ブログという表現方法がメジャーになったのは少なくともこの10年でしょう。
ブログはとても新しいメディアなのです。
特徴をまとめます。
1.書くのにも読むのにもおカネはいりません。
2.公開するまでにチェックする機関(編集者、校閲者)が存在しません。
3.けれども公開されたらその瞬間に万人の目に触れます。
4.匿名で書くことが可能です。
5.不都合になったら、すぐさま全記録を削除することができます。

今回、取り上げたいのは1です。金銭の問題であります。
おかしなブログがたまにあるでしょう。
「ここをクリックして」とか書いてあるブログ。
何ものにもかえがたき読者様に命令するなんて、いったい何さまなのでしょう。
あれをクリックすると該当ブログが人気ヒットチャートに入る模様。
おろかですね。だれかから認められないと、ものを書く気にならないのですから。

話はがらっとかわります。むかしこんな争いがあったようです。
ある純文学作家が文芸誌の編集長に抗議しました。
「こんな安い原稿料で生活できると思っているのか」
安定した会社員で、なおかつ高給取りの編集長はこう答えたそうです。
「あなたは報酬がなかったら書かないのですか」

いろいろ複雑な問題をはらんでいるやりとりです。
ここでは金銭面だけ問題にしましょう。
ブロガーのほとんどは収入が得られないのに書いている。
どういうことか。大多数のブログは純文学なのです。
21世紀の日本で純文学が復活したといってもいいのかもしれません。

それから、それから。
「本の山」管理人のわたしも無報酬で、
だれからも頼まれていないのに文章を書いています。
他人から依頼されて文章を書いたことは一度もありません。
多くの作家志望者が新人賞めざして無報酬で小説を書きます。
賞を取らないものは消えてゆく。書かなくなる。
新人賞を取った作家は、少なくとも数年は書きつづける。
なにゆえか。書いてくれという依頼があるからです。書いたらおカネになるからです。

この記事は、いったいなにを主張したいのか。
・「本の山」は長年、報酬もなく文章を書きつづけているから偉い。
・わたくしヨンダが小説を書かないのは、依頼されていないからだ。
・文学者の正体など、そもそもはブロガーに過ぎぬ。
以上3項、すべて誤りであります。
この記事の目的は(あるとすれば)おなじブロガーへの応援歌なのです。
頼まれもしないのに無報酬で文章を書いているみなさまへ。
ともにがんばりましょう! 書きつづけましょう! えいえいおう、なのです♪
「私の文学漂流」(吉村昭/新潮文庫)絶版

→どうして成功者は苦労自慢をしたがるのだろうか。
失敗者が苦労自慢をしても、ただの愚痴としか思われない。
しかし、おなじものを成功者が口にすると、なぜか美談になってしまうのである。
みなさまもこのからくりにはうすうす気づいているはずである。
繰り返しになるが、強調しておきたい。
言説は、なにが主張されているかが問題ではない。
だれが論じているか。これがすべてなのである。

人間を肩書きでしか判断できない「もてない男」の小谷野敦氏は、
この本を真に受けてたいそう感動したそうである(「評論家入門」)。
「もてない男」よりはるかに手練手管に通じているライターの日垣隆氏は、
本書における苦労自慢のいかがわしさを冷静に指摘する。
吉村昭の実家の尋常ならぬ裕福さを察知するのである。

めでたしめでたし、と言いたいところですが、「受賞前の貧乏時代」も実はちょっと曲者です。最も苦しかったはずの昭和三四年に、この夫妻は都内に五〇坪の土地を買い、平屋の家を建てているのですから。このときも吉村氏は兄の一人から援助を得ているのですが、そのあたりのぼんぼんぶりはここでは措くとして、昭和三〇年代には、ろくに注文のない貧乏文士でも都内に家が建てられた、という点に注目しておくことにしましょう。地代が安かったからです。


「ガッキーファイター」より
http://www.gfighter.com/0030/20041227000078.php

どうして人間は人生が運不運だと認めたがらないのだろう。
成功者はみな自分の苦労が実を結んだと、こうまで声高に主張しようとするのか。
人間だれしも性別、美醜、貧富、才能を選んで生まれてきたわけではない。
なのに、ふしぎと成功したときだけ、それを自分で選択した結果のように思う。
ほんとうにあさましい所業である。
「少年時代」(山田太一/「’90年鑑代表シナリオ集」/映人社)絶版

→映画シナリオ。平成3年公開作品。
ふたつの意味でとてもめずらしいシナリオである。
主戦場のテレビではなく映画の台本であるということ。
オリジナルではなく原作がある作品であること。

さすが映画の助監督時代が長かった山田太一である。
映画とテレビの相違をしっかりとらえている。
この映画シナリオを読むと、まるで山田太一ドラマらしくないのである。
恒例の長ぜりふが一箇所もない(子役ばかりのためかもしれないが)。
テレビドラマは、「ながら」で見られることが多い。
たとえば、料理をしながら、食器を洗いながら、洗濯物をたたみながら――。
耳だけで聞いているものが少なくないのである。
だから、会話中心になる。耳だけでもわかってもらうためである。

いっぽうで映画は暗闇できちんと見てもらえる。
このため「少年時代」では、言葉(せりふ)にならないような繊細な感情が重視される。
いわゆる「絵になる」シーンが、たくさん描きこまれているのだ。
人間はあえて言わないことで感情を表現することがある。
むしろ、切実になればなるほど言葉にならないはずだ。
そのうえ子どもは語彙が少ない。かえって語らせては台無しになる。
「少年時代」で、いかに言葉にならないシーンが多かったことか。
イコール、映画監督の「しどころ」が増える。
映像のちからを知り尽くしたシナリオ作家の作品である。

見る目のあるものにはわかるのだろう。
このシナリオは日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞している。
たしかに優秀な脚本だが、シナリオで読むより映像で観たほうがよほどおもしろい。
(映画「少年時代」は観たことがある。傑作だった)
このようなものが卓越したシナリオと評価されるのは複雑である。
というのも、わたしは山田太一のテレビドラマシナリオで
「少年時代」よりも優れたものをいくつも知っているからである。

ふたつのシナリオがある――。
シナリオでも映像でも楽しめるものと、映像でしか楽しめぬものと。
むろん「少年時代」は後者である。山田太一が意図してそう書いたからである。
「しまいこんでいた歌」(山田太一/「テアトロ」2003年3月号)

→戯曲。平成15年上演作品。実際に劇場へ行って観た芝居である。
観劇したときはえらく感動して、その場で戯曲の掲載された雑誌を購入したものだが、
こうして時を経て再読してみると、どこがよかったのかわからなくなっている。
もっとも稽古中にそうとう直しを入れたようで、
上演台本と掲載戯曲にはかなりの相違があるということである。
戯曲を読んで感動が薄いのはこのためなのかもしれない。

ドラマのきっかけは内部告発である。
ガス器具メーカー研究所の所長である高杉繁は、
就職を世話してやった娘が内部告発をしようとしているのを知りあわてる。
教えてくれたのは娘の母親である。
この母親がおかしいなことをいう。
謝罪のつもりか「私を好きにして」と誘惑してくるのである。
それはともかくとして、もし内部告発などされたら自分は馘(くび)になってしまう。
なんとかして止めなければならないと繁は思う。
そもそもなにを内部告発しようとしているのだろうか。

ドラマを推進するベクトルはふたつである。
本当のことってなんだろう。熱い生きかたをしたい。このふたつである。
ふたりの青年の発言を引こう。大学院でモラトリアムを過ごす繁の息子のせりふ。

「オレたち、本当ばかりで生きていません。
ニセ薬で、驚くほどなおったりするんです。
本当に深入りしちゃいけないんじゃないというか――」(P146)


もうひとりは内部告発の首謀者である。繁のかわいがっている部下。若い。

「俺は実は一方で、あたりさわりのない世界好きなんだよ。
みんなクールで、立入らなくて、何事もないの好きなんだ。
でも同じくらいそれが嫌なんだ。
告発するぞって、会社をゆさぶり所長をゆさぶり、大騒ぎになって、
大本はオレだとバレて周りから白い眼で見られて、
孤立して、ヒリヒリして、苦境に立って、
そこから脱け出そうとするような、カッカした人生を歩きたいんだ」(P148)


本当のことはなにも明らかにならない。
芝居の最後はギリシア悲劇のデウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)のように、
繁の老いた父がラッパを持って登場する。貫太郎である。
貫太郎はむかし軍隊でラッパ手だった。軍隊はそれはひどい世界だった。
個性なんてはぎとられ上官から殴られるばかりの毎日である。
ある日、しごきに耐えられないで便所で首をつった新兵がいた。
死体を運び出すところに偶然ぶつかったのである。
光景が頭からはなれなくなった。
3日ほど経って、貫太郎が反逆を試みたくなったのはこのためである。
消灯のラッパで、切ないほど甘い恋の歌を吹いて、みんなに呼びかけたくなった。
ところが、いざやろうとすると、まともに音が出やしない。
プープープーである。上官から半殺しの目に遭って営倉へほうり込まれた。

「八十すぎて、ふっと思い出すとな。(「うん」)
俺の一生は、あれがなかったら、なんだったんだと思うんだ。
あとは、ずーっと自分をおさえて干からびちまったよ。(「そんな――」)
いやあ、あんなに大勢に向けて、気持をワーッとはき出すようなことは、
それからあと、なかったよ。(「そうか」)
男の一生は、自分をおさえる一生みたいなところがあるからな。(……)
いまとなると、あんなみっともない、忘れたかったことが、
生きてた証拠のように思える」(P153)


だから内部告発をやってしまえと老人は若人をけしかけるのである。
もとより、そんなことをされたら息子が馘になってしまうのだけれども。
山田太一の芝居らしく、答えは舞台上で示されない。
観客各々の宿題として残るのである。
「林の中のナポリ」(山田太一/新日本出版社)

→戯曲。平成19年上演作品。もしかしたら山田太一先生は、
ちらりとなら「本の山」をご覧になったことがあるのかもしれない。
だとしたらこんな光栄なことはない。
とても拙文には山田太一先生のお目を汚す価値はないと自覚しているからである。

「インターネットで、匿名で、いいたい放題の悪口を書かれたんです」(P154)

山田太一ならぬ高原のペンション「林の中のナポリ」のこうむっている迷惑である。
なんと書かれたか。ペンションの主人が気味悪い。
陰気で暗い男が薄笑いを浮かべるので不愉快である。このためだろうか。
開業3年目のペンションは、この先、春にかけてまったく予約が入っていない。
中年(初老?)夫婦とその娘で経営する「林の中のナポリ」の主人、小野寺真一はいう。

「匿名のいいたい放題が、そんなに力を持つなんて、どうかしている」(P129)

