※ネタバレあり!ものすごい映画を観てしまった。アルゼンチン映画。
人と人と逢うのが運命だと思えるのと同じように、この映画とも不可思議なご縁を感じる。
観るべきして観たという気がするのである。本日、新宿の武蔵野館にて鑑賞。
この映画には表のストーリーと、裏のストーリーがある。
9割の観客は、表のストーリーしか気がつかないと思う。
感想をネットでぱらぱら見たところ、表だけでも感動しているものが多い。
ところが、この映画の「仕掛け」といったら!
わかる人にはわかるような、たまらない極上の「仕掛け」に満ちているのだから。
未熟な映画経験しか持たぬ身ゆえ、こう断言していいものかはわからないが、
原一男監督の「ゆきゆきて、神軍」「全身小説家」の系列にある映画ではないか?
表のテーマは「愛情と憎悪」くらいになるのか(大衆はこんなもので感動する!)。
隠れテーマは「事実と虚構」である。わかりやすく言えば「本当と嘘」になる。
表のストーリーは推理サスペンスである。
裁判所を定年退職した調査員の主人公(独身男性)が、
25年前の強姦殺人事件の小説を書こうとする。
書いた小説を元上司だった年下の美しい女性上司に読んでもらいに行く。
ここが重要なのだが、
映画は何度も(小説を書いている)現在と過去(回想)を行き来する。
その事件はどういうものかと言うと――。
とある美しい新妻が、なにものかにレイプされ殺害された。
ふたりの職人が容疑者として逮捕されるが、主人公は彼らは犯人ではないと見破る。
ところが、主人公が見つけ出した真犯人はなかなか見つからない。
1年後――。
主人公は、妻を殺された元夫の必死の犯人探索に胸打たれる。
主人公は上司の判事の反対に逆らって調査を再開する。
この上司とのラブ・エピソードもある。
上司は大卒で新卒採用された若く美しい美女。婚約者もいる。
だが、主人公とのあいだに禁じられた恋愛感情が生まれてしまう。
優秀な主人公はアル中の部下と協力して犯人を追いつめる。
一度は犯人を逮捕したものの、上層部の事情で保釈されて主人公は口惜しい思いをする
いつしか調査に協力するようになった年下の女性上司も一緒に歯がみする。
なにものかの裏組織に主人公の部下(アル中)は殺されてしまう。
それも主人公の身代わりとして、である。
追っ手に脅える主人公は田舎へ逃げることにする。
駅のホーム。主人公と年下の上司は向き合う。
ふたりはお互いへの恋愛感情を意識している。
ふたり手を取って田舎へ去るのか? いな、である。
男らしい主人公は、愛する女性を不幸の道連れにできないと思う。
ふたりはホームで涙の別れをする。
25年後、裁判所を「定年退職した」主人公が、
いまは検事になった元上司に小説を読んでもらうために逢いに行く。
主人公は25年前の事件を小説にした。
「推敲が必要ね」と上司は言う。
どうやら駅での別れのシーンが現実にはなかったような事情がちらほらうかがえる。
小説はひと通りの完成を見た。ストーリーは上に書いた通りである。
小説家は作品をたずさえ逢いに行く。
だれにか? 殺された新妻の元夫にである!
ここで衝撃の事実が明らかになる。
元夫は犯人を暗殺していたと告白するのだから!
いやいや、真相は異なる。
主人公がこっそり深夜に覗き見したら、元夫は犯人を私設の監獄に入れている!
ふたたび、小説は完成した。
主人公はいまは出世した年下の美女上司に逢いに行く。
これがファーストシーンとほとんど同じなのである。
ふたりは恋に落ちる予感を残して終了――。
以下に述べることは、この映画をテレビで観ていたら気がつかないことである。
千円以上のカネを支払い、暗闇の中で集中して観たら、中には気づくものいるという話。
正直に言うと、この映画は半分くらいまでは、ありきたりなサスペンスだ。
だが、「仕掛け」に気づくと思わずクスクス笑ってしまう。
要は、なにが本当のことなのか? に注目して観たらいいのである。
ポイントは、裁判所を定年退職した主人公が小説(=フィクション)を書いているところ。
現在の主人公は何度も人生は空しいと言う。空虚であると嘆く。
映像は、実のところ小説(=虚構=嘘)かもしれないのである。
そう思って観ると、映画から「本当のこと(=事実)」が透けて見える。
本当は、主人公の人生になにも劇的なことはなかったのではないか?
年下の美しい女性上司と許されぬ恋をしたというのは嘘。
なにしろ高卒の主人公と、大卒キャリア組の上司とのあいだには深い溝があった。
強姦殺人事件の真犯人がいたと言うのも嘘。
主人公とアル中の部下が真犯人を逮捕したというのも嘘。
そもそもアル中の部下が存在したというのも嘘ではないか?
