「文章を書くヒント」(外山滋比古/PHP文庫)絶版

→文章の書き方の本だが、いちばん印象に残ったのは文章の読み方である。
やはり文章を読めないものは、いい文章を書けないのではないか。
言葉は「読む」や「聞く」といった受容から始まるのだから、むしろ当然のことだ。
だから文章作法の本から読書作法を引くのも当たり前のことなのかもしれない。
いかに読書すべきか。いかに言葉を聞くか。いかに言葉を得るか。

「やはり、要点だけをメモしながら読む。
これならあまり読みを中断されなくてすむ。
そのあと、このメモをもとに感想、あるいは、まとめを書く。
すこしやっかいだが、こういう要約をつくる習慣をつけると、
講義、講演の聞き方、本の読み方はずいぶん上達する」(P88)


もったいぶって引用したが、なんのことはない。
わたしが日頃から習慣としてやっていることではないか。

「種田山頭火 ~遥か見る無頼人生~」(仲畑貴志/日本放送出版教会)

→「NHK 知るを楽しむ 私のこだわり人物伝」テキスト。
世間知らずのためわからなかったが仲畑貴志氏は神様とも称されるコピーライター。
氏の作ったコピーはこんなわたしでも知っているものが多数あった。
なにが言いたいのかというと、NHK山頭火講座担当の仲畑氏は大成功者なのである。
山頭火の研究者の大半がうだつの上がらない郷土史家みたいなものなのだ。
大したこともない発見をやたらもったいぶってことさら難解に表現する。
その点、さすが頂点を極めた男は違う。
このテキストは薄手ながらほかにない山頭火論にもなっているように思う。
なによりおかしなルサンチマンの入っていないのがよろしい。
ダメ人間や平凡人がおのれの鬱屈を山頭火に託す――といった、
従来の山頭火研究とはベクトルが正反対である。
山頭火ファンで社会的大成功者の仲畑貴志氏は、
かの乞食俳人を一刀両断のもとばっさり切り捨てている。
もちろん山頭火のよさはわかっているのだろうが、その切れ味は恐ろしいほどである。
これほど山頭火を冷たく突き放す論評を見たことがなかった。

「山頭火のコンプレックスとなるこころの傷は、母の自殺。
彼が九歳になるときでした。そして、神経衰弱による大学の退学。
さらに、父親の放蕩からくる種田家の倒産と一家離散。
冷たい言い方ですが、境遇を理由に、「おれは道を踏み外した」という人は嫌いです。
それよりもっと苛酷な境遇で、傷だらけになりながらも、
だれにも凭(もた)れかからずに生きている人をたくさん知っているからです」(P30)


山頭火が好きな自分までまっぷたつに切られてしまったと思うほどの正論である。
この自力主義、努力信仰はもしやS学会かと思って調べてみたら違うようだ。
時代に恵まれた「団塊の世代」固有の人生論を著者もまた持っているのかもしれない。
いや、違うのかもしれない。
ともあれ、他者のことをたった1冊の本で理解しようとするのは到底無理なこと。

コピーライターの仲畑貴志氏は山頭火の句の特徴をリフレイン=くりかえしに見る。
そのうえでくりかえしが顕著な句を列記する。

いちりんざしの椿いちりん
はだかではだかの子にたたかれてゐる
つくつくぼうしあまりにちかくつくつくぼうし
あるけば草の実すわれば草の実
日かげいつか月かげとなり木のかげ
さくらさくらさくさくらちるさくら


これらは仲畑氏の好きな句でもあるという。
くりかえしの句からコピーの神様は「表現=生き方」であることを見抜く。
まことあざやかな分析だとたいへん感心した。

「少ない文字数の中で表現する、俳句という表現形式からすると、
同じ言葉のリフレインは、得策ではない。
おおむね四つか五つほどの言葉で表現するわけですから、その中でくりかえすと、
残り二、三語しか使えなくなります。これは不自由です。
ひとつの言葉は、直喩隠喩ともに多くの意味を引き寄せられるわけですから、
その手段を自ら封じてしまうのはなぜでしょう。
わたしは、意味を含めにくくなった代わりに、
山頭火はリズムを手に入れたと思うのです。
くりかえしが作るリズム。
リズムには、その人が生来から持つ独自のものがあって、
後天的にはあまり育てることが出来ない。
黒人のゴスペルやブルースに見るリズムは彼ら独自のものです。
それは歌のリズムだけではなく、
話すときのリズム、歩くときのリズムにも現われています。
山頭火のくりかえしのリズムについて、
「旅をつづけた山頭火の一歩、また一歩と前へゆく、
そのリズムそのものなのだ」という人もいます」(P61)


これは天才コピーライター仲畑氏にしか語れない言語芸術論になっていると思う。
詩、短歌、俳句、小説、評論、台本の台詞――みなみな結局はリズムなのである。
そして、リズムは先天的なもので変えようと思っても変わらない。
なぜなら、言葉のリズムは当人の生きるリズムと結びついているからである。
好きな言葉(=言語芸術)とは、
結局のところ作者のリズムと自分のそれが合っているということなのだろう。
その言葉がなにによって生まれるかといえば、表現者の生きるリズムにほかならない。
コピーライターの神様に好まれている山頭火は稀有な表現者だったのだろう。
もしコピーライターという職を得ていたら、どれほど大成していたか!
しかし、成功者からはあのような俳句は生まれないわけで、一概に決めつけられない。
コピーライターの神様の作品と山頭火の句は果たしてどちらが長生きするのだろう。

「魚のように」(中脇初枝/河出文庫)絶版

→第2回坊ちゃん文学賞受賞作品。17歳の美少女、鮮烈のデビュー作。……らしい。
なにより作者が女子高生なのがいい。
たとえばだ。
このような純文学のよさは感性の鋭い若者(か芸術家)にしかわからないのだろうが、
同様に女子高生のよさもオッサンにしかわからないということである。

「梅雨にもかかわらず、珍しく青空が広がってプールの水がきらきらと反射していた。
コンクリートの地面はあまりの暑さに死にかけて、
くすぶり続ける熱を水着姿の足裏にしがみつかせる」(P29)


この文章のよさは残念ながらオッサンにはよくわからないが、
女子高生の書いたものだと思うとじんわり甘酸っぱい香りが胸中に広がっていく。
そこがとてもいいのである。
女子高生にしかわからぬ世界とオッサンにしかわからぬ嗜好があるから人生万歳だ。
そうとも諸君! 人生万歳だ! 文学万歳だ!

「小銭をかぞえる」(西村賢太/文春文庫)

→小説に登場する女性に恋をするのはいつ以来だろう。
ええ、恋をしましたとも。困ったことに、
芥川賞作家の西村賢太先生と同棲していたという「女」を好きになってしまったのである。
こんないい女はほかにいないのではないか。まず床上手らしい。

「あられもない絶叫をあげつつ、体を激しく震わせ、
何度も何度もしがみついてくる」(P17)

「ねえ、おかずに紋甲イカを買ってきたんだけど、
フライと天ぷらと、どっちがいい?」(P134)


フライや天ぷらはお惣菜で買うものとばかり思っていた。
あんな面倒臭いものを自分のために作ってくれる女がいたらどれほど幸福か。

「この女の長所と云うのか、いったん覚悟を決めると、
どこまでも私の味方になってくれようとする優しさもうれしかった」(P130)


天使のような女性ではないか! 
ああ、もったいない。賢太兄貴にはもったいなさ過ぎる。
こんなかわいい女に暴言を吐く作家は死ねばいいと思いました。
女のぬいぐるみの首を引っこ抜くシーンでは作家に殺意を抱く。
でも、わかっている。いい女は賢太先生のようなワイルドな男が好きなんだよね~。
たとえば、この女をうちに保護したりする。
賢太兄貴が迎えに来る。
すると、いくら止めたところで、女はダメ男のところへ戻っていってしまうのである。
ああ、やだやだ。生きてくの、ほんとやだな僕。お酒でものもう、けっ!

「旅する力 ~深夜特急ノート~」(沢木耕太郎/新潮文庫)

→インターネットが滅ぼしたもののひとつは未知の世界への旅なのだろう。
もう我われは「深夜特急」の旅をできないのである。
というのも、世界中ほとんどの場所の情報が、
ときには写真までセットになってウェブ上で報告されているのだから。
これでは現地に行っても「ああ、写真通りだ」と確認するだけで終わってしまう。
こんな旅のどこに興奮や感動があるだろうか?
むろん、あえて調べなければいいのだろうが、凡人はなかなかこれができない。
本当にできない。
沢木は「人とは違うことがしたかった」と後に「深夜特急」に書かれる旅を始めている。
ところが、愛読者はどうだろうか?
沢木の真似をして「深夜特急」のコースをなぞって旅をする始末だ。
「人とは違うことがしたかった」という著者の野心をまるでわかっていないではないか。
彼らがいま旅をするとして、インターネットの誘惑から逃れるのは至難の業であろう。
「深夜特急」に本当に感動したら、海外放浪はやめたというのが正解なのかもしれない。
「沢木が海外を旅したのならオレは精神世界を旅する」というのが、
正統的な沢木スピリッツの後継者と言えなくもない。
(正直に白状するが、わたしも「深夜特急」にあこがれてアジアを旅した凡俗の輩だ)

話を少し戻して、知らないということが興奮や感動にどれほど寄与しているか。
若さがなぜすばらしいのかといったら、なにも経験していないからなのだろう。
なにも知らないというのは、とても素敵なことなのかもしれない。
ところが、我われはなんでも早く知ればいいと思っているところがあるのではないか。
すぐにインターネットで検索してわかったつもりになってしまう。

著者はあえて危険な冒険を選ぶ登山家の意見に首肯した後、こう述べている。

「私が未知の外国を旅行するときにほとんどガイドブックを持っていこうとしないのも、
できるだけ素のままの自分を異国に放ちたいからなのだ、と。
放たれた素のままの自分を、自由に動かしてみたい。
実際はどこまで自由にふるまえるかわからないが、
ぎりぎりまで何の助けも借りないで動かしてみたい。
もちろん、うまくいかないこともある。
日本に帰ってきて、あんな苦労をしなくても、
こうやればよかったのかとわかることも少なくない。
しかし、だからといってあらかじめ知っていた方がいいとも思えない。
知らないことによる悪戦苦闘によって、
よりよく知ることができることもあるからだ。
その土地を、そして自分自身を」(P141)


「残念ながら、いまのわたしは、どこに行っても、どのような旅をしても、
感動することや興奮することが少なくなっている。
すでに多くの土地を旅しているからということもあるのだろうが、
年齢が、つまり経験が、
感動や興奮を奪ってしまったという要素もあるに違いない」(P302)


