シナリオ・センター研修科課題第3回目。「復讐」(20枚)。

<人物>
羽村貴大(30)大学院生
前原一郎(38)無職
西島孝平(28)会社員
古家夢香(25)アルバイト

○アパート・羽村の部屋(夜)
羽村貴大(30)がパソコンに向かう。キーボードを打つ。
パソコン画面。「徒然茫洋日記」。字が入力されていく。
「初めてコーラを飲んだときのことをきみは覚えているかい?」

○田園風景(朝)
蝉が鳴く。小川が流れる。遊ぶ子供達。
羽村の声「初めてコーラを飲んだときのことをきみは覚えているかい? 
こんな噂がある。コーラは年々甘くなっている。
確かに僕もそうだと思う。甘くなっていると」

○パソコン画面
2ちゃんねる。「低学歴は死ね」「底辺キモイ」「自分語りウザイ」
「死にたい」「生きろ」「どうしたら死ねますか?」
羽村の声「子供の頃は、こんな大人になるとはまるで思っていなかった。
三十回目の夏の話をしよう。
これから書くことをきみは信じてくれないかもしれない。
ともかく僕達はネットのとある掲示板で知り合った」

○渋谷駅前スクランブル交差点
横断歩道の信号が青になると人々の群れが交差する。
みなみな白いノッペラボウの仮面をつけている。
羽村の声「生きるか死ぬか。その掲示板はハムレット病院という名前で、
僕達三人はお互いの顔も知らないのにすっかり意気投合してしまい、
いつしかメールを交わすような関係になっていた。理由はおそらく」

○ニュース映像
終戦の日。皇居前広場。国民が皇居に向かいひれ伏している。
ラジオから「耐え難きを耐え忍び難きを忍び」
羽村の声「僕達が三人とも、いわゆる負け組だったからだと思う。
三人全員、きれいさっぱり負けていた。
人生、負け続き。勝つ見込みはなし。勝とうという元気もなし。
だから、死にたい。けれど、死ねない。そんなとき、掲示板に書き込みがあった」

○道
蝉が鳴く。コーラのペットボトルのキャップがあく。
コーラを飲む羽村。そばに西島孝平(28)古家夢香(25)が立つ。
羽村の声「必ず死ねる薬があります。不安なかたのために練炭も準備します。
車あり。一緒に死んでくれる人を募集します」
西島「――」
夢香「――」
羽村の声「この誘いに乗ってみようかという話になった。
初めて逢うのが心中だなんて、なんだか僕達三人にはふさわしいような」
ボックスカーが三人に近づく。運転席には前原一郎(38)。窓を開ける前原。
前原「(笑顔で)やあ。乗ってくれ」

○車内
車は山道を走る。窓外の山々が美しい。
前原「最後くらい贅沢をしてもいいだろう」
窓の外を見る羽村、西島、夢香。

○コテージ「夢眠(ムーミン)」・全景(夕方)

○同・室内(夜)
前原に導かれ羽村、西島、夢香が入ってくる。テーブルの上にはご馳走。
前原「ここは温泉も引かれているそうだ」
テーブル上のご馳走が半ば減っている。ビールの空き瓶。ワインの空き瓶。
前原「意外と盛り上がらないものだね」
羽村「ええ」
西島「ザマアミロだ」
夢香「うん?」
西島「お盆明け、俺はもうこの世にいない」
前原「そうだよ(と深々とうなずく)」
西島「さようなら満員電車」
夢香「それが理由?」
羽村「やめよう。死にたい理由なんて人それぞれだよ」
西島「そうそう。そこまで安っぽくない」
夢香「そうね。そんなんで死ぬの? 
とか言い始めたら、なんのために集まったのか」
間が空く。四人はそれぞれの思い。
羽村「フフ」
夢香「どうした?」
羽村「なにも起こらないね。こうして人は死んでゆくのか」
西島「そんなもんよ。人生、こんなもん」
前原が腹を押さえて苦しむ。
夢香「大丈夫ですか」
前原は鞄(かばん)を持ち洗面所へ消える。
羽村「(小声で)一体どういう人なんだろう?」
西島「フフ、おカネ持ってそう」
夢香「詮索はやめるんじゃなかった?」
西島「そうだけど」
羽村「ちょっと風格あるよね」
夢香「うん、負け組って感じしない」
西島「それを言うならあなただって。
こんなきれいな人とは思わなかった。死ぬのは」
夢香「それ以上、言わない」
鏡が割れる音。洗面台が倒される音。
前原が戻ってくる。右のこぶしは血まみれ。異常なほど興奮している。
テーブル上の食器を片端から床に落とす。
前原「私は君達が好きだ。抱き締めたいくらい好きだ。
死のうと思う。いいね。スバラシイ。
寿命をまっとうした人間なんざ、唾を吐きかけたいね。自殺者こそが美しい」

○ニュース映像
全共闘。東大安田講堂攻防戦。
前原の声「現代にはもう死しか残っていない。ロマンは個人の死の中にしかない。
カッと燃えるようなことはなにもない。しかし、燃えたいだろう。生きたいだろう。
ならば、死ぬしかないんだ。もうなにもない」

○ニュース映像
三島由紀夫の市谷自衛隊駐屯地事件。
前原の声「いっそのこと親が殺されでもしたらと思う。
けれど、ダメなんだ。ニュースの被害者遺族を見たらわかる。
だれひとりとして犯人に復讐しようとするものはいない。厳罰を望みますだと? 
どうして自分の手で殺しに行かないのか。
生の輝きをわが手に取り戻そうとしないのか」

○コテージ「夢眠」・室内(夜)
前原「唯一残された英雄的行動が自殺だ。
人生はままならない。どうして私は苦しまなければならないのか。
復讐すればいいんだ。神に復讐すればいいのさ。
死ねばいい。自殺は神への復讐だ。人間の神への勝利だ」
前原は高笑い。残りの三人は沈黙。
前原「しかし、簡単に死ぬのはつまらない」
前原は鞄から拡大コピーされたカラー写真を数枚取りだす。
前原「まずはこれを踏んでもらおう」
前原は平成天皇の写真を床に置く。
前原「一人ずつ踏んでくれ。でないと、死ぬことのできる薬はあげられないな」
羽村、西島、夢香は写真を踏む。前原も踏む。
前原は麻生太郎の写真を出す。四人は嬉しそうに順番に写真を踏む。
前原「いいね、いいよ。こうして一歩一歩死へ近づいていく」
前原は池田大作の写真を置く。
前原「この人、知っているかな?」
羽村、西島、夢香は首を振る。
前原「まあ、学会員は自殺を考えないか」
四人は池田大作の写真を踏む。
前原は木村拓哉の写真を置く。四人は踏む。
写真は順番に置かれているから、四人は少しずつ前進していることになる。
前原は上戸彩の写真を置く。真っ先に夢香が上戸彩を力一杯踏みにじる。
思い出したように羽村、西島が一つ前の木村拓哉を再度、激しく踏みつける。
前原「実によろしい(と拍手)。最後は」
前原は鞄から1万円札の束を取りだす。百万円。四人は札束を足蹴にする。
四人はいまや庭へ出るガラス戸の前。
夢香「あなたはどうして死にたいんですか?」

○同・庭(夜)
前原、羽村、西島、夢香は花火をしている。
まずライターで一万円札に火をつけ、それを花火に点火する。
前原「冗談みたいな話でね。デイトレード。株でドカンよ。十億なんて話じゃない。
喜んだのも束の間。腹が痛い。癌(がん)だとよ。末期癌。
どうすりゃいいんだ? 親はなし。妻も子もなし。ギャグだって思ったね。
神様か仏様かにからかわれているんだろう」
みな自分の手の花火を見る。
夢香が花火を振り回す。大の字を書いている。
夢香「大といふ字を百あまり 砂に書き 死ぬことやめて帰り来(きた)れり」
前原「(やさしく)なに?」
夢香「石川啄木。フフ、甘いでしょう」
四人は花火で大の字を何度も書く。

○同(朝)
花火の燃えかすが散らばっている。
羽村の声「朝、男はいなかった。新たな百万円と薬品がテーブルに置かれていた」

○渋谷駅前スクランブル交差点
足が大地を踏む。羽村の第一歩である。
羽村の声「薬は一つずつわけあった。本当に死ねるのかはわからない。
あの二人は必要ないのかもしれない。いま二人は結婚を前提に交際中だ。
今日また三人で逢う」
オーロラビジョンに昭和天皇が映る。
昭和天皇「耐え難きを耐え忍び難きを忍び」
別方向から西島が歩く。別方向から夢香が歩く。交差点の中央で三人は逢う。


(補)いままでは山田太一を模倣。今回初めて野島伸司テイストを狙ってみました。
今日はシナセンがありません。では、どうして書いたのか。
8月は3回しか授業がないのです。しかし作品提出は4回可能らしい。
少しでもスクールにおカネを落としたくないので書きためておいた次第です。
ごめんなさい。はっきり申し上げますがオナニーです。
そのうえ、あまり使わないように言われているナレーションを多用。
次週書くシナリオでふつうの人間ドラマを書けば許されるのかと思いまして。
これを耳で聞いて理解するのは至難のわざでしょう。
読みあげる人も恥ずかしいったらありゃしませんよね。アハハ、書いちゃった。
「もてない男」の小谷野敦さんがブログに発表した小説「天皇の煙草」を読む。
どうせつまらないのだろうと思いながら字面を追うと、意外にも小説世界に引き込まれた。
感想は、たいへんおもしろかった。
内容は著者の最大の関心事「禁煙ファシズム」についてである。
わたしは大の嫌煙家だが(主張はともかく)小説はすばらしいと思った。
幾度、笑ったことだろうか。
小谷野さんは気づいていないのかもしれないが、
「天皇の煙草」は記念碑的な作品になると思う。
私小説でないにもかかわらず、小谷野さんの魅力がいきいきと伝わってくる。
この才能を掘り下げていったら、どんな傑作が生まれるか。
人間の才能はいつ開花するかわからないと考えさせられた。

なによりよかったのは、作者が書かなければならないことを書いていることだ。
自身にとって切実な問題を書きたいから書いているのがとてもいい。
・編集者から依頼されたがために書いた創作。
・コンクールで賞を取りたいから書いた創作。
いまや(我われの目に触れる)ほとんどの創作小説が
このふたつに区分されるのではないか。
非難しているわけではない。
そういう目的でもなかったら、ふつう人間は骨を折って小説など書かないのである。
ところが、小谷野敦さんの「天皇の煙草」はそのどちらでもない。
感銘を受けた理由のひとつと思われる。

ひるがえって、我がことに思いを馳せる。
やはり正論としては、創作は「天皇の煙草」のようなものであるべきだと思う。
コンクール入賞のみを目的として書かれる創作には疑問をいだく。
創作は、人間のあふれるようなエネルギーから自然に生み落とされるものであってほしい。
コンクールに落ちたからといって書かなくなるのは本来ならおかしいのだ。
むろん、職業作家になるために書くのもいい。編集者に依頼されたから書くのもいい。
しかし、いちばんいいのは、どうしようもない欲望につき動かされて、
書きたいものを書きたいように書くことである。
このことをぜったいに忘れてはならないと自戒を込めて思う。
小谷野敦作「天皇の煙草」はたいへんな刺激となった。
「日蓮文集」(兜木正亨:校注/岩波文庫)品切れ

→この文庫に収録されているのは主な消息文(手紙)と、
三大部と呼ばれる主要著作(「立正安国論」「開目抄」「観心本尊抄」)。

日蓮について不用意に語るのはよろしくない。
日本に700万人いるとされる創価学会員さんから総攻撃に遭わないとも限らないからだ。
不毛な論争に費やす時間はない。
どのように日蓮という宗教家を、おのれのなかに位置づけたらいいのか迷っている。
こざかしい真似はやめて初心に帰ろうと思う。
愚直に日蓮の書いた文を読んで思ったことを書くほかあるまい。

≪消息文≫

創価学会員の作家、宮本輝の小説の内部が少しだけわかったように思う。
氏の最高傑作「青が散る」の名ゼリフは、日蓮消息文がオリジナルなのか。
「青が散る」で祐子は言う。

「女は、水ね」(文庫P433)

これは日蓮の以下の手紙から作られたセリフなのだと知る。

「女人は水のごとし。うつは物にしたがう」(P54)

宮本輝の初期小説「春の夢」における老婆の醜い死に顔――。
これも日蓮の消息文を参考にしていたのかと驚く。

「臨終ノ時、色ノ黒キ者ハ地獄ニ堕ツ」(P118)

日蓮の巧みな人心操作術に感心する。
池田大作の魅力も、この系譜にあるのかもしれない。
苦境にいる信者に送った手紙の一部を抜粋する。

「設(たとひ)、殿の罪ふかくして地獄に入給はば、日蓮をいかに佛になれと、
釈迦佛こしらへさせ給にも、用ひまいられ候(そうろう)べからず。
同(おなじく)地獄なるべし。日蓮と殿と、共に地獄に入(いる)ならば、
釈迦佛・法華経も地獄にこそをはしまさずらめ」(P106)


