「声をなくして」(永沢光雄/晶文社)

→故人には失礼な紹介の仕方かもしれないが、
ライター永沢光雄氏は「AV女優」の一発屋という印象が強い。
わたしもインタビュー集「AV女優」から氏に関心を持ち始めたくちである。
永沢がガンで声を失ったのは、平積みされた本書で知ったのだったか。
かわいそうだとは思ったが、当時こちらも平穏無事とは言いがたく、
1890円もの金銭を支払って他人の不幸に同情する余裕はなかった。
近頃ブックオフの105円棚に並んでいたのでようやく手に取った。
言うまでもなく、酒を呑みながら読む書籍である。

人生、わからないよな。失礼は承知だが、不幸自慢の本である。
ところが、ところが、永沢光雄は経済力のある女性にヒモとして飼われている。
それどころか、愛されてさえいるのである。愛される! これほどの喜びがあろうか。
ヒモの永沢は毎日、朝から焼酎を飲み始める。
ところが、ところが、永沢の人徳か、医者はだれもこの飲酒癖を批判しない。
永沢光雄はガンで声を失ってかわいそうなのである。
だが、熱心な編集者が幾人もいて原稿依頼が絶えない。
いまは依頼がなくても書きたがるものが大勢いる時代。
作家の永沢光雄先生は編集者から原稿依頼されても書かない天才肌のようだ。

うらやましいご身分だが、ガンの苦痛を思うとやっかむこともできない。
生涯に1冊の書籍を公刊できるだけでも恵まれた人生なのである。
ひとりの女から熱愛されるだけでも、男として生きている甲斐があろう。
(永沢は風貌に似合わずもてたらしい)
ベストセラーを出版できる人間など、本当に限られているのである(「AV女優」!)。
どうなのかわからない。
43歳でガンになる不運は、これらすべての幸運を相殺できるのだろうか。
少なくとも作家はおのれを幸運とは思っていなかったようである。

これは本書の「少し長いあとがき」からもうかがえる。
ヒモとして女から尽くされたベストセラー作家の永沢光雄先生は説教をしている。

「私は、言う。ちゃんと言う! みんな死ぬな!」(P297)

バカヤロウ! 人間は死んでもいいんだよ、永沢さん!

「開高健 眼を見開け、耳を立てろ そして、もっと言葉に…」(開高健/日本図書センター)

→開高健のエッセイ名作集を、酒を呑みながら読むのは悪くない。
こういうのを贅沢というのである。
芸術を志すものは、贅沢をやめるとダメになると思う。
かといって、やたら散財するのが贅沢ではない。
むかしは精神の贅沢があった。いまは気高いものがなにもなくなってしまった。
まわりすべてが賤しいものばかりではないか。
勝てばいいのか。儲かればいいのか。長生きすればいいのか。それだけでいいのか。

「成熟するためには腐らなければならない。
腐敗は恐れ、避けてはならず、むしろすすんでさらけださなければならない。
それが貴いか賤しいかは何年もたってみなければわからない。
経験、イマージュ、言葉をつみとり、たくわえ、陽にさらし、腐らせ、
踏みつぶさなければならない。
頑強な、厚い、暗い樽に封じてその闇のなかでつぶやきをかわさせあい、
クモの巣と冷暗のたちこめる地下の闇のなかで何年となく眠らせなければならない。
才能で書くのでもなく習練で書くのでもなく、
それらに助けられながらも自然を主役として書くときがなければならない」(P52)


待つことほど難しい人為はない。
だが、時間による仕事ほど輝かしいものはまたないのである。
人間は無為でいいのかもしれない。
そのほうが時間の活躍は強まるのであろうから。
なにもしないで待つのが、人間にとっておそらくいちばんの困難である。

「酒呑みに捧げる本」(山本容朗 編/実業之日本社)絶版

→酒を愛する文学者たちの書いた随筆、小説を集めたもの。
思ったのは、むかしの文士はよろしい。めちゃくちゃでおもしろい。
いつから奇行や蛮行を英雄視する視点が庶民から失われたのだろう。
みんな自分とおなじ小市民にしなくては、かれらは満足できないのかもしれない。

酒をいっぱい呑める人間は偉いという価値観がいまだわたしのなかにはある。
なんということはない。
わたし自身が酒の呑み比べで国内国外問わず負けたことがないからである。
自尊したいがための主張であろう。
しかし、やはり、言いたいのだ。
男なら、虚業を志すなら、酒をがんがん無鉄砲に呑むべきではないか。

なにが人間にとってプラスなのか。
健康で長生きすればそれでいいのか。
人生はたびたび旅に例えられる。
旅行はなにもなかったらそれでいいのか。
もしや予想外の事件やハプニングが我われに豊饒をもたらすのではあるまいか。
こう考えたとき、「酒での失敗」はかえって成功方程式のように思えてしまうのだが……。

なにゆえ我われは酒を呑むのか。
長生きしたいからでも、カネを儲けたいからでも、異性にもてたいからでも、ない。
ないのである。だとしたら、いったい――。

「彼女が服を脱ぐ相手」(小野一光/講談社文庫)

→このところまったく不思議である。
どうして最近、道行くきれいな女性が増えたのだろうか。
もうひとつ「どうして」と聞きたいことがあるけれど、こちらは不思議ではない。
どうしてきれいな女性はわたしを相手にしてくれないのだろうか。
女が目の前にいたとするでしょう。聞きたいのは、やはり男性遍歴よ。
かの女体を通り過ぎていった男たちのこと(……ぷぷぷ、いつの時代のエロ本ですか?)。
しかし、ふつう聞けないじゃない。
だから、フリーライターの小野一光さんがワシたち全男性の代わりに聞いてくれたのが本書。

この本への不満はどこに言えばいいのだろうか。
安手の情痴小説よりも退屈なのである。
むろん、著者は聞いたことをそのまま書いたと弁明することだろう。
ならば、ならば――。
どうしてこんなに事実や現実はおもしろくないのだろう。
聞いたままを書いてもつまらない。
だとしたら作者はなにをしたらいのだろうか。
そのとき必要となる才能はいったいなんなのか。
現実のルポからまったくリアリティ(現実感)が味わえないとしたら、
果たして現実とはなんなのだろうか。難問である。

「ついていったらこうなった キャッチセールス潜入ルポ」(多田文明/彩図社)

→都会にはさまざまなキャッチセールスがあるでしょう。
あれについていったらどうなるか試した結果のルポをまとめたのが本書。
「事実は小説より奇なり」なんて言うじゃない。
だから、期待していたのだが、それほど、あまり、ううむ、正直に言うと……。
こういうのはどうしたらいいのかね。
著者に文句を言っても、事実をそのまま書いたのだからと開き直られてしまう。
こちらの本音は、事実なんかどうでもいいから、もっとおもしろくしてください!
けれども、それは小説を書けと言っているようなものゆえ。
事実は、現実は、いかにつまらないか勉強になった。
もしわたしがおなじ体験をしたら、嘘八百を加えて紹介することと思う。
しかし、どうしてこんなに事実や現実はつまらないのだろうか。