前記事からの続き。
もうずっと不眠症で、どうしたらよく眠れるのか長いこと考えてきた。
そのうち気づいたのね。
「どうして眠れないのか」原因をうじうじ考えているから眠れない。
この意識転回があってから、見方を変えると、たまに熟睡できることがある。
で、どう考えても快眠の原因はないと思われるのである。
結論としては、熟睡できるのは「たまたま」であろう。
どうしたらよく眠れるかはわからない。
しかし、「たまたま」よく眠れることもあるのだからいいじゃないか。
このとき不眠症と折り合いがついたように思う。
定式化すると、不可解な人生には「どうして?」より「たまたま」で対処せよ。

いよいよ冬本番ですね。あん肝、白子、酒呑みには最高のシーズン。
あん肝は近所にたまに売りに出すスーパーがあって、見つけたときはホクホクです。
ひそかに日本最高の酒肴はあん肝ポン酢ではないかと思っていたりします。

日本の冬は寒い。
小さな子どもに「どうして寒いの?」と聞かれたら、
「冬だから」としか答えようのない気がします。
冬だから寒い――。
どうやら人生にも春夏秋冬があるようです。
こちら人生の四季は、自然の四季ほどサイクルが一定ではありません。
ほとんどの人にとって冬が圧倒的に長く、春夏秋はあっという間ではないでしょうか。
春が来たと思ったらすぐに夏になり、というかそれは夏のような秋で、
気づくとまた冬に戻ってしまう。
人生、うまくいかないのが当たり前。
少数の例外を除き、だれにとっても冬がいちばん長いのです。
人生とは、春を待つ冬のようなもの、と定義しても過言ではないのでしょう。

人生の冬にも「どうして寒いの?」と嘆くものが大勢出ます。
自然の冬の場合、答えは「冬だから」しかありません。
しかし、人生の冬のときには、いろいろな理由が原因として断罪されます。
たとえば、落葉したから。
葉が散った「から」寒いという因果関係は成り立ちませんよね。
でも、人生の場合、こういう珍説が大手を振ってまかり通ってしまいます。
落ち葉を緑に着色して接着剤で樹木にはりつけ、
「これで夏にならないのはおかしい」と怒っている人がなぜか脚光を浴びるのですから。
たぶん人生の冬における「どうして?」の答えも「冬だから」しかないのでしょう。

だとしたら「どうして寒いの?」と原因を考えるのはやめたほうがいいのです。
なぜなら「どうして?」を考えれば考えるほど人は寒さを意識しますから。
「冬だから寒い」と割り切っていたら、
あんがい問題なく人生の冬も乗り切れるのではないでしょうか。
肝心なのは人生において「どうして?」を減らすことなのでしょう。
原因らしきものが見つかっても、十中八九、その原因はインチキ。
かえって人生の厳しい寒さを思い知らされるだけです。
「冬は寒いもの」と諦観していたら、どれほど人生が過ごしやすくなることか。

これは自戒をたっぷり込めていますが、「どうして?」をやめたいものです。
どうして不幸なのか? どうして苦しまなければならないのか?
答えは、おそらく「冬だから」のようなものなのでしょう。
すると「どうしたらいいか?」の問いも無意味だとわかります。
冬の寒いときにどうしたらいいかと悩んでも、答えは「春を待つ」しかないのです。
「どうして?」も「どうしたら?」もいさぎよく捨ててしまう。
原因を考えないようにする。
人生の寒さを乗り越えるひとつの智恵だと思います。

かんたんなことなのです。
冬に桜は咲かない。
いくら子づくりといっても、赤ん坊はつくるものではなく、産まれてくるもの。
冬が寒いのは致し方ないこと。
可能ならば、「どうして寒いの?」とあまり人生に不平を言わないようにしたいものです。
冬には冬を味わうしかないのですから。
あん肝や白子をつまみに日本酒の熱燗でものみながら冬の寒さに感謝したいところ。
感謝は大げさでした。
おそらく「どうしてあん肝はおいしいの?」と問うても答えはないのでしょう。
あん肝が嫌いな人もたくさんいます。
なるべくなら「どうして?」(=原因)を考えないようになったら、と自己を戒めてみました。

原因を考えないこと!

(いちばんわかりやすい例は、今年の大震災大津波の原因なんてないですよね……)