あなたがなんらかの罪で地獄に堕ちるのならば、わたくし日蓮もともに行こう。
この日蓮が地獄に堕ちるのならば、釈迦や法華経まで地獄行きということ。
そんなことはあるはずないでしょう。だから、あなたの地獄行きもありません。
うまさのひとつは、信者の心に寄り添うあたたかさ。
一緒に地獄に行ってもいいというのだから。
もうひとつのうまさは、やはり地獄の使いかただろう。
日本人が本能的に恐れる地獄を見事なまで巧妙に信仰と結びつけている。

それから日蓮の特徴は、その激しさにある。
インドに生まれ死んだ釈迦は、おそらく静かな聖人だったのだと思う。
男は欲望を否定して涅槃(ねはん)を説いた。
この教えが元となってさまざまな仏教流派が生まれたのだが、
日蓮まで来ると釈迦の面影すら感じられない。この檄文を見よ。

「とにかくに、死は一定(いちじやう)なり。其時のなげきは、たうじのごとし。
をなじくは、かりにも法華経のゆへに命をすてよ。
つゆを大海にあつらへ、ちりを大地にうづむとをもへ」(P143)


日蓮には戦闘集団のトップのような風貌さえあったのではないか。
インドで生まれた仏教の、行き着いた先が日蓮とも言いうる。
最終的におなじ仏教という名のもとに、正反対のものになってしまった。
ここにあるいは仏教なるものの本質が秘められているのかもしれない。
なにものも否定せずに呑み込む大河のような寛容性を仏教は持つ。

≪「立正安国論」≫

源信、法然、親鸞、日蓮――と日本の仏教者の書いた文章を読んできた。
平易難解の違いはあれど、どれも似た形式なのだ。
すなわち、引用を重んじる。
漢訳仏典のあそこにこう書かれている。ある漢訳仏典をシナの高僧がこう解釈している。
引用のあいまに持論をはさむ論述形式である。
ことさら日蓮を批判したいのではない。おなじ意味で源信も法然も親鸞も怪しいのだから。
かれら日本の仏教者は、漢訳仏典自体の正しさや高僧の解釈を疑うことはなかった。
ところが、漢語で書かれた仏典や解釈は、まさに山のようにある。
どこから引用するか次第で、どのような仏教でもでっちあげることが可能なのだ。
ある仏典にAと書かれているとする。
しかし、べつの仏典には反対のBが正しいとされている。
このとき、どのような対応をしたらいいのだろうか。
どちらも釈迦の真説とされている場合だ(実際は大乗仏典は人間釈迦となんら関係がない)。
偉大なる法然は選択をした。主著「選択本願念仏集」はその選択の経緯を書いたもの。
結果、行き着いたのが南無阿弥陀仏であった。
この念仏は大流行をする。日蓮が「立正安国論」を書く背景である。

宗教家・日蓮は「選択本願念仏集」から生まれたといってもよいのではないか。
もしかしたらだれよりも「選択本願念仏集」を理解したのが日蓮なのかもしれない。
もし法然が世に現われなかったら日蓮とてさえない田舎坊主で終わったことだろう。
それだけ大きなものを日蓮は法然によっている。
日蓮の南無妙法蓮華経は、法然の南無阿弥陀仏の物真似である。
たとえれば、こういうことである。
いま日本で「アミーダ」という健康食品が大ヒットしたとするでしょう。
似たようなパッケージに「ホーレン」という名をつけて売り出すようなものである。
「ホーレン」は「アミーダ」の成分分析の結果、開発された。
のみならず「ホーレン」サイドは、「アミーダ」は身体に悪いと喧伝する。
さらに元祖はこちらだと言いがかりをつけ、政府に手を回し、
「アミーダ」を販売停止にしようと企んだのが「ホーレン」である。

仏教に話を戻そう。日蓮は「立正安国論」でどのように念仏を否定しているか。

「釈尊説法の内、一代五時の間、先後を立てて、権実を弁(べん)ず。
而るに曇鸞・道綽・善導、既に権に就いて実を忘れ、先に依つて後を捨つ。
未だ仏教の淵底を探らざる者なり。
就中、法然、其の流を酌(く)むと雖も、其の源を知らず」(P187)


法然はシナの高僧、曇鸞・道綽・善導の言に従い南無阿弥陀仏を選択した。
しかし、日蓮は曇鸞・道綽・善導を軽んじる。
なぜなら釈尊は「一代五時」という考えかたをもとに、
「先後を立てて」(先と後を配慮して)、仏教の「権実を弁ず」(本物と偽物を論じている)。
法然はもっぱら善導によって南無阿弥陀仏を打ち立てた。
これに対して日蓮は智(ちぎ)を持ち出してくるのである。
智の教えの「一代五時」とはなにか。
釈尊はいろいろな教えを説いた。多様な仏典があふれている。
これらに整理をつけるのが「一代五時」である。
わかりやすく言ってしまうと釈尊の最後に説いたのが法華経。
釈尊の本当に言いたかったことは法華経。
だから、法華経に帰依しようというのが智の天台宗である。
この天台宗が日本の仏教界の本流であった。
日蓮は法華経信仰に帰ろうと訴えたかったのである。
念仏(=南無阿弥陀仏)から題目(=南無妙法蓮華経)はこのようにして生まれた。

わたしはどちらかといえば題目よりも念仏に思いを寄せている。
この観点から日蓮を批判することもできなくはない。
日蓮は、天台智の正しさを疑っていないでしょう。
智は正しいと頭から決めてかかり、そのうえに教説を積み上げている。
ところが、現代から見たら智の「一代五時」はかならずしも正しくない。
うまくできていることまで否定しないが、フィクションのひとつと言わざるをえない。
そもそも法華経をふくむ大乗仏典は釈尊の教えではない。
さらに法華経は最勝の教えでもなんでもない。
たしかに法華経のなかにそのような記述があるが、だから正しいというのはおかしい。
「私は最強だ」と主張している人間を、発言ゆえに最強と認めるのは変でしょう。
むろん、だからといって念仏が題目よりも勝れているという証拠もない。
目くそ鼻くその世界で、念仏も題目もどちらもフィクションなのだろう。
しかし、フィクションは人間が生きるうえでとても大切なものゆえ無視できない。
フィクションをただの嘘じゃないかとバカにする人間は人生を知らないにもほどがある。
ある人間は念仏に救われ、べつの人間は題目に救われる。
わたしは念仏と題目にとりたてて優劣はないと思うが、
日蓮いわく念仏者は地獄に堕ちる。
このため、よしんば日蓮が正しいのなら、わたしは地獄に堕ちるのだろう。

≪「開目抄」≫

法然の「選択本願念仏集」がいかに偉大だったか思いを馳せる。
法然は秀才だったのだろう。だから、ああまでわかりやすい著作を書くことができた。
「開目抄」は、「教行信証」ほどではないが、それでもやはり難解である。
日蓮の臭いがよく出ているところを抜粋して味わってみたい。
古今、文章にこそ人間が立ち現われるのではないか。
いくら時間が経過していようとも、文章は書いた人間の体臭を伝える。
わたしは「開目抄」の骨子はここではないかと思った。

「日蓮なくは、誰をか法華経の行者として佛語をたすけん。
南三北七・七大寺等、猶、像法の法華経の敵の内、
何況、当世の禅・律・念仏者等は脱(のがる)べしや。
経文に我が身普合せり。御勘氣をかぼれば、いよいよ悦をますべし。
例せば、小乗の菩薩の未断惑なるが、「願兼於業(がんけんおごう)」と申して、
つくりたくなき罪なれども、父母等の地獄に堕て大苦をうくるを見て、
かたのごとく其の業を造て、願て地獄に堕ちて苦(くるしむ)に同じ。
苦に代れるを悦(よろこび)とするがごとし。
此も又かくのごとし。当時の責はたうべくもなけれども、
未来の悪道を脱すらんとをもえば悦なり」(P232)


読み返せば読み返すほど、この文章こそ日蓮思想を具現しているように思えてならない。
日蓮の信仰の実相がとてもよくわかる。
苦しみを悦びに変えるのが日蓮の信仰であった。
信仰があれば、苦しみも悦びに変わると日蓮は言いたかった。
むしろ、苦しみは悦びの種ではないか。ならば、苦しみを求めるのが信仰ではないか。
マゾといったら語弊があるのだろうが、日蓮は苦しみが悦びだと悟っていたように思う。
悦びはなんによってもたらされるのか。苦しみである。
だとしたら、どうしてもっと苦しもうとしないのか。
このような考えが日蓮の根底にあって、数々の法難をあえて意図的に呼び込んだ。
そうは考えられないだろうか。
日蓮があえて敵を作り迫害されて苦しむのは、いったいなんのためだったのか。
法悦のためだったとは考えられはしないか。

「御勘氣をかぼれば、いよいよ悦(よろこび)をますべし」という一文は恐ろしい。
不遇になればなるほど、いよいよ悦びが増すと言っているのだから。
法華経の護持者は迫害されると、まさに法華経が予言しているのである。
苦しみを悦びに変えるメカニズムのひとつだ。
それから「願兼於業(がんけんおごう)」。これも恐ろしい。
人間は思う。どうして自分は苦しまなければならないのか。
この問いへの回答が「願兼於業」になる。
父母の地獄における大苦を代わってこの身に引き受けている。
または、ここで苦しんでおくことで未来の地獄行きを逃れることができる。
日蓮の示したのは、非常に実践的な苦悩脱却プログラムではないか。
苦しみを悦びに変える。苦しみも悦びもおなじ生きるうえでの味わいである。
そうならば、どうして苦味が甘味に変わらないことがあろうか。
人間は人生の苦味を甘味に変えることができるのではないか。
日蓮は苦味を甘味に変えることこそ仏教の醍醐味だと説いたのではなかったか。
したがって、日蓮の教えは人生および生活の辛酸を舐める民衆に広く浸透した――。

日蓮は民衆のヒーローである。英雄は宣言する。

「我(われ)日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ」(P280)

英雄に多少とも誇大妄想的なところがなければ、民衆は安心できないのである。
法然、親鸞は人間を超えるものを説いたのだろう。
しかし、おのれが人間を超えよう(人間を超えた)とはつゆ思わなかった。
念仏批判の急先鋒、日蓮もおなじく人間を超えるものを説いたのである。
そして、ただ日蓮のみがうつし身のまま人間を超えようとした。
果たして日蓮が人間を超えることができたのかはだれにも断言できない。
あるものは超えたという。べつのものは日蓮を狂人あつかいするかもしれない。
日本の仏教宗派のなかでただひとつ宗祖の名を冠にかかげるのが日蓮宗である。
日本最大の宗教団体、創価学会はこの日蓮宗から枝分れした。
現在、創価学会と日蓮正宗は激しく反目している。

≪「観心本尊抄」≫

「観心本尊抄」でいちばん日蓮その人をうかがわせる部分を抜粋する。

「所以(いはゆる)、世間の無常は眼前に有り、豈(あ)に人界に二乗界無らん乎。
無顧(むこ)の悪人、猶ほ妻子を慈愛す。菩薩界の一分也。
但だ、佛界計(ばか)りは現じ難し。
九界を具するを以て強ひて之を信じ、疑惑せしむること勿れ。
法華経の文に人界を説いて云く「衆生ヲシテ佛知見ヲ開カシメント欲ス」。
涅槃経に云く「大乗ヲ学スル者ハ、肉眼有リト雖モ名ケテ佛眼ト為ス」等云云。
末代の凡夫、出生して法華経を信ずるは、人界に佛界を具足する故也」(P299)


ここでは人間の(内的)世界を十に区分する十界論が論じられている。
まあ、わからなかったら身近にいる学会員さんにでも聞いてください(笑)。
引用部分のここさえわかれば日蓮の言いたいことがわかる。
「無顧(むこ)の悪人、猶ほ妻子を慈愛す」。
だれからもかえりみられることのない悪人でさえ、おのれの妻子を慈愛する。
浄土宗と比べると、日蓮仏法は底抜けに明るいところがある。
親鸞の重くよどんだ人間観と比較して(「罪悪深重・煩悩熾盛の衆生」!)、
日蓮の人間を見る目がどれほど肯定的なことか。楽観的なことか。
みんなで肩を組んで明るく歌いだしちゃうようなところが日蓮仏法にはある。
どんな悪人だって、自らの妻は愛おしい。わが子は可愛いのである。
これはたいそうな希望ではないだろうか。
法然や親鸞の浄土教は、仏様の世界はあちらがわ(西方浄土)にあると説く。
阿弥陀仏は人界には存在せぬと浄土宗のやからは説く。
これを否定するのが日蓮仏法である。
仏様は実のところ人間のなかに眠っていると日蓮は破顔大笑するのである。
仏界は手の届かぬ久遠の彼方にあるのではない。
わが胸に、なんじが胸に仏界はしかと存在する。
法華経を固く信仰すれば、かならずや人間にひそむ仏界が目覚めるであろう。
これが日蓮の南無妙法蓮華経ではないか――。

日蓮の周辺は現代なお血なまぐさい。
みなさまも創価学会のいろいろな噂を耳にしたことがあるでしょう。
わたしは南無妙法蓮華経もいいと思うのね。
けれども、あの明るさに内部の暗黒が拒絶反応を示してしまう。
暗くじめじめした南無阿弥陀仏こそわが故郷よ、という思いがある。
突きつめれば南無妙法蓮華経よりも南無阿弥陀仏のほうが居心地がよろしい。
わが家にいるような平安を念仏から感じる。それだけのことである。
なお、当方、宗教問答をする余裕はございません。折伏等はどうかご遠慮ください。

