現実は本当にさまざまである。どのような現実もありうる。
驚くような生き方をしている人間が、この広い世界にはいくらだって存在しているのである。
「こうしなければならない」といった規範は、
どれも地域的(日本だけ! 東京だけ!)
かつ時代的(現代だけ! 江戸時代は違う!)なものでしかないのかもしれない。

ちなみに、わたしの知り合いの知り合い(これを赤の他人といいます)に、こんな人が。
不動産収入だけで食べている50過ぎの男性。子なし。美人妻あり。
趣味で喫茶店も経営している。赤字だが、趣味だから問題ではない。
バイアグラを国際輸入して、夜ごと、若くてきれいなおねえちゃんと遊び歩いている。
奥さんは自分の趣味的仕事に夢中で旦那の遊びに気づいていない。

またまた、知り合いの知り合いに鳩山家のジュニアがいる。
むろん、東大卒。嫁も東大卒。
伝え聞く生活レベルは、とても同国人とは思えないほど優雅である。
かと思えば、このまえの「ザ・ノンフィクション」では、
田舎から駆け落ちしてネットカフェ暮らしをしている貧乏カップルが特集されていた。
中年男は、むかしは有名なソフトボールの選手だったとか。
落ちぶれたいまとなっても若いナオンが言い寄ってくるという現実には、
おなじオスとして複雑な思いを抱いた(くそお、いい思いしてやがんな~)。

ようやくトーゴの平間さんの話になる。
1週間ほどまえテレビで見た平間さんは、わたしとおなじ34歳。
世界33ヶ国を放浪したのち、アフリカのトーゴという小国に居を定めた。
ちなみに金髪のイケメン、平間さんはトーゴにいるただひとりの日本人である。
滞在当初は中古車の輸入などをしていた。
現在はネットカフェを経営。1日の売上は5千円。
といっても、トーゴの平均月収は5千円だから十分に裕福な生活ができる。
平間さんが住んでいるのは、トーゴでも上流レベルのマンション。
家賃は月1万5千円。どうでもいいがビールの大瓶はレストランでも1本百円!
平間さんはアフリカの友人数人と、日本人のようにあくせくしない毎日を、
のんびりと楽しんでいるようである。
めったに他人のことをほめないわたしだが、この平間さんは格好いいと思った。
(詳細は「トーゴ 平間」で検索してください。事実ですから)

どんな生き方をしてもいいのである。生きていればいい。
大衆受けするような生き方ばかりが人生ではないのである。
どうしてテレビでは大富豪のタレントが、さも庶民のような口ぶりをするのだろう。
大金持が、貧乏自慢、ケチ自慢をするのか。
勉強しなくてもいい。働かなくてもいい。努力しなくてもいい。
恋人などいなくてもいい。結婚しなくてもいい。友だちがいなくてもいい。
日本のことを考えなくてもいい。税金を払わなくてもいい。法律違反をしてもいい。
人に迷惑をかけてもいい。喧嘩をしてもいい。他人の悪口を言ってもいい。

なにをしてもいい!

なぜなら、人間は「死んでもいい」のだから。自殺をしてもいいのである。
ならば、死んでもいいのなら、どんな生き方も許容されるのではなかろうか?
これをとことんまで突き詰めたのが親鸞の「歎異抄」ではないかと思う。
繰り返す。生きていればいい。なぜなら、人間は自殺をしてもいいからだ。
まいったさー。大損をしてしまったのだ~よ。
今年の6月だったか、戯曲を書き上げたとき、嬉しくて友人5人に郵送した。
もちろん、郵便局からである。1通360円取られて、高いなと思った記憶がある。
その後、コンビニから送ることができるメール便というものがあるのを知った。
先ほど、おなじ戯曲を別宛にメール便で送ったら、うぐぐ、わずかたったの80円なのだから!
ちょっと待てよニッポン! これはないだろう?
どうしておなじものを送るので360円と80円にわかれるのか、おいおいおい!?
もとより、ニッポンに文句を言っても詮無いことである。
知らなかった自分が悪いのだから。
ことほどさように無知は罪である。情報弱者は大損をしてしまうことがある。

