえさんはそんな重要人物なのかい、とからかいたくなってくる。
そもそも、だれがたとえばわたしのようなものの個人情報を知りたがるか。
こんなことを思ったのは、
パソコンを廃棄するときのデータ消去について調べたからだ。
パソコンの裏を開けてHDDを壊せなんていうアドバイスが出てくる。
そんなことする必要があるかよ。
だれがあなたやわたしのような底辺庶民の個人情報に興味を持つかってんだ。
データ消去に過剰にこだわるやつを見ると、
どんな変態的性癖を持っているのかと疑ってしまう(笑)。

おれはおまえらとは違うんだよ、と反抗心がもたげてきたので、
パソコンをフルチンで処分しようかと思った。
つまり、データをなにひとつ消さないで、そのまま持って行ってもらう。
お気に入りもマイドキュメントもすべてそのまま。フルチン廃棄。
しかし、しばらくしてから、
お粗末なものを人目にさらすのは失礼ではないかという公共心がよみがえる。
再セットアップ(初期化)くらいマニュアルを見ながらやるか。
そう思っていたら旧パソコンのDVDドライブが故障していて開かない。
再セットアップはあきらめ、手動で目に見える範囲内のデータをゴミ箱に入れた。
データ復元なんかかんたんなのだろうが、してもなにもいいことはないよ。
したかったらお好きなだけどうぞ、とこちらは余裕である。

個人情報をやたら気にする人はいったいなんなのだろう。
そんなにみんなが自分に関心を持っていると無邪気に信じているのか。
だれもあんたなんかに興味を持っていないんだよ。
だれもわたしなんかに関心を持ってくれるはずがない。
だから、書けといわれたら、ここに携帯電話の番号を書いてもいい。
保証するが百パーセント電話などかかっては来ないだろう。
通話料を払ってまでわたしなんかと話したい暇人がいるはずがないではないか。
同様に住所をここに書いても構わない。
絶対にだれひとりとしてわたしを訪ねてくるものはいまい。
いたずらで宅配ピザを頼まれたらいやだけど、そこまで人から恨まれるおぼえはない。
我われの個人情報なんてまあ、そんなもんなんだ。
それほど必死になって守ろうとするものではない。
個人情報を過剰に意識する人を見ると、自分が見えていないなと思ってしまう。

メールで名前を名乗らない人にも似たようなことを思う。
(わたしは実名主義者ではないのでHNの方にも丁寧な対応を心がけていますが)
でもさ、なーに、用心深くなっているのか。
名前なんかばれたって、だーれもあんたなんかに興味を持たない。
これはおばさんに多いのだが、
電話番号を教えるとストーカーされると信じている愚か者がいる。
おうちに鏡はありますか? 
と質問したくなるようなおばさんに限って妙に用心深い。
逆にきれいな子は不用心と思えるくらいストレートなメールをくださる。
なんで自分はストーカーされる価値があると思う女性が多いのだろう。
どうして自分が他人から愛される価値があると思えるのか、
わたしからしたら不思議でしようがない。

人気タレントや有名作家ならいざ知らず、
我われごとき下層民が過剰に個人情報を気にするのはみっともないからやめようぜ。
という提案をしてみました。
とはいえ個人情報ならいいけれど、
全裸写真やハメ撮り写真が流出した女性は笑え、いや、かわいそうだと思う。
バーガーの人とか、いまなにをしているんだろう。
ストーカーを恐れるのなら、あのくらいの美人になってからにしてほしいと思う。
人間は本当に他人に興味を持たないのだから。
人間はだれしも常に自分のことばかり考えているのである。
だから、他人はまったく関心を持たない自分の個人情報を宝物のように思ってしまうのだ。
これを書いている自分がいちばん信じられないことなのだが、
いま新しいパソコンからこの記事を投稿しているのである。
Windows8ですぞ! ハチじゃなくてエイト!
(ウインドウズハチと発音して店員さんにさりげなく誤りを指摘されました)
結局、なんとかなるもんなんだな~。
ひとりでパソコンを買えたのも不思議だし、ネット接続なんて絶対に無理だと思っていた。
それがそれが、どうしてどうして、さっきはリカバリディスクまで作っちゃったもんね。

これは自力の勝利なのかというと、そうともいえないような気がする。
というのも、ほとんど他人の力、つまり他力といってもよいからだ。
量販店の店員さんの説明にどれだけ助けられたか。
サイコーに感謝したいのはNTTリモートサポートサービスさんだろう。
これを教えてくださったブログ読者様にも改めて謝意をお伝えしたいですね。
コメント欄のご助言は的外れなものが多いような気もしますが(失礼!)、
リモートサポートサービスを教えていただけたのは本当に助かりました。
自力でネット接続なんて絶対にできなかった。
NTTリモートサポートサービスのきれいな(ただし妄想)お姉さんに
遠隔操作してもらってはじめて、
あれほどこちらはなにもせずともネット回線が通じたのだと思う。

