「時にはいっしょに」(山田太一/大和書房)絶版

→テレビドラマシナリオ。昭和61年放送作品。全11回の連続ドラマ。

テレビは幸せを売る器械である。
NHKをのぞく民放各社はボランティアでテレビ番組を放送しているわけではない。
企業から広告収入を得て番組を製作している。
実のところテレビの主張はひとつしかないのだ。カネを使えである。
なんのために? 
幸せになるためである。多くの人間はどうすれば幸福になれるかわからない。
テレビコマーシャルは視聴者にささやく。これにおカネを使えば幸せになれますよ。
詐欺といったら口が悪すぎるが、ひとつのフィクションであることは否定できないだろう。
山田太一ドラマはテレビのこういった機能に決して目をそむけない。
むしろ、(映画ではなく)テレビであることにこだわる。
これは多くの山田太一ドラマのテーマが
「幸せとはなにか」「フィクション」のふたつであることからわかるだろう。
コマーシャルは、こうしたら幸せになりますよとささやきかける。
山田太一ドラマは、人間そんなかんたんに幸せになれはしないよと訴える。
ほとんど営業妨害である。
よくもまあ、山田太一ドラマがつぶされなかったものだと感嘆する。
ひとえに視聴者から支持されたがためである。
広告は多数の人間の目にとまらなければならない。
結果として、矛盾に満ちた画面が展開されることになる。
ドラマとCMの内容が互いに矛盾するのである。
だが、この矛盾に満ちた混沌が、
ある時期におけるテレビメディアのエネルギーだったのだろう。
いや、矛盾と書いたが、本質的な人間観は矛盾していない。
人間とはなにか? 人間は、幸せになろうとなろうする。幸福を欲する。
幸福とはなにか? 山田太一ドラマとコマーシャルはおのおの回答をだす。
この脚本家のドラマでは回答は提出されず問題提起に終わることも少なくない。
ともあれ、山田太一ドラマにおいて、人間は幸せになろうと行動し、結果に喜怒哀楽する。

どこにでもある郊外の一軒家でドラマは始まる。
駅からだいぶ離れているため自転車がないと生活できない。
このため車庫には家族の人数分の自転車が並んでいる。
夫は大学の助教授。妻は専業主婦である。
一度、夫の浮気があったが、これが離婚の原因ではない。
相手に関心を持てない。このままいっしょに暮らしていれば、それでいいのだろうか。
妻は離婚理由をこう説明する。

「子供だって、うんと小さければともかく、あのくらいになれば、
両親揃ってなくたって大丈夫だと思うの。
勝手ないい草だし、別れていまより幸せになるとは限らないけど、
つめたいまんま、静かに年をとるなんてまだ嫌なの」(P40)


夫婦は父と母でもあった。
子どもは高校三年生の季代(としよ)と高校1年生の茂の姉弟。
(季代を演じるのは当時ブレイク直前のアイドル南野陽子
この姉弟が切り離される。というのも、父がこう言うからである。

「二人の判断にまかせたいが、出来れば、一人はお母さんと、
一人は私と、暮してくれれば、と願っている」(P30)


ふたりでどこかへ行ってこいと茂は父から2万円を渡される。
姉弟は東京サマーランドへ行く(アイドルの水着姿!)。遊ぶふたり――。
夕飯はハンバーガーショップで食べたが茂は不満である。
もっと一流のレストランへ行きたかったというのである。
季代は姉らしく弟をいさめる。
いくらかかるか知れたものではない。無駄遣いはやめましょう。
自分は全然あんなところへ入りたくない。すると茂は自分も入りたくないという。
弟はわけがわからないと季代は思う。
帰りの電車である。もう日が暮れている。ふたりは現実に直面する。
どちらが父についていき家を出るか。1日で答えの出る問題ではない。
最寄り駅に到着する。その自転車置場――。

