自殺しようとするのは、おかしいことなのだろうか?
ありふれた日常は、みながおかしなことをしないという前提で成り立っている。
おかしなことはしてはならない。
「ありふれた奇跡」第2話冒頭の喫茶店のシーン。
かつて自殺しようとしたことのある中城加奈は田崎翔太に熱っぽく語る。
人は死んじゃいけない。生きてなきゃいけない。生きていればきっと開ける。
ふたりはある中年男の自殺をとめたことから知り合った。
藤本誠の自殺をとめた。他人の人生を変えてしまった。大それたことをした。
ほんとうにこれでよかったのだろうか。自殺をとめるのはいいことなのか。
わからなくなってくる。加奈は自分のした行動に自信が持てない。
たしかに世間では自殺をしてはいけないことになっている。
加奈は問う。神秘的な田崎翔太さん、あなたは信じているのでしょう?
「人は死んじゃいけない。生きてなきゃいけない。生きていればきっと開ける」
翔太は言葉を濁している。加奈は不安になる。
「私、少しおかしい?」と翔太に問いつめる。
おかしなことはしてはいけない。世間から笑われてしまう。疎外されてしまう。
孤独はいやだ。周囲から見捨てられたくない。
だから、我われはおかしいと思われないようにふるまう。私、おかしくないですか?

おなじく第2話。今度は加奈が藤本誠に問われる。
「おかしいかな?」
場所はスナックである。
「(妻子と火災で死別して)4年も経って死にたくなるなんて、おかしいよな?」
そんなことはないと加奈は否定する。
人間は他人からおかしいと思われることを恐れる。
おのれがおかしいかどうか自分では決してわからないのである。
こればかりは他者に頼るほかない。
いや、むしろ、他者の存在が、おかしいことへの恐怖を植えつける。
おかしいとは、比較する対象がなければならないからである。
我われはみなおかしくならないように細心の注意を払いながら生きている。
「鬱(うつ)で会社に来れなくなった」
ひとり脱落。
「実はうちの息子は長いこと学校に行っていないの」
ふたり脱落。
「46歳会社員。下半身裸でふらついていたところを取り押さえられる」
「元恋人の同僚の家に1日100回の悪戯電話をした女性が検挙される」
「ネットで芸能人の殺人予告をした34歳無職男性逮捕」
「あの奥さんの旦那、キャバクラ嬢に入れあげ会社のカネに手をつけたらしいわよ」
「うへえ、あいつ、部活の後輩の、アダルトビデオに出ていたってよ」
脱落、脱落、脱落――。

ふたたび第2話。ラスト近く。
田崎翔太は一流の喫茶店に汚い現場作業着すがたでおもむく。
「僕はこういう人間なんだ」とほこりを払いながら言う。
左官職人であることを恥じている思いがどこかにあったのだ。
この行為は店長からとがめられる。「お客さま、その格好ではちょっと……」
おかしいと指摘されたのである。
おかしくなんてない! 中城加奈は店長に抗議する。翔太に告げる。
「コートを着ないで。そのままでいい」
カネを投げつけ高級喫茶店をあとにする加奈。翔太も加奈のあとを追う。
加奈はまたもや不安になるのである。「私、おかしくなかった?」
「ぜんぜん。とっても格好よかった」「そう?」「うん」
ふたりはとびきりの笑顔で小躍りする。踊っているように、ふたりは見えた。
おかしいですか? おかしくない。おかしいかな? おかしくないです。

「ありふれた奇跡」第4話、加奈が翔太の家に行く。左官屋の田崎官業である。
翔太は加奈を自分の部屋にまねく。ケルト一色である。アイルランド。
日当2万円で働く左官職人の田崎翔太31歳は下町のアイルランドに住んでいる。

