「カウンセリングを考える(下)」(河合隼雄/創元社)

→日本にカウンセラーはいないと指摘したら怒られるだろうか。
あれは全員ひとり残らず自称カウンセラーなのである。
たとえ臨床心理士の資格を持っていても、あんなものは国家資格でもなんでもない。
そもそも臨床心理士のボスの河合隼雄先生でさえ自称カウンセラーなのだ。
スイスのユング研究所で資格を取ったなどとかほざいているけれども、
日本以外の国ではユングなどオカルトとしか認識されていない。
河合隼雄氏はうまく情報操作をしてユングと自分を権威化することに成功したのである。
先生のすごいところは、これらの事情をすべて自覚しているところだ。
さらに、ときには自著でこういった裏事情を露悪的に公開しているのだから。
よく河合隼雄はインチキだと批判されるが、
だれよりも自身のインチキぶりを熟知しているのはほかならぬ本人だったと思う。

心理療法を受けに来るクライエントなど八割が「死にたい」ではないか。
河合隼雄さんはなかなか「死ぬな」と口に出しては言わないという。
なら、どうするのか。「答えがないほうに賭ける」という。

「……たとえばある方が、「自殺をしたい」と言って来られる。
そのときに「自殺は絶対にいけない」、これはもう、答えになります。
「それはもうやめてください。死ぬのはやめてください」
というようなことはすぐ言えます。ところがわれわれはそのときに、
自殺するっていうのはいいことか、悪いことか、わからない。
してもいいかもしれないし、しないほうがいいかもしれないというぐらいの、
そして、それは一体何を意味するんだろうか
というぐらいの気持ちでその人に会うほうが、
本当はいいんじゃないかとぼくは思っています。
ただし、後で言いますが、「死んでもらって結構です」とは思いません。
ともかくしばらくはそのままでいってみよう。
つまり、人間としては、
いろんな考えとか人生観とかをわれわれはもっていますけれど、
そういうのを一ぺんちょっと括弧に入れといて、先入観を全部なしにして、
その人の言うことを聞いてみよう。答えは私にもわからない」(P63)


「しばらくはそのままでいってみよう」というのが河合隼雄のカウンセリングだ。
しばらくはそのままでいってみよう――。
なぜなら「ただ生きているということがすごい」(P186)と思うからである。
何度も何度も、繰り返し繰り返し「しばらくはそのままでいってみよう」――。
「しばらく」とは、いったいいつまでなのか。
「やっぱり十年くらいたって事情が変わることがあります」と氏は言う。

「十年、十五年ぐらいたちますと、そんな人が、
ときどき「やっぱり先生、生きててよかったですわ」と言われることがあるんです。
もう、あんなにうれしいことはないですね。
私は、何も「あんた、辛抱しなさい。十五年たったらいいことがありますよ」
というふうに見えていたわけじゃありません。
実際は、そんなこと見えていないし、わからない。
ひょっとしたらこの人には、そんなよいことはないかもしれない」(P186)


「生きていたらかならずいいことがある」と謳(うた)うわけではないから、
河合隼雄氏は詐欺師ではないのである。しっかり現実を見ている。
ところが、河合先生はやっぱり詐欺師なのである。
15年もお金をいだたいた相手が、ちっともよくならなかったとする。
こういうこともあるようである。そういうときに、どう言うか。
ここは河合隼雄さんの本領発揮といったところなので、じっくりとお読みください。
これほど天才的な詐欺師が日本に現われたとは!
15年「しばらくはそのままでいってみよう」を繰り返したら――。

「やっぱり、もう二十年待ったら何かあるかもしれない。
三十年待ったら何かあるかもしれない(笑)。
実際に、皆さんは笑われますが、
人間二十年も三十年も待っていますと何かあるもんです。
これは、不思議なものです。
二十年待つのは大変ですけれど、それでも確かに何かいいことがある。
もちろん、黙って待っていたら、もっと悪いことがあったりもしますけれど(笑)。
これもまあ、いろいろでして、何も私は、
「いいことがあるから待っていなさい」とはひとつも言ってないんで、
「ただ生きていたらいい」と言っているだけですから(笑)、
それはかまわないんですが、悪いことにも意味のあることもあります」(P187)


