「また逢う日まで」(水木洋子/日本シナリオ文学全集9」理論社)絶版

→映画シナリオ。昭和25年度キネマ旬報ベストワン作品。
バカにされてるのかと思うくらい通俗的なメロドラマになっている。
断じて芸術ではないのだろうが、いい商品にはなっているのではないか。
この映画は戦後5年にして公開され、
言い方はよくないが無知蒙昧な大衆の涙腺をたいそう刺激したことと思う。

どこがメロドラマかといったらポンポン人を殺すところだろう。
戦争中の話である。戦争が引き裂く若い男女の切ない恋がテーマ。
男は金持のボンボン。女は画家志望の貧しいイラストレーター。
惹かれあう男女は、ふつうの幸福を夢見るが戦争中のためかなわない。
観客を泣かせたかったら、人を殺せだ。
軍人である男の兄がいきなり事故死してしまう。人の死は悲しい。
赤紙が来る。男女はあわや結ばれそうになるが、空襲警報が鳴り思いととどまる。
出征まえの最後の日、ふたりは逢う約束をするが、不幸こそ観客を泣かせる筋立て。
男の義姉が出産の発作を起こしたため待ち合わせ場所に行けなくなってしまう。
観客を泣かせたかったら美男美女を苦しませろ! 
逢わせるな! すれ違いだ! 生かすな! 死なせろ!
男を駅で待っていた女は空襲に巻き込まれ死んでしまう。
結局、恋人に逢えずに出征した男も戦争で命を落とす。
最後に残ったのは、画家志望の女が描いた男の肖像画である――。
どうですか、お客さん? さあ、たっぷり泣いてください! いいんですよ、ほら。

おもしろい時間処理をしていた。最初にクライマックスから入るのである。
恋人ふたりの最後の待ち合わせの日から入る。
しかし、義姉の陣痛が始まり、約束の場所に行けないで男はあせる。
ここからふたりの出逢いにさかのぼり、健気な悲恋を情緒たっぷりに謳いあげる。
最後に冒頭のシーンに戻り、盛り上げるという手法だ。

ちなみに男の名は三郎で、女の名は蛍子。
時代は戦争中。場所は上野のふもと近く。
ふたりは柵にもたれ、戦争に日常を奪われせわしなく行き交う人びとを見ている。

三郎「ああ、生きるッてことは大変なことだなあ……」
蛍子「でも生きなきゃ……どんなことしたって生きなきゃ
……あたし生きたいの……生きたいのよ」
三郎「うん……僕も今は……そう思うな」
蛍子「じゃあ、前には……いやだったの?」
三郎「うん……でもいいなあ、生きるってことは……」
蛍子(笑いながら)「そうよ、今頃……」
三郎「いや、やっとそう思えだしたんだよ……」(と彼女を見つめる)
蛍子(視線をはずし)「あの……それからねもうひとつあるのよ、
のぞみが……第一に生きることでしょう?」
三郎「うん」
蛍子「それから、もう一つはね、ほんのね、少しでいいから、欲しいわ、幸福。
……こんな時代に贅沢かしら……」
三郎「ほんの少しなら……今、持っているじゃないの……僕たち……」
蛍子「あら……」(うつむいて笑う)(P22)


三郎と蛍子は知らない。数年後に平和が訪れることを。
60年後、70年後の平和な時代、年に3万人以上の人がみずから命を絶っていくことを。
三郎と蛍子がいま生まれ落ちていたら、こんなご大層な恋愛は経験できないのだ。
せいぜいクリスマスにありきたりなプレゼントを交換しあって、
その代価を求め、あるいは与えるように肉体を重ねるくらいだろう。
夢のないことを言うようだが、画家志望の蛍子は現代に生まれていたら、
自傷が好きなクルクルパーのメンヘラ娘になっていたかもしれない。