加奈「驚いた。この部屋だけ別の世界みたい」
翔太「というほどのことはないけど」
加奈「アイリッシュダンス(と壁の写真を見る)」
翔太「そう。好きなんだ」
加奈「これって上半身動かさないんでしょう」
翔太「アイルランドは800年イギリスに支配されてて」
加奈「800年か」
翔太「ダンスを禁じられてて」
加奈「下半身だけで踊るのよね」
翔太「それってすごいよね。
どこの国に踊っているのを隠して、足だけで踊るなんてあるかな」
加奈「悲しいけど」
翔太「強いよね。上半身縛られても踊っちゃうなんて」
加奈「ほんとね」
翔太「すごく励まされるっていうのも変だけど」
加奈「上半身縛られている?」
翔太「みんなどっかそういうとこあるんじゃないかな」
加奈「でも踊りたい?」
翔太「――」
加奈「うん?」
翔太「踊りたいのかな」
加奈「――」
翔太「――」
加奈「こんなふうよね(とステップを踏む)」
翔太「――(笑う)」
加奈「――(笑う)」
翔太「そう。こうやって(と手本を示す)」
加奈「うん」
翔太「タッタッタッタ。タッタッタッタ(と笑いながら踊り始める)」
加奈「――(笑う)」
翔太「タッタタタタン、タッタタタタン(と器用に踊る)」
加奈「――(見よう見まねで踊る)」
翔太「――(踊る)」
加奈「――(踊る。様になっている)」


縛られながら踊れ。酔うな。醒めて踊れ。
おかしいことをしてはいけない。おかしいと笑われないように生きる。
おかしなことを格好いいなどと思うのは幼稚だ。
大人になったらおかしなことをしてはいけない。
おかしいか絶えず不安である。おかしくないですか、と他人にたしかめたくなる。
まるでなにかに縛られでもしているかのようである。
けれども、踊れ。縛られつつなお人は踊ることができるのではないか。
強い西日に照らされながら踊る翔太と加奈――。
山田太一特有の説明的なセリフの短所をおぎなって余りあるふたりの踊りである。
このシーンを脚本家は書きたかったのだと思うと熱いものが込み上げてくる。
心に傷を持つ男女が、笑いながら踊っている情景を見たかった。だから、書く。
なにか現実ならぬものを人は有しているべきではないか。
たとえば、翔太にとってのケルト、アイルランドのようなものを。
なぜなら現実だけではやりきれないではないか――。

おかしいってなんだ? だれがおかしいなんて決めるんだ?
我われは他人からおかしいと思われることを恐れる。まともでありたい。
だが、それでほんとうにいいのだろうか。
おかしなもののうちにこそ豊かなものが秘められているのではないか。
永続を求める生は、おかしなものを拒絶しようとする。死は、そうではない。
生ならぬ死は、おかしなものをかなり許容する。
ドラマ登場人物のなかでもっとも死に近いのは50歳の藤本誠である。
4年前に妻と子を火事で亡くした。それ以来、火を使わないようにしている。
この男は最前も電車のホームで自殺未遂騒動を起こしたばかり。
なにもない部屋に住んでいる藤本を気遣い、ある日曜日のことである。
田崎翔太は中古の電子レンジを持って藤本の部屋を訪れる。
藤本誠はいらないと断わる。

藤本「悪いけど、いらない。便利なものはね、使いだすとやめられない。
すぐに生活が変わっていくんだ」
翔太「レンジだけです」
藤本「いらない。しまって。しまってよ」
翔太「――」
藤本「――」
翔太「仕事がないのはわかるけど」
藤本「あるときにはあるんだよ。牛丼だってバーガーだって食ってるよ」
翔太「でも、おかしいですよ。こんなに、なんにもないなんて」
藤本「レンジがないと、テレビがないと、カーテンがないと、おかしいのか?」
翔太「まあ、ふつうは」
藤本「あんたの暮らしはおかしくないのか?
自信たっぷりに人の暮らしがおかしいなんてどうして言えるんだ?」
翔太「ここまで切り詰めなくても、なんとかなるんじゃないかと思って」
藤本「切り詰めてるんじゃない。切り捨ててるんだ」
翔太「なんか淋しいじゃないですか」
藤本「その通り。淋しいよ。だからあんたに泊まってくれなんて言った。
電子レンジがほしいなんて言ってない」