季代「ほんとだね」
茂「なにが?」
季代「時間かけたって同じだね?」
茂「いいよ、別に」
季代「二つに一つよ」
茂「いいってば」
季代「二人ともお母さんと一緒に、いままで通り暮すか、
私がお父さんと一緒に出て行くか。二つに一つよ」
茂「なんで姉さんが出て行くんだよ?」
季代「じゃあんた出て行く? お父さんと行ける?」
茂「いいよ」
季代「男ふたりじゃ、どうしようもないじゃない」
茂「――」
季代「お母さんも茂といたいのよ」
茂「関係ねえよ」
季代「下の子が、お母さんと一緒の方がいいもの」
茂「そんな子供じゃねえよ」
季代「じゃあ、どういうのがいいの? 茂はどうしたいの?」
茂「――」
季代「お父さんひとり、追い出すみたいの可哀そうじゃない」
茂「浮気したんだろ」
季代「終ってるわ」
茂「どうして分る?」
季代「気にしてれば分るわ」
茂「じゃあ行けよ。お父さんと行けよ。
姉さんいなけりゃ喧嘩しなくて、静かでいいや(と自転車を走らせてしまう)」

●並木のある坂道

茂、来て上りかけて止る。
季代、少しおくれて来て、並んで止る。
茂「(おりて、自転車押す)」
季代「茂」
茂「(止る)」
季代「(おりて、自転車を押して茂に並び)レストランで食べたいっていったの、
思い出のつもりだった?」
茂「(なんだかツーンと来て、返事が出来ず口をとがらせて、うつむく)」
季代「気がつかなかった」
茂「(急にこみ上げてべそをかく)」
季代「鈍感でごめんね。そうだよね、別れちゃうかもしれないんだもの、
レストランぐらい、行きたかったよね」(P41)


このとき3人の青年が坂を下りてくる。姉弟をカップルだと思い冷やかす。
茂は姉さんだと言い、青年たちに殴りかかろうとする。
青年たちは気のよい若者で喧嘩をするつもりはない。悪かったとあやまる。
なおも茂は殴りかかろうとするものの、季代につかまれてとめられる。
茂、泣いている――。
とてもいいシーンだと思う。ツーンと来る、というところがいい。ほんとうに、いい。
引越の前日、大学受験をひかえている季代は決意する。

季代「ためすの、私」
茂「なにを?」
季代「今までわりと幸せだったじゃない。自分がどのくらい強いのか、
それとも弱いのか、分らなかったから、どんな風かためしたいの」
茂「受験じゃねえか。そんな時――」
季代「緊張していいわよ。ちょっといいじゃない。親が別れて、
急にバラバラになるなんて、そんなこと、自分に起ると思ってなかった。
格好よく生きよう」
茂「――」
季代「面白がっちゃおう」
茂「明日だけで引越しなんか出来んのかよ(と泣きたい気がして、廊下へ。
バタンとドアを閉める)」(P64)


少年少女は恋をする。姉弟はそれぞれ胸に思う異性がいる。
弟の茂が好きなのは、3歳年上のレンタルビデオ店員の比呂子。
高校を卒業して上京。いまひとり暮らしをしている。
一風変わった女性で、茂と彼女はひょんなことから知り合った。
彼女の部屋でふたりは握手している。比呂子が手を握ってくれと頼んだのである。
もっと強くという。痛いくらいでいいという。