行き先も期間も決めない「深夜特急」の旅に出られたものは幸運である。
なぜなら、そういう旅ほど偶然の愉楽に身を任せられるのだから。
まったく幸いにも沢木のような、なにも定まっていない旅に出たことがかつてある。
また旅に出たいと思いながら、ふといまも旅の途中であることに気づく。
まだあの旅は終わっていなかったのである。
行き先不明で期間も不明の旅――。
明日なにが偶然に起こるかわからない人生という名の旅――。

「実際、旅は偶然に満ちている。
さまざまな種類の偶然が旅を変容させていこうとする。
たとえば、いくら厳密な予定を組んでいたとしても、
予期しなかった事態に遭遇して変更を余儀なくされそうになる。
まるで砂の城を洗う波のように、
偶然が幾重にも押し寄せ予定を崩していこうとする。
そのとき、大事なのは、あくまでも予定を守りぬくことと、
変更の中に活路を見出すことのどちらがいいか、
とっさに判断できる能力を身につけていることだ。
それは、言葉を換えれば、
偶然に対して柔らかく対応できる力を身につけているかどうかということでもある」(P339)


旅で鍛えられるのは「偶然に対して柔らかく対応できる力」なのだろう。
おそらく、これが本書のタイトルでもある「旅する力」なのだと思う。
先々のことをあまり決めておかないほうがうまく偶然に対応できることを、
つたない旅の経験から知っている。
これは成り行きに任せるのがいちばんという甚だ頼りない生き方とおなじである。

「教養としての日本宗教事件史」(島田裕巳/河出ブックス)

→たいへんわかりやすく書かれた日本宗教史の入門書だと思う。
「事件史」とタイトルにあるよう、
スキャンダラスな事件を中心に取り上げようとしているのも読者思いで拍手したい。
やっぱ本はなによりまずおもしろくなくちゃいかん。
なかなか手がまわらない新興宗教まで手を伸ばしているのも目新しくてよい。

ただし、深みは皆無である。
著者は永遠に宗教的なるものの深層を理解できないのかもしれない。
だからよくないと批判したいわけではない。
宗教家はみなみな宗教のヤバい楽しさ(熱狂、忘我、興奮等)を理解しているが、
そうなってしまうとおそらく彼は宗教学者にはなれないだろうから。
むしろ宗教がまったくわからないほうが宗教学者に向いているのかもしれない。
島田裕巳氏は優秀な宗教学者なのだと思う。

宗教が好きである。といっても古臭い教義に惹かれているわけではない。
宗教のキッチュなヤバさにトキメキのようなものを感じてしまうのである。
伝統宗教とはいえ、大昔は新興宗教であったわけである。
たとえば、イエス・キリストのきちがいめいた言動にトキメいてしまう。
最近知った一遍の日蓮以上ともいうべきカルトぶりにもぞくぞくするような興奮を覚えた。
宗教の非日常的な熱狂が好きなのだろう。

きちがいがワーッとおかしなことを言う。付き従う人が現われる。
実際にきちがいの施術で難病が治ってしまったりする。
興奮してひとつになった教団はさらなる冒険へと足を踏み出していく!
こういう世界にとても親しみや懐かしさを感じるのである。
少なくとも狂人が精神病院に措置入院されてしまう世界よりもよほどいい。
おかしな人たちが好きなのは、自分がおかしいからなのだろうか?
このとき、いや、おかしいのは世界だ!
と断言できる宗教家の熱狂にうるっと涙腺を刺激されてしまうような弱さがある。
おそらく、自分にはそれができないと心底からわかっているからなのだろう。

親鸞や一遍を好きなのは、彼らが新興宗教の教祖だったからである。
激烈に狂っていたからと言い換えてもよい。
本書に掲載されている「死のう団」の写真に「萌え~」と思ったことを最後に白状する。

「一遍上人 ~旅の思索者~」(栗田勇/新潮文庫)絶版

→一遍よ蘇れ! と著者が全力を傾注して物したのがよくわかる名著である。
ただの概説書だと思ったらとんでもない。
一遍上人における信仰の意味を、
内部から描写せんとした燃え上がるようなな革命の書である。
栗田勇が自身の内部にくすぶる熱狂を一遍に重ね合わせるさまは凄みさえ感じさせる。
読者に安易な解釈を許さない迫力のある文体は福田恆存や梅原猛を想起させる。
このため本書を読んだあと咀嚼(そしゃく)するのにだいぶ時間がかかった。
栗田勇は一遍の独自性を以下のように見ている。

1.神仏習合的な僧、一遍。
2.アンチ法然の念仏者、一遍。
3.日蓮シンパの革命家、一遍。
4.一遍の踊り念仏の卑猥性。

以下、奇をてらわず愚直をむねとして本書に寄り添いながら見ていきたい。
すべては熊野権現が一遍の夢のなかに現われたことから始まる。
一遍が念仏布教に迷っていたときのことだ。
疑いもなくこのときに一遍の信心は決定したのである。
夢のなかで熊野権現は一遍に呼びかけた。

「融通念仏すゝむる聖、いかに念仏をばあしくすゝめらるゝぞ。
御房のすゝすめによりて一切衆生はじめて往生すべきにあらず。
阿弥陀仏の十劫正覚に、一切衆生の往生は南無阿弥陀仏と必定するところ也。
信不信をえらばず、浄不浄をきらわず、その札をくばるべし」
(岩波文庫「一遍聖絵」P25)


おそらく一遍の生涯でもっとも劇的であっただろうこの場面のどこに著者は注目するのか。
まず場所である。仏教にゆかりのある寺や高野山ではない。
古来、神がいるとされる死の国、熊野にある本宮大社で一遍は夢告を受けている。
一遍は山伏姿の熊野権現を夢想して道を覚った。
聖徳太子から夢告を受けた親鸞とは決定的な違いがある。むろん、法然とも異なる。
ことの意味を栗田勇は神仏習合であると見破る。

「もともと、神仏習合は、平安時代の密教によってむしろ、
自然発生的に、当時の時代思想になっていたのであるが、
鎌倉新仏教の革命家である法然、親鸞たち専修念仏宗は、
一神教のように阿弥陀信仰の純化をめざして、
他の諸仏や諸神への礼拝を峻拒していた。
一遍の熊野証誠殿での悟りは、むしろ、
これを日本古来の信仰の姿にかえすことを意味していた」(P218)


熊野権現は一遍に「融通念仏すゝむる聖」と呼びかけた。
ここにも栗田勇は着目する。
その直後「一遍聖絵」の書き手聖戒はわざわざ融通念仏についての説明をしている。
いわく――。

「凡(およそ)融通念仏は、大原の良忍上人、夢定の教勅をうけ給て、
天治元年六月九日におこなひ給ときに……」(岩波文庫「一遍聖絵」P25)


栗田勇はこの箇所に書かれなかった重大事の存在を指摘する。
この箇所は実のところ、アンチ法然の宣言であったと読み取ってしまうのだ。
一遍は法然の教えの下流に立つわけではない!
我こそは良忍上人の(没後)弟子である!
良忍(1073-1132)はマイナーだが、融通念仏宗の祖と位置づけられる。
時代的には法然(1133-1212)よりも前である。
奇遇だが、良忍の死んだ翌年に法然が生まれている。
我われは南無阿弥陀仏というとすぐに法然を思い浮かべるが、
それはもしかしたら現在の浄土宗および浄土真宗の、
長年にわたる言うなれば偏向教育に染まっているのかもしれない。

日本で最初に念仏をシナから持ってきたのは円仁(794-864)である。
この当時から在野で念仏往生を遂げたものがいる。
一遍が慕っていたという教信(-865)だ。
教信は元学僧だったが世を捨て非僧非俗の身で念仏生活を送ったという。
おなじく下界に下りていった念仏者に空也(903-972)がいる。
この時代の天台座主良源(912-985)も念仏を広めた。
良源の弟子の念仏者として知られるのが性空(910-1007)と、
「往生要集」を書いた源信(942-1017)である。
法然が源信から強い影響を受けたことは有名である。
ところが、一遍は源信ではなく性空を追慕している。
うまくご覧いただけるか自信がないけれど図示すると以下のようになる。

円仁→→→→→→→良源→→→→源信→→→法然→親鸞
↓     ↓      ↓
教信   空也     ↓→性空→→→→(良忍)→→→→→一遍


きちんと図をご覧になれたらいいのですが……。
一遍は寺社に鎮座して教えを説く念仏者の流れにはいないのである。
野に下った教信、空也、性空、良忍という系譜の下流に位置づけられる。
少なくとも一遍の慕っていたのは法然ではなかった。
「一遍聖絵」の記述からは教信、空也、性空、良忍への敬慕が見られる。
要するにどういうことか?
一遍の南無阿弥陀仏は法然、親鸞の念仏とは異なる!

さらに栗田勇は論を押し進める。
一遍は法然や親鸞をこころよく思っていなかったのではないか?
これは大胆な仮説であると思う。
というのも、いちおう公的に流布されている通説では、
一遍は法然、親鸞の下に置かれることが多い。
法然聖人が始めた念仏を発展させたのが一遍上人という位置づけである。
ところが、栗田勇に言わせると、これはとんでもない誤りということになる。
一遍は法然の弟子どころか、
法然および親鸞を批判していたと栗田勇は主張するのだから!
本書を激しい革命の書にしているのは、こういった箇所である。
さて、栗田勇は「一遍上人語録」のこの記載に目を向ける。
(注)「著する」は「執着する」ほどの意味。

「念仏の機に三品あり。
上根は、妻子を帯し家に在(あり)ながら、著(じゃく)せずして往生す。
中根は、妻子をすつるといへども、住処と衣食とを帯して、著せずして往生す。
下根は、万事を捨離(しゃり)して、往生す。
我等は下根のものなれば、一切を捨ずは定(さだめ)て臨終に諸事に著して
往生し損ずべきなりと思ふ故に、かくのごとく行ずるなり」
(岩波文庫「一遍上人語録」P93)


栗田勇によると、この念仏宗に対する言葉は暗に法然、親鸞を指していて、
一遍はここで先達2人の民衆救済をはっきりと批判しているという(本書P203)。
たしかに言われてみれば、引用文の「上根」は妻帯した親鸞とも読める。
「上根」が親鸞なら、「中根」は法然を指しているのだろう。
民衆を救ったといわれる法然だが、住処は民衆とは別のところにあった。
法然も親鸞も(一遍のように)民衆と共に生きたわけでは断じてなかった!
栗田勇という人は恐ろしい指摘をするな。
飛躍をすれば、なるほど現在葬式仏教に成り果てた浄土宗全般の堕落は、
定住念仏者の法然、親鸞に根を持つと言えなくもないのだろう。
(定住せず)遊行上人といわれた一遍の激烈な言葉を栗田勇はこのように聞き取る。
とはいえ、一遍はいくら法然批判を隠し持っていたとしても、
あの日蓮のように直接的に先達を批判するわけではなかった。

