昨日、先生から何度も言われた言葉が耳から離れない。
「おまえ舐めるなよ」
幾度、怒鳴られたことだろうか。いったいあの先生はなんなのだろう。
わけがわからない。気が狂いそうである。
だが、わたしは自分が狂わないのを知っている。
「本の山」をお読みになって勘違いをするかたが多いけれど、わたしは常識人である。
少なくとも、常識人でありたいと思っている。
挨拶はする。約束は守る。基本的にいつもニコニコとしている。人と仲良くしたい。
つまらないとは思うが、天才ではないのだから仕方がない。

たしかに指摘されたように大学の先生を舐めていたかもしれない。
この先生から初めてメールをいただいたときブログのアドレスが記載されていた。
「これを読んだら僕という人間がわかると思います」との付言。
自意識を持て余した非常勤講師の愚痴ブログであった。
長いこと学生をつづけたものの専任職に就けなかった憤懣が延々とつづられていた。
同情しながら、いろんな人生があるんだなと思ったものである。
先生は芝居を観にいくのが好きらしく、ブログにはたくさんの劇評も記されていた。
申し訳ないが、こちらはひとつも読めなかった。
努力しても読めない文章というものがある。
観念語を多用した自己陶酔的な文章のことだ。先生の劇評はまさしくそれであった。
とはいえ本人が楽しんで書いているのだから、いちゃもんをつけるものではない。
ブログを読んだ感想は、まあ悪くはない人なんだろう、であった。

人間を見る目はないかもしれないが、文章を見る目くらいはあると思っていた。
しかし、どうやらそうではないようである。
まさかこの先生が、あんな人物だとはまるで思わなかった。
人間は文章ではわからないものだと今回の事件でよくよく理解した。
(だから、わたしもみなさまが想像なさっているような人物ではないかもしれませんぞ)
フランス中世の文学を研究している40過ぎの早稲田大学修士の行動を見よ!
まず約束の時間を守らない。5分とはいえ遅刻はまずいでしょう。
初対面の人と逢うときに遅刻をしたらいけません。
万が一、遅れたらあやまるのは礼儀ではないか。すみませんのひと言もなかった。
初対面の人にいくら相手が年下だからといって横柄な口の聞き方をしてはいけない。
学生に対するような物言いを先生がするので驚いたものである。
わたしは年下相手でも初対面なら「です・ます」で話しかける。
喫茶店へ呼びつけたのも先生気分で、最初から説教するつもりだったのだろうか。
その後は昨日書いたとおりである。
一方的に大声で相手を罵倒する。それとも、あれは威圧していたのだろうか。
「おまえ舐めるなよ」
他人を「おまえ」と呼ぶのはよくない。それでは会話にならないではないか。
しまいには「幼稚園の娘を迎えに行くから帰るわ」――。

こんな人間が大学では先生なんて呼ばれているのである。
そのうえ奥さんとお子さんまでいる。
(妻は顔で選んだから美人だとブログで自慢していた)
邪推してみる。
幼稚園からの帰り道、娘の手を引きながら先生はこんなことを言っていたのではないか。
「パパはね、強いんだぞ。フランスの文学を研究しているんだ。
今日はね、おかしなことを言うバカがいたからパパ退治してやったんだ。
パパが本気になったら、だれもかないやしないからね」
美人の奥さんとの寝物語で先生はこんなことを話したのではないか。
「ネットで生意気なことを書いているやつがいたんだよ。
今日さ、ちょっと呼びだして締めてやったよ。
そいつ、おれに恐れをなして、なにも口が聞けなくてさ。
かわいそうだから途中で見逃してやった」

いまやりきれない思いをしている。先生の人間軽視の態度がたまらなくいやだ。
ネットで出逢った人間なら一度きりでもう逢わないで済むからなにをしてもいい。
人間の使い捨てである。
相手の話はいっさい聞かず怒鳴り散らしてストレス発散をする。
相手を罵倒することで自尊心を取り戻す。
どうせネットで逢った人間なんだから適当にあしらえばいいんだ。
1回逢えばそれでおしまいである。なにをしたって構わない。
やったことは一度もないがおそらく「出会い系サイト」の根本にある思想はこれであろう。

いま男を先生と呼んでいるが、むろんこれは便宜上である。
いくら不愉快だったとしても、実名をだすのはマナー違反だと思うからだ。
男は先生と呼ばれるのがいやらしい。
事件1ヶ月まえに送られてきたメールにこんなことが書かれている。

○○さんから僕に「先生」と呼称を使うのは勘弁してください。
お願いするものではなかもしれませんが、「さん」でお願いします。
職業として先生をやっているけれど、○○さんのほうが僕よりはるかに読書量が多いし(こっちは「先生」やっているくせに恥ずかしいです)、本の読み方も、生きざまも徹底しているように思えるので、そんな人に「先生」って呼ばれるのはちょっと困ります。

7/11(金)のチケットを取りました。三階B席2500円。昼の部の開演は十一時なので十時四十分頃に歌舞伎座の前で待ち合わせしましょう。また直前になったらメールします。



文面からは、腰の低い好人物としか思えない。
これを書いた人間が白昼の喫茶店で
狂ったように「おまえ舐めるなよ」を繰り返したのである。
あの憎悪のこもった目は忘れることができないだろう。
先生はわたしを「○○さん」とは呼んでくれなかった。「おまえ」である。
人間はわからないと思う。昨日先生とお逢いしたことを後悔したくない。
いい勉強になったと思いたい。
どのくらいの時間ひとりで喫茶店にいたのだろう。店を出ると雨が降っていた。