藤沢駅前の交番で聞く。「ユギョウデラはどう行けばいいのですか?」
「ユギョウデラ?」「はい」「さてね……あ!」「はい?」
「もしかしてユギョウジ?」「恥ずかしい。名前、間違えていました」
23日、雨の中、時宗総本山の遊行寺に行く。
この日でなければならなかった。
駅から歩いて10分ほど。
橋を渡れば遊行寺なのだが、急に雨の勢いが強まる。集中豪雨のようだ。
偶然に過ぎないのだけれど、一遍への思い入れが強いから、おかしなことを考えてしまう。

400円を支払い宝物館へ入る。
まず目に入るのは、この寺で発見されたという空也上人立像である。
一遍のもっとも敬慕していたのが空也だからなのだろう。
京都の六波羅蜜寺にあるのよりもだいぶ小さい。
付属していた解説に、藤沢の空也上人立像の特徴が書かれている。
京都の空也上人が若々しいのに対して、こちらのはもっと老いてからのものらしい。
このため疲労しているが、そのぶん確固たる信仰が目にあらわれているということだ。

山田太一さんの最新小説「空也上人がいた」を読んで、
立像を見たくなったかたもいるのではありませんか?
わざわざ京都に行かなくても、神奈川県藤沢でお手軽に見ることができますよ。
(ただし開館日に要注意!)
で、どうだったのか?
上から見たり下から見たりいろいろしたのだが、感動にむせぶということはなかった。
「ふうん」としか思えなかった。
「それは人生経験が足らないからだ」「人間として出来ていないからだ」
こういうことを言わないのが、山田太一さんやそのファンのいいところである。

ほかの展示物も見てまわる。ここ数日、一遍のことばかり考えていたから感慨深い。
こんな贅沢な体験をしていいのだろうかと思う。
しかし、ふと迷う。
展示物は豪華なガラスケースの中に入っているからありがたいと思うのではないか。
上野の不忍池でやっている骨董市にたまに出くわすことがある。
もしこれらのお偉い展示品がガラクタといっしょに並べられていたらどうか?
たぶん見向きもしないだろう。
千円程度の値札が貼られていても、まず買わないだろう。
人間などこんなものなのである。
いまの新興宗教の教祖はバカにするくせに、鎌倉時代の開祖は偉いと思ってしまう。
つまり、自分の目で見るということがない。

3時から本堂で行なわれる法話に参加してみる。
お坊さんの法話を聞くのは、生まれて初めてである。
遊行寺ではなくほかのお寺のご住職による法話「仏に成る実践徳目~六波羅蜜」。
批判しているわけでも責めているわけでもなく、伝統仏教の限界を感じた。
わかりやすい六波羅蜜(成仏マニュアル)の解説だったと思います。
悪いのは先生ではなく、伝統仏教の仕組みなのでしょう。
寝言のようにしか思えなくて、あくびを隠すのに困った。
大昔に法蔵菩薩がウンタラと本で読んでも辛いのに、いざなまの声で聞くと……。
寝言ですか? としか思えませんでした。ごめんなさい。
六波羅蜜の教えだから、助け合おう、努力しよう、我慢しよう、と言われても。
いまの伝統(=二世三世四世五世……)仏教には苦しむ人を救うちからはない。
やはり新興宗教のある面、暴力的かつ狂騒的な熱情に苦悩者は惹かれるのだろう。
そして、かつての一遍上人はまさしくカルト的教祖であった。

法話で質問タイムがあったら聞きたかったこと。
「法然と空也、南無阿弥陀仏を始めたのはどっち?」
「もしかして一遍は法然を嫌っていたんじゃね?」
「一遍の、『信=人+言葉だから、まかすとよむ』ってどういう意味?」
「一遍は自殺OKと言っていませんか?」
まあ、よしんば質問タイムがあっても聞けなかったことだろう。
聴衆は(おそらく)近所の老人が数十人。
この平和でぬくぬくした空気を壊すことができる狼藉者はいないと思われる。

4時からは目当ての踊り念仏。
雨にもかかわらずわざわざ来たのは、春季開山忌だからである。
この日だけ本家本元の踊り念仏を実際に見ることができる。
踊り念仏は、そろいの着物を召された比較的高齢の女性が行なう。
中心に太鼓がある。ふたりの女性がその太鼓を叩く。
ほかのメンバーは独特のふしで歌いながら、太鼓のまわりを順繰りする。
まさしく盆踊りの起源である。
「ナームーアーミーダー」と始まったとき、涙が込み上げてきた。
古いのはよろしい。昔から続いているのはいい。

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踊り念仏の奉納が終わると、御年92歳になるという遊行寺ご住職の短い説法。
踊り念仏に感動したあとだからそう感じたのかもしれないが、気合が違った。
92歳にもかかわらず意気がよかった。底抜けに明るいのがすばらしかった。
言っては悪いが、話すことはありきたりなのである。
「辛いという字に一本加えれば幸せになるが、この一本をどうするか?」
文字にしたらだれでもできる話だけれど、この老人の口から聞くとまるで違った。
あるいは一遍上人もそのような明るさがあったのかもしれない。
ボケているのかもしれない、とまで思える無鉄砲がよかった。
きっと当初の予定では3分程度の説法だったのだろう。
92歳は楽しくてしようがないというふうで、いつまでも話すのをやめようとしない。
弟子がとめようとするのに、振り払うように元気に話すのがよかった。
最後は無理やりやめさせられたのだが、聴衆のあいだから笑いのもれるのがよかった。
わたしも笑った。楽しいおじいさんだと思った。
クライマックスは御賦算(ごふさん=お札配り)である。
まさかこれを体験できるとは思っていなかった。
若い学僧たちが「ナムアミダ~」と称名する中、
大勢(ではないか……)のひとりとして92歳さまから小さなお札をいただく。
「南無阿弥陀仏 決定往生 六十万人」と書かれている。

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一遍上人! お札、もらっちゃいましたよ♪
もしかしたら、これからわたしも時宗(じしゅう)を名乗ってもいいんですか?
本当に本当にいいんですか?
このたびの会に参加してわかったのは、時宗はいまや消えつつあること。
そのうち新たなメンバーを集めて時宗真会、時宗正会などを発足させて(笑)、
本家のほうをインチキだと攻撃するようになるかもしれませんぜ!
……すいません。悪い冗談でした。

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表に出ると雨足は弱まっていた。
一遍上人がいてよかったと思った。踊りだしたくなった。踊ってもいいのだと思った。

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門を出たところで、なぜか振り返り一礼してしまった。チョー楽しかったからだろう。
だが、おれは一遍の生まれ変わりだ、とまでは思わなかったからご安心くださいませ♪

南無阿弥陀仏♪
「一遍聖絵」(聖戒/大橋俊雄:校注/岩波文庫)

→一遍上人没後役10年後に完成したもので資料的価値が高いとされる。
すなわち、伝説化・神格化されていない。編者は一遍の異母弟、聖戒である。
有名人の血縁者がおのれの価値を上げたいがために編集する本があるけれど、
乱暴にいってしまえば同系統のものではなかろうか。
だとしたらば、資料的価値が高いという一般的見解も眉唾になるのだが。
聖戒が蓮如のごとくにやり手だったらば、いまの時宗の不遇はないのかもしれない。
一遍や親鸞といった天才宗教家は一代かぎりのもので、
どちらも教団運営の意図はなかったようである。
人物的魅力ゆえに、どうしてか人が集まってきてしまうのだろう。
教団を拡大するのは決まって後世の血縁者なのがおもしろい。
建前としては偉人の教えを広めたい。
本音は(まさかあるまいとは思うが)これは商売になるとの発見……。
あるいは「先生」と尊ばれることへのあこがれがあるのかもしれない。

果たして弟子は一遍の教えを理解していたのだろうか。
親鸞は唯円という優秀な弟子を持ったことで後世の評価が高まった。
実のところ、教団に必要なのは開祖のみならず優れた弟子なのである。
オウム真理教は麻原彰晃のみでは運営できず、上祐史浩の存在が不可欠であった。
一遍に話を戻すが、ほとんどの弟子は教えを理解していなかったのかもしれない。
というのも、言葉は悪いけれど、一遍と踊り狂っているような連中だぜ。
おそらく、一遍の教えにではなく人格に引かれて付き従っていたのだと思う。

そう考えると「一遍聖絵」にある次のエピソードは興味深い。
あるとき一遍が武家屋敷に行ったら酒宴のさなかである。
上人はいつものように屋敷の主人に賦算(ふさん)する。
賦算とは「南無阿弥陀仏、決定往生六十万人」と記した札を配ること。
酔っ払った武士は乱暴に言い放つ。
「この坊主は日本一のインチキ野郎だな。どこが偉いもんか!」
すると、宴会の客のひとりが問う。「なら、どうして札をもらったのか?」
このときの回答を一遍は激賞するのである。

「健治二年、筑前国にてある武士の屋形におはしたりければ、
酒宴の最中にて侍りけるに、家主装束ことにひきつくろひ、
手あらひ口すゝぎて、おりむかひて念仏うけて、
又いふ事もなかりければ、聖は去給に、此俗のいふよう、
「此僧は日本一の狂惑のものかな、なむぞのたふと気色ぞ」、
といひければ、客人のありけるが、
「さてはなにとして念仏をばうけ給ふぞ」、と申せば、
「念仏には狂惑なきゆへなり」とぞいひける。
聖申されしは、「おほくの人にあひたりしかども、
これぞ誠に念仏信じたるとおぼえし。
余人は、皆人を信じて法を信ずる事なきに、
此俗は依法不依人(えほうふえにん)のことはりをしりて、
涅槃(ねはん)の禁戒に相叶(あいかな)へり。
ありがたかりし事なり」とて返々ほめ給き。
げによのつねの人にはかはりたりけるものにや」(P33)


武士はどうして札を受け取ったか。
「念仏はインチキ(狂惑)ではないから」である。
一遍上人はこの武士を褒めそやしたのはどうしてか。
おそらく上人の周囲の弟子たちはみな一遍という人間を信じていたからだろう。
そうではないんだよ。南無阿弥陀仏という六字の名号がすべてなんだ。
人に依るな。法に依れ。依法不依人を知れ。
しかし、幾人の信者が一遍の真意を理解したことだろうか。
やはり一遍の言葉ではなく、
いままでまみえたことのない圧倒的な人間存在としての輝きに参ったのではないか。
さてまあ、初対面の武士から「此僧は日本一の狂惑のものかな」
といわれる一遍という男はいったいどのような人物だったのだろう。
悪口ではないが、カルト教団の教祖めいた胡散臭さを身にまとっていたように思う。
本物の大人(たいじん)は、どことなくインチキ臭いものなのではないか。
遠藤周作しかり、河合隼雄しかり、池田大作しかり。

鎌倉時代、一遍は疑いもなく新興宗教の教祖だったわけである。
いまでいえば幸福の科学の大川隆法みたいな存在だったことを忘れてはならない。
かなり不穏で危うい人物だと当時の権力者が思ったのは間違いないだろう。
歴史の淘汰を受けているから、一遍は偉人になっているだけの話で、
存命時は「それ踊れ! もっと踊れ! 踊れ踊れ!」
と声高にアジテーションをする危険人物だったのかもしれない。
町中にこんな集団が現われたら怖いでしょう?
これが一遍という男のやったことなのである。
おなじ浄土教でも寺院に座していた法然や親鸞と根本的な相違があるような気がする。

では、一遍の踊り念仏の根拠はどこにあるのか。
1.空也上人が行なっていたという言い伝え。
2.無量寿経の一節。
3.善導の著作「往生礼賛」。
以上3つから(=3つを「正しい」と思い)一遍は独自の踊り念仏を編み出した。
順々に本書から引いてみる。

1.「抑(そもそも)をどり念仏は、空也上人
或は市屋、或は四条の辻にて始行し給けり」(P41)

2.「曾(かつ)て更に世尊を見たてまつるもの、即ち能くこの事を信ず。
謙敬し聞きて奉行し、踊躍して大いに歓喜す」(P44)

3.「行者心を傾け常に対目す。
神(たましい)を騰(おどら)せ踊躍して西方に入る」(P44)


1~3を根拠として一遍の始めた踊り念仏はいかなるものだったのか。
まず無量寿経と善導の文を引用する。それから――。

「文の意は、身を穢国にすてゝ心を浄域にすまし、
偏(ひとえ)に本願をあふぎ、専(もっぱら)名号をとなふれば、
心王の如来自然に正覚の台に坐し、己身の聖衆踊躍して法界にあそぶ。
これしかしながらみづからの行業をからず、
唯他力難思の利益、常没得度の法則なり。
然(しかれ)ば行者の信心を踊躍のかたちに示し、
報仏の聴許を金ケイ(=楽器)の響にあらはして、
長眠の衆生を驚(おどろか)し、群迷の結縁をすゝむ。
是以童子の竹馬をはする、是をまなびて処々にをどり、寡婦の蕉衣をうつ、
これになずらへて声々に唱」(P44)


名号(南無阿弥陀仏)→踊躍

おそらく一遍は無量寿経と善導「往生礼賛」に同一単語「踊躍」があることを発見して、
踊り念仏なるパフォーマンスを発明したのだろう。
法然が「往生要集」、善導、浄土三部経から南無阿弥陀仏を発明したのと、
こと「おはなし」の創作に関してはおなじといえよう。
人は複数の「おはなし」を頼りにして新しい「おはなし」を発明する。
蒙古襲来の不安に脅えていた民衆は一遍の「おはなし」に飛びついたことだろう。
いや、一遍の教えは「おはなし」だけではなかった。
耳だけではなく手や足も必要とする「をどり」でもあった。
当時のインテリは踊る民衆に怖れに近い感情を抱いたのではなかろうか。
あるいは、そんな単純に救われてしまう底辺階層に憧憬を抱いたのか。
踊り念仏は断じてインテリのものではない。
貴族が庶民と一緒になって踊るはずがないことを考えたらわかるだろう。

さてさて、「一遍聖絵」は興味深い極楽往生の例が挙げられている。
これは一遍の爆弾発言「とく死なんこそ本意なれ」に通じているのだろう。
近松門左衛門の世話浄瑠璃を読めばわかるが、
南無阿弥陀仏は殺人も自殺(心中)も許容するような懐の広さがある。
念仏しながら殺人も自殺もできてしまうようなところがあるのだ。
念仏殺人をなかば肯定してしまったのが親鸞である。
果たして念仏自殺は許されるのだろうか。
聖(ひじり)=一遍上人はなんと口にしているか注意してお読みください。