そうはいっても人の親切に感激ばかりしていたのかというと、それもちょっと違う。
量販店Bの店員さんは本当にわかりやすい説明をしてくれたけれども、
プリンターの話になったら2万円もする高いものを当たり前のようにすすめてきた。
量販店Kの店員さんはリカバリディスクの必要性をありがたくも教えてくれたけれども、
それはディスク作成代行6500円をすすめるためだったとも思えなくもない。
むろん、それでも量販店Bと量販店Kの店員さんへの感謝は相当にあります。

いまはパソコンも安いんだ。
7年前に買ったときは17万いくらもしたデスクトップ型パソコン(日立プリウス)。
いまはパソコン、プリンター、ウイルスソフト、DVD(リカバリ用)で、
あわせて計10万円もしなかったのだから。
今回は、遠隔操作ありの手厚いサポートをしている東芝のパソコンを買いました。

すべて自力でここまで来たけれども、考えてみると断じて自力ではない。
よくさ、自分大好きな成功者とかがいうではありませんか。
自分が成功できたのだから、きっとだれでもおなじように成功することができる。
わかりやすいたとえを用いるのならば――。
禁煙に成功したヘビースモーカーは、決まってだれでも禁煙できると主張する。
断酒にいまのところ成功しているアル中は、酒は努力次第でやめられると断言する。
さて、なんとか自力でパソコン設定およびネット接続に成功したわたしだが――。

ごめんなさい。
だれでもパソコン設定やネット接続くらいはできる、とはいえません。
こんなわたしができたのだから、きっとだれでも、なんて、とてもとても。
たまたま運よくいい量販店の店員さんと出逢えた。
たまたま運よくNTTリモートサポートサービスを教えてもらえた。
そのうえで、たまたま自分が思っているほど重症のパソコン音痴では(どうやら)なかった。
お年寄りの方は、やはり有料のサービスを選択するのも一手だと思う。
とても自分のようには、たまたまうまく行かないと思うからだ。

似合わないセリフなのだろうが、
新しいパソコンに代えた(=古いパソコンが壊れた)ことを
「機が熟した」と前向きにとらえ、
心機一転、現世への執着を復活させ、おのれの煩悩(ぼんのう)を全肯定したい。
要するに、いくらかギラギラしたいってことだ。
*ネタバレあり。観劇予定者は要注意。

1月13日、山田太一書き下ろし作品「心細い日のサングラス」を観劇。
作者の意図ではないのだろうが、
「人の親切は素直に受けろよ」という押しつけがましさを感じてしまった。
舞台はデイサービス施設の事務室である。
2幕目に笑えなくなった26歳の青年が新しいパートとして入ってくる。
以前は特別擁護老人ホームで2年半働いていて笑えなくなったという。
1年以上鬱(うつ)だったという。
「嘘ばっかり。全部、嘘ばっかりな気がして笑いをつくれない――」
いい子なのだろう。
特擁のホームでジイさんバアさんを見捨てたような気がしているのかもしれない。
この笑えない青年を笑わせようと、デイサービスの老人や同僚が尽力する。
作者一流の筋運びは健在だ。
というのも、デイサービスの所長夫妻にうまいカセをつくるからである。
老いた夫婦はともに病院で検査するのを怖がっている。
夫はアルツハイマー、妻は難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)の疑いがある。
検査をして本当のことを知るのが怖い。
そこで笑えない26歳の青年が笑ったらお互い検査に行こうと誓うのである。

ならば、所長と老妻は、本心では青年に笑ってもらいたくないのではないか。
笑わせようとする一派と、笑わせたくない夫婦とのあいだで
どんなドタバタ喜劇が繰り広げられるのか客席で期待したものである。
どれだけ笑わせてもらえることか、と。
夫婦ともに病気の疑いがあることは観客しか知らないのだから、
この設定をうまく使えばかなりの笑劇を仕立て上げることができるはずだ。
さすが山田太一さん、やるな、うめえ、と内心で拍手したものである。
ところが、そうならないのである。
いまでもわけがわからないのだが、青年はいきなり笑い始めるのである。
仕事が終わって、みんなでお茶でもしようということになる。
そこに青年の恋人がサプライズとして現われる(青年の同僚による仕掛けだ)。
彼女はタヌキの格好をしていて首からぶら下げていた太鼓をポンと叩く。
ただそれだけで笑えない青年が大笑いするのである。
芝居を見ていたときも不自然な笑いであった。
どうして笑えない青年はあそこで笑ったのだろうか。本当にわからない。
1260円支払って台本が掲載された雑誌を購入した。
日を改めて二度読んでいるが、それでもわからない。
坂元正明くんは、どうして笑ったのだろうか? 正明、なにがおもしろかったんだい?
役者や作者に問い合わせをしたいくらいだ。俳優座に電話をかけて聞いてみようか。
坂元正明を演じた役者に質問したい。どうしてあなたはあそこで笑ったのですか?
一瞬、場の空気を読んで、おかしくもないのに笑ったのかと疑った。
しかし、台本を読んだところ、どうやらそうではないようである。
おかしくもないのに笑うのが役者という商売だと開き直られたら仕方がない。
役者は台本に「笑う」と書いてあったから笑ったに過ぎぬ。