(注)当初は日蓮をゴールにするつもりだった。仏教をめぐる旅。
ところが、今月、岩波文庫で「蓮如文集」が復刊されたとのこと。
あと少しだけ寄り道をしたいと思う。
やはり最後はお題目ではなく、好きなお念仏を称えながらゴールしたいこともあり――。

「キネ旬」の最新号に山田太一さんのロング・インタビューが載っていると聞きつけ、
さっそく立ち読みをした次第。感銘を受けたのは、かの脚本家の姿勢。
いっさいホームページ等に掲載された感想を見ないというのだから。
たとえ大絶賛されていると教えられても、
一箇所でも批判されていたらそれで落ち込んでしまうと嫌だから閲覧しない。
近作「ありふれた奇跡」放送中もこの流儀を通したとのことである。
その理由は、「結局は自分を信じるしかないのだから」――。
なんといさぎよい態度だろうか。強く影響を受けた。

そのうえで昨今のプロデューサー(=P)主導のテレビドラマ作りを批判していた。
というのも、いまはPがライターに10回以上も脚本を直させる。
Pには架空の観客像というのがあって、それに一致するホンを求めるがゆえである。
「だったら(Pが)自分で書けっていう話ですよね」(山田太一談)
よくぞ言ってくれたと思う。拍手したい。大御所でしか断じて言えないことである。
挙句の果てに、ライターはPに壊されてしまう。
Pは人間の才能や個性をもてあそぶのをやめたほうがいい。
第一、Pがライターを呼びつけて何度も直させるなんて「人間として見っともない」。
「(Pはライターの個性を)ほめていればいいんです」――。

わたしはとても自分がプロのシナリオライターになれるとは思えない。
はなから才能がないだろうし、Pと渡り合う才覚もないと思う。
しかし、この山田太一さんのインタビューから学んだことは多い。
批判をことさら気にしないようにしたい。
フィクションほど批判するのに楽なものはないのだから。だって、そうでしょう。
ふたつの批判ベクトルがある。
フィクションというのは嘘。つまり、現実ではないわけである。
だのに、フィクションを「こんなこと現実にはありえない」と批判するものがいる。
じゃあ、現実をかなりのところ忠実にフィクションにしたらどうか。
今度はこんな退屈な現実を描写されてもつまらないと叱られる。
したがって、どんなフィクションも、この両刀で断裁できるのである。
かといって、こんな刃(やいば)を真に受けていたら書き手は壊れてしまうでしょう。
批判は聞き流そうと思う。
山田太一さんの仰せのように、「自分を信じるしかないのだから」――。

よく「だれだれみたいになりたい」という方がおられるでしょう。
わたしの通学しているシナリオ・センターでいちばん多いのは内館牧子ではないか。
「内館牧子さんのようになりたい」とあこがれる受講生である。
スクールもこのところを巧みに用い「あなたも内館牧子になれるかも」とあおっている。
バカじゃないかと思うのね。というのも、あなたはあなたでしかないでしょう。
内館牧子が内館牧子でしかないのとおなじように。
わたしだっていくら著作を読んで真似したところで山田太一になれるわけがない。
ヒントはべつのところにあるのだと思う。
内館牧子さんは内館牧子をとことんまで突きつめたのではないか。
山田太一さんは山田太一を究極まで完成させたのではないか。
こう考えたら、我われのなすべきことがおのずから見えてくるように思う。

だれかべつの人間になろうと思っても無理である。
結局のところ、あなたはあなたでしかない。あなたはあなたにしかなれない。
持って生まれたもののなかで勝負するほかないわけだ。
で、ここが難しい(哀しい)ところなのだが、あなたがあなたとして完成したところで、
それが内館牧子や山田太一のような社会的成功に結びつくとは限らない。
我われが持って生まれたものをみなみな発芽させても成功できないかもしれない。
けれども、可能なことは手持ちのものを開花させることでしかない。
いかに表現の世界での成功が難しいか、ということである。

わたしが目指すのもわたしの完成――発芽、開花、結実でしかない。
実ったとしても社会的成功と縁がないかもしれない。
それでもこの作業は、一生を賭けるに価する仕事ではないか。
みながそう信じているから、益することの少ない創作に夢中になるものが多いのでしょう。
このとき批判は意味をなさない。
全員に満足してもらえるものを作ることができる人間はいないのだから。
老人は高級フランス料理をまずいと断言するかもしれない。
子どもは寿司よりもマックを好むものでしょう。
人の味覚をどうこういっても無駄である。作者に可能なのは、自分だけの味を作ること。
批判や賞賛はあとからついてくるもの。人間にはおよそどうしようもないもの。
こう考えてみたらどうでしょうか。

山田太一さんのインタビューからだいぶ飛躍してしまったかもしれない。
氏を真似て、あまり批判に左右されないような心持を身に備えたいと思う。
批判なんて読まなければいいのである。聞き流せばいいのである。
先ほど、自作シナリオに手厳しい批判コメントがあった。
なんでもシナリオ・センターの受講生らしい。
わたしのシナリオをものすごい勢いで批判していた。
もとより、鍵コメント(管理人だけ閲覧可能コメント)のため、みなさまのお目には触れない。
かの御仁は配慮してくださったのかもしれない。
どうお答えしたらいいのかわからなくて困った。
この記事をお読みになっていただけたらと期待する次第である。
7月23日はシナリオ・センター研修科の第2回目。
習作シナリオをたずさえ意気軒昂に教室に入る。さっそく先生とやりあう。
わたし「先週は気持悪いとか言われちゃいましたからね。
覚えていますか。先生、気持悪いっておっしゃいましたよね」
U先生「覚えていますよ」
わたし「先生は本当にそう思われたんですよね?」
U先生「はい」
わたし「だから気持悪いと言った」
U先生「はい」
わたし「しかし、大人は本当のことを言わないんじゃないですか?」
(*先週、先生はシナリオの主人公を批判して、
「大人はこういうことはしない。本当のことを言わないのが大人だ」と言ったことが前提)
U先生「いやね、こういうシナリオを学ぶ場では、本当のことを言ってもいいのよ」
わたし「じゃあ聞きますが、先生はコンクールで入賞したことがありますか?」
U先生「……」
わたし「コンクールで入選したことはありますか?」
U先生「きみはもし僕がコンクール受賞歴がなかったら、どうだと言うんだ?」
わたし「コンクールで賞を取ったことはありますか?」
U先生「あるよ」
わたし「なんという賞か教えてください」
U先生「(きみは)知らないよ」
わたし「本当に賞を取ったことがあるんですか?」
U先生「漫画原作のコンクール」
わたし「(え? あったの?)へえ」
U先生「教えるのとコンクールは関係ないよ」
わたし「シナリオのコンクールはどうですか?」
U先生「ない」

この先生の唯一映像化されたシナリオは30年以上前のアニメ「クレクレタコラ」。
このアニメのプロット応募に通ったことを言っているのかしら。

U先生「僕の教えかたが気に入らなかったら、ほかのクラスもあるからね」
わたし「いえいえ、先生と逢えたのもご縁ですから」
U先生「一度、ほかのクラスを見学してみたら」
わたし「先生にお願いしたいです」
U先生「人間には相性というのがあるからね」
わたし「わたしと先生、相性いいと思いますが」
U先生「この際はっきり言っておくが、きみは僕にとってお客さんだからね」
わたし「はい」
U先生「お客さんとして接してるんだよ」
わたし「はい。ただ不思議で。先生はシナリオをこう変えたらよくなるというでしょう」
U先生「はい」
わたし「そう言える自信の根拠はいったいなんなのかなと思いまして」
(だって何十年もシナリオを書いていないし、受賞歴もないのですから)
U先生「スポーツのコーチとかでも、教えるほうはかならずしも現役じゃないでしょう」
わたし「はい(この問答はぜったいにあると思っていました)、たしかに。
しかし、スポーツのコーチは、みなみな実績があるでしょう」
U先生「……」
わたし「お菓子作りを教える学校で、
先生がおいしいお菓子を作れないのはおかしいですよね?」
U先生「お菓子とシナリオは違うと思うがね」

ここで教室にひとりいた女性受講生が先生の味方につく。
女性「私も、あなたのシナリオを気持悪いと思いました。
人間はあのような行動をふつうはしないと思います」
U先生「ほうら(見たか)」
わたし「先生、勝ち誇っていますね」
U先生「……(にやり)」
わたし「いえね、シナリオを書いている人からあれこれ言われるのはいいんですよ。
だけど、シナリオを書いてない人(=U先生)からどうのこうの言われるのはね」
U先生「そういうものかねえ」
わたし「はい、わたしはそう思います」
U先生「とにかくゼミはここだけではないからさ。うん、見学してみたらどうだろう」
わたし「先生がいいんです。
だって、先生はこのようにわたしと正面から向き合ってくれるでしょう。そこがいいんです」
U先生「……(本当なのだろうか?)」

シナセン研修科には出席簿というのがあるのね。
どうやらこれは講義が終わった際に講師に渡すものらしい。
わたしが勘違いして、講義開始前に記入のうえU先生へ手渡す。
わたし「これから8ヶ月間、よろしくお願いします」
U先生ははじめて怒気を見せる。出席簿を手で振り払い、「なんだよこれ!」。
いいと思いました。その顔が見たかったんですよ、U先生。
シナセン講師などという商人的仮面の裏にある、その感情を見たかったのです。
お客さんにたえず向けるスマイルではなく、人間Uのなまの感情と触れたかった。
わたしの習作シナリオを思い返してください。「秋が来たら」と「虹色のとき」――。
どちらもおなじパターンでしょう。
警察官や教師という、ことのほか体面を重んじる職業人に主人公が挑みかかっていく。
なにゆえか。ありきたりな常套句に飽き飽きしているからです。
もっと人間らしくならないか。人間らしいなまの感情を見せてみないか。
主人公は警察官や教師に食ってかかるわけです。
結果、警察官も教師も人間の部分を露呈する。さらけださざるをえない。
ここにわずかながらも稀有なる人間理解が生じる。
こういう世界をわたしは研修科の習作シナリオとして書いています。
だからお客さんに怒気を隠せなくなったU先生の好感度は非常に上がりました。
いえね、わかりますよ。U先生は運悪くババを引いたようなもの。
可能ならば、だれかにババを渡してしまいたいでしょう。
しかし、ごめんなさい。わたしはU先生とのご縁を重んじたい。
これからもいろいろあるでしょう。お互い、たいへんな思いをするかもしれない。
けれど、たまにはそういうことがあってもいいのではないでしょうか。
人生に一度くらいならこういう受講生と向き合ってみてもいいのではありませんか。
U先生の何十年という講師人生のなかで、
もしかしたら後年振り返って玉のような思い出になるかもしれないじゃないですか。

こういう考えかたは五十男から見たら甘いのでしょうかね。
シナリオの批判として「現実にそういうことは起こらない」というものがあるでしょう。
しかしと思う。しかし、人間は現実に屈服していればそれでいいのだろうか。
どのみち負けるとわかっていても現実に挑みかかっていくのが人間ではないか。
そういう人間こそ魅力的ではないだろうか。わたしの考えかたです。

拙作「虹色のとき」のU先生の講評は――。
受講生のひとりが、「(主人公の)女子高生が意地悪で……(共感できない?)」。
この感想を深々と満足気に受けとめたU先生。
そのうえで繰り広げられたご指導をここに公開したい。
U先生「作者(=わたし)はどう思って書いているのかな?
この女子高生は先生のことを本当は好きなの? それとも好きじゃないの?」
わたし「……(答えられない)。
ええと、作者って、そういうのをわかって書かなければならないんですか?」
U先生「女子高生が先生を好きかどうかで話が変わってくるでしょう」

このときは答えられなかったが、いまならこう回答したいです。
人間って、そんな単純なものかな?
「好き/嫌い」とはっきり意識できる人間がどれほどいるだろう。
みなさまもそうでしょう。恋人や配偶者を、好きか嫌いか断言できますか?
あるとき(部分)は好きで、べつのあるとき(部分)は嫌いでしょう。
U先生は、女子高生が先生を好きではなく、試しているだけと決めつけた。
けれども、作者としては、そう簡単に割り切られてしまうと不平を言いたくなる。
女子高生は教師にむろん熱愛しているわけではない。
かといって、大嫌いかといったら、そうでもなくて、けっこう気になる存在だったりする。
思春期の揺れる心が、この先生を誘惑してみたらどうなるんだろう、なんて思わせる。
悪い男ではないと思っている。むかし母を愛した男なのだから。
じゃあ、あたしはこの男の目にどう映っているのだろうかと考える。
だから、単純に「好き/嫌い」の二分法では解決できないと思う。
しかし、U先生は物事を簡単にわかりやすくまとめようとする。好きか嫌いか。
それをいえば、わたしのU先生に対する感情だって複雑なのですよ。
まったくの嫌いであるわけがない。
人間は嫌いな人間にはそもそも関心を寄せないのだから。そうじゃありませんか。
少しは関心がある。好きというほど大げさなものではない。
かといって、嫌いと言ったら、そこで漏(も)れてしまうものがあまたある――。