「ありふれた奇跡」第5話予告――。
翔太の父と加奈の父がある店の常連だったことが明らかにされる。
ただの店ではない。女装クラブの常連である。
問う。男性が女装するのは、おかしいことなのだろうか。
おかしいというならば、あなたはおかしなところありませんか。
こんなことを書いているわたしはおかしいのでしょうか。だれがおかしいのか。
「ありふれた奇跡」を生きるもののなかで、だれがおかしいというのか。
ある人からしきりに「前向きになりなさい」と言われていた時期があった。
つい最近のことである。
なにかにとりつかれでもしているのかと思った。前向きになろう。こればかりなのだから。
メールの返信で幾度となく教え諭された。当人は励ましているつもりだったのだろうか。
「少しは前向きになったようですね」
こんな褒められかたをしたが、ちっとも嬉しいとは思わなかった。
わかっていないな。前向きになどなりはしない。
業を煮やしたのだろう。4歳年上の男は、役に立たないわたしを切り捨てた。
前向きでない人間は役に立たぬ。
彼は現役バリバリのシナリオライターである。

我われは「ありふれた奇跡」を生きているが、ふだんはあまり意識することがない。
当時46歳だった会社員の藤本誠も「ありふれた奇跡」を生きていた。
仕事がある。妻と娘がいる。喜びも悲しみもほどほどだ。
とびきり恵まれた人生ではないけれど、めちゃくちゃにひどいと言ったら嘘になる。
今日とおなじような明日が来ることを疑うこともなく生きていた。
だが、藤本誠は知ることになる。それらの日々が「ありふれた奇跡」であったことを!
出張に行っていたときのことだった。下の階で火災が起きた。
あっけなく妻も子も焼け死んだ。病院で焼け焦げて真っ黒になった愛する者を見る。
夫は、父は、酒におぼれる。アルコール依存症だ。
「ありふれた奇跡」から脱落するのが、こうも容易だったとは。
病院へ入り酒を断つ。退院して半年、死にたくなった。
妻子との死別から4年が経過していた。
藤本誠は電車のホームから線路に飛び込もうとする。見知らぬ男女にとめられる。
ふたりは「死のうとしたことのある人の会」を作った。ある日、藤本もこの会に呼ばれる。
誘われるがままに半年ぶりに酒を飲んでしまう。泥酔する。
男のほうが、彼は田崎翔太という、藤本をタクシーで送ってくれる。
タクシーのなかである。藤本は翔太に疑問をぶつける。どうして自分は呼ばれたのか。
この会を主催したのは中城加奈である。

藤本「彼女おかしいよ。3人でろくに実のある話、しなかったじゃない」
翔太「逢うだけでもいいと思ったんですよ」
藤本「――」
翔太「――」
藤本「寄ってよね」
翔太「え?」
藤本「送って、はい、さよならじゃ、怒るぞ、おい。
寄ってくれよ、な、な(とネクタイで翔太の首をしめる)」


藤本の部屋のまえである。

翔太「放して大丈夫。もう逃げませんから」
藤本「このスーツとね」
翔太「はい」
藤本「この部屋は、手放せない」
翔太「はい」
藤本「きったねえだろこの壁。この冬にカビてやがる」
翔太「カビか」
藤本「住所手放すと、がたっと仕事なくなるからね」


藤本は翔太をボロアパートの一室に招き入れる。なにもない部屋である。
テレビも洗濯機もない。家賃は3万円だという。
翔太をたったひとつしかない座布団に座らせ、酔った藤本誠は語る。