「武蔵国にあぢさかの入道と申もの、遁世して時宗にいるべきよし申けれども、
ゆるされなかりければ、往生の用心よくよくたづねうけ給て、
蒲原にてまちたてまつらんとていでけるが、
富士河のはたにたちより、馬にさしたる縄をときて腰につけて、
「なんぢらつゐに引接の讃をいだすべし」といひければ、
下人「こはいかなる事ぞ」と申に、
「南無阿弥陀仏と申てしねば、如来の来迎し給と聖の仰られつれば、
極楽へとくしてまいるべし。なごりを惜む事なかれ」
とて十念となへて水にいりぬ。
すなはち紫雲たなびき音楽にしにきこへけり。
しばらくありて縄をひきあげたりければ、
合掌すこしもみだれずしてめでたかりけりとなん」(P62)


一遍上人はなんといっているか――。
「南無阿弥陀仏と申てしねば、如来の来迎し給」である。
南無阿弥陀仏と申して死ねば、ありがたくも如来が来迎してくださる!
自殺をここまで推奨する教えを、まさか仏教で見るとは思わなかった。
親鸞の「殺人OK」も衝撃的だが、一遍の「自殺OK」も相当なものではないか。
親鸞の場合さすがに殺人を推奨してはいないが、一遍ときたら!
一遍というのは、恐ろしい宗教家だったのではないだろうか。
ものすごい人間的魅力を持っていたはずである。
人生に深く傷ついた下層民を一遍上人はどれほど救ったことだろうか。
残念ながら弟子や子孫に恵まれず時宗は浄土真宗ほど後世開花しなかったが、
一遍は親鸞にも劣らぬ巨大な狂気を心中に持っていたのだと思われる。
もとより遊行での布教をもっぱら行なった一遍である。
住むところとてない捨て聖(ひじり)だ。
まったく教団結成の意図はなかっただろうから、
むしろ現在も時宗が残存していることを知ったら一遍は驚くのかもしれない。
そのうえいまの時宗が「長寿」を推奨していると知ったらどんな顔をするか。

そうそう、創価学会員さんへのメッセージを残しておこう。
「本の山」は宮本輝ファンが多く訪問してくださるので、お気を悪くなされてはいけない。
一遍は日蓮とほぼ同時代を生きているのである。
日本各地あらゆるところを旅して布教した一遍である。
おそらく、日蓮の弟子にからまれたこともあったのではないか。
一遍の弟子が日蓮信者に喧嘩を吹っかけられたのかもしれない。
法華経を最上の教えと信じるのが日蓮一派である(南無妙法蓮華経!)。
いったい名号と法華(の題目)はどのような関係にあるのか。
この問いに一遍はこう答えている。

「法華と名号とは一体なり。法華は色法、名号は心法なり。
色心不二なれば法華即(すなわち)名号なり。故に観経には、
「もし念仏せむ者は、これ人中の分陀利華(ふんだりけ)なり」と説り。
分陀利華とは蓮華なり。
されば法華をば薩達磨分陀利華経と名付たりといへり、
名号と分陀利華は一なり」(「一遍上人語録」P176)


法華=名号!

最後のところはごまかしに近いのだが、まあ、わかりにくいよな。
文庫下段の解説によると、サンスクリット語と漢字における
音写と意訳を問題にしているらしい。
「薩達磨分陀利華経=法華経」だから「名号=題目」という理屈だ。
「音写→意訳」=「薩→妙、達磨→法、分陀利華→蓮華」だから、
観無量寿経で「念仏者=分陀利華」と書かれている以上は、
念仏者と法華経信者をイコールにしてもいいのではないかという論法である。
まあ、日蓮サイドからしたら観無量寿経など認めないのだろうから、
これは浄土教信者のみが使える詭弁なのだろう。
しかし、法華経が観無量寿経より勝れているという証拠はどこにもない。
法華経の「オレ最強宣言」はあくまでも自称だから信憑性に欠ける。
科学的なことをいったら、観無量寿経も法華経も大乗仏典だから釈迦の真説ではない。
目くそ鼻くその世界なのである。

とはいえ、一遍のいう「名号=題目」はあんがい良いところを突いてはいないか?
仏教とは縁のない人間からしたら、
南無阿弥陀仏も南無妙法蓮華経もおなじように抹香臭いだけでしょう。
わたし自身の感覚としても、名号と題目は似たようなものである。
基本的に、人間を超える大きなちからを認めようということでしょう。
ならば、南無阿弥陀仏でも南無妙法蓮華経でも大した相違はないのではありませんか?
どうして日蓮サイドが、ああも名号の悪口をいうのかわからない。
やはり後発商品(法然→日蓮)というやましさがあるのだろうか。
ともあれ、一遍の「名号=題目」発言はおもしろいと思う。
ひそかに思っていたことを、ピシャリと指摘された気がする。

一遍に寄り添っていた信者はどのような人たちだったのか。
全国遊行で疲労困憊の一遍は50を超えたころおのれの死期が近いのを悟る。
そのことをともに旅する弟子にも口にしている。
もういつまで一遍さんと一緒にいられるかわからない。
このときの弟子たちのさみしげな様子は胸打たれる。
どれほど「をのをの」一遍上人を慕っていたことだろう。
一行は明石浦にいた。淡路島の対岸にある港である。

「をのをの州蘆の夜雨に涙をあらそひ、
岸柳の秋風に情をもよをさずといふことなし。
漁翁釣をたれて、生死の海に身をくるしめ、
遊女棹をうつして、痴愛の浪にわかれをしたふさまゝでも、
生者必衰のことわりをしめし、
会者定離(えじゃじょうり)のならひをぞあらはし侍りける」(P128)


うまく謳いあげているな~と感動する。
孤独な漁翁や遊女が一遍に付き従っていたのだろう。
昼間は無心に踊躍していたのかもしれないが、夜半のこのさみしさはどうだろう。
一遍が没したのち7人の弟子があとを追って海に身投げしたという。
亡くなる20日ほどまえ一遍上人はこのように仰せになっていた。
8月2日のことだった。

「我臨終の後、身をなぐるものあるべし、
安心定まりなばなにとあらむも相違あるべからずといへども、
我執つきずしてはしかるべからざる事なり。
うけがたき仏道の人身むなしくすてむこと、あさましきことなり」(P129)


現代語訳はついていないから、自分で意味を推し測るしかない。
「――私が死んだのち、自殺するものがいるだろう。
すでに完全な信仰のあるものならばなにをしてもいいのだが、
そうではなくまだ現世に欲があるものは、そういうわけにはいかない。
せっかく人間として生まれてきたのだから軽々しく命を捨ててはならない」
このくらいで正しいのだろうか?
さて、一遍のあとを追って自殺した7人はどうだったのだろう?
「安心定ま」るものたちだったのか、「我執つき」ぬものたちだったのか。
「一遍聖絵」に答えは書かれていない。

「さても、八月二日の遺誡のごとく、時宗ならびに結縁衆の中に、
まへの海に身をなぐるもの七人なり。
身をすてゝ知識をしたふ心ざし、半座の契、同生の縁、
あにむなしからむや」(P141)


「一遍上人語録 付・播州法語集」(大橋俊雄:校注/岩波文庫)品切れ

→一遍は鎌倉時代の仏僧で、マイナー教団・時宗の開祖とされている。
南無阿弥陀仏の系譜でいえば、法然、親鸞、その次にくるのが一遍である。
いちおう法然の孫弟子(聖達)のもとで長く修行しているから、
浄土教としてくくってもいいのだろうが、なぜか時宗なのである。
ちなみに、この語録においても百年近く先輩の法然についての言及はなし。
むろん、田舎のクソ坊主に過ぎなかった親鸞にも触れていない。
おそらく、存在さえ知らなかったのではないか。
唯一、同胞の僧で記述どころか敬慕までしているのは空也である。
南無阿弥陀仏の理論は、もっぱら浄土三部経(インド)と善導(シナ)によっている。
これは法然の編み出した理論をそのまま継承していると思ってよい。
ただし法然が評価した「往生要集」の源信ではなく、
彼とほぼ同時代を生きた空也の生き方に強い影響を受けている。
このため踊り念仏などというものを一遍はおっぱじめてしまったのである。
念仏のありがたさに親鸞は随喜の涙を流したが、一遍まで到達すると「をどれ」――。

「ともはねよかくてもをどれ心ごま弥陀の御法(みのり)と聞くぞうれしき」(P53)

実際に踊り念仏なるものを見てみようとユーチューブで検索してみたらヤバイのである。
踊り念仏自体は歴史を感じさせそれなりの情緒があって悪くないのだが、
笑うしかなかったのは関連検索でオウム真理教の「尊師マーチ」がヒットすることだ。
麻原彰晃を讃えるために信者たちが実に嬉しそうに踊っている(苦笑)。
その瞬間、「ああ、一遍はヤバイやつなのだな」と直感した。
にもかかわらず、ではなく、だから一遍は多くの人を救ったのではないかと思う。

いったい南無阿弥陀仏を最初に発見したものはだれだったのだろう?
当たり前のように法然だと思っていたが、
そのだいぶまえに空也が念仏布教をしているという話もあるからわからない。
人によっては南無妙法蓮華経のほうがいいのかもしれないけれど、
南無阿弥陀仏もまたとてつもない「おはなし」=思想だと感嘆する。
人間の生死にかかわる取り返しのつかない不幸をも癒すことができるのだから。
基本構造を確認したい。念仏を唱えたら極楽浄土に往生できる。
どうしてかというと阿弥陀仏には、巨大なちからがあるからである。
だから阿弥陀仏さまに南無(お任せ)しよう。
根拠は古い経典や高僧の解釈。これが念仏の基本システムである。
科学万能の現代にこんな「おはなし」は信じられないというかもしれない。
しかし、死後の世界のことは現代科学では説明しようがないのである。
究極的には南無阿弥陀仏の真偽を科学が判断することはできない。
要は、この「おはなし」を信じるか信じないかになる。
うまく信じられたら、まさにミラクルが起こるのではないだろうか。
南無阿弥陀仏は死の思想なのである。
死から強烈な光線を生に浴びせたら、この苦に満ちた娑婆世界の様相ががらりと変わる。
このからくりを知ったら何万人の鬱病患者が陽気に踊り出すことか!

それぞれの南無阿弥陀仏があってよい。
このたびは一遍の「おはなし」=南無阿弥陀仏を見ていきたい。
何度も「一遍上人語録」を精読したが、かなり質のよい「おはなし」だと思う。
親鸞も大好きだが、かの高僧の利権はいま五木寛之さんに独占されている。
日蓮利権は宮本輝さんのものでしょう。
今年に入って山田太一さんがさっそうと空也の利権をさらっていってしまった。
まだあまり手垢のついていない一遍あたりにツバをつけておくのも悪くない。
仏教は「おはなし」である。好きな「おはなし」を選べばいいのではないか。
なるべくオリジナルの仏典に触れることが肝要である。
なぜならいろいろ自分で解釈できる=「おはなし」を創れるからである。
法然や親鸞も言ってしまえば、それぞれの「おはなし」を創ったのだ。
仏教学者の「正しい」解説は味気ない。
仏教系の有名作家の創る「おはなし」もいいけれど、次第に物足らなくならないか。
自分で「おはなし」を創るのがいちばん楽しいのではないかと思う。
そのとき岩波文庫の仏教書は、ほどよく意味不明で役立つことだろう。

さて、この現実はどういうものだと一遍はいうのだろうか。
鎌倉時代も平成の現代も、人が生きているということはおなじなのかもしれない。
目に見えるものがある(色界)。
人間は欲望する(欲界)。
目に見えないものもまたある(無色界)。
この三界(さんがい)に生きていることは古今、一遍も我われも変わらない。

「又云、三界は有為無常の境なるゆゑに、一切不定なり、幻化なり。
此界の中に常住ならむと思ひ、心安からむと思ふは、
たとへば漫々たる浪の上に、船を揺るがさでおかんとおもへるがごとし。
何としてか常住ならむ、何としてか心のごとくならん」(P147)


人生行路の半ばに達して、ひとつだけ腹の底まで理解したことがある。
人生は本当にまったく残酷無残にも思うようにならないということである。
ああ、一遍さんよ、人生「何としてか心のごとくならん」だよな~。
いい歳をしたオッサンが繰り返すのは大人気ないが、人生は思うようにならない!
考えてみたら、思うようになったことなど一度もないのだから。
しかし、それは鎌倉時代から変わらぬ世間の実相なのである。
どれほど多くの人間が思うようにならない人生に嘆き深く傷ついてきたことか。
なにがいけないのか。一遍は「思い」=「心」がいけないのだという。
思わなければいいのである。心などなければ思うようにならないことに苦しまない。
一遍は心の取り扱いを重んじる。

「有心は生死(しょうじ)の道、無心は涅槃(ねはん)の城なり。
生死をはなるゝといふは、心をはなるゝをいふなり」(P106)


心のみならず、わが身もまた頼りないもの。
決定しているのは名号=南無阿弥陀仏だけなのである。

「又云、決定といふは名号なり。わが身わがこゝろは不定なり。
身は無常遷流の形なれば、念々に生滅す。
心は妄心なれば虚妄なり。たのむべからず」(P88)


しかし、どれだけ言い聞かせてもわが身わが心から離れるのは難しい。
だから、一遍でいいのに何遍も繰り返すのだろう。
決定=名号(南無阿弥陀仏)。
わが身=無常。
わが心=虚妄。

「唯(ただ)南無阿弥陀仏の六字の外に、わが身心なく、
一切衆生にあまねくして、名号これ一遍なり」(P38)

「すべて思量をとどめつゝ 仰(あおい)で仏に身をまかせ
出入(いでいる)息をかぎりにて 南無阿弥陀仏と申べし」(P21)


一遍をとりこにした南無阿弥陀仏の正体を見ていく。

「他力称名に帰しぬれば、驕慢なし、卑下なし。
其故は、身心を放下して無我無人の法に帰しぬれば、自他彼我の人我なし。
田夫野人・尼入道・愚痴・無智までも平等に往生する法なれば、
他力の行といふなり」(P86)


自力の行者は、競争社会の成果主義のようなもので不平等である。
いっぽう南無阿弥陀仏は他力救済だから人々を平等に扱う。
死ぬのはだれもが平等といっているのとおなじだろう。

