神保町に本を仕入れ(なのか?)に行くのは3ヶ月ぶりである。
引越すまえは週に最低2回は行っていたのだからさみしいものだ。
ブログ「本の山」は、かつて神保町に隣接していた。
めずらしい本が多数登場したのも地縁によるものなのかもしれない。

まずは嫌われもの田村書店のワゴンから調べる。収穫はゼロ。
つづいて週末限定の小宮山書店ガレージセールへ。
いまやわたしにとって神保町はご近所様ではない。
悲しいかな、観光地のようなものになってしまった。
ならば、お土産を買わねばなるまい。ああ、情けなし田舎暮らし。

「半自伝 このままでいいのか、いけないのか」(小田島雄志/白水社)
「現代演劇 バーナード・ショー」(現代演劇研究会編/英潮社新社)
「タナトロジー≪死ぬ技術≫」(内村直也/日本放送出版協会)絶版


3冊で500円、すなわちワンコインなのだから安いものだ。

なじみの古書店をぶらぶらまわる。
最新の出版情勢を調べるため東京堂書店へ。
ここの3階にあるトイレはみんなの人気者。
ふたたび小宮山書店のまえに。
ううう、これはなんだ。
わたしは小宮山書店といえば、ふたつしか知らなかった。
お高くとまった店内(1冊数千円)と、乞食相手のガレージセール(3冊500円)。

小宮山書店まえの屋外に並んでいる書籍に初めて気づいた。
これも売り物なのだろうか。
目についたのは、ずっと集めていたシリーズがあったからであろう。
白水社の「現代世界演劇」だ。1冊に戯曲が複数つまっている。
ちなみにこの企画が商業的に失敗したせいで戯曲は売り物にならなくなったのだと思う。

白水社「現代世界演劇」は全18巻で40年ほどまえの出版物。
このうち15巻をすでに集めている。残りは3冊。
小宮山書店まえワゴンには「現代世界演劇」がずらりと並んでいる。数えると16冊。
2冊欠けていたせいでこうも不遇をこうむる羽目になったのか。
さて1冊いくらかと調べたら信じられない。
だれも戯曲なんて読まない現代とはいえ、これは安すぎる。1冊わずか500円である。
わたしはこのシリーズをすでに15冊買い集めたが、どれも500円よりは高かった。

携帯電話のメモ機能に「現代世界演劇」のバックナンバーを残しておいてよかった。
おかげで足らない巻がわかる。何度も何度も確認する。

「現代世界演劇2 近代の反自然主義(2)」(白水社)絶版 500円
「現代世界演劇5 実存的演劇」(白水社)絶版 500円
「現代世界演劇6 不条理劇(1)(白水社)絶版 500円


これでようやく白水社の「現代世界演劇」全18巻が集まったわけだ。
のべでかかった年数は4年か、5年か。
ともあれ、ひとつのことが終ったのだと思う。
終わりは始まりという。なにか始まるものがあるといいのだが――。
出版不況が洒落にならないくらい深刻なようである(例によって2ちゃんねる情報)。
なにが悪いのか。
書き手のレベル低下。出版社のモラル喪失。国民の活字離れ。
こういった建前はもうやめませんか。
みんながんばっているのだ。
作家はだれもが必死になって本を書いている。
出版社の編集者はそれを懸命に応援している。
読者はそうして完成した書物を読みたいと待っている。
この構図はむかしから変わらない。

ところがブックオフが登場してしまった。
このため「作者・出版社(編集者)・読者」の美しいトライアングルがめちゃくちゃに――。
なにがいけないかというとブックオフの価格だ。
大勢の人間の苦労によって生み出された書籍がブックオフでは105円で販売されてしまう。
ブックオフは卑怯なのである。
なぜなら、かの企業は書籍の製作にまったくかかわっていない。
そのくせ図々しくも完成品の価値のみネコババしているのだから。

