とある大学病院での診察を終え表に出たとき、これは毎度のことなのだが、
あと何年生きられるのだろうかと思う。
どうしてか自分が50過ぎまでこの世にいるという実感がないのだ。
平均寿命まで生きるなんてありえないと思っている。
たぶんカモちゃん(鴨志田穣、享年42)くらいではないかと当たりをつけているが、
いまやむかしは軽んじていた(失礼!)鴨志田氏よりもこの世で実績を残す自信がない。
カモちゃんはカメラマン、ジャーナリスト、作家などいろいろ肩書があるけれど
すべて自称のようなもので、
いちばん知られているのは有名漫画家・西原理恵子先生の元旦那としてではないか。
ああいう不思議な夫婦を目の当たりにするとおかしなもので、
大真面目に前世や前々世の因縁といったものを信じたくなる。
歩きながら、夏が終わろうとしていることに気づく。
ひとつの季節が終わるごとにこれが最後ではないかと思っている。
なぜか来年また夏を迎えられるような気がしないのである。

話は脱線するが、自分の死を考えるほど甘い陶酔をもたらすものはない。
どういう死に方をするのが理想か思いを馳せるとうっとりしてくるのである。
いいおじさんがなにをバカなことを妄想しているのかとあきれられてしまうかもしれない。
いまのところ、いちばん熱望している死に方は菩薩的、利他的な死かな。
ほんとうはもっとも利他的な死が、同時に自利的(利己的)な絶命でもあるのだろう。
だれかを助けて死にたいとぼんやり空想することがある。
電車のホームから線路に誤って子どもが落ちてしまう。
とっさにわたしも飛び降り子どもを助け、身代わりとして電車に轢かれる。
これがいまのところわたしにとって最高の死だといえよう。
その子どもは大きくなっても、こんなダメなわたしのことを記憶しているだろうから。
しかし、人生はなかなかうまいこといかない。
さすがにこのような劇的な死を望むのは欲が深すぎるだろう。
ならば、こういう死に方をしたい。
明日でもいいから末期ガンで余命宣告をされたいのである。
余命数ヶ月がもっとも望むところ。
そして、痛み止めのみしてもらいながら、逢いたかった人と再会するのである。
こんなわたしにももう一度逢いたい懐かしい人が少数ながら存在する。
いまは縁が切れていても、死ぬとなったら一回くらいなら逢ってもらえるでしょう。
そのうえで、しみじみと「ありがとうね。あなたと逢えてよかったよ」などと、
いっぱしの愁嘆場を演じてみたいのである。

先日、小児ガン専門医の細谷亮太氏の著書「医者が泣くということ」を読んだ。
成人もしていない子どもが次々に死んでいく現実に胸が詰まる思いがした。
世の中、どこまでも不平等なものなのである。
生きたいと強く願っている子どもが無残にも死んでいく一方で、
多くの五体満足のものが投げやりに死にたいと願っているのだから。
だれかが悪いわけでも間違っているわけでもないと思う。
ただただ世の中とはそういうものなのだろう。矛盾した理不尽なものだ。
不条理のひと言に尽きる。
ブックオフ新宿靖国通り店で大学教授の竹内一郎先生の本を立ち読みする。
大ベストセラー「人は見た目が九割」で成り上がった先生である。
人は(わたしは、といえ!)105円の本でもなかなか買わない。
自戒をたっぷり込めて書くが、
だれかから自分の文章を読んでもらえるだけでどれほどありがたいか。
書いたもので対価を得られるなど、奇跡にも近い僥倖なのである。
竹内教授は不遇の時代が長く、かなりの年月をヒモとして暮らしていたらしい。
ようやく成功者になったので、
いままでの怨念を晴らすべく人生マニュアル本を書いたようだ。
損益分岐点がどうのというタイトルの新書であった。
世の中、結局は「勝てば官軍」なのである。
勝ったらなんとでもいえるが、負けたものがなにをいってもだれも耳を傾けない。
人生の敗北者は妬み深くなるばかりで、たとえ105円でも勝利者の本を買おうとしない。
ブックオフ早稲田店に移動して本を3冊購入する。

「シナリオ対訳 ノッティングヒルの恋」(リチャード・カーティス/照井しずか・荒川良訳/愛育社) 105円
「愛する言葉」(岡本太郎・岡本敏子/イースト・プレス) 105円
「決断なんて「1秒」あればいい」(桜井章一/ソフトバンク文庫) 105円