山田太一の新しい文化へのアンテナのよさには驚くほかない。
ともあれ、客の来ないペンションに話を戻そう。
雪のふる日である。
今日も客が来ないと思っていたら、おかしな老婦人(南風洋子)が現われる。
静かな湖面に石が投げ入れられるのとおなじである。
さざなみが生じる。これこそドラマにほかならぬ。さあ、この石の正体を見極めよう。
ペンションの女主人、小野寺直子は70をとうに超えた老婦人をあやしむ。
宿帳に書かれた電話番号も住所も実在しなかったからである。
一泊だけかと思ったら、二泊三泊四泊と際限がない。
老婦人の話すことは、とうてい本当とは思えぬようなことばかりである。
夫の真一はこんな偶然があっていいものかと驚いている。
気味の悪い真一は、客の前に顔を出すことを母娘から禁じられていた。
ところが、うっかりとすがたを現わしてしまう。このとき老婦人の顔を見たのである。
見覚えのある顔だった。夜半、フロントに真一がひとりでいるときである。
老婦人がかれの前に現われる。「あなたにお話があるの」

「齢をとると、こんなことがあるって、テレビかなにかで見たような、
気がするんですけど――」(P168)


老婦人は伊沢かの子と名乗る。このとき38年前の事件が現在によみがえる。
スウェーデンである。真一は車を運転していた。事故を起こしてしまった。
運転していた真一だけ助かり、他の3人は死んだ。
死んだ青年のうちのひとりが井沢かの子の息子だったのである。
まさかこんなところで38年後に再会することになるとは。
真一が陰気なのはこの事件をひきずっているのである。
事件のことは妻にも話していない。いったいこの再会はどういう意味があるのだろうか。

かの子「ありがとう」
真一「なんですか(それ)」
かの子「こんなに長い間、あの事故を忘れないでいてくれて――」
真一「形だけ残ってるんです。身をかくそうという形だけ」
かの子「それでも嬉しいわ。
けろりと元気なあなたに会ったら、きっと淋しかったでしょう」
真一「フフ、暗いのをほめられたのは、はじめてです」
かの子「あの子がお礼をいってと、あなたにひき合わせたのよ」
真一「それは失礼だけど、あなたのつくった物語です」
かの子「そうね、わたしのつくったお話――」
真一「そうですよ」
かの子「だから、お話は続くの」
真一「続く?」
かの子「ありがとうだけじゃ終らない」
真一「終らないって――」
かの子「終りは、あなたが、あの事故からぬけ出して、明るい人になってくれるの」
真一「それは、どうかな」
かの子「井沢の母親が、本人に代って、いいに来た。もう罪に思わないでくれ。
幸福になることをためらわないでくれ」(P212)


かの子の事情も明らかになる。いま失踪しているところなのである。
姑が死んだ。夫も死んだ。天涯孤独の身で老人ホームに行くことが決定していた。
だが、思った。「嫌だ、行くの嫌だって」
かの子はトランク片手に逃げ出したのである。だから捜索願いが出ているかもしれない。
この老女をどうしたらいいのか夫婦は戸惑う。
38年前の事件はすでに妻の直子の知るところになっている。
かの子からとっくに許されていることを知り、
ようやく真一は妻に事故のことを告白することができたのである。
「林の中のナポリ」に予約が入る。女子大生の4人組である。
入れ替わりに自分が出て行くと井沢かの子は宣言する。
どこへ行くのか夫婦は問う。やはり老人ホームに行くべきではないのだろうか。
かの子は旅をつづけるという。自由気ままな旅を。
女子大生4人が登場する。かの子は問いかける。

「19世紀の終りに、ノルウェーにいたノラという女の人のことを知ってる?」

女子大生はだれもイプセン「人形の家」に登場するノラを知らない。ノラは――。

「お金持の夫と、可愛い三人の子どもがいるのに、
ある日、一人で家を出て行ったの。
どうやって食べていけるか、見当もつかないのに、無鉄砲に、無責任に」
「それで?」
「その先は分らない。どうなったのか、誰も知らない」
「はい」
「とにかく無責任に無鉄砲に家を出たの」
「はい」
「あなたたちは、知らないといったけど、ノラという名前を、
いまだに、百年以上たったいまでも、忘れられない人が、沢山いるの」(P238)


井沢かの子は平成の日本に現われたノラである。
老いてはいる。だが、ノラであることには変わりがない。
いいではないか。ノラがいてもいいではないか。一般論がなんだ。常識がなんだ。
平成日本のノラはとびきりの笑顔でペンションから旅立つ――。
陰気で根暗だった真一が精一杯明るくふるまう。
4人の女子大生は、はじめて見るノラにそれぞれの思いで拍手してしまう。
このあときっと観客も拍手したことだろう。盛大な拍手を。

最後に、あとがきの自作解説から。

「(「林の中のナポリ」を)書き出す前も書き出してからも書き終えた時も
南風さんは、会えばいっぱいの笑顔で、勇ましいといいたくなるような気迫で、
舞台について語った。稽古で民藝の稽古場へ行くと
「これはノラですね。常識では無茶でも年寄りの心にある夢ですね」
などとおっしゃった。
私もそれに近い気持ちだった。
南風さんで老人を描いて、リアリズムで終始する物語など書きたくなかった。
気品のある老婦人が、笑いの多い舞台の中を、明るく無茶な方向へすすんで行く。
観客には彼女の行き先の暗闇が見えるが、老婆は終始明るい。
万事承知で明るい。明るいまま無茶な旅を続けていく。そんな舞台を書きたかった」(P250)
「二人の長い影」(山田太一/新日本出版社)

→戯曲。平成15年上演作品。
これは新宿まで舞台を観にいってぶち切れた記憶がある。
芝居とテレビドラマの異なるところは料金。芝居はカネを取るわけだ。
NHKの舞台中継で無料で見ていたら、あれほど怒ることはなかったと思う。
けれども、6300円も支払って、この芝居を見せられたのだから、
怒りがなかなかおさまらなかったのを覚えている。
2ちゃんねる演劇板に文句を書いたら、自称観劇マニアの連中にだいぶ粘着された。
おまえは演劇がわかっていないだの、なんだの。
たしかこの「二人の長い影」が芝居を観にいく習慣をなくさせたはずである。
芝居が好きなんていう連中とは一生相いれぬと思ったからである。
つぎに舞台を観にいくのは3年後の山田太一作「流星に捧げる」――。

「二人の長い影」は戦争体験がテーマの作品である。
創作過程がこみいっている。
「民藝」女優の南風洋子がみずからの戦争体験を舞台にしたいと思った。
敗戦時、満州から日本へ引揚げてきた体験である。
むろん、いち俳優に過ぎぬ南風洋子に台本を書く才能はない。
このため南風は山田太一に手紙を書いたという。
自分の体験を聞いて、それを舞台台本にしてくれないかという依頼である。
故人に失礼なことをいうようだが、南風洋子は山田太一を見誤っていたというほかない。
この女優は山田太一という表現者の資質をよくわかっていなかったと思われる。
山田太一は本当のことは書けない作家なのである。
熱のこもった嘘によって本当よりも本当らしい幻影を創りあげるのが山田太一の才能である。
実際、脚本家は女優の思い入れのある戦争体験を聞いたものの、
なかなか台本に手をつけられなかったという。
だが、もうひとつの実体験が山田太一を後押しする。
おなじく引揚げ体験を書いた中村登美枝の手記「生きて帰れよ」である。
山田太一は偶然からこの手記を目にして「これで書ける」と思ったそうである。
もっともこの実体験をそのまま舞台にのせたわけではない。
山田太一なりのフィクションを加味する。

かつて婚約していた老女と老人が長い時を経たあとで再会する物語である。
当時植民地だった朝鮮北部で出逢ったふたりを引き裂いたのは敗戦である。
男はロシア軍の捕虜となりシベリアに11年抑留された。
帰国したら、女は結婚している。男もやむなく所帯を持った。
ところが、あれから50年近くが経ち、その妻も死んで4年になる。
軽い脳梗塞になって半身が不自由である。
いつ死んでもおかしくない年齢だ。もう一度だけ逢いたい。
男はかつての婚約者のもとに電話をかける。ドラマのスタートである。
舞台上の現在に過去が圧倒的な勢いで侵入してくる。
メインとなるのは、女の引揚げ体験である。どれだけ辛かったか、である。
再現形式は「語り」。事件は舞台上で起こらず話者から観客へ報告される。
少女の両親はロシア軍に銃殺された。弟も引揚げの途中で病死した。
縁のない30人近い子どもを連れて引揚げてきた苦労話が語られる。
(手記「生きて帰れよ」では両親は発疹チフスで死んだとなっているらしいから、
銃殺されたというのは山田太一の創造したフィクション。
より不幸のレベルを上げることで観客の気を引こうとしたのだろう。
失礼を承知で申し上げるが、いささかあさましいと思う)

いまでも覚えているが、客席で引揚げの苦労話を聞きながら困惑したものである。
だから、なに? と思ってしまったのである。
舞台上では女優が思い入れたっぷりに悲惨な戦争体験を語っている。
可哀想だとは思うけれど、だからいったいなんなのだろう。
演劇ってそういうものではないでしょう。
たとえ本当のことでも事実に満足できなくて、
なにものかになりたいと思うのが役者でしょう。
まさか観客を教育しようと思っているのだろうかとあきれたものである。
戦争を知らない世代に体験を語り継ぐ満足に製作グループはひたっているのだろうか。
事実なんていうのは、ドキュメンタリーやノンフィクションが扱えばいいことである。
芝居として6300円もいただいた観客のまえでやることではない。
客席にいる涙腺のゆるい観客がハンカチを手にする気配を感じて、
取り残されたように思ったのを記憶している。
おまえらは可哀想な話を聞いたら、泣いた、感動した、と満足するのかい?
拍手なんかする気にならなかった。おそらく最初に劇場をあとにしたのはわたしである。
このたび戯曲として読み返してみたが、感想は変わらない。
本当のことはつまらないのである。
「輝きたいの」(山田太一/大和書房)絶版

→テレビドラマシナリオ。昭和59年放送作品。全4回。
つくづくテレビで活躍する山田太一の偉大さを思わずにはいられない。
テレビは1千万人レベルの人間を相手にしなければならないのである。
純文学なら3千部売り切れて合格。1万部売れたらバンザイである。
文学のみならず書籍全般でも、10万部売れたら担当編集者にボーナスが出る。
この数字と比較したら(いくらテレビはただとはいえ)1千万人の恐ろしさがわかるはずだ。
したがって考えようによっては、山田太一ドラマが好きというのは恥ずかしいのである。
みんなとおなじところで笑い泣くのを白状していることになるのだから。
初版3千部しか出ていないような純文学作品を愛好しているほうが、
山田太一ファンよりも高尚に見えるのはこのためである。
いや、正しくない。高尚に見えるだろうと勘違いしている人がいるのは、である。
だれも知らない作家(たとえばストリンドベリとか)を持ち上げることで、
下駄をはいたつもりになっているゲスな人間のほうがむしろ恥ずかしいと思う。