とはいえ、ブックオフの顧客を責めるのは間違いではないか。
ひとたび出版されて間もない定価1500円の書籍をたったの105円で買ってしまった。
この読書家は今後、新刊書店で四桁もする書物を頻繁に買うだろうか。
よほどの富裕層でもない限り、難しいと思うのだが。
我われが享受している資本主義世界とは、なんのことはない、安ければいい世界だ。
ひとり勝ちした資本主義には、
世界における理想や、かく生きるべしという人生論がない。
カネがすべての世界である。
その手段がどうであろうと、本を安く売るからブックオフはもうかるのである。

ブックオフがこのまま発展するのかは疑問だ。
新古書店は、そもそも新刊書籍あっての商売。
このまま出版不況がつづき、新刊もいいかげんなものしか出なくなると、
ドミノ倒しのごとくブックオフも経営が立ち行かなくなるのではないか。
新刊書籍があってこそのブックオフ。
だのに、寄生虫ブックオフは出版社の血を死に至るまで吸い取ろうとする。
しまいには、みんないなくなるだろう。

7月15日ブックオフ新宿靖国通店。

「インド大修時代」(山田和/講談社文庫)絶版

350円だったものの割引券があったので250円。

同日、ブックオフ大久保明治通り店。

「煮え煮えアジアパー伝」(鴨志田穣・西原理恵子/講談社文庫) 105円
「最後のアジアパー伝」(鴨志田穣・西原理恵子/講談社文庫) 105円
「ラ・ロシュフコー箴言集」(二宮フサ/岩波文庫) 350円


失敗をいくつか。
ラ・ロシュフコーを知ったのは山田太一ドラマ「時には一緒に」。
岩波文庫のラ・ロシュフコー「箴言と考察」は品切れだった。
だから、古書店で見つけたら買おうと思っていたのだ。
ところが、この「ラ・ロシュフコー箴言集」は、
山田太一ドラマ放送後に新訳として出版されたもの。
ふつうに新刊書店で買えたのである。
105円ならいざ知れず、わざわざブックオフ半額で買うべきものではなかった。

「アジアパー伝」シリーズは「もっと煮え煮えアジアパー伝」が欠けている。
これを105円でそろえて、ようやく完結となる。
文庫くらい定価で買うべきなのに、ほんとうにごめんなさい。
ブックオフもいけないが、わたしはもっといけませんね。

同日、早稲田の正統的な古書店で買った古本。

「裸者と死者ⅠⅡ」(ノーマン・メイラー/山西英一訳/新潮社)絶版 1000円

いまはだれからも忘れ去られた長編小説。
わたしも敬愛する山田太一先生の推薦図書でなかったら買わなかったと思う。
使命が終ってしまった書籍といえよう。
だが、こういった古書も古本屋があるおかげで読者に流れる。
むかしながらの古本屋とブックオフはまったく役割がちがう。
ブックオフはかつてなら資源ゴミで捨てられていた紙くずをただ同然で引き取り売りに出す。

ブックオフから本を買ってはいけないのだろう。
だが、きみは餓えた乞食がコンビニの廃棄食物をあさるのを悪とまでは言うまい。

8月27日、近所のブックオフ。

「東京横町の酒房」(笹口幸男/講談社)絶版 105円
「無責任のすすめ」(ひろさちや/ソフトバンク新書) 105円
「思考の整理学」(外山滋比古/ちくま文庫) 105円
「篠山紀信 シルクロード[一][二][三]」(集英社文庫)絶版 315円


つまるところ、本を愛するわたしが本を殺しているのかもしれない――。
終戦記念日の2日まえ「西武池袋本店夏の古本まつり」へおもむく。
おかしなものである。ちかぢか読書をやめようかと思っている(当時)。
「本の山」もやめてしまおうかと(過去推量形?)。
それなのに古本祭があると、ついつい行ってしまうのだから。
自分に言い訳する。本は読むだけのものではない。
本を読むのは、むろん楽しい。だが、買うのはそれ以上の快楽なのであーる。
おらおら、考えておくれやす。
旅行しているときよりも、航空券を取ったときのほうが満足感がありませんでしたか。
とすると読書中よりも、本を買う瞬間のほうが楽しいのは、
むしろ人間として自然なことかもしれない。

