「まつら長者」(室木弥太郎・校注/「説経集」新潮日本古典集成)

→まったく本当に説経節は怖いくらい被差別者の怨念に満ち満ちている。
ギリシア悲劇の描くのが運命なら、日本の説経節は宿命をうたいあげる。
らい者、不具者、狂人、極貧奴婢、自殺者、売女らによる呻(うめ)きの結晶が説経節だ。
「かるかや」は、発狂して乞食坊主になったものの弁明である。
「さんせう大夫」は、奴婢の主人への逆差別である。
「しんとく丸」は、らい者こそ美しいという逆説に満ちた革命歌ではないか。
「をぐり」において、目耳口のすべてが閉ざされているものが実は英雄なのである。
「あいごの若」では呪われた自殺者たちが高らかに肯定される。

さて、「まつら長者」で美に昇華される対象は売女(ばいた)ではないか。
もちろん、日夜身体を売る汚く賤しい淫売がそのまま描かれるわけではない。
さよ姫は穢(けが)れを知らぬ美しい16歳の少女である。
もとは長者(金持)の娘であったが、父が3歳のときに死んだため、家は困窮している。
どうしてさよ姫が身を売るのかといえば、父の十三回忌のためである。
人買いに金をもらうと、道で拾ったと嘘をついて母に渡す親孝行なさよ姫であった。
のちに真相を知った母親が発狂するところが実にいい。
狂うというのは、穢れが多いが同時にどこか人間ならではの光輝も感じさせるものだ。
母(御台所)はさよ姫と別れてきた。

「いたはしやお御台は、泣く泣く屋形に帰らるる、心の内こそ哀れなり。
持仏堂に参りたまひて、口説きごとこそ哀れなり。
「あら情けなき次第やな。けふはみつ、あすより後の恋しさを、
だれやの者を頼みつつ、さよ姫と名付けつつ慰まぬ」。
ただ世の常のことならねば、心狂気とおなりあり、
屋形の内にもたまらずして、狂ひ狂ひもお出である。
「あらさよ姫恋しや」と、つひに両眼泣きつぶし、奈良の都を迷ひ出で、
かなたこなたと迷はるる、御台所の成れの果て、哀れと問はん人もなし」(P361)


母と別れた孝行娘のさよ姫は人買いと彼の故郷に向かうのだが、
ここの「道行(みちゆき)」はおそらく説経節最長ではないか。読むのに苦労した。
実際はけっこう飛ばし飛ばしやっていたのではないかと思われる。
さて、なぜ商人はさよ姫を買ったのか。故郷にはおかしな風習があったからである。
大蛇の出る池がある。
1年に1回、見目良き姫を大蛇に御供として差し出さなければならない。
今年は男の家がその当番である。だから、人買いに都まで行ったのだ。
さよ姫が生贄としてまつられるシーンはなかなかグロテスクだ。
生娘が蛇に食われるところを見ようと、村民が総出で現われるのである。
人間とは、なんと残酷なものか。
人は穢れを通して非日常や祝祭に通じているのかもしれない。
ふだんは忌み嫌っている穢れ(狂気、不具、淫欲、死)を歓迎するときがあるのだ。
穢多の美少女ほど野郎共の劣情をそそる対象はないのかもしれない。
穢多の美少年などかえって神々しさすら感じるではないか。

さて、さよ姫が人柱になっているのに大蛇は現われない。
がっかりして帰っていく見物客たちであった(……すげえ)。
さよ姫がひとりになるとようやく大蛇が現われる。
父の形見の法華経をさよ姫はとなえる。すると大蛇のうろこが取れ始める。
婦人の姿になった大蛇はさよ姫に因縁話を始める。
実は自分も千年前、急流の川に橋をかけるとき、人柱になったというのである。
そのとき強く恨んだので大蛇になったという。
人間に戻してくれたお礼にと大蛇はさよ姫に「如意宝珠の玉」を贈る。
都に戻ったさよ姫は、盲人乞食の姿の母親と再会する。
蛇にもらった玉を使うと母の目がふたたび見えるようになる。
それからは財産にも恵まれてさよ姫は幸せな人生を送ったという。