「中路の白道は南無阿弥陀仏なり。
水火の二河はわがこゝろなり。二河にをかされぬは名号なり」(P164)


二河白道(にがびゃくどう)はシナ僧・善導の言葉。
水の河(瞋恚)と火の河(貪欲)の中間に悟りの道=白道があるという。
この白道こそ南無阿弥陀仏である。

「又云、善悪の二道は機の品なり。顛倒虚仮の法なり。
名号は善悪の二機を摂する真実の法なり。
皆人善悪にとどまりて、真実南無阿弥陀仏を決定往生と信ずる人まれなり」(P171)


南無阿弥陀仏(他力)は、人間(自力)の考える善悪など超越しているということだ。
一遍によると、その悪が本当に悪か、その善が完全な善かは、人間にはわからない。
人間は善悪に迷いながら苦楽を生きる。

「又云、楽に体なし、苦の息(そく)するを楽といひ、
苦に体なし、楽のやむのを苦と云なり。
故に苦楽のやみたる所を無為と称す。無為といふは名号なり」(P187)


無為は老荘の言葉でしょう。無為まで南無阿弥陀仏になってしまうとは!
一遍の豊かな「おはなし」創作はどうだろう!
ここらでいままで挙がった南無阿弥陀仏をまとめてみたい。

1.南無阿弥陀仏⇔生死
2.南無阿弥陀仏=他力=平等
3.南無阿弥陀仏=二河白道
4.南無阿弥陀仏>善悪
5.南無阿弥陀仏=無為≠苦楽


いきなり「踊ろうぜ!」とかいうぶっ飛んだオッサンはどうしてそうなったのか。
やはりあれな人にはあれなあれがあるわけである。
一遍は熊野本宮大社に行ったとき、夢にあれが出てきて諭された、
あれを見ちゃう人と、いくら勉強しても見(ら)れない人にわかれる。
狂人と常人の二種類に人間は区分される。以下引用文で法師=一遍。

「熊野権現、「信不信をいはず、有罪無罪を論ぜず、
南無阿弥陀仏が往生するぞ」と示現(じげん)し給ひし時、
自力我執を打払ふて法師は領解(りょうげ)したりと云云」(P180)


夢にインスピレーションを求める天才は多い。
昨日今日明日という日常の連鎖を断ち切るものがあるとすれば、それは夢である。
一遍の信仰は夢によっているところが大きいのではないか。
ある晩、おかしな夢を見る。
夢から覚めたと思っていたら、そう思っているのもまた夢だったのである。
我われもこの程度の夢ならよく見るだろうが、一遍ほどの飛躍はできない。

「又云、夢と現(うつつ)とを夢に見たり。
<弘安十一年正月廿一日夜の御夢なり>
種々に変化して遊行するぞと思ひたるは、夢にて有けり。
覚(さめ)て見れば、少しもこの道場をばはたらかず、
不動なるは本分なりと思ひたれば、これも又夢也けり。
此事、夢も現も共に夢なり。
当世の人の悟(さとり)ありと、ののしりわめくはこの分なり。
まさしく生死の夢覚ざれば、此悟は夢なるべし。
実(まこと)に生死の夢をさまさんずる事は、
ただ南無阿弥陀仏なり」(P126)


親鸞の持つ犯罪者めいた狂気を一遍もまた有していたような気がする。
麻原彰晃ではないけれど、宗教を始めてしまうような人はおかしいのである。
開祖はみなみな狂っている。クルクルパーかもしれない。
にもかかわらず、ではなく、だから信者は救われるのである。
法然だけ少しましで、日蓮も道元もぶっちゃけ頭がおかしい人のわけでしょう。
一遍もいま生きていたら間違いなくカルト教団を始めちゃうタイプだと思う。
だから、おもしろいともいいうる。
ちなみに、いまでも時宗は細々と続いている。
藤沢に時宗総本山の遊行寺というのがあるらしいから今度行くつもりである。
そこのホームページを見ていたら教義にこんなことが書かれている。

「南無阿弥陀仏」とお唱えする、只今のお念仏が一番大事なことです。
家業に努め、励み、睦み合って只今の一瞬が充たされるなら、人の世は正しく生かされて、
明るさを増し、皆倶に健やかに長寿を保つことになります。
浄土への道は、そこに開かれるとする教えです。

「遊行寺ホームページ」
http://www.jishu.or.jp/



決して批判しているわけではないが、開祖の教えとは違うのね。
繰り返すが伝統宗教とはそういうものだから、難癖をつけているわけではない。
しかし、一遍その人はメチャクチャ非常識な坊主だったのだと思う。
家業繁栄の幸福なんて魔だと言い切っている箇所がある。
いまこれをいえる宗教家はなかなかいないのではないか。
一遍が狂人たるゆえんである。

「又云、魔に付(つき)て順魔・逆魔のふたつあり。
行者の心に順じて魔となるあり、行者の違乱となりて魔となるあり。
ふたつの中には順魔がなほ大事の魔なり。妻子等是なり」(P92)


魔は障りとなるもの。
逆魔(病患災難等)よりも順魔(妻子眷属等)のほうが往生の障害になる!
たしかにかわいい妻子がいたら、なかなか死にきれない。
こういう逆転の発想は本当におもしろいのね。
孤独な失敗者は、あまり死ぬのが怖くないでしょう。
重い病気になんてかかっていたら、かえって死が幸いと思えるくらいだろう。
ところが、家族に恵まれた富者は死ぬのがやたら恐ろしいと思うな。
このように死から見てしまうと現世の価値観がぐらぐら揺らぐでしょう。
南無阿弥陀仏の思想である。

さらに一遍は恐ろしいことをいっている。
一遍の発言でもっともシビれたところだ。
「歎異抄」で殺人教唆をしたのは親鸞だが、「をどれ」の一遍は――。

「又云、およそ一念無上の名号にあひぬる上は、
明日までも生(いき)て要事なし。
すなはちとく死なんこそ本意(ほい)なれ。
然るに、娑婆世界に生て居て、念仏をばおほく申さん、
死の事には死なじと思ふ故に、多念の念仏者も臨終し損ずるなり。
仏法には、身命を捨(すて)ずして証利を得る事なし。
仏法にあたひなし。身命を捨(すつ)るが是あたひなり。
是を帰命と云(いう)なり」(P114)


これってほとんど自殺のすすめみたいなもんでしょう?
明日まで生きているこたあない! そう放言しているわけだから。

「とく死なんこそ本意なれ」

これは親鸞でも口にできなかったことである。
「歎異抄」の会話であったでしょう。
弟子「どうして浄土へ行きたくならないのでしょう?」
親鸞「わしもそうじゃよ」
だから、この部分だけ取り上げるのなら、
一遍は親鸞よりも深い浄土信仰を持っていたといえよう。
このレベルまで達してしまったら世界が激変するのではないか?
お子さんを交通事故で亡くした親御さん。さぞ苦しいでしょうね。
しかし、死後のことはわからない。
お浄土は娑婆など比べものにならないくらい楽しいところかもしれない。
少なくとも浄土教ではそう教えている。
ならば、遺族は亡児を思い悲嘆する必要はなくなるわけである。
なぜなら、先にすばらしいお浄土へ行くことができたのだから。
浄土信仰が一遍のように強まると、死刑がおかしな制度になってしまう。
死後の世界が楽しいのなら、罪人は娑婆世界で苦しませなきゃダメでしょう。
死刑であっさり娑婆にオサラバさせちゃいけないってことになる。
うーん、この論理についてこれる人はいらっしゃいますか?
一遍さんがかなりヤバイことはご理解いただけたと思う。

いったいこの坊主はどんな人物だったのだろう。
孤独な人だったのではないかと思う。

「又、常の仰に云、「いきながら死して静に来迎を待(まつ)べし」と云云。
万事にいろはず、一切を捨離して、孤独独一なるを、死といふなり。
所以(このゆえ)に生ぜしも独(ひとり)なり、死するも独なり。
然れば住するも独なり、添ひはつべき人なき故なり」(P188)

「おのづから相あふ時もわかれてもひとりはいつもひとりなりけり」(P59)


しかし、一遍には信仰があった。ひとりではなかった。

「となふれば仏もわれもなかりけり南無阿弥陀仏なむあみだ仏」(P66)

恒河(ごうが)=インドのガンジス河。

「又云、少分の水を土器(かわらけ)に入(いれ)たらば、
則(すなわち)かわくべし。
恒河に入(いり)くはへたらば、一味和合して、ひる事有(ある)べからず。
左(さ)のごとく、命濁中夭の無常の命を、
不生不滅の無量寿に帰入しぬれば、生死ある事なし」(P129)


「又云、信(しん)とは、まかすとよむなり。
人の言(ことば)と書(かけ)り。
人たるものゝ言は、まことなるべきなり。
我等は即(すなわち)法にまかすべきなり。
然(しかれ)ば衣食住の三を我と求る事なかれ、天運にまかすべきなり。
空也上人の曰(いわく)、「三業を天運に任せ、四儀を菩提に譲る」と云云。
是(これ)他力に帰したる色なり。
古湛禅師は、「労(わずら)はしく転破することなかれ、
只(ただ)天然に任す」といへり」(P196)


「信=人+言=まかす」

結局のところ、信仰とは人の言葉に賭けることなのだろう。
いや、人の言葉にまかす。南無阿弥陀仏に帰命する。あとは踊っていればいい。

※どうでもいいでしょうが、後日再読しました↓
http://yondance.blog25.fc2.com/blog-entry-3321.html

*基本的にネタバレはなし。未読者も安心してお読みください。

「空也上人がいた」(山田太一/朝日新聞出版)

→御年76歳になる山田太一の最新小説を読む。
人が死ぬというのは、いったいどういうことだろう?
山田太一は宗教家ではないから、この問いに答えを出そうとはしない。
だが、老人が死ぬとは? 老人が死ぬとはどういうことだろう?
作家はこの小説で問いへの答えをにおわせている。
老人が死ぬとは、秘密(オフレコ)が消えてしまうということなのだろう。
意外と気づかない人も多いのだろうが、山田太一は芸能人でもあるのである。
いや、正確には芸能人ではない。とはいえ、芸能界に近いところで生きてきた。
浮き沈みの激しい芸能界に大学卒業後からずっと関わって生きてきたのである。
自己中心的で自己顕示欲の強い俳優と長年にわたって仕事をしてきた。
(むろん、そういうエゴが俳優を名優にすることを脚本家は知っている)

いろいろなトラブルがあったことだろう。
大企業たるテレビ局のエリート社員に、
気持を踏みつけにされるようなことも何度かあったのではないか。
これだけは許せないと思ったこともかならずやあったはずである。
しかし、業界で生きていくならば、自分を律していくしかない。
ある時期からは、タレントのキャスティング権まで有する大御所脚本家になった。
脚本家の自宅には贈答品がひっきりなしに送られてきたという。
だれかを主役に抜擢するということは、
べつのだれかの気持をないがしろにするということだ。
思いがけないところで他者から真剣な恨み節を
不意打ちのようにぶつけられたこともあったのではないか。
自責の念にかられたこともあったのかと思われる。
むろん、そんな感情は偽善に過ぎないことも知らないわけではないが、
成功者(権力者)ならではの、どうしようもない自責の念に苦しみもしたのではないか。

山田太一が芸能界のオフレコを暴露したらとんでもないことになるだろう。
たとえば、「ふそろいの林檎たち」の裏側だけでも世間は騒然とするはずである。
石原真理子の暴露本で、林檎たちのドロドロの一部は世に知られたが、
現実はあんなものではないのかもしれない。
もっと凄いのかもしれない。もっともっと凄まじいのかもしれない。
相手が生きているうちは言えないことも没したあとなら言うことができる。
ある人格者として知られる東大名誉教授は論敵の批判を大人ぶってずっと無視してきたが、
相手が死んだとたん子どものような悪口を著書に書きつけている。
山田太一だって腹の底にはいくらだって言いたいことがあるのだろう。
それは悪口ばかりでもないのかもしれない。
成功した大作家の味わっているのは、さみしさなのだろう。
かつての仲間=仕事の関係者が死ぬことで、オフレコもスキャンダルも消えてしまう。
近いうちに自分も死ぬことは決まっている。
自分が沈黙したまま死んだら、なにもかもなかったことになってしまうではないか。
それでは、あんまりだ、と脚本家は眠れぬ夜に思う。
しかし、言うまい。オフレコは墓場まできちんと持っていこう。
秘密は守る。暴露はやらない。
その代わりに、ひとつのフィクションを読者のまえに差し出した。
本当のことを言う代わりにひとつの嘘を創造した。
それが「空也上人がいた」である。

人間の秘密をめぐる物語である。登場するのは3人。
妻も子もいないひとり暮らしの81歳の老人のお節介から物語は始まる。
老人は73歳のときに過去を処分したという。

「会社勤めのころの日記とかね、
この不正だけは書き残そうなんて思ったノートなんかも、
主要な関係者が死んだりボケたりでね、
今更そういう旧悪をあばいたって、誰が関心を持つかと焼き捨てた。
その後、会社自体が大手に吸収されてなくなってしまった。
妻も死んでしまった。青山の家も売った。一生の結論を見てしまった。
ほとんど今は死後の世界を生きている」(P23)


孤独な老人はだれにお節介を焼くのか。27歳の青年である。
彼は先月まで特別擁護老人ホームで働いていた。認知症の老人の世話をしていた。
ところが、ある事情で辞めてしまう。
老人は、その青年をいたわりたいと思った。

「なにより二十代の青年が老婆とはいえ異性の排泄物の始末と
尻と性器の汚れを拭きとるのが一日の大きな仕事で、その上
食べさせて風呂に入れて寝かせて、認知症ばかりで
気持の交流はほとんどないというのはすさまじいと思った。
本当に頭が下がる。もっとむくわれなければならない」(P44)


すべてのお節介はどのみち偽善であることを山田太一が知らないわけがない。
この老人のお節介の裏側には、
「八十にしては得難い感情上の体験」があるのだが、詳しくは本書をお読みください。
山田太一は「こんなことがあったらいいな」という夢を書く作家である。
76歳の小説家も余生で、そのような「得難い感情上の体験」をしたいのだろう。
むろん、そんなことはありはしない。いや、どうだろうか。
あるのではないか。あったらいいな。現実だけではやりきれない。
いつもの山田太一の創作作法である。