果たして一遍は同時代人の日蓮をどう思っていたのか?
常識にとらわれない自由な思想家の栗田勇が「一遍上人語録」にある、
「名号=法華」の奇説を見逃すはずがない!
一遍は「南無阿弥陀仏=南無妙法蓮華経」と言い放っているのである。
栗田は着々と証拠を集めていく。
当麻には、一遍が流罪の身の日蓮をおもんばかり布を贈ったという伝説があるという。
さらに栗田勇は一遍が「鎌倉入り」の前、当麻に滞在していたという説を打ち出す。
これはなんのためかというと、日蓮の「鎌倉入り」にあやかっていたというのだ!
一遍は日蓮にシンパシーを感じており、だから真似をして「鎌倉入り」を断行した。

「日蓮との現実の出逢いは無かったかもしれないが、しかし、
先の伝説は両派の親愛の感情を世間が認めていた証しでもありまた、
一遍の「語録」のなかでも、むしろ、法然や親鸞ら念仏の徒にたいする態度よりも、
むしろ友好的な言葉がみられるのである」(P200)


他宗をボロクソに、まさしくけちょんけちょんに批判したのが日蓮である。
念仏者は地獄に堕ちると断言したのがこの男なのだから。
いまも日蓮の末流は一方的な破邪顕正(批判)と独善的な折伏(勧誘)で嫌われている。
はっきり言って念仏者にとって日蓮一派ほど厄介な連中はいないのである。
ところが、時宗の一遍は日蓮に好意を寄せていたのではないか。
これは「語録」を読んだときにわたしも思ったことだが、
栗田勇ほど積極的に論じられる自信がなかった。それほど革新的な説なのである。
もしかしたら一遍の存在が念仏者と法華者の断裂を改善させるのかもしれない。
博学の栗田勇は、ほかにも一遍の日蓮への友好的態度の根拠を見つける。
繰り返しになるが一遍の敬慕していた先達のひとりが性空である。

「ちなみに、性空は法華の持法者であるが、天台浄土宗では、
始祖の円仁が「念弥陀仏、誦妙法蓮」ととなえたことからも知られるように、
法華と念仏を修しているのであって矛盾はない。
あるいは、一遍の日蓮宗への共感は、同時代というよりも、
法華と念仏が融合している垂迹信仰として、
性空あたりに由来しているのかもしれない」(P299)


いよいよ一遍その人の信仰に分け入ろう。一遍といえば踊り念仏である。
栗田勇は歌舞の起源にさかのぼる。
「魏志倭人伝」に、倭人の葬礼の際、「もがり」の期間に歌舞するとの記述がある。
「日本書紀」に、イザナミノミコトの死亡時、歌舞したことが記されている。

「こうしてみると、私たちの仏教伝来より以前に、死者をまつって、
もっとひろくいえば、「死」をめぐって歌舞する習慣があり、
それは、中国人には奇異にみられる習慣だったこともしれる。
私は、その由来を、印度など南方系の習慣とみている。
というのも、印度バラモンではカーリという死の女神は、
火葬の火を踏んで踊り狂うのである。
カーリも、すべてを破壊し亡ぼしつくす女神であり、火の化身である。
そして、火のなかから再び生を産む、
というより燃えさかる、その焔(ほのお)のエネルギーそのものが真の実在であり、
輪廻転生そのものの示現なのである。
だから、死者を擬人的にみて、踊りで娯楽としてなぐさめるのではなく、
死の世界の示現とその了解が踊りそのものなのである。
古代人は、舞踏の恍惚のうちに死をかいま見、死が肌近くあること、あるいは、
生と死をへだてる扉が、わずかにひらかれて溶けあうことを本能的に知っていた。
死に対して踊るのではなく、死とともに踊るのが、その本質であった」(P166)


熱に浮かされたような文章だが、
一遍の内部に燃えさかる焔はこのような形でしか表現できぬものなのだろう。
栗田は、この死と一体なって為す歌舞を継承したのが空也だという。
しかし、空也の踊り念仏だけではまだ足りない。
栗田勇は融通念仏宗の祖、良忍の影響も加味する。
そのうえで良忍の完成させた大原声明の実相はコーラスではなかったかと看破する。

「一遍の踊りの独創性とは、
この良忍と空也を統合したところにあると言っていい。
民衆の血にひそむ空也の、冥界への参加としての踊りをとりあげ、
これを、良忍の声明の合唱形式でうたい、
かつ、合唱による多人数の大念仏の踊りをつくりあげた。
それが、また、予想をこえて、周囲の民衆にアッピールし、惹きつけたのには、
おそらく、一遍自身驚いたことだろう」(P186)


一遍ひきいる時宗の踊り念仏とはいかなるものであったか?
一遍の死後わずか6年の踊り念仏を目撃かつ批判した記録が残っているという。
当時の智識人ともいうべき藤原有房によるものである。
これは栗田勇の情熱的な物語という面の多い本書のなかで、
もっとも学術的(客観的)な記載かと思われる。
藤原有房が「野守鏡」のなかで、踊り念仏をこう罵倒しているとのこと。

「一遍房といひし僧、念仏義をあやまりて踊躍歓喜といふは、
をどるべき心なりとて、頭をふり足をあげてをどるをもて念仏の行義としつ。
又、直心即浄土なりといふ文につきて、よろずいつはりてすべからずとて、
はだかになれども、見苦しき所をもかくさず、偏(ひとへ)に狂人のごとくにして、
にくしと思ふ人をば、はばかる所なく放言して、
これをゆかしくたふとき正直のいたりなりとて、貴賤こぞりてあつまりし事、
さかりなる市にもなほこえたり」(P170)


栗田勇はこの記録のどこに注目するか?
時宗の男女は「頭をふり足をあげて……はだかになれども、見苦しき所をもかくさず」
踊り狂っていたというところである。
踊る男女の着物の裾が乱れ、男根やら女陰がちらちら見え隠れしていたのだろう。
男女同行にならぶ一遍時宗の特徴は貴賤不問である。
恐れ多くも貴人が賤民にまじり「見苦しき所をもかくさず」踊るさまはどうであったか。
なるほど栗田の言うように、
それは「きわめて素直だが、猥雑でエロティックな」ものであったことだろう。
ストリップと紙一重のような狂騒的なところがあったのかもしれない。
にもかかわらず、ではなく、だから時宗は多くの人を救済したのではないか。
たしかに法然の念仏も日蓮の題目も実践なのだろう。
しかし、一遍時宗の舞踊ほど一体感、昂揚感を味わえる実践はいままでになかった。
それはもしや生死や男女といったこの世の断絶をも和合させる舞踊だったのかもしれない。
たとえば避けえぬ死を跳躍する踊り、逃れえぬ宿命(=性別=男女)を克服する歌唱――。

余談になるが、栗田勇にもまさる思い切った飛躍をしてみよう。
書き手が言うのもどうだとは思うが、ここまで読んでくださったかたは少数でしょう?
ならば、書いてしまおう。
いま流行のAKB48なんかも実のところ一遍の踊り念仏を祖に持つのではないか!
オタクのみなさんが彼女たちと一緒に歌い踊れたらどれほど恍惚とすることか。
スカートのなかがちらちら見えたりしたら、その興奮はどこまでも上昇することだろう。
一遍時宗の踊り念仏とは、そのようなものだったのではないか。
ならば、バブル時代にお立ち台で踊るボディコン姿の女性も踊り念仏の末裔である。

鎌倉時代に話を戻す。時宗で踊り念仏を最初に始めたのはだれであったか?
栗田勇は超一であったと断定している。
超一は一遍の元妻。
一遍が再度出家したのちも(すなわち夫婦関係終了後も)遊行(布教の旅)に付き従った。
むろん、一遍の元妻である超一が踊り念仏を始めたという証拠はどこにもない。
しかし、栗田勇は超一が踊り出すのを、一遍が見たように見たのだろう。
どうして栗田勇が一遍や超一をその目で見ていないと言い切れようか?
釈迦が死んだのちも多くの高僧がブッダを目の当たりにし、
ときには会話まで交わしているというのに!
わたしは栗田勇の目を信じたい。
彼はしかと一遍を見たのだろう。情熱をもって一遍と会話を取り交わしたのだろう。

「踊り念仏を、公然と教団の行事として採用したのは、じつは超一その人であった。
このことは別に不思議はない。
原始的宗教では、しばしば巫女が、神に捧げる舞踊の主催者であり、
のちに、歌舞伎の祖といわれる出雲の阿国なども、当然女人なのであって、
たんに、踊りの技巧や優雅な姿というにとどまらず、
肉体によって、自分をこえたものへと溶け入るのは、
いわば女性的なものの本性のひとつだからである。
これまで踊らなかった一遍が、突然踊りをはじめたという推理より、
一人の、巫女的な美しい女性が、
突然、なにかにつかれたように踊りはじめることのほうが、
はるかに自然な発想である」(P176)


栗田は、超一の踊り始めた時期を、一遍挫折のころと推測している。
京都の布教に失敗して親族の墓所を訪ねる一遍は、
超一の目にまるで死に場所を探しているように見えた。
いや、超一ではなく栗田勇は、死に近接した一遍を見た。
だから超一は踊ったという。超一=栗田勇が踊るのもこのときである。
「頭をふり足をあげて……見苦しき所をもかくさず」に女は舞う。

「それまで、若い女の身で、禁欲に耐え、肉体的な苦痛をしのんできた超一が、
生と死の境にあって、狂惑の人智真(=一遍)の目を見つめているうちに、
突然、激しい解放感の悦楽におそわれた。
超一は、はじけるように、跳ねた。自然と手と足が踊っていた。
彼女にとって宗教的なエクスタシーと、
一遍その人に対する渇仰(かつごう)のエロティックな爆発とを
区別することはむつかしかった。
しかし、教団の他の尼僧は、超一の踊りによって、
はじめて自分たちの漠と感じていた欲求が形をとって奔出するのを味わった。
皆がつられて踊り出すのに時間はかからなかった」(P177)


刺激的な名著であったので長々と書きつらねてきたが、このへんでやめよう。
本書から学んだのは、科学的研究とは異なる仏教的直観である。
ふつう学問研究は客観的な証拠を集めて結論にいたらんとする。
一方で仏教的直観による真理の会得という方法があるのだろう。
主観を極めるとでも言ったらよいのか。
おのれの狂気を用い対象に乗り移ることで見えてくる真実を論述する。
本書で栗田勇の採用した方法である。
正確には学問ではないのだろうが、客観的な学問には、
ひたすら主観でしかない信仰の内実が捕えきれないのだから仕方がない。
栗田勇は仏教的直観をもって一遍の真相に到達したのだろう。
それは客観的に証明されることではなく、いち読者のこれまた主観に響いたことである。
栗田勇の「私=主観」が捕まえた真実を、「わたし」も正しいのだろうと思った。
最後にもう一度本書の内容を箇条書きにして終わろう。