拙作「虹色のとき」へのU先生の講評――。
主人公の女子高生・顕子は意地悪だから魅力的ではない。
高校教師が宿題をやってこない生徒を叱るのは当たり前だから、
顕子の行為に妥当性は見受けられない。
かえって、なんの咎(とが)もない教師・下原正志に同情してしまうくらいである。
U先生いわく、シナリオ「虹色のとき」はこうしたら、少しはマシになる。
あの女子高生をあとで反省させたらよくなると言うのである。
先生に悪いことをしたと顕子がのちのち反省したら魅力ある女になる、とのこと。
これは自分ではもうわからないのね。
言うまでもなく、わたしはいまのままでいいと思っています。
どうでしょうか。みなさまのご感想を知りたい。
たとえば、あのシナリオのラストで、こう書いたとする。
顕子の部屋。写真を手に取る顕子。写真は、集合写真から切り取られたもの。
顕子と下原(=高校教師)のツーショットになっている。顕子「先生、ごめんなさい」
わたしにはわからない。シナリオをこのように改変したほうがよろしいのでしょうか。
シナリオ・センター講師のUさんは、このようにアドバイスしてくれたけれども。

それから「虹色のとき」。セリフの「~~た。~~た。~~た」が気になるという。
わたし「よくないですかね?」
U先生「いえ、山田太一さんもよくやっているから」
わたし「わたしごときが大御所の真似をしても」
U先生「ううん。どうなんだろうかね」
わたし「はい。よくないんでしょうね」
U先生は受講生などお客さんに過ぎぬと先週で再確認したのでしょう。
だったら、とわたしは言いたい。お客さんなら、もっとバンバンほめましょうよ。
どのみちシナセン受講生なんざ99.99%がプロになんかなれないのよ。
いまシナリオだけで食べている(=子どもを大学まで行かせられる)作家は、
日本で10人もいないのではありませんか?
シナリオ・センターは受講生のオナニーを手伝う、いわばサービス産業でしょう。
だったら、もっとお客さんにサービスしたらいいと思うけどな。
講師は、どのシナリオからも一箇所、光る部分を発見する。そこを激賞する。
このようにしたらもっとお客さんが集まると思うのですが、どうでしょうか社長のKさん?
わたしは実践している。
他人のシナリオ朗読を聞いて感想を言うのだが、断じて批判をしない。
いいところをなんとか探しだして、そこをほめるようにしている。
シナリオを書いてくるだけで偉いんです。
だって、U先生はもうシナリオを書けないのだから。
それを言うなら、シナリオ・センター所長のGさんもシナリオを書けない。
シナリオを書けない人間が、シナリオを教えようとするのが、
このスクールの伝統なのでしょう。

講義終了。疲れた。おそらく、U先生のお疲れは、計り知れないでしょう。
わたしのような受講生が来なかったら、もっと楽ができたでしょうに……。
申し訳ないと思います。しかし、人生はマイナスがプラスになるからおもしろいのでしょう。
どうかもう少し、お付き合いいただけませんかね。

結論。わたしは「虹色のとき」の顕子を魅力ある女だと思ったが、
みなさんはそう思わなかったようです。
しかし、わたしは魅力のない女、顕子を愛する。顕子に乾杯したい。
たとえみなさんから嫌われていても、わたしだけはきみ、顕子を好きですからね、乾杯♪
シナリオ・センター研修科課題第2回目。「魅力ある女」(20枚)。

<人物>
伊藤顕子(あきこ)(18)女子高生
伊藤孝子(たかこ)(47)その母
下原正志(まさし)(47)高校教師
渡辺祐美(ひろみ)(18)女子高生
女子高生A(18)

○夢宮学園高校・グラウンド
「第四十五回・体育祭」の垂れ幕。ピストルの音。歓声。
校庭ではクラス対抗リレーが行なわれている。
男女高校生がそれぞれ応援する。
そのなかに渡辺祐美(18)と女子高生A(18)がいる。
女子高生A「マーちゃんがにやけている」
祐美「え、なに?」
女子高生A「見て、あそこ。マーちゃんのだらしない顔。横のきれいな人は誰だろう」
祐美「なーんだ。あれ顕子のお母さんだよ」
保護者観客席で伊藤孝子(47)と下原正志(47)が立ち話をしている。
孝子「フフ、下原くんサマになってる。本当の先生みたい」
下原「からかわないでよ」
孝子「でも、変わらない。やっぱり下原くん」
下原「そうかな。これでもバリバリなんだから。鬼の下原先生で通っているのよ」
孝子「下原くんが鬼なの(と笑う)」
下原「マジメな話。お嬢さん。うまくクラスにとけ込んでいます。友人もできて」
孝子「鬼の下原先生に指導されて」
下原「だから、からかわない」
孝子「あれ、顕子」
校庭のクラス対抗リレー。ぐいぐい追い上げる女子高生がいる。
一人だけみなと違う運動着を着用。伊藤顕子(18)である。美しい。
顕子は走る。先頭ランナーを抜きトップへ躍り出る。ゴール。
しかし、止まらない。顕子は走る。顕子は祐美に抱きつく。
顕子「祐美、やったよ」
祐美「おめでとう、顕子」
顕子は観客席を目で追う。孝子を発見して手を振る。孝子も手を振り返す。
グラウンド脇の木々が紅葉している。

○同・全景
裸の木々。風が吹くが落ちる葉もない。

○同・廊下
顕子が走る。教室のまえで立ち止まり深呼吸。
「冬休み特別講習」の貼り紙。顕子は音を立てずにドアを開ける。

○同・教室
生徒二十人。顕子がこっそり着席。
教壇に下原。祐美が一人だけ立っている。
下原「いいのよ。僕の人生じゃないんだからね。後で泣くのは自分。
泣きながら、先生どうしたらいい? なんて聞かれても僕は知らない。
あなたの問題。あなたの人生」
顕子「(隣席の女子へ小声で)どうした?」
女子高生A「宿題(と両手で鬼のポーズ)」
下原「何度も繰り返すけれども受験はテクニック。
とくに現代文なんていうのは、テクニックだけで解ける。
しかし、何度も練習しなければテクニックは身につかない」
祐美「――(うつむく)」
下原「いまごろになって、この程度の問題も解けない。
そのくせ宿題もやってこない。もう見込みはないと思うね。
これからもずっとこうやって生きていくつもり? 
宿題、忘れました、で生きていけると思う?」
祐美は泣いてしまう。
顕子「(小声で)ひどい」

○同・廊下
顕子がノックして教室のドアを開ける。誰もいない。
今度は「失礼します」と国語科職員室のドアをノック。
ドアを開けるが中を見てすぐに閉める。
「冬休み特別講習」の教室を開ける。誰もいない。下原が通りかかる。
下原「伊藤、どうした?」
顕子「(振り返り)探した」

○同・生徒指導室・表(夕方)
窓からドアへ強い西日が射す。
「使用中」の札がかけられている。

○同・室内(夕方)
顕子と下原が向き合って座る。
下原「お母さん元気か?」
顕子「うん」
下原「勉強は、はかどってる?」
顕子「うん」
下原「今日はどうした? あんな講習、伊藤には低レベルだろう。
ハハハ、僕に逢いたくなったか。そんなわけないよな」
顕子「――(首を振る)」
下原「今年も、あっという間だ」
顕子「祐美に」
下原「うん?」
顕子「祐美に逢いたくて」
下原「あのことか」
顕子「うん。祐美、漫画家になりたいの」
下原「だからといって、宿題は」
顕子「先生、知ってる?」
下原「うん?」
顕子「あたし、まえの学校で」
下原「いや、その話はいい」
顕子「知ってるの? ママから聞いた?」
下原「いや、いいんだ」
顕子「不登校。友だちなんか一人もできなかった。よってたかって、いじめられた」
下原「言わなくていい。まあ、そのだな。
伊藤みたいなきれいな子が、そのうえ頭もいいとなると、どうしても目立つから、うん」
顕子「この学校へ来て、驚いた。楽しい。生まれて初めての親友。それが祐美」
下原「僕だって何もあの子が憎くて叱ったわけではないんだから」
顕子「ママから聞いた。三回だってね」
下原「え?」
顕子「(孝子の口真似で)下原くんから三回も告白されたの。
高校のとき。卒業してから。就職してからも、これが最後だと一回」
下原「やめてくれ」
顕子「情熱的だった。火の玉みたいだった」
下原「アーアッ」
顕子「きみが太陽なら、僕は地球になろう」
下原「(椅子から転げ落ち)ギャーッ」
顕子「きみが地球なら、僕は月になろう」
下原「(頭をかかえ)助けてくれ」
顕子「ウワ、本当に言ったんだ」
下原「大人はね、いいかね。大人は本当のことを言わないんだ。
本当のことは知っていても話さないのが大人だ。きみは子供だ」
顕子「そうかな?」
下原「本当のことなんて、つまらないもんだよ。
うちのような底辺校の生徒なんざ将来が見えている。大学も就職先も三流どころ。
だからなんだろう。おかしな夢にすがりつく。
漫画家、俳優、映画監督、脚本家、小説家。
きちんと大学へ行けばいいのに、変てこな専門学校に通いたいと主張する」
顕子「――(下原の勢いに逆らえない)」
下原「夢はかなわない。フリーター。それでも、夢はかなわない。
そうこうしているうちに、女のほうのお腹が大きくなるのがパターンだ。
幾度となく見てきたパターン」
顕子「それ、本当のことかな? なかには夢がかなう人がいるかもしれない」
下原「いないね」
顕子「祐美が漫画家になるかもしれない」
下原「悪いが無理だろう」
顕子「大人ぶるのって、そんなに格好いい?
先生に、そんなこと言う資格あるかな。祐美を叱る資格があるかな」
下原「あると思っている」
顕子「下原先生、これ解けますか?」
顕子は鞄から冊子を取り出す。東京大学の赤本。国語のページを開く。
顕子「現代文のみ。制限時間九十分」
下原「いまから僕がやるの?」
顕子「受験はテクニックなんでしょう(と意地悪く笑う)。テクニックで解いて下さい」
下原は冊子をペラペラめくる。
顕子「あ、解答はここですから(と片手に持つ別冊の解答集をヒラヒラ振る)。スタート」
問題を解く下原。英単語集を見る顕子。
時計が六時を示す。
顕子「もう真っ暗(とカーテンを閉めに行く)。
書いたのを見せて下さい。あたし昨日やったから。採点してあげる」
下原「(答案を隠しながら)東大はね、模範解答は非公開。赤本が正解とは限らない」
顕子「本当は先生も東大の問題を解けない」
下原「どうしてそう本当のことにばかりこだわる? つっかかってくる?」
顕子「好きだから」
下原「え?」
顕子「先生のことが好きだから(と下原の手を取り、自分の胸に当てる)」
下原「本当?」
顕子「あたしママより魅力ないかな」
下原「本当?」
顕子「初めてじゃないし」
下原は顕子に顔を近づける。唇が接する直前、顕子がするりと逃れる。
机の上の答案を手に取る。答案を奪い返そうとする下原。もみ合いになる二人。
いつしか下原が顕子を上から組み伏せる格好になっている。下原の荒い息。
顕子「あれ、嘘。みんな、嘘」
下原「(ごろりと顕子の横に寝転がり)フフ、振り回すな。お母さんを思い出したよ」
顕子「子供だって嘘をつく」
下原「急いで大人になることはない」
二人はなんだかおかしくなって笑ってしまう。床に転がる答案。

○湯島天神
参拝客の群れ。顕子と祐美が絵馬を書く。
二人は絵馬を目立つところにかける。二人は去る。絵馬が仲良く並ぶ。
ひとつ。小さな字で「大学合格」。大きな字で「漫画家になりたい」。
もうひとつの絵馬。小さな字で「東大合格」。大きな字で「素敵な恋愛がしたい」。


(補)前日にほぼ(頭の中で)完成していたからでしょうか。
今日、書きながら、あまり楽しめなかったです。
シナリオ創作は楽しいからやっているのに、これではいけませんね。
今日もUさんからボロクソに批判されてきます。
「この女子高生は気持悪いね」とか、また言われるのでしょうか(笑)?
このまえ付き合いで仕方がなくクラッシックのコンサートに行ったけれど、
まるでわからないわけである。終始、あくびをしていた。
哀しいくらい、音楽の趣味が悪いのだ。
人のせいにしてしまおう。これ重要よ。人のせいにしてしまう。
なんでも自分のせいだと思うと鬱病になってしまうからね。なるべく人のせいにしよう!
親が悪いのよ。両親ともに低階層出身。
このため子どものころからバイオリンなんか習わされちゃうわけよ。
3歳から10年以上もバイオリンの英才教育を受けた。
いまのわたしの音楽オンチはこの強制教育のせい(ということにしておかない?)。
みなさまが卒倒なさるくらい音楽の趣味が悪い。
たとえばと好きな音楽を紹介したい。
むろん、みなさまにおかれましてはぜんぶ聞く必要などありません。
ウゲエと悲鳴をあげ10秒で消してください。
しかし、こんな悪趣味な音楽がわが心をとらえる――。



↑5年前のインド旅で好きになった音楽(タイの楽曲らしい)。趣味が悪いでしょう。




↑2年前の中国旅で好きになった音楽(韓国の楽曲)。オリジナルは日本の「四季の歌」。
青島で毎日のように酔ってはネットカフェに行き、この曲を飽きることなく聞いていた。