これは売女のかなわぬ、しかしどうしてもかなっていなければならなかった夢である。
実際は穢れなき生娘も夜ごと野郎の淫欲に弄ばれ大蛇になっていくのである。
しかし、大蛇も「如意宝珠の玉」を決して手放さなかった。
この輝く玉が「まつら長者」という物語になるのだと思われる。
唐突におかしな断言をするが「源氏物語」など日本文学でもなんでもない。
大半の日本人が読めないインテリのための難解な物語が
国民文学であるはずがないではないか。
国民のほとんどが「源氏物語」など共有していないのである。
しかし、説経節を見よ。被差別者の呻きを聴け。
この虐げられた物語は、加害者である我われの物語にもなっているのである。
血縁をたどればどの家も穢れに通じているはずである。
我われは加害者であると同時に被害者でもあるのだろう。
わたしはおのれの穢れを強く意識しながら、このたび説経節を読了したしだいだ。

「あいごの若」(室木弥太郎・校注/「説経集」新潮日本古典集成)

→説経節を読み込んでいるうちに気づいたのだが、
もしやこれは障害者文学ではなかろうか。
中世の説経節に関してはあまり文献が残っていないらしいので、思いつきに過ぎないが。
当時の賤民が日本中を放浪しながら各地で説経節をやっていたということである。
村落共同体でみなとおなじように集団定住ができていたら放浪などしないはずだ。
とすると、集団定住の共同生活の不可能なものが賤しい説経師になったと考えられる。
そうだとしたら、説経師は現代でいう精神障害者、身体障害者がなっていたのではないか。
精神および身体に障害を持つものは、言い方は悪いが共同生活の邪魔者である。
なぜなら、残酷なようだがはっきり言うと役に立たないからだ。
ギリギリの生活をしていたら、いまのように福祉などないのだから、
身体障害者に食わせるメシはないだろう。
おかしなことを言いふらすきちがい、精神障害者はもっと厄介だったはずだ。
精神障害者がひとりいたら集団定住の共同生活を営むのは困難になる。
家族には悪いが、村落から追放するしかないだろう。
こういう障害を持つ男女の大半は野垂れ死にをしたと思われる。
一部の才能を持ったものがうまく師匠を見つけ説経節を覚えたのではないだろうか。
もちろん、師匠も障害者で優秀な弟子を持つといろいろ融通がきいたはずである。

「さんせう太夫」や「をぐり」はくだらないと書いたが、それは目で文字を読むからだ。
耳で聴いたらぜんぜん違うはずである。声の力を舐めてはならない。
うわ言をつぶやいているような狂女が一変、目をらんらんと輝かせ、
病的な「こだわり、プライド、被害妄想」をたっぷり込めて「さんせう太夫」を語ったら、
それはそれは壮絶な感動を呼んだのではないだろうか。
両腕がなくびっこひきひき、さらに片目の身体障害者が、
おのれの不遇を「をぐり」に託してうたいあげたら聴くものみな涙したのではないか。
考えてみたら、「かるかや」はどこか精神病的である。
ふつうなら妻子もいるような立派な武士がいきなり出家したりはしないのである。
現代でいうところの精神病が発症したとしか考えられない。
「しんとく丸」のテーマは「親の因果が子に報う」である。
奇形者が片輪になりし怨念、不具に生まれついた呪詛を「しんとく丸」に込めたら、
聴衆は身震いがとまらないほど心を揺り動かされるのではないだろうか。
誤解を恐れずに人でなしのようなことを言い放ってしまうと、
障害者が中世で役に立つとしたら、説経節に自身の怨嗟の声を託すしかないのである。
そうしてはじめて障害が生きることになる。
被差別者にしかうたえない唄が中世の説経節だったのではないだろうか。

いまでいうなら各地を巡業してまわるプロレスがけっこう近いのではないか。
詳しくは書かないが(書きたくないが)プロレスラーには被差別者が多いようだ。
そういう虐げられたものが自身の苦悩、葛藤を身体表現するのがプロレスである。
いまのレスラーはサラリーマン化しているが、むかしはそうではなかった。
こん畜生という思い、生まれへの呪いを、
畜生や阿修羅のように見世物にするのがかつてのプロレスであった。
プロレスと説経節の共通点をあげると、どちらも即興芸なのである。
観客の空気を読んで、段取りを変えることのできるのがいいプロレスラーだ。
おそらく、説経師も場の空気を察して、
そのときそのときで説経節の内容を変えていたのではないだろうか。
口承芸能の説経節に定本や正本のようなものはないはずである。
そもそも目で読んで覚えるものではない。耳で覚えるものだ。
もしかしたら毎回、説経節の内容は微妙に変わっていたのではないかと思う。
「さんせう太夫」(安寿と厨子王の物語)は正本ではいまのようになっているが、
どう考えたって安寿の拷問死はもう少し性的な色合いを強めたほうがいい。
たぶん、本には清く正しいものが採録されたが、現場では違っていたはずだ。