もうひとりの登場人物は47歳のケア・マネージャーの中年女性である。
3人の感情の行き違いが、巧みなセリフのやり取りを通して描かれる。
3人が3人とも、他人の言葉を額面通りには受け取らない。裏を読もうとする。
もっぱら作為を持って仕掛けるのは老人で、その真の意図を青年と女性が推理する。
人はそれぞれの立場でもって、まったくさまざまな思考をする。
他人と話していると「え、そんなことを考えていたの!?」と思うことがあるでしょう。
他人のことはわからない。え? と思う。
この驚きをいまなお新鮮な感情としてとらえることができる老作家の才能には恐れ入る。
そして、とてもおかしい。笑えるのである。人と人は違うからおかしい。

3人はそれぞれだれにも言えない秘密を持っている。
秘密は人間を強くする。「私」とはなにかといったら、最終的には秘密である。
だれにも言えない秘密が、その人を他人とは異なる唯一存在にしているのだ。
しかし同時に秘密は人間を孤独にする。
「空也上人がいた」のなかで3人はそれぞれの秘密を泣きながら告白する。
打ち明けられたほうは、その涙に一瞬当惑するが、決して裁いたりはしない。
秘密は人間を孤独にするが、ほかならぬ秘密で人と人がつながることもある。

「そうね。人にいえないことって、あれこれあるものね」と少し震えた。
「黙って。もう黙って」と私はいった」(P153)


この物語では、京都の六波羅蜜寺にある空也上人像が大きな役割を果たす。
老人と青年は空也上人の「おはなし」を共有することによって、
それぞれの自責の念を受容するにいたる。その「おはなし」とは――。

「空也さんはほら、醍醐天皇の第二皇子かなんかだろう。
そういうことはいっさい口にしなかったというが、
西光寺をひらいたというんだから並の出ではないだろう。
そういう人が仏教の組織なんかとは関係せずにね、貧しい衣で、
すりきれた草履はいて、死屍累々の鳥辺山を歩いて、
誰彼へだてなく葬(とむら)ったっていうんだ。悪人も善人もない。
善悪なんか突きぬけて、誰もが持ってる生きてるかなしさ、
死んじまうことの平等さ、そういうことを分ってる人って感じたんだなあ。
正面向いた仏像じゃなくて、一緒に歩いてくれる人っていう思いが湧いたんだ。
こういう人がいると助かるなあというくらいのことだ」(P82)


空也上人の「発見」は、まさしく山田太一の仕事である。
脚本家が好んでドラマで取り上げるのは陽の当たらない場所で生きている人間だ。
いまのテレビドラマが、陽の当たっている人間を描くのと対照的である。
空也上人でなければならなかったのである。
親鸞上人ではいけない。日蓮上人でもいけない。
おそらく大勢いる山田太一ファンがこれから六波羅蜜寺に押し寄せることだろう。
それは参拝といってもいいのかもしれない。
山田太一ファンはかならず空也上人像を見て深く感動するはずである。
しかし、それは実のところ、木彫の仏像に胸打たれているのではない。
山田太一の創った「おはなし」に酔っているのである。
本来なら、ひとりひとりが各々「おはなし」を創れたらいちばんいいのである。
けれども、多くの浅才無学な庶民にはそれができない(むろんわたしも含めて)。
かといって、消費を推奨するだけのドラマやCMには辟易している。
このため山田太一ドラマが、多数の視聴者に支持されたのだろう。
脚本家は「おはなし」(=物語)創りの天才なのである。

余談だが、わたしはべつに空也上人像を見にいきたいとは思わない。
たとえ見たとしても、「ふうん」くらいしか感じないだろう。
この態度を山田太一はとくに批判したりはしないと思う。
なぜなら、なにより醒めているのがこの作家なのだから。
ほかの作家が親鸞や日蓮に酩酊しているようには、山田太一は空也に酔っていない。
空也上人の「おはなし」を通じて孤独な老人と青年が一瞬だけ気持の交流を持つ。
しかし、それはほんの一瞬なのである。
そのうえたしかに心は通じあったけれども、お互いを全的に理解したわけではない。
以下に引用する場面が、この小説のなかでもっとも山田太一らしいと思った。

「しかし、二人で彫刻をほめていると、ほんとの彫刻はそっちのけで、
都合のいい話をしているような気持も湧いた。
すると、ほぼ同時に、吉崎さんもそんな気持になっていることを感じた。
二人とも、しばらく黙ったままでいた」(P125)


これが無宗教の人間の限界である。
しかし、信仰がない人間でも、ここまでなら交流できるという希望でもある。
作家・山田太一が描き続けてきた理想郷なのだろう。

この「空也上人がいた」の感想は、日を改めて3回読んだうえでのものである。
初読の際は、物語のうまさに引き込まれ、作者にいいように泣かされた。
伏線の張り方=語り口=嘘のつき方が絶妙にうまい!
読者の喜びを奪ってはならないと、ネタバレには細心の注意をしたつもりである。
先日、神保町の東京堂書店に行ったら売上が9位だとか。売れているのだろう。
富者をさらに富ませるのはなんだか悔しいが(笑)、おすすめします。
お暇がありましたら、どうか読んでみてください。

引き続き、高校卓球部での経験を書きたい。
弱いけれど、アドバイスが大好きな先輩がいたのである。
とにかく饒舌で、卓球の理論を語らせたら、まったく時間を気にしない。
練習熱心でもある。しかし、どうしようもなく弱いのである。男の先輩だ。

同期(同学年)に部内でいちばん強いNという男がいた。
小学校のころからの卓球エリートで、部内に彼に勝てるものはいなかった。
Nがその先輩と勝負するでしょう。勝負にならないわけである。
ほとんど1点も取れないで先輩は後輩に負けてしまう。
余談だが、この先輩の名前はどうしても思い出せない。
現役で京大の理系学部に入ったから、頭はよかったのだろう。
ただし、卓球は弱かった。

しかし、弱い先輩は強い後輩Nに延々とアドバイスをする。
Nは人間ができているから、ハイハイと聞いているふりをするのである。
もちろん、わたしもNには爪あとひとつ残せずに負けてばかりだった。
いくら勝負しても、てんで力の差はどうにもならないのである。
根っからプライドが高かったので、これを聞くのに時間がかかった。
「どうしたら卓球で強くなれるのか?」

Nは理論めいたことをなにも言わなかった。
わたしが弱い先輩の名を出すと、あんなアドバイスは無視したほうがいいというではないか。
では、どうしたら強くなれるというのだろう。
・強い選手の動きをよく見る。
・強い選手と試合(勝負)をする。
このふたつに尽きるというのである。
からきし理論めいたことは言わなかった。

結局、Nからの貴重なアドバイスには従うことができなかった。
ほかの卓球部員もおなじである。
強い選手と試合(勝負)をすると大差で負けるでしょう。
ただでさえ負けるのは嫌なのに手も足も出ないのは屈辱的なのである。
もう少し練習をして強くなってから、と思うばかりで、いつまでも実行しなかった。
勝ったり負けたりする相手と試合(勝負)をしているほうが楽しい。
こうして強くなれないままに高校生活を終えた。
Nとは数かぎりなく試合(勝負)をしたが、一度も勝てなかった。

最後に連絡があったのは大学卒業後である。
大企業に就職したNより、その会社のアカウントからメールがあった。
当時、身内の不幸で打ちのめされていたわたしは返事を書けなかった。

いまになって強かったNのアドバイスを思う。
・強い選手の動きをよく見る。
・強い選手と試合(勝負)をする。
当時はこれをできなかった。
卓球からいきなり話を変えてしまうが、創作はどうだろう。
小説やシナリオの創作はどうだろうか。もしかしたら、おなじではないか。
・名作をよく読む。
・ひたすら書いて応募する。

人生=1回きりの勝負において、理論は信用に足るのだろうか。
いくら競馬理論を極めても、まあ、ぶっちゃけ勝てないわけでしょう。
経済学の最新学説をどれほど集めたところで株で大儲けはできない。
何回成功セミナーを受講しようが、現実は理論どおりにいくものではない。
理論を販売するがわは儲かるけれども、理論自体にはほとんど価値がないのではないか。

あらためて高校卓球部のあの先輩の偉大さを思う。
彼は理論を語るだけではなかった。実際の勝負もひんぱんにしてくれたのだから。
わたしはその先輩にほとんど負けたことがなかったと記憶している。
しかし、いま先輩に再会したらやはり敬意を表するだろう。
なぜなら勝負をしてくれたからである。
高みから理論を語るだけではなかったからである。
なぜ天皇は偉いのか考えてみたらわからないよね?
だけど、どんどん疑問を広げていくと、
あらゆる偉い(と言われている)人がなぜ偉いのかわからなくなってくる。
ネットでとてもいい回答を見つけた。
名も知らぬ人が、これだ! と思うような答えを書いていたのである。
もしかしたら、庶民の知恵というのが、本当にあるのかもしれない。

天皇が偉いのは、学校で先輩が後輩よりも偉いようなものだ。
これは実にわかりやすい。
中学も高校も恥ずかしながら卓球部で、いちおう体育会系だった。
高校卓球部は、先輩-後輩関係というのも厳しかった。
結構うまく(いまよりは!)順応していたような気がする。
先輩と試合をすると、勝敗に関わらず、
先輩が後輩にアドバイスするという仕来たりがあった。

卓球にも実力というものがある。要するに、強い人と弱い人がいるのである。
高校部活レベルだと、努力したからかならずしも強いというわけではなく、
練習熱心な先輩が弱くて、練習嫌いの先輩が強いということがあった。
弱い先輩と勝負して勝つでしょう。
先輩は負けたくせに、アドバイスをするのである。
後輩は「ありがとうございました」と感謝する。
なぜなら先輩は後輩よりも偉いからである。

もちろん同期のあいだでは弱い先輩の悪口を言いたい放題なのである。
けれども、いざ弱い先輩が来たらきちんと礼を守る。
いくら練習しても弱い先輩の存在は、なんだか物悲しくてね。
かえって、本物めいた敬意をいだいたものである。
先輩は偉いと思ったものである。
このときの偉さと、天皇陛下の偉さがおなじなのではないだろうか?

先輩がなぜ偉いかといったら、「偉いから偉い」というほかない。
おなじ意味で、天皇陛下も「偉いから偉い」。
社長さんは「偉いから偉い」。
大手出版社の編集者は「偉いから偉い」。
テレビ局のプロデューサーは「偉いから偉い」。
あらゆる先生は「偉いから偉い」。
それは先輩後輩の関係のようなもので、論理的に説明できるものではない。
なるべくなら偉い人は先輩のように、しもじもの人間にやさしくすべきである。
しかし、どうしようもなく役割として偉い人は「偉いから偉い」。

「偉いから偉い」の背景にあるのは、本当はだれも偉くない。
ぶっちゃけ、先輩はかならずしも後輩よりも偉いわけではないでしょう。
無能な上司にたいがいのサラリーマンなら悩んでいるはずである。
しかし、いちおう上司は立てる。
なぜなら、だれかが偉くならないと集団がうまく機能しないからである。
本当は偉い人も偉くはないのだが、「偉いから偉い」と偉いことにしておく。
このシステムが天皇制に象徴しているのだろう。
たしかに完全な実力主義よりもはるかにやさしい。
日本で成り上がりたいのなら「偉いから偉い」を認めなければならないのだろう。
天皇制はいろいろ議論がわかれるだろうけれど、
いちばんわかりやすい説明をしたら、「親が偉いと子も偉いのか?」になると思う。
要は、これを認めるかどうかなのである。
世の中を見まわしたら、二種類の偉い人がいるでしょう。
1.元から(=親が)偉い人。
2.偉くないのに(努力や運で)成り上がった人。
前回の芥川賞など典型的ではないかと思う。
言うまでもなく、朝吹真理子さんは前者で西村賢太さんは後者になる。
福田恆存さんと小田島雄志さんはシェイクスピアの翻訳でさんざんいがみあっていたけれど、
ご子息はどちらもお偉い学者先生になっているところがまさしく天皇陛下的である。
親が偉いと子まで(おなじ分野で)偉くなってしまうのである。
河合隼雄さんのお偉い血筋もしっかりご子息に受け継がれている。

よく偉くない人が、「けっ、あいつは親の七光りだ」とかひがむでしょう。
この嫉妬は正当なのか不当なのかが天皇制の問題なのである。
親の七光りで成功している人をねたむのなら、天皇制に反対しなければならない。
天皇制を認めているならば、二世議員を否定してはならない。
よく考えてみてください? そういうことになりませんか?
二世タレントにエールを送っている人が、天皇を敬わないのはおかしい。
天皇陛下が偉い理由は、「親が偉いから」しかないのである。
親が偉かったら子も偉いのか?
たいがいの庶民は、親の七光りめいた成功者に反発するでしょう?
そのくせ、天皇陛下はなぜか偉いものだと思っていたりする。
天皇制反対を叫ぶ論客が、二世的成功者を支持するのは道理に合わない。

ここまで来て、さて、あなたはどうでしょうか? わたしはどうなのか?
根っからの庶民だから、二世的な偉い人を毛嫌いしていた。
親が偉いからという理由で偉ぶっている人が大嫌いだった。
ところが、なのである。わたしは天皇制肯定派なのである……。
天皇陛下は偉いと思っている(笑)。
保守論客の福田恆存さんのご著作を愛読した時期があったからだろう。
「天皇陛下万歳」と死んでいった兵士を美しいと思っている。
彼らは、自分よりも大切なものがあるというフィクションに殉じたわけである。
歴史上、多くの人間が天皇陛下を守るために死んでいる。
むろん、天皇制もあらゆる宗教とおなじくフィクションである。
だが、そのフィクションを愛するという生き方があってもいいと思う。
かといって、天皇を毛虫以下と見下す人間を非国民だと思うわけでもない。
わたしは古くからある天皇制を支持したいというだけである。
天皇制廃絶を求める人がいてもべつにいい。
なんの問題もなく、仲良く酒を酌み交わせる自信がある。

