時事ネタはほんと書きたくない。なぜかというとだれでも書けることだから。
わざわざ無名のわたしが書かなければならないことではない。
時事ネタなんていうのはね、みんなおなじような感想しか持たないんだ。
問題になるのは、発言内容ではない。だれの意見かである。
くだらない寸評でもビートたけしが言えばもっともになる。
たとえ卓見だろうが、そこいらのブロガーが言ったのなら、だれも聞く耳を持ちやしない。
「本の山」がなるたけ時事ネタを敬遠しているのはこのためである。

けどね、申し訳なくも思うわけである。
こんな無名人の書く過疎ブログの更新を気にかけてくださる人がいる。
ねえ、うれしいじゃないの。そういうお方を手ぶらで返してもいいのかい。
くだらぬことでもなにか更新があれば(たとえその記事が読まれなくても)、
訪れた意味が多少はあったということでしょう。
みなさまもそうだと思うけど、時事ネタだったらいくらだって書ける。
書いてみようじゃないの。どうせつまらない意見だよ。
いいじゃないか。なにをもったいんぶっているんだ。おまえはつまらない人間だろう。
もしおまえに価値があるとすれば、自分のどうしようもなさを熟知していることではないか。
なんて思って書くわけである。

たかが時事ネタを書くだけでこうも前口上を必要とする。
なんて自意識過剰なのだろう。いやになるね。
わたし? とっくにいやになってるよ。いやでいやでしようがない。
中学生がバスジャックを起こしたという。どうしてと思わないかな。
だいのおとなが何人も乗っていたんでしょう。相手の凶器は刃物一丁。
恥ずかしくはないのか。まだおさない中学生の言いなりになって、それでもおとなか。
そんな怪我をしたくないかな。自分の身がたいせつかな。長生きしたいかな。
わたしがその場に居合わせたら、間違いなく小僧をやっつける。
繰り返すが、たかが刃物一丁なのである。
刺されたって、よほど場所が悪くなければ死にやしない。
同年代の男に小声で話しかける。「まずおれが行く。あとに続いてくれ」
カバンかなにか刃物をふせげるものを盾(たて)にして突っ込んでゆく。
相手がひるんだら残りのおとなが取り押さえたらいい。
まだ陰毛もはえそろわぬような餓鬼である。こらしめてやるのがおとなの務めだ。

どうしてこれができなかったか。
日本人は公共空間で見知らぬ他人と会話できないからである。
アジアのなかでこれは日本人だけではないか。
タイでも中国でもインドでも、初めて会った人がふつうに会話をする。
アジア個人旅行に行った日本人が第一に驚くのはこのことではないか。
日本人は海外ですら見知らぬ同国人に話しかけるのをためらう人種なのだ。
日本人は、恥ずかしがり屋さんが多い。
いつだったか日も暮れた帰途である。某JR線がストップするのに出くわしたことがある。
情報は駅員がマイクで流すだけである。
ブラットホームは人でごったがえしている。なのに、乗客同士はなにも会話をしない。
アジアの旅から帰ってきたばかりだったのでひどく驚いた。
わたしはアジアの流儀で話しかけたものである。
いまとまっている電車は各駅停車なのか。急行列車なのか。
とどのつまり、我われは現在どのような状況にあるのか。
もちろん日本人は親切な人が多いから、聞かれたらだれもが丁寧に答えてくれる。
けれども、ここが重要なのだが、最初に見知らぬ他人に話しかけるものがいない。
みんながみんな情報不足で戸惑う。
このバスジャック事件でも、おなじことである。
だれかがひと言発していたら、こんな悪戯は警察を呼ぶまでもなかった。
「この餓鬼はなんだ? 我われおとながガツンとやらなあかん」
だれかがだれかにこう話しかけていたら事件はその場で解決していたのである。

あなたが日本人なら同国人から母国語で話しかけられたら答えるでしょう。
なら、どうしてあなたから話しかけない。
ここに日本人の美徳と欠点が同時に存在するように思うのである。