「図解でわかる 日本の裏社会」(ミリオン出版)
→みんなおれを勘違いしてんじゃないかい?
おっれはね〜、こういう本をニコニコしながら買ってきて、
便所でクスクス笑いながら読む侠(おとこ)なんだわ。
くうう、表紙がたまらねえぜ。ヤングはジャケ買いってゆうんだろ?
「読めば身につく アウトロー思考で一発逆転!!」
「勝ち組アウトローが実践 莫大なマネーを生む50のヤクザ習慣」
「平均年収2000万円 侠たちの日常、裏の掟、最新シノギを解き明かす!!」
……いったい編集者はどんな読者を想定してこんなホンをつくっているのか。
ああ、おれのような腐った半端者か!! こりゃまいった、おじさん一本取られた!!
表紙がちゃちいわりに中身が想像以上にこってりしていてとてもいい。
やっぱり裏社会がないとダメよ。裏があるから表も輝く。
警察はヤクザをつぶしちゃダメ。いや、繁華街の末端警官はよくわかってるんじゃね?
末端はおそらくマッポもヤーサンも似たようなものじゃないかと思う。
上の命令はいっさい考えずに絶対服従。
ポリは昇進試験を受けないと上にあがれないが、スジモンは違うらしい。
いかに人を裏切って騙して大金をせしめるかが極道の成り上がり方とのこと。
上納金を積めば積むほど極道社会で出世できるという。
チンピラ極道の第一歩はヒモになることだという。
おのれが働かずに女に食わせてもらうことからヤクザのシノギが始まる。
ヤクザな商売へのあこがれを強く刺激された。名著ゆえ星五つ。☆☆☆☆☆
「おもしろくて、ありがたい」(池波正太郎/PHP文庫)
→時代小説家の名言集。
池波正太郎氏のエッセイは好んで読んでいた時期があり、
とりわけグルメに関するものはかなり愛読していた。
しかし、どうにも時代小説が読めない。本当に文盲のごとくに読めないのだ。
よって、このような抜書きを集めたものは、わたしにとって「おもしろくて、ありがたい」。
時代小説を書いていて氏はつくづく感じたことであろう。
なにをか。人間の生き方なんざ、むかしから大して変わっていやしない。
自分の死後50年が経過しても人間などしょせん戦国時代から一歩も進んでいるものか。
どのみち人と人はうまくゆかぬ。人は争うようにつくられている。なぜか。
「人というものは、物を食べ、かぐわしくもやわらかな女体を抱き、
そして子をもうけ、親となる……つまり、そうしたことが渋滞なく享受出来得れば、
もうそれでよいのじゃ。しかし、それがなかなかにむずかしい。
むずかしいがゆえに世の騒ぎが絶えぬ」(P19)
むかしからけっこうなかなか妻子を得るだけでも男には難業だったのだろう。
それだけでも男の仕事としては十分にやりがいのあるものだった。
事実かどうかはわからぬが、時代小説家の池波正太郎氏はそう考えている。
いったい信長や秀吉、家康はどのようなことを考えていたのか。
彼ら豪傑とてわれらとそう変わらぬという信念から作家は時代小説を書く。
戦国時代の名将の現実認識とて、おそらくこれしきのものだったのではないか。
「現実の進行は、すべての予想を裏切る。
これも、六十余年を生きてきて、はっきりとわかった。
予想なんていうものは、当たったためしがない」(P28)
どういうことか。秀吉も家康も、綿密な人生計画を立てていたわけではない。
そんな画策をしていたら、すぐに信長に見破られて切り捨てられていた。
秀吉とて家康とて、人生が狙ったとおり、思ったとおりになったわけではない。
むろん、信長が人生から裏切られたのはいうまでもないが。
彼ら戦国時代の武将はどう生きていたのか。
「だからね、行く手の望みだけが目に映っていて、
そこまでゆく過程というものを全然考えないでやる、
そういうのは結局どうにもならない。毎日まいにちの積み重ねなり、
そのときどきの生きがいというものが積み重なって、
実力がそこで知らず知らず蓄えられて、それが機会を得たときに花開く、
そういうものですからね。
秀吉の場合も、家康の場合も、みんなそうなんだ。
現代でもみんな同じだと思いますね」(P150)
「現実の進行は、すべての予想を裏切る」ということだ。
表現を変えたら、人生は思うようにならない。思いどおりにいかないのが人生だ。
これは一種の諦観だが、同時に希望でもあるのである。
なぜなら現実の進行は、かならず予想を覆すのだから――。
「死ぬつもりか、それはいけない。
どうしても死にたいのなら、一年後(のち)にしてごらん。
一年も経てば、すべてが変わってくる。
人間にとって時のながれほど強い味方はないものだ」(P26)
死ぬこたあない。死んだらもったいねえ。
「人生の苦難に直面した男が求めるものは、酒と女にきまっている。
この二つは、それほど男にとって貴重なものなのだ」(P29)
「ぼくがいつもいうように、結局は女なんだよ。
男にとっては女。女にとっては男。
それによって、どうにでも変わって行くものなんだ、両性の運命というものは。
これは本当だよ」(P177)
このように語る池波正太郎氏は、解説の元担当編集者によると、妻を殴る男だったという。
妻を殴ったことを誇りさえする亭主だったとのことである。
女房は「いってきかせてもわからぬときには、張りとばす」――。
「乱暴なようだが、男と女がうまくやっていくには、これが一番なんだ」――。
そう作家は、真剣に若かりし編集者の眼をのぞきこんでいったという。
「女を張りとばす」は、たしかに現代すっかり忘れ去られた「男の作法」である。
「男の作法」を真似したいと思っているわけではないことを強調して断っておく。