藤本「女房、子を亡くしたころは会社も親切だったし、それらしき友人もいたけどね」
翔太「はい」
藤本「酒びたりになって一周忌過ぎたころには見放された」
翔太「はい」
藤本「こっちも辞めてやったよ」
翔太「そうですか」
藤本「タヒチで飲んだくれたりしてね」
翔太「へえ」
藤本「カネどんどんなくなって」
翔太「ご家族っていうか、親戚というか」
藤本「母が長男一家と熊本」
翔太「そうですか」
藤本「こうしちゃいらんねえと思って、自分から病院に入って、
半年まえに出てきてから一滴も飲まなかった」
翔太「知らなかったから」
藤本「飲んじまったよ」
翔太「今日は半年に一遍だけってことで」
藤本「泊まってく?」
翔太「は?」
藤本「泊まってもらうなんて無理だよな」
翔太「――」
藤本「無理言ったよね」
翔太「無理だけど」
藤本「無理してくれる?」
翔太「5時起きで出て行くことになるけど」
藤本「それでいい」
翔太「いいだろうけど」
藤本「たいへんだあな」
翔太「――」
藤本「――」
翔太「いいですよ。役に立つなら」
藤本「ダメだよ」
翔太「え?」
藤本「そんなこと言ってちゃダメだよ。あんた優しいな。生きていくのたいへんだろう。
おれなんかの頼み聞いてちゃダメだよ。若いやつはな、もっと自分中心でいいんだよ。
若いやつは自分だけでいっぱいなんだよ。
こんなクズみたいなやつの言うこと聞いてどうすんだよ。
若いやつは、もっと若いやつはな」


藤本の述懐で過去の苦い体験がよみがえった翔太は、中年に組みついていく。
翔太は藤本を組み伏せようとする。怒ったのである。切れたといってもよい。
若者は中年に身体全体でぶつかっていく。
「若いやつがなんだよ? 偉そうに、若いやつがなんだよ!」

まずは若者ではなく中年の問題から考えていきたい。
我われは「ありふれた奇跡」から振るい落とされた50歳の藤本誠に
いったいどんな言葉をかけられようか。
生きているものはかならず死ぬのだからあきらめるしかないじゃないか。
死んだものがよみがえることは決してない。
あんたがそう苦しんでいたら死んだものも浮かばれないよ。
前向きにならなくちゃダメじゃないか。
死ぬなんてとんでもないことだ。生きていたらきっと道が開けるものなのだから。
我われは好意からこのような言葉を藤本誠にかけるだろう。
こういった言葉がどれほど藤本誠の孤独感を強めるかを知らずにである。
だれも自分のことをわかってくれない。疎外感をごまかすには酒をあおるしかない。
我われは藤本誠に忠告するだろう。そう酒をがばがば飲んではいけない。
仕事を辞めてはならない。前向きになろうよ。
我われはきみのことを心配して言ってるんだ。
藤本誠が我われに牙(きば)を向けるのはこのときである。
「ありふれた奇跡」を生きているやつらにおれのことなどわかってたまるか。
おまえらはいま信じられないほどの奇跡を生きている幸運者なんだぞ。
てめえらにおれの気持がわかってたまるかよ。
我われは藤本誠を敬遠するようになるだろう。忌み嫌い始めるかもしれない。
あの男は我われの好意を少しも理解しようとしない。
あんな性格の男だからめったにない災厄にまきこまれたのではないか。
ならば、我われは大丈夫。我われは藤本誠のような不幸とは無縁だ。

かつて藤本とおなじように死のうとしたことのある田崎翔太はどうするか。
言葉でどうこうしようとはしない。
酔っぱらった藤本をタクシーで送っていく。
家に寄っていけといわれたらそうしてやる。泊まってくれと頼まれたら泊まってやる。
田崎翔太は、だれかがそばにいてくれることのありがたみを知っているのだ。
死のうとした理由を翔太は中城加奈から問われた。
話せなかった。言葉にならなかった。辛かった。苦しかった。
そのとき加奈が無言で抱きしめてくれた。どれほどありがたかったか。
幾千、幾万の言葉より、加奈の一度の抱擁が翔太の生存を支える――。
生きるか死ぬかの瀬戸際で有効なのは言葉ではないのかもしれない。
加奈は翔太を抱きしめる。翔太は藤本の首を腕を用いてうしろからしめようとしたが、
これは見ようによっては抱擁ともとらえられはしないか。
人が人にちからいっぱいぶつかっていく姿が似通うのは、あるいは当然なのかもしれない。