1.一遍は神から夢告を受けた仏僧である(神仏習合的!)。
2.一遍は法然や親鸞の系譜の念仏者ではない(むしろ先達を嫌っていた!)。
3.カルト的な革命家の一遍は同類の日蓮に好感を持っていた(名号=法華!)。
4.一遍の踊り念仏はストリップにも通じる猥雑さを有していた(俗性即聖性!)。

「男性自身 素朴な画家の一日」(山口瞳/新潮文庫)絶版

→氏のエッセイの魅力は生活者の素朴な本音にあるのだと思う。
市民が理詰めで考えることと生活者の思うことは異なる。
にもかかわらず、市民と生活者がひとりの人間のなかに同居するのだから話は厄介だ。
とくに市民顔が公私にわたって求められるようになるとなおさらである。
生活者としての本音が行き場を失ってしまう。
このところをうまく代弁したのが山口瞳「男性自身」の売れた理由のひとつであろう。

ぶっちゃけさ、投票率とかひどいもんでしょ?
みんな政治なんかどうでもいいと思っているわけ。
むしろ、それが常識というもので、あなたの一票が国を変えるわけがないんだから。
本当のことを言ったら選挙に行くなどまったくの無駄なのである。
ところが、こういうことはなかなか言えない。

いまも「男性自身」が連載されていたら氏はきっとこう言ったと思うな。
マスコミの体質はむかしから変わらない――。
テレビで取り上げられるのは、復興にまつわる明るい話題ばかりでしょう?
あれはあたかも戦時中に負け戦を報道しなかった新聞社のようである。
知らせても国民のためにならないと上から目線で勝手に判断してしまうのだ。
この国の報道機関はまったく変わっていなかった。

物真似ばかりしていても仕方がない。ひとくさり山口瞳氏のエッセイから引用しよう。
あるとき将棋会館に翁がいたら地震があったという。

「後日、某棋士と会ったとき、地震にかぎらず、
落石にあう人は運が悪いという話になった。
「そんなことはありませんよ」と、彼は言った。
「もしかしたら運のいい人だったのかもしれない」
こういうことを言うから困るのだ。答えようがない。
彼は、続けて、こう言った。
「だって、あなた、宝クジに当る人の顔って想像がつきますか。
落石に当る人は、宝クジに当る人なんです」(P118)


「ひとを<嫌う>ということ」(中島義道/角川文庫)

→中島が「嫌う」という感情に興味を持ったのは、
妻と子からさんざん嫌われたからだという。
「真実は劇薬」ゆえ、本当のことを言おうとする哲学者は嫌われざるをえないのだろう。
中島義道の本は多忙な毎日を生きるビジネスマンが、
たまの休日に息抜きとして、いわば現実逃避として読むべきものなのだろう。
たしかに本当はそうだけれど、世の中、真実ばかりじゃ生きていられない。
けれども偽善臭い嘘ばかりでたまらなくなって中島の本にすがりつく。
読後、翌日からはまた嘘にまみれた生活に戻っていく。
だから、自己啓発書と中島義道が本棚に並んでいてもまったくの不思議はない。
むしろ自然なことなのである。
ところが、自己啓発書をバカにしている中島義道ファンというものがいる。
これは恐ろしいことになる。
生きているとは、本当と嘘のバランスをうまく取っていくことだ。
本当(=中島義道)ばかり摂取していたらバランスを崩して、
最悪のケースは自殺にいたるだろう。
読者は自己啓発書や小説といったフィクションを読みながら、
上手に中島義道に接しなければならない。

本書を要約する箇所を引く。

「ひとを嫌うこと、ひとから嫌われることを
人間失格のように恐れなくともいいのではないか。
「好き」が発散する芳香に酔っているばかりでなく、
「嫌い」が放出する猛烈な悪臭も十充分に味わうことができる人生って
すばらしいのではないか。そう思います」(P92)


これで本書の内容はご理解いただけたと思うので、あとはいつもの中島節を――。

「……自分にとって宝のように大切な作品も
ほとんどの他人にとってはゴミのようなものである。
つまり何の意味もない……」(P162)

「育ちの悪い人を最も嫌うのは、育ちが悪い人。
シンデレラを嫌うのは、王や王妃よりむしろ御殿女中たちなのです。
ようやくにして上流社会に到達した成りあがり者は、
同じように下賤からたたきあげた者を嫌う。
他人の甘えを嫌うのは自分が甘えたい人。
教養のない者を嫌うのは、自分がちょっと前までは教養がなかった人です。
美人は醜男(ぶおとこ)をそれほど嫌わない。
醜男を嫌うのは醜女(しこめ)です」(P181)


モームの言葉を孫引きしよう。これなんて本当にそうだよなと思う。
わたしなんかもちょっと出世したらかなり腰が低くなるはずである。

「成功は人々を虚栄、自我主義、自己満足に陥れて台なしにしてしまう、
という一般の考えは誤っている。
あべこべに、それはだいたいにおいて人を謙譲、寛容、親切にするものである。
失敗こそ、人を苛烈冷酷にする」(P169)


このモームの言葉が中島義道の人格設計の成り立ちをよく説明しているだろう。
若くしてデビューしたような幸運な人間は概してみな好人物なのである。
こういう人格者を嫌うのが中島義道やその愛読者のような困った人たちなのだ。

「羞恥心はどこへ消えた?」(菅原健介/光文社新書)

→著者は心理学者だが、本書を読んで日本心理学のなんたるかが実によくわかった。
心理学者の学問的根拠とする科学的な「面接調査」とやらは、
実のところなんのことはない、見知らぬ人との世間話なのだろう。
いや、それでよいのだ。
で、心理学の説明するのは、大勢の人間の行動傾向である。
なぜ心理ではなく行動なのかというと、
心理は行動に移されないと科学的な研究対象にならないからだ。

さて、心理学からなにがわかるのか?
ふつうの(=統計的に大多数の)人間がどのような行動傾向にあるか、である。
賢明なみなさんはおわかりだろうが、心理学を人生に適用すると大失敗するはずだ。
なぜなら、あなたの家族、友人、恋人、商談相手が
かならずしもふつうの人であるとはかぎらないからである。
もしかしたら心理学(=一般法則)が通じない相手かもしれない。
90%のほうではなく10%に分類される人間も歴然として存在しているのだから。

とはいえ、「ふつうはどうか?」「常識はどうか?」をたえず気にする日本人にとって、
心理学の存在は行動指針の参考になってとてもよい。
これがあまたの心理学者が一般書を濫作する理由かと思われる。
いつも他人の目を気にして行動している日本人にとって、心理学ほど役に立つものはない。
どうしたらふつう(=90%)のがわの人間でいられるかを教えてくれるからである。

「賭けに勝つ人嵌る人」(松井政就/集英社新書)

→我われ日本人は統計や確率を過剰に信用して生きている。
この背景として著者が指摘するのは、異常なまでのミス(失敗)への恐怖感である。
ちなみに著者は植島啓司の教え子のライターさん。
我われは統計や確率を常に気にしながら失敗のない平穏無事な人生を目指す。
これは著者や植島啓司が推奨するギャンブル的生き方と正反対のものだ。

さて、統計や確率を頭から信じ込む生き方で人生という勝負には勝てるのか?
統計の象徴は平均寿命ではないかと思う。
みなみなどこかで自分は平均寿命くらいまでなら生きられると無根拠に信じている。
いや、根拠はあって、それが統計なのだろう。
しかし、実際は30で死ぬものも40で死ぬものもいる。
タバコを毛嫌いしていたものが肺ガンで早死にして、
ヘビースモーカーが100歳まで生きてしまうのが現実なのだ。
確率的には希少だろうが、そういう現実事象は少なからず存在する。
手術すれば90%助かると言われてお願いしたら死んでしまうことがある。
こうなるとわかっていたらむしろ手術なんてしないほうがよかったとあとで後悔する。
そうしたら残り5年は生きることができたのに、と(実はこれも定かではないのだが)。
いくら後悔しても、死んでしまったら取り返しがつかない。

確率や統計を信用して生きていても、どうしてか間違ってしまうことがある。
それはなぜなのか?
確率や統計は、言ってしまえば数字である。数字を扱うのが科学だ。
科学(確率&統計)は大勢の人間の傾向性をうまく説明するだろうが、
一回かぎりのあなたの人生で起こる現象をなんら説明するものではない!
90%助かると言われても、それは100人中の90人の話でしかないのだ!
あなたが10人に入ってしまうことがないとは言えないのである。
一回かぎりの人生を生きるあなたやわたしに起こる悲喜こもごもの現象は、
かならずしも確率や統計では説明することができない!
数字(統計&確率)を参考にして生きていたら、
大負けすることはないのだろうが、人生のここ一番という勝負で勝つことはできない。

植島啓司も指摘していることだが、
確率を当てにしてギャンブルをするとかならず負けるという。
サイコロを振ってある目が出るのは確率的には1/6だが、
賭場ではおなじ出目が10回続くこともまったくおかしいことではない。
11回目に果たしてなにが出るか?
またおなじ出目に賭けるという生き方があってもいいのではないか?
統計や確率を無視したギャンブラーの作法である。
このとき持ち金すべてを賭けて勝ってしまえば人生御の字なのだ。

「確率や可能性が高い方が必ず低い方を凌駕するのであれば、
そもそも賭けは成立しない。
しかし現実には起きる可能性の低い筈の現象が、
勝負所で何度も出現して不思議な結果を残している。
しかもそれらは全て一回こっきりで、
同じ条件下の試行は二度と再現されない」(P157)


だから、ルーレットでおなじ数字が続けて出てもまったくおかしくはない。
著者はラスベガスのルーレットでそれを実感したという。

「先のルーレットの奇妙な数字の重なりのように、
理論的にも統計的にも故意に実現させようとしても極めて難しい出来事が
勝負事では現実に何度も起きる。
ぼくには残念ながらその理由をうまく説明することは出来ない。
仮にそれらしき理由を説明出来たとしても、
それはあくまでも「起きる可能性」を統計的に説明出来るに過ぎないし、
再現性の無いその出来事の根拠を説明することは難しい。
しかしこうして起きた不思議な現象を認識する段階で一つ問題が出ることがある。
それは、そうした「不思議な現象がなぜ起きるのかを証明できない」からといって、
「その現象が存在しない」かのように扱う人が多いことである。
世の中には「ある現象(対象)の存在」を科学的に証明出来なかったり
「その現象(対象)が存在しなければならない必然性」を説明出来なくても、
現に存在しているとしか言いようのない現象(もしくは対象)は沢山ある」(P158)


この不思議な現象をなんとか別の理論で説明しようとすると、
いきおいオカルトになってしまう。
しかし人間はどうしてか「先のことはわからない」の段階でとどまってはいられぬようだ。
おそらく、科学ではとらえきれぬ現象を解き明かすのに「偶然」がキーワードになるのだろう。
ところが、この「偶然」を説明してしまうとエセ科学やインチキ宗教になってしまう。
ぎりぎりの地点で迷っているのはライターの著者のみならず、
学者の植島啓司や河合隼雄もおなじ場所で足踏みしていると思われる。