比呂子「痛くていいんだもの。痛いと消えるの」
茂「なにが?」
比呂子「フフ(と苦笑)」
茂「なにが消えるの?」
比呂子「不安(いってちょっと照れる)」
茂「フアン?」
比呂子「聞き返さないで」
茂「フアンて、心配とか、そういう不安?」
比呂子「――(うなずく)」
茂「なんか心配なわけ?」
比呂子「(真面目な顔で)全部」
茂「全部って?」
比呂子「そういうこと、家族と一緒だとないのかな?」
茂「どういうこと?」
比呂子「栃木から出て来て、こうやって一人で暮してると、時々来るのよ」
茂「なにが?」
比呂子「不安が――」
茂「へえ」
比呂子「私なんか、いいお嫁さんとかになりそうもないし、
なにか才能があるわけじゃないし、すごくいい女ってわけじゃないし、
なんにもないんだよね」
茂「(うなずく)」
比呂子「お金もないし、これ以上いいアパートで暮せそうもないし、
いい仕事につけそうもないし、恋人出来そうもないし臆病だし(一気にいう)」
茂「――」
比呂子「臆病なの」
茂「ほんとに?」
比呂子「男って、大抵私より大きいし、勝手、みたいだし、
うっかり気を許すと、ヅカヅカ踏みこんで来る気がするし、
もうちょっとのところで、つきはなしたりしちゃうんだよね」
茂「へえ(と小さく)」
比呂子「時々、自分て、誰とも関係がないって気がして、ひとりだなあって気がして、
未来も、なんにもいいことがないって気がして、
この辺(ミゾオチ)がへっこんじゃうように不安になるんだよね」
茂「(うなずく)」
比呂子「そういう時、誰かにギューッて抱きしめてもらえば、
きっと、少し安心なんだろうけど、そういう人いないから」
茂「(うなずく)」
比呂子「手、握って貰ったの」(P94)


茂は比呂子に振り回される。あるときには身を売るという。
体でも売らなきゃこの境遇から脱け出せないと思ったというのである。
どうせ結婚したところで、いまよりちょっと広いだけの汚いアパート生活。
ドーンと生活を変えるにはこうするほかない。茂は必死でとめる。
理由を問う比呂子に茂は答えることができない。嫌だとしかいえない。

比呂子「だったら、どうなるのよ? どうぬけ出せるのよ?
(自分の腕をこするようにして)こんな若くて、
裸になればよだれ流す男いっぱいいるのに、それ使わないで、
この部屋にジーッとしてて、あの店で一時間七百円稼いで、
年とるの、ほっとけっていうの」
茂「――」
比呂子「ビール、のんでく?」
茂「――」
比呂子「未成年だから駄目だなんていわないでよね、子供」
茂「いわねえよ(はじめてスニーカーを脱ぎ、大人ぶって、冷蔵庫をあけ、
ビールを出して、ドンと畳に置く)」(P108)


また別の日――。山田太一はなんでもないシーンを描くのがことさらうまい。
ありきたりな風景のすばらしさを我われに再認識させてくれる。
脚本家はともすればなにか「ある」ことを書きがちである。
だが、山田太一は意識してなにも「ない」風景を描写せんと努める。

●ビデオショップ・店内

茂「(ドアから入って来る)」
比呂子「いらっしゃいませ(と頭を上げる)」
茂「(ニコッとうなずく)」
誰も客はいない。
比呂子「今日は十時までだもの(とどこか心細げな声)」
茂「知ってるさ(とテープの棚を見て歩く)」
比呂子「テープ?」
茂「そうじゃねえよ(と棚を見て歩く)」
比呂子「じゃ、なに?」
茂「いいだろ」
比呂子「用?」
茂「ただ来たっていいだろ」
比呂子「そりゃいいけど、今日は駄目だから」
茂「分ってるよ」
比呂子「――」
茂「(テープをしまい、他のをとる)」
比呂子「フフ、ほんと。ただ、来たわけよね」
茂「(テープをしまう)」
比呂子「フフ、私、いま、瞬間、ひっどく落ち込んでたの。
だから、どうして来たんだろって思っちゃって」
茂「まいったな(とテープ見て行く)」
比呂子「私の顔見に来たんだ?」
茂「顔ってわけじゃないけど」
比呂子「私に逢いに来たんだ」
茂「いうかな、そういうこと」
比呂子「フフ、でもこういうのいいね。すっごく救いになる」
茂「(苦笑)」
比呂子「こっち見て」
茂「――」
比呂子「見て」
茂「なによ?(と見る。すぐ目を伏せる)」
比呂子「いいね。用じゃなくて、ただ逢いに来る人がいるって、
こんなにいいと思わなかった(と嬉しい)」
茂「大きいよ、声が(と照れて、テープをしまう)」
比呂子「今度さ(とひとりで盛り上って)キスとか、
いろんなこと、いっぱいさせてあげるね(大学生らしい四人入って来る)
いらっしゃいませ、いらっしゃいませ」(P152)