田崎翔太は藤本誠の人生と交わったことで勇気を得たとは考えられないか。
死にたいと思った理由を翔太は加奈に告白する。夕暮れの小高い丘。
公園なのかもしれない。背景には校庭とおぼしきグラウンドが映るが人影は見られない。
ふたりきりである。

翔太「おれはね」
加奈「うん?」
翔太「マイナーな大学を出て、事務用品のマイナーな営業で(会社に)入った」
加奈「うん」
翔太「どこでもいいから入ったんじゃなくて事務用品が好きだった。
文房具は子供用だったり妙な遊びや趣味があるけど、
請求書やクリップや事務用ファイル、シュレッダーには必要しかない。
クールだなんて思ってた。学生が空想する現実なんてそんなものでね。
実際は大違いだった」
加奈「うん」
翔太「この世に会社はいくらでもある。
事務用品の販売のチャンスは無限に広がっている。営業は努力次第だ」
加奈「うん」
翔太「朝礼でそんなことを怒鳴りあってね。
成績を競って苦しめあっているような会社だった」
加奈「うん」
翔太「ダメだったなんて加奈さんには言いたくないけど」
加奈「ううん」
翔太「新人4人のうちのビリで。
飛び込みで注文を取ってくるなんて手も足も出なかった」
加奈「うん」
翔太「課長預かりになって、特訓だなんてことになって」
加奈「うん」
翔太「そいつの悪口なんか言いたくないけど」
加奈「うん」
翔太「殴ったりはしなかったけど、胸ぐらつかまれて、こんなふうに顔つっこんで、
ツバ飛ばされて、ひざまずかされて、とことん侮辱された。
無能だ。クズだ。怠け者だ。苛々する。給料泥棒だ。
でも、それはその通りだからしょうがない」
加奈「新人でしょ、まだ」
翔太「参ったのは、自分」
加奈「自分?」
翔太「おびえた犬みたいだった」
加奈「そんな――」
翔太「おどおど卑屈で、なに言われても切れない。怒れない。
かえって課長に愛想笑いをして、お疲れさまでした、なんて、
すがりつきそうで(と泣きながらうめく。苦しむ)」
加奈「もういい(と翔太に寄り添う。腕を取る)」


夕陽が輝きを増す。

翔太「倉庫で――」
加奈「倉庫?」
翔太「爺ちゃんが左官屋なんで、道具や材料の倉庫があって」
加奈「うん」
翔太「そこで首吊ろうとして、爺ちゃんに見つかって、
医者へ連れて行かれて、鬱(うつ)だって言われて」
加奈「――」
翔太「――」
加奈「そうなんだ――」


人間はだれかがそばで見守ってくれるだけでかなりのことを為しうるのではないか。
もってまわった言葉など必要はない。むしろ、言葉は邪魔になる。
その人に心から寄り添う。人間の苦しみにべつの人間が寄り添ってやる。
近づこうとする。苦しみを理解しようとする。
むろん、他人のわずかな痛みさえも理解できるようには人間は作られていない。
人間は歯痛ひとつ他人に伝えることができやしない。
苦しみも喜びも自分だけのものである。
人間は自分のことしか考えない。
「父は自分のことだけだから」と翔太は言う。「みんな、そうでしょう」と加奈が応える。
そうだろうけれども、そうでない関係があってもいいのではないか。
そうでなかったら、救いようではないか。救いがないのが現実だと言うかもしれない。
なら、そんな救いのない世界はいやではないか。せめて救いがあると思いたくはないか。
どこに救いがあるというのか。「ありふれた奇跡」のなかにである。

