幸福な人間ほど小さな不幸に目が行き、反対に不幸を強く感じるようになるのではないか。
不幸な人間は、逆に小さな幸福にも気がつくから、不幸を意識せずにいられる。
たとえば、この国にもカレーライスがご馳走だった時代があったのである。
カレーライスを食べられたら、いっときの幸福めいた感情を持つことができた。
いまでは2日連続カレーだったら、「また?」と不満に思ってしまう(2日くらいは大丈夫か)。
新しいレストランでカレーを食べても、別の店のほうがうまかったとがっかりすることになる。
結果、不幸な時代の人ほど幸福で、幸福な時代の人は不幸だという矛盾が生じる。
幸福な時代ゆえリストカットまでして不幸を作ろうとする少女の感受性は極めて鋭い。

いちばんいいのは幸福/不幸について考えないようにすることだろう。
このため、多くの新興宗教団体が信者を忙しい活動へといざなう。
苦悩者に考える時間を与えなければ、不幸であることを忘れていられるのである。
バリバリ活動していたら、悩む暇がないからとても健康的なのだ。
考えないこと! それが不幸を脱して幸福へと向かう第一歩なのだろう。
考えてしまうと、いろいろよくないことに気づいてしまうのだから。
うつ病になりたかったら、自分についてあれこれと考えてみるにかぎる。
しかし、人間は不幸でさえ味わうことができるのである。不幸の快楽がきっとある。
不幸に耽溺することもまた人生の豊かな味わいのひとつなのだと思う。
自称幸福な人間がどこか白痴的な面相をしているのはこのためではないだろうか。