「正明 (こみ上げる笑いに身をかがめる。泣いているようにも見える)」

これに役者はかなり困ったのではないか。
最初は役者が大根なのかと思ったが、もしやこれは演じられないト書きではないか。
恋人が太鼓をポンと叩くと坂元正明は大笑いする。
のみならず、みんなに土下座までするのである。土下座しながら正明はなにを言うか。

「ああ――ああ――急にオレ、そのポンで、
なんか、みなさんの親切がドーッと分った。
オレ、どうかしてたんだって、
人間っていいなって、みんなあったかいんだなあって。
(……) ああ、でも、みなさん、ありがとうございます。
オレ、ここんとこ、人って、なんて悲しくて、
なんて冷たくて、なんて嘘つきで――」


笑えない青年は土下座しながら改心するのである。
懺悔(ざんげ)すると言ってもよい。
オレは間違えていた、正しいのはみなさんだ!
みなさんが正しい、ありがとう、ありがとう、みなさん、ありがとうございます!
ちなみに土下座は台本で指定されていないから演出だろう。
若い俳優さんは偉い演出家に土下座させられているのである。
坂元正明くん、きみは土下座なんてしなくてもいいんじゃないかな?
無愛想なデイサービス職員がいたっていいじゃないか!
それに時給千円そこそこのパートだろう?
日がなニッコニッコしていられたら逆に気味が悪い。
笑えばいいのか? みんなとおなじように笑えばいいのか? 正明、なぜ怒らない?
わたしがあの状況にいたらバカにされたと思って怒るかもしれない。
サービス残業で老人の昔話につきあってやってんのに、なんなんだこれは!
フザケンナ、バカヤロウ、こんな職場辞めてやる!
しかし、坂元正明は怒らない。
土下座しながらおのれの非を詫びて、正しいみなさんに感謝するのである。

作者とわたしの世界観が違うのだろうか。
もう10年以上まえになるが、まったく笑えなくなるような不幸に見舞われたことがある。
周囲が親切からしてくれることにどれほど迷惑しただろうか。
ただ、そっとしておいてほしかったのだ。
笑え、笑え、なんて強制されたら自殺していたかもしれない。
実際ありがたいことに、そっとしておいてくれる人がいたから、
少しずつ立ち直っていくことができたのである。
「心細い日のサングラス」の坂元正明の場合、
恋人が「べつに笑わなくてもいいよ」と一緒にいてあげたわけではないようだ。
「笑わないのはおかしい」と率先してタヌキの格好までしている。
ちなみにタヌキの格好は台本を逸脱した演出家の暴走である。
台本には「通勤の小リュックに小太鼓とバチという服装で」とある。
おそらく、演出家もどうして坂元正明が笑うのか理解できなかったのではないか。
このため、美しい女優にまぬけなタヌキの着ぐるみをかぶせた。
まあ、本音を言えば、あんなきれいな彼女がいて
笑いがこみ上げてこないのはおかしいのだが、これはひがみ根性かもしれない。

むろん、孤独な人間には親切しか救いがないという作者の人生観もわかる。
親切を、親切まで否定したら、もう孤独な人間はどうしようもない。
行き場がなくなってしまう。
せめて親切があるから、いっときでも救いのようなものがあるのではないか。
こういう山田太一さんの思いもわからなくはないのである。
人のお節介をありがたい親切なんだと解釈して感謝できるようになるのは老成だ。
老作家ならまだしも、たかだか26歳の青年にそれを求めるのは酷ではないか。
人からの親切をありがたいと思えるのは相当な人物なのである。
もし坂元正明が若き人格者というなら、あまりにもいい子ぶりが過ぎる。
他人というものは、こちらがしてほしいと思っていることをしてくれないで、
良かれと思って見当はずれなことをして自己満足にふけるものなのである。
かといって、現実を描いていないと芝居を裁く気はさらさらない。
なぜなら、芝居は非現実を描くものだからである。
わざわざ高い金を払って芝居小屋で現実なんて見せられたいもんか。
山田太一さんは親切が通じるシーンを見たかったから書いた。
現実がそうではないことを熟知しているからこそ夢を抱いた。
大半の親切がありがた迷惑にしかならないことを
老作家が知らないわけないではないか。

