実はいま忘れられた文豪・ストリンドベリの最高傑作ともいうべき「死の舞踏」が上演されている。
「ステージ円」で17日から今月いっぱいである。

「死の舞踏」公演情報
http://www.en21.co.jp/shinobutou.html


日本一のストリンドベリ・マニアを自負する我輩だが観劇におもむく予定はない。
6500円という金額が障害である。
どれだけいい芝居を見せられても6500円は高すぎる。
ふざけたことを書いておくと「演劇集団円」がいけない。
いま日本のネット上でストリンドベリをまじめに論じているのは「本の山」だけである。
ネットで検索すればすぐわかること。どうして我輩を招待してくれないのだろう。
方面が違えばおそらく招待券を出しまくっているのではないか。
演劇なんてほとんど道楽の世界でしょう。採算をはなから度外視した自己満足。
関係者にはタダ券をばらまいているはずである。
その1枚がどうして我輩のもとに届かないのか。
日本でいちばんストリンドベリを愛しているこの男のもとに――。

なんちゃって(笑)。乞食みたいなことを書いてしまったよ。
本気にしないでくださいね。
ところで、いま日本の演劇というのは、だれが支えているのだろう。
だれがおカネを支払っているか、である。
むちゃくちゃ乱暴なことを書く。
高いチケットを購入して芝居を観にいくものは、想像力貧困の知的弱者ではなかろうか。
演劇世界はたしかにおもしろい。けれども、戯曲として作品を読むことができない。
こういった人たちがいまの日本演劇を支えているのではないか。
戯曲を読めない面々がおカネを出し合い、プロに戯曲の内容を教えてもらう。
演出家がむやみに居丈高なのは、戯曲を読めぬ観客を見くだしているからである。
本来なら戯曲を再現すればいいだけのロボット=俳優がこれまた大きな顔をする。
毎度のことだが芸術家きどりの俳優を見ると何様かとふきだしてしまう。
おそらく役者の尊大も、たかだが戯曲を読解できるという能力によるはずである。

演劇会場のお高くとまった雰囲気が嫌いである。
客が女ばかりであることにも恐怖する。男といえば、たいていは女の同伴である。
どうやら女は男よりも芝居を楽しむ能力に恵まれているようだ。
口をポカーンとあけて舞台上の俳優の一挙手一投足に陶酔できるのはひとつの才能だ。
男に生まれついたことを残念に思うことさえある。
客席には男ひとりで来ているものが極めて少ない。
いや、いることにはいるのだが、自称研究者のおかしな連中である。
インテリぶってブログにだれも読まない劇評を書く手合いである。
観劇好きの男とも女とも馬が合うようには思えない。
劇場へ行くたびに自分の居場所がないと疎外感をいだいたものである。
こうしていつしか芝居小屋とは縁がなくなっていった。
ストリンドベリ劇が上演されると聞いてもわざわざ行く気にならない。

(追記)ストリンドベリ自身も、あまり好んで劇場へ行くことはなかったという。
人間が嫌いなのである。自作が上演されるときでさえ、なかなか会場へ行かない。
俳優へ個別に手紙を書くのみである。
あんがい我輩の態度もストリンドベリ・マニアらしいのかもしれぬ。