藤本誠を不幸のどん底に突き落としたのもまた「ありふれた奇跡」である。
我われは日頃から藤本誠を見ないようにしている。
男は一瞬だけニュースに登場して消えていく。忘れられていく。
果たして74歳の山田太一はこれから藤本誠にどんな奇跡を起こすつもりなのだろうか。
藤本誠はわたしである。
逢いたい。逢おう。逢う日まで生きる、働く。高級な喫茶店。
31歳の田崎翔太は「こんちわ」という。29歳の中城加奈は「こんにちは」である。
電車のホームで死のうとしている50歳の中年、
藤本誠を助けたのがふたりの知り合うきっかけとなった。
どうしてふたりは藤本が死のうとしているのに気づいたか。
ふたりともかつて死のうとしたことがあるからである。
人命救助はめったにあることではない。どこが「ありふれた奇跡」なのか。
だって、こんな経験をしたことのある人はほとんどいないでしょう。
日本の年間自殺者は3万人以上――。
大量の人間が毎日みずから命を絶つのを我われはとめることができないでいる。
喫茶店に話を戻そう。
しがない左官職人の田崎翔太は美女をまえにどぎまぎしている。
死のうと思った? それどころではない。
ところが、中城加奈は死に拘泥(こうでい)する。死ぬこと。生きること。
ふたりで自殺者をとめた。とくに翔太のほうは身体をはって飛び込みをとめている。
どうしてそんなことができたのか? あなたもむかし死のうと思ったのでしょう。
ならばいま確固たる生きる意志があるに相違ない。
神秘的な田崎翔太さん、あなたは信じているのですか。
生きているのはすばらしい。生きていればきっと開ける。違う?
加奈の美しさに見とれている翔太はそれどころではない。
これはなんだ? こんなことがあっていいのか。どうしてこんな美女とおれが話しているのか。
つい照れ笑いをしてしまう。バカにされたのかと誤解した加奈に
「おとなぶってます? わざとさめてます?」と責められる。
そうではないんだ。「私、少しおかしいですか」と目のまえの美人は落ち込む。
会話がどうにも噛み合わない。

翔太「はっきりいいます。本当の気持をはっきりいいます」
加奈「いいの、本当のことなんかいいの」
翔太「おれはいまはっきり人生はすばらしいと思っています」
加奈「嘘ばっかり」
翔太「本当――。中城さんとこうして」
加奈「加奈でいいです」
翔太「加奈さんとこうしていることにびっくりしています」
加奈「どうして」
翔太「きれいで」
加奈「急にそんなこといったって」
翔太「いや本当にきれいです」
加奈「ごまかさないで」
翔太「いま込み上げるように、この世はすばらしいという気持が」
加奈「あわてて、心にもないことを」
翔太「こんなきれいな人とおれはいまデートしている」
加奈「デートなんかしてません」
翔太「思ってもいなかった。人生はすばらしい。
生きていればなにが起こるかわからない。生きなきゃいけない」
加奈「よして」
翔太「いや本気ですよ。本気でそう思っています
死んじゃいけない。生きてなきゃいけない。この世はすばらしい。
加奈「からかうなんてひどい(と席を立つ)」
翔太「からかってなんかいない。からかってなんか――いない」


我われは「ありふれた奇跡」を生きている。わたしは「ありふれた奇跡」を生きている。
昨年末、翔太とまるでおなじセリフをわたしは口にしたことがあるのだ。
もしかしたら山田太一があのとき隣にいて聞いていたのかと思うくらいである。
これが「ありふれた奇跡」ではないか。
中城加奈にとっては、ひょんなことから知り合った男と喫茶店へ行くのはなんでもないこと。
けれども、内向的でひきこもりがちな田崎翔太にとってはそうではない。
奇跡かと思ってしまう。こんなきれいな人とあろうことか自分が話している。
この世はすばらしい。大仰にも死んではいけないとまで思う。生きてなきゃいけない。
だとすれば、この世は「ありふれた奇跡」に満ちてはいないか。
ある人の何気ない行為(好意)が、ときにべつの者を救うことがある。
たしかにいっときの救済だ。根本的な問題はなにも変わりはしない。
けれども、これはやはり奇跡といえはしないか。
これを奇跡と思わなければ人間は生きてはいけないのではないか。
人間はおそらく人間を救えはしないだろう。自己すらままならぬ人間に他者は救えぬ。
いくら努力して救おうと思っても人間は他人を救えない。
しかし、救おうと思ってしたのではないことが、べつの人間を救済することがある。
いや、あるという断定は避けよう。なくはないのではないか。
そんな奇跡が人間世界にないとどうしていえようか。決めつけられようか。
日本の年間自殺者3万人――。
我われは3万人を見殺しにしているのか。そんなことはない。
悲観的になることでおとなぶるのはやめないか。
我われは年に10万人も100万人も、いや、もっとかもしれない。
人間は人間を救っている。生かしている。
我われはお互い気づかないところで支えあっている。
人命救助は、電車のホームや富士の樹海でばかり行なわれているわけではないのだ。
ちょっとした他人の微笑で人間は驚くほど救われることがある。