ところが、知ればいいのかというと人生はそんなに簡単なものではない。
知らないほうがうまくやれることもまた少なくないのではないか?
たとえば、インテリとヤンキー上がりの配管工のどちらが幸福かを考えてみたらよい。
インテリは将来の不安や非モテに悩みまくるかもしれない。
いっぽうで配管工は、おなじくヤンキーのナオン(=メス)と動物的快楽をほしいままにできる。
「将来? なんとかなるんじゃね?」といったふうに悩まずに済むのである。
「ニッポンの未来? そんなん、どうでもよくね? サーセン! アザース!」

身もふたもないことを言うと、わたしも無知で救われているのかもしれない。
正直白状するが、大学卒業時には知らなかった。企業の新卒至上主義を、である。
両親はともに家系的にサラリーマンとは無縁なので、こちらも知らなかった。
「まあ、フリーターでもいいんじゃない?」で親子同意してしまったのである。
知っていたら、どんな小さな会社にでも新卒で就職したことだろう。
就職したら、ありきたりな常識にまみれ、退屈な人生を適当にうっちゃっていたはず。
既製のレールに乗らず、けもの道を進んだおかげで、どれほど人生の味を知ったか!
たたみのヘリを歩くのは容易だが、コンクリートの塀を落ちずに進むのは難関である。
いま歩いている道の下が燃え盛る炎だとしたら、なおさらである。
むしろ、知らないほうがいい。たたみのへりだと思っていたほうがよろしい。

知ればいいというものではない。だが、知らないと大損をすることもある。
この事実を知ってしまったことは、果たしてあなたにとって幸福なのかどうか――。
わたしの知りえないことである。
昨日も吐き気がひどかった。そのうえ悪寒、微熱、倦怠感である。
寒いのに熱いのである。寒気がするのに身体は熱っぽい。
調べたところ先月の25日から症状は開始。昨日で12日目ということになる。
これほど長く続いた体調不良は人生でなかった。
――と、まるで病気が終わったようなことを書いたら、どうなるかという実験である(苦笑)。
もはや言霊(ことだま)に期待するほかない。

今日は比較的よろしい。これで治ったと思いたい。
こうして、とりあえずの終結宣言を出してみたゆえんである。
長いこと書けなかった手紙も書けたことだし、なにか新しくなったと思いたい。
治ってほしい。
当たり前のことだが、健康でなければ遊ぶのもままならない。
ましてや学ぶこと、である。
快適に動けることがどれほど幸福か――を人間はすぐに忘れてしまう。
いや、忘れていいのである。忘れないと生きていけないのだから。

いつ体調がどうなったかというのは、いわば自己カルテである。
備忘録として記した。お読みくださっているかたのことは、ほとんど考えなかった。
失礼しました。お詫びします。しっかし、だれが読んでいるのよ~♪
風邪という病気の本質はだれかに甘えたくなるところにあるのではないか?
こうまで鬱陶しく風邪が長引くとは思わなかった。
うつ病をこころの風邪とたとえたものはうまい。
要は、機能性がストップしてしまうところがおなじなのだろう。
そして、無性にだれかに甘えたくなる。
風邪で寝込んだときに看病してくれた人と結婚する、
というような物語はあまりにありきたりだが、実際かなりの比率であるのではないかと思う。
風邪のせいでなにもできない。ポンコツ化している自分がいやになる。
くうう、だれかにゴロニャーンと猫のように甘えたい。
今日も酒を抜く。こうなったら、だれかに風邪をうつすしかないような気がする。
吐き気がひどいので観念して近所の病院に行ったよ。
今日は嫌いな院長先生の診療日ではないことも背中を後押し。
ネットのせいで医者の権威というのもずいぶん落ちたのではないかな。
むかしは偉いお医者さんの出してくれるお薬だから効いたという面があったと思う。
いまじゃ、ネットでちゃちゃっと調べれば、
効能から副作用までぜんぶ出てきてしまうのだから。
おかしな処方をしていたら、患者のほうが先に気づいてしまうことさえありうる。