最後は舞台にいる全員で「悲しくてやりきれない」を唄う。
ひとりくらい唄わないやつがいてもいいのではないかと思ったが、
みんなでおなじ歌を元気に唄っていた。
「悲しくてやりきれない」は元気に唄うものではなく、
泣きながら悲しく唄うものなのではないかと思ったが、みんな元気だった。
泣いてはいけないのか。
笑わないやつは土下座してみんなに詫びなければならないのか。
泣くな。笑え。元気に笑え。
芝居が終わりみんなと一緒に拍手しながら、なんだか泣きたくなった――。

賢明なみなさんはよくおわかりでしょうが、いちおう断っておきます。
このつたない感想文は「心細い日のサングラス」を批判しているわけではない。
山田太一先生の作品をわたくしごときが批判できるはずがないではないか。
ただわからないと言いたかった。わからない。いくら考えても理解できない。
どうしてあそこで笑えない坂元正明が笑ったのだろうか?
おそらく、いや、きっと、そこにこそ、わたしの人間としての欠陥があるのだろう。
人としておかしなところがあるから、坂元正明の笑いを理解できないのだと思う。
これは彼のいい子ぶりっこを真似たわけではなく本心である。
この文章の書き手は、救いのないどうしようもない人間なのだろう。

(付記1)総合演劇雑誌の「テアトル」さん!
戯曲に人物表をつけてくれなきゃ、あれではなにがなんだかわかりませんよ~。
わたしはたまたま芝居を見ていたから戯曲を読むことができましたが。
まあ、マイナー雑誌掲載の戯曲なんてだれも読まないものなのでしょうが、
なかには変わり者が実際にこうしているわけですから。

(付記2)夫がアルツハイマーがどうか妻が検査する場面では大笑いした。
「7291」を逆に言ってみて。
「100から9を引いて。そこからまた9を引いて……」
言われたら観客たる我われもついやってしまう。
なぜ笑ったかというと、俳優座劇場の観客席が老人ばかりだったからである。
絶対にあのなかにはひとりふたりボケかかった老人がいたはずだ。
あのお芝居で自分が認知症だと気がついてしまうのは悲劇なのか喜劇なのか。
山田太一さんは意識して書いたのか、それともたまたまなのか。
この作家らしいブラックユーモアに気づいて笑いがとまらなかった。
よし、まだパソコンが動いている。
いまの大学生にとっておそらくパソコンの設定なんか、
ぼくの時代の自分で髪を染めるようなもんなんでしょう。
文学部のレポートという名の読書感想文(10枚)をやってあげるから、
代わりにパソコン設定とネット接続をお願いしたいくらいだ。
お互いにまあ1日で可能なことなのだから。
大学生が1週間かかることでも、こちらは1、2日で可能。逆もまた真なり。
まったく本当に人それぞれだ。
こないだ激安靴屋のお若い店長さんのお話をうかがっていたら、
いま履いている靴が2万円するというではないか。
えええ、と悲鳴を上げてしまったのは失礼だったのか。
ぼくの買った靴は3足みな2千円で、クーポンを使ってそれぞれ3百円引いてもらった。
(なんでも靴はローテーションを守って使いまわすと長持ちするとか)

パソコン設定くらいになにをおびえているのか。
けっこうめちゃくちゃな好き勝手な人生を運よく送れているからトラブル経験は豊富で、
インドで地図のない土地を旅したことも、
中国で人も車も通らない田舎の沿道にバスの運ちゃんの手違いから降ろされたこともある。
そのほか酒をのむという悪癖があるため、言葉も通じない場所での修羅場は数ある。
といっても、いまは世界中どこに行っても日本人はいるし、
もっとたいへんな旅をしている方はたくさんいるから決して自慢ではない。
むしろ、恥なのだと思っている。
なにがいいたいのかと申しますと、結局なんとかなっていることである。
言葉が通じない異国でのトラブルも、いま考えたら、それほどのことではない。

ならば、母国のパソコン設定、ネット接続くらい、なんでもないではないか!
なにをそう怖がっているのだ。恐れるな。胸を張って進め。
とは思うけれども、パソコンが苦手、マニュアルが嫌いなのである。
感情の入っていない言葉の羅列を大量に読み、
さらにそれらに忠実に従うことを非常な苦痛に感じる。
機械の説明書は、たいがい読まない。
はっきり言って、パソコン設定をするくらいなら、
インドの片田舎に放置されるほうがまだましなのである。
大多数の日本人はインドよりもパソコンを選ぶのではないかと思う。人それぞれだ。
これは経験の差だろうか。何度も体験したから異国の孤独をさほど恐れないのか。
それとも向き不向きなのか。