「偉いから偉い」を認めようというわけである。
天皇陛下の偉さは「偉いから偉い」という言葉でしか説明できない。
むかしから天皇は偉かったので、いまも偉いのである。
偉い人は偉い。偉い人は、偉いから偉い。
これを腹の底から認めしまおうと思いを改めた。
たとえば、有名プロスポーツ選手の子は偉い。
たとえば、有名作家の子女は偉い。
たとえば、二世議員は偉い。
たとえば、有名脚本家の娘さんは偉い。
偉い人の子どもは偉いのである。
天皇陛下を敬うように、これからは偉い人の二世も偉い人として考えたい。
天皇制を認めているのだから、矛盾したくなければ、そうするほかないのである。
たまさか思い上がった二世さんがこんなことを言う。
「みんな、がんばれば偉くなれる!」
あれだけはやめてほしいと心からお願いしたいですね。
自分は元から偉いのに、「がんばれ!」と偉くない人に説教するのはひどい。
いや、偉い人だから、そういうことをしてもいいのだが、あんまりではないか。
いえいえ、偉い人は偉いからなにをしてもいいんですよ。
しかし、「みんな、がんばれば偉くなれる!」ほど残酷な言葉はない。
まるで偉くない人は、がんばっていないからそうなのだ、
といったような叱責が含まれているでしょう。
それを元から偉い人に言われちゃうと、唖然としてしまう。

「偉いから偉い」を認めるのが、あんがい成功への秘訣ではないかと思う。
がんばるよりも、「偉い人は偉い」と認知するほうがよほど賢い生き方である。
日本人のだれひとりとして、がんばっても天皇陛下になれないのだ。
しかし、天皇陛下にお声をかけてもらえるくらいなら運がよければできる。
日本人の中には、天皇陛下から章をもらえるまでの果報者がいるのである。
勲章・褒章は、天皇の偉さ=「偉いから偉い」に基礎を持つ制度。
おそらく、日本におけるあらゆる偉さを根源まで遡れば天皇陛下に行き着くのだろう。

天皇陛下は偉い。だから、親が偉い子も偉い。

もちろん、反対意見があってもいい。これはわたしの趣味の問題である。
天皇陛下が好きだと表明しているだけだ。
「種田山頭火の死生 ほろほろほろびゆく」(渡辺利夫/文春新書)絶版

→例によって山頭火をめぐる研究ではなく「おはなし」である。
冒頭付近の一文が本書を象徴している。
山頭火の本名は種田正一である。

「正一は身震いするほど海が嫌いであった」(P11)

この一文に本書のすべてが象徴されている。
山頭火が海を嫌いだったという資料は、おそらくないはずである。
本書はある意味で、著者が自己を山頭火に投影した「おはなし」なのだろう。
しかし、三十路を過ぎたいま、細かいことを言う神経質さはない。
要は、「おはなし」としておもしろいかどうか、だと思う。
事実でなくても、べつに構わない。
本書の「おはなし」としてのレベルはかなり高いのではないか。
うまく山頭火を物語っているのにはファンとして拍手を贈りたい。
山頭火が離婚した元妻の咲野と、婚姻関係はないのに「寝た」という事実がある。
これは山頭火の日記に書き残されていたから、間違いなく事実である。
それが著者の手にかかるとこうなる。笑っていいのか迷う。
しつこいが、山頭火=正一。

「(正一は)咲野の布団にすべり込む。
咲野の右手が正一の胸を激しくつき、半身をおこして浴衣の裾を正す。
かまわず正一は咲野を押し倒す。
組み敷かれた咲野の顔が涙に濡れ、抵抗の力がすうと抜けた。
浴衣を開いてあらわになった豊かな乳房に甘えるように顔をのせ、
乳首をやさしく吸う。両の手で正一の頭を掻き抱き、咲野が嗚咽する」(P106)


おまえは押入れにでも隠れて見ていたのか!?
と思わず、突っ込みたくなるような文章である。
山頭火の子孫はまだ生きているでしょう。
こういう描写で故人を主観に汚されると腹立たしくならないものだろうか?
まあ、この程度だったらと思うくらい、子孫も寛容なのか。山頭火のように。

いまふと思ったのだが、不幸な人も「偉い」ような気がするがどうだろう。
本書で知ったが、山頭火の不幸は母と弟の自殺だけではない。
大学時代までに末弟の病死、嫁いだ姉の正体不明の死を経験している。
母のみならず、きょうだい4人が不幸な早世をしているのである。
年譜を見るかぎり、これは疑いもない事実だろう。
不幸な人は、どこか「偉い」と思ってしまうのはおかしいのかどうか。
それから山頭火の「偉い」のは人とは違う生き方をしたことがあると思う。
むろん、それは「甘え」と多くの人間から非難されるたぐいのものではあるけれど。

世の中は不平等なものである。
有名人の子どもとして生まれたおかげで一生ちやほやされ続けの人生もある。
かたいや、身内に死なれ続ける苦しい人生もあるのだから。
山頭火は生涯、世間的に評価されることはなかった。
だれかから成功人生ノウハウを教えられたら、彼は救われたのだろうか?
いな、である。山頭火は終生、不幸を味わうことで救われたのだと思う。
成功するばかりが人生ではない。幸福ばかりが人生ではない。
それ以外にもいろいろな人生の味がある。
山頭火の句から我われが教わることである。

「なんぼう考へてもおんなじことの落葉をあるく」(山頭火)

「二度はゆけぬ町の地図」(西村賢太/角川文庫)

→いま話題の西村賢太は人をバカにする表現がうまい。
うまいのは他人をバカにするときだけではなく、自分をバカにするのもうまい。
前者はみなやっていることだが、西村賢太ほどうまくできるものはいまい。
こと後者にかぎっては西村賢太の独壇場である。
哀しい現実だが、人間にとって他人をバカにするほど楽しいことはない。
どのクラスでもどの職場でも、いない人の悪口がいちばん盛り上がるのである。
どうして他人をバカにするのを人はこうも楽しく感じるのだろう。
そしてそして、どうしてみな相互にバカにしあいながらうまくやっていけるのか。
考え方は反対のほうが正しくて、
裏ではバカにしあっているから表ではうまくやっていけるのだろう。
人間の裏表ほどおもしろいものはない。

わたしがいちばん怖いのは、表でやたら善人ぶる人である。
裏ではなにをしているのだろうと空恐ろしくなる。
逆に西村賢太のように表で人間(他者と自己)をバカにしている人は怖くない。
自分とおなじ裏表のある人間なのだとホッとすることができる。
西村賢太ほどの善人はめったにいないのだろう。
これだけ表で悪人ぶりを徹しているのを見ると、
裏では菩薩様のような好人物ではないかとまで疑ってしまう。

暴行事件で警察官に逮捕されたとき、取調室で西村賢太は――。

「もともと私は坊っちゃん坊っちゃんした童顔のせいで、
昔から生真面目で正直そうに見誤まられることが多かった。
そのおかげで嘘をついても余りバレたためしがなかったことに
味をしめていたので、このときもそのてを使い、
得意の偽円満人(にせえんまんじん)ぶりをアピールする一方(後略)」(P79)


いやあ、嘘はバレているっしょ。
みんなだれもが西村賢太が本物の善人であることを見破っていたと思う。
だから、あえて嘘を嘘であると指摘しなかったような気がする。
本当に怖いのは表で善人ぶっている人間なのである。
裏でなにをしているのか――。
どうでもいい話だけれど語彙には結構自信があったが、
「黄白」に金銭という意味があることをこの短編小説集を読むまで知らなかった。

内田樹せんせいがベストセラーで指摘しているらしく、
たしかそこだけ立ち読みした記憶があるけれど、
ドラマの「水戸黄門」は日本の縮図であると。
水戸黄門が印籠を取り出し、助さんと格さんが「控えい」というとみんな平伏する。
あれが日本社会の縮図になっているのではないか?
うっかり日本文化論を始めてしまうと小谷野敦せんせいに怒られちゃうからストップ。
しかし、そこに子どもが居合わせたら笑えるね。
「その印籠は偽物じゃないの?」なんて言ったりしたら。
助さん、格さんが激怒するだろう。
「この人は天下の副将軍、水戸光圀公であらせられるぞ!」
親が慌てて子どもの口をふさいだりして。
でも、この子どもがヤンチャで、「どうして水戸光圀が偉いの?」――。
これをやられたら終わりじゃないかしら。
みんな「言っちゃった~」という感じで場が凍りつくのではないか。

この子どもをの役割をいま小谷野敦せんせいがやっているのだと思う。
影響を受けたわたしも、言ってはならないことを口にしちゃう。
水戸黄門が印籠を出しても、「だから、なに?」としか思えない。
だれかが「偉い」というのは証明可能なことなのだろうか?
「偉い」はバブルで生み出すことができるのね。
言い換えれば、「偉い」はいくらでも捏造できる。
要するに、「偉い」の輪を作っていけばいいのである。
AがBを「偉い」と褒める。BがCを「偉い」と褒める。
この「偉い」をGくらいまで続けて、Gが最初のAを「偉い」と褒めたら、
「偉い」の輪が完成する。
むかしの文壇が村社会などと言われたのもこういう事情があるのだろう。

だれかに「偉い」と言ってもらわないと「偉い」と人から思ってもらえない。
ひっくり返せば、だれかに「偉い」と言わせたらいい。
なんの実績もない人でも、うまく「偉い」の輪につながっていけば「偉く」なれる。
多くの有名人とコネを作ることができたら、その人は「偉い」ことになる。
「私は偉い」というのは、原理上説明できないところが重要なのだと思う。
「偉い」人は、だれかの「偉い」の保証がないと「偉く」なれない。
お互いを「先生」と呼び合えば、どちらも周囲に「偉い」と思わせることができる。
まったくなにも「偉く」ない人でも周囲に「偉い」と思わせることが可能になる。
投資詐欺なんかの場合、
主催者が有名タレントと並んで撮られた写真が宣伝として使用される。

「偉い」は「正しい」と相関するような一般了解(誤解?)があるのだろう。
だから、小谷野敦せんせいなんかは「正しい」ことにことさらこだわる。
しかし、「偉い」と「正しい」はそのまま等号で結びつくかがまた問題である。
いくら「正しい」小説を書いても、売れなければ仕方がないわけでしょう?
「偉い」と「正しい」が混同されることでもまた問題が生じる。
コンクールなどの場合、「偉い」人の評価が「正しい」ことになる。
しかし、実際のところ、その「偉い」も「正しい」も不明確である。
ぜんぜん「偉く」もなんともない人が選者をしているコンクールを知っている。
たとえ「偉い」人が選んだとしても、それが「正しい」ことは証明できない。
そもそも絶対的に「正しい」ことなどあるのかどうかもわからない。
個人的には、おそらくないのではないか、くらいに思っている。
自分は「偉い」と思っている人ほど鼻持ちならないものはない。
しかも、それが「偉く」もなんともない場合は特にである。

しかし、「偉い」には「正しい」評価基準がない。
わたしがいちばん「偉い」と思うのは、恩師の原一男監督である。
これはもう身近で接したときのオーラが違った。
数値や言語に変換できるものではないのである。
この人は「偉い」となかば動物的に了解した。
山田太一さんも宮本輝さんも「偉い」と思う。
だが、この場合、「偉い」と「好き」の境い目があやふやになる。
小谷野敦せんせいも、そこらの東大教授よりよほど「偉い」と思う。
これは「正しい」からではなく「面白い」から「偉い」と感じるのだろう。
独創的なところ、自分だけの意見を持っているところが「偉い」と感じる。
シナリオ・センターの講師は「偉い」とも「正しい」とも感じなかったが、
そう思わないといけないという決まりがあるらしい。
これが最初に書いた水戸黄門の例とおなじだろう。
なぜか「偉く」て、そのうえ「正しい」ことになっている。

ある「偉い」人から「うちの講師を尊敬しなさい」言われたことがある。
それは結局のところ、自分をも尊敬しろと命じたかったのだろう。
まるで水戸黄門のようだと思う。
日本にはいまでも水戸黄門がたくさんいるのだろう。
だが、水戸黄門など助さん、格さんがそばにいなければただの老いぼれである。
シナリオ・センターに行こうか迷っているという相談をたまに受けます。
わたしは行ってよかったと思いますが、あなたがどうかはわかりません。
なにかのお役に立てればと、メリットとデメリットを書いてみることにします。
・友人ができた。
・シナリオ創作という趣味ができた。
これがシナセンに通ってよかったと思うところです。
しかし、あなたに友人ができるかどうかはわかりません。
クラスにはずっとひとりの人も大勢いました、
シナリオが趣味になるかも人によってまちまちです。
趣味を持ちたいならほかにもたくさんありますから、もし向いていなければ
とくにシナリオにこだわる必要はないのではないでしょうか。

プロになりたいからという理由でシナセンに通うのはどうかと思われます。
なぜならプロデビューしたいのなら、まったく効率的な道ではないからです。
数字を使って説明しましょう。
シナリオ・センターの生徒は通信、大阪を含めると3千~3千5百人います。
(ソースは代表の著作およびHPの記載)
HPに生徒の華々しいコンクール受賞実績が載っていますでしょう。
あれは在学者のみならず退学者も出身者としてカウントしています。
料金が安いため、毎年多数の人間がシナセンの門をくぐり辞めていきます。
ですから、5年以内にシナセンに関わった人はどのくらいになるのか?
へたをすると1万人くらいになるのかもしれませんが、
ここは6千人くらいで甘めに計算しておきましょう。
脚本コンクールといってもプロになれるメジャーな賞はかぎられています。
そういう賞にシナセンの出身者(10年前の退学者でさえ出身者!)は何人いるか?
これもHPを見たらわかることですが、だいたい10人くらいです。
シナセン主催のコンクールで賞を取っても業界的に意味はありませんので。

1.シナセンに入っても6千人のうち10人しかデビューできない。
2.シナセンに入らなくてもデビューできる人がいる。



こうやって数字を考えますと、あまり名門校ではありませんね。
少なくとも、プロのライターになりたいのでしたら、
シナリオ・センターに入学するのは確率的にあまり推奨される行為ではありません。
あなたがシナセンへ入ってもプロになれる確率は、0.166666%でしかない。
結構、驚きの数字ではないしょうか?
1%もプロにはなれないのですね。0.1%強であります。
千人にひとりなれるかどうかの話。つまり、ほどんどだれもなれないのです。
他校ではクラス20人のうち1年で数人がデビューするという話を聞きますが、
もとより公開されているデータではなく噂話の域を出ません。
(いちおう書いておくと20人で4人デビューしたら確率は20%になります)
ちなみにシナセン講師で現役の脚本家は数人ですから、コネを求めても無理です。
以上のように確率的に見たら、シナセンはプロになるための近道ではありません。

1.シナセンに入っても99.8%の人はプロになれない。
2.シナセンに入らなくてもプロになる人はいる。



この数字は嘘でもなんでもありません。
シナセンに問い合わせてもらっても結構です。
プロになるということを考えたら費用対効果は最悪です。
ほどんどドブに金を捨てるようなものと言えましょう。

