8月27日、8時およそ10分前にシナリオ・センターへ到着。
ここのゼミは6時半から8時半まで。もうほとんど終わりかけで入室したわけである。
この不良行動は先輩(笑)から学んだ。
8時ごろにやってきて自作の発表だけして帰る先輩が幾人かいたのよ。
もちろん誉められる行為ではないが、まあ、許される行為だとは思っている。
というのも、時間ギリギリまで書いていたのだから。

今回書いたのはコンクールに応募する作品でもある。
いままでの最高傑作を書くつもりであった。
ところが、このように事前に目標設定を高くすると、なかなか書けない。
アイディアが降ってくる場所は、わたしの場合、主にふたつ。
いちばん多いのは散歩中である。
ストリンドベリはもっぱら散歩から作品を創作したが、
思わずかの(忘れられた)文豪とおのれを比べたくなるほど似ている(恐れ多いぞ!)。
緑のなかを歩いていると(田舎者め!)思いもかけないものが次々と降ってくるのだ。
で、ごくたまに散歩後も、なにも思いつかないことがある。

これがふたつ目のアイディア発想場所。
なんのことはない、パソコンのまえである。書きながら、ひらめく。
しかし、これほど恐ろしいことはない。
先がどうなるか、ゴール地点のまったく定まっていない状態で書き続けるのは恐怖だ。
どこに向かえばいいのかわからないのに、とりあえず走り始めるのである。
この日がまさにこれであった。

何度も投げ出してしまいたいと思った。なにがわたしを駆り立てたか。
締切である。シナリオ・センターである。ぶっちゃけ、おカネである。
この日に作品を発表しないと、卒業が1ヶ月延びてしまう。8千5百円の損失。
1万円近い金額をドブに捨てたくない。この一念がシナリオ創作の原動力となった。
時間が刻々と経過する。あせる。遅刻が決定する。
もうダメかと思う。このときに動くものがあるのだから!
最初に何気なく(なんの意味か自分でもわからず)書いておいたシーンが、
最後の伏線になっていたことに気づくのである。
できあがったのは当初書こうと思っていたものとはまったく別のシナリオ。
しかし、こういうものを書き上げたときの喜びといったら!

限界状態でおのれの無力を実感したときに、ふっと動くものがある。
このときはがむしゃらだから、自分がなにを書いているのかもわからない。
どうしてかものすごいスピードで手が勝手に動くのだ。
アハハ、天才みたいなことを言ってしまった。
むろん、わたしは天才ではない。才能も皆無である。
だが、この瞬間の幸福はなにものにも比しがたい。この快楽をわたしは知っている。
はっきり言って、コンクール入賞なんて、この時点でどうでもよくなっている。
この快感を味わえたということだけで充分なのである。
「それじゃプロになれない」と訳知り顔で批判されそうだが、
プロなんてなろうと思ってなれるもんでもないでしょう。
たまたま運よく、なってしまうものではありませんか。

自分の満足するものが書けたときの幸福感は格別である。
これから先はもうどうしようもないわけ。
だって、評価するのは自分ではないのだから。他者からの評価はどうにもならない。
わたしの可能なのはおのれの満足できるレベルに接近することのみ。
他者からの評価は、相性や時代によって変わるものだから、どうしようもない。

午後7時50分、スキップしながらシナリオ・センター到着。
教室のドアに耳を近づける。
講師と受講生が和気あいあいと歓談している声が聞こえる。申し訳ないなと思う。
「ごめんなさい」と一回合掌してドアを開ける。
瞬間、殺伐(さつばつ)とした雰囲気になるのね(笑)。だから、ごめんなさいって!

発表する。今日のゼミはタメになったなァ。
コンクール応募作品だからこちらも必死なのね。なんとか受賞したいと思っている。
受講生の感想はとても参考になる。
この日、聞いた感想をもとにして後日シナリオを書き直したことを報告しておく。
そろそろ波長が合ってきたのか。
今日のU先生はいままでになく冴えていた。
ここ「どうなの(おかしいんじゃない)?」と指摘されたところは、
たしかにわたしも「どうかな」と思っていたところ。
後日、Uさんのご指摘にしたがい書き直した。
「こう直したらいい」という全面的な「修正指導(?)」は今回初めてなかった。
まあ、これだけ入れ込んだ作品だから、おそらく熱意が伝わったのだろう。
タイトルをこう直したらと指摘される。
いいなと思った。Uさん、うまい指導をするなと初めて感心した。

あれからだいぶ迷ったが、結局のところタイトルは変えないことにした。
というのも、どうせ落ちるのでしょう。
だったら、落ちたときにUさん考案のタイトルだったらぜったいに後悔する。
どのみち落ちるのならオリジナルのタイトルで落選したい。
このタイトルを呪文のように唱えながらシナリオを書き上げたのだから。
教室にいたのはわずか40分だったが、
わたしにとってはいままででいちばん充実したゼミであった。
もしかしたらシナセン生活もいい方向に進んでいるのかもしれない。

あさってはまた木曜日――。果たして新作シナリオを書けるのか。
ひとつ自信になっていることがある。
わたしはいままで一度もシナセンの課題を落としていないのだ。
(書き上げたのに忘れたことはあるけれども……)
「だから、書ける」と信じて毎週パソコンに向かっている。「だから、書ける」――。
できたら今週は遅刻したくない。「8時の男」にはなりたくない。
先ほどコンクール応募用のA4封筒を買ってきた。
コンクールに応募するのは人生でこれが最初である。
シナリオ・センターに通ってよかったと本心から思う。

(追記)いい機会だから講師のUさんの長所を書き連ねておきたい。
なによりよろしいのはシナリオの外形をとやかく言わないところ。
たぶん、男性だからなのだろう。女性講師はくだらない細部を指摘する。
「作家養成講座」のころの添削担当者のT(女性)さんはひどかった。
どうでもいいシナリオの外形をことさら重視するのだ。
おそらく、そうすることでシナリオを書けないやましさを払拭(ふっしょく)していたのだろう。
または指導欲やら支配欲を満足させていた。
Uさんは細かいところにまるでこだわらない。
セリフの「(ト書き)」も、映像にならない表現も、心理描写もまったく注意しない。
とてもいいと思う。すばらしい。
今回発表したシナリオはコンクール応募用のため、
筆にまかせるまま雨嵐のように心理描写を書き込んだが、なんのおとがめもなし。
もしかしたら、(わたしにとって)最適の講師に当たったのかもしれない、とまで思う。