まあ、ドンチャン騒ぎが好きなようである。
イコール、現実が嫌い。現実をなんとか変えたいと思う。
バカヤロウと思う。フザケンナと思う。ひと言でまとめれば、育ちが悪い。
だから、こんな音楽しか好きになれないのかもしれない。
わかってくれ、なんて言えない。わからないでしょう。それでいいのさ、わからない。
7月16日はシナリオ・センター研修科の初日。
30分まえに教室に顔を出すとU先生とやらがおられる。
U先生はかなり痩躯の男性。
一緒にいて不愉快な存在ではないのでひと安心。

ぽつぽつ受講生が集まる。結局、集まったのはわたしを入れて7人のみ。
そのうち作家養成講座から進級したものは6人で残りひとりは他クラスからの転入。
どういうことか。
わたしはシナリオ・センターでいちばん人気のない講師のゼミに入ることができたのである。
だって、先週もこのゼミはあったわけでしょう。
そのときは、おそらく受講生が1人、2人。
もしかしたら講師だけでだれも受講生は来なかったのかもしれない。
言うなれば、不人気講師のU先生はシナセンの給料泥棒。
G所長(事務局かな?)はよくぞこのゼミにわたしを入れてくれたものだと思う。

シナリオを書いてきたのはわたしだけ。
黒板にタイトル、名前、人物表を書き、シナリオ「秋が来たら」を発表する。
こりゃダメだと思う。人物が多いでしょう。
それにわたしはセリフのなかの「(ト書き)」をよく使う。
自分で聞いていてもよくわからないのである。
耳でシナリオを聞くというのは、かなり無理があると思う。

受講生が感想を言ってくれる。感想なし(たぶん意味不明だったのだろう)が2人。
女性がぽつり。「いまは暴走族なんかいない」
男性が「最後に警察官家族が全員で逢いにいくのがよかった」
ありがとうね。最後に講師のUさんの講評が入る。
シナリオを書いてきたのがわたしだけだったので、たくさんのことを言われた。
列記したい。

・この坂本という主人公は気持悪いという設定なの? ストーカーみたいで怖い。
・セリフが説明的過ぎる。山田太一みたい。これから注意しよう(いやだね!)。
・このシナリオは公園でやめていいと思う。和解が成立しているのだから。
・バカな少女が自業自得で死んだだけでしょう。まったく同情できない。
「先生にお子さんはいらっしゃいますか?」「いないけれどそういう問題じゃない」
・警察官がいきなりバカヤロウと怒鳴る理由がわからない。
もっと我慢させたらいいんじゃないの? 「……」を使うといいんだよ。
わたし「『……』で1行使うのがもったいないんです」
U「20枚シナリオになんでも詰め込もうとしちゃダメだよ。課題を書けばいいんだから」
わたし「書きたいこととカリキュラム、どちらを優先したらいいのですか」
U「カリキュラム。プロになったってどうせ書きたいことなんか書けないんだから」
・警察官の妻子は出す必要がない。それって公私混同じゃないの。
・最初のシーンで警察官が暴走族に発砲でもしたらよかったんじゃないの。
・いきなり坂本が警察官のところに行くのが意味不明。おかしい。狂ってるのかな。

まあ、さんざんな言われようである。ひとつも誉められなかった。
ひとつ、わかったのはUさんの耳の確かさ。
長年シナリオを聞いてきたから耳だけは発達したのだろう。

10人以内だと、けっこう気楽に発言できるのね。
授業が始まるまえの雑談の際、U先生に問う。
わたし「先生はいままでどんなシナリオを書いてきたんですか。映画ですか。テレビ?」
U「『官僚の夏』というドラマを見ているかな」
わたし「はい」
U「どうだった? あれは原作の小説があってね」
質問に答えていただけなかった。

シナリオはわたししか書いていないわけで、あとは講師の雑談が始まる。
U「なにか質問はありますか?」
わたし「先生はいまもシナリオを書いていらっしゃるんですか」
U「いや、ボクはね、アハハ」
わたし「最後にシナリオを書いたの何年まえですか?」
U「いつだったかな」
わたし「10年まえとかなんでしょう」
U「まあね、そのね。いまテレビで『××』をやっているでしょう」
おい、話をそらすな! 本当は20年まえじゃないのか?

わたしは新たな自分を発見して驚く。
先生が話しているあいだも口を挟めてしまうのである。
どもりのくせによくもまあと我ながらあきれるが、10人以下なら可能なのだ。
U「シナリオがうまくなりたいなら、とにかく書くことですよ。
3ヶ月も書かないと驚くくらい腕が落ちるから」
わたし「じゃあ、10年以上も書いていない先生は」
U「それは違ってね、運転免許ってあるでしょう。
あれは免許を取って最初に何度も運転すると、あとは訓練しなくてもずっと乗れる。
ペーパードライバーは運転できないでしょう。
最初にうんと練習すると、あとはいくらだって乗れるのよ」
……ものすごいごまかしかたをするよな。
いさぎよく自分にはもうシナリオは書けないとどうして認めないのだろうか。

U「みなさん、コンクールで賞を取りたいでしょう。いまはウン百万円とかあるからね」
わたし「先生もコンクールに応募したことはあるんですか?」
U「いやね、むかしはいろいろ応募したけどね」
ぎゃっ、この自称先生はもしかして1回もコンクールで入選をしていないのか。

U「なにか質問はありますか?」
わたし「先生の書いたシナリオで映像化されたものはありますか(逃がさないぞ)」
U「ボクのことなんてどうでもいいじゃない」
わたし「教えていただけませんか」
U「いえね、みんな知らないだろうけれど、大昔のアニメでね、ちょっとだけ。
ボクはいいじゃない。みなさんがシナリオを書く練習の場なんだから」

U先生はしきりに時計を気にしながら軽口をたたく。
なにも話すことがない。かといって時間が余っているため困っているのだ。
ヘラヘラ笑いながら、早口で軽薄ぶりを発揮する。
こうしたら楽にシナセンの課題が書けるよと説明するのである。
こいつはバカじゃないかと思う。
課題をまえにして、ほかの人とおなじものを書きたくないから、書き手は骨を折るのでしょう。
Uの言ったような書きかたをすれば、みんなおなじようなシナリオになってしまう。
Uはそれで構わないと言うのだから。

研修科初日終了。最後にUさんに問う。「おいくつですか」
「50代としか言えないな」とのこと。

いままで人生でいろいろな「先生」(教師、医者、弁護士)に逢ってきたが、
ここまでひどいのは初めてである。50代でこうまで空っぽな人間は見たことがない。
いったいどんな人生を送ってきたのだろうか。
K先生が人気講師なのがよくわかる。この先生と比べたらいやでもわかる。
所長のGさんが、どれほど偉大だったかも理解する。
なによりあふれんばかりの情熱があった。懐かしく思い出す。
「書きたいことを書いてください。みなさんの熱い思いをシナリオにしてください」
毎回のように訴えていた、あの口ぶりが懐かしい。胸が熱くなる。
Uときたら「書きたいことなんて、プロはどうせ書けないよ」。
プロになったこともない人間が先生としてこのセリフを口にするのだから。
生きていて恥ずかしくないのだろうか。

U先生と逢ったのは、どうにもこうにもならない不思議なご縁である。
奇妙な偶然があったことも書いておく。
こんなこともあるのかと打たれた。
今日わたしが書き上げたシナリオ。
主要登場人物のひとりの(名字ではなく)名前が、U先生の名前と一致しているのである。
こんな偶然があっていいのだろうか。
わたしはUさんの名前を知っていたわけではない。
いくら「U シナリオ」で検索しても名前なんて出てこないのだから。
もしかしたらUさんとは、なにか因縁があるのかもしれない。
かれには悪いが、これもご縁、運が悪かったとあきらめてもらうほかない。
これから毎週のように魅力のない男、Uさんにいろいろ仕掛けていくつもりである。
シナリオ・センター研修科課題第1回目。「魅力ある男」(20枚)。

<人物>
坂上和夫(44)会社員
坂上妙子(42)その妻
坂上美貴(14)その娘(死亡)
坂上伸幸(7)その息子
奥崎正志(35)警察官
奥崎真知子(32)その妻
奥崎舞子(6)その娘
巡査(29)
少年A(17)

○イメージ(夢)
夜なのに蝉が鳴く。
暴走族のバイク九台が走る。追うパトカーが三台。暴走族が散らばる。
そのうちの一台が少年A(17)のバイク。後ろに坂上美貴(14)が乗車。
追うパトカー。運転しているのは奥崎正志(35)である。
美貴はパトカーめがけて火のついた花火を投げる。命中。
ところが、バイクがバランスを崩し横転する。道路に投げ出される少年Aと美貴。
パトカーが急停車。奥崎と巡査(29)は倒れる二人に駆け寄る。血が流れる。
美貴「痛い、痛い! バカ、バカ!」
美貴は奥崎につかみかかる。
奥崎「大丈夫か。しっかりしろ」
美貴は気を失う。

○坂上家・寝室(夜)
坂上和夫(44)が布団から跳ね起きる。頭を振る。
隣の布団で寝ているのは坂上妙子(42)。
妙子は坂上伸幸(7)を抱きしめながら寝ている。
坂上は頭を抱える。

○公園・表
木々が紅葉している。坂上と妙子が歩く。
先にいるのは奥崎。横に自転車。
坂上「奥崎さんだね」
奥崎「はい」
坂上「私たちがだれかわかるかな?」
妙子「やめよう(と坂上の腕を引く)」
坂上「わからない?」
奥崎「はい」
坂上「人が死んでいるのに、ひどいもんだな。この人を見て、娘を思い出さないか」
奥崎「ああ(と、うろたえる)」
坂上「交通課に行った。何度も行った。あなたはいなかった。
どこにいるのかだれも教えてくれない。
生活安全課にも行った。あなたはいなかった。逢いたかった」
妙子「パパ、やめよう」
坂上「あなたの名前がなかなかわからなかった。だれも教えてくれない。
つきまとった。ひどいことも言った。奥崎さん」
奥崎「はい」
坂上「奥崎さん、あなたですね。あなたが、あなたが、娘を、美貴を」
奥崎「あれは事故です」
坂上「そんなことを聞きたいんじゃない」
奥崎「なんのご用でしょうか?」
坂上「逢いたかった。逢って、逢ったら、どうなるのだろうとずっと思っていた」
奥崎「お嬢さんは、たいへんお気の毒ですが、私は職務をまっとうしただけで」
坂上「そんなことを聞きたいんじゃない!」
妙子「パパ、大声はやめよう」
坂上「おい、奥崎。私の目を見なさい」
奥崎「辛いお気持はよくわかります」
坂上「フザケンナ! おまえになにがわかるのか、おい!(と奥崎の肩を揺さぶる)」
奥崎「やめなさい」
坂上「フフ、公務執行妨害か。傷害罪を起こしてやってもいいんだぞ。殺人だってな」
奥崎「(妙子に)どうかお大事に」
奥崎は自転車にまたがる。その前方に妙子が両腕を開いて立つ。
妙子「逃げないでください」
奥崎「奥さんまで」
坂上「逃げるな(と後方で両腕を開く)」
奥崎「いったいどうしたらいいんですか?」
坂上「それを聞きたいのはこっちだ。逢いたかった。
夢に見るくらいあなたに逢いたかった。いま逢っている。どうしたらいい?」
妙子「奥崎さん、私たちはどうすればいい?」
奥崎「土下座でもしろって言うんですか? 
仕事で暴走族を取り締まらなければならなかった。たまたま運が悪かった」
坂上「教えてくれ。どうしたらいい?」
奥崎「そんな」
妙子「奥崎さん、教えてください」
坂上「この人殺しが。おまえはうちの娘を殺したんだ。人殺し! 死んで詫びないか」
奥崎「バカヤロウ! てめえらがしっかり娘を見ていないからいけないんだろう。
どの面さげて、なにほざいてるんだ? 
てめえらが娘をしっかりしつけないから、こんなことになったんじゃないのか」
坂上「――」
妙子「――」
奥崎「ごめんなさい。こんなことを言うつもりでは。失言でした(と下を向く)」
坂上「いいんだ。ありがとう。あなたの言う通りだ。私たちがよくなかった」
奥崎「そんなことは(と首を振る)」
坂上「すまないことをしたね。よくなかった。
あなたは仕事を遂行しただけだ。なにも悪くない。悪いのは、悪いのは」
奥崎「あの晩、倒れているお嬢さんを見て、こんな若い子がと。後で死んだと聞いて」
妙子「奥崎さん、教えてください。
美貴が最後に逢った生きた人間はきっとあなたなんです。
娘の最期はどうでしたか? 苦しんでいましたか?」
奥崎「お嬢さん、ちっとも苦しまなかったですよ。すぐに気を失いましたから。
最後にパパ、ママって。パパ、ママ、ごめん」
妙子「そうですか(と泣く)。ありがとうね」
坂上「娘がお世話になりました」
奥崎「(敬礼して)奥崎巡査長、ただいまからパトロールに戻りたいと思います」
自転車で去る奥崎。見送る坂上と妙子。

○坂上家・全景(夕方)