定年退職した現在の主人公がアル中気味という映像が挿入されている。
主人公はアル中の部下を小説で仮構(=創作)して、そのうえ殺すことで、
人生終盤における難局を乗り越えたのではないか?
嘘だらけの小説を(夫も子どももいる)元上司に見せに行く主人公はほとんど狂人だ!
小説をやさしく受けとめる元上司のやさしさはアルゼンチンの持つ深みを感じさせる。
もし表のストーリーがみな嘘(=主人公の書いた小説)だったらどうなるか!?
いちばん迷惑したのは25年前、美しい妻を強姦殺人された男性である。
主人公は、25年前の被害者遺族に自分の書いた小説(=妄想)を読ませるのだから――。
おそらく、仰天したことだろう。
実際は、元夫は1年も真犯人を捜したりはしなかった!
仕事一筋でなんとか不幸を忘れようとひとり生きてきたのである。
怒った被害者遺族は「帰ってくれ」とドアを開ける。
ところが、主人公の顔を見る。
すると、主人公の人生の空虚に思い至る(=人生なんにもなかった!)。
真相を話そうという。自分の物語(=嘘)を伝えるのである。
実際には、妻はくだらぬ底辺労働者ふたりにレイプされ殺された。
だが、主人公のフィクションにつきあってやる(同じように嘘をつく)。
実はその真犯人とやらを自分が暗殺したという嘘である。
人間は、人生でどれだけフィクションに頼っていることか!
しかし、小説を書いた主人公は、このフィクションに満足できない。
だから、被害者は真犯人を捕まえ私設の監獄に20数年閉じ込めていたという嘘を書く。
最後にアル中の友人の墓参りをするのは象徴的である。
創作をすることで、自分のなかのある部分が死んだということなのだから。
現実にはなにもない。なんにもないのである。
妻を強姦殺人されたものは、なんとかして不幸を忘れようと努めるしかない。
裁判所の下級役人に、劇的なことなどありはしない。
刑事サスペンスのようなことは人生にはないのだ。
人生はなんにもない。なにもない。なにもない。
高卒の下級役人が、大卒の美女と恋愛に落ちるはずがないではないか!
人生に劇的なことはない。
真犯人を追い詰めることも、部下を殺されることも、リアルではないのである。
裏組織から命を狙われるようなことなど人生ではない。ない! ない! なんにもない!
つまらぬ職場を定年退職して、人生の空虚を酒でごまかし、死ぬのを待つしかない。
だが、それではあんまりではないか? あんまりだ。人生、あんまりだ……。
だから、主人公は小説を書く!
だから、映画監督は映像作品を創る!
だから、我われは映画を観る!
「瞳の奥の秘密」は映画の映画である。「ハムレット」が演劇の演劇であったように。
高をくくっちゃいけないと思った。世界にはどえらい映像作家がいるのである。
才能というのは、たしかに存在する。
傑作の条件とはなにか? 世界の見方が変わることだと思う。
その作品に触れるまえとあとで、世界が変わって見えるかどうか――。
「瞳の奥の秘密」を鑑賞後、わたしは新宿がまるで違って見えた。
むろん、明日また新宿に行ったら、なんのことはない、元に戻っているのであろう。
しかし、一瞬でもいいではないか? この一瞬がなかったら、人生はあんまりではないか?
海外の映像作家はものすごいことをする。
どのようにしてこの映画を製作したのだろう?
具体的には、どうやってスポンサーを集めたのか?
自主映画でしか撮れぬような個性的作品だからである。
「瞳の奥の秘密」のシナリオをコンクールに出したら99%一次で落とされる。
本気で集中して接しなければわからない才能があるということだ。
受け手の読解能力の多寡に、非常に左右される作品が世界には存在する。
好き嫌いもある。わたしはどうやらインテリのようだ。
この「瞳の奥の秘密」の「仕掛け」を幸運にも見破ることができたのだから。
これはおそらく映画マニアに偏愛される作品ではないか?
この作品に賞を与えられるアメリカ映画界の度量の広さに感嘆する。
しかし、わたしは「瞳の奥の秘密」が好きではない。
二回、三回とまで観たいとは思わないということだ。
すごいのはわかる。とんでもない映画なのだろう。
だが、こういうシナリオを書きたいとは思わない。
やはり(日本人だからか)山田太一ドラマのような臭い人情芝居が好きなのである。
ともあれ、大きな影響を受けた作品である。私淑しているふたりの師を思う。
原一男先生のテーマ(のひとつ)は「事実と虚構」であった。
山田太一先生のテーマ(のひとつ)は「本当と嘘」だと思う。
弟子を自称するこの身は、これからどのようなものを書いていくべきか?
「瞳の奥の秘密」公式サイト↓
http://www.hitomi-himitsu.jp/