買った本を見たらその人がわかると思うが、ご覧のようにくだらぬ男である。
チープな本がお似合いのチープな男だ。
早稲田から高田馬場まで古本屋めぐりをしながら、
いわゆる「ババ歩き」をするが収穫はなし。
思えば、この近くの大学に通っていたときが人生のピークだったのだろうか。
あのころは古本などさわる気にもならなかった。
この日、霊感商法や合同結婚式で知られる統一教会のトップが亡くなったからだろう。
高田馬場の芳林堂書店のまえで信者さんが本を配っている。
60前後と思しき女性が多く、みなさんいちように幸福そうでうらやましい。

「平和を愛する世界人として 文鮮明自叙伝」(文鮮明/創芸社) 0円

いただいた本は読むようにしているので、これも近々目を通すと思われる。
ネット検索で知ったのだが、有名ブログの作者には出版社から新刊が贈呈されるらしい。
調べてみたら匿名ブロガー程度にも献本はなされているのである。
「本の山」は実名ブログなのに、一度も出版社から本をもらったことがない。
けっこう検索順位で上に出る自信はあるのだが、
出版社のわたしへの評価はこの程度なのだろう。匿名ブロガー風情にも劣る。
いくらわたしでも献本されたものを酷評するほどあれなやつではないのだが。
これを書いていいのか迷うがブログをやっていていちばんむかつくのは、
作者筋からコメント欄で自著(や寄稿雑誌)の宣伝をされることである。
そんなに読んでほしいのなら送ってくるのが礼儀じゃないか。
表面上は情報感謝といってペコペコしておきながら、
腹の底では絶対に買ってやるもんかといつも憤っている。
そういうことをされると買うどころか立ち読みをする気さえ失せる。
はっきりいうと、立ち読みしてもらえるだけでも書き手は感謝しなければならないのだ。
ほとんどの人が他人の書いた文章になどさらさら興味を持たないのである。
無名のあなたやわたしの書いた文章など、飛ばし読みをする価値さえないのだよ。

ビッグボックス古書感謝市でシッタカブラーと遭遇する。
シッタカブラーとは古本祭などで女子に知ったかぶりをする若年読書男子のこと。
あれは恥ずかしいよね。しかもなかなか場を離れないので迷惑この上ない。
「博士、博士、ちょっとそこいいですか?」
と動かないシッタカブラーに声をかけようと思ったが、
あからさまに喧嘩を売っているようなのでやめる。
女のまえでええかっこしておる男をからかうと殴られる危険さえある。
尊敬する芥川賞作家の西村賢太氏のように逆に恫喝してやればいいのだが、
ぼくはお育ちがよろしいので、いかつい氏のようなハレンチ行為はできない。
ちなみに回り込んで顔を見るとシッタカブラーはイケメンで、女子は一段下であった。
男なんて目を見てハイハイ話を聞いてあげれば、
楽勝で落ちることを女はみな熟知しているのだから油断してはならないぞ。
内心でシッタカブラーに声をかけるが、果たして伝わったであろうか。
ブックオフ高田馬場店に足を向ける。
わたしは新刊でも本を買うが、ごくたまにブックオフに行くこともあるのだ。
断じて出版社の敵であるブックオフのヘビーユーザーではない。ほんとなんだからっ!

「熱帯夜」(早坂暁/大和書房)絶版 105円
「風のとおる道」(井上ふみ/潮出版社)絶版 105円
「“せんべろ”探偵が行く」(中島らも+小堀純/文藝春秋) 105円
「母子寮前」(小谷野敦/文藝春秋) 105円
「人生には好きなことをする時間しかない」(大林宣彦/PHP)絶版 105円
「人生の価値それとも無価値」(ひろさちや/講談社) 105円
「天風先生座談」(宇野千代/廣済堂文庫)絶版 105円


なかなかの収穫であった。上から順に――。
いま早坂暁さんにシナリオを依頼する人っていないよね~。
文豪酒豪の井上靖は、元愛人の暴露本と正妻の美談本、どちらがおもしろいのだろう。
「中島らも酔いどれ紀行」は酒をのみながらしっかり味わいたい。
ひとつ正直に感想を書いていいのか迷う本があるような気がする。
大林宣彦の映画はセンチメンタルなところが学生のころから好き。
ここだけの話、ひろさちや先生のご本を新刊で買ったことはないかもしれません。
中村天風って新興宗教の怪しい教祖みたいなもんだと思っていたけれど、
宇野千代がはまっていたのか。わたしは怪しげな人がチューしたいくらい好き。
なんだかさ、オカルトめいたことをいうと、読むべき本というのは、
どう生きていても、自然に向こうからやってくるような気がする。
本は読みたいものを苦労して探すものではなく、
上のほうから降ってくるような感じとでもいおうか。
本だけではなく人もそうだったらいいな、と高田馬場でわたしは思った。