「輝きたいの」は女子プロレスの世界を舞台にした青春ドラマである。
ネットで検索していたら、とある人の日記ブログでこのドラマがヒットする。
若いころにこのドラマを見て、生きかたを変えようと思ったと書かれている。
20年以上もむかしのドラマなのである。
それでもこのように人間の心に残りつづける。テレビドラマのすばらしさである。
文学作品なんていうのは成績のいいお坊ちゃんお嬢さんのもの。
だが、テレビドラマならだれだって見ることができる。
「輝きたいの」である。だれもが人生で輝きたいと思っている。
むろん貧富、美醜、知能、人間が持って生れたものはそれぞれ異なる。
けれども、輝きたいという一念は多くの人間に相通じるものがあるのではないか。
だから、山田太一はドラマ「輝きたいの」を書くのである。

登場する5人の少女たちがプロレスラーになろうと思った理由はさまざまである。
家族全員が女子プロレスファンで、
みんなから応援されてプロレスラーをめざす少女がいる(桂子)。
かと思えば、母子家庭で生活保護を受けている家の娘もいる(由加)。
父親はアル中で籍が抜けても酔って金をせびりに来る。
由加は強くなりたい一心で空手を学んだ。母は病の床に臥している
中学を出て、ほかにお金をたくさん稼げるところなんてどこにあるだろう。
「輝きたいの」である。
身体は大きいものの知能が低いため不良にいじめられている少女がいる(祥子)。
祥子を励ますものが現われる。同級生で車椅子の美少女、美江である。
車椅子の美江に励まされ祥子はプロレスラーをめざすようになる。

美江「いい? あなたは取得がないなんて事ないわ。
その気になれば、あんな奴ら、絶対やっつけられるし、意地悪だって出来るし、
嘘だってつけるわ。自分を――駄目だなんて――思わないで。
第一、あなたは歩けるわ。走れるわ。とべるわ。蹴とばせるわ」(P17)


ドライブインで働く良子もまたプロレスラーをめざしている。
だが、良子にはハンディキャップがある。
ふつう女子プロレスは中学卒業直後に志願するものである。
良子はもう19歳になっている。恋人もいる。おなじドライブインでコックをしている信広。
プロポーズされている。人生の転機だ。良子は信広にモーテルに連れ込まれる。
信広は結婚しようという。身体を求めてくる。

良子「よした方がいいよ」
信広「なにを?」
良子「私なんか、よくないよ」
信広「なにいってんだ」
良子「私、いい奥さんになんないよ。そういうのヤだと思ってるところあるから」
信広「ヤだって――」
良子「これでさ、結婚して、どうなるのよ?」
信広「どうって――将来お前、レストランひらいてよ」
良子「そういうの、なんか、駄目なのよ」
信広「なにが? なにが駄目だ?」
良子「子供うんで、あんた助けて、それで年とって」
信広「サラリーマンがいいのか? 体裁いいのがいいのか?」
良子「そうじゃないのよ。自分勝手なの。私、すっごく自分中心なの」
信広「――」
良子「自分がパーッとなりたいの。男の人助けてなんて、
そういうのじゃ、ちゃんと、温和しくしてられるかどうか分らないの」
信広「――」
良子「将来は、それでもいいけど、いますぐ、そうなるの、なんかヤなの」
信広「――」
良子「一遍は、自分で光りたいの」(P23)


抱いてしまえばいいと身体を求めてくる信広のミゾ落ちあたりを良子は拳固で突く。
痛みでうずくまる信広である。良子はモーテルから新しい世界へ飛び出す。

不良の女番長なんていうのもいる。里美である。
界隈を取り仕切っている女ボスである。
里美は女子プロレスのコーチをしている鳴海ミチ(和田アキ子)からスカウトされる。
そばには女子プロレス会社の社長・川倉と、おなじくコーチの水口孝次がいる。

ミチ「(里美に)どやね? 真面目で、本気で、
ハキハキしとるなんちゅう奴ら、ハリ倒したくないか?
そういうのンばっかり光あたったら、いまいましうないか?
理不尽に(と孝次と川倉に向い)汚ない手ェもつかって、もてそうな女はり倒して、
女だからどうの、真面目なら許せるのというとる奴、
はじきとばしてチャンピオンになるようなのがいなくて、なんでプロレスですか?」
川倉「悪役は、ちゃんと」
ミチ「悪役やないの。真面目な子を悪役に回して、
凄(すご)ませとるんじゃ駄目やいうとるの。
そんなことじゃ、お客はだまされんわ。本当の敵意、本当のひがみ、
本当のひねくれがどんな手をつかってでも勝とうとするところがなけりゃあ
つまらんというとるんや。女子プロレスが、本当に人の心つかむには、
本気でこの世に敵意を持ってる、ひがみを持っとる、
こういう子を入れなあかんというとるんや」(P56)


桂子、由加、祥子、良子、里美――新人が5人せいぞろいしたわけである。
テレビを見ているのは裕福な家の勉強ができる子ばかりではない。
貧しい子がいる。成績のよくない子がいる。ふつうの子もいる。ひねくれた子もいる。
視聴者おのおのが感情移入するわけである。
1千万人を相手取るテレビライターならではの手腕といえよう。
新人5人のうちからその年の新人王がひとり選ばれる。
果たしてだれが選ばれるのか。賞金は百万円である。
新人王めざして5人の少女の切磋琢磨するすがたがドラマに描かれる。
勝負論かショービジネスかの葛藤も生じる。
新人5人の中でいちばん強いのは祥子だが、頭が悪いので見せ場を作ることができない。
プロレスは強ければいいというものではない。ショーでもある。
観客を楽しませなければならない。
新人レスラーは仲間とも観客とも闘わなければならないのである。
新人王は果たしてだれか……は先送りにして、いいなと思うシーンを紹介する。
巡業から戻った古株レスラーと新人5人が初めて顔を合わせる場面である。
もちろん川倉社長とコーチふたりも同席している。寮の食堂。
コーチの水口孝次は菅原文太が演じている。

孝次「(マイクを持って)えー、恒例により、得意のノドを聞かせるわけだが」
選手「カックイイ(と短くひやかす)」
拍手するもの。
笑うもの。
孝次「こんどの新人では桂子のところが」
桂子「――」
孝次「一家をあげて、彼女を応援してる。親父さんは、是非とも新人王にしたいと、
桂子が寮へ入った日から、梅干とポルノ映画を断(た)ったそうだ」
選手「ワハハ」
みんな笑う。
孝次「しかし、そういう親は少ない。大抵の家では、
娘がプロレスになりたいといい出せば、反対する。
そんな途方もないことをと泣いた親、怒り出した親もいるだろう」
由加「――」
祥子「――」
孝次「なぜ、温和しく、どっかの会社へつとめて、結婚相手を見つけて、
堅実に、平凡な幸福を築こうとしないのかと叱られたものもいるだろう」
良子「――」
孝次「親だけじゃない。世間も、女子プロレスと聞いて、
素晴しいといってくれるばかりじゃあない。
つまらん、品の悪い、見世物のようにいう人もいる。
しかし、お前たちは、この世界をえらんだ。
温和しく、多くの娘たちと同じ人生を歩こうとはしなかった。
自分で、自分の運命をきり拓こうとした。そして、この世界は素晴しい世界だ。
何より力があれば、そして努力すれば、むくわれる世界だ。
多くの他の世界では、娘たちは、力があっても努力をしても、
男より下の扱いしか受けない。ここはちがう。
由加「――」
孝次「努力次第で、いくらでもライトを浴び、金も入る」
良子「――」
孝次「下らんというものには、娘たちが自分の力で、
他にどんな世界を摑めるのか聞きたい。
娘たちが、自分の力で、自分の運命をきり拓ける世界は、実に少ない。
お前たちは、その一つを選んだ。
親の反対、世間の目を押し切って、この世界を選んだ。
平凡にOLをやり、結婚するより、努力のいる苦しい世界だ。
選んだ以上、この世界で輝こう。この世界を素晴しいものにしよう!」
ミチ「(くさいなあ、という顔)」
しかし娘たちは感動している。
孝次「マイ・ウェイ」を唄い出す。
一節をうたうと、みんなも一緒にというジェスチュア。
まず、スター選手の一人が歌い出す。
そして、次々と歌い出し、新人五人も唄う。
涙を浮かべているものもいる。
大合唱の中で、川倉も感動していて、
川倉「いつもながら、あいつのマイ・ウェイはいいなあ(と涙を拭く)」
ミチ「(可愛い、という思いで微笑してうなずく)」
大合唱、続いて――」(P92)


いいよな。くさいんだけど、よくないかな。
このようなシーンをせせら嗤(わら)う人間をインテリというのかもしれない。
ほかにもいいシーンが目白押しである。
祥子を覚えていますか。あの頭がちょっと弱い、いじめられっ子だった大柄な少女を。
祥子が初めてのお休みで、お土産をたくさん持って魚屋の実家に帰るシーンがいい。
車椅子の美江もいて祥子はセーターをプレゼントする。
母親は無駄遣いする祥子をいさめる。まったくこの子ったらバカなんだから。
いいじゃないかと反論するのは父親である。嬉しいじゃないの。
頭ゆっくりしてるから、ふつうの会社じゃ勤まらないだろう。
のちのちは養子をもらって魚屋をつがせるしかないと思っていた娘がだ。
中卒で10万円もらって、こんなお土産をいっぱい親に買って帰って来る。
いい子じゃないの。祥子はいい娘だよ。美江さんありがとう。祥子、よく頑張った。
父親は泣いている。祥子も泣く。車椅子の美江もうつむく。
別の日、この祥子がプロレスラーとしてリングで闘っている。
祥子、強い。また強い。車椅子の美江がリングサイドで泣きながら喜んでいる。

最後の最後で新人王が明らかになる。由加である。生活保護の母子家庭の娘――。
病気で寝込んでいる母のもとに吉報がやって来る。

●由加のアパート
由加「(花束かかえて、あいているドアの前へ走って来て立つ)」
弟の声「姉ちゃんが、勝った」
母「(布団から起き上がっていて)――」
由加「ただいま(と顔歪む)」
母「――(顔歪む)」
由加「(涙)」(P151)


道場のリングで激しい稽古をする5人。プロレス会場で試合をする5人。
それぞれ、いためつけられたり、強かったり、ガッツポーズをとったりしている。
女子プロレスラーになる前の5人のショットをひとつずつ見せて――。
道を走って来るものがいる。プロレスラーになった5人が並んで走って来る。
いっせいに飛び上がったところでストップモーション。「輝きたいの」終了である。
「秋の一族」(山田太一/「月刊ドラマ」2003年6月号/映人社)

→テレビドラマシナリオ。平成6年放送作品。全3回。
いま40代のシナリオ作家はみな少なからず山田太一の影響を受けているという。
けれども、残念ながらテレビドラマの質がむかしより向上したとはいえないだろう。
本来なら電化製品のように、どんどん進化していってもおかしくないのである。
どうしてドラマはテレビ(大型プラズマ! 液晶薄型!)のように進化しないのだろう。
シナリオに関していえば、おそらくそれがたったひとりで書かれるものだからではないか。
大勢の人間が開発にたずさわる電化製品とは制作過程が異なるのである。
シナリオは、人間が孤独と向き合い、自分の世界観を掘り下げ掘り下げして作るものだ。