「独酌余滴」(多田富雄/朝日文庫)

→本書は2000年度日本エッセイクラブ賞を受賞。
世界的免疫学者の多田富雄氏は、迷惑の意外な価値を論じる。
多田氏はまず自身の思い出を語る。
学生時代に他人へ迷惑をかけた記憶、反対に近年学生から迷惑をこうむった過去。
いまとなって覚えているのは迷惑にまつわることばかりなのに気づく。
そのうえで老学者は迷惑がいかに貴重かを述べるのである。

「しかし、それ(=迷惑)は、すべて私の最も懐かしい思い出に結びついている。
迷惑をかけたり、かけられたりしながら、
濃厚で味わい深い人間関係が作られてきたのだ。
人畜無害で、迷惑のかからないお付き合いしかしなくなってしまっては、味気ない。
最低限のルールさえ守れば、少々の迷惑をかけ合って、
それを許し合いながら、印象的な出会いを作ることができるのだ」(P175)


理系学者はあまり考えずにポッと本当のことを無防備に語ることがあるのでおもしろい。

「青葉の旅」(井上靖/集英社文庫)絶版

→短編小説集。大衆小説誌に掲載されたものを集めたものだという。
「トランプ占い」という短編が印象深かった。
主人公はトランプ占いで生計を立てている女性である。
クリスマスの晩、閉店間際に来た男性客がスペードの9を引いてしまう。
最悪のカードだ。
占い師は自身の流儀に従い、2回やり直してもらうがどれもスペードの9であった。
トランプはぜんぶで52枚だから、
そのうちの1枚が3回連続で出るというのは確率的にはありえないのである。
ところが、その偶然が起こってしまった。
心配した占い師は客を探すが、男は自殺してしまう。
トランプ占いは当たっていたのである。

文豪にして酒豪の井上靖の世事全般を見通す眼には驚かされる。
たしかに人生にはそういうことがあるのである。
まさかないだろうと思いながら、
52枚のうちから3回ともスペードの9を引いてしまうのが、
我われを悩ます実人生というものなのだろう。
統計上は起こらないはずのことが勃発してしまうのが一回かぎりの実人生なのだ。

「悪人だって救われる」(ひろさちや/春秋社)

→ちょっと考え方を変えるだけでだいぶ楽になれるのに、
現代日本ではその「ちょっと」がえらく難しく感じるんだな。
ひろさちや氏の大量生産エッセイを求めるものが多い理由かと思われる。
たとえば、人生で失敗したとする。
創作コンクールに落ちてしまった。
就職面接を受けたけれど不採用の通知が来た。
練りに練った自分の企画がコンペで通らなかった。
我われは悩む。どうしてうまくいかないのだろう?
この苦悩に対するひろさちや氏の自称仏教的回答は自然である。

「現代の日本は、激烈なる競争社会になっています。
競争社会においては、競争の勝者もいますが、同時に敗者もいます」(P42)


当たり前のことだが、だれかが敗者にならなければならないのである。
そして、いまの日本の競争社会では勝者よりも圧倒的に敗者のほうが多い。
ならば、負けない方法などあるはずがないではないか。
そんなものがあったらみんな勝ってしまうが、現実的にそういうことはありえない。
結局はあきらめるしかないのだが、人間はあきらめられずにひどく苦しむ。
このとき有用なのがひろさちや氏のエッセイなのだろう。
なぜなら、いろいろなあきらめるための「おはなし」を提供してくれるからである。

「ブッダの夢 河合隼雄と中沢新一の対話」(朝日文庫)

→河合隼雄の仕事は、実のところ鎌倉新仏教の開祖とおなじなのだろう。
おそらく法然は存命時、河合隼雄のような存在だったのではないか。
法然の正しさは、シナ僧・善導によっていた。
善導がこう言っている、だから自分の教えは正しいという理屈である。
異国に正統性を求めるのは(法然を手厳しく批判した)日蓮もまったくおなじで、
かの仏教改革者はシナ僧・智(ちぎ)を教説の根拠としていた。
日蓮に深く言及すると身に危険が及ぶことがあるらしいので遠ざけ(苦笑)、
話を浄土宗開祖に戻すと、法然は善導を巧みに利用したに過ぎない。
はっきり言ってしまえば、法然は善導の教えを誤解したのである。
問題なのは、法然がおのれを間違いを自覚していたか、である。
たぶん秀才はおのれのあやまちにかなり自覚的だったのではないかと思う。
大勢の人間を救うために意識的にわざとシナ僧・善導の教えを歪曲した。
そして、これは河合隼雄とユングの関係にも相通じるように思うのだ。

この対話で河合隼雄は学者ならば決して公言してはいけないことを口にしている。
まず宗教学者の中沢新一が白状する。自分は現代思想ぶっているけれど、
本当は十四世紀くらいの思想をやっているのかもしれない。
河合隼雄は応えて――。

「日本でやったら、
十四世紀のことでも現代思想と言わないと、みんな読まないから。
僕だって、ちょっと色つけて、
ユングって言ってるからみんな読んでるとこあるね」(P175)


おいおい、それを言ってしまっていいのかと正直ぶったまげた。
自分からそれを暴露してしまって、この人は大丈夫なのだろうか。
中沢「河合さんは、ユング主義者とは言えない。別種のものです」

「僕のは、ユングとはだいぶ違ってきている。
ユングのことをやっているんじゃなくて、
僕のやりたいことをユングによってやっている」(P175)


日本人が舶来品に弱いことを河合隼雄はとっくのとうにお見通しなのである。
我われは印籠を差し出されたら思わず土下座してしまう国民性を持っているのだろう。
現代の水戸黄門たる(一応は学者の)河合隼雄に中沢新一は危険な質問をする。
中沢「河合先生は、今でもうそつきですか」

「それはそうですよ。
だから、ほんとに自分の考えていることは本に書かないです」(P175)


なんのことはない、河合隼雄の膨大な著作群はすべて嘘だったのである!
「本当は嘘です」と老いたユング心理学者はにこやかに舌を出しているではないか。
「河合隼雄はインチキだ」とドヤ顔(得意顔)で指摘するものがいるけれど、
実際はとうのむかしに本人があっさりと認めていることなのである。
いわく、インチキですが、なにか?

「運に選ばれる人 選ばれない人」(桜井章一/講談社+α文庫)

→75ページの図がすばらしい。この図を言葉にするとありきたりになってしまう。

「情報や知識に頼りすぎると判断が間違いを起こす確率は高くなるのです。
考えれば考えるほど、的を射る勘は鈍くなります」(P74)


こう主張する雀鬼の重んじるのが「感じる力」である。
図をなんとか言葉にしてみよう。
生きるというのは選択の連続である(AかBか)。
最初はパッとAかBかの二者択一の迷いで済む。
おそらくAかBのどちらかが当たりだろう。
少なくとも、どちらかすぐれている選択肢が存在するのだけは間違いない。
このとき考え続けてしまうとどうなるか。
たとえばBが外れだと仮定する。
思案しているとB1、B2、B3、B4、B5、B6……。
というようにどんどん外れの選択肢が増えてきてしまうのである。
このため確率的に当たりのAを選ぶことが難しくなってしまう。
だから迷ったときはなるべく直感的に(考えずに)選択したほうがいい。
そのほうが運が向いてくる。本書の推奨する人生作法である。

と、ここまで書いて本書の嘘に気がついてしまった。
わたしはバカだから図示されると、ついうっかり騙されてしまう。
どうしてB3がAより劣っていると証明できるのだろう?
というのも、B3を選択したらAを選んだときどうなるかがわからないではないか!
人生の選択肢は生きてみないとわからない。
ふたつの選択肢を生きられないのが人生の残酷なところであった。

考えれば考えるほど選択肢が増えていくというところだけは真実であろう。
そして、選択肢が増えるのは果たしていいことなのか。
運に恵まれた著者は選択肢の増加をよくないと思っていることは本書から理解できる。

「努力しない生き方」(桜井章一/集英社新書)

→あの地震と津波が起こって人生は努力ではなく運だとばれたいまでさえなお、
テレビをつけたらみな「がんばれ」「がんばろう」ときちがいのように騒いでいる。
わたしには努力教信者がきちがいのように見えるけれども、
あちらからこちらを見たら正反対の感想をいだくのだろう。
本書の感想をざーっとネットで漁ってみたけれど、みなさんまだまだではありませんか?
というのも、なんだかんだいっても勝利や成功にこだわって読書しているからである。
努力に代わる勝利方程式や成功マニュアルをこの本から得て無邪気に喜んでいる。
著者の主張する「努力しない生き方」とは、勝利や成功を無視する作法だというのに!
桜井章一がすすめる生き方をひとつの言葉に要約したら――「酔狂」になるのではないか。

「酔狂という言葉がある。
世間では無意味と思われるようなことにうつつを抜かしたり、
明らかに損なことを面白がってやったりする。そうした類の振舞いを言う。
それゆえ酔狂には世間では権威があったり大きな意味があるとされているものを
無意味にしてしまうような爽快さがある」(P84)


酔うのはいい、というのはかなり一般的に了解されていることだ。
しかし、狂うことがいい、とまで言い切れる人は少ない。
とはいえ、もしかしたら狂うとは酔うとおなじでぞんがい気持いいものではないか。
だとしたら、酔狂という言葉には思いのほか深い含蓄があるのかもしれない。

「六月のさくら」(鄭義信/「月刊ドラマ」2004年9月号/映人社)

→テレビドラマシナリオ。テレビ朝日。1時間もの。平成16年放送作品。
これもまた母子再会のパターン。
母と姉妹3人が六月に咲く桜のまえに集まって、やっぱ家族はいいわね、みたいな。
それぞれありきたりな発見をして、まあ、この程度で満足しておきましょうや、みたいな。
テレビを見る大半の庶民は前衛など大嫌いなのである。
くっさい手垢にまみれたインチキめいた家族観を補強してくれるような物語を欲している。
であるからして、このシナリオを読んで駄作などと思ってしまったわたしは
まったくテレビドラマというものを根本から理解していないのであろう。反省する。
「銀河鉄道に乗って」(市川森一/「月刊ドラマ」2004年9月号/映人社)

→テレビドラマシナリオ。TBS。スペシャル枠。平成16年放送作品。
ドラマのセオリーにきちんと則った手堅い作品。
いまのコンクール受賞作を読んでいて思うのは、
どのシナリオも古典的なドラマ手法を使っていないこと。
常識を知らないほうが新しいともてはやされる時代なのだろうか?
もしや選者がドラマを理解していない、なんていうことはないと思いたい。