なーに、笑ってごまかしてるんですか、河合先生!
詐欺だと最後までばれなければいいと言っているようなものである。
死ぬまで騙しつづけてやると宣言しているに近い。

さて、河合隼雄さんといえば創価学会系の潮出版社から本をたくさん出している。
創価学会の側からしたら、金を渡しておけば悪口を書かれないという計算があろう。
俗に言うところの「取り込む」というやつである。
もちろん、大人の河合隼雄さんは創価学会の悪口を書かない。
注意していなければ気づかない皮肉をちょろっと口にするくらいである。
「死にたい病気」を持った人たちをお客さんにするという点では、
創価学会の池田大作先生も河合隼雄先生もおなじである。

「ぼくは、こう言いながら、宗教が悪いとは絶対に思っていないですが(笑)、
宗教を信じている方というのは、
もっと神さんとか仏さんに任したらいいのに、と思うときがあります。
神さんにも、仏さんにも任さないで、自分が頑張って治そうというんだから(笑)、
これはほんとに不信心な人やな、とよく思っているのですが(笑)、
ほんとに神さんや仏さんが頑張ってくれるのでしたら、
自分は説教みたいなことはしなくてもいいんですよ」(P167)


みなさまは皮肉にお気づきになりましたか。学会員さんって説教が好きだよね~。

人生で何がしんどいかといったら人間関係である。
たとえば、親類が創価学会に入れ込んでしまって迷惑している人もいることだろう。
こういうときにどう考えたらいいかも河合隼雄さんは教えてくれるのである。
もちろん、直接には創価学会の名前は出さない。
たとえば、ある男女が45歳くらいで夫婦関係の危機を迎えているとする。

「この四十五歳あたりの危機を、おかげさんでうまいこと乗り切っている人がいます。
どういう人かと言いますと、たとえば親類に一人ギャンブルをやるのがいて、
それで借金して「金貸せ」と言って来たり、
こういううるさいやつがいるために夫婦が力を合わせて(笑)、
これと対抗するために話し合ったり(笑)、
あるいはものすごく感じの悪いおじいちゃんかおばあちゃんがいて、
何やかや言うから、おかげで夫婦仲ようやっている、という家もあります。
だから、これをよく間違える人は、
「うちの家はうまいこといってるはずやのに、親類にギャンブルをやるやつがいる。
あいつがいなければどんなにいいだろう」とか、
「これで、うちのおじいちゃんさえ文句を言わなければどんなにいいだろう」
と思っておられますが、実は、そういう人たちは、
夫婦の信頼感を高めるためにおられるわけです(笑)。
こういうことがわかってきますと、だいぶ世の中が楽しくなってきます(笑)。
本当に、「ああ、このおかげでなかなかおもしろいことをさせてもらう」
というのがわかってきます」(P223)


「あいつがいなければ」と思う人はみなさんもいるのではありませんか。
しかし、まさしく「あいつ」のおかげで我われは利せられているのかもしれない。
もっと言えば、嫌いな「あいつ」のおかげでこちらも救われているのかもしれない。
実際に「あいつ」がいなくなってしまったら、さらに事態は悪化する。
「あいつがいなければ」と愚痴ることで、
難問に直面することからまぬかれているのかもしれない。
宗教にハマったおかしな親類を共通の敵として見ることで、
味方同士の関係がうまくいっているケースも多々あるだろう。
創価学会ほど嫌われている団体はおそらく日本にないと思われる(ごめんよ、信者さん!)。
けれども、創価学会があるおかげでうまくいっていることもきっとあるはずである。
池田大作さんが詐欺師というなら河合隼雄さんだってそうである。
河合先生が偉人というなら池田先生もおなじである。
河合隼雄は池田大作レベルの詐欺師であり同時に偉人でもあったのだと思う。

「カウンセリングを考える(上)」(河合隼雄/創元社)

→カウンセリング業界のボス猿ともいうべき河合隼雄氏が、
子分たちのためのセミナーで話した内容を収録している。
河合隼雄でネット検索すると、
怪しげな自称カウンセラーのババアがたくさんヒットするわけだ。
実のところ、カウンセラーなど占い師のようなもので、
たとえ臨床心理士の資格がなくてもだれでも自由に開業できるのである。
いちばん泡食ったのは高校中退、波乱万丈の人生を自慢していたババアかな。
中卒。しかし、人生経験豊富(笑)。あなたを救います。1回50分5千円。
主婦が自宅で開業していたらショバ代はかからないから、時給5千円である!
うまみは高給のみならず、他人を癒すことによって自分も癒すことができる。
そのうえお偉い河合隼雄先生によると、心理療法のこつは「何もしないこと」。
「何もしない」で自他ともに救われて、さらにお金まで稼げる。
厚顔無恥なおばさんがこぞってカウンセラーにあこがれるのはこのためであろう。