むろん、現代ではシナリオ制作に複数の人間が関わることも少なくない。
プロデゥーサーがマーケティングリサーチをして、人気俳優の意見(わがまま)も聞き入れ、
ドラマの筋があらかじめ決められ、そのうえでようやく下請けのライターにおろされる。
ライターもひとりではなく複数いる。いちばん上出来なものが放送用として選ばれる。
こういう過程を経て作られたドラマもあるという。
山田太一とは百八十度異なるドラマ作法である。

もしシナリオ作家志望者が山田太一から学ぶことがあるとすれば、
それは物語設定でも会話の呼吸でもない。
自分にこだわるということである。
孤独になり、世界でたったひとりしかいない自分と向き合う。
おそらくほとんどのドラマはシナリオを見てもだれの作品かわからないのではないか。
だが、山田太一ドラマならシナリオを少し読めば作者の顔が浮かぶ。
これが山田太一作品の魅力である。
したがって、ライター志望者が山田太一の模倣をするのは根本に誤解がある。
あれは山田太一の世界なのである。余人の追随を決して許さぬ閉じた世界である。
もし山田太一を見習うならば、手本とするならば、
あなたやわたしは自分だけの世界を掘り当てることに努力しなければならない。
孤独な作業である。ひとり嘘を作るのだ。それも真っ赤な嘘ではいけない。
本当のような嘘を作らなければならない。
本当のことをよく知り、本当から嘘を作るのだ。

孤独が事件を生む。

○電車の中
江崎哲也と美保が、ドアの脇に立っている。若い夫婦。美保は臨月が近い。
二人でデパートへ行って出産のための品物を買った帰りである。
大きなデパートの袋は、網棚にのせてある。二人は仲が良い。
少しもこれみよがしではないが、孤独な人間は不快かもしれない。
車内は、他にも数人、立っている。その中に老人もいる。
あいている席はない」(P101)


ふたりが隣の車両に行こうとしたとき、美保に足をかけて転ばせたものがいる。
30過ぎの会社員、川田である。足はすぐにひっこめられた。
哲也は川田の足を見た。まずは転倒した美保の心配をする哲也である。
それから川田に食ってかかる。川田は白を切る。自分はなにも知らないという。
哲也は川田を殴りつける。倒れこんだら蹴りを入れてゆく。
乗客のなかにだれか川田の足を見たものはいないか哲也は問う。
みなかかわりになりたくないのか、去ってゆく。こうして哲也は逮捕された。

哲也の味方をするものがふたりいる。
ひとりは哲也の父、史郎(緒形拳)である。
むかしは大会社の商社マンだったが、いまはリストラされパートで掃除夫をしている。
もうひとりは哲也の母、中里奈津(岸恵子)。
たまたまシンガポールから日本へ帰ってきているところで息子の事件を知った。
奈津はシンガポールを拠点に世界をまたにかけて手広く商売をしている。
奈津が史郎と離婚したのは13年前である。
13年間かけて女の身ひとつで奈津は事業を拡大させた。
このたび日本へ帰ってきたのはビジネスが傾いてきたからである。

問題が生じる。哲也が川田との示談に応じないのである。
そのためいまでも哲也は警察署に勾留されている。
自分の非を認め示談金の百万円を払えば自由の身になるのである。
妊娠まぢかの妻もいる。けれども、哲也はそれをよしとしない。
自分は悪くない。足を出して妊婦の妻を転ばせたのは川田である。
といっても、証人はいない。このままいったら裁判になるだろう。
あげく十中八九有罪になる。
史郎は警察署に勾留されている息子と面会する。
むろん、示談をすすめるためである。史郎は冷静に考えろという。
冷静に、赤の他人がどう受取るかを考えるんだ、

史郎「関係のないあの男がだ。食品会社の研究員の所員がだ。
哲也「なに?」
史郎「関係ない妊婦が通るのを、足をつきだしてころばせるか?」
哲也「ころばせたんだよ」
史郎「どうして、そんなことをする? 
本人もそんなことをする理由がないといっている」
哲也「嘘をついてるんだ。俺は見たんだ」
史郎「証明できるか? 他に見た人間がいないんだ」
哲也「見た奴は、きっといるさ。でも、逃げたんだ」
史郎「捜せるか? 証人を出せるか?」
哲也「――」
史郎「裁判に持ち込んだって、証拠がなければ、
お前がいいはっているだけのことになる」
哲也「――」
史郎「本当はどうだったかなんて関係ないんだ。証明できるかどうかだ。
裁判というのは、そういうものだろう」
哲也「――」
史郎「証明出来なきゃ、誰もお前が正義だなんて思わない」
哲也「お父さんもね」
史郎「俺は別だ」
哲也「どうして別?」
史郎「お前の親だ」
哲也「だからなにさ?」
史郎「お前のいう通りを信じている」
哲也「無理しなくていいよ」
史郎「無理じゃない」
哲也「理由がないっていったじゃないか」
史郎「理由がないのは事実だろう」
哲也「ほらみろ、信じてない」
史郎「子供っぽいことをいうなよ」
哲也「本当なんだよ」
史郎「そう思ってるのさ」
哲也「そうかな?」
史郎「しかし裁判しても勝目はないんだ。だったら罪を認めて、
こんなところから早く出ることだ。子供がうまれるんだぞ」
哲也「お父さんは、いつもそうさ」
史郎「いつもなんだ?」
哲也「本当のことなんて、どうだっていいんだ。早く片付けばいいんだ。(と立つ)」
史郎「意地をはって、なんになる」
哲也「なんにもならないことも、人間てするんだよ。知らなかった?(と行く)」
史郎「――」(P111)


謝るくらいなら実刑のほうがいいと強がっていた哲也だが結局示談に応じる。
英雄の登場するハリウッド映画ではないのである。
山田太一の描くのはどこにでもいる庶民のドラマだ。
出産間際の妻のそばにいたいという哲也の転向は少しもおかしくない。
哲也の出所祝いで鍋をかこんでいる。
参席しているのは哲也、美保の若夫婦。それから史郎と、かつての妻の奈津。
あんな事件がなかったらこの4人が一堂に会することなどなかったかもしれない。
前言をひるがえしたのが恥ずかしい哲也である。
そんな息子に史郎は語りかける。
それでいいんだ。人生、正しいことがいつも通るわけじゃない。
正しいことは頑張れば通るっていうほど世の中、簡単じゃあない。

「まあ聞いてくれ。俺は、会社づとめで、正しくないことを、いろいろ見て来た。
子会社に全部責任をおっつけて倒産させて、ま、いいかなんてこともあった。
功績の横取りもあった。力のある人間が、周りの嫉妬で、
どんどん主流からはずされて行くのを見たこともあった。
そういうのを見て、正しくないと、俺はいったか? 
いわなかった。いえなかった。そんなことをいい出せば、会社で先はない。
そんなことをいえた俺か、というところもある。
俺は汚いことはしなかったつもりだが、全然しなかったわけじゃない。
組織にいれば限度がある。正しいことをガンガンいい立てる人間の前に立ったら、
俺もやられるだろう」(P133)


だから留置所で頑張る哲也を史郎はほめなかった。励まさなかった。
頑張っても、なんにもならない、といった。
「しかし、それで終わりじゃ情けない」と史郎はいう。
本当にあいつが足をつき出したのなら、示談金くらい取り返そうじゃないか。
このようなかたちでドラマのゴールがなかば示されるわけである。
史郎、哲也の父子がそれぞれ川田(被害者)を見張るが成果は上がらない。
ここで唯一、顔がばれていない奈津の出番である。
13年前家族を捨てたという負い目もある。
奈津はほとんど無謀なやりくちで川田の部屋に潜入することに成功する。
川田は奇妙な縁で知り合った奈津に述懐する。

「孤独な若い男はなにをするか分りませんよ」(P170)

川田は21のときレイプで警察に逮捕されたことがあるという。
つきあっていた女性だった。結婚してもいいと思っていた。
向こうはそうは思っていなかったみたいで、暴れて逆らわれた。
失望で息が詰まりそうだった。カッとなった。許せなかった。殴ってしまった。
「それから乱暴をしたんです」
もう10年以上も前のことだけれども、それ以降、川田は女性を怖がるようになる。
女性を信用出来ない。いつ豹変するかわからないからである。怖い。
ひと晩を川田の部屋で過ごしたふたりである。
川田はこうまで自分を信じてくれる奈津をなにものかと疑う。
そもそもどうしてこの部屋に飛び込んで来たのか。
もしや哲也の関係者ではないだろうか。
勘付かれたと思った奈津は部屋から逃亡する。
川田は哲也のアパートへ足を運ぶ。本当のことをいうためである。
アパートには妻の美保しかいなかった。川田が謝ろうとしたそのときである。
美保の陣痛が始まる。川田が美保を病院へ連れて行くことになる。
病院の待合室で川田は本当のことを哲也一家の前で白状する。
示談金はすべて返すと。悪かったと。川田が病院を去ると子供がうまれる――。
史郎と奈津はふたりでシンガポールへ向かう。
かつては有能な商社マンだった史郎が、傾きかけた奈津のビジネスを手伝うのである。
こうしてハッピーエンドでドラマは終わる。ただひとりを除いて――。

川田「私は、電車の中で、足をつき出して、あの人を、ころばせました。
(……) はじめ否定したんで、ひっこみがつかなくなって。
(……) 金に、手はつけていません。返します。申訳ありません。
(……) 幸せそうで、羨ましかったんだ。
見せびらかすんじゃねえよって、腹が立って――(ちょっと声大きくなる)」(P174)
「ちょっと愛して…」」(山田太一/「月刊ドラマ」2003年6月号/映人社)

→テレビドラマシナリオ。昭和60年放送作品。単発ドラマ。
もてない男女が烈しい恋愛なんてなにもないまま断念するかのように結婚するまでを描く。
「他にないドラマを創る」が信条の山田太一らしい、ひねくれたドラマである。

加島秀子は37歳、独身である。
派遣社員。デパートの紳士服売場でバリバリ働いている。
ずっと独りのままでいいと思っていた。
ところが、ままらなぬ感情につき動かされ結婚相談所へ足を向けてしまう。

秀子「結婚して幸福な家庭を持ちたいって、そんなんじゃないのよ。
なんか揉(も)めててもいいから、揉める相手が欲しいというか」(P65)


結婚は条件の折り合いである。年齢、年収、初婚か再婚か、子の有無。
秀子に条件が適合する男性が現われる。
41歳、次男、電信技術者、年収250万以上300万未満の大谷光一である。
秀子は光一とホテルの喫茶店で逢う。
初対面からお互いの見てくれにがっかりする男女である。
秀子は交際お断りの連絡を入れる。これで終わりのはずだった。
ある日、紳士服売場に光一がすがたを見せる。光一は言う。
結婚相談所から女性を紹介されると、片っ端から逢いたいと返事を出す。
しかし、だれも逢っちゃくれねえ。どうかな。もう一度、交際できないかな。
秀子は断わる。「私だって、そりゃ、贅沢いえた身じゃないけど、それなりに夢もあるし」
こうしてふたりの交際は終わったはずだった。
秀子は紹介される男性のほとんどに逢いたいと返事を出すが、
断わられてばかりである。さみしい。つい光一に連絡を取る。逢ってみる。
けれども、どうしようもなく性格が合わない。
秀子は西欧の文物を愛している。光一は気取っていると秀子の趣味をバカにする。

