山田太一ドラマ「キルトの家(前編)」を視聴する。
登場するのはたくさんの老人と20代前半とおぼしき若々しいカップル。
こちらは人生に夢破れた30半ばのおっさん。
「キルトの家」のどこにも「私」がいないのでドラマ世界に分け入っていくのに苦労した。
しかし、これはあまたの老人が昨今のテレビドラマを見て感じることなのだろう。
今クールの連続ドラマの初回はかなり見たが、どれも老人とは無縁のお話ばかりであった。
華やかな職業につく美男美女の繰り広げる愛と夢にあふれた世界には
わたしでさえ抵抗感があったのだから、老人にはなおさらだったのではないか。
「キルトの家」はその正反対で、まさしく老人のためのドラマなのだと思う。
わたしなぞに感情移入されてはむしろ製作者サイドは困惑するだろう。

とはいえ、自分に引きつけてひとつ嫌味なことを思った。
ドラマで三味線を弾く老女を見て、ああ、そうなのかと気づく。
しわくちゃの老婆もむかしは美しかったことだろう。
なんでも一流の芸者として新橋で名をとどろかしていたというではないか。
それが老いたらどうだ。
だれからも相手にされず得意の三味線でさえむかしのように弾くことはできない。
むかしちやほやされた経験があるぶん、かえって老いが辛いのではないか。
そうなのだ。もしかしたら人生でいい目を見た人間ほど老化が辛いのかもしれない。
定年退職したら肩書のない人間なんかだれも相手にしない。
思うようにならないことが多くなり、そのぶん老いの辛さが人より増すはずである。
NHKや集英社に入った大学の同期を思い出しながら胸のすくような思いがした。
いや、それはいっときの錯覚なのかな。
大企業に入れば退職金や年金の額が違う。
つつましい団地暮らしなんかしなくていいのだ。
そのうえ、やはりイケメンは人生を通して得のような気がする。
というのも、橋場勝也(山崎務)は顔がいいことで老いてからもいい目を見ているではないか。
醜い老いぼれが「たましいの話をしよう」などといってもだれも聞かないのだから。

「キルトの家」は1年後に取り壊しが決まっている巨大団地に引っ越してきた
若いカップルと老人たちの交流を描いた物語である。
老人は若者に「がんばれ」とはいわなかった。
橋場勝也は公園で筋トレをする南(みんなみ)空(三浦貴大)に「がんばれ」とはいわず、
栄養ドリンク「コスモパワー(宇宙力?)」を渡す。
このシーンは山田太一ドラマ「キルトの家」の世界観を象徴しているような気がする。
少子高齢化社会の日本にとっては、若者にがんばってもらうしかないのである。
しかし、老人は見知らぬ若者に話しかける言葉を持たない。
物(栄養ドリンク)を通してつながろうとするしかないのだ。
そう、かつて人と人をつなげるのは物だったけれど、いまでは物もあふれている。
空は栄養ドリンクなどいらないという。
勝也は「がんばれ」とはいわないが栄養ドリンクを空に押しつける。
「私は(栄養ドリンクを)やらない。ずーっと死なないのも困るからな」
「キルトの家」のメンバー勝也はまた別のときにこんなことをいう。
老婆に三味線を弾くことをすすめるときだ。
「じきに途切れてしまう人生だ。完璧じゃなくていいんだ」
死を見すえようとしているのが橋場勝也なのだろう。どうせ死んでしまう。

また団地の公園で空が筋トレをしていると勝也がすがたを見せる。
勝也はもっともらしい言葉を吐いて若者の気を引こうとする。
「俺は鳥や昆虫のように感じ取る力を磨きたいんだ。人からの音波を感じ取る力だ」
こうしてやってきたのは空が自分を呼んだからだと老人はいいはるのである。

勝也「相談があるなら乗るぞ」
空「ああ――。いえ」
勝也「フフ?(とうながす)」
空「相談ではないけど橋場さんに」
勝也「勝也でいい。みんな勝也で通している」
空「逢えないかなと思ってました」
勝也「そうだろう。だから感じたんだ」
空「用事はないけど」
勝也「それがいちばんだ」
空「――」
勝也「そういうのがいちばんいいんじゃないか」
空「はい」
二人、なんだかおかしくなって笑ってしまう。


いつものいかにも山田太一ドラマらしいシーンだ。
一人ではなく二人でいることの価値を重んじる脚本家の書いたシーンである。
とはいえ、二人の会話は続かない。老人と若者のあいだには共通の話題などないのだ。
いきおい勝也は過去の自慢話をする。
自分は世界を舞台に飛び回ったビジネスマンだったというのである。
「南米はいいぞ」などと遠くを見つめ大物ぶる。
高卒の工員に過ぎぬ空に、こんな話をする勝也は明らかに老いを持て余している。
直後の別の老人のセリフで勝也の大言がホラ話に過ぎなかったことが暗示される。
おそらく、人生で一度もいい目を見なかったであろう老人はこんなことをいう。
野崎高義(上田耕一)のセリフである。

「俺はむかしの話ってのが大(でえ)嫌いなんだ。
若いときはこうだった、ああだったって、半分ウソばかりの話を並べてよ。
だれもそんなもん聞いちゃいねえよ。
それがわからねえような年寄りにはなりたかねえんだ」


そうはいっても老人には若者にかける言葉がないのである。
老人は若者と交流しようと思ったら物に頼るしかない。
物に頼って人間関係を構築してきたのが古い人たちである。
老人二人はよかれと思って電子レンジを若いカップルにプレゼントしようとする。
空と同棲しているのは南レモン(杏)である。
話はそれるが、とうとう山田太一ドラマにも空やレモンといった
DQNネーム(おバカな名前)が登場するようになったかと感慨深い。
親の顔がわかる実に現代的な名前といえよう。
さて「キルトの家」の老人は二人で重い電子レンジを若者の部屋に運んでいくのである。
玄関先で――。

老人「レンジをね、ひとつ上げようと思って」
レモン「あら」
老人「少々贅沢でも使えばいいや、な?」
レモン「ごめんなさい」
老人「え?」
レモン「いま、ちょっとまえ、リサイクルショップで7500円で買ったのが届いたんです」


いまや物はあふれているため物で若者をどうこうしようと思っても無理なのだ。
レモンは「キルトの家」の人たちを怪しく思い自治会の副会長に逢いに行く。
「キルトの家」とは店名で、住人だった老夫婦はいま二人とも入院している。
このため空き家となったこの店に、
管理人代わりに集うようになった老人たちが「キルトの家」メンバーだ。
自治会の米川淑子(余貴美子)は、
「イライラしてくるの」と「キルトの家」のメンバーを評する。
花の台団地の自治会と「キルトの家」は対立していたのである。

対立の内容は、いかにも山田太一ドラマらしい理想と現実の衝突だ。
自治会は現実派である。
この団地は老人ばかりになったから新たなシステムを自治会で考えた。
若い人になにかしてもらったら250円を支払うというシステムである。
専用のクーポン券も準備した。
しかし、「キルトの家」の人たちはこのシステムをよしとしないのだという。
あの連中はこんな理想論をいうのである。
「老人を助けてっていうより、若者にまず好かれるのが先だろう」
「老人がいる団地っていいなと思われるほうが先だろう」
だから、「キルトの家」の人たちは空とレモンのカップルに親切にしていたのである。
「キルトの家」の主張はこうだと自治会副会長はレモンに説明する。
「他人を部屋に入れたくない」
「倒れたって自分一人で死ぬ覚悟はできている」
「元々一人になりたくて東京に出てきたんだ」
副会長は「そんなことは自分がまだ元気だからいえるのだろう」と批判する。
現実を見ろ。本当に身体が動かなくなったらどうする? これが現実だ。
「すぐ歩けなくなること、すぐ寝たきりになること、認知症になること。
どうしてすぐ自分に起こることを(「キルトの家」の人は)見ようとしない?」
「イライラしてくるの」と副会長はいう。

ある晩、空は一人で「キルトの家」に行き老婆二人から言い分を聞く羽目になる。
最初の会話が切ない。
どうせ勝也に逢いに来たのだろうと老女は皮肉とも自嘲とも取れる言葉を投げかける。

老女「私らなんかに逢いたくないもんね」
空「――(苦笑)」


たしかにそうで、もう役に立たない老人に若者は逢いに行く理由がないのである。
老人は物でもあげれば若者から好かれるのではないかと期待する。
けれども、若者はそもそも老人から好かれたいと思う理由がないのだ。
別に老人から好かれなくても一向に構わないのだから。
さて、「キルトの家」は変人、ひねくれもの、ゴロツキの集まりらしい。
その本音はこうである。自治会の正論にはついていけないという。
もちろん、老人は弱い。でも――。
「弱いもんでも助けを求めるとは限らないの」
「いよいよになっても死んでも助けなんていらないと思っている人もいるのよ」
「年寄りは死ぬことをそんなに怖がってへん」
「自治会でね、死ぬより生きてるほうがええ、公平に助け合おう、
なんていってるけど、あいつを助けるのは嫌だ、助けられるのはもっと嫌だって」
要約すれば「老人だからといってひとククリにするな」である。
とはいえ、こんなことを聞かされても困惑するばかりの空であった。

ところが、空にも老人を頼りにするときが訪れる。
レモンが家を出てしまったからだ。
実のところレモンは空の兄の妻だった。空は兄嫁を寝取ったのである。
二人は駆け落ち同然で家を飛び出してこの団地に流れ着いた。
空は兄と逢わないというレモンとの約束を破ってしまう。
このことに気づいたからレモンは家を出て行ったのである。
レモンを失いパニックに陥った空は夜半に勝也の部屋を訪問する。
どうしたらいいでしょう? なにか感じ取っていませんか?
「バカヤロウ!」
調子のいいときだけ老人を頼るなとでもいうように勝也は空を拒絶する。
かくして「バカヤロウ」で始まった(駅改札で怒る老人!)ドラマは、
おなじセリフの「バカヤロウ」で幕を閉じるのである。

さて、「キルトの家」後編で山田太一はどんな解決を我われに示してくれるのか。
小説「空也上人がいた」では老人に自殺という選択を決断させた脚本家である。
そう、残酷な話だが高齢化社会を乗り越えるには自殺という道もある。
先のない老人には動けなくなるまえにみずから死を選び取っていただく。
だが、まさかテレビドラマではこういう過激な主張はできないだろう。
(「空也上人がいた」は実際かなり危険な思想を内に秘めていたのだ)
では、「キルトの家」の結末はどうなるか?
実のところ、このドラマの結末、作者の思う理想郷は最初に出現していたのである。
ドラマ冒頭、「キルトの家」の人たちが集まり物故者の写真を焼く。
このとき念仏を唱えるものがいた。それから題目を唱えるものがいた。
南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経の合唱でドラマ「キルトの家」はスタートしたのである。
あたかも脚本家は、死んでしまえば念仏も題目もないといっているかのごとくだ。
これこそ自身ももうすぐ死んでしまう老作家の抱いた夢であろう。
死んでしまえば思想や信仰の対立などにそう大した意味があろうか。
「キルトの家」後編では老人のうちのだれかが死ぬような気がする。
人生のあらゆる問題は生きているうちにはほとんど解決を見せない。
唯一人生に解決があるとすれば、それをもたらすのは死である。
自他が死ぬことによってしか解決しない問題に人生はあふれている。
いいかえれば、どんな問題も死が解決してくれるということだ。
人は死ぬ。なぜか。人は老いるから死ぬのである。
ならば、人は生まれるから死ぬ。いま生きているから死ぬ。難しいことはなにもない。