逢いたい。はい。え、逢ってくれるの? はい。
4年前、火事で愛する妻と子を亡くした藤本誠は逢いたいと思う。
だれにか。自殺をとめてくれたふたりのうちのひとり中城加奈と逢いたい。
中城加奈は逢っても藤本誠になにもしてやることができない。
いっときに愛する家族をふたりも喪った人間の気持はわからない。
焼死した藤本の娘はまだ13歳であった。

加奈「お嬢さん」
藤本「うん」
加奈「13でしたね」
藤本「うん」
加奈「この話、いけませんか」
藤本「うん」
加奈「映画もここんとこ観てないし」
藤本「こっちもだよ」
加奈「じゃあ、どんな話題がいいですか」
藤本「コーヒーをのむあいだ、いてくれれば」
加奈「はい」
藤本「気味悪いね」
加奈「いえ」
藤本「ひとりには強いんだけど、たまに込み上げるように口を聞きたくなる」


藤本誠の「うん」3連発を陣内孝則はじつに巧みに演じきっている。
「うん」はひとつではない。山田太一ドラマにはいろいろな「うん」があるのだ。
藤本誠には疑問がある。どうしてふたりは自分が自殺しようとしているのに気づいたのか。
問うた。「おふたりとも死のうとした経験があるんじゃないかと」
ふたりは答えなかった。
この日、中城加奈は過日の質問に答えるために来たという。

藤本「わかった」
加奈「私――(いいよどむ。長い間)」
藤本「そうなんだね」
加奈「ええ」
藤本「ホッとするな。そういう気持になった人が――。
そういう気持になったことのある人、ホッとする。
元気で、ぴかぴかで、前向きな人は、まぶしくてね」
加奈「取り返しのつかないことをして。もう取り返しがつかないです」
藤本「元に戻らないことはいろいろあるよ」
加奈「はい」
藤本「その後の人生をなんとか生きていくしかないんだよね」
加奈「はい」
藤本「励ますようなこといえるような人間じゃないから――」
加奈「いいえ。それだけで、とても」
藤本「話したければ」
加奈「それだけで――」
藤本「うん」


セリフで見るかぎり肝心なことはなにも話していないのにもかかわらず、
ふたりはどれほど心をよせあっていることか。
話すことばかりが会話ではない。話さないことで、かえって実りのある会話をする。
心と心の会話は、言葉にならない。
しかし、この言葉にならないことこそ人間を追い詰めるのである。
しんどくなる。つらい。息苦しい。
ときおり込み上げてくるものの、やっぱり言葉にはならない。
無理に言葉にしようとするとおかしな誤解をまねいてしまう。
いちばん最初に引用した田崎翔太の場合がそうである。
かたいや、藤本と加奈のこちらは成功例ではないか。
男女は会話をしないことで、いかほど巧みな会話を成し遂げているか。
優劣を論じているのではない。なぜならどちらのシーンも「ありふれた奇跡」なのだから。