名医というのがネットのせいで減ったのではないか。
数値化できない治癒パワーみたいなものを持った医者はひそかに存在すると思う。
おなじ薬を出すのでも、どの医者が出すかで効き目がまるで変わるような気がする。
ところが、ネットの情報のせいで、どの薬も言うなれば数値で測られてしまう。
このため薬を出す医師のオーラみたいなものを感じ取る能力が患者から失われる。
どの医者もみんなおんなじになってしまうということだ。

今日の医者ははじめてだが、あれはヤブだね。四十代男性。
吐き気を止める薬を出してもらった。
かなりしんどいから患者としては尋ねるわけだ。
「薬をのんだら楽になりますかね?」
こういうとき医者は「はい」と自信を持って断言すればいいのに、あのヤブときたら。
「さあ――。一応そういう成分は入っていますが」だとさ(苦笑)。
訴訟リスクでも考えていたのだろうか?
医者はうまく嘘のつける人がなったほうがよろしい。
「すぐ良くなりますよ」と医者から言われたら、
それがたとえ嘘でも患者はどれだけ安心するか。
その安心がいかほど薬効を高めることか。

わたしの逢った名医にこういう処方をしてくれた漢方の先生がいる。
ある症状を相談した。そうしたら――。
「ああ、それだったらいい薬があります。
私の友人が服用してたいそう効果があったそうです」
こう言って出してくれる漢方薬にどのくらい期待を持てるか。
あのお医者さんの言葉は、果たして本当だったのか、それとも嘘だったか?
嘘だったら(たぶん嘘だと思う)そうとうな名医とお見受けする。
残念なことに今年の4月で担当を外れてしまったので、もう逢うことはない。
結局、その漢方薬はあまり効かなかったが、これはもう仕方がないことである。
なにが病気(異常)かは実のところよくわからないし、
病気はかならずしも治せばいいというものではないのだから。

とりあえず、この風邪を早く良くするように心がけます。
いまアクセス解析を見たら「アル中 風邪のような症状」という検索ワードで来たものが!
これ、もしかして風邪じゃないのかにゃ~?
しばらく「あきらめる」ということばかり考えていましたが、
今日ふと「居直る」という言葉がそれに代わるものとして脳裏に浮かびました。
「あきらめる」のもいいが、「居直る」のはさらにいいのではないか?
優等生は「居ずまいを正す」のでしょうが、わたしのような劣等生は「居直る」に限る。
いままでずっと「あきらめ」モードでしたが、明日から「居直り」モードにできたら――。
そんなことを酔った頭で考えております。

返信しなければならない(というかお返事を書きたい)メール、
書かなければならない(いや、書きたい)礼状(ううん、メールで済ませていいのかしら)、
たくさんたまっています。
明日から順次行なう予定ですので、もし該当者さまが「本の山」をお読みでしたら、
わが亀ぶり(遅延)をどうかお許しくださいませ。
ブログ最終更新後、風邪がぶり返しまして年齢を感じました。
今月の目標は遊ぶことです。
創作の枯渇(アマの分際で偉そうにスンマセン)をうるおすには遊ぶしかありませんから。
パンダが好きなのは――食べること、寝ること、遊ぶこと! くいーん♪
ネットほどおもしろいものは、いまないのではありませんか。
長らく、本当に長いあいだ、底辺階層はものを言えなかったのです。
だれかが見知らぬだれかになにかを命がけで伝えたいと思っても、
成功者(たとえば新聞記者、編集者、プロデューサー、スポンサー等)
の検閲を経なければ不可能でした。
ところが、いまはブログや匿名掲示板でだれでも自分のメッセージを伝えられるのですから。
ネットユーザーは「本当のこと」がいとも容易にわかってしまうのですね。
このことで「夢(=嘘)」がなくなるというマイナス面はもちろんあります。
しかし、ネットのおもしろさを否定してはぜったいにいけないと思うのです。
ネットで人間は世界で唯一、
社会的成功者のバイアス(偏向、利益調整)がかかっていない情報を得ることができます。
知識は人間を幸福よりはむしろ不幸にするとわたしは思いますが、
それでもなにかを知ることほどおもしろいものはないのではないでしょうか?
「本の山」の役割のひとつだと思っています。