*音楽がよかった。いや音楽もよかった。
私見では、もっとも好演していたのは南大地(空の兄)役の俳優さんである。
あ、わたしにいちばん年齢が近そうだからかもしれない。
まあ、杏のような美人を一度でも妻にしたのだから、
南大地さんはどんな災難にも辛抱すべきでしょう。
兄が大地で弟が空か。どんな顔をした両親だったのだろう。くすくす。
「父・井上靖の一期一会」(黒田佳子/潮出版社)

→お嬢さんの書かれた人間・井上靖にふれてわかったのは、
この人気作家はとにかく大人だったということである。
なにせ42歳で芥川賞を受賞しているのだから。
専業作家になったのは44歳のときで、それまで勤務していたのは毎日新聞である。
井上靖の特異性をあげれば、子供だらけの文壇において、
数少ない大人であったということに尽きるのではないか。
無名の井上靖を引き上げてくれたのは佐藤春夫である。
氏は終生、佐藤を師として感謝を忘れなかったという。
恩返しとして北海道旅行へ招待しているのは、社会人のかがみというほかない。
ほかに井上靖を推したのは大佛次郎、上林吾郎、今日出海、亀井勝一郎の面々。
大人の常識を踏まえた井上靖は生涯彼らへの恩を忘れなかったことだろう。

40代の新人は、年下の編集者を自宅で接待したという。
これなども子供の文学者などには思いも及ばぬことではないか。
年上の芥川賞作家から自宅でもてなされたら、原稿を依頼をするのは当たり前である。
なにかお願いがあったら接待をするのは、サラリーマンの常識である。
まず恩を売るのが成功への近道。
井上靖は卑怯でもなんでもなく、社会の常識にそった行動をしたまでといえる。
新人が、ほとんど上司ともいえる編集者に対して偉そうに振舞うなどとんでもない。
むしろ身銭を切っておもてなしするのが大人の流儀である。

先輩への挨拶を欠かさなかった井上靖が唯一苦手としたのが三島由紀夫だ。
三島は井上にとって20も年下の先輩作家である。
家へ招待されて挨拶に行った中年の井上靖だが、三島だけは受け入れられなかったという。
いくら大人の井上靖とはいえ、当時の文壇の閉鎖性、派閥性には愚痴をもらしている。
どこの派閥に所属しているかで評価が大きく変わることを作家は嘆いている。

「みんなグループを組んで、お互いの身内を誉め合い、引き合うんだ。
弱くてひとりで立てないのだな。
何々派とかなんとかいって、そこに入っていない者を無視するんだよ。
無視された者がどうするか、意地悪く知らん顔して様子をうかがっている。
文学や芸術、学問の世界というものは、
そんなのとは本当は一番遠い世界のはずなのだけれどね」(P107)


そうはいっても井上靖は実社会にもまれた大人である。
すぐに文壇の仕組みを理解して、次々に文学賞を取るようになる。
「賞の取りすぎ」という陰口もあったほどである。
そのコツはどこにあったか。出世したかったらどうしたらいいか。

「誰かに推されて受賞しているのだからね、
自分にできる恩返しは、その賞にふさわしい人を、推薦すること。
人を推薦するというのは面倒なことでね、
皆自分は推されながら、なかなか推すことをしない。
けれど、僕は怠けずにするつもりだ」(P110)


だれかを推したら見返りに自分も推してもらえるのである。
これはべつにずるくもなんともないと思う。
ひとたびサラリーマンになったら、こういうルールは真っ先に覚えることではないか。
井上靖は40半ばまで毎日新聞社でサラリーマンをしていたのである。
こういう処世術を不正と憎む青臭さにはついていけなかったのではないかと思う。
「推してもらいたかったら、まず推せ」「ご恩は一生忘れるな」――。
これは陰謀でも裏工作でもなんでもなく、人として当たり前の感覚なのかもしれない。

井上靖の常識感覚はすばらしい。
作家は一時期、通俗的とも思われかねない恋愛小説を多作していた。
やたら自由恋愛を礼賛する小説である。
しかし、実際の小説家はお嬢さんによるとまったく違っていたらしい。
恋愛の価値などほとんど認めていなかった。
表の顔と内の顔を使い分けるのは、大人の常識だからこれを責めてはいけない。

「恋といったってねえ、あれは小説の上でのことだからね。
突然、燃え上がる感情などには、なんの意味もないよ。
激しく惹かれれば惹かれたところから、ある日突然嫌になりやすい。
そんな不確定なつまらない感情に重きを置き、人生を賭けるものではない。
本当の愛情とは、二人で時間をかけて、
苦労し創り上げ積み上げていくものなのだ」(P89)


日本でもっとも成功した作家のひとり井上靖も、成功者ゆえの悩みがあったようだ。
成功するとは、対人関係が増えるということである。
かつて親しくしていた文芸評論家が、いきなり悪意ある批判しか書かなくなってしまった。
そのあげく評論家はあっけなく死んでしまう。
作家は結局なにが原因でそんなことをされたかわからずじまいだったとのこと。
編集者から逆恨みされることもあったらしい。
担当の編集が代わったのちに、前任者が自分の悪口を広めていた。
井上靖が出版社に圧力をかけて人事を動かしたという被害妄想に陥っていたとか。
成功者は人から理不尽に恨まれる苦痛を、
平凡人よりよほど多く経験しなければならないのかもしれない。

井上靖は存命時、新進気鋭の大江健三郎や阿部公房のような作家をどう思っていたか。
もちろん作家は大人だから表立って批判するようなことはない。
しかし、娘さんにはこういったという。

「新しいものはその新しさ故に、新しいほど早く古臭くなりやすいものだ。
古いものは古いほど、
時代に遅れずに、かえって新しく蘇ることもあるんだな」(P115)


井上靖は大人の作家だという証拠を、このように挙げてきた。
では、大人とはいったいどういうことか。
ウソをたいせつにするということではないかと思う。
なぜなら、人はほんとうよりもウソを好むのだから。
そのうちわたしもあっという間に40歳になるのであろう。
いいおっさんのくせに物語=ウソが好きだ。
ならば、井上靖の小説よりも、
むしろ彼の大人らしい社交術から学ぶべきことが多々あるのかもしれない。
やはり文豪からは教えられることが多い。

「わが母の記」(井上靖/講談社文庫)絶版

→これを「しろばんば」のような自伝的小説と思って読んだらとんでもなかった。
「花の下」(S39年)、「月の光」(S44年)、「雪の面」(S49年)
からなる母三部作ともいうべき「わが母の記」は、
物語作家の井上靖がただひとつ書き残した私小説である。
繰り返すが「わが母の記」は自伝的小説ではなく私小説である。
どういうことかというと、よけいな読者サービス、
つまり現実の美化がほとんどされていないのである。
井上靖の愛読者は「え、こんなの読んじゃっていいの?」という思いにとらわれたはずだ。
表現をかえると井上靖の書いたものでなかったら、こんな身辺雑記に興味を持てない。
わたしが最後まで読み通せたのも、ひとえに有名作家の家族への覗き見根性からである。
これがあの井上靖の筆なるものでなかったら、どんな評価をしたかはわからない。

本音を白状すると人間性を疑われてしまうかもしれないが、
「わが母の記」を読みながら不謹慎な笑いをいくどももらした。
作家は母親がボケていく過程をかなり冷たく突き放して描写している。
本書ではボケのかわりに耄碌(もうろく)という言葉が頻繁に使われているけれど。
なまの現実のおかしみというのがあるのである。
文豪である井上靖先生の耄碌なさったお母様の言動が妙に生々しくて、
笑っていいのか一瞬ためらうが、その逡巡がむしろ笑いを加速するとでもいおうか。
ボケた老婆が香典のやりとりだけ覚えているのは人間の底を教えてくれるようでもある。
国民的作家は義弟から母のことをこう指摘されるが、
あんがいこれは事実ではなく氏が創作したところの他者性(他者の眼)かもしれない。

「香典を貰い、貰った額を返すということは、
確かに人間の貸借関係の中では最も基本的なものかもしれないと思いますよ。
何となく不気味ではあるが、みごとな気もする。
確かに人間は生まれて、結婚し、子供を生んで死ぬ。
人生はせんじつめればこれだけのものかもしれない」(P69)


母の弟――長年アメリカ暮らしをしていた叔父が姉を慕って帰国してくるのだが、
ここも現実のリアルさに笑うほかないような困惑した気分に陥ってしまう。
耄碌した母は叔父のことを弟だと思っていないようなのである。

「叔父は母に対して躍起になっていたが、
母の方は叔父をその名では呼ばなかった。
アメリカさん、アメリカさんと呼んだ。
その呼び方の中には多少の軽蔑感がこめられており、
陰ではなんだ、アメリカさんがとか、アメリカさんのくせにとか、そんな言い方をした。
そのくせ、アメリカさんが姿を見せない日は、
何度でもアメリカさんの家に押しかけていった。
いま訪ねて行ったことを忘れ、すぐまた出掛けて行った」(P75)


まず、おいおい、こんなことを書いていいのかよと思い、
それから、え、こんな恥ずかしい身内の話を読んじゃっていいのという気分になり、
結局は人間の持つおかしさに笑うほかは仕様がなくなるのである。
「わが母の記」は映画になり今年の4月に劇場公開されるそうだ。
宣伝HPを見たら家族愛を謳い上げたものになっているとか。
わたしはこの小説からひとかけらの家族愛も感じなかったが、
原作の映画化とはそういうものなのだろう。
家族愛だ絆だなんだと強調しないとスポンサーが金を出してくれないのかもしれない。
井上靖ファンはことさら「わが母の記」を読まなくてもいいような気がする。
しかし、作家はこれを書かずにはいられなかったのだろう。
「しろばんば」や「あすなろ物語」だけの小説家ではなかったということだ。

「ゼンドミールの修道院」(グリルパルツァー/ 福田宏年/岩波文庫)

→「ウィーンの辻音楽師」のおまけとして収録されている短編小説。
ところが名作という一般評価を得ているあちらより、
こちらのほうがおもしろいのだからグリルパルツァーの才能には恐れ入る。
「ウィーンの辻音楽師」が女性への夢を作品化したものとすれば、
この「ゼンドミールの修道院」は女性嫌悪をむきだしにして書かれた小説である。
女性への「鋭い嘲笑」がひたすらどこまでも爽快というほかない。
一読すると、おなじ作者の小説とは思えないかもしれない。
だが、こういうものなのである。
もっとも女が嫌いなのは、実のところ女が好きでたまらない男なのだ。
女なぞに過大な期待や夢を持つから男は幻滅してひどい女嫌いになってしまう。
ことはおなじで、人間嫌いなひねくれものが実際はいちばん人を好いているのだ。
人に関心がないものは、そもそも人間嫌いにはならないではないか。
「ウィーンの辻音楽師」が人間賛歌だとすれば、
こちら「ゼンドミールの修道院」では人間への憎悪がこれでもかと描かれている。
好きと嫌いは反意語ではないのであろう。
好き嫌いはいっしょで、この反対の意味を持つ言葉が無関心なのではないか。
矛盾した両極端を生きるのがドラマ作家というものなのかもしれない。

