どこかあきらめているところがある。
わたしのシナリオは耳で聞いてもたぶんわからないであろう。
どうか読んでいただきたいと思っている。
耳よりも目のほうをわたしは信じている。
耳は不自由なものではないか。というのも、耳は漢字を識別できない。
「ガッショウスル」と耳で聞いたとする。これがぱっと「合掌」に漢字変換できるだろうか。
目であったら「合掌」と「合唱」は容易に区別することが可能だ。
「ゲッコウスル」と聞いて即座に「激昂する」と変換できるか。
しかも、この場合、わたしは「激高」ではなく「激昂」を使っている。
この微妙な相違を耳で聞き分けることは完全に不可能というほかない。
食堂の名前などでも、おなじこと。耳は漢字を理解する能力を持たぬ。

音は発声者のスピードですぐに消え去ってしまう。文字は異なる。
だから、あれっと思ったら読むスピードを遅くすることが文字なら可能なのである。
ここは飛ばし読みして、重要な部分をじっくり読み込むということもできる。

シナリオ・センターの言い分は一貫している。
視聴者は耳で聞いている。だから、耳で聞いてわからないシナリオはダメ。
一見、正しいようだが、賢明なみなさまは疑問を感じるのではありませんか。
いったいだれがシナリオを聞くのだろうか。
コンクールの下読みはシナリオを耳で聞くのだろうか。選考委員も同様。
ディレクターはシナリオを耳で聞くと思う人はいますか。
役者はシナリオをもらったら、まずどうするか。
やはりシナリオは読まれるものなのではないだろうか。
最終的には、このようにありとあらゆる人間が読み込んで、
わかりやすく再構成されたシナリオがドラマとして視聴者の目と耳に届けられる。
9月3日、表参道にあるシナリオ・センターへおもむく。
今日は7時半の男。まず事務局で月謝を払う。8500円。
教室へ入る。今日も受講生は少ない。すぐさま発表の順番になる。
もうニヤニヤするしかないわけね。今回の課題は「やっつけ」だから。
はなから誉められようとも、理解されようとも、期待していない。

受講生の感想は「わからない」「わからない」「わからない」。
わたしはニヤニヤしながら「ごめんなさい」。
Uさんがなんか激しているのね。怒っている。「はあ?」とわけがわからなかった。
感情を昂ぶらせて、「この主人公にはまったく感情移入できない」。
悪意がビンビンで「やっつけてやろう」と思っているのがひしひし伝わってくる。
Uさんはほかの受講生をあおる。「本音を言ってやりなさいよ」
わたしを吊るし上げたいようなのである。
くだらないシナリオなのは認めるけれど、こうまでUさんが切れている理由が意味不明。
あとで冷静になって思い返したら、
シナリオのなかの「アリストテレス」や「ドラマは葛藤だ」がUさんを刺激したのかな。

U「きみはわかっていないが、人間の個性というのはね。個性的の意味はね」
こう早口で言いながら、Uさんは黒板に「個人的」と書く。
わたし「先生、漢字が違いますよ」
U「――(あわてて黒板消しを使う)」
人間の個性についての五十男ならではの卓見を聞くことはできなかった。

U「きみは山田太一が好きなんでしょう」
わたし「はい」
U「山田太一のシナリオの人物は感情移入できるでしょう」
わたし「はい」
U「ほうら。きみももっと感情移入できる人間を書きなさいよ」
わたし「――」
U「ありきたりなものを書いてくださいよ(得意気)」
わたし「――」
U「そうだ、こうしよう。次回の課題は『不安』。ボクが言ったとおりのシナリオを書きなさい」
わたし「私は人からこう書けと言われたものは書けません」
U「これは講師の命令だ」
わたし「書けません」
U「――」
わたし「――」