おそらく河合隼雄の本が好きなカウンセラーは、
氏をほんとうには理解していないのである。
たぶん氏の主張をほんとうにわかってしまったら、カウンセラーなど目指さないと思う。
カウンセラーというのは(たとえば作家とおなじようなもので)、
あこがれるものではなく、なるべく生まれた人がなってしまうものではないか。
どうしてか他人からよく相談される人が、ならお金を取ってみようかと開業する。
そして、このパターンでカウンセラーになったものがもっともよろしい。
死にものぐるいに努力してカウンセラーになどなるものではない。
さらに言うなら、努力してもきっとなれない。
他人を助けたいのなら金など取らずにボランティアをやればいいのである。
人様からお金をもらっておいて「何もしない」カウンセラーはどれほど度胸があるのか。
相当な怠け者のわたしでさえ、だれかからお金をもらったら、
その人のために何かしたくなるのである。
命の次に大切な金を頂戴しておいて「何もしない」カウンセラーは気味が悪い。
ふつうは金をもらったら、その人の子どもに就職を世話してあげるのである。
けれども、カウンセラーは――。

「何かしてあげようかなあと思うくらい気の毒な人が来られるときもありますが、
それでもぼくらは何もしません。
皆さん、どうですか。何かする人としない人では、
しない人のほうがどれほど心が揺れるか、それがわかりますか。
「就職先がない」と言われたら仕事を探して、
「ありがとうございます」と言われたら、それでいいわけですね。
ところが、職がないことは大変だとわかっていながら、
それでも何もしないということは、どういうことでしょうか。
自分で職を探し、自分で考えていくように成長してもらいたい。
成長していく限りは、私もしんどいけど一緒について行きましょう。
しかし一緒について行くということは、「あれを探したけどなかった」
「こっちへ行ったけどここにもなくて断られた。残念やなあ」とか、
「なんでこれがないとだめなんだろう」とか、
「何かいいとこないだろうか」というふうに、
その人が悩むのにいちいちついて行って、
こっちも心が揺れてフラフラになりながら一緒に行くというのが、
カウンセリングなんです」(P29)


他人に振り回されて迷惑したことのある人は多いだろう。
実際は他人を振り回しておきながら、
「自分こそ他人に振り回されている」と言う厄介な人がいる。
そういう人は深く病んでいて本人にもある程度の自覚はある。
この手のクライエントは他人を振り回さないとよくならない。
お金をもらって振り回されてあげようというのがカウンセラーなのだろう。
ただし、ほんもののカウンセラーならば、何かをしてあげてはならない。
なぜかと言えば、うっかり何かをしてしまうと――。

「そこで、うっかり乗り出していくとゴチャゴチャになって、
たとえうまいこといったとしても、
何かカウンセラーがあんまり入り込みすぎたために、
カウンセラーに対して依存的になってしまうことがあります」(P76)


なんとかして顧客を自分に依存させようと必死になっている占い師、
経営コンサルタント、インチキ宗教家などとカウンセラーは違うのである。
それがほんもののカウンセラーならばの話だ。
にせものは金儲けのために客を依存させようといろいろたくらむことだろう。
かならずや相手を支配しようとするはずである。

しかし、金を払ってもいっさい何もしてくれない立派なカウンセラーというのもすごい。
人が高級料亭に行くのは、よりよいサービスを受けるためである。
ほかでは5百円のビールに8百円支払うのは付加価値を求めてのこと。
実態はおなじビールに過ぎないのにもかかわらず、である。
おそらく、究極の贅沢というのがカウンセリングなのではないか。
金を払っても何もしてくれない。まさしく革命的というほかない商売である。
言ってしまえば、金の無駄だ。
この無駄を積むことで、なぜか病んだ心の治ることがたまさかある。
何もしてくれない人に金を払いつづけると「たましい」への道がひらける。
これが表立っては言えないところの河合隼雄先生の主張だと思う。