「ゼンドミールの修道院」はとにかく筋の運び方がうまい。
そこらのエンターテイメントよりもよほど筋がおもしろいのである。
ストーリーをばらしてしまったら、この小説を読む楽しみが九割がた奪われるのだろう。
そのような小説は一段低い通俗的なものとされるが、
そうだとしたらおもしろい作品はみな通俗小説になってしまうのではないか。
この小説でもわけありな老人が過去の事件を物語る。
小説の愉楽というのは、「おはなし」の魅力に尽きるのだと思い知らされる。
万が一、お読みになる方もいるかもしれないのでネタバレは書きたくない。
グリルパルツァーよ、おまえはどれだけ人間が嫌いなんだ(好きなんだ)。
ほんとうにおまえさんは女が嫌いで嫌いで嫌いなんだね(好きなのね)。
思わず「おお、同志よ」と呼びかけたくなってしまうくらいである。
生涯独身だったグリルパルツァーは、もしかしたらスウェーデンの狂人にして天才作家、
かのストリンドベリよりも女が嫌いだったのではないだろうか。

「ウィーンの辻音楽師」(グリルパルツァー/ 福田宏年/岩波文庫)

→小説を読む快楽は、他人の話を聞く楽しみに由来するのだと思い知った。
魅力的な人がいる。おかしな人でもいい。
自分だけが、この人のよさをわかると思えるような人ならなおいい。
我われは「どうしても事情を知りたいという思い」をいだく。
彼(女)はぽつりぽつりと僕や私に向けて人生で起こったことを語ってくれる。
この語りが小説になるのだろう。
「聞きたい」「話したい」というふたつの欲望が小説には必要とされる。
このうち「聞きたい」のほうはカットされることも多いが、
小説というものの形にこだわるならば、
たとえば「嵐が丘」やこの「ウィーンの辻音楽師」のように話し手と聞き手に分かれる。
「人間好き」であることが条件である。
グリルパルツァーは「群集の中に融けこんで」
「自身を全体の一部と感じる」ことのできるような人間だったのであろう。
作家が群集から「名もない人たちの伝記を拾い集める」ことのできる理由は、
「その全体の中に神が宿っている」からだと思われる。

老いた乞食芸人(バイオリン弾き)のしみったれた貧乏臭いお話である。
名家出身にもかかわらず生来の気弱さと人のよさから、
街頭芸人に転落するまでが老人の口から物語られる。
乞食芸人「ウィーンの辻音楽師」のいうには、「生涯の幸福な一日」があったという。
それは若かりしころ女性から頬にキスしてもらった日である。
生涯で自分に恋愛感情らしきものを持ってくれたのは、その女性しかいなかった。
貧民のどちらかといえば醜い娘である。
みな娘のことをバカにするが、彼には彼女の歌声が天使のもののように響いた。
ところが、娘は肉屋の息子に嫁いでしまう。失恋したわけである。
このときのことを老人はこう述懐する。娘の名はバルバラといった。

「私はこの世で自分ほど不幸せな者はいないと思ったものです。
たしかに最初の瞬間はそう思ったのです。
しかし、店を出て振り返り、小さい窓を見上げて、
バルバラはきっとあの窓際に立って時々外を眺めたに違いないと思った時、
何とも言えない満ち足りた気持が胸を満たしてきたのです。
今はバルバラも何思い患うこともなく、れっきとした一家の主婦になり、
家も故郷もない根無し草のような男にくっついて、
貧乏してみじめな思いをする必要もない。
こうした思いがしみじみと湧き上がってきて、私の胸を静め、なぐさめてくれました。
私はバルバラとその行く末を祝福しました」(P82)


どうせ自分なんかと結ばれても不幸になるだけなのだから……と、
本来なら悲しいはずの好きな相手の結婚を、反対に自分の喜びとするのである。
コンプレックス(劣等感)が異常なほど強いせいか、
わたしには「ウィーンの辻音楽師」の気持がふしぎなくらいよくわかる。
(わからない人には唾棄すべき最低の感傷に思えるのかもしれないが)
結局、この老人は死ぬまでバルバラという女に片想いを続けるのである。
生涯独身だったグリルパルツァーは恋愛の本筋は片想いにあることを知っていた。
唯一打算のない純粋な恋愛があるとすれば、それは片想いではあるまいか。
なぜなら、それは決して報われぬ恋だからである。
成就しないからこそ片想いという恋愛は美しい。幻滅することもない。
グリルパルツァーも「ウィーンの辻音楽師」も、
ロスタンの「シラノ・ド・ベルジュラック」の父親といってよいだろう。
もっとも真剣に恋する男のすがたがここにはある。

「海の波 恋の波」(グリルパルツァー/番匠谷英一訳/岩波文庫)品切れ

→戯曲。オーストリア産。
恋愛がしたいという女郎(めろう)固有の欲望がよくわからない。
というのも、恋愛は成就したら終わってしまうのだから。
このため究極の恋愛は、相手に死んでもらうしかない。
最愛の彼氏に逝かれたかの女こそ、もっとも恋愛の愉楽を味わえるはずである。
なぜなら、しつこく繰り返すが、恋愛は成就したらおしまいなのだ。
相手が死んでしまったらその恋愛は永遠にかなわない。
にもかかわらず、ではなく、このためにその恋愛は最高に甘美なものとなる。
くだけたことをいうと、なーんかさ、
彼氏に先立たれたとかいう設定の女性視点の安っぽい小説って多そうじゃない?
で、新しい男が現われ心を開くところで調子よく話が終わるわけ(笑)。
本心では新しい彼氏にもしばらくしたら死んでほしいとか思っているくせにさ。
そうしてたっぷり想い出を味わった後にまた新しい男に出てきてほしい。
理論上はこれを繰り返すしか恋愛を楽しみ続ける方法はないのである。
彼氏が浮気性なら恋愛も長く続くのかもしれないけれど、
そういう関係は屈辱的だからスタイリッシュな女性はいやがるんでしょ?

さて「海の波 恋の波」は「ロミオとジュリエット」系の正統的な恋愛悲劇。
禁じられた恋だから楽しいんだよね。
ヒロインは神に仕える巫女で恋愛を禁止されている。
住まいは聖域のため男など現われたら死刑になってしまう。
こういう障害のあるところにヒーローが海を泳いでやってくる。おまえ、犬かよ!
祭司長の罠にはまったのか、犬は溺れて死んでしまう。
いや、犬じゃなくて、イケメンのヒーローだった。
巫女はすぐに後を追ったりはしない。
けっこう長く(ページ的にね!)不幸の快楽を味わった後に、
心臓発作かなにかで急死する。
ここで巫女が自殺しないのには、へんなリアリティを感じてしまった。
彼氏に死なれた女って、なんだかんだいっても生への執着は捨てないよね?
ここは作者グリルパルツァーの殺人行為を高く評価したい。
グリルパルツァーは気弱な小心者として有名だったが、
しっかり人妻との秘密の恋を経験している。そして、生涯独身だった。
一度も恋愛の完全な成就を経験しなかったということだ。
もしかしたら一生にわたって片想いという名の恋愛をしていたのかもしれない。

「ザッフォオ」(グリルパルツェル/実吉捷郎訳/岩波文庫)品切れ

→戯曲。オーストリア産。
「ロミオとジュリエット」よりはるかに恋愛の悲劇をうまく描いていると思うが、
どうしてか名作「ザッフォオ」はほとんど知られていない。
恋愛のどこに悲劇があるかといったら、
好いた相手にどうしても振り向いてもらえないところにあるのではないか。
敵対する勢力に所属する男女が相思相愛になるのを、
どうしてそうおもしろがる人が多いのかわからない(このパターンばかりだ!)。
ほんとうの恋愛悲劇は「ザッフォオ」のような作品のことをいうのである。
古今東西の有名劇作はあらかた読んだが、
「ザッフォオ」はそのなかでもかなり上位に位置する。
構成もすばらしいし、少女のひそやかな性の芽生えを感じさせるシーンの色艶もいい。
人間内部の葛藤から、人対人の葛藤まで実にみごとに描かれている。
人間だれもがふたつの心を持っているのだろう。矛盾をうちに秘めている。
なぜなら人生には唯一絶対の正答のようなものがないからだ。
どちらも正しいというような選択肢に満ちているのが実人生というもの。
劇作家はこの矛盾を凝視することからドラマを創作するのだろう。
劇中人物は我われのように矛盾に苦しむ。

烈しく生きたいと我われはどこかで願っているのではないか。
退屈な幸福よりも、燃えるような不幸を味わってみたいと無意識のうちに思っている。
好きな異性と相思相愛になり仲むつまじく暮らすのはほんとうに幸福か。
いや、そういう平凡で単調な生活が幸福ということにいちおうはなっている。
だが、それでは生をさっぱり味わえないではないか。
もしや苦しみのなかに生の歓喜があるのではないか。
苦しんでこそ、いま生きているというじりじりひりひりした感覚を得られるのではないか。
「ザッフォオ」は喜劇の後に来る悲劇である。
ふつう喜劇はひと組の男女が結ばれ、めでたしめでたしで終わる。
しかし、ほんとうはちっともめでたくなどないのである。
それから長い長い退屈が始まるといってもよい。
なぜなら障害のないところでは熱愛もじきに消えてしまうからである。
通常はこの関係をごまかしごまかし生きるほかない。
好きな相手をものにしたのだから自分は幸福だと騙し騙し生きるしか道はない。

ところが――。
もう一度結婚前の交際中のような烈しい恋愛感情がよみがえる機会があるのである。
「ザッフォオ」の描いた世界である。
ザッフォオ(サッポー)は古代ギリシア最大の女流詩人。
グリルパルツァーは史実ではなく、伝説を下敷きにして劇作した。
だからなのだろう。
「ザッフォオ」にはギリシア悲劇的ともいいうる神々しい崇高性がある。

話をわかりやすくするために話を現代日本に移して説明する。
アラフォーの女社長が主役である。まんまと年下のイケメン男をゲットした。
男のほうも有名な社長に気に入られて鼻高々である。
このまま結婚してしまえばハッピーエンドで、それからは長い退屈が始まるはずだ。
とりあえず、ふたりは婚約中ということにでもしておこう。
女社長の会社には新入社員として入ったばかりの高卒の美少女がいる。
美少女は孤児院出身で不況のおり拾ってくれた女社長に感謝している。
尊敬しているといってもよい。
あまりにも少女が美しいので女社長も心乱れ、何度か軽いレズ行為をしたこともある。
女社長はいま幸福まっさかりである。
会社経営も順調で、若いイケメン婚約者も捕まえた。

恋愛の女神、アプロディーテーが人間に悪戯を仕掛けるのはこのときである。
恋のキューピットが矢を間違えたか、イケメンと美少女に恋が芽生えてしまう。
偶然ふたりのキスシーンを目撃してしまった女社長は嫉妬に苦しむ。
冷ややかな見方をしたら、嫉妬こそもっとも烈しい恋愛感情で、
女社長は消えつつあったイケメンへの想いを再燃することができた、ともいいうる。
苦しいだろうが、劇的な人生が戻ってきたのである。
女社長は内密のうちに美少女をひとり外国へやってしまおうと画策するが失敗する。
イケメンが空港で美少女を捕まえすんでのところで計画を阻止した。
そこに女社長がやってくる。三者三様の想いが交錯する。
この人間関係に解決はあるのだろうか。だれかがあきらめるしかないのだ。
しかし、もしだれもあきらめなかったら、どんな結末が待っているのか。
作者グリルパルツァーは問う。

ほんとうの愛とはどういうものか?

