1849年 ストリンドベリ誕生。父は富豪商人(のち没落)。母は同家の女中。

1862年(13歳) 母の死。

1869年(20歳) シラー「群盗」を読み俳優をめざすも失敗。自殺未遂。劇作家志望に。
→以降、職を転々としながら、いくつかの戯曲を執筆。上演されることも。

1874年(25歳) 王立図書館員として就職。初めての安定した職業。以降8年勤務。

1875年(26歳) 人妻のシリとの禁じられた恋が芽生える。

1877年(28歳) 離婚したシリと念願の結婚。長女は誕生まもなく死亡。

1879年(30歳) 小説「赤い部屋」が評判となる。世に出る。翌年、次女誕生。
*女性解放をテーマにしたイプセンの「人形の家」出版される。

1882年(33歳) 童話劇「ペエアの旅」
≪分裂病発症:ヤスパース≫

1884年(35歳) 短編小説集「結婚生活」が瀆神罪の疑いで起訴される。
≪被害妄想が始まる≫

1886年(37歳) 自伝的告白小説「女中の子」。最初の自然主義的戯曲「なかま同士」

1887年(38歳) 妻との関係悪化。戯曲「父」。小説「島の農民」
≪分裂病増悪期:ヤスパース≫≪嫉妬妄想が始まる≫

1888年(39歳) 妻の不貞を告発する小説「痴人の告白」をフランス語で発表。
→代表作「令嬢ジュリー」。自選最高傑作の「債鬼」。ニーチェと文通。

1889年(40歳) 北欧実験劇場を創設するが失敗。シリ夫人は女優および劇場監督。
→一幕劇「強者」「賤民」「熱風」。

1890年(41歳) 女性と愚民に滅ぼされる知的超人を描いた「大海のほとり」完成。

1891年(42歳) 妻のシリと離婚。14年にもわたる結婚生活に終止符を打つ。

1892年(43歳) 子の親権をシリに取られたのが悔しく劇作で鬱憤をはらす。
→一幕劇「貸と借」「母の愛」「火あそび」「きづな」「死の前に」「最初の警告」
→以降5年のあいだ沈黙する。

1893年(44歳) ジャーナリストのフリーダと結婚。翌年、娘が誕生。
→フリーダの前の愛人につけ狙われていると思い込み、逃げ回る。
→フリーダが夫に禁じられていた「痴人の告白」を読んでしまう。
≪追跡妄想が始まる≫

1895年(46歳) 2番目の妻フリーダと離別(正式離婚は97年という説もある)。

1896年(47歳) 世界を破壊せんとの熱狂から錬金術研究に没頭する。
→フリーダの持参金を食いつぶし、なお無収入。友人知人からのカンパで生活。
→神秘思想家スウェーデンボリの著作に触れ救われたと感じる。
≪分裂病増悪期:ヤスパース≫

1897年(48歳) 分裂病体験を描いた自伝的小説「地獄」「伝説」完成。

1898年(49歳) 最初の表現主義的戯曲「ダマスカスへ第一部」「第二部」発表。

1899年(50歳) メロドラマ「罪また罪」。歴史劇を書き始める。

1900年(51歳) 最高傑作「死の舞踏」。童話劇「冠の花嫁」

1901年(52歳) 30歳年下の女優ハリエットと3度目の結婚。
→旺盛な創作活動。「ダマスカスへ第三部」「白鳥姫」「夢の劇」

1902年(53歳) 老いてなお性欲絶倫。ハリエットをはらます。娘、誕生。

1903年(54歳) 最後の自伝的小説「孤独」。史劇「ルッテル」

1904年(55歳) ハリエットと離婚。文壇暴露小説「黒旗」完成。

1906年(57歳) 「黒旗」の悪魔的世界から逃れんと信仰に到達する。
→自作「黒旗」を否定せんと、スウェーデンボリに捧げる随想集「青書」を書き始める。
*「近代劇の父」イプセン死亡。

1907年(58歳) 若い演出家のファルクと協力し「親和劇場」を創設(3年で閉鎖)。
→独自の演劇理論から室内劇を書く。「ペリカン」「稲妻」「焼け跡」「幽霊ソナタ」。

1908年(59歳) 40歳以上年下の女優に熱愛、求婚する。結局は断念。
→多数の演劇論を発表。まとめられたもののひとつが「戯曲論」

1910年(61歳) 世間への挑発癖は治らずストリンドベリ論争が起こる。

1912年(63歳) 自国最高の作家にノーベル賞が与えられぬことに青年社会党が反発。
→有志一同がストリンドベリ63歳の誕生日にこの作家を表彰し寄付金を贈呈する。
→4ヶ月後、ストリンドベリ、胃ガンで死去。
→死の直前の病床で、娘の胸に聖書を押しつけストリンドベリは静かに言ったという。
→「すべてはつぐなわれた」

(注)毛利三彌、山室静、両氏の作成した年譜を参考にしました。