シナセンは500人のプロライターを輩出したことになっています。
40年以上も営業を継続していたら、むしろ少ないくらいではないでしょうか。
HPに出身ライター一覧があります。
執念深く数えてみたら、どうしてか280人しか掲載されていません。
いったいどういうことでしょう。 
あの一覧に圧倒されてはいけません。というのも、よく名前を見てください。
ほとんど知らない人ではありませんか。「だれそれ?」の世界なのです。
そのうえ、出身ライターとして宣伝に使われている脚本家の本心はどうか。
たとえば、有名脚本家の吉田紀子さんはこう言っています。

「それで、入社2年目からシナリオセンターに通い始めました。
だけど、私には全然役に立たなかった。
シナリオの基礎は、本を読めばわかると思うんです。
大学のときに、ある程度は独学で知っている部分がありましたから、
一から知ろうとする人にはいいかもしれないけれど、
大学も演劇科だったので、目新しいことはなかったんです。
それに課題を提出して、返ってくる先生のコメントなども、
あまりピンと来なかったんです」(同文書院「シナリオライターになろう!」P61)


その後、吉田紀子さんは倉本聰氏の富良野塾へ入りシナリオを学びます。
「書く姿勢」を吉田紀子さんは倉本聰氏から教わったといいます。
たしかなのはぜんぜんシナセンへ感謝などしていないことです。
いったい出身ライターの何人がシナセンへ感謝しているのでしょう?
勝手に名前を宣伝に使われて迷惑している人もいるかもしれませんね。
15年前8週間講座を受講しただけでも、彼がデビューしたらシナセンの実績です。
うまいことを考えたものだと感心します。

各種脚本コンクールの下読みをシナセンがしているという噂がありますが、
この学校の社長さんに電話で問い合わせてみたところ、それはデマでした。
シナリオ・センターが下読みをしているのは、
科学ドラマ大賞と河口湖映画祭だけとのことです(2011年)。
このためシナセンの生徒が下読みで優遇されるようなことはありません。

最後にまとめてみましょう。
シナリオ・センターに通うことでのメリットは、プロデビューではありません。
・友人ができるかもしれない。
・シナリオ創作が趣味になるかもしれない。
・ライターになるという夢を持つことができる。
以上の3点がシナセンに入学することで得られるメリットです。
先輩として受講上の注意を書いておきます。
講師の大半は新井一のシナリオ教則本を丸覚えしただけの素人ですから、
多くを求めてはいけません。実績はないのです。
業界の裏側など、業界にそもそも入れなかった人たちですから知りません。
なるべく教えに逆らわないようにしましょう。
講師の指導はハイハイと聞いておけば丸くおさまります。
べつに講師の教えが正しいわけではありませんので、
酷評されても気にしないのがいちばんです。
では、このへんで「シナセンへ行くべきか?」を終えます。
あくまでも、わたしは行ってよかったです。
みなさまにこの記事が少しでも役立てば、書き手はとても嬉しいです。
「突破力」(桜井章一/講談社+α文庫)

→著者の主催する「雀鬼会」の門をもしわたしがくぐったら、
大多数のメンバー(信者)から嫌われるはずである。
結局のところ、破門するかどうかの判断はトップに任せられると思う。
雀鬼はおそらくもっとも自分を理解しているのはだれかを知ったうえで、
わたしを追放するはずである。
自分以外の人間の趣味(価値判断)を絶対視(神聖視)する大勢の人間がいる。
それほど自分で考えるのは、ある種の人間にとって苦痛なのであろう。
自分で考える人は極めて少数なので、
それ以外の大多数の人間を救う(導く)義務がもしかしたら彼にはあるのかもしれない。
いや、自分で考える人間にとって、いちばん危険なのは自分で考える人間なのか。
河合隼雄ならおのれを批判するものを許しただろうが、果たして雀鬼は――。
度量が試されるときである。
ちなみに、この記事を書いているものはどうだろうか?
おそらく万が一運よく成功したらそれなりの寛容は身につけるだろうが、
とてもとても河合隼雄のようにはいかないと思う。
哀しいかな、そこまでの器は生まれ持っていない。
むろん、本当に自分で考えているかどうかも定かではない。怪しいところだろう。

99人がつきしたがっているとき、
ひとり反論するものがいるとすれば、それは自分で考える人である。
考える、ではないのかもしれない。彼はなにかを感じているのだろう。

「人生は、常に一本道ではありません。
途中には、いくつかの分岐点があり、その都度、
どちらの道を行けばいいのかの選択を迫られます。
ギャンブルのようなものかもしれません。
吉と出るか凶と出るか、
選んだほうの道を実際に進んでみないことには、未来はわからないのです。
そういうときは往々にして、何の先入観もなしに、
最初に何かを感じたほうを選ぶのが、正解だったりします。
少し迷ったときは、最初にいいと思ったほうを選んだほうがいいでしょう。
感じとる力があれば、いたずらに時間をかけてあれこれ考えるより、
直感のほうがいい答をもたらしてくれるものです」(P35)


「奴隷の時間 自由な時間 お金持ちから時間持ちへ」(ひろさちや/朝日新書)

→「金で買えるいちばん貴重なものは時間だ」と
ある友人が言っていたけれどまったく本当にそうである。
ひろさちや氏もおそらく似たような考えを持っているのではないか。
この理屈から考えたら、政治家がいちばん割に合わない商売なのである。
嬉々として政治家を叩くかたがおられるでしょう。
唯一批判しても仕返しのこないのが政治家だから、
損得を第一に考える会社経営者はうっぷんを晴らすのにブログでよくこれをする。
しかし、政治家はよくやってくれているとも言えませんか?
だれも言わないなら、わたしが言ってあげたい。
菅直人総理大臣、ありがとうごさいます。お疲れさまです。
石原慎太郎都知事、ありがとうございます。お疲れさまです。
これは税金をあまり多く払っていないからこそ
言えるのかもしれない(……ああ、戻ってくる確定申告に早く行かなきゃな~)。
ちなみに、高額納税者のひろさちや氏は政治家を毛嫌いしている(苦笑)。

しかし、政治家はそれなりに偉いと思うが、どうだろう?
あれはみんなのために自分の時間を差し出す商売でしょう?
いくら巨万の富を得られようが使う時間がない。
高齢になったら、いろいろな欲望が制限される。
性欲だってあれだろうだし、健康のいちばんの大敵は美食なのだから。
権力欲というのは、なによりも大切な時間の価値まで見誤まらせるものなのだろうか?
メディアから叩かれ、多く有権者から恨まれながらも政治家をする人の気持がわからない。
やはり根本にあるのは「人の役に立ちたい」という気持なのではないか。
そうとしか思えない。だとしたら、偉いと思いませんか?
私利私欲のためといっても、政治家は忙しくて得た金を使う暇もない。
日々問題は山積していて、好きな本も読めやしないのである。
政治家にある意味での敬意を感じてしまうのはおかしいのだろうか。
だれも首相や都知事に感謝するものがいないのなら、わたしがありがとうと言いたい。
あなたがたのおかげでいま好きなことができている。
あなたのおかげでいま最悪の事態になっていないのかもしれない。
(よしんば政治家が危機を未然に防いでいたとしても、それは証明できないことだ!)

こういうおよそ常識から外れた思考をできるようになったのは、
ひろさちや氏の著作のおかげである。
氏はむかしから常識がなかったが、死が間近になった近年は、
もう怖いもの知らずだからこれほどおもしろい読み物はない。
常識に目を配らなくてはならないのは、これからも長く生きていると思うからなのである。
論理的にいえば、余命数ヶ月の人間は大量無差別殺人を起こしても一向に構わない。
それでも人が人を殺さないのはなぜかを考えてみたら、
学問など人間をからきし把握していないことがかならずや理解できるはずである。
学問でさえ一種の「おはなし」に過ぎないと見定めたら、いろいろおもしろいのではないか。

「まちがえないでください。「時は金なり」は「金は時なり」ではありません。
わたしたちは、「AはBなり」だと思ってしまいますが、そうではありません。
たとえば、「ソクラテスは人間である」としても、
「人間はソクラテスである」とはなりません。
「AイコールB」になるためには、
「AはBなり」「BはAなり」が言える必要があります。
「東京は現在の日本の首都である」と同時に「現在の日本の首都は東京である」
が言えるから、「東京イコール現在の日本の首都」になるのです。
ややこしい論理学の問題になりましたね。
ともかく「時は金なり」が言われるにしても、
「金は時なり」にはなりません。まちがえないでください」(P96)

「それから、われわれが子どものころ、時間はたっぷりあったように思います。
ところが、わたしのような老人になれば、一日があまりにも短く感じられます。
どうしてでしょうか?
この後者のほうは、わりと簡単に説明できそうです。
生後二日目の赤ん坊にとっては、その二日目という一日が、
それまでの全人生に相当します。
なぜならその赤ん坊は、誕生後一日しか生活していないからです。
十一日の赤ん坊にとっては、その日の二十四時間が、
自分の生きた全人生の一〇分の一に相当します。〇・一です。
けれども、わたしのような七十三歳の老人にとって、
たとえば二〇〇九年七月二十七日という一日は、
これまでわたしが生きた全人生のたった二万六六六三分の一です。
約〇・〇〇〇〇四分の一です。あっという間の短い時間です。
老人にとって一年は短いですね。あたりまえです。
わたしにとってこの一年は七十三分の一です。
しかし、一歳になったなった赤ん坊にとってのこの一年は、
それまでの全人生と同じ長さなんですよ。長いはずです」(P122)

「未来は、神のみぞ知り給うことです。
この“神のみぞ知り給う”は、英語で言えば、“God knows……”です。
そしてこれは、日本語だと「わからない」と訳すのですね。
未来はわれわれ人間にはわかりません」(P177)


「人生は勉強より「世渡り力」だ!」(岡野雅行/青春新書)

→たまになら無邪気に勝ち誇る成功者の自慢話を聞くのも悪くない。
著者は有名な職人さんである。
はっきり言っておくが、この人の真似をしても全員成功できるわけではない。
成功者というパイは極めて少ないから、
みながなるのは世の中の仕組みとしてありえないのである。
しかし、成功ってなんだろう?

「人よりすぐれたものがあれば、成功する確率が間違いなく高まるね。
平たく言えば、人より旨いものが食える、いい洋服が着れるってことだよ」(P174)


批判しているわけではないが、考え方が古いよね~。
こちらはもう若くはないが、いまの若い人は欲しがらないでしょう。
わたしも味盲だから、べつに旨いものを食いたくはない。
容貌があれだから、似合わぬ高級衣服など身にまといたくない。

本書でいろいろ成功ノウハウが書かれているがむしろ有害なのではないか。
というのも、失敗しなくなってしまうからである。
本書のノウハウは、すべて著者の失敗から得られた教訓である。

「本やネット情報をいくら読んだって、
「へぇ、世の中、こんなこともあるのかね」くらいのことでしかないけど、
実体験は重みが違う。
必ず、自分の血にもなり肉にもなるんだ」(P117)

「失敗はしたくない、できるだけしないほうがいいって考えてるヤツが多いけど、
失敗しなきゃ、成功なんかできっこない。
失敗を怖がってちゃダメなんだよ」(P179)

「失敗するたびに、新しい発想やアイデアが湧き出てくるんだよ」(P180)


これはもう本当で実体験の失敗の痛みほど人生を学ぶものはない。
選択を間違えて叩かれるから、人はいろいろ考えるのである。
だから、本書で知っておくノウハウは引用部分だけでいいのだろう。
なぜなら失敗しなくなったら元も子もないではないか。

本書で著者が繰り返しているのは、人付き合いに金を使うこと。
お世話になった人にはかならず贈り物をする。
しかし、これは唯一絶対の正しい回答ではない。
エッセイで知ったのだが、某人気脚本家は贈答品に迷惑しているらしい。
しかし、たしかに不要な贈り物をし合えば経済はまわる。
日本経済の発展には贈答品文化が多大なる寄与をしたのだろう。

「あるがままを受け入れる技術」(河合隼雄・谷川浩司/PHP文庫)

→日本最上の人生指南者は河合隼雄ではないかと思っている。
言っていることはひとつなのである。「自分で考えましょう」――。
ところが、自分で考えるのがいかほど難しいか。
文庫本を読んだら、我われはつい巻末の解説をうのみにしてしまうようなところがある。
どこかにだれかが答えを用意してくれているという考え方がよくないのだろう。
自分で考えるとは、マニュアルやノウハウを否定することである。
いまの時代、書店に行くとこの手の本があふれている。
なぜかというと別に難しい話ではなく、マニュアル本やノウハウ本は売れるからだろう。
成功セミナーほど儲かるものはないのではないか(ノウハウは原価0円だから)。
どうしてみなインチキとどこかでわかっているノウハウ商法にひっかかるのか。
成功者の話を聞けば、自分も成功できると愚かにも散財するのか。
みんな自分で考えることができないのである。
どこかに正しい答えがあるという思考法から離れられない。
だから、河合隼雄の書物を読むたびに発見があるのだと思う。
ああ、やっぱり正しい答えはないのだと確認する。
自分で考えなければならないと教えられるのである。
これはクライエントと河合隼雄の関係とおなじなのだろう。
巨人が死した後も、我われは読書を通じて最上級の心理療法を受けることができるのだ。

どうしてこうも我われは自分でものを考えることができないのだろう?