わたしもグリルパルツァーとおなじ疑問をいだいたことがある。
もしだれかを好きになったとする。愛している。ほんとうに愛している。
そうだとしたら、相手によかれと思うことを選択するのではないか。
自分の愛する人が別の人を愛しているのなら、
自分は身を引くのがほんとうの愛ではないか。
いや、そんなものは愛ではないと批判されるかもしれない。
あきらめられるような愛なら愛と呼ぶに値しないと。
もちろんグリルパルツァーもそう考えた。
ならばこのとき、この愛にどんな解決があるだろうか。
女社長もイケメンも美少女も、それぞれに正しいのだから。
心醜き女性よ、アプロディーテーの名にかけて美少女を泥棒猫などと裁くなかれ。
恋愛が美しいのなら、
どんな不義理なものでも賢(さか)しらな善悪で美を裁いてはいけない。
女社長ことザッフォオは恋愛詩を得意とした作家でもあるのである。
恋愛礼賛の詩を書いているザッフォオはこのときどうしたか。
ザッフォオはどちらも恨まない。
まずイケメンの頬にくちづけしながらこういう。

「遠い世界の友だちがあなたにくちづけます」(P206)

それから美少女をやさしく抱擁してまた頬に接吻する。

「死んだお母さんがおまえにこの接吻をおくるのだよ。
さあ、あそこへおいで。あそこにある愛の女神の祭壇で、
愛情の不可解な運命が実現されなくてはならない」(P206)


そうしてザッフォオは、岸辺の小高いところにのぼって行き、
両手をふたりの頭上にひろげながらこういう。

「人々には愛を、神々には畏敬をお捧げなさい。
あなたがたの身に咲く花をおたのしみなさい。
そしてわたしのことをおぼえていて下さいね。
こうしてわたしは生涯の最後の負債を返すのです。
神々よ、この人たちをどうか祝福なさって下さい。
そしてわたくしをお受け入れ下さい」(P206)


ザッフォオは岩から海の中へとびこむ。ふたりの目の前で投身自殺したのである。
なにゆえか。愛がためにである。
究極の愛は自殺行為によって証明されうるのかもしれない。
いや、こう断定するのは早計かもしれない。
だが、少なくともこうはいえるのではないか。
だれかが死ぬことでしか解決できない問題が人生にはある。
ギリシアの女神はイエスなどという大工の息子とは異なり自殺の美を知っていた。
自殺は人間にしか成しえぬ勇気ある行為であると認めていた。
自殺は敗北ではなく、なかにはむしろ勝利の自殺さえあるのだ。
みずから死ぬことで与えられた人生に勝利する。
ギリシアの神々は自殺を禁ずるバタ臭い説教などしなかった。
母親と弟を自殺で亡くしたグリルパルツァーも同様である。

いいのである。グリルパルツァー(1791-1872)がとてもいい。
オーストリアの劇作家。ドイツ文学に分類されるらしい。母と弟を自殺で亡くしている。
いま唯一新刊書店で購入できるのは小説「ウィーンの辻音楽師」(岩波文庫)。
この「ウィーンの辻音楽師」を人にすすめたくて仕方ないが同時に迷いもある。
というのも、わたしは期待しないで読んだがために感動したのかもしれないのだから。
そのうえ、である。

「山田太一氏絶賛」「村上龍氏激賞」「勝間和代氏推薦」――。
みなさまはどの惹句に引っかかりますか?
有名人が推薦している無名人の本というのは、日本における出世を象徴していて興味深い。
まずわたしがグリルパルツァー「ウィーンの辻音楽師」をほめても、
だれも読んでくれないという事実がある。
で、万が一お読みになった方がいて、この本がつまらなかったら恨まれてしまう。
これが有名人なら話は違うのだ。
こんな皮肉を書いているわたしだって、
山田太一先生推薦の本ならばたとえつまらなくても、正直に感想を公開できるかわからない。
この作品を理解できない自分が至らないのではないか、などと考えてしまうからだ。
村上龍氏おすすめの書籍には、そこまで謙虚にならないかもしれない。
勝間和代さんが推奨する図書は、そもそも買わない。
このように肩書(有名人)の催眠力はものすごいのである。
どうでもいいがコマーシャルの原理とはまさしくこれだ(有名人の威光!)。

備忘のために書いておく。
今回読んだグリルパルツァー作品は「ザッフォオ」「海の波 恋の波」「ウィーンの辻音楽師」。
調べてみたらほかに邦訳されているものは、
「祖妣(そひ) -五幕悲劇」(岩波文庫)、「金羊皮 -三部劇詩」(岩波書店)。
どちらも大正時代の出版らしい。
わたしは自分でも信じられないくらい古本のヒキがいいから、そのうち安価で見つかるだろう。
話はそれるが山田太一先生はすごいのである。
先生がテレビ番組で品切れの「短編小説礼賛」(阿部昭/岩波新書)を推薦した。
そうしたら売れに売れてネット古書市場での価格が暴騰してしまったのだから。
いまではアマゾンで1冊3千円近くするのではないか。
古本ベテランのわたしはここにあるかなと狙った古書店で、うまうまと百円で購入したが。
2冊並んでいてきれいなほうを買った。

日本放送作家協会さんが脚本アーカイブズ・シンポジウムのチラシを送ってくださった。
第一部の座談会に山田太一先生が出席なさるという。
これもなにかの縁だと思い、さっそく参加の申し込みをした。どうせ暇だしね。
国会図書館に行くのは人生で二度目である。
しかし、このチラシの発送元は、どうしてうちの住所を知っていたのでしょう。
まあ、脚本コンクールの常連落選者だから、そのご縁かもしれない。
わざわざお知らせくださりありがとうございます。
それとそうそう、みなさまご存じでしょうが、28日の土曜日、
NHKで山田太一ドラマ「キルトの家(前編)」が放送されます。
国内にお住まいの方はどうかご視聴を忘れないようにお願いします。
「黄金虫・黒猫・アッシャー家の崩壊ほか五編」(ポオ/八木敏雄訳/講談社文庫)

→アル中の作家、ポーの顔を検索してみたら、
わがストリンドベリやわがオニールと同系統の顔をしている。
探偵小説によく出てくる気質に思えるが、自身もこういう男だったのだろう。

「教養はゆたかで、人並みすぐれた頭脳の持ち主だったが、
人間嫌いの気風に染まっており、熱中するかと思うと、
たちまちふさぎこむという移り気な気性も見うけられた」(P88「黄金虫」)


「黄金虫」はこの人間嫌いの男が偶然の一致の連続から財宝を見つけ出す話だが、
これはおそらく創作行為の暗喩ではないかと思われる。
偶然から小説という財宝をありかを見つけ掘り出すのがポーの流儀であった。
いったい小説はどう書いたらいいのか。
「黒猫」の書き出しは、これぞ小説の原形というものである。

「まことに奇怪、それでいてまことにありきたりといった話を
わたしはこれからものするつもりだが、信じていただけるとも、
また信じていただきたいとも思わない」(P175)


人間嫌いだが、それでもどこかつながりを求めて、「ねえねえ聞いてよ」と、
幼児が母親によりかかるようにして話す物語が小説の原始の形なのだろう。
しかし、読者はいつも母親のようにこの幼児の話を聞いてあげるとは限らない。
「つまらない」と冷たく裁かれることもあるに違いない。
とはいえ、身近に母親のような読者を持った作家は大成することが多いのではないか。
アル中の作家、享年40のポーにもそういう存在だった愛妻がいたようである。
彼女はポーより2年早く先立った。
この作家が後を追うように死ぬのは必然だったのかもしれない。

「人は死んだらオシマイよ。」(山田風太郎/PHP文庫)

→本書は著者の名言集。
言葉というのは意味内容ではなく発言者のキャラクターによるところが大きい。
いったい大衆小説家の山田風太郎氏はどんなキャラだったのだろう。
いってはいけないことをぽんぽんと口にしているのである。
ほかのだれかがいったら村八分という言葉をのほほんと公開している。
この作家が晩年、天下の朝日新聞にエッセイを連載していたとはとても信じられない。
いったいどんな人徳をお持ちだったのだろう。
どれもうっかりわたしがいったら社会から抹殺されそうな言葉ばかりである。

「男の世界は、男が二人おれば、食うか食われるかの関係にすぎぬ。
悪などという言葉にとらわれないほうがよろしい。
天下を取るためには悪人にならねばなりませぬ。
いや、大悪人にならねば天下は取れませぬ」(P46)

「人間、要するに、やりたいことをやり、食べたいものを食って死ぬにかぎる」(P157)

「人間、死ねば、泣くのは数人で、その数倍の人間は内心ニヤリとするだろう」(P200)

「僕はあと二、三年で死にますけどね、
あなたたちが必ず遇う大変なことは大地震だな。
それから……あ、そうだ、年金がなくなることだね」(P212)

「年よりの女というものは、もう女じゃない。むろん男でもない。
男でも女でもない、わけのわからないぶきみな存在にすぎない」(P245)

「自動車事故とか飛行機の墜落とか――外見凄惨(せいさん)に見える死ほど、
実はラクな死に方ではないか、と思うこともあるのである」(P259)


繰り返すが、有名な作家の山田風太郎氏のお言葉である。
無名のわたしにはとてもいえない言葉の羅列に屈折した爽快感をおぼえる。

「ダメなときほど運はたまる」(萩本欽一/廣済堂新書)

→こういうタレント本を読むまでに追い詰められているのですねボクちん。
まあ、芸能界なんざほんと運がすべてでしょうからね。
とはいえ、それでもおのれの成功をすべて運のおかげとする著者には好感をいだく。

「ましてや僕なんか、才能のない子が運だけで王様になってたわけですよ」(P92)

成功した瞬間、これまでの努力を強調して説教を始めるものは最低だと思う。
きっとすべては「たまたま」なのである。偶然。これを運と呼ぶ人もいる。
ほんとうのところ運を支配する技術などないのでしょうが、
著者のように自分は運を操作していると信じて生きるのもまた幸福なのかもしれない。
数少ない大成功者の著者はこう主張する。

「だれにでも運と不運は平等にきます」(P3)

「人生って運と不運が交互にやってきて、最後は五分五分でチャラになるの」(P16)


成功もしていないし芸能人でもないあなたはこれがウソだとわかりますよね。
実人生を見ても本を読んでも、気づくのは人生の理不尽と不平等ばかり。
よほどおめでたい人でしか運は平等なんて信じられないはず。
だけどさ、そう思えたら生きやすくなるわけ。
だから、本書は自分をうまく騙すテクニックの指南書だと考えればよい。

「失敗は運の定期預金。何度も何度も失敗していると、
いつかそれにいい利子がついていい運につながります」(P26)


たしかにこのように自分を騙していけば、人生の苦痛も多少やわらぐでしょう?
死ぬまで「失敗は運の定期預金」と自己を偽れたら、それもまた幸福な人生なのだ。
これまで失敗ばかりだったから、今年こそ年末ジャンボが当たると信じて死んでいけたら。
この本は別名「辛抱のすすめ」になるのではないか。
こうして辛抱しながら憂き世をつつがなく生きたらいいという知恵を教えてくれる。

しかし、家族の運という考え方にはどうしてか首肯してしまう部分がある。
家族のひとりにものすごい運がつくと他のメンバーに災難が降りかかる。
こういうのはたしかに人生でありそうな気がする。
逆にいえば、ほどよく損をすることで家族の災難を避けられるという考え方である。

「いろいろな夫婦の組み合わせで、いろんな子供が生まれてくるからおもしろいの。
夫婦二人の運だけでも複雑なのに、そこに子供が増えたらさらに複雑になる。
家族全員がいっぺんに運を使えるなんてことは運の神様が許さないから。
お母さんが運を使っているときは、お父さんや子供の運が落ちたりします。
家族って、運をうまくまわし合えるとバランスが取れていくんですね」(P135)


とはいえ、これが真理だと同感しているわけではない。
これもまた「騙し騙し生きる」ための知恵である。
おのれをそれなりに幸福だと騙すための思考法の一例である。
たとえ自分が不運でもほかの家族がうまくいっていれば、まあいいではないか。
そう思えたら彼(女)はこのままならぬ人生をなんとか辛抱することができる。
ほとんどのものにとって人生など辛抱の連続でしかないのでしょう。
しかし、それでも人は自分を幸福だと思う(騙す)ことができる――。

「病気に振り回されない生き方」(ひろさちや/ぶんか社文庫)

→みんなひろさちや先生に聞いちゃえ!
先生、どうして病気で苦しまなければならないのでしょう?