会話を書くばかりがシナリオではない。
言葉の会話にならない心の会話まで書き込む山田太一の筆力には驚嘆する。
この才能だけは「ありふれた奇跡」ではない。
是が非でもこのドラマのシナリオ本を出版してもらいたいと思う。
人間は関係性のなかを生きている。赤子はひとりでは生きていけない。
彼または彼女が歓迎されて生まれてきたかはわからない。
けれども、人が「おぎゃあ」と誕生したとき、赤ん坊のそばにはかならずだれかがいる。
このだれかを人は選ぶことができない。家族という名で呼ばれる人間関係だ。
赤子は幼児になり少年期をむかえ、やがて青年へと成長してゆく。
学校は卒業できても会社は辞職できても、家族から完全に脱出するのは難しい。
我われは縛られている。人を捕縛するのは家族だけではない。
学校も会社も家族ほど強くはないが人間を縛ろうとする。思う。我われは不自由だ。

ふたつの人間関係がある。しがらみとも言いうるこれまでの関係がまずある。
もうひとつは、新しい人間関係。出逢いのことである。
ほとんどの人間が毎日だれかしらと出逢っている。
いつも買い物に行くスーパーに新しいバイトの子が入った、というような出逢いもある。
しかし、我われは彼らの横を通り過ぎて行く。彼女の顔をまじまじと見ようとはしない。
毎日、出逢いと別れを繰り返す。ほんとうの意味で人間と人間が出逢うのはまれだ。
仏教は苦しみに愛別離苦と怨憎会苦があるという。
愛する人と別れる苦しみ、小憎らしい者と出逢う苦しみのことだ。
(原始)仏教は人間の苦しみにばかり目を向ける。
たしかに人間世界は苦しみに満ちている。
だれが明日に愛するものと死別しないと断言できるだろうか。
一寸先は闇である。真っ暗だ。救いがない。

そうだろうか。光はどこにもないのだろうか。どこかに灯りはともっていないか。
この世は闇だ。星など見えぬ。寒く重苦しい。なにもないように見える。
ちらりと光が見える。人間がめいめい持っている焔(ほむら)のことである。
ロウソクの灯りのように頼りない。かんたんに吹き消されてしまう。
いまにも消えそうなものがいる。火はいまにも消えそうである。
彼はみずからの手で火を消そうとしているのだ。自殺を企てている。
この火を消してなるものかとロウソクが2本かけよってくる。火を消してはならない。
といっても、助けに来た2本のロウソクの火だってさほど強くはない。
どちらもいつ消えてもおかしくないのである。
けれども、ロウソクが3本集まったら少しはあったかくはならないだろうか。
むろん、世界を焼き滅ぼすような大火になるはずはない。
世界は変わらない。ロウソクごときが世界を変革できるわけがない。
それでも、ロウソクはなにかをできるのではあるまいか。そうであってほしい。
山田太一の祈りである。我われの願いである。

中年男は4年前、火事で妻子をいっときに亡くした。
真っ黒こげになった妻と娘のすがたを見た。たった1日を境に人生は変わってしまう。
4年後、男は電車が来る線路に飛び降りようとする。
それをとめるふたりの男女が現われる。
まだ若いとはいえ、どちらも30前後。いろいろな闇をかかえている。
男は自殺をとめるために中年を殴った。
中年は怒ったふりをする。どうして殴るんだ? 自殺する気なんかこれっぽっちもなかった。
ドラマの始まりである。偶然、人と人が出逢ったからドラマが生まれた。
「ありふれた奇跡」第1話のラストで、中年は告白する。
あのとき自分はほんとうに自殺しようとしていた。とめてくれてありがとう。
私は、あなたたちにもう一度逢いたかった。逢いたい。あなたに逢いたい。
最初の出逢いはたしかに偶然である。
だが、二度目はそうではない。「逢いたい」から逢っている。
最初に人間は不自由だと書いた。いや、そうではないのかもしれないぞ。
少しだけなら人間にも自由があるのではないか。
だれかに「逢いたい」とメッセージを発する自由である。
このたび3本のロウソクが集った。3つの焔がこれからどのように燃えてゆくのか。
先が楽しみなドラマである。