結局、覚悟を決めるしかないのかもしれない。
どういうことか。パソコンがぶっ壊れるのを待つ。
完全に動かなくなってから使いたくなるまで待つ。買うしかない。
届いたら、それからが問題だ! 設定をしたくなるまでどのくらいかかるのだろう。
むかし買ってきた靴の穴にヒモを通すのがめんどうだという理由で、
当時履いていた靴に穴が開き雨が降るまで1ヶ月以上放置していたことがある。
これを知ってバカにしたあなたの靴の金額を知ったら(高い!)、
今度はぼくのほうがバカにするかもしれない。つくづく人それぞれだ。
おお、まだパソコンが動いてくれる。
したことはないけれどさ、パソコン購入は結婚みたいなもんじゃないかと思う。
だって、いくら相手の情報を集めても、
実際に結婚(イコール購入と書いたら怒りますか?)してみないとわからないじゃない。
家柄、職業、年収、資産、親、きょうだい、血液型……。
結局さ、いくら大会社のエリートと結婚してもリストラされるかもしれないわけだから。
うっかり交通事故で人を殺しちゃうことだってないともいえない。
失敗だったら別れたらいいというかもしれないけれど、子どもができていたらそうもいかない。
子どもだって、まず産まれるかどうかもわからない。難病の子かもしれない。
パソコンもいろいろあるけれど、買って使ってみないと最終的にはわからないよね。
買ったらそうかんたんに捨てられない。つきあっていくしかない。
けれどさ、どんな有名ブランドの最新パソコンだって
相性が悪ければすぐに動きがおかしくなると思う。

ぼくの場合、結婚はまったく選択肢がないから楽ちんだけどパソコンは異なる。
いっぱいパソコンがありすぎるから、どれにしたらいいか決められない。
だから、結婚なんだろうな。しつこいけれども結婚だ。
量販店に行って実際に触れてみてピーンと来たのを勢いで買うしかないんじゃないかな。
もちろん、1回で購入する勇気はないけれども。
なにかしら非科学的なご縁のようなものを信用するしか、あんな高級品は買えない。
で、考えてみたら(したことがないからわからんが)、これってまさしく結婚じゃない。
最低限の情報をあたまに入れたうえで冒険するしかないのだろう。
で、結婚手続きがあれこれたいへんなように(相手の親への挨拶、結婚式等)、
パソコンも設定やネット接続といろいろ苦労しなければならない。
むかしはお見合いがあったけれども、パソコンはもちろんなかった。
パソコンはお節介ばばあが決めてくれないから、自分で恋をするしかない。
これを使っていくぞ、と惚れこむしかない。
ああ、めんどくさい、……とかいっちゃいけませんね。

☆  ☆  ☆

パソコンのことを考えるのに疲れたので話を変えるけれど、
うちのブログの読者様の男女比を調べたらあんがい女性のほうが多いような気がする。
いやいや、ぼくがもてるから、というわけじゃ、もちろんありませんよ。
男性は仕事――出世、収入、人脈の維持や開拓に追われて、
こんな無名人のブログはふつう読まない。
その点、女性はわりと、そういう世間的なせわしなさから自由なところがあるのではないか。
まあ、なんだかんだいっても女性は社会構造のうえで出世の限界があるのかもしれない。
あるいは、出世(肩書獲得競争)のつまらなさを見抜いているのかもしれない。
よし、たまにはサービスだ。貴女(うわっ、おっさんくせえ)にサービスしましょう。

いいですか貴女(あなた)、結婚はね、格下とするのも、おもしろいかもしれませんよ。
むかし男は、結婚は格下の相手としたほうがいろいろ使いやすいというのが一般的でした。
いまは反対で、女のほうが格下を対象とすべきだと思いますね。
というのも、エリートと結婚しても先がないじゃないですか。
エリートはエリートのままでしょう。へたをすれば失墜することもある。
そのときは、さぞかし結婚したことを後悔するのではないでしょうか。
わかりやすくいうと、上はなかなか上に行かない。上にはかぎりがあるからです。
しかし、下と結婚したらいくらだって上に行く可能性がありますよ。
上はよくてそのままですが、下は「おお化け」するかもしれない。
まあ、もっと下に落っこちることだってないとはいえませんが。
いまは女性が強くなったから、2号や3号といった愛人を持つこともあるとか。
高名な宗教人類学者の植島啓司先生がおっしゃっていたからこれはきっと本当です。
だったら、そういう2号、3号、いや4号あたりにでも格下のダメ男を飼うべきです。
なぜなら1号の旦那とて、パソコンとおなじように完全ではないのですから。
NECのパソコンが動かなくなるように、
エリートのご主人もいつぶっ壊れるかわからない。
そのとき、2号や3号の調子がよかったら、そちらをメインにしたらいいのでは?
あんがい、4号あたりととても相性がよく、
思いのほか相手も出世しているようなことも絶対にないとはかぎらない。
これが保険をかけるということであります。保障は多いほうがよろしいと思います。