「むしろ病気になるのがあたりまえで、
病気にならずに健康でいられれば、それは非常にラッキーである」(P4)


ふむふむ、健康があたりまえじゃないんですね。
どのみちだれもが病気になる。早いか遅いかの違いということか。
では先生、病気になったらどうしたらいいのでしょうか?

「南無そのまんま、そのまんま」(P107)

「そのまんま」にお任せすればいいのか。
たしかに考えてみれば、病気だから病気なんですよね。
医者がなにをしてもよくならないから治らない。
なら、「南無そのまんま、そのまんま♪」と踊っているのはもっとも正しいのか。
でも、病気がどんどん悪化していくばかりのときはどうしたら?

「そんなときこそ「どうにでもなれ」と思えばいいのです」(P226)

原発の放射能のあれもあって、みんながんになりそうです。
どうしたらがんにならないで済みますか?

「最近、医者のなかにも検診を受けない人が多くなったと聞いたことがあります。
とても意味ありげです」(P104)


そっか。がん検診を受けなければ、少なくともそのときまではがんにはならないのですね。
でも、それはやばくありませんか?

「“あなたは、すでに手遅れです”と言われるのが本望なんです」(P142)

たしかに手術やなにやらで苦しむより、あっさり死んでいったほうがラクかも。
あ、ひろ先生は死んでもいいんですか?

「病気になったら死ねばいい」(P104)

考えてみたら、いまは医学が進歩して、むしろ死ぬほうが難しいのか。
なかなか人間は死ねない。
だとしたら、ようやく生を終わらせてくれる病気は歓迎してもいいのかもしれない。

「病気の9割は薬なしで治る」(高田明和/健康人新書)

→お医者さんが書いた一種の暴露本だが毒はさして強くもない。
大半の病気は放っておいたら自然に治るので薬は特別必要ない。
だけど、医師から薬をもらうと患者さんは安心するんだからいまのままでいいよね?
というのが、メインメッセージだと思う。

本書から知りえた情報をメモ書きしておこう。
いまぽっくり死ぬのは至難の業。
ころり往生できたらよほどラッキーだと思って間違いない。
余命宣告はそうとう短めに伝えているから、ほぼ全員余命以上に生きるよ。
それから手術の成功率も同様。
成功する確率は五分五分といわれたらほとんど成功するから心配しないでよい。
タバコと健康被害の詳細はまだわかっていない。
しかし、夫が喫煙者の場合、妻が高確率で肺がんになるのはガチだから。
むかしは手術中にミスがあってもみんなで仲間をかばいあった。
ところが、いまは職場への不満から内部告発をする薄情なやつが多くなった。
「病は気から」はむかしで、いまは「病は情報から」。
テレビで新たな病気が紹介されると、その患者さんが急増する。
老人はがんの手術をしても、ほとんど寿命は延びない。
たとえうまくがんが治ろうと、どのみち早晩、脳梗塞や心筋梗塞で死んでいく。

ひとつ思ったのは、いまの医学でさえ絶対的に正しいものではないということ。
むかしフロイトは患者にコカインをばんばん処方していたらしい。
それで患者を中毒にしてしまったこともあったという。
いまならフロイトの失敗はだれでもわかる。
これをよくよく考えると、
いまの医療もまた将来から見たらどう評価されるかわからないことに気づく。
ほんとうは治療しないほうがいい病気もたくさんあるんだろうね。
治療をしたことで反対に寿命が短くなった症例もたくさんあるのかもしれない。
もちろん、こういうことはいまはまだわからないけれどさ。

「短編小説礼賛」(阿部昭/岩波新書)品切れ

→5年ほど毎日のように小説ばかり読んでいた時期があった。
30歳を過ぎたころ、急に小説など読むのがアホらしくなってしまった。
ところが、本書を読みまた小説を読んでみたくなったのだからふしぎである。
いままで知らなかった小説の読み方を教わったからかもしれない。
以下、本書から学んだことを自分に引きつけながら整理する。

小説の感動とは「これが人生というものか」という発見にあるのだろう。
人生に「なぜ」という問いは尽きない。
人の世の悪は絶えないし、なにも悪いことをしていない子供が死んでいく。
「なんでこんなに苦しまなければならないのだろう?」
「どうしてこんなひどい目に遭わなければならないのだろう?」
「わたしがなにをしたというのだろう?」
しかし、「これが人生というものか」と小説家は嘆息し、
「なぜ?」は問いであるのと同時に答えでもあるという堂々巡りに行き着くしかない。
小説には人生とおなじで正しい回答はない。
チェーホフいわく――。

「作家の仕事は問題を解決することではない、
この人生をただあるがままに描くことだ」(P175)


漱石いわく――。

「世の中に片づくなんてものはほとんどありゃしない」(P142)

両者に共通している創作作法は――。

「作者は主人公を裁きもせず、弁解もせず、あとは読者が自由に考えるに任せる。
救いがないといえば、こんな救いのない書き方もない。
やりきれないといえば、こんなやりきれない世界もない」(P135)


しかし、「これが人生というものか」と読者は小説のそこに胸打たれる。
小説を読む喜びは人生を深く味わうことにゆえんするのであろう。
しつこく繰り返すが、「これが人生というものか」と。
ならば、小説を書く喜び、書かざるをえない悲しみもおなじである。
これは本書の著者、小説家・阿部昭の創作作法でもあるのだろう。

「マンスフィールドを読みながらつくづく考えさせられるのは、
物を書く力というのは思い出す力だということである。
人は彼女ほどには思い出すことに賭けはしないし、賭けることもできない。
大抵のところで過去と折り合いをつけて生きているにすぎない。
そして、思い出す力はおのずから深く感じる力でもある」(P165)


作家は過去を深く感じることによって小説を書く。
過去から小説家はなにを感じ取るのか。
「これが人生というものか」という苦味である。
人はどのようにして小説を書くのか。
まずは好きな作家に夢中になることが肝心なのだろう。

「若いマンスフィールドの場合は、
つまりそのくらい彼女はチェーホフが好きだったのであろう。
自分にもこんなものが書けたら、と思ったのであろう。
それは誰にも避けられない出発点である。
だが、やがて彼女は(あるいは彼は)模倣すべきは個々の作品、
個々の文章ではない、巨匠と言われる人々の仕事が自分に与えた感動をこそ
「まねぶ」べきであると悟るに至る」(P128)


ほんとうはそんな大それたことを夢想しないほうがよほどいいのである。
というのも――。

「男でも女でも文学に魅入られた人間は、
余人には理解されないような大きな代償を払わされる。
当人がどう考えようと、
まずは人並みの安楽も幸福もいっさい断念するところから出発する他はない」(P152)


あげく彼(女)は大きな代償と引き換えになにを知るのか。

「自分が書くべき題材は、実は足もとに転がっていたのだということ」(P154)

取り返しのつかない不幸を経て彼(女)が知るものはなにか。
「これが人生というものか」というざらざらした人生の手ざわりである。
書くものも結局のところこれしかない。
自分の経験した「これが人生というものか」という痛みを作家は原稿用紙に書き連ねる。

「思想の花びら」(亀井勝一郎/大和人生文庫)絶版

→ある口の悪い評論家が亀井勝一郎のことをぼろくそに貶(けな)していた。
その評論家先生の感情的に嫌う作家は信じられるので、
積ん読していたこの本を読んでみたら、案の定たいへんな名著であった。
亀井勝一郎は団塊の世代あたりが愛読した古きよき文芸評論家。
「思想の花びら」は名言集でとても読みやすい。
生きることを考えさせられる言葉に満ちている。
間違いなく亀井勝一郎は「ほんもの」である。

「ほんもの、にせものという言葉がある。
人間の場合でも骨董の鑑定のときでもよく使われるが、
どこで真贋のほどを決定するのか。
ほんものは、いつも隠れた美しさをそなえていて、
誰かの愛情によって発見されるまで待っている。
この「待つ時間」の静かで自然であることが、ほんものの証拠である。
これに反して、にせものは、美しさをおもてにあらわそうとしてつねに焦っている。
だからどんなに巧みに「待つ時間」を虚構しても、そこには必ず媚態があらわれる。
人間はこれに弱いのだ」(P18)


亀井勝一郎を罵倒していた評論家先生をもしや「ほんもの」かと疑った一時期もあったが、
つい最近やはり彼は「にせもの」であることが判明してしまった。
しかし、亀井勝一郎は知らないだろうが、愛すべき「にせもの」というのもいる。
おそらく「ほんもの」と「にせもの」を分けるのは時間なのだろう。
長い時間が「ほんもの」の思想を形づくる。

「思いつめる、それは心の畑に思想の種子を撒(ま)く行為だ。
それを育てるときの根本の心がまえはひとつしかない。
促成栽培への誘惑にうち克つことである」(P40)


「事業でも学問でも芸能でも、その途上で、ときどき何もしない時間が大切だ。
何もしない時間のうちにも人間は成長するからだ。
食事のあとで、意味もなく横たわっていることが衛生的であるように。
ただ眠るための旅も必要である」(P148)


「時間はふしぎな作用をもたらす。
どんな残酷な戦争の跡も、年月がたつにつれて名所となり観光地となる。
哀しい別離の史実も、芝居となって娯楽化される」(P61)


亀井勝一郎がもっとも信じていたのは時間だったのではないか。
時間とは、無常の別名でもある。亀井勝一郎の説くのは無常の思想だ。
忙しい人のためにひと言でいうならこうなる。

「すべての現世的幸福は無常によって脅かされ、
無常のうちに苦悩を背負わなければならない」(P24)


男女のあいだの燃えるような愛情もいつしか熱が冷める。
一生の友だちというのはなかなかできないものだ。
仲のよい家族も永遠には続かず、いつか生別や死別のときが来る。
どれほど財産を蓄えても死に際してはまったくの無力である。
ならば、無常は絶望の思想なのか。ああ、そうだ、人は無常に絶望するしかない。
しかし、無常の思想は絶望以外のものもまた人間にもたらしてくれるのである。
亀井勝一郎は無常の豊かさをも説く思想家である。

「人生を旅とみなし、人間を旅びとと観ずることは、
愛情の上に大きな変革をもたらす。
人間を流転の相においてみることによって、人間の愛情を越えたもうひとつ深い
「あわれみ」の心を授けられるということである。
流転の相とは無常の相であり、無常の相は人間の限界を示すとともに、
それをのり越える心をうながす」(P142)


愛情もいつしか冷める。
だが、その相手も我もいずれ死ぬ身であることを考えると、
愛情を越えた「あわれみ」をもまた人は感受しえるのではないか。
旅の車窓から見た風景が心に残るのは、それが一瞬だからである。
もうここには来ることがないと思うから「あわれみ」を感じるのだ。
旅で出逢った人にいだく「あわれみ」も同種のものだろう。
だとしたら、人生でめぐりあう人たちにも、無常を深く思うならば、
愛情さえ越えた「あわれみ」を持つことができるのではないか。
無常ゆえいずれみんな消え去ると思うとき、どんな不愉快事にも「あわれみ」を感じないか。
日本人はこの無常の「あわれみ」に美を見出してきた。
無常は絶望の思想だが、しかし「あわれみ」の感情を育て、転じて美意識の根幹ともなる。