「今の教育で一番困るのは、
三択とか五択とか、答えがあらかじめ提示してあって、
その中から正しいのを選びなさい、なんていう問題が多いことですね。
そんな正しい答えの選択肢が初めから分かっているなんていうことは、
実際の人生にはないでしょう(笑)。
答えがあるかないか分からない、というところでみんな苦労するのにね。
ですから、ああいうテストの形式は、手っ取り早く人を評価する方法として
誰かが考えたんでしょうが、教育という点では全然駄目ですね。
あんなテストでは本当の力は評価できませんし、
本当の実力はつきません」(P207)


たしかに問題が生じたときは、選択肢から考えなければならない。
しかし、我われはまだ自分で考えようとしない。
みんなで考えようとしてしまうのである。

「どんな世界でもそうだと思うんですが、「最善の方策を考えよう」
と言ってみんなで考えようとするでしょ。
そうすると、だんだん無難なほうへ行く傾向があるんですね。
無難というか、失敗がないというか。
ところが、例えば将棋の対局をしてるほうは、
大げさな言い方をすればその一手に命が懸かっているわけですから、
失敗がないだけの無難な手や、
他のより少しましなだけの手を考えてもしようがないわけでしょう。
明らかに相手の発想の一歩上を行って、
その時の勝負を決定できるような手でないとしようがない。
これは、頭で考えて出てくるようなものじゃないと思うんですよ。
これが一番はっきりしてるのは、戦(いくさ)の時の戦術でしょうね。
いろんな戦の記録を見ると、先に挙げた桶狭間の戦いの織田信長みたいに、
本当にその時だけ成功しているという例があるわけですね。
前にも言ったけど、誰かがその信長の真似をしても、やられるだけでしょう。
ですから、その場にいてそこで生きている者の強みというのがある。
それが僕は面白いんじゃないかと思うんですね」(P96)


脚本コンクールや新人文学賞の受賞者もみんなで考えているから、
恐ろしいほど無難なものしか世に出てこないのかもしれない。
だから、ひとりに選ばれたらいいコネルートで出てくるものがいてもいいのだろう。
権力者のひとりが冒険をしようと思ったら、世が変わるかもしれないのである。
まあ、そんな夢物語で選ばれるのは百万人にひとりの世界だろう。
大概の権力者はリスクを恐れ、会議でものごとを決しようとする。
意外と知られていないが、いまのテレビドラマの大半は会議で作られている。
このため無難な漫画原作がいちばん多くなるのである。
いままで失敗したことのないエリートは、怖くてリスクを取れないのだろう。
たしかに高学歴でテレビ局のドラマ制作まで登りつめたら失敗ができないのはわかる。
どうしたら失敗を恐れずにいられるのか。

「それと、僕はいつも「最悪の状態」というのも考えていますね。
何かしようと思った時には、常に最悪の結果を考えてみて、
「まあ、それでもええか」と思った時に取りかかるようにしています。
そうすると、まあそんな最悪の結果にはまずならない。
ですから、いつも言うんですが、
「僕が考えるほど最悪の状態は今までいっぺんもなかった」と(笑)。
少なくとも最悪の状態を考えておけば、
どんなに失敗をしてもそれより悪くならないわけですから、
ちょっとやそっと失敗したってどうってことないですしね」(P65)


中島義道の「どうせ死んでしまう」は冒険するジャンプ台みたいなものか。
みんなで決める民主主義まで否定しかねない河合隼雄の言説である。
いざというときには、民主主義では遅いのだろう。
果たして東日本大震災は民主主義で乗り越えられる問題なのか。
織田信長が桶狭間の戦いを会議で決めたとは思えない。
むろん、ヒットラーのような独裁者は困るが、
ひとりで(=自分で)考えたものにしか出せない結論というのがあるのだろう。
権力とは縁のない我われ庶民は、どうしたらいいのか。

「何もしない」というのは、一見非生産的に見えますけれども、
実は新しいものを創造する前の大事な過程なんですね。
何もしない状態の中からこそ、
普通の状態では容易に動かないものが動く可能性が出てくるわけですよ。
普段僕らが考えることといったら、
例えば何かを手に入れたいからお金をどこから工面しようとか、
どうやって値引してもらおうとか、そんなことですね。
つまり目に見える方向性があって、そればかり考えている。そういう時は、
どんなに一生懸命考えてもその方向性に関係することしか動かないわけです。
ところが「何も方向性がない」「何も目標がない」という状態からは、
普段では考えつかない途方もないことが出てくる可能性があるわけですよ。
その途方もないことが起きるのが面白いわけです。
将棋の場合でもそうでしょう。
定跡を知っていないと話にならないけれど、
定跡にこだわっていたら面白い将棋にならない。
それを全部取っ払うから面白い手が出てくるんですね。
だから、なんにもこだわらない状態というのが大切なんです」(P170)


最後の「だから」なんておよそ論理上は考えられない「だから」だよな(笑)。
ぜんぜん「だから」でつながっていないのに、「だから」で落ちている。
この非論理性が河合隼雄の魅力なのだろう。はなから学問ではないのである。
「何もしない」を続けていたら、ただ歳を食うばかりではないか?

「私の年齢になって、一番よくあるのは記憶力の減退ですね。
つまり「物忘れ」です。
物忘れがすごく豊かになって、豊かなシニアライフを送っていますよ(笑)。
だいたい、人生なんて忘れてしまったほうがいいことがたくさんありますよ。
しかも、それを意図的に忘れるんじゃなくて、
自然にスーッと忘れていけるところが素晴らしい。
それで、いま谷川さんに「こんなことを忘れて得しましたよ」
といういい例を教えてあげようと思ったんですが、駄目ですね。
当たり前ですが、忘れてしまったことは、
やっぱり忘れてしまったままです(笑)」(P31)


河合隼雄がもし論客だとしたら、この人に勝てる人はいないだろう。
いい加減すぎてそもそも勝負にならないはずである。
もしかしたら人生という勝負に、そういう向き合い方をしてもいいのかもしれない。

「未来(にらい)の海~リリー踊り子日記~」(早坂暁/「月刊ドラマ」1991年4月号/映人社)

→テレビドラマシナリオ。NHK。連続6回。平成3年放送作品。
早坂暁(日本大学藝術学部卒)。
山田太一(早稲田大学教育学部卒)。
倉本聰(東京大学文学部卒)。
脚本家と学歴の相関などないに決まっているのに、なぜか考えてしまう。
倉本聰のドラマはいかにも東大的な押しつけがましさがあるのではないか。
山田太一のドラマからいかにも早大的な反骨を感じるのは間違いか。
早坂暁のドラマはいかにも日大的な奔放さがあるような気がする。
難しいことは言わない。要は楽しめればいいじゃないか。
娯楽に徹していると言おうか。
派手なアクションシーンの多いことからも、そういった気風を感じる。

早坂暁のドラマ作法を研究する。
テクニック1「先を臭わせる」。

リリーの声「これが×××××(沖縄方言で溺死)ではなく、
殺人と判っていれば、第二、第三の殺人は防げたかもしれません」(P82)


テクニック2「ハラハラさせる」。
犯人が大便用のトイレに隠れている。
刑事が入口から順番にトイレのドアを開けていく。
犯人は拳銃を取り出す。
いかにもなアクションシーンの前触れだが、効果は抜群であろう。
なにかが隠れているシーンはドラマの緊張を高める。

テクニック3「身体のパーツのみ描く」。
これは早坂暁独自のシナリオ技術である。
人物の全体を見せないで(だれであるか知らせないで)部分のみ見せる。
だれなのか視聴者は気になるはずである。

○ペンションの入口・階段(夜)
十九の春の唄声にあわせて――
足が階段を、よろけながらあがってくる。――誰か?」(P107)


ドタバタ劇を好む早坂暁の作品は、シナリオよりも映像で楽しむべきだろう。
アクション(=ト書き)の楽しさはシナリオではわからないのである。
セリフの魅力ならシナリオでも十分味わえる。
山田太一のシナリオの楽しさがセリフによるものだということがわかる。
「僕はあした十八になる」(鄭義信/「テレビドラマ代表作選集2002年度版/日本放送作家協会)

→テレビドラマシナリオ。平成13年放送作品。NHK。
三島賞を受賞した佐伯一麦の「ア・ルース・ボーイ」を
岸田賞劇作家の鄭義信が脚色したのだから、
芸術祭の大賞くらい与えなければテレビ界の面子が保てなかったのだろう。
鄭義信は経歴を見ると受賞歴が華々しい。
ああいうのを取る人は、あっちもこっちも独り占めしている。
おそらく作者は才能のあるひと握りの人間に属するのかと思われる。
いっぽうで賞を取れない人はまったくのゼロが多い。
つまり、才能がないのだろう。
透明感のあるセリフがよかった。
田舎から上京してきた吃音症の勤労青年が、暖かい親方家族と食卓を囲み、
泣きながらメシを食うところなど、
健気に生きる庶民のいじましさを美しく謳い上げていたのではないかと思う。

「幼なじみ」(山田洋次、高田三郎/「テレビドラマ代表作選集1975年度版/日本放送作家協会)絶版

→テレビドラマシナリオ。TBS。昭和49年放送作品。
雪深い北海道で生き抜く庶民のささやかな結婚話を丁寧に描く――。
そんな感じの企画からスタートしたのかな。
健気に生きる庶民の美しさを描きたい、とか。
まあ、無学な庶民ほど浅ましいものはないのだけれど、
それを描くことができるのはおなじ山田でも洋次ではなく太一のほうなのだろう。
洋次さんは庶民を手放しで礼賛しているよね。
太一さんはどこかで庶民をバカにしている。
自己批判の有無によるのだろう。
つまり、洋次さんは庶民出身ではなく、太一さんは根っからの庶民だということである。
「ユタとふしぎな仲間たち」(原作:三浦哲郎、脚本:早坂暁/「テレビドラマ代表作選集1975年度版/日本放送作家協会)絶版

→テレビドラマシナリオ。NHK。昭和49年放送作品。
原作が三浦哲郎で脚本が早坂暁だから、さぞかし傑作と思ったら……。
あらためてシナリオだけでも楽しめる山田太一作品の凄さに気づく。
まあ、シナリオは設計図なのだろう。
シナリオで読んで退屈でも、いくらでもいい映像ができるのかもしれない。
それにこれは子供が主役。
テレビはどうしてか子供を好むよね。数字が取れるからなのだろうけど。
それに考えてみたら、テレビを見るのはむかしから女子供(おんなこども)。
オッサンとテレビドラマほど相性が悪いものはないのだろう。
だから、オッサンの感想ほどどうでもいいものはない。
いかに女子供の浅はかな感情を刺激するかがドラマ創作のコツではないか。
そして、テレビを見る女子供へ金を注ぎ込むのが、辛い辛い男なのである。
日本経済は女子供を中心にしてまわっているのだからあきらめるほかない。
「再会」(山田太一/「テレビドラマ代表作選集2002年度版/日本放送作家協会)*再読

→テレビドラマシナリオ。平成13年放送作品。単発ドラマ。芸術祭優秀賞受賞作。
どうしてクソ庶民の家族がワーワー、ギャーギャー、
ピーチクパーチクやっているだけなのに、こうもおもしろいのだろう。
家族というしがらみの不自由性(宿命性)を脚本家が愛しているのがわかる。

「みんな生きたいように生きて、困らないさ」
「俺がどんな思いをしたと思ってるんだ」
「勝手じゃないか」
「そっちこそ意地をはるな」
「まあ狙われるような財産もないんだし」


感情(意地)と打算(損得)こそ、庶民の大切にするものなのだろう。
感情があるから、ときには損得を度外視した行動をする。
損得を考えて、別のときにはぐっと感情を抑える。
クソ庶民の哀しくも意地らしい生き方である。
感情は心理学の領域である。損得は経済学の領域である。
しかし、どんなに学問を勉強しても、山田太一ドラマの動きはわからないだろう。
クソ庶民の動きをインテリが読める日は、未来永劫、来ないと思われる。
だから、おかしいのだろう。
山田太一ドラマはクソ庶民的なおかしみに満ちている。

「ハワイアン・ウエディングソング」(山田太一/「月刊ドラマ」1992年7月号/映人社)

→テレビドラマシナリオ。TBS。平成4年放送作品。
山田太一ドラマでタイトルが全部カタカナのものはないと思っていたけれど、
これがありました。
だからかどうかわからないけれども、作家の個性はそれほど出ていない。
脚本家はハワイの美しい風景を信じていたのだろう。
シナリオで読んでもわからないことはたくさんあるのだと思う。
さてさて、山田太一ドラマの登場人物は本当にお節介焼きである。
ハワイで新婚旅行をするはずだった男女が現地で喧嘩してしまう。
それをたまたまツアーでいっしょになった人が世話を焼いて関係を修復する話である。
山田太一用語というのがあるような気がする。
ピックアップしてみよう。村上春樹の「やれやれ」のようなものである。

「人の気持、なんだと思ってんのよッ!(爆発する)」
「勝手なこといわないでよッ!」
「バッカヤロが」
「憐れまれたかな」
「世間というものは、そういうものなの。すいませんで、すまないこともあるの」
「お節介みたいで」
「俺はここで意地はらないと、ずっというなりになりそうで、
嫌なものは嫌だって、意地通したかったんだ」
「大人のいうことじゃないんじゃないか」
「立ち入っちゃいけないこともあるの」
「面白味のない、一生を送ってしまいました」
「私の人生は、これでよかったのかッ? なんて絶対いわない。いわないッ」


どれも他人の顔色を常にうかがいながら生きるクソ庶民の言葉である(笑)。
インテリの言葉ではないということだ。
「真夜中のあいさつ」(山田太一/「テレビドラマ代表作選集1975年度版/日本放送作家協会)絶版

→テレビドラマシナリオ。TBS。昭和49年放送作品。
山田太一さんは遅咲きの作家なのだとよくわかった。
「真夜中のあいさつ」の執筆時、脚本家は40歳である。
芸術祭の大賞を受賞した作品だから、断じてケチをつけるわけではない。
しかし、その後の代表作と比べると、まだ作家固有の味がよく出ていないのだ。
「作者の言葉」を読むと、公にできない裏事情がなんとなくわかる。
「……げにマスメディアで仕事をするということは、
人知れぬ涙多きものです」となにかを匂わせている。
「真夜中のあいさつ」の主人公は深夜ラジオのDJ。
人気がなければすぐに降ろされるという点では脚本家とまったくおなじ立場である。
おなじ「涙」を共有していると思い、このドラマを書いたのだろう。

「この作品のモチーフに、その種の「涙」があったことが事実ですが、
それを「芸術的」に描こうなどという野心はさらさらなく、
いつもながら、視聴率を気にしいしい諸般の事情と思惑の中で
「原型」を少しでもとどめようとしつつ書き終えた作品の一つであります」(P32)


テレビライターは視聴率(数字)が取れなかったら即失業者なのである。
いまほどではないだろうがタレント事務所の顔色も気遣わなければならない。
山田太一のような脚本家は奇跡的存在で、もう二度と現われないのだろう。
どうしてある種、文学趣味の強い山田太一作品が数字を取れたのか?
泥臭さが時代風潮とマッチしたのかもしれない。
ヒロインの青臭いセリフを引用する。

「ラジオを通して、みんなで一人のひとを心配するなんて、
無責任でくだらないなんて思っていたんですけど、
そうじゃないのかも知れないな? と思えてきたんです。
みなさんが、なんかこう、つながりが欲しいんだな、
みんな本当に話し合える友達が、欲しいんだなって思えてきたんです。
私も、淋しかったから、よく分るんです」(P66)