ふたりは逢っても喧嘩ばかりしている。
ある日、光一は秀子を自分のアパートに誘う。光一は秀子に言う。
「俺、ほんというと、あんたのこと、本当に好きかどうか、まだよく分らねえ」
寂しくなったものは、こんな風にして世帯を持つのだろうか。
そう口にした光一は秀子を不器用に抱きにかかる。
秀子はキスをされ押し倒されるのをはねつけることができない――。
ふたりは結婚相談所へ婚約の報告におもむく。その帰り道である。

秀子「(立止り)大谷さん」
光一「うん?(と振りかえる)」
秀子「いいのかしらね? 
こんなことで、一緒になって?(と奈落から見上げるような目になってしまう)」
光一「(ゆっくり戻って、秀子の前に立ち)先のことは、分らねえけど、
お互い、ひとり暮しには、結構懲(こ)りとるから、案外、続くんじゃねえか」
秀子「(うなずき)――そう、だといいけど」
光一「腕組めや」
秀子「いいわ」
光一「長えこと、見せつけられて来たんだ。ちっとぐれェは、見せつけてえじゃねえか」
秀子「うん――(と組む)」
光一「フフ(と歩き出す)」
秀子「フフ」(P71)


番組終了の直前、ふたりの新婚生活が明らかになる。
夜半、鍋をぶつけ、座布団をぶつけ、摑(つか)み合いの喧嘩をしている秀子と光一。
かと思えば、昼である。手をつないで、肩をぶつけ合ってやってくる秀子と光一。
その幸せそうな笑顔のストップモーションで――ドラマは終了するのである。
1849年 ストリンドベリ誕生。父は富豪商人(のち没落)。母は同家の女中。

1862年(13歳) 母の死。

1869年(20歳) シラー「群盗」を読み俳優をめざすも失敗。自殺未遂。劇作家志望に。
→以降、職を転々としながら、いくつかの戯曲を執筆。上演されることも。

1874年(25歳) 王立図書館員として就職。初めての安定した職業。以降8年勤務。

1875年(26歳) 人妻のシリとの禁じられた恋が芽生える。

1877年(28歳) 離婚したシリと念願の結婚。長女は誕生まもなく死亡。

1879年(30歳) 小説「赤い部屋」が評判となる。世に出る。翌年、次女誕生。
*女性解放をテーマにしたイプセンの「人形の家」出版される。

1882年(33歳) 童話劇「ペエアの旅」
≪分裂病発症:ヤスパース≫

1884年(35歳) 短編小説集「結婚生活」が瀆神罪の疑いで起訴される。
≪被害妄想が始まる≫

1886年(37歳) 自伝的告白小説「女中の子」。最初の自然主義的戯曲「なかま同士」

1887年(38歳) 妻との関係悪化。戯曲「父」。小説「島の農民」
≪分裂病増悪期:ヤスパース≫≪嫉妬妄想が始まる≫

1888年(39歳) 妻の不貞を告発する小説「痴人の告白」をフランス語で発表。
→代表作「令嬢ジュリー」。自選最高傑作の「債鬼」。ニーチェと文通。

1889年(40歳) 北欧実験劇場を創設するが失敗。シリ夫人は女優および劇場監督。
→一幕劇「強者」「賤民」「熱風」。

1890年(41歳) 女性と愚民に滅ぼされる知的超人を描いた「大海のほとり」完成。

1891年(42歳) 妻のシリと離婚。14年にもわたる結婚生活に終止符を打つ。

1892年(43歳) 子の親権をシリに取られたのが悔しく劇作で鬱憤をはらす。
→一幕劇「貸と借」「母の愛」「火あそび」「きづな」「死の前に」「最初の警告」
→以降5年のあいだ沈黙する。

1893年(44歳) ジャーナリストのフリーダと結婚。翌年、娘が誕生。
→フリーダの前の愛人につけ狙われていると思い込み、逃げ回る。
→フリーダが夫に禁じられていた「痴人の告白」を読んでしまう。
≪追跡妄想が始まる≫

1895年(46歳) 2番目の妻フリーダと離別(正式離婚は97年という説もある)。

1896年(47歳) 世界を破壊せんとの熱狂から錬金術研究に没頭する。
→フリーダの持参金を食いつぶし、なお無収入。友人知人からのカンパで生活。
→神秘思想家スウェーデンボリの著作に触れ救われたと感じる。
≪分裂病増悪期:ヤスパース≫

1897年(48歳) 分裂病体験を描いた自伝的小説「地獄」「伝説」完成。

1898年(49歳) 最初の表現主義的戯曲「ダマスカスへ第一部」「第二部」発表。

1899年(50歳) メロドラマ「罪また罪」。歴史劇を書き始める。

1900年(51歳) 最高傑作「死の舞踏」。童話劇「冠の花嫁」

1901年(52歳) 30歳年下の女優ハリエットと3度目の結婚。
→旺盛な創作活動。「ダマスカスへ第三部」「白鳥姫」「夢の劇」

1902年(53歳) 老いてなお性欲絶倫。ハリエットをはらます。娘、誕生。

1903年(54歳) 最後の自伝的小説「孤独」。史劇「ルッテル」

1904年(55歳) ハリエットと離婚。文壇暴露小説「黒旗」完成。

1906年(57歳) 「黒旗」の悪魔的世界から逃れんと信仰に到達する。
→自作「黒旗」を否定せんと、スウェーデンボリに捧げる随想集「青書」を書き始める。
*「近代劇の父」イプセン死亡。

1907年(58歳) 若い演出家のファルクと協力し「親和劇場」を創設(3年で閉鎖)。
→独自の演劇理論から室内劇を書く。「ペリカン」「稲妻」「焼け跡」「幽霊ソナタ」。

1908年(59歳) 40歳以上年下の女優に熱愛、求婚する。結局は断念。
→多数の演劇論を発表。まとめられたもののひとつが「戯曲論」

1910年(61歳) 世間への挑発癖は治らずストリンドベリ論争が起こる。

1912年(63歳) 自国最高の作家にノーベル賞が与えられぬことに青年社会党が反発。
→有志一同がストリンドベリ63歳の誕生日にこの作家を表彰し寄付金を贈呈する。
→4ヶ月後、ストリンドベリ、胃ガンで死去。
→死の直前の病床で、娘の胸に聖書を押しつけストリンドベリは静かに言ったという。
→「すべてはつぐなわれた」

(注)毛利三彌、山室静、両氏の作成した年譜を参考にしました。
果たして人が酔っぱらって話すことは本音だろうか。
酒をのんで腹のうちをさぐりあう、という。
だが、人間はほんとうに酒に酔ったら本心を白状するのだろうか。
もしかしてそのような通念は大きな間違いをはらんでいるのではあるまいか。

昨日13年ぶりに東京大学本郷キャンパスの学食へおもむいた。
どうして行ったのか、いま考えてもよくわからない。
流れとしかいいようがないのである。
友人と会った。まだ日の暮れぬまえから東京ドームのビアガーデンでのんだ。
ここに来るにいたったのもほんの偶然である。
友人とは、神保町にある演劇シナリオ専門古書店、矢口書店のまえでおちあう約束だった。
この待ち合わせ場所へ行く途次、たまたまそのビアガーデンの広告を見たのである。
アサヒスーパードライ飲み放題がキャンペーン価格で、90分たったの1000円!
うっひょお、と思ったものである。
外で酒をのむのを好まないのは、もっぱらふところ事情による。
これだったら家でのむよりはるかに安上がりである。

久しぶりにのむビールはうまかった(ふだんは第三のビールゆえ)。
ハイペースでジョッキを空にした。
通常90分飲み放題だとラストオーダーが60分なのだが、ここは90分まるまるOK!
つまみ代をあわせても、しっかり元を取ったと思う。
気持よく酔っぱらったのである。ここからの行動が自分でも意味不明だ。
どうしてだかわたしは引越すまえの住居近所へかれを導いた。
覚えてはいないが、どうでもいい昔話をしたのかもしれない。
そこからなぜだか上野へ行くことになった。
かつて上野往復をわたしが散歩コースにしていたからだと思う。

上野へ行く過程で東京大学本郷キャンパス内を通過する。
ここでわたしの悪い虫がうずいたのだと思う。
連れを無理矢理に東大の学食へ連行する。ここでのもうというのだ。
しかし、友人は限界で、これ以上、酒をのめない。わたしだけ酒をのむことにする。
ここからが大問題なのである。わたしがなにを話したか。
白状すると、わたしは東大に落ちている。
河合塾で浪人までしたけれども、東京大学文科3類に入学することは認められなかった。
浪人生のころ仲間と1回、この東大学食に来たことがあった。
泥酔状態で、かのトラウマが「おいで、おいで」したのだろうか。
かくしてビアガーデンの二次会が東大学食になったわけである。

かすかな記憶としてしか残っていないのだが、
この学食で酔ったわたしはめちゃくちゃな発言をした。
将来有望な東大生が憎らしかったのだと思う。
「加藤くん」とわたしはいった。秋葉原通り魔の加藤くん――。
人を殺すのなら秋葉原なんかより、この東大学食にいる連中をやればよかったんだ。
こいつらは恵まれている。だれかがガツンとやってやったほうがいい。
しゃべりながら気持がよかったのを覚えている。
けれども、これは本音だろうか。
というのも、翌朝には昨夜のことをほとんど覚えていないのである。

なら、どうして思い出したのか。
先ほど、その友人から電話があったからである。
お互い、酒会のことはブログに書かぬと取り決めていた。
「書いてもいいかな」と電話口の相手はいう。「どんなことを?」
「ぶっ殺すとか、そういうこと」
この瞬間である。わたしは昨夜の暴論をほぼ正確に思い出した。
他人のことを好き勝手に書いてきているわたしである。まさか書くなとはいえまい。
だいぶ悶絶したものである。

この記事を書いた理由は明白である。ふたりの共通した知人が幾人かいる。
かれにかの女に弁明するためである。東大生をぶっ殺せというのはギャグなのだと。
ルサンチマンではない。ほんのふざけた軽口なのだと。
電話で友人に聞いたら、ブログ更新は10時半ころから始めるという。
いち早く手を打ったのはこのためである(現在9時半)。先手必勝である、がはは。
「北欧演劇論」(毛利三彌/東海大学出版会)絶版