なんというか、その、結論は――。
パソコン購入も結婚も、高い買い物は冒険ですね♪
目に見えるデータ(数字)ではなく、見えない相性(ご縁)をたいせつにしましょう♪
パソコン崩壊直前日記――。
まだブログに書き込めるか点検を兼ねての記事です。
たまにさ、学生さんから「教えてメール」が来ると、ごめんなさい!
内心で「自分でやったほうが勉強になるよ」なんて生意気に思っていました。
ベストセラー「もてない男」で知られる元大阪大学助教授の小谷野敦博士のように、
「偏差値はいくつ?(大学はどこ?)」とまではさすがに思いませんでしたけれど。
実際、ぼくは書籍で調べ物をするのは苦にならないんですね。
むしろ、楽しいくらい。独学自習は嫌いではない。
三流の講師からへたな説明を聞くよりも、
自分で調べたほうが早いしおもしろい。それに確実だ。
不遜にも傲慢にもそんなことをいままで思っていました。

しかし、人には向き不向きがある。パソコンのことに関してはまったくダメ。
「自分でやれよ!」なんて威張って言われたら、ぼ、ぼく、泣き出しちゃうぞ。
教祖みたいな人に悩みを相談して、これを買いなさいと決めてほしい。
ああ、教祖がほしい。
ネットには山ほど情報がありますから、いま必死こいて調べています。
「HDDを代えたら」とありがたくもコメントをくださった読者様がいます。
調べてみたら、HDDが壊れているのかどうか不明なのですね。
うちのプリウスは一体型パソコンなのでマザーなんとかがしっかり隠されていて。
厳重に包囲されているので、開けられない気がします。
開けてもきっと異音の原因がHDDなのCPUなのかメモリーなのかわかりません。
もう買い換えるしかないとあきらめています。
だから教祖がほしいけれども、従うべき教祖様がおりません。

「自分でやれよ!」

むかし、だれかに心の中で冷たく言い放ったせりふが
ブーメランのように自分に返ってきているような気がします。

整理するために自分のために書きますね。書いてみないとわからないので。
パソコンでやりたいことは――。
1.インターネット(検索、ブログ、メール)
2.ワード
このくらいなんですね。
とすると、CPUもHDDもそれほど必要ないが、メモリーは大きいほうがいい(?)。
で、求めているのは手厚いサポート。よって、大手メーカーがいい(NEC?)。
よくわかんないけれど、最初からワードが入っているやつがいい。
保障はできたら3年ほしい(ネット直販で買うといいんでしょ?)。
プロバイダはできたら安いやつに代えたい(まだ調べていません)。
これからなんですね、これから!
教祖様がそれならこれをここで買いなさいと命令してくださったら!

もしかしたら創価学会に入っていたら、こういうときに楽なのかしら。
座談会に行ってパソコンが壊れる寸前だと相談したら――。
まず説教されるような気がする。ほら、だから言ったでしょ!
あなた、最近ぜんぜん座談会に来ていないじゃない。
勤行はしている? ほうら、バチが当たったのよ。これからは、いい? わかった?
以上のような過程を経て、どのパソコンを買えばいいか教えてくれるのではないか。
(学会員さんは親切な人が多いから設定やネット接続までしてくれるのかも)
こういう宗教団体の相互補助システムはとてもいいと思います。
だれだって得手不得手、向き不向きがあるわけです。
お互いに得意な分野で補い合ったらこんないいことはありません。
だから、ぼくは創価学会をふくめて新興宗教にとりたてて偏見がないのですね。

いまはパソコンの話をしていますが、きっと人生でもおなじなのでしょう。
人生はどうしたらいいか選択に迷うことばかり。苦しいことばかり。
そのときに相談相手がいたらどれほど気が楽になるか。
もし教祖様(先輩信者)がいらして、これにしなさい、こうしなさいと決めてくれたら!
実のところ、新興宗教が大嫌いな人だって似たようなことをやっているかもしれませんよ。
病気になった。病院に行く。このときたいていの場合、お医者さんが教祖になります。
なぜなら、それがいちばん楽だからです。
自分で考えないで済むし、責任を人になすりつけることができますでしょう?
ぼくはガンになったら自然死を選びたいですが、
いざ教祖様の医者(=科学=多数派)をまえにしたら自己主張できるかわかりません。