○同・居間(夜)
テーブルに坂上と妙子が向き合って座る。坂上はグラスにビールを注ぐ。
坂上「アーアッ(と頭を抱える)」
妙子「どうした?」
坂上「なんてことをしてしまったんだ。あの奥崎という警察官、いいやつじゃないか」
妙子「ええ」
坂上「それなのにおれは(とビールをのむ)」
妙子「奥崎さん」
坂上「うん?」
妙子「地域課にいた。交番のお巡りさんになっていた。きっと美貴のことがきっかけ」
坂上「奥崎も苦しんだんだろうな。それなのにおれは奥崎を傷つけるようなことを」
妙子「ううん。そんなことない」
坂上「そうかな。しかし、普通あんなことはやらないだろう。逢いに行かないだろう」
妙子「魅力」
坂上「え?」
妙子「そこがパパのいいところ。普通はやらないことをやろうとするのがいい。
後で反省するパパもいい。今日、惚れ直したかも」
坂上「バカ(とグラスのビールを空ける)」
妙子「私も(ビール)もらおうかな」
ドアのチャイムが鳴る。
坂上「おれが出る。ビール注いどいてくれ」

○同・玄関(夜)
坂上がドアを開けると私服の奥崎、奥崎真知子(32)、奥崎舞子(6)が立っている。
奥崎「(かん高い声で)わたくし奥崎正志、妻真知子、娘舞子、住居侵入罪を犯します」
奥崎、真知子、舞子は玄関に入る。
坂上「(気圧されて後ずさり)なにしに来た?」
奥崎「はい、そのう」
坂上「いや、なんのご用でしょうか?」
奥崎「私は自分の職務において不手際があったとは、いまもって思っておりません」
坂上「ええ」
奥崎「ですから、これは謝罪ではありません。
また暴走族を取り締まれという命令があったら同じことを誇りを持って致します」
坂上「そう」
奥崎「ただ、なんと言うのでしょうか、頭を下げたい。
なにものかに頭を下げたい。だれかに頭を下げたい。
そういう気持になりました。しかし、一人ではできそうにない」
坂上「そうですか」
奥崎「だから、家族の力を借りました。みんなで来ました。(大真面目に)さあ一同礼」
奥崎、真知子、舞子は頭を下げる。
坂上「(居間に向かって)ママ、こっちに来てくれないか。
それからノブ、部屋にいるんだろう。急いで玄関に来なさい」
妙子と伸幸が現われる。
坂上「私たちも、この人たちのように頭を下げよう。ノブ、頭を下げるんだよ。礼!」
坂上、妙子、伸幸は頭を下げる。
低頭する奥崎家三人。低頭する坂上家三人。

○同・階段(夜)
追いかけっこをする伸幸と舞子。
逃げる伸幸。追う舞子。

○同・居間(夜)
時計は八時を示す。
坂上、妙子、奥崎、真知子がテーブルを囲む。
テーブルには美貴の写真、瓶ビール、人数分のグラス。
伸幸と舞子がドタドタ走る音。
真知子「すいません。女の子なのに」
妙子「元気がよくてよろしいじゃないですか」
伸幸が走って居間に入ってくる。伸幸を追って舞子も姿を現わす。
伸幸が奥崎のグラスを倒す。ビールがかかる。
坂上「こら、ノブ。お客さんになんてことを」
奥崎「いいんです。怒らないでください」
舞子「ノブくん、逮捕(と伸幸の手をつかむ)」
妙子「ノブちゃん、犯人役なの? この子、将来の夢は刑事になることなんですよ」
坂上、妙子、奥崎、真知子、みな笑う。
ふてくされる伸幸。舞子はピース。

○××商店街
人だかり。「××よさこい祭り」の看板。
歓声。ピンクのハッピを着た一群が踊りながら登場する。
そのなかに坂上、妙子、伸幸、奥崎、真知子、舞子。


(補)書きたいことを書いたつもりです。
「人間の魅力」よりもむしろ「人間の無力」が主題になってしまったかもしれません。
警察機構がわからなくて「シナリオに書くから」と警視庁に電話して聞いちゃいました。
丁寧にお答えくださったおっさんに感謝。最後には「がんばってね」と。
ええ、はい、おかげさまでがんばることができました。
「坂上」は「神に逆らう」を意識してつけた名前でけっこう気に入っております。
いまから初めての研修科でボロクソに批判されて来ますね(笑)。
「ホンカン仰天す」(倉本聰/「月刊ドラマ」1982年1月号/映人社)品切れ

→倉本聰のドラマをシナリオで読むのはたぶん初めてだと思う。
感想は、あまりに計算されすぎている。伏線の張りかたが嫌味なくらいうまい。
最初のあるシーンがなにゆえあったのか、どれも最後でわかるようになっている。
「笑い」と「泣き」を描くテレビドラマの王道をしっかり守っている。
ドラマとはなにか。「笑い」と「泣き」なのね。
山田太一も野島伸司も倉本聰も、ひたすら「笑う」「泣く」を台本に書いている。
じゃあ、どうして笑うのか。なにゆえ泣くのか。
この仕組みかたが、それぞれのドラマ作家の個性になるのだと思う。

倉本聰は感動シーンで、あえてセリフを用いていない。
山田太一も好む「――」(ダッシュ)を使用する。
倉本聰は深い感情は言葉にならないと、あるいは信じているのかもしれない。
なんでもセリフで説明しようとする山田太一との違いが見られる。
どちらがいいのかはわからない。人それぞれなのだろう。
わたしは山田太一が好きだけれども、あなたは倉本聰が好きかもしれない。

田舎の漁村の巡査、公吉は魚泥棒の犯人を突き止める。
地元で愛される寿司屋の主人、六介が魚をこっそり盗んでいたのだ。
なんのためか。この漁港で獲れた魚はみな札幌へ送られてしまう。
地元の人間は食べられない。これはおかしくはないだろうか。
こういった倉本聰独特の正義感が人によっては煙たがられるかもしれないが、
この視線こそ脚本家の才能といってよいのではないか。

ともあれ、六介はたびたび激安で地元の人間に寿司をふるまっていた。
もちろん主人公のホンカンこと公吉は犯行の理由を知っている。
にもかかわらず、六介に問うのである。なにゆえか。ドラマのためである。

公吉「なンでそんなこと始めちゃったの」
六介「――」
公吉「エ?」
間。
六介――涙(P30)


六介を泣かせることでドラマになるのである。どうしようもないから泣く。
これが日本のテレビドラマの伝統だと思う。
この涙は、古くは近松門左衛門に、さらなる源流をたどれば南無阿弥陀仏に行き当たる。
「愛という名のもとに 第1回」(野島伸司/「ドラマ」1992年2月号/映人社)品切れ

→野島伸司は28歳でこの連続ドラマを書いたわけでしょう。まあ、どえらい才能だわな。
7人の男女群像を描きわけるのは並大抵の筆力ではできないと思う。
それを実にうまくやっているので驚く。
野島伸司は、ほら、イケメンでしょう。若年で成功するとびきりの運も持ち合わせている。
ノリピー(酒井法子)ともやった。
野島伸司は日本全国で数千人はいる(もっといるのかな?)、
貧乏でもてないシナリオライター予備軍のあこがれのマトだと思う。
三十路を過ぎたら男性はシナリオライターを夢見るのはあきらめたほうがいいのではないか。
というのも、テレビは若者を相手にするメディアでしょう。
(実は映画も文学もアニメも音楽もそうではないのだろうかと疑っているのだが)
30を超えた人間に(しかも薄汚く貧乏臭い男に)若者の感性がわかるはずがない。
以上のことを野島伸司の成功を思うとき痛感する。
けれども、人間はあえて失敗人生を歩む自由があることも付言しておこう。

28歳の成功者、野島伸司は江口洋介にこんなセリフを言わせる。
アメリカから帰国した江口洋介は、大学時代のかつての仲間と再会する。
みんなむかしのような熱い友情を失っているのに憤慨する。
そこでこのセリフである。江口洋介が――。

「(うなだれて)俺はオマエらに会いてぇから帰って来たんだ。
カネに汚れた政治家が国動かしてて、教師が女生徒犯しちまって、
他人を傷つけたり蹴落としたりする事でしか自分の存在見つけられない。
そんな……そんなもう何がなんだか分らねぇ世の中でよぅ、
信じられるものって、仲間とかそういうものしかねぇんじゃねぇのかよ」(P114)


40歳も近づいて友人はみんな会社で出世したり、家庭を持ったり……。
そんななかでいつまでも売れないプロットを書き続けている自称シナリオライターに、
とてもこの青臭いセリフは書けないでしょう(笑)。
しかし、こういった泥臭いセリフが若者やお子様には受けるわけだ。

若ければ若いほどいい。
なるべく(男も)女性化されていたほうがいい(草食系男子)。女性ならなおよし。
この傾向は現代さらに強まっているのではないか。
テレビだけではない。すべてのメディアでの成功の秘訣である。
若くなれ。女になれ。若作りをしろ。男臭さを消せ。
ここで「いやだ」という自由が人間にはある。
「なら成功できないよ」に「いいよ」と答える自由もまた人間は有している。

(追記)山田太一のシナリオ本で勉強した野島伸司が「フフ」を連発しているのに微苦笑。
山田太一ドラマに固有のセリフ「フフ」はどうしてか真似したくなるんですよね。

「101回目のプロポーズ 最終回」(野島伸司/「ドラマ」1992年2月号/映人社)品切れ

→わたしなんかはもろに野島伸司ドラマ世代なわけ。
リアルタイムで見ていたドラマでいちばん影響が強かったのは野島伸司もの。
高校生のときリアルタイムで視聴した「高校教師」は最高のドラマ体験だった。
当時、三十路のおっさんが「高校教師」を見ても低俗としか思えなかったでしょう。
テレビドラマはこういうところがある。
女子供(おんなこども)向けと言ったら口が悪すぎるのかな。
「101回目のプロポーズ」もガキのころ再放送で見ている。いいなと思った。
で、三十路になってシナリオで振り返ってみる。
「ドラマ」のバックナンバーに最終回だけ掲載されているのを古書店で買い求めた。
うまいと感心するわけね。舌を巻くうまさ。
野島伸司はこれを27歳のときに書いたわけでしょう。
まさに時代と才能がどんぴしゃりで邂逅(かいこう)した奇跡だったのだと思う。
甘ったるいセリフはガキにしか書けないし、ガキにしか響かないでしょう。
これが野島伸司ドラマ大成功の(あくまでも)ひとつの要因だったのではないか。
もちろんシナリオ自体のうまさもある。

一箇所だけ引用しておこう。
達郎(武田徹矢)は、司法試験に合格したら再プロポーズすると浅野温子に誓う。
浅野温子は死んだ恋人そっくりの裕福なイケメンから求婚されている。
合格発表の日――。達郎は弟の純平(江口洋介)と同居している。
ちなみに純平は、兄のすべての事情を知っている。むろん、心配だ。

○達郎のマンション・玄関
達郎が出掛けるのを純平が見送りに出ている。
純平「兄貴よ」
達郎「(靴を履いていて)んー?」
純平「……あ、いやなんでもない」
達郎「じゃ行ってくるよ」
純平「兄貴」
達郎「ん?」
純平「いや、あ、鯛(たい)買っとくよ。お頭つきのよ」
達郎「おう。赤飯も炊いとけ」
純平「うん」
達郎「それじゃあな」
純平「兄貴」
達郎「なんだよ?」
純平「俺さ……その……うまく言えないけど……」
達郎「(微苦笑)おかしなヤツだな」
純平「生きて帰って来いよな」
達郎「バカ、戦場に行くワケじゃねぇよ」
純平「ハハ、そりゃそうだな」
達郎「じゃあな」
純平「あ、兄貴」
達郎「オマエ、いいかげんにしろ……」
純平「カッコ悪いの通り越して、すごくカッコイイぞ」
達郎「……」
純平「誰も真似出来ないよ」
達郎「(微笑んで)そうか」
達郎、出て行く(P92)


ここがうまいと思った。ストーリーにはまったく関係ないでしょう。
けれども、いい。人間の情感がじつによく出ている。
人を思いやる気持、あたたかさがじんわりセリフからにじみ出ている。
これを書けるのが野島伸司の才能であったのだと思う。

(注)才能は枯渇するもの。今年1月クールの「ラブシャッフル」はひどかった。
野島ドラマをぜんぶ見ていたわたしでさえ開始20分で消すほかなかったです。
お酒をのみながら視聴していたのにもかかわらず、ですね。
野島伸司のケースを考えると、山田太一や倉本聰の枯れない才能はすごい。
いったいどんな業を生まれ持っているのでしょうか。

シナリオ・センター第22回提出課題。「片想い」(20枚)。

<人物>
土肥正史(28)会社員
古田早苗(女)(27)会社員
池上貴子(24)会社員
山下聡(30)会社社長

○繁華街(夕方)
幸せそうなカップルが何組も闊歩している。
インテリア・ショップのショーウインドウにもカップルが。
豚のぬいぐるみのブー太とブー子である。
土肥正史(28)と池上貴子(24)が足をとめる。
土肥「(指さしながら)これかわいくない?」
反対側からやって来る古田早苗(27)と山下聡(30)も同店のまえで立ちどまる。
早苗「(豚を指さしながら)見て見てあれ」
早苗と土肥は顔を見合わせる。
早苗「正史くん?」
土肥「さ、早苗ちゃん――」
早苗は貴子を見る。美人である。土肥は山下を見る。イケメンである。
土肥「行こう」
土肥は貴子をうながし、その場から離れようとする。追いかける早苗。
早苗「待ってよ。せっかく逢ったんじゃない」
土肥「離せよ」