ここまできてようやく「あいごの若」になる。
説経節「あいごの若」はかなりおかしな筋立てなのである。
結論から先に書くと、愛護の若はまったく救いがなく自殺する。
それどころか登場人物のほとんどが自殺を遂げる始末である。
ほかの説経節のように観音様が救いに来てくださらない。
およそ近代的知性が受けつけないといってもよいほど不気味で悲惨な物語である。
どうしてこうなったのかと考えて気づいたのだが、
このバージョンはかなり変形された例外的なものだったのではないだろうか。
なにやら最後に観音様が現れて救ってくれるバージョンもあったような気がするのだ。
そして、いや、にもかかわらず、
わたしはこのバージョンの「あいごの若」がけっこう気に入っているのだ。

以下に物語をかんたんに説明する。
子宝に恵まれない夫婦が観音様にお願いしにいくというのはいつものパターンである。
学問における観音菩薩は万民をお救いくださるが、庶民の観音様はそうではない。
「しんとく丸」とおなじで条件を出すのである。
「子が3つになったら父か母に命にかかわる事件が起こるがいいかな?」
こうして生まれたのが男子、愛護の若である。
若が13歳になったときに母親が観音様を舐めた発言をして仏罰が下るのも
「しんとく丸」とおなじである(もちろん学問の観音菩薩は仏罰などやらない)。
母は死に後妻が家に入ってくるのだが、この継母が美少年の愛護の若に一目惚れをする。
これはギリシア悲劇「ヒッポリュトス」やラシーヌ「フェードル」と同型といえよう。
継母は何通もの恋文を下女の月小夜に持たせるが、愛護の若は受けつけない。
若は持仏堂で亡き母の供養をしていたのである。
7通目の恋文が届いたときに若は月小夜にこう告げる。
「この手紙を父上に見せて継母を裁いてもらおうと思うが、どうかな月小夜?」
月小夜はあわててこのことを女主人に報告する。
このときの継母の変貌ぶりがすばらしい。
愛護の若の父親は清平という。以下は炎のような恋をする女のセリフである。

「このこと清平殿に聞えなば、一命失はれんは治定(ぢぢゃう)なり。
こよひ持仏堂に乱れ入り、愛護の若を刺し殺し、自らも自害し、
六道・四生にてこの思ひを晴らさん、月小夜いかに」(P321)


「六道・四生にてこの思ひを晴らさん」というのがいい。
「いかように生まれ変わっても」恋仲になってやるといっているのである。
下女の月小夜は、それならばと悪巧みをそそのかす。
直接手を下すのは失敗するかもしれないから、自分の夫をうまく使えばいい。
恋に狂う女の目にはもうなにも見えない。このセリフもいい。

「一念無量劫、生々世々に至るまで、五百生の苦を受け、
蛇道の苦患を受くるとも、思ひかけたるこの恋を、会はで果てなん口惜しや。
憎き心の振る舞ひ、讒言(ざんげん)をたくめ月小夜。
けさまでは吹き来る風も懐かしくおぼしめさるるこの恋が、
今は引き替へ、難儀風とやいふべし」(P321)


前世の因縁としか思われぬような恋がむかしからあったようである。
こうして継母と下女の悪巧みにより愛護の若は以後延々と苦難を受ける。
細かいところは省略するが、放浪する愛護の若に災難ばかり舞い込む。
結局のところ、絶望した若は父と継母を恨みながら「きりうの滝」に身を投げる。
最後の最後まで観音様は愛護の若を救いには来ないのだ。
死後に若の遺書が父、清平の手に渡る。
真相を知った清平は、後妻と月小夜を殺害する。
ここからがすごいのである。関係者全員が「きりうの滝」に身投げしてしまう。
まずは息子の死骸をかかえた清平である。
「いつまでありてかひあらじ。我も共にゆかん」といって入水する。
つづいて登場したほとんど全員がおなじように入水自殺するのだから。
自殺したのは合計で108人になったという。
このときも一度として観音様はお姿を見せない。