姉の季代も片思いをしている。相手はひとつ年上の大学生、高杉。
季代の高校の先輩だった。去年、高校を卒業した。
ちょっと不良がかっている。
顔がいいのだが、本人も自覚していて少し嫌味だと季代は思う。
けれども、高杉の魅力にはあらがうことができない。
高杉は後輩から好かれているのを知っているが、いまのところ手を出していない。
後輩の男子が季代に熱をあげているのを知っているからである。
根っからの悪人ではないのだ。
ふたりは偶然出逢って話をしている――。

季代「時々、勉強、ほったらかして、読んでます」
高杉「なにを?」
季代「なにをって下さった本――」
高杉「ロシュフコオ?」
季代「はい」
高杉「返して貰おうかな」
季代「どうして?」
高杉「勉強の邪魔になっちゃ悪いだろ」
季代「いいんです。そんなに夢中ってわけじゃないですから」
高杉「ならいいけど」
季代「今、ひっかかってる言葉が二つくらいあります」
高杉「そう」
季代「人間は――」
高杉「うん」
季代「独りでいても淋しくないという自慢をする。なぜだろう?」
高杉「そんなの、あったかな」
季代「時々、このごろ、その言葉、浮ぶんです。
なぜ独りでいても淋しくないなんてことが自慢になるんだろうって」
高杉「お父さんと二人だっけ?」
季代「そういうことは関係ないけど――」
高杉「もう一つは?」
季代「え?」
高杉「ひっかかってる言葉が、二つあるっていった」
季代「そうですね。ほんとは、もっともっとあるんだけど、
時々、自分にいいきかしてる言葉があるんです」
高杉「なに?」
季代「自惚(うぬぼ)れがなかったら、人生はつらいばかりだ」
高杉「――」
季代「ほんとにそうだなあ、と思って。
かまわないから、自惚れようって、よく思うんです。
自惚れなくなっちゃったら、ほんとにつらいな、と思って」
高杉「――」
季代「フフ、愚痴こぼしてるんじゃないんです。ただの話です。すいません」
高杉「ううん」
季代「のみにくい(と小さくいって缶コーヒーをちょっとのむ)」
高杉「フフ(とのむ)」(P205)


岩波文庫「箴言と考察」(ラ・ロシュフコオ)である。まったく山田太一さんは(笑)!
南野陽子に岩波文庫を読ませてしまうのである。
美少女が岩波文庫。くうう、ぞくぞくしますな。
離婚により崩壊した家族4人はそれぞれ恋をする。
父は研究室の助手と。母はバイト先のオーナーの弟が相手である。
その日は父も母もデートでそれぞれ家をあけている。
さて、姉弟の片思いはどうなったか。なんと比呂子と高杉がむすばれてしまったのである。
アイドルの南野陽子に失恋する役をふるのは、いかにも山田太一らしい。
姉は弟を問いつめる。あなたがなんかしたんじゃない?
高杉さんをあの子とくっつけたのは茂でしょう。
弟は否定する。「だって、あいつ好きだもの。好きな子、人におっつけるわけないだろう」
姉は弟もまた失恋したことを知る。
かつて家族4人が暮した家の居間に姉弟はへばったように座りこんでいる。