そうか! いま気づきました(だから文章に書いてみるといいのですね)。
パソコンも多数派にしたがって買えばいいのでしょうか。
量販店で人気ランキングの高いものを購入したら迷わずに済むのか。
ぶっちゃけ、パソコンなんて(人生のようなもんで)どれもさほど変わらないでしょう。
パソコンが壊れる度合いなんて(人生とおなじで)運のような気もします。
いまうちにある日立のプリウス一体型なんて絶対に評判がいいはずはないけれど、
7年丸々もったわけですから(パソコンの平均寿命は3~5年らしい)。
とはいえ、デタラメにフィーリングで新しいパソコンを買うのも怖い。
情報があるぶん、迷いに迷わなくてはならないのはまるで人生ではありませんか。
何度も繰り返しますが、ああ、教祖様がほしい。あなたについていきたい。

(追記)昨日、テレビで「コクリコ坂から」を見ました。ほんとによかった。
今年はじめて感動しましたね。あれで感動するのは甘いのかもしれないけれど。
まあ、ぼくは甘ちゃんなところがありますから。
いまでもだれかにパソコン設定を教えてもらえないか甘い考えを持っています。
はい、ウソです。だから、ウソですって。ほんとにほんとにウソです。
……やるしかないか、はあ。
パソコンが動かなくなったらチケットも取れなくなる(問い合わせ先がわからない)。
いまあわてて山田太一先生のお芝居「心細い日のサングラス」のチケットを予約。
熱心なファンの方にはまだ買っていなかったのと怒られるかもしれないけれど。
しかし、5250円ですからね。高いっす。
天下の山田太一先生でもこけることがあります。
それに感想は人それぞれで好き嫌いというものがございますから。
全員が絶賛するお芝居のようなものはないような気がします。
ちなみに前作「沈黙亭のあかり」の感想は書いた翌日に削除しました。
とある掲示板でフルボッコされたので。大人としての判断もあり。
テレビだったらいいんですよ。無料だから。映画もまあ千円くらいだからいい。
ところがお芝居は! 5250円支払ってつまらなかったら、ああ、どうしましょう。
なにを書いてしまうんでしょう。大人としての判断でなにも書かないのでしょうか。
13日に行きますから、当日夜(あるいは翌晩)につたない感想文を書く予定です。
パソコンがぶっ壊れていたら、なし。
俳優座劇場って六本木にあるんですってね。
パソコンがなかったら場所もわからない。
どういう経路で行ったらいいのかも調べられなくなるのか。
昨日からパソコンがブーンという、いまにも壊れる直前の音を出している。
ファンのホコリが原因であってくれとドライバーで裏を開けたら案の定ホコリだらけ。
これで音よストップしておくれときれいに掃除したけれども、結果はダメ。
音はファンの下のハードディスクから出ているようだ。
この音がすごくて本当に壊れる直前の悲鳴を上げているような感じなのである。
ネットの動作も鈍くなっている。まえよりもかなりスピードが落ちた。
生産元に電話して聞いたら、もう修理期間は終わっているとのこと。
思えば、このパソコンは2005年の10月に購入している。
ブログ「本の山」を始めたのはその翌月だから、
まさにこのパソコンとともに歩んだことになる。
恥ずかしながらパソコンの設定からネット接続まですべて人にやってもらっている。
そして、いまそのようなことをやってくれる人はいないから、
新しく買ってもネット接続までたどり着けるかまったく自信がない。
ほぼ無理ではないかと思う。
これはブログ終了になるのだろうか。え、こんな形で終わっちゃうの?
気配からしていまこの瞬間に壊れてもおかしくないような状態なのである。
しかし、パソコンやネットのない生活は考えられない。
いまだって読書感想文を書きたい本が山のように積まれているのだ。
意地で自力でネット生活再建までこぎつけられるのか。
とりあえず、動かなくなるその瞬間までこのパソコンを使うつもりである。

たぶん、いきなりある日、まったく動かなくなるような気がする。
コメントの返答どころか承認さえしなくなったら、
どうか最悪の事態が起こってしまったと思ってください。
ああ、そうなったらメールも見られなくなるのか。
長期間メールの返信がなかったら、そういうことだとご納得くださいませ。
まあ、そもそも定期的に文通しているようなメル友はいないけれど。
甘えるな、とか怒らないでね。いや、これは甘えか。
そういえばパソコンの設定くらい老人でもやっているのだから、できるかな?
うわっ、めんどくせえ。
新しくどれを買ったらいいのかも、どこで買ったらいいのかもわからん。
しかし、ネットのない生活は考えただけで恐怖だ。
あけましておめでとうございます。
多数派について人並みに新年の抱負とやらを書いてみましょう。
今年はなるべく多数派につくよ。みんながしていることを一緒にしていく(笑)。