母子再会のドラマである。いわゆる再会パターンだ。
人が入ってきて出て行く典型的な話。
だれも知らないだろうが、この典型の名作にウィリアム・インジの「ピクニック」がある。
ふと思い出したから書いたまで。
立ち聞きのシーンがあり、うまく秘密のやり取りをしている。
登場人物はしっかり嘘をつく(売れてない女優が忙しいふり)。
仕掛けもきちんと為されている(足を怪我したふり)。
残念なことに、あまり「銀河鉄道の夜」には深く関わっていないドラマである。
もちろん原作ものではないのだから、こちらの無茶な注文であった。
「宮澤賢治に聞く」(井上ひさし・こまつ座/文春文庫)

→実作者にかなうものはいないのである。
どこの大学教授だろうが、井上ひさしの賢治理解にはかなわない。
束になってかかってきても井上ひさしはつゆ揺らがないであろう。
なぜなら実作者はおのれの狂気をもって、
先行作家の生存のありかたを直感的に丸ごとつかんでいるからである。
学者先生にもっとも欠けているのがこの狂気というやつなのだ。

とはいえ、井上ひさしは現代作家。
おのれのきちがいを相当にコントロールしている。
言葉はよくないが、せいぜい妻を殴るくらいだったのである。
この内弁慶の作家にとって、
一生を狂気にほんろうされたといってもよい宮沢賢治はとても魅力的にうつったようである。
一種の天才である井上ひさしは、だからこそ大天才のことがよくわかったのであろう。
制御できぬほどの狂気をうちに抱え、しかし本物のきちがいにはならなかった男のことを。
あれほどの成功を収めた井上ひさしだが、
創作の愉楽を知る作家のひとりとしては
むしろ無名で終わった賢治が羨ましかったのかもしれない。
どれほどの快楽を賢治は味わったのだろうか?
きっと井上ひさしは想像したはずである。

河合隼雄、梅原猛の賢治批評もすぐれたものであったが、
それでもやはり井上ひさしの愛には劣っているような気がする。
そう、作家は賢治を深く愛しているのである。愛にまさるものなし!
以下に引く卓見はすべて愛ゆえなのだろう。

「もっとも賢治は人間の営みのあわれさを乗りこえる手段を
いくつか読者にのこしてくれたように筆者には思われる。
紙幅に限りがあるので一つだけ書いておくと、
たとえば法華経による世界認識がそれで、
一滴の水、一輪の花、一本の樹木のうちに全宇宙がそっくり写しとられている、
と賢治は作品のいたるところでささやいている」(P84)


たぶん井上ひさしも作品で似たようなことをささやいているのだろう。

「宮澤賢治が歩くのが好きだったというのは、
当時の教え子がみんな言っていることです。
野原とか山とか歩きながら、突然歌ったり叫んだりする。
奇声を発して飛び上がって、ポケットから手帳を出してメモをとる。
これはからだの中にあるリズムであり、歩きながらリズムを作っているのです。
賢治の作品の特徴は、シェイクスピア同様目で読むよりも、
声に出して読むとわかるリズムです。
それはたぶん歩くことから体得したリズムです」(P247)


井上ひさしはいったいどんなリズムで文章を書いていたのだろう。

「賢治は、人を殺すことによって大勢が生きられるという考えを肯定していますが、
ただし死ぬのはいつも自分でなければならない。
自殺他生、自己犠牲によって周りが生き延びる。
それが賢治の到達した日蓮思想です。
自分を殺して他の生命をすくうというところが、今、我々の心を打つわけです」(P257)


この井上ひさしの言葉がわたしの「銀河鉄道の夜」解釈にどれほど役立ったか!
「自殺他生」――。
他に生きるものがいるならば、たとえ自身を殺そうとも構わない。
おのれが死んでもなお残るものがあるという思想である。
つまり――。

死は終わりではない!

「宮沢賢治 NHKカルチャーアワー文学探訪」(栗原敦/NHK出版)

→栗原敦氏はいま流行の言葉でいえば御用学者とでも評すればいいのか。
すっかり宮沢賢治にやられてしまった学者さんである。
もはや賢治のファンではなく、信者といったおもむきさえ見られる。
そういえば宮沢賢治の愛読者にはことさら信者めいたところがあるように思う。
だから必然として「宮澤賢治殺人事件」(吉田司)のような暴露本が上梓されるのだろう。
ちなみに「殺人事件」は絶版でいまなお探している。
ネットで買えばいいのだろうが、わたしは本とのご縁を重んじるタイプである。

宮沢賢治の作品は童話であると同時に、いやそれ以上に宗教文学でもある。
法華文学といってもよいのだろう。
法華経の精神を広めるために賢治は創作しているところがあるのだ。
本書に引用された賢治の手紙から印象的な部分を孫引きしたい。
まずは弟、清六への手紙から。

「われわれは楽しく進まうではありませんか。
苦痛を亨楽(原文ママ)できる人はほんたうの詩人です。
もし風や光のなかに自分を忘れ世界が自分の庭になり、
あるひは惚として銀河系全体をひとりじぶんだと感ずるときは
たのしいことではありませんか」(P124)


賢治が狂的世界の恍惚に酔うことのあったのがよくわかる文章である。
世間から認められなかったこの不遇な作家が決して不幸ではなかったということだ。
なぜなら、男は文字通りの「狂喜」を知っていたのだから。
上質の阿片を吸引してもなお味わえぬ陶酔、恍惚に賢治は酔うことができたのだろう。
意外と知られていないが狂うことは楽しいのである(どうして知ってんだオレ?)。
法華経信者・宮沢賢治の宗教的問題は以下である。
これは多くの宗教文学者がその前で立ちどまる問いでもある。
友人への書簡下書きから。

「ただひとつどうしても捨てられない問題は
たとへば宇宙意思といふやうなものがあって
あらゆる生物をほんたうの幸福に齎(もたら)したいと考へてゐるものか
それとも世界が偶然盲目的なものなのかといふ宗教と科学(の立場問題)」(P184)


すべては神仏の、つまり絶対者の意思なのか、必然なのか。
それともみなみなただの偶然に過ぎず、あらゆる現象に意味などないのか。
仏教者もキリスト教徒も、この問いに頭を悩ますという点では同類である。

「新編 風の又三郎」(宮沢賢治/新潮文庫)

→創作という行為は狂気をいかに用いるか、である。
どの程度、きちがいをコントロールできるか。
というのも、個性的な創作は、煎じ詰めれば普通ではない、異常ということでしょう。
どこにでもいるような常識的な人は、ありきたりな創作しかできないのである。
賢治ほどに影響力の強い作家が狂気のお世話になっていないはずがない。
ところが、どうやら賢治に病識(病気だという認識)はなかったようだ。

賢治が人造宝石の商売に関心を持っていたのは興味深い。
これはスウェーデンの狂人、ストリンドベリの熱中した錬金術と相通じるのではないか。
文豪ストリンドベリはこう考えたわけである。
すべての価値の根本にあるのは金(=金本位制、金の価値)である。
だとしたら、もし人工的に金を造ることができたら、
ありとあらゆるものの価値を転覆できるのではないか。
同様、賢治は高価な天然の宝石を人力で模造せんとした!
東西を問わずきちがいはとてつもないことを考えるものである。

きちがい賢治はこの文章をどのような気持で書いていたのだろう。

「こいつはブンレツだぞ。ブンレツ者だ。しばれ、しばれ」(P79)

「クンねずみはブンレツ者によりて、みんなの前にて暗殺すべし」(P79)


もしかしたら少しは病識があったのだろうかと疑ってみたくもなる。
ちなみに、西洋のきちがいストリンドベリは生涯、自分の病気を認めなかった。
むしろ常識(=精神医学)に屈服しまいと、
ストリンドベリの創作活動は晩年まで衰えることがなかった。

「宮沢賢治の青春 “ただ一人の友”保阪嘉内をめぐって」(菅原千恵子/角川文庫)

→いい歳になるのにいまだわからないことがある。

どうして女はホモが好きなんだろう?

わからないったら、わからない。
同性愛までいかずとも、どうしてか女性は男性同士の友情をことさら尊ぶでしょう。
おそらくは「女の性は皆ひがめり」(徒然草)だからなのだろうけれど。
実際のところ男の友情も女と同様で相互の嫉妬や軽蔑と無縁ではないのである。
それが女性にはわからないようだ。
本書の著者もまた女性そのもので、うっとりと賢治の同性愛精神を夢想し、
かつ惚れ惚れと愛でるのだから薄汚い男のわたしは引いてしまった。
俗な言い方を許してもらえれば( ゜д゜)ポカーンというのがもっともふさわしい。
これは研究なのだろうか。
というのも、はじめに結論ありきなのである。保阪嘉内は宮沢賢治の学生時代の友人。

「賢治にとっての友といえば、それは共に同じ道を歩くはずであり、
恋人とも思われた保阪嘉内をおいて他にはなかった。
賢治の心の中には終生、保阪嘉内の存在があって、
絶えずその存在を意識し続けていた」(P246)


この信念に基づいた結論を導くために、菅原千恵子氏は都合のいい文献を例示する。
ところが、どうにもこうにも文章の裏側から
著者のヒステリックな叫び声が聞こえてきてしまうのである。
あたしの心の恋人、賢治サマが妹に近親相姦的欲望を抱いていたなんて冗談じゃないわ!
あのね、賢治サマはね、とっても友達思いで女なんかに関心がなかったのよ!
あたしだけが賢治サマのホモセクシャルを知っているの、どう、どう、どう?
わかりましたって言いなさい!