「いつ頃から人間は陰翳(いんえい)を愛しはじめるようになったのだろうか。
薄明の状態や影に心ひかれるとは、
おそらく何らかの挫折の経験から起こることにちがいない。
「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは」という徒然草の一節は、
精神史の或る深い屈折を物語る言葉であろう。
無常によって打撃を受けつづけてきた中世びとの、
有るか無きかの生に対するいとおしみの情がその根底にあるにちがいない」(P171)


亀井勝一郎はさらに無常について考察を重ねていく。
次に紹介する見方は衝撃的であった。見事な逆転の発想である。
無常だということは、無常を観ずる眼があってはじめて理解されるのだ。

「無常という言葉を我らはしばしば使うが、
その反面にある重大な事実は忘れられてしまっている。
それは常住真実なるもの(仏智)であって、
常住真実なるものがなければ無常もない。(中略)
無常は常住真実なるものにおいてのみ発生する苛烈非情の眼である」(P224)


このことをいいかえたのが次の抜粋である。
人間の実相を、生老病死の四苦と見たのが仏教である。
人間は生まれ老い、病にかかり死んでいく。
すなわち、人間存在は無常である。このとき人間の無常を見る眼があるのではないか。

「仏さま曰く、「仏像鑑賞と称して多くの人が来るが、
実は俺の方でその人たちをさんざん鑑賞しているのだということを忘れなさんな」
――観仏とは仏に見られることであって見ることではないということ」(P208)


長らく仏像の見方がわからなかったが、ようやく理解するにいたった。
仏像は見るものではなく、あちらから見られるものであったのか。
見られることによって、我われは自身の無常を強く意識する。
仏さまに見られることで、おのれがいつか死ぬ身であることを思い出す。
無常の思想とは、「どうせ死んでしまう」ということである。
「どうせ死んでしまう」のに、どうして我われは欲望するのか。
「どうせ死んでしまう」のに、なにゆえ我われは出世や財産、愛を熱心に求めるのか。
無常であるのに欲望するとはまったく矛盾している。
では、無常を見極め遁世するのが正しい生き方なのか。
それとも、無常を忘れて軽佻浮薄に欲望のまま一喜一憂するのが正しい生き方なのか。
亀井勝一郎は、どちらかを正しい生き方と断定しない。
ならば、どうせよというのか。矛盾を生きよという。
矛盾をそのままに生き抜くのが人間のあるべきすがたではないか。

「心の中につねに「対話」をもっていなければならぬ。
矛盾が生命を豊かにするのだ。
或るものの中間とは、安定性を意味するのではなく、
矛盾を大胆に生きるということを意味する。
中間を安定勢力と考えるのはまちがいであろう」(P211)


矛盾から眼をそらさないこと。無常を忘れないこと。
絶望と希望、どちらにも陥ることなく生き抜くこと。
たえず自己の内部にある相反する両面的傾向に対話をさせながら生きていくこと。
理想を失わない現実論者であること。理想を持ちながら、その正反対の現実を生きること。
これがいまやかえりみる人のいない亀井勝一郎の人生論である。

「生きる知恵を学ぶ」(栗田勇/岩波書店)品切れ

→名著「一遍上人」を読んで栗田勇氏のファンになった。
この人は本物だ、信じられると直観したものである。
さて「生きる知恵」といっても本書で示されるのはハウツー式のマニュアルではない。
氏は一遍、最澄、世阿弥、白隠、良寛、利休、芭蕉から「生きる知恵」を学ぼうとする。
ひと言でこの知恵を要約するならば、おそらくそれはこういうものであろう。
著者の言葉を借りると、「人間は何も知らないけれども、
人間を超越した途方もないものがあることを真に納得していること、信じること」――。
これは単なる知識ではない。
いくら真実を知ったところで、それは「生きる知恵」を学んだことにはならない。
なぜなら「真実とは体験されてはじめて真理になる」からである。
実際に生き抜くことでしか「生きる知恵」は得られないのだ。
かつて一遍、最澄、世阿弥、白隠、良寛、利休、芭蕉は生きた。生きに生きて死んだ。
彼らの知恵はなにに根ざしているかといったら体験である。
この点、最澄と空海の生き方は対照的であった。

「空海が、いわば最澄に密教的宗教体験を強く要求したのに対して、
最澄は数回の密教儀礼よりも密教経典の理解吸収に心を打ちこんでいました」(P97)


しかし、栗田勇氏は最澄の生き方もまた評価するのである。
なぜなら最澄が比叡山に経典を集めたことによって、
後代、法然、親鸞、道元といった宗教的天才が生まれたのだから。
だが、やはり「真実とは体験されてはじめて真理になる」のを忘れてはならない。
人は生きることでしか学ぶことはできない。
「自然に一体化する喜び」が一遍の信仰だったと著者は指摘する。
芭蕉の芸術観もまた似たようなものだという。
芭蕉にとって生きるとは、
「大自然」に従って「四時=四季=春夏秋冬」を友とすることであった。
この生き方を栗田勇氏は以下のようにわかりやすく説明する。

「心を大自然のなかに置いていれば、
見るものすべて花であり、思うことすべて月である」(P244)


世阿弥の思想もまた大自然の存在を認めることのなかにあった。

「時分というのは時の運で、ここまで細かく稽古した人間は、
時の運を恐れるべきである。
去年花の盛りがあれば、今年は花がないことを知るべきである」(P148)


大自然はときに災害として人間に襲いかかってくるが、
この災難にどう立ち向かえばいいと良寛はいっているのか。

「災難に遭うときは遭うがいい、死ぬときは死ぬがよい」(P216)

つまり、どういうことか。最初に戻る。「生きる知恵」とはなにか。

「人間は何も知らないけれども、
人間を超越した途方もないものがあることを真に納得していること、信じること」()


大自然を信じること、そうして生きること。
人はどこから生まれてくるかを知らず、死んだらどこに行くかも知らぬこと。
にもかかわらず、人は生きる。
赤子が誕生したら喜び、老人が死去したら悲しむ。
「人間を超越した途方もないもの」の存在を深々と認めるのが「生きる知恵」である。
ならば、この知恵にもっとも間近にいるのは赤子と老人ということになろう。

「日本には童(わらべ)信仰があって、童は神に近い。
童と翁(おきな)、九十九、百の老人は、
人間ばなれしていてほとんど自然の状態そのままで、
無意識なところにある種の霊性、そうしたあの世の気配を漂わせている。
つまり人間として理解できない、何か気配を持っている。
それが童と翁の神性といいます」(P128)


人は生まれ死ぬ。これは人だけではなく、動物も草花もおなじである。
万物が大自然=春夏秋冬のうちに生かされている。
だとしたら、極寒の雪の日にもいつか春が来るのを信じるしかないではないか。
満開の桜もすぐに散ってしまうのをあきらめるしかないではないか。
これこそ我われが古人から学ぶべき「生きる知恵」なのであろう。

思いのほか父親が有名な成功者というのは辛いのではないか?
娘の場合はそれほどでもない。
むしろ父親の権威をうまく利用して世渡りする女性も少なくない。
父親の偉さが娘を何倍も光らせてくれる(お嬢様!)。
だが、成功者の息子は生きる道がなかなか定まらないように思う。
どうしても父親に勝てないと悟った彼は国外に逃げ出すこともある。
海を渡れば父親の威光もついてこないからだ。
だから、反対に考えれば無名から成り上がった男は、
宿命として愛する息子を苦しめざるをえないということ。
自分が生きているだけで息子を悩ませてしまう。
こういう本音を書くと出世に響くのかもしれないが、
わたしは成功者の娘が苦手である。
なかには父親とおなじように自分も偉いのだと勘違いしたものもいるためだ。
いや、勘違いではなく、事実として客観的に成功者の子孫は偉いのだが……。
そのことに恥じらい、迷い、葛藤を持つ息子は、
父親とは異なる意外な味を持つ好人物となることもある。
父親のような出世をしていない場合はことさらである。
言葉とはなにか? 結局のところ肩書なのである。
おなじ内容でもだれがいったかによって価値が大きく変わる。
うちのブログでもまずプロフィールを見る訪問者が(たぶん)いちばん多い。
どうしてか書き手を勘違いした人から、
隠している作品を教えてほしいというメールをいただくことも(なぜか)少なからずある。
半実名ブログと化したいまならもう白状する必要もないだろうが
(だってネット検索されちゃうもん……)、
わたしは著作の1冊も映像作品の1本もない人生の失敗者なのである。
正体を知ったものからご返信をいただけないのは、
不思議ではなく反対に当たり前なのだと思う。
言葉は意味内容ではなく肩書が問題になる――。
ひとたび実験として有名作家の原稿を新人文学賞に回してみれば、
結果にみな驚くはずである。
有名人や成功者が匿名掲示板を嫌うのはこのためなのだろう。
自分の言動は肩書があるがために価値あるものとなっているという現実に向き合いたくない。
いまのわたしが無名人による言葉の氾濫(=匿名掲示板)を
むしろどこかしら好んでいるのは、
こういう理由なのではないかと自己を冷ややかに客観視している。
月曜日、病院帰りに新宿の紀伊国屋書店に寄る。
近所にまともな書店もない田舎暮らしをしているので、
こういう機会を利用しないと文化から縁遠くなるばかり。
雑誌「考える人」のあるエッセイを立ち読みしていろいろ考える。
たしかにそのエッセイの主張どおりで、成功するのは怖いよなと思う。

成功というのはあいまいな言葉だが、
わたしの場合はコンクールで賞を取ることになるのではないか。
もし3、4日で書いたシナリオで運よく賞を取ってしまったらどうなるだろう。
いまのままでも傲慢という自覚があるわたしだ(実際は自覚以上、数倍増しなのでしょうが)。
万が一、受賞などしてしまったらつけあがって最低の人間になってしまうような気がする。
たかだか数日の作業で100万、300万、500万を獲得してしまったら――。
おそらく、人生観や金銭感覚が壊れてしまうに違いない。
宝くじならまだいいのである。
だが、創作コンクールで大金を得てしまうと鼻持ちならない自尊心を抱いてしまう。
いまでもあまりいい人ではないのに、さらにいやなやつになることだろう。

よくよく考えてみると、成功ほど怖いものはないのかもしれない。
こんなわたしだが数少ない人間関係に支えられて生きているところがある。
その関係のどれひとつをとっても、
わたしが完全挫折中年であることによって成立しているあたたかいものなのだ。
失敗の連続の人生だったからこそ、いまの人間関係があるともいいうる。
かりにおかしなプチ成功をしてしまったら、この関係はすぐに壊れてしまうだろう。

もしかしたら長い人生でいまがいちばん幸福なのかもしれない。
先日は有名な評論家の先生にお言葉をかけていただいた。
本来なら交流できるはずもない雲の上の人なのに、である。
考えようによっては、いまのわたしというのは相当に恵まれているのではないだろうか。
うっかり成功してしまったら、この幸福が破壊されてしまう。
どうせいまは不況だからベテラン勢の売り込みも必死で、
たとえ新人賞を取ったところで原稿依頼などあるわけがないのである。
受賞後しばらくしたら「あいつはせっかくのチャンスを生かせなかった」等と、
陰口をたたかれるのは必定とみてよい。その屈辱感を想像したら身震いする。
たいがいの人間は、
人生で二度三度とスポットライトを浴びるほどの運を生まれ持っていないのだ。
そのうえ受賞後は何気ない言動も批判の対象となり、
これまで親しくしてくれていた人も冷たい反応を示すようになる。
いままでなら優しく相談に乗ってくれていたあの人も、この人も、である。