またまたUさんからシナリオ・センターを辞めるように言われる。
理由がすごいんだな。これを本当に言われたのですからね。
なんでもわたしのシナリオは、聞くものにとって不愉快すぎる。
わたしのシナリオは他の受講生に失礼である。
わたしのシナリオを聞くのがいやで教室へ来なくなってしまう受講生もいるのではないか。
だから、シナセンを辞めて独学したほうがいい、と講師のUはのたまった。

拙作がそんなに強い影響力を持つのなら、はなはだ光栄のいたりと言うほかない。
けれど、たかだか10分でしょう。いくら退屈でも我慢してくださいよ。
Uさんはなにか勘違いしているようだが、わたしは毎週2千円、あなたに金銭を施している。
Uさん自身が口にした言葉を使えば、「お客さん」でしょう。
ここまで失礼な暴言を吐く神経がわからない。
どうやらUさんの評価のなかでは、拙作シナリオが最低レベルにあるらしい。
この人はね、「正義の味方が悪役を打ち負かす」といったシナリオが好きなのよ。
こういうシナリオを受講生が発表すると「なかなかやるね」と絶賛するのだから。

拙作への講評は早々と終了する。で、なにが始まると思いますか。
シナリオ・センター講師のU先生によるご講義――。
あまりシナセン研修科での授業風景は知られていないから公開してみるのも悪くない。
締切の迫った短編シナリオコンクールが話題になっている。
U「ボクは毎日、受講生に気を送ってるんだからね。
きみ(女性受講生)はかならず今晩、びくっと感じるはずだから。
それボクよ。ボクの送った気が通じたの。シナリオを書きなさいという気。やる気。
みんなのところへも毎晩、気を送っているからね。シナリオを書けるようになる気」
わたし「――(ポカーン)」

わたしはマゾなのだろうか。毎週2千円も支払って、こんなゼミに参加するなんて。
いや、サドかもしれないぞ。ゼミは毎週、5分前に終わる。
ほかの受講生が退室したことを確認してからUさんに話しかける。
わたし「Uさんはそのコンクールに向けてシナリオを書かないんですか?」
U「ボクは書きません」
わたし「Uさんが書いたらぜったい入選するんでしょうね」
どんな切り返しをしてくるのか期待していたら、お返事をいただけない。
「はい」とも「いいえ」ともおっしゃらない。
見ると、Uさんは怒りと屈辱で小動物のようにプルプル震えていた。
プルプルするってことはまだなにかあるのかもしれない。
Uさんのなかのいったいなにがプルプルを生みだしたのだろうか。

わたしはUさんのことを嫌いになれない。
今日の拙作シナリオだって、大人の講師なら適当にごまかすことができるのよ。
「アハハ、なかなかの実験作じゃないんですか。
でも、まあ、どうかな。ちょっと外したのではないですか。まあ意気込みはいいです。
来週に期待しています」
このような大人の態度を取ったら受講生から恨まれることもないのである。
ところが、Uさんは大人になりきれていない。
おそらく、極端に社会経験が少ないのだろう。
シナセンで「先生」と呼ばれたことも症状を悪化させるきっかけとなった。
才能がないくせにプライドばかり高く、幼児的に感情をすぐに表に出してしまう――。
Uさんにそっくりな人をわたしは知っている。
ふふふ、Uさんはわたしと瓜二つなのではないか。
おそらく、わたしがあと20年間、成功できなかったらU先生になるのだろう。
Uさんと接していると、将来の自分の姿を見せつけられているような思いにとらわれる。
講師を心底からは憎めない理由である。

最後にU先生のいいところをひとつ書いておきたい。
取り巻きがひとりもいないのである。
これはU先生の稀有なる人徳がもたらした結果なのだろう。
たいがい、このようなカルチャースクールでは、講師に取り巻きがついている。
講師への崇拝者が決まっているものである。
講師は取り巻きに守ってもらえるから、安心して自説を述べられるわけだ。
ところが、Uさんには、ひとりとして取り巻きがいない。
シナセン講師のなかでおそらくただひとり孤高の道を歩まれておられる。
こういうひねくれた部分を、わたしはU氏の魅力だと思っている。