うんうん、わかるわかる。友達ってなかなかできないよね。
だから、淋しい。
むかしはそれを口にするのが、いまほどは恥ずかしくなかったのだろう。
「淋しい」という感情を、脚本家と視聴者はテレビを通じて共有していたのだろう。
それが幸運にも数字に結びついた。
成功者はみなみな時流に乗っているようなところがあるとつくづく思う。
「春の一族」(山田太一/「月刊ドラマ」1993年7月号/映人社)品切れ

→テレビドラマシナリオ。NHK。平成5年放送作品。90分の全3回。
宗教があったら本当はいちばんいいのである。信仰があればどんなにいいか。
どこかの宗教団体に入ることができたらどれほど救われるか。
なにより、ひとりじゃなくなる。孤独を感じないで済む。
なにがいいのか、なにが悪いのか、自分で考えなくても上が指示してくれる。
しかし、現代日本人はなかなか信仰を持てない。教団に入信できない。
だから、さみしい。めいめいバラバラである。泣きたくなってくる。
ここから山田太一はドラマを書き始めるのである。むろん、脚本家も信仰を持っていない。

信仰がないとは、絶対がないということである。
なにをしても構わない。自由である。
その代わり、善も悪もない。絶対の保証を持たない善は、どこまでも偽善でしかない。
宗教(絶対的基準)がない日本人の行なう善は、偽善でしかありえない。
だが、偽善もまたいいものである。偽善で救われることがいくらだってある。
そのとき偽善は親切となる。うまくいった偽善は親切として感謝される。
根っこが善だからといって、人からありがたがられるとはかぎらない。
この場合の偽善は、お節介として迷惑がられる。

偽善→「親切 or お節介」

山田太一ドラマには、バラバラの人間が集って寄り添うというパターンが多い。
「春の一族」もそうである。
便所が共同のぼろい安アパートに家族から飛び出した孤独な人間が複数住んでいる。
そこに会社から解雇処分を受けた元エリート(緒形拳)がやって来て波乱を巻き起こす。
妻子からも見捨てられたこの男は、おかしなことを言い出すのである。
「よかったら、たとえば土曜日の夜とかに、みんなで、集って、
ちょっとしゃべるというのは、どうですか?」
あなたもわたしもみんなだれもがいきなり隣人からこんな誘いを受けたら気味が悪い。
隣近所とはなるべくかかわり合いたくないからである。
自由でいたい。しかし、自由でいるのは、また同時にさみしい。

アパートの二階に女子大生がふたりルームシェアしている。
ひとり(中島唱子)は新興宗教にはまっている。
ある日、このアパートの空き部屋でその団体の会合が行なわれる。
十二、三人の男女に向かって、三十代の女がしゃべっている。
女の目は光り、どこかしら人をひき込む力を持っている。

三十代の女「おとりつぎさまは、有名人を相手にいたしません。
タレントを相手にいたしません。
やって来ても『すまないが』とお断りになっています。
そういう人々が入って来ると、あなた方の悩みに上下がついてしまう。
マスコミが、そういう人に光をあてる。
それは、他の人の悩みを脇に追いやることになる。
そのようなことに、おとりつぎさまは耐えられないとおっしゃいます。
おとりつぎさまは、このようにして集まった方の、
どの人の心とも公平に向き合いたいと願っています。
けれど、おとりつぎさまの身は一つ、信者は全国にわたっています。
今日この集まりには、私が参りました。
けれど、私は私ではありません。おとりつぎさまの心です。
おとりつぎさまは、はるか宇宙のみたまをおとりつぎ、
私は、その心をこの身この口を通して、みなさまにお伝えし、
みなさまの声をおとりつぎさまにお伝えし、共に抱き共に泣くしもべです。
友がいないことを嘆いたことがありますか?
自分は一体なにになれるのだろう、
なにになりたいのだろうと悩んだことがありますか?
愛する人がいない人はいますか?
愛する人が背を向けている人はいますか?
暗闇の野原にほうり出されたような心細さを味わったことがありますか?
容貌に悩んだことがありますか?
病いに苦しんではいませんか?
自分の心の意地汚さ、人の心の醜さにたじろいだことはありませんか?
思いあたらない人は立去りなさい。
その人は私たちの仲間ではありません。
しかし、少しでも思い当る人は仲間です。
少しどころか、溢れる悩みをかかえている人は、私たちの真の仲間です。
もうみなさんは一人ではありません。
なにをしたらいいか迷うこともありません。信じなさい。
おとりつぎさまのお言葉に従い、自分の心をまず見つめなさい」(P75)


うまいよなと思う。声に出して読んだら、しだいに乗ってくるはずである。
「暗闇の野原にほうり出されたような心細さを味わったことがありますか?」
ここがぞくぞくするほどいい。天才脚本家というほかない。
さて、この共同体に入れたら本当はいちばんいいのかもしれない。
仲間がいて善悪の基準も与えられ、とにかく「ひとりじゃない」という安心がある。
しかし、なかなかこういう共同体に入っていけないでしょう?
女・子供なら入っていけるのかもしれないが、いい大人が参加するわけにはいかない。
では、どうしたらいいのか? ずっと孤独に悩んでいなければならないのか?
身近な人に偽善を行なおう。親切をしよう。お節介を焼こう。
知らない人に偽善を施すのはたいへんだろうが、顔を知った人にだったらできないか?
山田太一が「春の一族」に込めたメッセージである。

治郎(緒形拳)は久恵(中島唱子)から、
ルームメイトの桂子(国生さゆり)がAVに出ようとしていることを聞く。
新興宗教に入っているのは久恵だけだから、ふたりは善悪の基準を共有していない。
だから、久恵は桂子にAVに出ないように強く言うことができないが迷う。
むかしからの友人がAVに出るのを止めないでいいのだろうか。
しかし、桂子だって久恵の信仰を止めるようには言ってこないのである。
朝、AVの撮影隊が車で桂子を呼びにやって来る。
ここで治郎が妨害するのである。
自分は桂子の父親だと嘘をついてAV撮影隊を追い返してしまう。

○玄関
治郎「勝手なことをいうぞ。俺は、あんたみたいな娘が、裸になって、男と」
桂子「なにいってんだよ」
治郎「そんなビデオに――」
桂子「なんで知ってんだよ」
久恵「私――」
桂子「(信じられず)どうして?」
久恵「ごめん」
治郎「いいか、つまらないことをするな」
桂子「つまんないって、どうして分るんだよ?」
治郎「俺は嫌だ」
桂子「知るかよ。自由だろ」
治郎「ああ、自由だ。なんでもやれ。
自由だから、なんでもありで、なんでもよくて、なんでもよし。
だったら、俺もいうぞ。嫌なものは嫌だ」(P88)


治郎は論理ではなく感情で桂子にものを言うのである。
このアパートには不登校児の智樹(浅野忠信)がひとり暮らしをしている。
見たところ高校生くらいである。
アパートの大家が親と知り合いで頼まれたのである。
近所の世話焼き婆さんが、ゴミをあさり智樹のメモを見つけてしまう。
そこには「みんな死ね」だの「死ニタイ」だの不穏なことが書かれていた。
事情を知った治郎は、なんの関係もない智樹にもかかわっていこうとする。
近所のコーヒーショップで向き合う治郎と智樹。

治郎「どっか、塾みたいなとこ行ってるの?」
智樹「(首を振る)」
治郎「じゃ、何処へ行くの? いつも」
智樹「いろんなとこ」
治郎「いろんなとこって?」
智樹「図書館とか」
治郎「どういうもの読んでるの」
智樹「わりと――」
治郎「うん?」
智樹「哲学とか」
治郎「哲学?」
智樹「(苦笑)」
治郎「どういう哲学よ?」
智樹「だから、いまの合理主義っていうのは、
なんでも質を無視して量として測定するでしょう」
治郎「そうなの?」
智樹「偏差値58の奴は、偏差値58の奴としか見ないでしょう。
でも、同じ偏差値だって、いろんな奴がいて、偏差値以外のところで、
いろんなものを持ってるのにそういうものは一切無視して
偏差値58の奴としてしか扱わないでしょう」
治郎「偏差値58なの?」
智樹「――」
治郎「こっちは、58がいいんだか悪いんだか、分らない」
智樹「よくもないよ」
治郎「そうか」
智樹「――」
治郎「あんたは、つまり、学校の成績はそんなによくないけど」
智樹「――」
治郎「その辺の奴とはちがって、凄いところを持っている」
智樹「(まさか、というように苦笑しかかる)」
治郎「(かまわず)ただその凄さを、
学校も認めない、親も認めない、世間も認めない。それに腹を立てている」
智樹「――(目を伏せている)」
治郎「君はどこが凄いんだ? なにが凄いんだ?」
智樹「それで――」
治郎「うん?」
智樹「俺をやっつけたつもりなら、お笑いだよ」
治郎「そうか?」
智樹「学校へ行かないのは、行かないんじゃなくて行けないんだ。
行こうとしても、身体が重くなって行けないんだ。
そんな――理屈じゃないんだ(と暗く押し出すようにいう)」
治郎「そうか」
智樹「コーヒーのんでしゃべりたいっていうから、どんな話をするかと思えば、
ピントのずれた説教かよ。えらそうに(と立って、ドアへ)」
治郎「――」
智樹「(すぐポケットから千円札を二、三枚つかみ。
戻って千円をテーブルに、ほうり、出て行く)」
治郎「――」(P101)


今度は智樹から「理屈を言うな!」と反発される治郎である。
論理からにしろ感情からにしろ、お節介は心底迷惑なのである。
親切はうまくいかない場合のほうが多いのではないか?
どこかで偽善だと割り切っていないとなかなかやれないと思う。
世の中、善意から親切をしてもお節介と受け取られ、
逆に嫌われるケースがなんと多いことか! 放っておいてくれ!
悪意よりも取り扱いがむしろ難しいのは善意なのではないかと思う。
思えば、山田太一ドラマの住民はよくお節介をして失敗する。
教科書的には、ドラマの登場人物は自分の欲望に基づいて行動するとされている。
しかし、山田太一ドラマに登場する庶民は、他人のためを思って行動するのだ。
そして、うまくいかない。迷惑がられる。
この点、山田太一ドラマの人たちはまるで創価学会員のようである。
創価学会の人たちはとにかく親切なのである。人のためを思って行動する。
ただし、山田太一ドラマの人々は折伏(勧誘)を行なわない。
そのうえおのれの善意の偽りを、どこかで知っている。絶対を持たないからである。
彼らを善人ぶりたい小市民と言ってしまってもよいのだろう。
山田太一と宮本輝を両方とも好きなファンが結構いるのは、このためなのだろう。
感想文をわざわざ書いてよかったと思うのは、こういう発見があるからである。

作家ならばどの作家もおのれの理想郷を持っている。
そのイメージは正誤の対象ではなく、趣味(好き嫌い)の領域である。
山田太一の理想郷を見ていこう。。
最終回、太って愛嬌がある久恵(中島唱子)のもとに人が集まる。
会社にも家族にも見放された、つまり挫折した元エリートの治郎(緒形拳)。
政治家の妻だったが、離婚をしてひとりになった泰代(十朱幸代)。
アパートの近くでひとり暮らしをしている世話焼き婆さんのフサ(内海桂子)。
みなそれぞれの孤独をかかえ、さみしさにやりきれない思いをしている。

○フサの家・茶の間
炬燵に入っている治郎、泰代、フサ、久恵。
フサ「(向き合っている久恵の手を両手で揉むようにしている)」
久恵「(当惑して)なんなの?(と苦笑)」
フサ「哀れっぽいこといいたいんじゃないのよ」
久恵「うん」
フサ「一人で暮らしてるとね、人の肌に触ることがないの」
泰代「分る」
治郎「俺だってないよ」
フサ「だからさ。たまにね、こうやってるといい気持」
久恵「そうなの?(と苦笑)」
泰代「私も触ろう(と久恵の腕のあたりを掴む)」
治郎「俺も触ろう(と久恵の腕のあいたところを撫でる)」
久恵「どういうの、これて?」
四人、笑っている」(P145)


笑っているばかりではない。人生、笑うようなことばかりではない。
不登校児の智樹(浅野忠信)は恋をした。
相手は音楽大学に通うフルート演奏者の芳子。
智樹は人知れず芳子のフルートを聞いているだけでよかった。
治郎がお節介を焼いて、智樹と芳子を引き合わせてしまう。
もとより良家の子女でエリートの芳子と不登校児が釣り合うわけがない。
どんなに努力してもかなわないことが人生にはある。
智樹の恋は破れた。これはアパートの住民みなの知るところとなる。
今日もいつもの公園で智樹はこっそり芳子のフルートを聞いている。
ひとりである。

○小公園
智樹「――(動けずフルートを聞いている)」

○いつも芳子が吹くところ
芳子、フルートを吹いている。

○小公園
智樹「――(聞きながら一方を見る)」
桂子(国生さゆり)「――(ゆっくり、智樹の方へやってくる)」
智樹「――」
桂子「――(来る)」
智樹「――(目を伏せる)」
桂子「(ベンチの隣にかける)」
智樹「――」
桂子「――」
智樹「――」
フルート、聞えている。動かない二人」(P150)


いまスマップがACのコマーシャルで日本全国の人々にエールを送っている。
「あなたはどんなときでもひとりじゃない」――。
かもし出される偽善臭さに身震いしたものである。
「春の一族」で桂子は失恋した智樹の横に座る。
だが、「がんばれ」とも「ひとりじゃない」とも言わない。
ただ黙って、ふたりでフルートの音を聞いている。
これが脚本家・山田太一の理想郷なのだろう。
とてもいいと感動した。「がんばれ」と言わないのがいい。
ただいっしょにいてあげるだけで、なにもしないのがいい。
なにもできないことをわかっているのがいい。
人間の無力を知っている、あきらめているところがいい。
静かなやさしさで満ちているのがいい。

このたびの東日本大震災で、
3月10日までの平和が「ありふれた奇跡」であることがわかってしまった。
「ありふれた奇跡」最終回のラストで陣内孝則がカメラに向かってピースをした。
陣内の横にはヤンママと赤ん坊がいた。
それから「おれひとりじゃないよ」と言ったのを思い出した。
山田太一最後の連続ドラマでいちばん終わりに発せられたセリフである。