ああ、成功だけはしたくないものだ。
どうしたら成功しないで人生を終えることができるだろう。
成功が近づいてきたら、わたしは真っ先に逃げ出すからな。
神よ、仏よ、成功をわれに与え給うな。
成功ほど恐ろしいものはないのだから。
若いころのエッセイで「私はえらそうにするやつが一番きらいである」と
書いていたある小説家の先生は、いま「あれあれあれ?」というようになっている。
わたしの何十倍も人格レベルの高いあの先生でさえ成功には毒されてしまうのだ。
もし成功が降りかかってきたらわたしなどひとたまりもないだろう。

うん? なんだって? ああん? いいたいことがあったらいえよ、こらっ!
どうせ成功できないから心配するな、だと!
うるさい、バッカヤロ。しかし、そう考えると安心する。
そうだ、どうせ成功なんかできないよね。なら人生安泰だ。
いまのわたしの夢を書いておこう。
40間近に辛気臭い小説で地方の小さな文学賞を取り、直後にぽっくり逝くことである。
かならずや20歳で芥川賞をもらうよりはるかに、
40歳で田舎臭い素人新人文学賞を与えられるほうが人は幸福を強く感じるはずである。
どちらがより深く人生を味わえるかはいうまでもない。
ちょっとでもスポットライトを浴びた後の人生が辛いのだ。
だから、その後にころり往生できることを願う。
死ねないのなら、まだ落選したほうがいいのかもしれない。

そうはいってもマイナーな田舎の文学賞を取るのでさえ確率的にはありえないのだ。
こう考えると、どうやら成功したらどうしようという心配はまったくしなくていいようだ。
いまホッと胸をなでおろしている。
無駄に人生を過ごしてきたものの何気ない実感なんだけど、
二回目は来ないと思いませんか?
大きな自然災害や凶悪犯罪が起こります。
二回目が来たらたいへんだということで国や社会が対策をする。
でもまあ、二回目は違うかたちで来るでしょう。
ほとんどの場合、対策は裏切られる。
プラスのほうもそうで、ある個人や会社がなにかの分野で大成功をします。
みんな足並みをそろえて二匹目のドジョウを狙う。
とはいえまあ、二回目は来ませんよね。
いくら計算しても二回目はおなじようなかたちでは来ません。
以上、無駄に年を食ってきたものの何とはない感想でありました。
「写真・山頭火【全四冊】」(竹内敏信/春陽堂)絶版

→山頭火の句をモチーフにした写真集である。
定価7920円を古本祭りにて1200円で買えたのが嬉しかった。
写真は例によってよくわからない。
狙いすぎというか、作為が強すぎる気もするが、素人意見である。
風景写真ばかりで人が出てこないのがつまらない理由かとも思ったが、
玄人はこういう観光写真めいたものを美しいと評価するのかもしれない。
写真を見ることで発見させられることがないけれど、
写真はそういうふうに見るものではないという可能性もあるからわからない。
写真についてなにかいえる教養がわたしにはないのである。

山頭火の俳句は季語を使わない自由気ままなものだが、
それでも四季を感じさせるものも少なくない。
河合隼雄が日本の宗教は春夏秋冬、四季にあると言っていたのを思い出す。
もしかしたら俳句こそ日本の宗教文学なのかもしれない。
なにごとも永続しないという無常の感覚こそ、日本人の美感の基底をなしているのでは?
「冬もいつしか春になる」は希望だが、「夏もいつしか終わる」は断念である。
むかし新約聖書を読んだことがあるが、
あれは自己啓発的な部分(希望!)と慰めの部分(断念!)の割合が絶妙だった。
自然=春夏秋冬=四季は日本人のための無形のバイブルなのかもしれない。
味わい深いことに我われもまた自然の一部なのである。

「吹きぬける秋風の吹きぬけるままに」
「いつでも死ねる草が咲いたり実つたり」

「文人には食あり」(山本容朗/グルメ文庫)

→元編集者の著者が文豪との交流で知った酒食事情を公開する。
むかしの文人はいろいろゴシップが豊かで楽しい。
いつから作家にもサラリーマン並みの処世術が必要とされるようになったのだろう。
本書を読んで知ったいくつかのことをメモ書きしておく。

宇野浩二は、若い人に「小説はしゃべるように書きなさい」と教えたという。
開高健の鯨飲馬食はすさまじく、
「汽車で福井から京都へ行く間に、蒲鉾八本、羽二重餅一折、鯖鮨二人前、
それに日本酒四合瓶三本を一人で平らげた」という。
遠藤周作は若いころ酒豪で一晩にサントリーの角瓶を一本あけた。
それから小林秀雄はやっぱり嫌味なやつだったようだね(P159)。
高名な懐石料理店に招待されても、酒をのむだけで料理にはほとんど箸をつけなかった。
そのくせ同席者を銀座のなじみの鮨屋に誘うのである。
そこでまぐろを食い満足そうに酒をのんだという。
食べ物さんにごめんなさいしろ、小林秀雄め!

そうそう、本書を参考にして作ってみた酒肴がひとつある。
山田風太郎のお気に入りだという。

「薄い牛肉で、例のとろけるチーズ(国産で結構)を包んで焼く。
大食でない私の場合、焼いたものは掌(てのひら)大の大きさで充分である。
これに生野菜をそえ、すったニンニクと醤油で食う。ただそれだけである。
本来なら肉のチーズトロといった方がまだ正しいのだろうが、
語呂の関係上、チーズの肉トロと称する。
これでオンザロックのウイスキーをのみ、
あと飯は、何ならメザシとお新香だけでもいい」(P222)


たまたま半額で買った米国産牛肉を冷凍してあったので作ってみた。
ううん、味は、なんというか、その……。
組み合わせ的にまずくはならないのはみなさまも想像がつくだろうが、
……昭和的というのがふさわしい野性味のある酒のつまみでありました。

「勝負運の法則―「ツキ」と「実力」の関係」(谷川浩司・谷岡一郎)絶版

→才能も人脈もないから、もう頼れるのはツキだけなのである。
どうにかして運を引き寄せて、世間に出張ってゆくしか男の道はない。
では、どうしたら勝負運が上がるかとこういう本を読むわけだ。
棋士とギャンブル社会学者の対談である。
河合隼雄と谷川浩司の対談がめっぽうおもしろかったので期待していたら、がっかり。
くだらない処世訓や常識ばかり語られている。
「勝てば官軍」式の話には実がない。
大阪商業大学の学長である谷岡一郎教授はからきしツキの存在を認めていないようだ。
自分は正しい努力をしたから出世できたのだと信じて疑っていない。
教授はギャンブルをすべて確率論で説明できると思っているようだ。

ひとつだけためになったことをメモしておく。
ギャンブルというのは胴元の取り分があるから、長くやるとかならず負ける。
コイン投げで表裏の出る期待値はそれぞれ50%で、
何回もやればやるほど結果は限りなく50%に近づいていく。
これとおなじ理屈で、たとえば胴元の取り分が25%のギャンブルがあったとする。
このギャンブルを長く続けるほど賭博者の資金は75%の期待値に近づく。
すなわち、損をするようになっている。
ならば、どうギャンブルしたらいいのか。何回もちまちま小金を賭けるのはよくない。
一回に大金を賭け大勝負すればいいのである。
カジノがいちばん恐れる客は一回に大金を賭ける客だという。
逆に長く遊ぼうとせこせこ勝負する客は絶好のカモと見られているそうだ。
わたしは人生をギャンブルだと思っているので、この法則は参考にしたい。

「宗教学講義」(植島啓司/ちくま新書)

→論理的な思考力のない学者さんが、正規の文章ではなく、
架空の人物の対話形式にすることでラクに原稿料を稼ごうとすることがたまにある。
植島啓司先生の「宗教学講義」は、まさしくそういった手抜きの産物。
教授と女子学生の対話形式で論は進むが、話はポンポン飛びまとまりがない。
当時は関西大学教授の肩書があったから、この程度でも通用したのだろう。
とても宗教学が専門の大学教授が書いたとは思えないほど適当な本である。
これは著者の大ファンだから、あえて厳しいことを書いているところもあるのだが。
さて悪口ばかり書いていてもむなしいので、参考になったところを書き写す。
まあ、どこが宗教学なのか、といったツッコミはしないでおきましょう。

今後起こるかもしれない大地震にどう備えたらいいか?

「たとえば、超自然を相手にする場合、まず、
それが必ずしも自分に好意的ではないということを知らねばなりません。
天変地異、流行病、飢饉など、さまざまな形で攻撃を仕掛けてくる。
いかに人間の側で工夫を凝らして対策手段を考えても効果はゼロ、
すべてが相手の術中にある。さてどうしたらいいでしょう?
そういうときに有効なのは、われわれが意図的に選び取ったのではない、
つまり、偶然に選び取られた行動規範に従うことなのです。
それによって、通常の思考状態からほんのわずかジャンプすること、
ルーティーン化された思考の罠から逃れること、それが大事なのです。
それによって初めて、まったく意外な選択肢を発見するのです」(P139)


たとえば毎日占いに従って行動する、といったことも有効なのだろう。
夜見る夢に現われたことを念頭に置いて生活するのもいい。
サイコロを振って休日に遊びに行くところを決めるのも幸いをもたらすかもしれない。
少なくとも地震対策自体は、それほど意味を持たないということである。
人間以上の力(=大地震)に対抗しようと思ったら、
こちらも人為を超えたもの(この象徴が偶然)に頼るほかないということだ。

病気になると医者にかかるのはどうして?

「なにより、患者が受け入れられないのは、
辻褄の合わない気まぐれな苦痛なんですな。
ですから、治療というのは、それをなんとか思考可能なものとし、
肉体が耐えることを拒む苦痛を、
精神にとって受け入れうるものとすることなんです」(P179)


人間は原因がわからない災厄ほど怖いものはないということだ。
なにかウェルメイドの「おはなし」を与えられることで苦痛が対象化される。
医師がやっている治療行為は、もしかしたら的外れなことかもしれない。
しかし、それでも我われは「おはなし」をもらいに病気になると医者にかかる。

「ロマンティックな狂気は存在するか」(春日武彦/新潮OH!文庫)絶版

→患者の悪口を書く精神科医、春日武彦氏の第一作。
処女作のため表現が硬く読みにくいところもあるが、著者の味はよく出ている。
いいかげんな要約をすると、文学作品に出てくる狂人はあれウソですからね。
みなさん精神病患者になんかファンタジーをお持ちのようですが、
専門家から言わせてもらえれば、狂人なんてどいつもこいつもワンパターン。
天才と間違うほど豊かな色彩を見せるきちがいなぞ一人としてお目にかかったことがない。
ま、現実はつまらんもんですから、
小説にきちがいを出そうと思っている作家志望者は注意しておいたほうがいいですぜ。

毎回のように著者の本を読んで感心するのは患者の描写である。
意地悪な視線がとても笑える。
精神科医の患者描写をひとくさり紹介したい。

「痩せてぼさぼさの中年男で、一応紺の背広にネクタイはしているが、
よれよれで垢染みて汚らしい。
少々吃音気味で、全体にどこか身ごなしがぎくしゃくしている。
頬骨は高く、カナツボマナコで、無精髭がちらほらしている。
目つきがどうも尋常でない。もし喧嘩でもしたら、
限度というものをわきまえずに執拗に攻撃を繰り返しそうなところがある。
ことさらどこがオカシイと指摘出来るものでもないのだけれど、
電車で隣の席に座られたらあんまり嬉しくないな、
と思わせるには十分な異様さを漂わせている」(P30)