6つ説経節を読んだが、これほど後味の悪いものはほかにない。
どうしてこういう説経節ができたのか。
わたしはこの物語を必要とした不幸な庶民を想像する。
本当に苦しいときはハッピーエンドの物語に耐えられないのである。
たとえば、こんなことを妄想する。村の中ではそれなりに裕福な家に息子が3人いた。
そのうちの二人がどうしてか過去に自殺している。
最後のひとりだけは大丈夫と思っていたら、
結婚相手に反対したのが原因でこの息子までみずから命を絶ってしまった。
こういうことがあって悲嘆に暮れている老夫婦のもとに説経師がやってくる。
村民から事情を聞いた説経師は「あいごの若」をやることに決めるのではないか。
この老夫婦は、異形の説経師による受苦の物語を聴いて深く癒されるはずである。
説経師が人間ならぬ形をしていたら(片輪、不具)そのぶん、
まるで聖(ひじり)から神託を受け取ったように思うだろう。
かならずしも観音様は人を救ってくれるとは限らないのだと深々と納得するはずである。
「救われない物語」に救われてしまうほど不幸な人がいるのである。
このとき説経師と聴衆は受苦という怨念で深く通じ合う。
呪われた人間が一瞬でも救われる奇跡が中世にあった。わたしはそう信じたい。

(付記)プライドが高いため、
これまでよそからあらすじをぜったいに引用しないというこだわりを持っていたが、
以下のものはすばらしいので(いや大いに笑えたので)ルールを破ることにする。
この「あいごの若」の解説はだれが書いたのだろう。東洋文庫所収の解説文だろうか。

★唐崎明神と一つ松、となれば愛護若である。彼に纏わる物語は凄惨極まりない。最後に百八人の縁者が次々淵に飛び込むは御愛敬として、愛護若は極めて美少年であったが継母の讒言により緊縛され責め苛まれ、叔父のもとへ逃れ行けば寄って集って打擲され、帰ろうとして山里を通れば中年女{姥}に罵られ打ち据えられて辱められた。若は屈辱に耐えかね自殺した。とにかく美少年が虐待されまくるだけの話なのだ。救済は一切ない。しかも継母の讒言というのが、若を憎んでのことではない。美しい若に懸想して何度も恋文を送ったが、若が夫に密告せぬための用心であった。継母は猿と戯れる若を見て欲情したのだが、いったい若は猿と何をしていたのであろうか。いや抑も、若は親の命と引き替えに長谷観音から授かった子であった。若が三歳になったとき両親の何連かが死ぬことと引き替えに授かったのである……が、若が十三歳になっても両親は健在であった。実母は長谷観音が嘘を言ったのだと若に話した。長谷観音は怒り狂い、実母を殺した。

愛護若は猿を飼っていた。継母に讒言され緊縛され桜の木に吊られた彼を、猿が助けようとするが果たせない。死んだ母が鼬の姿で一時的に甦り縄を切ってやった。鼬は、叔父のもとへ逃れよと告げて、姿を消した。いや母が生き返ろうとしたとき、適当な人間の屍が見当たらず、あり合わせた鼬の死骸に乗り移ったのであった。もう滅茶苦茶な話なんである。叔父である僧侶を頼って比叡山に登ると、天狗だと疑われて弟子どもに袋叩きにされた。命からがら逃げた若は、穴生を通りかかる。生け垣の桃を取る。姥が現れ、若を杖で打とうとする。若は麻畑に隠れる。ますます怒った姥は若を打ちまくった。これまで男どもに散々打擲されてきた若であるが、姥に打たれたことを此の上ない屈辱に感じた。小指を噛み切って血染めの遺書を認め、淵に身を投げて死んだ。途中で三人ほどの善人に出会い飯を貰うが、殆ど不幸だけに彩られた最期であった。そして愛護若が自殺したと知って関係者が次々同じ淵に身を投げて死に、継母は簀巻きにされて川に沈められた。とはいえ勧善懲悪ではない。若に仇を為した者だけでなく、情けをかけた善人たちも次々に死ぬのである。いったい何が言いたいのか解らない。結局、美少年が理不尽に打擲され陵辱されて自殺するだけの話である{東洋文庫「説教節」}

http://lovekeno.iza-yoi.net/gai20081106n.htm