季代「(ぽつりと)茂」
茂「うん?」
季代「結局――」
茂「うん?」
季代「二人して、失恋したわけね」
茂「――うん」
季代「なんなんだ?」
茂「うん?」
季代「そんなに程度悪いかな?」
茂「そんなことないよ」
季代「だって、比呂子って子、選んだのよ。あの子の方がいい?」
茂「姉さんの方がいいさ」
季代「茂だって好きになったくせに」
茂「そっちは姉さんだろ。姉弟じゃよくたって仕様がねえもん」
季代「そうだけど」
茂「姉さんの方がいいさ」
季代「――」
茂「あんな奴、どうってことねえよ」
季代「そうよね。高杉さんだって、どうってことないわ」
茂「見る目がねえんだよ」
季代「そうなのよ。趣味悪いのよ」
茂「悪い同士はくっつきゃいいんだよ」
季代「茂の方が余程魅力あるわよ」
茂「姉さんの方が、どれだけいいか分んねえよ」
はずみで盛り上って、黙ってしまう。
季代「なにいってるんだ? 二人で(と淋しくいう)」
茂「ほんとだもん(とぼそりという)」
季代「お母さん、何処いっちゃったのよ?」
茂「うん」
季代「うんと、我儘(わがまま)いいたくなって来たのに(と泣きたくなる)」
茂「俺にいえよ。なんでもしてやるよ」
季代「(泣くまいとして、笑顔をつくろうとしてつくれず、冗談のつもりで)
豚にでもなれ。ヘヘ、フフ(と泣き笑い)」
茂「(豚の顔をつくり)ブーブー、ガーガー、ブーブー(と騒ぐ)」
季代「(泣きたいけど笑っている)」
茂「ブーブーブーブー」
二人して泣いてしまう(P244)


人間は幸せを夢見る。けれども、そううまくはいきやしない。
泣くしかない。泣くしかないのだが、いっしょに泣いてくれるものがいたら少しはましだ。
少しはというが、人間にはこの程度のことしかできない。
いっしょに泣くくらいが人間が他者になしうる限界だ。
とはいえ、これはやはり偉大なことではないだろうか。いっしょに泣く。
相手のことを心底から思う。自分のことを思ってくれる他者がこの世に存在する。
それはちょっとしたことだけれども、人間にとってほんとうに大きな救いではないだろうか。
時には、そう、「時にはいっしょに」――。
最終回で家族4人が顔をつき合わせる。ランチを食べようというのである。
むろん、両親のよりが戻ったというわけではない。
結局、父の恋愛も、母のほうの関係も、ままならず終わってしまったのである。
いうなれば、家族4人全員が失恋したのかもしれない。
人間は孤独である。だれかといっしょにいたいのは自然なことである。
だったら、たまになら、こうしてかつて家族だったものが集うのもいいのではないか。
そういう家族関係があってもいいのではないか。
これからどんどん人間は孤独になってゆく。離婚は増えるだろう。
親子の関係も疎遠になってゆくと思われる。時代の流れだから仕方がない。
けれども、「時にはいっしょに」――。

私事になるが、山田太一ドラマの1クールものはこれで終わりである。
(「ふぞろいの林檎たち」が残っているが、一部再読になるため除外)
「時にはいっしょに」はとくに代表作というわけでもなく、ほとんど期待していなかった。
ところが、嬉しい誤算で山田太一ドラマのなかでもベスト5に入る傑作であった。
「岸辺のアルバム」や「男たちの旅路」のようなものはむろん名作だが、
「想い出づくり」や「時にはいっしょに」のような(テーマが)軽めの作品もすばらしい。
かえって、軽めのドラマのほうが山田太一の味がよく出ているようにも思う。
「時にはいっしょに」はすっかりまいってしまった。
感想の書きようがないのである。おもしろいから読んでくださいとしか。
だが、絶版のものだしシナリオはあまり好まれない。
ならと思い、引用を多くした。
書き写しながらぞくぞく身震いしたものである。
涙ぐみながら、いいな、いいだろ、となにものかに語りかけたくて仕方がなかった。
このよさが読み手に伝わればいいと期待しているが、
一部抜粋のため書き手のねらったほどの効果はないかもしれない。
もし退屈でしたら、それは山田太一が悪いというのではない。
すべてわたしの紹介のまずさが原因です。作者と読者にお詫びします。