○居酒屋「ビクトリー」・外観(夜)

○同・店内(夜)
個室風に区切られたテーブル席に土肥、貴子、早苗、山下が座る。
土肥、貴子、早苗のまえに生ビール。
山下のまえに烏龍茶。飲み物は減っている。
土肥「(メニューを見て)ううん」
早苗「どうした?」
土肥「いや、ついね、考え込んでしまう。
いちばん原価率が高いのはどれか。枝豆なんて頼むのはバカ。
こういうところでしか食べられない、その、手の込んだものを」
早苗「なんでもいいじゃない。
もう学生じゃないんだから。(貴子に)いつもこう?」
貴子「フフ」
早苗「この人、大学生のころからそういうところあったけれど」
貴子「へえ」
早苗「サークルの会計とかやらせると最適」
貴子「大学でおなじサークルだったとか」
早苗「そう」
土肥「決めた。(山下に)ごめんなさいね。
お酒飲めないのに飲み放題にしちゃって。一人だけ変えるというのはできないらしく」
山下「いいえ。気になさらないでください」
早苗「そう、いいの。この人、お金持だから」
なかば食べつくされたつまみの皿が並ぶ。
早苗、貴子の顔が赤い。山下は素面。中座していた土肥が戻ってくる。
山下「参りました。池上(貴子)さん、相当酔っ払っていますね。
偶然、家が近くなんですよ。よかったら車で送りますが」
土肥「いや、それなら僕が」
早苗「フフ、心配? 彼女、取られちゃう」
土肥「そういうことじゃなくて」
貴子「彼女? 私、土肥さんの彼女かな?」
土肥「そんな。こんなところで」
早苗「(意地悪く)へえ」
貴子「送ってもらおうかな。苦しい」
土肥「(早苗に意地悪く)心配じゃないの?」
早苗「フフン。私は(山下を)信用しているから。信じていいんだよね?」
山下「もちろん」

○道(夜)
高級車。運転席に山下。土肥と早苗が貴子を後部座席に乗せる。
土肥「(山下に)僕たち二人にして心配じゃないんですか?」
山下「え?」
土肥「冗談ですよ。冗談」
早苗「心配って言いなさい」
山下「心配だな(と余裕たっぷりの笑い)」
車が去る。残される土肥と早苗。

○バー「ドリーム」・店内(夜)
土肥と早苗がカウンターに腰かける。
早苗「やるじゃない。若くてきれいな子、つかまえてる。フフ、やるなあ色男」
土肥「そんな」
早苗「やった?」
土肥「なにそれ。ふつうそんなこと聞く?」
早苗「フフ」
土肥「やったもなにも今日で三回目のデート。いま人生で最高に楽しい。
好きな人がいるのは、なんてすばらしいのだろう」
早苗「甘い」
土肥「甘いかな。人を好きになるのは久しぶりだから。
早苗ちゃんと別れてから、だれも好きにならなかった」
早苗「へえ(意外)」
土肥「楽しくない?」
早苗「なにが?」
土肥「あの山下さん、早苗ちゃんのいまの彼氏でしょ? 
人を好きになる。いいよね」
早苗「女はそんな単純じゃない。正史くんが心配。女は悪魔よ。女はみんな悪魔」
土肥「フフ、怖いな。やった?」
早苗「え?」
土肥「フフ」
早苗「バカ。当たり前でしょう」
土肥「僕にはキスまでしか」
早苗「人間は変わる」
土肥「人間は乾杯する。お互いの幸せに乾杯。早苗ちゃん、変わってないよ」
二人は水割りで乾杯する。
早苗「いや、変わる。お互い酒に強くなった」
土肥「おかしい」
早苗「なにが?」
土肥「あの子ね、池上(貴子)さん。いつもは僕よりも飲む。
ワインとかぐいぐい飲む。あんな酔っ払ったのは初めてだと思う」
早苗「危ない」
土肥「大丈夫でしょう。早苗ちゃんの彼氏さんがついているから」
早苗「そういう意味じゃなくて」

○インテリア・ショップ「豚の真珠」・店内
店員がショーウインドウのレイアウトを変えている。
店員の肘が豚のぬいぐるみブー子に当たる。
転がり落ちるブー子。横にいたブー太も倒れる。

○山下アートスタジオ・表
早苗が歩いてくる。扉が開く。山下と貴子が出てくる。
山下のまえに立つ早苗。早苗は山下の頬を張り駆け出す。
振り返る。山下は追ってこない。
戻る早苗。山下と貴子が抱き合ってキスをしている。
早苗は再び駆け出す。

○喫茶店「兎夢来」・表
小雨が降る。小走りに土肥が現われる。

○同・店内
早苗が着席。書き物を終える。メモ用紙をたたむ。
早苗の両脇にブー太とブー子がいる。土肥が入ってくる。
店員「いらっしゃいませ」
土肥「コーヒーね。遅くなってゴメン」
早苗「これあげる(とブー子とメモを渡す)。
じゃあ、おカネ払っといて(と店を出る)」
土肥「なによそれ」
土肥はブー子と腰かけメモを読む。

○アパート・全景(夜)
雨が本降りになっている。

○アパート・土肥の部屋(夜)
テーブルにビールの空き缶の山。
床にくしゃくしゃに握りつぶされた先ほどのメモ用紙とブー子が転がる。
早苗の声「二人して飲んだくれようと思ったけれど、
それはあんまりにもみじめだからここに書きます。
結論は簡単。二人とも失恋。山下とあの女、くっついている。
この目で見たから間違いない。
ショックだろうけれど大丈夫。ブー子がいるからです。
私がブー子に正史くんのいいところをみんな話しておきました。
苦しいことはなんでもブー子に吐き出してください」
酔った土肥はブー子を手に取る。
土肥「バカヤロウ。おまえなんかになにがわかるかよ。
しかしね、おい、ブー子ちゃんよ、聞いてくれるかい」
ブー子「――」
土肥「僕はそんなに男として劣っているのかね。
男は顔がすべてか。カネを持っていれば偉いのか。そんなもんかよ。ヘヘン」
ブー子の声を、土肥は声色を変えて発声する。
言わずもがなの自作自演。
ブー子「正史さんのよさをわからない女が悪いんです。くじけることはありませんよ」
土肥「へえ、おまえしゃべれるのか」
ブー子「話せますよ。心が奇麗な人とだけ話が通じるんです。あたし正史さんが好き」
土肥はブー子を膝に乗せ電話する。
土肥「もしもし。あたしです。ブー子」
早苗の声「はあ?」
土肥「ブー子です。ブー太くんに代わって」

○アパート・早苗の部屋(夜)
以下、随時カットバックで。
早苗のそばに紙パックの日本酒。ベッドの上に動物のぬいぐるみが五つ。
早苗はブー太を取り膝に乗せる。
早苗「代わりました。ブー太です。ブー子ちゃんはお元気ですか」
土肥「はい。けれども主人が酔っ払って」
早苗「こちらの主人もです。どうして人間はお酒を飲むのでしょう」
土肥「恋をするからではないでしょうか」
早苗「どうして人間は恋をするのでしょう」
土肥「ブーブー。恋愛ブーブー」
早苗「ブーブー。恋愛ブーブー。
ボクとブー子ちゃんはお友だち。また逢いたいな」
土肥「いいですとも。逢いましょうとも」
早苗はブー太を抱きしめ泣く。土肥もブー子を抱きしめ泣く。ブーブー。


(補)これでシナセン作家養成講座のすべての課題を書き上げたことになります。
正直、自分の書いたものがおもしろいのか、つまらないのかわかりません。
つまらなかったら、ごめんなさい。最後までお読みくださり、ありがとうございます。
シナリオ・センター第21回提出課題。「秘密(回想)」(20枚)。

<人物>
吉原真介(40)会社員
吉原桜子(36)その妻
吉原英雄(7)その子・年齢は享年
吉原琢磨(6)その子
秋桜(こすもす)(22)風俗嬢

○吉原家・居間(夜)
吉原真介(40)が吉原琢磨(6)の頬を張る。
真介「何度言ったらわかる? 
ご飯を残してはダメだろう。食べ物は大切なんだ」
琢磨「だって、ピーマンは」
真介は再度、琢磨を張る。異常なほど強いビンタ。
琢磨は泣く。またビンタ。
吉原桜子(36)が現われる。琢磨をかばう。
桜子「やめて。どうしてそんなに強く叩くの。まるでこの子が憎いみたい。
どうした? このごろおかしい。なにがあった?」
真介「なにもない」
桜子「ううん。わかるの。なんか隠している」
真介「なにもない」
泣く琢磨を桜子は抱きしめる。泣きやまぬ琢磨。
真介は耳を両手で押さえながら居間を離れる。泣く琢磨。

○同・寝室(夜)
真介はパソコンをしている。パソコンに写る家族写真。
写真には真介、桜子、琢磨、吉原英雄(7)が写る。
真介はウイスキーのオンザロックをぐいと飲む。
真介の声「あの子には兄がいた。二年前までは。
最近の琢磨は急に身体が成長して、私には英雄と瓜二つに見える」

○回想・山道
蝉が鳴く。缶ジュース三本をかかえて真介(38)が小走り。
向かう先にいるのは英雄(7)と琢磨(4)である。
真介の声「二年前のあの日、私たちは三人でハイキングに行っていた」
真介「危ない」
英雄が崖をよじ登っている。
琢磨「ハナ、ハナ」
英雄は崖の上に一輪咲くコスモスを取ろうとしているのである。コスモス。
琢磨「ハナ、ハナ」
琢磨はコスモスを指さす。
英雄の手がコスモスに届いた瞬間、足場が崩れる。英雄は転落する。
真介「ああ(と叫ぶ)」
真介は缶ジュースを投げ出し駆け寄る。転がる三本の缶ジュース。
英雄があおむけに倒れている。
動かない。頭から血が流れる。英雄の手にはコスモス。泣き叫ぶ琢磨。
真介「英雄、英雄、しっかりしろ」
真介は英雄を抱きかかえる。

○回想・走る救急車

○吉原家・寝室(夜)
真介(40)はウイスキーを飲む。
パソコンの家族写真。
真介の声「目を離した私がいけないのだと思っている。いけないのは私だ」
琢磨の声「ハナ、ハナ」
真介の声「しかし、もしあのとき琢磨が」
琢磨の声「ハナ、ハナ」
真介「ああ(と短く叫ぶ)」
真介はウイスキーをあおる。

○吉原家・玄関(朝)
琢磨はランドセルを背負っている。
琢磨「(元気よく)いってきます」
桜子「いってらっしゃい。気をつけるんだよ」

○会社・食堂
真介が会社の同僚数人とランチを食べながら談笑している。

○道(夕方)
桜子が歩く。手にはスーパーのレジ袋。

○吉原家・居間(夜)
真介、桜子、琢磨。
真介「ランドセルをなくした?」
琢磨「――(うつむく)」
桜子「大きな声を出さないで」
真介「ふつうランドセルをなくすか?」
桜子「現になくしてしまったんだから」
真介「どこでだ?」
桜子「公園のベンチに置いておいたら、いつの間にか、だって」
真介「教科書も一緒にか?」
琢磨「(こくり)」
真介「明日からどうするんだ」
桜子「先生に電話したら、当面はコピーがあるからって。
そのうち教科書も届くみたい。すぐに手配してくれた」
真介「おまえはバカなんじゃないか」
真介は琢磨に近づく。
桜子「叩かないで。だれにだって失敗はある。失敗したことない? 
叩くのはやめよう。叩くならこの子を連れて出ていく」
真介は寝室に入る。

○同・寝室(夜)
真介はウイスキーを飲む。琢磨が入ってくる。泣き顔である。
琢磨「パパ、ランドセル、ごめんなさい」
琢磨の頬を涙がつたう。
真介「(小声で)英雄」
琢磨「うん?」
真介「ランドセルなんていい。
琢磨が元気だったらランドセルなんかいくらなくしたっていい。琢磨、琢磨、琢磨」
真介は琢磨を抱きしめる。
ランドセルを持った桜子が入ってくる。
真介「それ」
桜子「英雄の。怒る?」
真介「いや、いい。ちょうどいい。琢磨、英雄兄さんのことを覚えているか?」
琢磨「あんまり」
桜子「しょうがないじゃない。まだ小さかったんだから」
真介「琢磨、おまえには素敵な兄さんがいたんだからな。弟思いの立派な兄さんが」
琢磨「うん」
真介「お兄さんのランドセルを使わしてもらえ。
お兄さん、ありがとうって感謝しながら使うんだぞ。お兄さんみたいないい子になれ。
英雄はなんでもよく食べた」
桜子「いえ、英雄はニンジンが(ダメ)」
真介「なんだよ。邪魔しやがって。せっかくいいところだったのに」
真介は笑う。桜子も笑う。
琢磨は英雄のランドセルを背負う。