→副題は「ホルベア、イプセン、ストリンドベリ、そして現代」。
いちおう通読はしたが、関心のあるのはストリンドベリの箇所のみ。
毛利三彌はストリンドベリを日本に紹介してくれた恩人である。
(それも戦前のようなドイツ語訳からではなく、原典スウェーデン語から!)
大正時代にストリンドベリブームがあったものの戦後はまったく鳴かず飛ばずのこの作家を、
ほそぼそながら日本の読者に紹介してきた毛利三彌の功績は大きい。
だから、悪口めいたことは書きたくないのだが、本書はゆるいと言わざるをえない。
座談会形式のため、なにかのシンポジウムの採録かと思ったら、
すべて毛利三彌の自作自演なのである。
司会、E(英文学者)、F(仏文学者)、D(独文学者)から本人の毛利まで、
みなみな著者のかたちを変えたすがたである。
「〜〜さんはどう思いますか」「いえ、それはこうなんですよ(笑)」――。
終始、このような軽めの会話スタイルである。大学出版会の本とは思えない。
ひとり何役もこなしつつ、(笑)とか書いて恥ずかしくならないのだろうか(ごめんなさい)。
要するに、著者はまじめな形式の文章を書くのが億劫なのであろう。
対話形式にしたら楽ちんだとズルをしたわけである。

おとしめておいて今度は持ち上げるが、むしろこれでいいのだと思う。
口語体のため読みやすい。
内容は論述というよりも、ほとんど北欧劇作家のゴシップに近い。
ならば、堅苦しい評論めいたものにするより、こちらのほうがよほどすっきりしている。
最近思うのだが、日本人の外国文学研究というのは意味がないのではないか。
とくに西欧文学研究などそうである。
東の果ての島国の研究者が西欧文学を論じても、本場では相手にされないわけでしょう。
おなじ日本人相手に西欧の威光で偉ぶるくらいが関の山。
もとより、学者などいらないと主張しているわけではない。
学者先生は外国文学のおもしろさを紹介すればいい。翻訳すればいい。
知の享楽を独占せず一般社会に還元することこそ学者の役割ではないだろうか。
本国研究者も日本の一般読者も読まない、
――つまりだれも読まないような外国文学研究のどこに意義があるのだろう。
こう考えると毛利三彌は学者の鑑である。理想の学者といえよう。
我われふつうの日本人はスウェーデン語を読めない。
だが、我われになりかわって毛利三彌が読んでくれるのである。
そこで知りえた知識を書物で一般読者に知らしめる。
まこと有意義な知的業績ではないだろうか。
毛利三彌には渡辺守章のようなゆがんだ虚栄心がない。
いちばんおもしろいのは文学者にまつわるゴシップ、裏話のたぐいだとよくわかっている。
人間として正直である。

さて、いまから毛利先生より教わったことを再紹介しよう。

・ノルウェー語、デンマーク語、スウェーデン語はよく似ている。
方言の相違程度である。
ノルウェー語とデンマーク語が書くとほとんどおなじ。話すとぜんぜん違うけれども。
ノルウェー語とスウェーデン語は話すとおなじようなもの。だが、書くと異なる(P8)。

・イプセンやストリンドベリが当時の代表作家のようになっているが、
それは後世からながめた演劇史としての評価である。
両作家の存命時の演劇界の主流は相も変わらぬ娯楽劇。ウェル・メイド・プレイ(P96)。

・イプセンは観客をぜんぜん信用していなかった。
結局のところメロドラマを好む観客にほとんど嫌気がさしていた。
けれども、劇作家は観客のために書かねばならぬ。
イプセンはこの矛盾に苦しんだ(P123)。

・ストリンドベリの短編小説集「結婚生活」は神を冒瀆しているとして起訴された。
まえにも該当箇所を引用したことはあったが、あれは翻訳がひどかった。
毛利三彌の訳で再び――。

「千八百年以上も前に処刑された大衆煽動者ナザレのイエスの血と肉だと言って、
牧師どもが差し出す一壜(びん)六十五エーレの酒に
ポンド一クローネの玉蜀黍(とうもろこし)パンで行なう恥知らずなペテン行為……」(P167)


・ストリンドベリは一幕物の芝居なら2日で書けると手紙で豪語している。
演出家に送った手紙のなかでである。「イプセンはもうあてにならない」とも。

・毛利三彌は指摘する。
ストリンドベリの心をもっとも強く捕えていたのは最初の妻シリではないか。
考えてみれば、のちの結婚はどちらも数年で終わっているが、
シリとの結婚生活は15年近くもつづいている(P179)。

・ストリンドベリは地獄期(分裂病増悪期)、神秘家のスウェーデンボリに救いを見いだす。
作家の読んだのはドイツ語に訳された「天界と地獄」と想定される。
邦訳もあってタイトルは「天界とその驚異及び地獄」。
(この神秘家の著作で入手しやすいのは「霊界日記」角川文庫。読もうかしらん)
ストリンドベリの悟った内容を毛利三彌は簡潔にまとめている。

「ストリンドベリはこの本(「天界と地獄」)によって、
他人への恐れが自分の心に由来すること、
すべては自分のなした悪の報いであり、この地上ですでに地獄に堕ちていること、
しかもこの苦しみはそれまで悪の力だと思っていた<知られざる力>によって
天界へ導かれる道程であることなどを悟ったと言います」(P181)


・ストリンドベリ3度目の結婚、お相手は女優。このとき劇作家52歳、女優22歳――。
ストリンドベリは家庭的で夫を敬う妻をのぞんでいるように見えて、
実際に妻とするのは決まって自立心の強い知的な女性である(P187)。

・ストリンドベリ晩年の小説「黒旗」は、特定できるモデルが文壇に幾人かおり、
ほとんど個人攻撃になっていたという。このためたいへん世間を騒がせた。
ストリンドベリ自身も激しい反撃の矢面に立たされた(P188)。

・ストリンドベリは晩年、自身を熱烈に信仰する演出家ファルク(24歳!)と交際を持つ。
この結果としてできあがったのがストリンドベリ劇場=「親和劇場」である。
ストリンドベリはこの劇場で監督の役についた。
けれども、極度の人間嫌いで、人前で話すことができない。
舞台稽古に参加するのは2、3回だけ。あとは手紙で劇団員に指示を出した(P191)。

・演出家ファルクともわずか3年で喧嘩別れする。
原因はファルクが「親和劇場」でメーテルリンクの「闖入者」を上演しようとしたから。
これにストリンドベリは激怒。
「私の戯曲のみ上演して他のどの作家も許さないということ!」
ストリンドベリはメーテルリンクを尊敬していたが、
それでも自分の劇場で自作以外の上演されるのが我慢できなかった。

ストリンドベリ(笑)――。
8年前に自殺した母は13年にわたって精神科医の四宮雅博先生に診てもらっていた。
四宮先生は現在「しのみやクリニック」の院長である。

母が最初に発狂したのは昭和61年。久留米ヶ丘病院に1ヶ月入院した。
母は、自分の精神病を否定。
精神病院からの退院は弟のちからを借りてのもので、なかば脱獄に近かった。
治癒から程遠い母の精神は猛り狂う。ほうぼうに迷惑をかけたという。
これは母の精神病のパターンなのだが、荒れたあとは沈静する。つまり、鬱が来る。
翌年、やむをえず母は順天堂病院の精神神経科外来に通院するようになる。
ここで当時講師をしていた四宮雅博先生に出会ったのである。
(この4ヶ月後、母は睡眠薬自殺をはかり順天堂病院に入院することになる)
以後、ずっと母は四宮先生に診てもらうことになる。
土田病院で四宮先生に診察してもらっていた時期もあったようである。
平成6年に先生が秋葉原に「しのみやクリニック」を開業すると、ここに通院するようになる。

わたしは四宮先生と二度会ったことがある。
初めて会ったのは平成12年の4月。母が自殺をする2ヶ月前のことである。
母のお伴として秋葉原の「しのみやクリニック」へ行った。
というのも、このころの母はひどかったからである。
いちばん困っていたのは息子のわたしへの攻撃である。
わたしが精神病の疑いがあると、母はあちらこちらに言いふらしてまわっていた。
おかしいのは母のほうなのである。
おそらく被害妄想からだろうが、マンションの管理室に塩をまいたりしていた。
嫉妬妄想も烈しく、息子の前で父と叔母が近親相姦にあると本気で訴えていた。
とはいえ、もっとも腹が立ったのは、やはりわたしをキチガイにしているところだ。
病院から戻ってきた母は底意地の悪い笑みを浮かべながらこう言ったものである。
「四宮先生に話したらね、先生もそれは息子さんがおかしい。
一度うちに連れてきなさい、とのことよ」
勝ち誇ったような母の憎らしげな笑みを忘れることができない。

母の妄想を真に受ける四宮先生というのは、どのような人物なのだろう。
見たこともないわたしを、ほんとうに四宮先生は精神病と思っているのだろうか。
わたしはこの精神科医と対決することに決めた。
母の病気もひどかった。1ヶ月寝込んだと思ったら、ぱっと元気になる。
1ヶ月のあいだまわりのものを否定しつづける。と思ったら、また鬱になる。
死にたい、死にたい、どうすればいいと息子にすがりつく。
また1ヶ月経過すると母は活発になり、鬱のあいだのことを覚えていない。
ちょっと前は泣きついた息子を今度は敵とののしる。

診療室に母と入ったわたしは、目の前の精神科医から見くだされているような気がした。
あるいは最初から四宮先生に反感を持っていたから、そのように見えたのかもしれない。
「きみは心理学の本を読んでいるようだがね、
本を書くようなお医者さんというのは、ちゃんと患者さんを診ていないからね」
四宮先生と母のやりとりは、わたしにはおかしなものに見えた。
「そうですか、上がりましたか。じゃ、薬を替えてみましょう。少し下げないと」
「上がる/下がる」というのは、躁と鬱のことのようである。
四宮先生は、母が躁鬱病だといった。
わたしは四宮先生に、妄想から生じたと思える母の異常行動を伝えたが、
この精神科医は聞き入れてくれなかった。
「精神医学には了解という概念があってね――」
要するに母の異常行動は了解可能だというのである。病的妄想ではないと。
分裂病ではない、ということでもある。
母と四宮先生の信頼関係に、わたしが敗北するかたちになった。

この2ヶ月後、母はわたしの目の前で飛び降り自殺をした。
医師と患者として13年間にわたって関係のあったはずだが、
四宮先生からは電話一本なかった。
検分に訪れた警察官に「しのみやクリニック」の診察券を提出したから、
院長先生が母の自殺を知らないはずがない。
あれだけ自信たっぷりだった精神科医・四宮雅博はなにを思うのだろう。
夏のある昼下がり、わたしは炎暑の秋葉原にいた。
足は「しのみやクリニック」に向いていた。
なにをしてしまうかわからないが、なにをしても構わないと思っていた。
「しのみやクリニック」はお盆の長期休暇だった。
わたしはなにもせずに済んだことに安堵した。