文学研究というのは所詮、文学者にまつわる「おはなし」の創作だから、
本書における菅原千恵子氏の妄想をどうこう言うつもりはない。
実のところ、数字と関係ない文学研究に正しいも間違いもないのである。
なぜなら、どのみち主観の領域だからである。
客観的な正しさは証明しようがない。
妹のトシに賢治は欲情していたというのが「おはなし」であるのと同程度に、
保阪嘉内は賢治のおホモだちという説も「おはなし」に過ぎない。
真実は宮沢賢治本人しかわからないのだろう。
いや、深層心理学を持ち出してくれば、本人でさえ真相はわからないことになる。
本書で繰り広げられる「おはなし」はだいぶ評価が高いようである。
ネットで調べたところ、みながみなこの「おはなし」を好意的に受け入れていた。
まあ、妹にハァハァするきちがい賢治という「おはなし」よりは耳にやさしいのだろう。
しかし、どちらが正しい「おはなし」かは人間にはわからない。

菅原千恵子氏によると「銀河鉄道の夜」のカムパネルラのモデルは、
ほかならぬ保阪嘉内その人だという。
カムパネルラを妹のトシと見る通説へ強い異議を突きつけている。
しかし、わたしの主観だと、やはりカムパネルラは妹のトシとしか思えない。
河合隼雄もこの通説の支持者で、
「銀河鉄道の夜」は賢治の臨死体験を描いたものだと主張している。
(「宗教と科学の接点」「子どもの目からの発想」)
だから、カムパネルラ=トシ説が正しいと言いたいわけではむろんない。
どちらも「おはなし」に過ぎないという謙虚な姿勢を持とうではないか。
自己他者を問わず、人間のことをすべて理解できると思うのは傲慢である。

本書の支流で知った賢治のきちがいぶりに笑いがとまらなかった。
親のコネで農学校の教師になったはいいが、すぐに辞めてしまう。
そのあと賢治がなにをするのかといえば羅須地人協会である。
無学な農民を教育してやろう。賢治は岩手のイエス・キリストたらんとしたのである。
その準備としてきちがい賢治はまたも父親から金を巻きあげ上京する。

「上京中、賢治はオルガンとセロの特訓を受け、エスペラント語を習い、
タイプライターの学校に通い、毎夜のように一流の芝居を見てまわり、
新しい本や衣服を買いなどして、上京十日目で所持金を使い果たした」(P229)


躁病の典型的な発症例というほかない。
ここまで華々しく発症するのは、この時代でもめずらしいのではないか?
ふつうの家庭でこれが起こったら破産してしまうのである。
このために狂気の判定人たる医者が呼びにやられる。
ところが、賢治の実家は大金持なので、きちがいの異常行動が受容されてしまう。
「きちがいに刃物」という俗言があるが、
賢治の芸術活動をひと言で要約するならば「きちがいにお金」になるのだろう。
きちがいというだけでは天才芸術家にはなれないということだ。

「新編 銀河鉄道の夜」(宮沢賢治/新潮文庫)

→このたび宮沢賢治を固め読みしたのは、脚本コンクール応募のためである。
イーハトーブ脚本賞。
「銀河鉄道の夜」を原作にした劇場用映画の脚本を角川が募集していた。
シナリオライター志望者はあまり本を読まないものが多いから、
なかには賢治作品は「銀河鉄道」しか読まずに作品を書いたものもいるのかもしれない。
そして皮肉なことに、あんがいそういうものが受賞してしまうのが現実だ。
そうと知りながらも文学部出身の根っから木偶(でく)の坊のこちらは、
宮沢賢治をまず知らなければならない、なんておかしな考え方をする(苦笑)。
とはいえ、行儀正しく新刊書店で買い求めるほどもう優等生ではない。
今回読んだ賢治作品は、すべてブックオフにて105円で購入したものである。
さすがに全作品を読んでいる暇はない。ならば、なにを読むのか?
たまたまブックオフにあったものを読むことにしよう。
このように偶然に任せるのがいまのわたしの生き方である。

いつしかわずか数百円の文庫本までケチるようになってしまった……。
思い返せば、宮沢賢治をはじめて知ったのは小学4年生である。
あれは最悪の出逢いだったのではないか。
大学を出たばかりの新任の女性教師が宮沢賢治を偏愛していたのである。
詩を我われ学童に暗唱させた。それもあの胡散臭い「雨ニモマケズ」を……。
これで宮沢賢治を好きになるほうがおかしい。
この作家はセンチメンタルな理想主義者を引きつけるなにかがあるのだろう。

わたしが宮沢賢治を評価するとしたら、そのきちがいぶりである。
ふつう狂人には周囲からのストップがかかる(迷惑だ、おかしい、狂っている!)。
ところが、賢治の場合、実家が財閥並みの裕福さを誇っていたため、
通常なら途中停止させられるはずの狂気に歯止めがかからずそのまま暴走した。
きちがいの人を野放しにするとどえらいことをやらかすという典型が賢治なのだろう。
宮沢賢治から清貧の素晴らしさを見るものはめくらではないか。
賢治作品から我われが読み取らねばならぬのはその正反対、贅沢の価値である。
うなるほどの札束が芸術を生み出すのである。金がなかったら芸術はできない。
金持のぼんぼんが貧農に涙して「雨ニモマケズ」と謳いあげるのが芸術なのだ。
貧乏人のこせがれが書けるのはせいぜい金目当ての通俗小説くらいと思ってよい。

さて、新潮文庫版「銀河鉄道の夜」――。
文庫によって収録作品が異なるので買ったのだが、「ビジテリアン大祭」がひどかった。
あまりにも退屈なのでこれだけは最後まで読めなかった。
しかし、河合隼雄がこの作品を異様なほど高く評価しているのだから芸術はわからない。
生前に賢治の童話を読まされた編集者は商売にならぬと突き返したらしい。
わたしはこの編集者に共感してしまうようなところがある。
きちがい賢治の家族(とくに父親!)にも同情を禁じえない。
つまり、賢治のような天才ではないということなのだろう。
いや、正しくは、天才を見抜く目はない、ということか。
わたしが下読みだったら賢治作品はまず最後まで読まずに落とすだろう。
ええ、たとえ「銀河鉄道の夜」であろうとも。
あれは何回も黙読・音読しないと意味(価値)がわからないからである。
おそらく、きちがいの創作する芸術とはそういうものなのだろう。

*宮沢賢治には死後、躁鬱病という診断がくだっている。
なぜ生前にきちがい認定されなかったかというと専門の医者に診せなかったからである。
そのうえ賢治の奇行による迷惑をすべて金で揉み消す財力を実家が有していた。
あの時代だときちがいは座敷牢に監禁されるのが通常である。
家族の多大なる理解に恵まれたことも賢治の幸運であった。

「セロ弾きのゴーシュ」(宮沢賢治/角川文庫)

→現実の正反対に位置するものとして異界が想定される。
現実は現実によっては存在を保証されず、
むしろ異界を提示されることで我われの生きる現実の輪郭が目に見えるようになる。
この意味での異界を、宮沢賢治はうまく描いたのではなかろうか?
夜見る夢や死後の世界への関心を通じて、我われは通常異界にアクセスする。
きちがいの賢治は、もう少しダイレクトに異界へ接触することができたようだ。
賢治が覗き見た異界で生き物はみな泣いている。

「像は細うい、きれいな声で、しくしくしくしく泣きだした」(P73)

「とうとうひるすぎの一時から、かま猫はしくしく泣きはじめました」(P93)


しくしく泣くのは動物だけではない。

「ゴーシュはそのそまつな箱みたいなセロをかかえて壁の方へ向いて口をまげて
ぼろぼろ泪(なみだ)をこぼしましたが、気を取り直してじぶんだけたったひとり、
いまやったところをはじめからしずかに、も一度弾きはじめました」(P164)


人間はぼろぼろ涙をこぼすのであった。
なにゆえか? なぜ生きとし生けるものは泣かねばならぬのか?

「……参ったな。困った。困った。困った」(P104)

宮沢賢治の狂騒的な人生を振り返ると、常にこうつぶやいていたような気がする。
「……参ったな。困った。困った。困った」
石川啄木や種田山頭火もおなじである。
生きているうちは世間からほとんど認められなかったのも共通している。
周囲に迷惑をかけつづけたところも似ているのだからおかしなものである。

「注文の多い料理店」(宮沢賢治/角川文庫)

→正直に白状すると、宮沢賢治のどこがすごいのかよくわからない。
あまり大きな声では言えないが、
評価と実質がつりあっていないのではないか、という印象を受ける。
しかし、河合隼雄、梅原猛、井上ひさしが宮沢賢治を高く評価しているのも事実だ。
この3人の舌(目?)をわたしは信頼している。
だから、宮沢賢治は偉大なのだろうという程度の認識である。

まあ、賢治がきちがいだったのは文章からわかる。
作品に「きちがいのように」という表現が多いからではない(いや、これもあるかな)。
ふつうの人には見えないもの、聞こえないものを賢治が感知しているからだ。

「嘉十はほんとうに自分の耳を疑いました。
それは鹿のことばがきこえてきたからです」(P146)


獣医レベルになれば、あるいは鹿の言葉くらいなら聞こえてくるのかもしれない。
しかし――。

「さっきから線路の左がわで、があん、があんとうなっていた
でんしんばしらの列が大威張りで一ぺんに北のほうへ歩きだしました」(P129)


電信柱の行進が目に見えるものはなかなかいないのではないか?
ましてや電信柱の歌う軍歌まで聞こえてくるほどの重症になるとめったにいないだろう。
子どもなら電信柱の内緒話くらい聞き取るという考え方もあろうが、
あまり子どもを過信してはならない。
いくら子どもでも電信柱の求愛会話を盗み聞きするのは、
やはりきちがいと診断されるのではないか?
夜見る夢でなら、たしかにあらゆる不思議な現象は生じうる。
とはいえ、それでも、たとえ夢でも、人間はなかなか電信柱と交流を持てない。
夢の専門家たる河合隼雄が賢治を仰ぎ見るゆえんであろう。

「銀河鉄道の夜」(宮沢賢治/角川文庫)

→人間はなんのために生きるかの問いに、たとえば真善美という答えがある。
このうちの善に注目すると、究極の善行とはなんだろうか?
宮沢賢治の求めた理想の生き方である。
これはきちがい小説「銀河鉄道の夜」のテーマでもあるのだろう。
宮沢賢治の行き着いた結論は――。

最上の善行とは自殺である!

まさかとあなたは思うかもしれない。
なぜならほとんどの宗教が自殺を禁じている。
しかし、「銀河鉄道の夜」によると、やはり最高の善は自死になるのである。
とはいえ、ただ死んでもむろんそれは善でもなんでもない。
他人のために死ぬ。
つまり他人に命を差し出す行為が最上の善ではないかと宮沢賢治は考えた。
井上ひさしの言葉でいえば「自殺他生」(自分を殺して他人を生かす)である。

哲学命題の「カルネアデスの板」とおなじである。
嵐にあって船から大海原に投げ出された。あなたは流れてきた板につかまる。
ところが、もうひとり難破したものが流れてくる。
当然、板にしがみつく。板にはひとりの人間しかつかまる余裕がないとする。
このときどうするか、という問題が「カルネアデスの板」だ。
法律上は「緊急避難」が適用される。
どういうことかというと、どちらを押しのけても両者とも罪にならない。
あとから流れてきた男性が板につかまっている少女を払いのけても無罪になる(苦笑)。
こういうときに自分から海の底に沈んでいくという生き方がある。
人助けではあるものの、自殺であることには変わりない。
この自殺が人間の取りうるもっとも崇高な行為ではないかと宮沢賢治はいう。
まさしく狂人の思想である。天才の思考だ。