○同・居間(夜)
食卓に真介と桜子が向き合う。
真介「隠していたことを話す」
桜子「ここんとこ、おかしかった」
真介「いままで隠していたことがある」
桜子「うん」
真介「このまえ、重要なお得意先の接待で」
桜子「接待なんてめずらしい」
真介「サラリーマンはそういうときノーと言えないんだ。
酒を飲んで、女を抱こうという話になった。
じゃあ、どうぞ抱いてください、というわけにはいかない。
乗りが悪いとみんな白けてしまう」
桜子「行った?」
真介「一度きりだ。後悔した。やましかった。
ついイライラして琢磨に当たってしまった。申し訳ない。許してくれ」
桜子「好き」
真介「うん?」
桜子「ふつう隠すでしょう。でも、正直に言っちゃう。
そういうとこ好きで結婚したの、思い出した」
真介「からかうようなこと言うなよ」
桜子「もう隠していることない?」
真介「うん」
桜子「ほんとにほんとにぜったい?」
真介「ない」
桜子「なら、いい。許してあげる」
桜子は笑う。真介も笑う。

○ソープランド「フラワー」・入口(夜)
真介は周囲を見回す。入店する。

○同・個室(夜)
真介と秋桜(22)が入ってくる。
真介「(服を脱ぎながら)正直に言っちゃうけれど、こういうとこ来たことがなくてね」
秋桜「(服を脱ぎながら)緊張してます?」
真介「いいのかな。こんなきれいな子と私のようなおっさんが」
秋桜「いいのいいの(と真介の脱衣を手伝う)」
造花のコスモスが飾られている。
全裸のふたりは浴室に消える。

○イメージ
コスモスの蜜を吸う蜂。

○ソープランド「フラワー」・個室(夜)
ベッドの上の真介と秋桜。
真介「(半身を起こして)よかった。
人生にこんな楽しいことがあるんだ。ありがとう」
秋桜「それ大げさ。また来てね」
真介「これ一度きり」
秋桜「奥さんが恐い?」
真介「ううん。公認だから」
秋桜「どういうこと? わけわかんない」
真介は財布を取り出しカネを支払う。
秋桜「多い」
真介「知っている」
秋桜「いいの?」
真介「うん。すっきりした」
秋桜「ありがとう(と真介の頬にキス)」

○昭和記念公園
自転車で走る真介、桜子、琢磨。
三人は一面のコスモス畑に到着する。

○家族写真
コスモス畑を背景に真介、桜子、琢磨。
琢磨の声「ハナ、ハナ」


(補)「本当のこと」は言えばいいのでしょうか。
「本当のこと」を黙して語らず死んでいった多くの人間に敬意を表しながら書きました。
墓場まで持っていく秘密を書いたつもりです。わたしは本当よりも嘘が好きなのでしょう。
「『「子どもの目』からの発想」(河合隼雄/講談社+α文庫)

→おそらく河合隼雄中毒なのだろう。
近所のブックオフで105円の河合隼雄本を見かけると、つい買ってしまう。
いまのわたしの精神的支柱は、恥ずかしながら河合隼雄かもしれぬ。

ぶっちゃけ、河合隼雄に支えられて習作シナリオを書いているところがございます。

小説家と作中人物の問題。

「作者がハッピーエンドをねらって、何もかもハッピーエンドにしようとすれば、
それはそれで不可能ではない。
しかし、そのときは、その作品にかかわる著者の態度が極めて底の浅いものとなり、
読者のほうにしても読みがいのないものとなってしまう。
作者が自分の存在を深くかかわらせるほど、
作中の人物はそれぞれ個性のようなものを持ってきて、
作者の意図には簡単に従わないのである。
そして、不思議なことに、
作者の意図と作中の人物の合作のような形で作品ができあがり。
そのときは作者の意識や意図を超えたものとなり、
人びとの心を深くゆり動かすのである」(P51)


「人びとの心を深くゆり動か」したい。これこそ表現者の本能ではありませんか?

「名言・ことわざにならう ひろさちやの ゆうゆう人生論」(集英社文庫)

→ひろさちや中毒なのだろう。
近所のブックオフで105円のひろさちや本を見かけると、つい買ってしまう。
中毒者だから、書かれていることで知らないことはないのである。
ただただ確認したい。人間の無力を。人生の不可思議を。
いうなれば、ドラマの効用とおなじかもしれない。
だれもが人間であるかぎり、人生のなんたるかは知っている。
ところが、生活にまぎれて、ついつい忘れてしまう。
このとき、人生の実相を伝えるドラマを見て人は感動するのではないか。
作者は、新しい知識を教えようなんて思ってはならない。
忘れていらっしゃるかもしれないことを、僭越ながら、ここに書いておきますよ。
ドラマ作者はこのくらいのほうがいいのかもしれません。

「にんじん 一幕物」(佃裕文訳/「ジュール・ルナール全集3」/臨川書店)

→演劇界の芥川賞として知られるのが岸田國士戯曲賞。
さあて、劇作家・岸田國士がだれの影響を受けたかというと、
フランスの作家であるルナールとミュッセである。

「劇作家ルナアルは、ミュッセと共に、
僕に戯曲を書く希望と興味と霊感とを与へてくれた」(岸田國士)
http://www.aozora.gr.jp/cards/001154/files/44353_21788.html


岸田國士戯曲賞がいかに低劣な賞かは上記の引用からわかろうものではないか。
ミュッセの戯曲などつまらぬものである。
しかし、岸田存命時のフランスはあこがれの的であった。
まさに「おフランスざーます」である。
審美眼のない岸田國士先生(笑)は、ミュッセやルナールがフランス人だから感動した。
岸田國士戯曲賞の作品をいくつか読んだが、
じつに見事にかの先生の意向を尊重しているので感心する。
その当時に受けていて、新しそうに見えるものを評価するのが岸田國士戯曲賞(苦笑)。

一幕劇の「にんじん」は、新進演出家のアントワーヌの手で大ヒットとなった。
一度、読んでみたかったけれど、
(小説ではない)劇作の「にんじん」が収録されている全集は高い(5000円!)。
このたび運よく早稲田古書店のワゴンで安価にて購入できたので(400円!)
読むにいたったしだいである。感想は、ダメだこりゃ。大したもんではない。
フランス恐れるに足らずである。
まあ、当時としてはうまく劇的効果を用いていたつもりなのだろう。
基本はホームドラマ。
かといって、家族のことをセリフで説明するのはおかしいから、新しい女中を来させる。
主人公の「にんじん」は父か母かの「ふたつにひとつ」に悩む。
結果、いままで疎遠だった父親との和解が成立する。
これが芝居における唯一の変化らしく、アホなフランス人はここに感動したのかもしれぬ。

まあ、むかしから両親の不和に悩む子どもはいたってことだ。
うちもそうだったし、友人知人にもたくさんいる。
子どもは大きくなり、幸福な家族を自分こそは目指そうとするのよ。
しかし、現実の夫婦仲は、そううまくいかない。
たしかに「にんじん」は普遍的な問題(両親の不和に苦悩する子ども)
を描いているのかもしれない。
けれど、ごめん、それ、いまは日本じゃ(というかほとんどの先進国で)、
ほんと、ありきたりだから。
かといって、「にんじん」において解決やカタルシスはないわけで。

結婚相手は(一見)自由に選べるけれど、子どもは親を選べない悲劇――。
「にんじん」は今後も背景を変えながら書かれていくことでしょう。

「テレビ・デイズ」(岩松了/小学館)絶版

→第49回読売文学賞戯曲賞作品(1997年)。
ものの価値というのはわけがわからない。
本来、すべてがそうなのだが、いわゆる芸術(笑)作品に接すると痛感する。
作者によると、この「テレビ・デイズ」とやらは、芝居で純文学をめざしたとのこと。
戯曲にはめずらしく、作者の注がついている。

「ですから、このあとの「ま、しょうがない……」
という夫のセリフに面白味があるということです」(P66)


劇作家自身がこのセリフは面白いと注で主張するのである(苦笑)。
この芝居は「竹中直人の会」とやらで演じられたらしく、
本書の巻末に劇作家と人気俳優の対談が収録されている。
岩松了ほど幸福な表現者は少ないのではないか。
対談で言い放ってしまうのである。
この台本を読んだだけで芝居の魅力がわかる読者は相当なものだと。
イコール、この戯曲がつまらなかったものは演劇の勉強が足りない。
芝居を、芸術を、まったく理解していない。

岩松了のここまで強気になれる根拠はなんなのだろうか。
人気俳優・竹中直人の応援かもしれない。
役者もこの劇作家をひいきにすることで、河原乞食から芸術家に転身できる。
おそらくこの芝居に集まった観客は、竹中直人が目当てだったのだろう。
わからなくても、自分がいたらないためだと反省する。
芝居の幸福とはこういうことを言うのかもしれない(もちろん強烈な皮肉だからね!)。


「オケピ!」(三谷幸喜/白水社)絶版

→第45回岸田國士戯曲賞作品(2001年)。
読みながら、うまいなァと作者の才能に感心するのみであった。
天下の三谷幸喜氏になにを申すと怒られそうだが、とても自分には書けない。
このところ創作の真似事をしているせいで、他人の才能には敏感になる。
もちろん、わたしは氏の熱狂的なファンではないから、
実際にこのミュージカルを観たところで一、二度クスクス笑うくらいだろう。
高い入場料の元を取れるとは思わない。
しかし、長年にわたって多数の戯曲を読みあさってきたので理解できるのである。
ここは笑わせようとしている。で、多くの観客が爆笑するであろう。
さらにその笑いは得がたきものだということまでわかる。
日本のコメディ(あえて喜劇とは言わぬ)では最高品質のものであろう。

どうしたら真似をできるのだろうと観客を笑わせるセリフを分析してみた。
ちなみに筆者の分析ではこの戯曲で笑わせるシーンは10確認した。
おそらくコアな三谷幸喜ファンなら20回くらいは笑わせられるのではないか。
で、わたしが発見した10のうち、実際に笑ったのは2回。
これは舞台ではなく戯曲で読んでいるから仕方がないのかもしれない。
しかし、観客ならぬ読者にも大笑いをさせる劇作家の手腕は見事である。
同様に分析したところ、ホロッとさせるハートウォーミングシーンは2箇所。
とても筆者には共感できない浅薄な人生観の吐露であったが、
コメディにはこのくらいがふさわしいのだと思う。女子供は泣いたかもしれない。
ハラハラドキドキのシーンは2箇所。
妻か愛人かで迷うコンダクター。
オーケストラの1パートが負傷したことによる楽器の代替演奏のドタバタ。
ちなみにこのドタバタのラストで芝居は最高潮を迎える。
劇作家はたしかな計算のもとに、このミュージカルを書いていることが了解される。

三谷幸喜は小、中、高と学生時代、常に主役ではなかったのだろう。
学級委員を務めるような男女を遠くから眺めていた。
かといって、いじめられていたわけではないのがこの劇作家の特徴である。
運動会や体育祭で熱くなっているクラス委員の男女がいる。
この熱い男女をさらりと風刺し、さらに風刺対象をも笑わせるようなことをボソッという。
これが少年時代の三谷幸喜だったのではないか。
いや、事実の話をしているわけではない。
三谷少年は、そのような存在になりたいと夢想した。
熱くなっている人生の主役たちのおかしさ、ほほえましさを深く愛した。
ここから創作されたのが、三谷幸喜のコメディなのだろう。
青年・三谷はニール・サイモンにあこがれたかもしれないが、
日本人の身で米国人になれるとは思わなかった。ただサイモンの眼力を学んだ。
主役になれない青年はアメリカ製のメガネを欲した。
三谷幸喜は本名ではないでしょう(と思って調べたら本名でした……)。
ともかく彼はメガネをかけることで、
より本物の、かくありたいと願う三谷幸喜になろうとした。
日本では稀有な上質コメディが完成するにいたった経緯(いきさつ)である。

「オケピ」とはミュージカルの演奏を担当するオーケストラ・ピットの略。
楽屋裏の芝居である。
作劇術に通じた三谷幸喜は、
新参者でバイトのパーカッションを加えることで説明を自然なものとした。
「オケピ!」とはどんなミュージカルか。

パーカッション「こんなこと言いたくないんですが、
皆さん、ちょっと不真面目過ぎませんか。
二日酔いで来たり、兎(うさぎ)持って来たり、途中で寝ちゃったり。
おまけにコンダクターは本番中に愛人と浮気。
セールスに夢中の人もいれば、競馬に熱中してる人もいる」(P200)


三谷幸喜は自作の脚本、台本の出版を固く禁じているから本作はめずらしい。
もちろん絶版で、本書は古本として割高で流通している。
劇作家は、自作の無断上演が許せないらしいのだ。
あて書き(役者を決めてセリフを書くこと)をしているからだろう。
氏はセリフの機能に敏感なのだ。
セリフは内容ではないのかもしれない。だれが口にするかではないか。
たしかに「オケピ!」でも、コンダクターがイケメンの真田広之でなかったら、
ハープが清楚な松たか子でなかったら、おそらく大失敗をしたことだろう。
三谷幸喜ほど観客を第一に考える劇作家が、
つまらない劇作にしか与えられぬ岸田國士戯曲賞を受賞したのは奇跡といってもよい。
選考委員の評を読むと井上ひさしが強く推したようである。
バカなアングラ劇作家が三谷幸喜をおとしめているのには開いた口がふさがらなかった。