さて患者の悪口を嬉々として書く精神科医、
春日武彦氏の医療従事者としての力量はどの程度なのか。
本書を読んで春日先生は思いのほか名医ではないかと気づいた。
口は悪いし性格も皮肉屋だが、にもかかわらず、ではなく、だから名医であるのではないか。
よけいな善意などないほうがきちがいと向き合うにはいいのかもしれない。
記憶喪失の少女Fを診たときの記録から、著者の優秀さがなんとなく素人にもわかる。

「母親とFとは同席させず、別々の日に外来を尋ねてくるように計らった。
医師として、特別なことはしなかった。
また、強引に何かをしても仕方がない、といった「読み」もあった。
Fに対する味方だということで定期的に接していただけである。
むしろじたばたする母親に対して、
なだめることのほうに労力を使っていたかもしれない」(P207)


これで治ってしまったのである。医師はこう述懐する。

「結局のところ、私は精神科医としてほとんど何もせず、
また事情の真相を知ることもなかった」(P209)


通常の医師なら記憶喪失になった原因をいろいろ調べたりするのだろうが、
春日先生はなにもしないで放っておくのである。
それなのに、いや、それだからこそ患者は記憶を取り戻す。
で、なにがあったかはわからないが、まあ結果オーライ。
患者にしてみれば春日武彦医師にかかったのは、またとない幸運だったのかもしれない。

春日武彦氏はたしかに名医かもしれないが、
いったん著作を目にしたものは患者として受診する勇気が持てないだろう。
治った患者が後日春日先生の本を読んでしまったら、
病気が再発するようなことさえあるのではないか。
よく効く薬は毒でもあるとは広く知られたことである。

「がんばっていきまっしょい」(敷村良子/幻冬舎文庫)

→結局、人生は運なのだろう。著者自身が「文庫版あとがき」で、
「読み返すと、この作品は作文以下と評されても仕方のないしろもの」
と認めているものを、さらになんだかんだと批判するほど人でなしではない。
映画「がんばっていきまっしょい」の成功は、
もっぱら監督兼脚本の磯村一路氏の手柄によるものだと知る。
映画で感動したシーンは、どれも原作にはなかったからである。
なんといっても著者の運のよさには脱帽する。
これで坊ちゃん文学賞を受賞するのみならず、映画化、テレビドラマ化までされたのだから。
運のいい人はいるのである。

「どんな最悪の出来事も決して悪いことだけ起こるわけじゃない。
グリコのおまけみたいに、いいこともくっついている」(P161)


幸運な人から説教されてマゾ的な快感に打ち震えるわたしの運はさてどの程度か。

「ロクタル管の話」(柴田翔/文春文庫)

→柴田翔はとにかく文章がうまい。
ああいう息継ぎの長い美文はいったいどうやって書くのだろう。
柴田翔の顔写真を検索したが、おっさんになった最近のしかヒットしない。
若いころは、おそらく沢木耕太郎のような顔だったと思うのだが。
姿かたちと文体というのは、あんがい通じるものがあるような気がする。
人は見かけで判断されるから、生き方も見かけで変わってしまう。
文体とはつまるところ作者の生き方だから、見かけと文体は無関係ではないのである。
「ロクタル管の話」は中学時代の思い出話である。

「あの頃のぼくらの最大関心事は、
何と言っても、やはり、美しさと言うことだったのだ。
だから、あの頃ぼくらは自分達の部へ、決して女の子を入れようとはしなかった。
勿論ぼくらは中学三年としては随分と子供っぽい連中の集まりではあったけれども、
それでも、同級の女の子達の漸く肉づき出した腰や胸のふくらみ、
短いブラウスから出した、すんなり白い腕、
それにも何にも増して、彼女らが時折見せる、横顔をちらとかすめるあの表情、
そういったものの美しさに決して無関心ではいられなかったし、
そういう美しさがやがてぼくらの中に誘い出すであろう恐ろしいものを、
ひそかに予感もしていたのだった」(P211)


キザな文章と言ってしまえばそれまでだけど、
こういう文章は自分にはぜったい書けないから強くあこがれる。

「されどわれらが日々」(柴田翔/文春文庫)

→青春文学の古典的ベストセラーにして芥川賞作品。
時系列もジャンルもバラバラにして語ってもいいものなら、
沢木耕太郎と村上春樹を足して二で割ったような小説である。
美文でつづられた感傷、自己の空虚に酔う甘さは、キザと言ってしまえばそれまでだが、
それでも普遍的に青年読者の胸を打つものがあるのではないか。
もて男。自殺する友人や性交相手。心を病んだ彼女。ドライな「私」。
うん、やはりこれは村上春樹であり、沢木耕太郎でもある。
同級生の処女を食い、そのうえはらませた「私」だが、
その女が自殺しても、自己嫌悪も罪の意識も起きないことに酔いしれる。
すなわち自己の空虚に甘く浸る。
「いい気なもんだな」と言ってしまえばそれまでだが、
自己のむなしさに青年が甘く酔えた幸福な時代の記録と思えば不快感もない。

柴田翔の文章のうまさには舌を巻く。
引用はヒロインの「新しい時代の女性」である範子が、
幼なじみで婚約者の文夫に宛てた手紙から。

「でも、文夫さん。あなたはあの頃の、
まだ子供だった頃の私を思い出して下さるでしょうか。
私は今だって範ちゃんなのだけれども、でもその私だって、
もう、あれが自分だったとは殆ど信じられない位です。
あの元気だった女の子。
いつも何かに胸をときめかせ、生きていることが、とても大好きだった女の子。
いつも、生きたい、生きたいと、それだけを願っていた女の子。
それはもう、今となっては本当だとは思われない位です。
あの頃の私は、夏の朝、学校へ急ぐ道でふと頬を吹いてすぎる微風(そよかぜ)、
課外活動で遅くなった秋の夕方、夕日を浴びて立ついちょう並木の長い影、
寒い正月の張りつめた大気をふるわせて聞こえる鳥の鳴声、
そうしたものにふれるたびに、いつも心が一杯になって、
訳もない歓びに叫び出したくなってしまうのでした」(P157)


登場人物全員が政治、人生、男女関係に期待をしすぎなのだが、
それがこの小説の舞台になった時代の風潮というものだったのだろう。
いや、青春というものがそういうものなのかもしれない。

「『こころ』は本当に名作か」(小谷野敦/新潮新書)

→最初から最後まで大笑いしながら読んだ。
これは「もてない男」の小谷野敦さんの後世に残る仕事かもしれない。
最後の最後まであの小谷野敦でさえ言えずに終わったことを、
思いきってわたしが代わりに言い放ってしまおう。

ま、文学なんてどれも紙くずなんだよね♪

実のところ著者がおとしめている名作のみならず、
辛口の「もてない男」が名作認定している文学作品もまた紙くずに過ぎないのである。
文学というのは、あらゆる芸術とおなじく、集団催眠でしかない。
地位の高いとされるもの(作家や学者)がお互いの顔を見合いながら、
「これ名作?」「うん、名作ってことにしとこう」と話し合った結果が文学史なのである。
偉いとされる崇高な文学作品も、身もふたもないことを言うと、
名作たる保証などどこにも持っておらず、せいぜい集団催眠に支えられているくらいなのだ。
まずだれかひとりがいいとほめ、それから集団催眠が始まる。
文学という名の紙くずを、識者どもがバブル経済のように、
価格をつり上げ、あるいは政治力で価値を下落させている。
しかしまあ、小谷野敦さんには「文学=紙くず」はさすがに認められないだろう。
「世界の古典を大体読み終えた」意味がなくなってしまうからである。
実のところそんな行為は無意味と言うほかないのだが、
人生の大半を紙くずをめくることに費やしてしまった男にとても真実は伝えられない。

著者も冒頭で以下のことを述べているので重々承知しているとは思うが、
結論としては普遍的な名作は有史以来世界のどこにも一作たりとも存在せず、
名作かどうかは読者それぞれの極めて私的な「好き/嫌い」によるのだろう。

「ある文学作品をいいと思うか、共感するか、
ということは、読者の側の年齢や経験、素質、趣味嗜好といったものに、
かなり大きく左右される」(P13)


最後にこれだけは言っておきたいが、
佐伯順子同志社大学教授がそれに関する新書を出していようが、
ライターの小谷野敦氏と佐伯順子教授が過去にどういう関係であったとしても、
泉鏡花だけはクズだからな! 過大評価もいいとこ。
小谷野さん、あなたも本当は本心ではそう思っているんでしょ? わたしにはわかる。

「美人好きは罪悪か?」(小谷野敦/ちくま新書)

→ゴシップに満ち満ちた傑作エッセイ集。
どのみち女なんて顔だろう、と斜めに構えた著者の姿勢に笑いがとまらなかった。
人を顔で論じてしまう不謹慎さがファンにはたまらない。
いや、小谷野さんの嗜好はぜいたく極まりないのである。
女に顔以外のものさえ求めて、おのれの主観を一般論にねじまげてしまう。

「今では大学といっても、ピンからキリまであるが、
上位のほうの大学を出た男は、
高卒女と結婚しようとはあまり思わないだろう」(P32)


そんなことありませんよ、小谷野先生!
わたしは心底から結婚相手の学歴なんざにこだわりを持たない。
(まあ、わたしの出身大学が上位かどうかはわかりませんがね)
顔でさえあまり気にしないだろう。
どうせ女がきれいなのなんて結婚前後の5年くらいなのだから。
結婚相手に求めるのは、奇人変人を許せる忍耐力、それから小声で言うと経済力。
どうかよろしくお願いします(だれになにをお願いしているんだ、おい!)

人間は他人のことはよく見えるのに、どうしてか自分のことになると盲目になる。
著者は「美人の人生」の例として、
ノンフィクション作家、山崎朋子の自伝を取り上げる。
そのうえでかなり冷たくこう評すのだが……。

「苦難の日々だったというのは、主観的にはそうなのだろうが、
客観的に見るとそうでもない」(P167)


これは古臭い俗語的表現をすればオマエモナーなのである。
小谷野さんもやたらおのれの人生を苦難の連続であったかのように書いているが、
客観的に見ると、若い美女を妻にした売れっ子ライターがなにを言っていやがる!
となってしまうが、そういう矛盾もまた著者の魅力なのだろう。

わたしは小谷野学派の在野の研究者を自認しているが、
ズバリ、小谷野イズムとはいったいなにか?
著者は「問題小説」という通俗小説雑誌を絶賛して、
その根本思想を以下のように分析している。
これこそまさしく小谷野学派の共通認識、前提条件となろう(P197)。

「所詮この世は色と欲」!

このフレーズは気に入っており、なにかあると口にしている。
ふん、所詮この世は色と欲さ。
男の人生はきれいごとをすべて廃せば、結局のところ権力、金、女だ。
有名作家の文学作品なんかも小谷野敦先生にかかればバッサリと切り捨てられてしまう。

「一九七〇年代に五木寛之があんなに読まれたのは、
やはり五木がハンサムだったからではないかと思う」(P187)


後世、小谷野学派の研究者からこのような指摘があるかもしれない。
2000年代に小谷野敦がそれなりに愛読者を持ったのは、
なんといっても小谷野がハンサムとは程遠い顔をしていたからだと思う。