やはりもう一度、四宮先生と会わないといけない。正々堂々と会おう。
電話してアポイントメントを取る。昼休みの30分を指定される。
「30分で済むような話ですか。人がひとり死んでいるんですよ」
怒鳴るようなことはなかったと思うが、ドライな反応に不快感がつのった。
わたしは当日までに母の大量の日記をワープロで整理した。
二度目に会う四宮雅博医師は、前回とは打って変わっていた。
えらそうなところが少しもなく、驚くほど腰が低かった。
精神科医は自殺のことを事故という。事故当日に警察から連絡があったとのこと。
四宮先生は以前、受け持ちの患者が自殺したとき通夜におもむいた。
そこで遺族とトラブルになった。
そのときから患者が自殺しても連絡を取るのはやめていると先生はいった。
これ以上ないほどの誠実な対応を四宮先生はしてくれたと思う。
結局のところ、死を選んだのは本人なのである。
だれかに責任を押しつけるわけにはいかない。
面談は50分にもわたるものになった。
診療室を出ると待合室は診察を待つ患者であふれていた。

季節は秋になっていた。
わたしは14年前に母が入院した久留米ヶ丘病院を訪れた。
電話して問い合わせたら14年前のカルテがあるというのである。
院長の落裕美先生は温厚な紳士であった。
14年も前にたったの1ヶ月入院したに過ぎぬ患者の息子を、
こうも親切に遇してくれるのがとても嬉しかった。
精神的につらい時期だっただけに人間の厚情が身にしみた。
偶然ながら14年前に母を診察したのが、この落裕美先生であった。
カルテの記述をもとに当時の母の病状を教えてもらう。
父の経営する居酒屋の従業員が暴力団に通じているという妄想から警察を呼ぶ。
隣室より盗聴されているという妄想から隣の郵便受けにお香と4万円を入れる。
落先生がつけた病名は非定型精神病。
躁鬱病にも分裂病にも分類されない、定型に非(あら)ずの精神病である。
素人考えから、どうして妄想があるのに分裂病ではないのかたずねる。
居酒屋での仕事ぶりが社交的。
38歳という年齢(分裂病は若年で発症するのが通常である)。
以上、ふたつの理由から非定型精神病と診断したという。

四宮雅博先生と会い、落裕美先生とも会った。
もうこれ以上、進みようがなかった。

あれから8年が経とうとしている。いまさらぶり返すのはどうかしているのかもしれない。
けれども、いまどうして自分がこの体(てい)たらくかと考えると母の事件に行き着く。
母の問題がなにひとつ解決していないのである。
先日、カール・ヤスパースの「ストリンドベルクとファン・ゴッホ」を読む。
ストリンドベリと母の異常行動がまったくおなじタイプのものであることを知る。
嫉妬妄想、追跡妄想、被害妄想である。
いまさらこんなことをいうのはどうかしているとは思うのだが、書かざるをえない。
四宮先生は誤診をしたのではなかろうか。
四宮先生が母にくだした診断は躁鬱病である。
母の嫉妬妄想、被害妄想を了解可能なものとしている。
この治療方針のもと13年間、投薬がつづけられた。
なにを問題にしているかというと、
四宮先生が分裂病的妄想をとめる薬を出していないことである。
もし先生が母の分裂病的妄想に気がついてくれていたら、
家族の13年はだいぶ楽なものになったと思うのである。
少なくとも落裕美先生は嫉妬妄想や被害妄想の存在に気がついている。
だから非定型精神病なのである。
むろん、四宮雅博先生を批判するのが筋違いなのは理解している。
なぜかというと四宮先生を選んだのは、まさしく母その人だからである。
四宮先生が精神科医として未熟だからこそ母は主治医に選んだ。
この先生は自分の妄想を真実だと信じてくれると母は思ったに違いない。
優秀な精神科医に妄想の存在を見破られたら母はその医師と反目せざるをえないわけだから。

むしろ、四宮先生に感謝しなければならないのかもしれない。
先生のおかげで母は最初の自殺未遂から13年間も生きつづけることができた、
と考えればの話である。
四宮先生だけは自分のことをわかってくれる。
この信頼関係が少なからず母の生きがいになっていたはずである。
夫も実母も悪魔のような人間である(実のところ、そうではない)。
まわりにおかしな人間が多いため自分はこのような病気になってしまった。
母の病識である。四宮先生は患者の身になり、生きてゆくのを支えた。
こう考えたら、ほとんど美談である。
けれども、母の猛り狂うさまは現代ではめずらしいほど華々しかった。
どうしてあれを薬でとめられなかったのだろうと精神科医の手腕を疑いたくもなる。
根本に誤診があったのではないか、とも(その誤診が母を救ったかもしれないのだが)。
「しのみやクリニック」の評判をネットで調べてみたら、
「四宮先生は親身になって話を聞いてくれる」と書かれていた。
たしかにそうなのだろう。母の場合も、親身になってくれたのだろう。
だが、患者が精神病の場合、
医師が患者をサポートすることが家族の迷惑になることがある。
精神科医は患者とその家族、どちらを優先すべきなのか。

すべては終わってしまったことである。忘れるしかないのであろう。
しかし、忘れられないのである。ちっとも終わっていないのである。
「しのみやクリニック」の営業妨害をするつもりはない。
メンタルヘルスのクリニックで自殺者が出るのは決してめずらしいことではない。
もし通院している患者さんがこの記事をご覧になっても大げさに考えることはないだろう。
「しのみやクリニック」のホームページを拝見すると、
記憶違いかもしれないが、8年前と比べて規模が大きくなったようである。
母の通院していたころ、
「四宮先生はなんとかというスポーツカーを乗りまわしちゃって、それはすごいんだから」
と聞いたことがある。むかしから羽振りがよかったのであろう。
先生は執筆活動も旺盛になさっているようである。
事業拡大に研究の邁進、四宮先生のこの8年間は順調極まりない。
うらやましいかぎりである。
四宮雅博先生の臨床精神医学研究のなにかの足しになればと思い、
精神医学にはまったく無知のわたしだが、思うところをまとめてみた。
いや、偽善はやめよう。白状する。
わたしはどうしようもなくこの文章を書かざるをえなかったのである。
四宮先生はわたしのことなどまるで覚えていないのであろう。
だが、わたしは先生を忘れることができない――。

「しのみやクリニック」
http://www.shinomiya-clinic.jp/index.asp
「ストリンドベルクとファン・ゴッホ」(カール・ヤスパース/村上仁訳/みすず書房)絶版

→著者は精神科医にして哲学者。
ヤスパースは本書において、ストリンドベリとゴッホを精神分裂病(統合失調症)と診断し、
ふたりの創造者のうちにひそむ病気の本質に迫ろうとする。
わたしはゴッホには詳しくないので、
ストリンドベリについて書かれた記述を注意して読んだ。
ストリンドベリは生涯にわたって自伝的(告白)小説を多数書いている。
順に「女中の子」「或る魂の発展」「痴人の告白」「地獄」「伝説」「不和」「孤独」――。
ヤスパースはこれらの自伝小説から、
通常なら得られぬ価値のある病誌(病状の記録)を採取できると指摘する。
ストリンドベリの主観的な記録のみならず、著者は作家の友人・知人の証言まで参照する。
実に丁寧な仕事ぶりに感心した。
またヤスパースの筆致は平明で、医学的知識の乏しい一般人にもわかりやすい。
卓越した書物であるといえよう。

キチガイという言葉がある。精神病という疾病が存在する。
では、そもそも気が狂うとはどういうことだろうか。
なにゆえ精神病患者と天才が混同されるような事態が起こりうるのか。
人と違ったことをする。これがスタート地点である。
ある人がみんなのしないような行動を取る。
この行為を見て大多数のものが「あの人は狂っている」と言う。精神病の始まりである。
換言すると、多数の人間が理解できない行動を起こすものが狂人とされる。
そうだとするならば、狂うというのは相対的な判断に過ぎなくなる。
絶対的な狂気が存在しえぬということだ。
ある異常な行動が時代や国をかえれば正常なものとみなされることもありうるのだから。

とはいえ、それでもなお狂人はいなくならない。
人と違ったことをする。だれにも理解されぬことを言う。
いいではないか、天才的ではないか、と狂気を是とするものは、
おそらく真の狂人を知らないのだろう。
たしかにふつうの人がしないような行動や発言は、天才を証明するもののひとつである。
だが、これを忘れてはならない。奇行は迷惑なのである。
通常なら人が言わないようなことを言いふらしてまわる男は迷惑極まりない。
危険でもある。
だから、かれは周囲から狂人と恐れられ、ときには監禁されても仕方がない存在となる。
医師による治療が必要と判断されるのはこのためである。
もっともストリンドベリの存命時は、薬物療法が発明されておらず、
医師はもっぱら狂人の診断をする審判者としての役割に甘んじていたのだろうが。
当時、狂人の治療は、転地、安静、監禁くらいしかなかったようである。

いよいよストリンドベリの狂気に踏み込もう。
なぜ天才ストリンドベリが精神病患者とみなされなくてはならないのか。
この男の取った異常な行動が、
分裂病患者の極めて類型的なパターンに当てはまるからである。
ヤスパースはストリンドベリの分裂病過程の開始を1882年に見る。
33歳のストリンドベリが体験した(と自伝小説に記す)神経発作からの判断である。
作家が「赤い部屋」で世に出た、わずか3年のちのことである。
ストリンドベリの人生における、最初の分裂病増悪期は1887年(38歳)。
妻シリへの嫉妬妄想が爆発する。
これは翌年に書かれた「痴人の告白」からの診断である。
わたしもこの小説を読んだとき、作者の分裂病的嫉妬妄想を疑ったものである。
精神科医ヤスパースは、小説の内容を事実無根の典型的な妄想だと断定する。

「(ストリンドベリにとって)妻のすることはすべて嫌疑の種となり、
そのすべての行動は意味をもつ。
彼が病気から恢復(かいふく)しても、妻が冷淡なように感じられ、
彼女が親切にすれば、それは欺瞞的な阿諛(あゆ)と判断される」(P33)


ストリンドベリは妻の不貞を疑い、手紙の無断開封から探偵のまねごとまで行なう。
ストリンドベリ、天才の証左である。妻が淫乱な浮気女だとストリンドベリは思う。
だが、このことを知るのはストリンドベリただひとりである。
周囲のものは、だれも女優の妻のことをそんなふうには思っていない。
ふたつにひとつである。ストリンドベリは述懐する。

「確かな証拠を握るか、死ぬか、どちらかだ!
犯罪が行なわれたか、私の気が狂ってるか、どちらかだ!
真実を知らねばならぬ。(……) 必要なのは詳しく知ることだ!
そのために私は徹底的に科学的に調べよう。
最近の心理学のあらゆる手段、暗示、読心術、精神的拷問なども用いよう。
侵入、窃盗、手紙の開封、署名の偽造などの昔からの方法も用いよう。
私はすべてを試みるつもりだ」(P36)