「銀河鉄道の夜」でカムパネルラはザネリを助けて命を落とす。
カムパネルラ、ジョバンニ、
ふたりの乗車する銀河鉄道にやってくるタイタニック号の死者もまた、
他人の(生の)ために死を選択している。
いたちの生命のためにおのが身を差し出す蠍(さそり)のエピソードは、
この物語の世界観を象徴している。
繰り返すが、自殺こそ究極の最高至上の善である!
日本では年に3万人の人間が自殺している。
とすると、自死遺族は年に10万人は発生すると思われる。
傷ついた遺族にとって「銀河鉄道の夜」の思想は大きな救いになるのではないか?
なぜなら大勢の日本人が他人(家族)のために自殺しているからである。
他人のことを考えて死んでいるのだ。たとえば、迷惑をかけてはいけない――。
このとき、自殺は悪ではない。自殺は善だ。それも最高の善である。
こう教えてくれる「銀河鉄道の夜」は偉大な救済になるように思う。
わたしもまたこの物語に救われたもののひとりである。

*震災による影響か5月の自殺者は前年を大きく上回ったという(2011年)。

おそらくはもう大半が死んでしまった老人の話をするけれども、
彼らが死ぬときになにがいちばんの思い出なのかといえば戦争だったのではないか。
召集されて海外の戦地におもむいたものはとくにそうだろう。
やはり人を殺したり、仲間を殺されたり、自身が死にそうになったりというのは、
言葉にならないような壮絶な体験だったと思う。
へたをすると戦後の生活など余生くらいに思えてしまった人もいたのではなかろうか。
もちろん、戦争はよくない。平和でなんにもない生活がもっともいいのだろう。
しかし、なんにもない生活にやりきれなくなる人たちをも平和は生み出してしまう。
なんにもないのが幸福とばかりは言い切れないようなところが人生にはあるのではないか。
だから、被災者のみなさん、がんばってください、と言いたいわけではむろんない。

震災直後のパニックのなかでこういうことがあった。
ある人がトイレットペーパーがなくて困っているというのである。
こちらは備蓄体質だから、トイレットペーパーのみならず、
カップラーメンも水も不足していなかった。
そういうことでしたら、差し上げましょうという話になった。
翌朝、ふと思い直した。
せっかくの機会だから本当にトイレットペーパーが売っていないのか探してみよう。
いくら当面は足りていたとしても、今後どうなるかはわからない。
開店の時刻に合わせて近所のスーパーを自転車でかけめぐった。
4軒まわったが、やはりどこにもないのである。
最後の砦と頼んだ大型店で、アナウンスが流れている。
トイレットペーパーが入荷したというのである。
思わずエスカレーターを走ってのぼってしまった。
そのとき商品を入手してどれほど幸福を感じたことか!
レジに行列しているころには売り切れたというアナウンスがなされていた。

ふだんトイレットペーパーを買うとき、このような幸福感を味わうことはできない。
どうしてあれほどたかが便所紙ごときに興奮して、なおかつ感動できたのだろう。
苦労して手に入れるのが、もしかしたらなによりの幸福なのかもしれない。
思い出したのは、むかしインドをふらふらしてたときのことだ。
インドはなかば禁酒国のため、なかなか酒を売っていない。
移動したときにまず探したのは酒屋であった。酒を見つけたときの喜びといったら!
異国の観光地に行くときもそうで、すんなり目的地に着くよりも、
むしろ道に迷い何人もの人に聞いてようやく到着したときのほうが感動が深い。
話を日本に戻すと、おなじようなケースが多々あるのではないか。
実体験ではないが(笑)、もてない人が、なかばあきらめていた人が、
幸運にも奇跡的に異性とつきあえることになったら、飛び上がるほど嬉しいのではないか。
創作コンクールにはじめて応募した作品が受賞してしまった人は果たして幸福だろうか。
何度も何度も落選したのちにやっとのことで入賞したときの喜びは想像がつかない。
(経験してないからね!)
しかし、どちらが幸せかは言うまでもないだろう。
それからも長く創作を続けていくのはどちらかも、言わなくてもわかるだろう。

苦なしに楽はない。苦があってはじめて楽がわかる。
おなじことで、もしかしたら一度も楽を経験していないものは、
苦を苦と感じないのかもしれない。
これは写真で見る最貧国のストリートチルドレンの
笑顔の秘密を解き明かしているのではないか。
苦しみというものはわからない。
ある人の苦しみを別の人は苦とも思っていないことも間々あるのだろうから。
しかし、この別の人も彼(女)なりの苦しみを持っているのは間違いない。
おそらく苦しんでいない人間などひとりもいないのだろう。
なぜなら、人生は思うようにならないからである。
思うようにならない人間にとっての救いは、思いがけないことの到来なのだと思う。

もしかりに思うようになる人生というのがあったとしたら(あるのかもしれない!)、
それは本当に幸いだろうか。挫折や失敗のない順風満帆な人生はおもしろいのか。
泣いたのは生まれ落ちてきたときだけで、
あとは笑い暮らした人生などまったくもって最低だとわたしなんかは思う。
まるでカルト教団の信者のようだと思う。
「ドラマ・ファン掲示板」で雑誌「ミセス」に山田太一さんと小児科医の対談があると知る。
すぐさま本屋に立ち読みに行くのだから。
翌日のこと。
同掲示板で雑誌「クロワッサン」に山田太一さんの記事が掲載されているという情報が。
今度は立ち寄った大型スーパーの雑誌コーナーで立ち読み。
あの掲示板には「もう来ません!」と啖呵を切った記憶があるけれど、
根が軽薄なためか、しばしば覗き見に行ってしまう。
昨日は公式フェイスブックで山田さん出演のラジオ番組がネットで聴けることを知る。
30分くらいかと思っていたら70分近くあり、ストーカーの欲望が充分に満たされた。

しかし、山田太一さんの信者ではない。あくまでもファンなのだと思う。
というのも、他者だから当たり前なのだが、考え方が少しだけ違うところがあるからだ。
こういう違和感をわざわざ口にしないという処世術も脚本家から教わったこと。
本当に思ったことはなるべく口にしないほうがいい。油断してはならない。
とはいえ、気になる方もいるでしょうから軽く触れます。
何度も強調しておきますが、おそらく正しいのは山田太一先生のほうでしょう。
信者さんにはどうかご寛容をお願いしたいです。

「自責の念」を持っている人を山田さんは好んでいるようだがケースバイケースではないか。
もちろん、こんなことは老作家もよく知っていることだと思う。
ことさら主張するほどのことでもないが、いちおう書いておく。
わたしを含めて自死遺族は「自責の念」(加害者意識)にひどく苦しめられる。
自殺した家族を、自分が殺してしまったように思うからだ。
この場合、「自責の念」をなんとかしないと連鎖自殺してしまうことになる。
なんとかして加害者意識から被害者意識に転身しなければならないのである。
自死遺族は自分を(加害者ではなく)被害者だと思わなければ生きていけない。
その後、被害者意識は長い時間による研磨を経てなだらかな忘却=平安にいたる。
「自責の念」を持っていたら自死遺族は生きていけないということだ。
いまの人は被害者意識ばかりだと山田さんは嘆いておられたが、
自分を被害者だと思わなければ生きていけない辛い立場の人がいることも指摘したい。
言うまでもなく、山田太一さんもこういう例外はよくわかっているのだろう。

山田太一先生は一度も自殺を考えたことがないとどこかで読んだ。
「ありふれた奇跡」ホームページの特集だったのではないかと記憶している。
おそらく、脚本家のこういった自殺への姿勢が彼我の相違に関係しているのではないか。
下世話な言い方になるが、戦時中に芋を食って育った人間は強いと感心する。
さて、これからもう一度、山田太一先生ご出演のラジオ版「学問ノススメ」を聴こうと思う。
信者ではないが、熱烈なファンではあるのだ。

(追記)「ミセス」や「クロワッサン」という雑誌の存在をはじめて知りました。
世の中にはいろいろな世界があるのですね。住んでいる世界が違うと驚きました。
山田太一さんのファン層は、裕福な初老女性が中心であることを思い知らされました。
いつものように荒川土手を散歩していると少年が川遊びをしている。
一人が川の中に入り、三人が上から見守っている。
小川ならいいのだろうが、下の記事の写真のような下流域である。川幅は広い。
思わず大声で叫んでいた。

「危ないよ!」

叫んでから、さて、どうしようかと思う。とっさに声を出してしまったのである。
とても子どもたちに説教できるような身分のある大人ではない。
とりあえず、少年たちに近づいていく。
見知らぬ大人に注意された経験がないのだろう。
子どもたちは呼びかけが聞こえなかったふりをしている。
わたし「ここね、危ないよ。このちょっと先で人が溺れ死んだのを見たことがある。
本当に死んでしまうから、ここじゃ遊ばないほうがいいと思う」
川の中の少年があいまいな笑みを浮かべ答える。
少年「間違って落ちちゃったんです」
わたし「(嘘つけ、遊んでいただろうが、と思う)」
少年「本当です。なあ?」
わたし「いや、まあいいのね。関係ないっていうかさ。
ほら、おれ、きみのこと知らないでしょう? きみが死んだとして、悲しむだろうか?
たぶん、悲しまないと思う。関係ないし。いいよ。ごめんね。遊んで」
少年「まだ死にたくないっす。上がります」
わたし「いや、大丈夫だよ。めったなことじゃ死なない。
おれは荒川で死んだ人を見たことがあるから思わず心配したけど、きみは死なない。
それに、しつこいけど、きみが死んでもたぶん、おれ、苦しまない」
少年「上がりまっす(と実際に仲間の手を借り岸に上がる)」
わたし「きみたち中学生?」
少年「はい」
わたし「何年生?」
少年「――」
わたし「学校に通報したりしないから教えて」
少年「2年です」
わたし「へえ。じゃあね。ばいばい」

善行を為したと自慢したいわけではない。
もしかしたらとんでもないことをしてしまったのかもしれない、とさえ思う。
自分の命を軽んじるものは、他人の命も軽視する傾向が高い。
もしかしたらあの少年は将来、殺人事件を起こしてしまうかもしれない。
将来でさえないかもしれない。
あの少年はワンパクそうだったから、クラスでいじめをしている可能性だってある。
少年にいじめられた他の同級生が自殺してしまうことだってないとはいえない。
もしこの川遊びで少年が死んだら、いじめられっ子はザマアミロと喜ぶのではないか。
なにが言いたいのかというと、なにが善でなにが悪かは人間にはわからないということだ。
あのあと別の場所で川遊びをして、そこの流れが強く溺れ死んでしまうかもしれない。

周囲にはけっこう人がいたけれども、だれも注意をしていなかったのはなぜか?
怖いからだろう。
へたに中学生4人に喧嘩を売ったら殺されてしまうかもしれないのだから仕方がない。
先月、コンクール応募シナリオで川遊びをしていた少年が水死するシーンを書いた。
奇しくも、今日の少年とおなじ中学2年生という設定であった。
いちばん生と死の境い目の近くにいるのが14歳くらいなのだろう。
この年齢は大人と子どもの境界でもあるのではないか。
さて、あの応募シナリオはどうなるか? また呆気なく落ちるのだと思う。
そのとき、うっかり今日の少年のように荒川に落ちぬよう注意しなければならない。