しょっぱなから見たくないものを見てしまう。
ストリンドベリの古本(大正時代)が安価で投げ売りされているのである。
去年迷いに迷ったすえ2100円も支払い入手した戯曲集が
たったの300円で売られている。
「ストリンドベルク戯曲全集2 自然主義劇と一幕物」
これだけではなく、状態は良くないもののストリンドベリの未読小説がある。

「或魂の発見」(ストリンドベルク/和辻哲郎訳/岩波書店)絶版 500円

だれもこんな細かいことに関心はないと思うが、すまん許せ。
「或る魂の発見」は自伝小説「女中の子」の続編である。
「女中の子」は「下女の子」と訳されて出版されたこともある。
「女中の子」は読んでいるのである(戦後に出版された創元文庫で)。
だが、「女中の子」と「下女の子」は訳している分量が異なる。
「女中の子」では訳されなかったものが「下女の子」に入っている。
たぶんこの詳細をわかるものは書き手のわたし以外いないだろう。

「下女の子」(ストリンドベルク/小宮豊隆訳/岩波書店)絶版 300円

もはやだれも耳を傾けてくれぬ独り言になっていると思うが、
わたしは大正時代出版の「下女の子(女中の子)」もまた所有しているのである。
ところが、いま手に取っているものが、うちにあるのと同一のものかがわからない。
ストリンドベリは大正時代に大ブームがあり、訳本がいくつもあるのである。
うちにある「下女の子」と、いまここの「或魂の発見」がうまく接続するかがわからないのだ。
たかが300円である。だのに、わたしは購入を躊躇するのだから。
結局、おれは将来かならず大作家になるのだからと自分に言い聞かせ(きみいくつ?)購入。
このわずか300円の冒険は成功だった。
うちにあったのは岩波書店ではなく新潮社の「女中の子」。当然、訳者もちがう。
もしこのとき買わなかったら、あとでどれだけ後悔したことだろうか。

ともあれ、古本散策のスリルと興奮をご理解いただけたら幸いです。
断わっておくと、この日の段階で既に「本の山」のストリンドベリ記事は終幕を迎えている。
いまさら買うのかと思うが、これが本を愛するものの実相だ。
見習え。いな見習うな。地獄ゆえ。いな天国かも。いかん、混乱している、いけません。
池袋リブロの古本まつりに戻ろう。文庫本を2冊。

「近松物語の女たち」(水上勉/中公文庫)絶版 210円
「インド思想史」(J・コンダ/鎧淳訳/中公文庫) 262円


ガガーン。「インド思想史」は岩波文庫で復刊されていた。

「世界文学の歴史」(阿部知二/河出書房新社)絶版 800円
「私の小説作法」(毎日新聞社学芸部編)絶版 315円


「世界文学の歴史」はとにかく美品だったから購入。
まえの所持者がたいせつにしていたものだとわかる。
おそらく内容は知識自慢だろうが、わたしも読むとしたら「知ったか」目的ゆえOK。
わたし、意外と海外古典文学に穴があるんです。
(みなさんもそうでしょ、現役の作家さん評論家さん!)
「私の小説作法」は初めて見た。
小説家になりたいな。作家になったら書籍購入代金は経費で落とせるのでしょうか?

「現代演劇 テネシー・ウィリアムズ」(現代演劇研究会編/英潮社新社) 420円
「野生馬狩り」(アーサー・ミラー/岡崎涼子訳/早川書房)絶版 300円


ウィリアムズとミラーは、日本の春樹と龍のようなもの。
テネシー・ウィリアムズの邦訳戯曲はぜんぶ収集した。
あとは読むかどうか。
もしかしたら「ガラスの動物園」「欲望という名の電車」、この2作だけの作家なのだろうか。
まさにこの2作品を読んでウィリアムズのファンになったのだが。
アーサー・ミラーはわたしが唯一、定価(新刊)で全集を購入した劇作家である。
「野生馬狩り」は短編小説集。
本は読まなくてもいいのだ。買うのがこんなに楽しいのだから十分に元を取っている。