で、新年の抱負は、らしくないけれど親切と辛抱だ。
なるべく人に親切にする。なるべく自分勝手をいわずに辛抱する。
うーん、らしくないでしょ。
しかし、新年の目標として、なにかの賞を取る! とか宣言しても、
あれは多くの人の評価が関わってくるから自力だけではどうにもならないじゃん。
人間ってさ、そんな万能じゃないと思うな。
なにもかも自分の思い通りにはならんもんだ。
ひるがえって、せめて親切と辛抱くらいなら自分の心がけくらいで少しはできるかと。

まずは親切。人に親切にする。
あ、断っておくけれど、新興宗教じゃあーりませんよ。
善因善果とか信じているわけではない。
善因善果による現世利益。そんなもん、あるわけないっしょ。
だったら、なんのために親切を心がけるのかな。
まあ、来世あたりに期待しているんだと思う。これもちょっと違うかな。
なんというかもう人生に夢がないんだよね。
だから、現世における善果を期待する必要がない。
そういえばひとつ夢があった。
ころり往生である。ぽっくり逝くこと。タイミングよくこの世からおさらばしたい。
でも、そのためになにをしたらいいかわからないじゃない。
現代医学なんてころり往生を絶滅させようと必死になっているわけだから。
そこで、もしかしたら親切がころり往生となにやら関係するのではないか、と思ったわけ。

なるべく親切にしたい。
名前も名乗らないような高校生から、
宿題の答えを教えてほしいとメールがきたら丁寧に返信する。
それがたとえ男子からでも!
去年とかも何回かあったけれども、親切になりきれないのね。
どっかで見返りを期待したり、自分でやれよ、とか思っちゃう。
ストリンドベリいわく、この世は巡礼なんだから、きちんと親切をしよう。
それから書いた小説やシナリオを読んでほしいとお願いされたらなるべく読むようにする。
もちろん、いま騒がれているどっかのだれかさんみたいにお金を取ったりはしない。
そんな、お偉い人間じゃないもん。

とはいっても、親切の限界を忘れないようにしたい。親切は万能ではない。
親切が相手に通じる割合は半分以下くらいだと思っていたい。
こちらが親切からなにかをしても相手は迷惑だと考えることは意外と多いのではないか。
親切は、いいかえたらお節介だという自覚をきちんと持っていたい。
去年もさ、親切から知らない人のシナリオを読んであげたわけよ。
わざわざうちの近くに来るっていうから、枝豆を茹でて焼きそばまで作って。
もちろん、うちに呼んだわけじゃないよ。公園でお接待。すべては親切心から。
そうしたら相手は怒っちゃって、
わたしに脅された、侮辱されたと警察署に被害届を出すのだから。
この人のいい分は、自分は10年以上まえに小さなコンクールで賞を取ったことがある。
このため自分はわたしよりも格上である。
よって、格下に過ぎぬわたしが
格上の人のシナリオを厳しく批評するのは侮辱罪に相当する。
こういう理由で、この女性は青梅警察署に被害届を出したらしい。
勝手に会いに来てシナリオを読ませたくせに、
ストーカーされていると虚偽の申告まで警察官にしたというのだから。

まさしく親切が仇(あだ)になったわけである。
親切心なんか起こさなきゃよかったという話。
なかには他人から親切をしてもらうのが当たり前と考える人もいる。
わたしも10年以上まえの不幸の絶頂期は、そういうところが少なからずあった。
だから、軽々しく責めてはいけないのだろう。
繰り返すが、親切は万能薬ではない。親切が仇になることだってたくさんある。
そういうことを深々と理解したうえで、なるべく親切をしたい。
で、親切が仇になったら、人生はこういうものなのだ、人間はこういうものなのだ、
とあきらめる。つまり、辛抱する。
ほんとにわが人生を振り返ると、辛抱が足らなかった。
人よりも辛抱することがなかった。
ならば、せめて人並み、いや人並み以下でもいいから、今年は辛抱を覚えたい。
とにかくわが心は、悪念や邪念が起こりやすいのある。
すぐに激しく怒る。そのうえ病的なほど嫉妬深いところがある。
これを御するためには辛抱しかないのである。辛抱だ。辛抱するしかない。
辛抱といっても、所詮はこの世かぎりのことではないか。
辛抱を重ねていたら、ごほうびに夢のころり往生がもたらされるかもしれないではないか。

今年の目標は、親切と辛抱である。
最後に報告しておかなければならない。
昨年わたしがストーカー、名誉毀損、侮辱罪、脅迫罪に相当するとして、
青梅警察署に被害届を出した馬鹿者がいたと書いた。
もうすぐあんたは逮捕されるぞ、と高笑いが聞こえてくるような連絡をよこしたものである。
結果はどうだったか。――警察署から電話1本来ませんでした。