ほとんど泣きながら夫に「真実を白状せよ」と迫られた、
ストリンドベリ夫人の心中を思うとやりきれない。
ふたつにひとつ。ストリンドベリは狂っているのか、狂っていないのか。
ストリンドベリは生涯で多くの医者の診断を仰いでいる。
ある医師は精神病だといい、また別の医術者はまったくの正常だと判断した。
ヤスパースの診断はクロである。わたしもヤスパースに同意する。
いちばん重要なのはストリンドベリ自身がどう判定をくだすかである。
ストリンドベリは「自分は狂っていない」という結論に達した。
この病識(病気の自覚)のなさこそ、精神分裂病患者の特徴だとヤスパースは指摘する。
我輩は断じて間違ってはおらぬ! 誤まれしは汝らなり!
ストリンドベリは「狂気か正常か」のふたつにひとつに悶え苦しみながら、
常に最終的には後者の「正常」を信じるにいたる。
結局、ストリンドベリは女優の妻を離縁する。

嫉妬妄想が生じたのとおなじころ追跡妄想、被害妄想も発症する。
ストリンドベリは自分がなにものかに狙われている、マークされていると感じる。
殺されかねないとのおびえまで生じる。
この不安状態の段階で踏みとどまったら、かろうじて正常でいられるのである。
だが、ストリンドベリは行動に移す。
追っ手からの逃亡を企てる。暗殺者への反撃を計画する。やられるまえにやれである。
追跡妄想、被害妄想はやむことなく続いたが、
ヤスパースの診断によると、もっとも増悪したのは1896年とのことである。
これは自伝小説「地獄」からの推測である。

追跡妄想、被害妄想の具体例を見てみよう。1892年のことである。
ベルリンにストリンドベリを支持するものがいた。
ローラ・マルホルムとその夫オラ・ハンソンである。
ふたりは窮乏するストリンドベリのために金をこしらえてやった。
友人としてドイツにストリンドベリを紹介したのである。
ところが、ストリンドベリは恩人ともいうべきローラ・マルホルムを危険視する。
この女は恐るべき犯罪者だと確信するようになる。
マルホルムは全女性と同盟してストリンドベリを精神病院に監禁しようとしている!
ストリンドベリは夫婦のもとを逃げ出す。
そのうえで恩人マルホルム夫人の悪意あるデマを社交界に流すのである。
ストリンドベリ本人は正当防衛のつもりなのだから、分裂病患者は恐ろしい。
こうして知人はふた手に別れざるを得ない。
ストリンドベリの狂言を信じるものと、とてもついていけないものと――。

「彼(ストリンドベリ)の追跡妄想の発作は次第に頻繁になった。
彼は極端に精神病院を恐れていた。彼は根拠のない疑念を訴え、
『敵』がそれを問題にしないで冷静にしていると、失望し、激しい憎悪を抱いた。
そのため一度睨まれた人は一生迷惑した」(P53)


マルホルム事件のとき、ストリンドベリの味方となった友人がいる。
パウルである(かれはストリンドベリの思い出を書いている)。
ストリンドベリがつぎの標的に選んだのが、友人パウルなのである。
1893年、ストリンドベリは2度目の結婚をしていた。
ところが、結婚生活は破綻寸前。
ストリンドベリは妻から征服される危険を感じ家庭から逃亡する。
友人パウルのもとに身を寄せる。
ストリンドベリにはパウルもまた「敵」に見えてしまうのである。
のちに自伝的小説「不和」でかつての友人を作家は裁く。

「イルマリーネン(パウルのこと)は以前と違い、冷たく当惑した様子だった。
(ストリンドベリは)この男が何か企んでいるように感じた。
……かれ(ストリンドベリ)はこの詰らぬ、
教養のないイルマリーネンを引き立て、彼の仲間に入れてやった
……ところが今では、彼の傍に居ても何も利益がないと判ったので、
この助手は彼から逃げ出そうとするのだ」(P61)


ひどい中傷である。パウルにとっては、ストリンドベリのほうこそおかしかった。
パウルはこのときのストリンドベリをこう述懐する。

「彼(ストリンドベリ)はいつも機嫌が悪く、他人にも不愉快な感じを与えた。
彼は自分の不機嫌や人生厭悪を他人に伝染させるのに妙を得ていた。
自分に面白くないことは、他人も面白がってはいけないのだった」(P62)


ストリンドベリとパウル、果たして正しいのはどちらだろうか。
ヤスパースはもちろん、後者を正常とみなす。
ストリンドベリは自分に好意を寄せるものをことごとく「敵」と判断するのである。

「ストリンドベルク(ストリンドベリ)はこのように直ちに計略、照会、
手紙などによって、防禦手段を講ずる。彼は自分の力に自信を持っている。
『私は他人にやっつけられはしない、反対に敵をやっつけてやる』。
最後に彼は何の理由もなく、パウルとも絶交する。
そして彼に書く(一八四九年七月三十一日)、
『君はこれから決して無事では居られまいよ』」(P65)


こんな脅迫の手紙をもらったらしばらく震えがとまらないと思う。
だが、ストリンドベリとは、このような男なのである。
友人や恩人を「敵」と憎悪し、さらに「復讐」されるのを恐れる。
がために「やられるまえにやれ」。相手を容赦なく攻撃する。
ストリンドベリにとって真実はひとつなのである。
おのれは間違っていない。不正をなしているのは周囲のものである。
晩年のストリンドベリは夜ごと悪人の死を願いながら祈祷したという。

なんという精神病の恐ろしさではないだろうか。
何ヶ国語にも通暁している知識人ストリンドベリがついに知りえなかったこと。
それがおのが狂気である。
みずからが狂っていることを最後まで秀才ストリンドベリは自覚できなかった。
だが、ストリンドベリの天才は分裂病の世界を見事な作品に仕立て上げた!
「死の舞踏」や「黒旗」が、重度分裂病患者の作品とは信じられない。
いや、重い精神病患者にしか書きえぬ名作だと思う。
このあたりはヤスパースとわたしの意見が相違する。
ヤスパースは本書で、ストリンドベリ後期作品を駄作と論ずるパウルの文章を引く。
そもそもヤスパースはストリンドベリ作品にまったく興味を持っていないという(P223)。
精神医学的に関心を抱いたに過ぎぬらしい。
また、だからこそ、本書のような冷静沈着な分析が可能だったのであろう。
わたしはどうしようもなくストリンドベリの愛読者である。
ふつう分裂病を罹患したものは、なだらかに人格荒廃にいたるという。
ストリンドベリの人格は晩年の作品を見るかぎり、まったく荒廃していない。
かえって分裂病体験を養分にしているとさえ思う。
ストリンドベリの人生は、精神病との闘いであった。
おそらくヤスパースはこの闘争の軍配を精神病に上げるのだろう。
けれども、わたしはわかったものではないと思っている。
もしかしたらストリンドベリは難敵の精神病に……勝ったとは言わない。
それでも一矢報いてはいないだろうか。

「ハンソンも一九〇七年頃ストリンドベルクを訪問したことがある。
同じように彼は郵便箱の蓋を開けて外を見た。
十五年会わない間に容貌が変っていた。
我々は赤い鼻と、小さい涙ぐんだ眼を持ち、無限の不安の表情を表わした顔を見た」(P97)


ストリンドベリは旧友ハンソンに、先ごろ精神医学者の罠から逃れた自慢をしたという。
気狂いかどうか診察しに来たのを、機転を利かしやり過ごした。
興奮しないで親友のように遇してやった。
生涯幾度も自殺の衝動にかられたストリンドベリの死因は胃ガンである。享年63歳。

最後に私事を記しておきたい。
わたしは自分がどうしてこうまでストリンドベリにひかれるのかわからなかった。
著書はほとんど絶版入手不可で、なおかつ古書価格も高騰している。
なにゆえストーカーのごとくこの男を追い詰めなければならなかったのか。
名著「ストリンドベルクとファン・ゴッホ」を読んでようやく理由がわかる。
ストリンドベリの精神構造が死んだ母とそっくりなのである。
わたしの眼前で飛び降り自殺をした母は、膨大な量の日記を遺していた。
読むとどのページも周囲のものへの悪罵がつづられている。
自死を遂げる直前の記録がつらかった。
息子であるわたしの悪口が細かい字で大量に書かれているのである。
日記だけではない。死ぬまえの母はほんとうにひどいものだった。
「おまえは私の敵だ」「おまえにはサタンが乗り移っている」「私はおまえに殺される」――。
母からかけられた言葉である。挙句、目の前で飛び降りられるのである。
どうして自分がこんな目に遭わなければならないのかまるでわからなかった。
だいぶ苦しんだ。
あれから8年が過ぎ、今日ひと段落が着いたように思う。
すべて精神病がいけなかったのである。典型的な追跡妄想、被害妄想ではないか。
むろん、むかしからそんなことはわかっていた。だが、納得できなかったのだ。
この記事で引用した部分(黒強調文字)は、
みなみな母の行動と驚くべき相似を見せている。
そうだったのかと思う。母もこんなふうに考えていたのか。
ヤスパースはストリンドベリを精神分裂病と断定する。ならば母も――。
それにしても精神病とは、なんと恐ろしいものだろうか。
悪魔のように不可解で理不尽である。
いきなりなんの理由もなく、自分の味方を攻撃するのである。味方を敵とみなし憎悪する。
ひとり残らず味方を敵と見まがえ排撃した母は、最後に息子のまえで息絶えた。
精神病から生みだされる地獄絵図である。
この地獄を活写(=生き生きと描写)したのが狂人ストリンドベリである。
そして、ストリンドベリの狂的世界がわたしにはとても懐かしい。
狂ったっていいじゃないかと思う。いいじゃないかと思いたい。
時事ネタはほんと書きたくない。なぜかというとだれでも書けることだから。
わざわざ無名のわたしが書かなければならないことではない。
時事ネタなんていうのはね、みんなおなじような感想しか持たないんだ。
問題になるのは、発言内容ではない。だれの意見かである。
くだらない寸評でもビートたけしが言えばもっともになる。
たとえ卓見だろうが、そこいらのブロガーが言ったのなら、だれも聞く耳を持ちやしない。
「本の山」がなるたけ時事ネタを敬遠しているのはこのためである。

けどね、申し訳なくも思うわけである。
こんな無名人の書く過疎ブログの更新を気にかけてくださる人がいる。
ねえ、うれしいじゃないの。そういうお方を手ぶらで返してもいいのかい。
くだらぬことでもなにか更新があれば(たとえその記事が読まれなくても)、
訪れた意味が多少はあったということでしょう。
みなさまもそうだと思うけど、時事ネタだったらいくらだって書ける。
書いてみようじゃないの。どうせつまらない意見だよ。
いいじゃないか。なにをもったいんぶっているんだ。おまえはつまらない人間だろう。
もしおまえに価値があるとすれば、自分のどうしようもなさを熟知していることではないか。
なんて思って書くわけである。

たかが時事ネタを書くだけでこうも前口上を必要とする。
なんて自意識過剰なのだろう。いやになるね。
わたし? とっくにいやになってるよ。いやでいやでしようがない。
中学生がバスジャックを起こしたという。どうしてと思わないかな。
だいのおとなが何人も乗っていたんでしょう。相手の凶器は刃物一丁。
恥ずかしくはないのか。まだおさない中学生の言いなりになって、それでもおとなか。
そんな怪我をしたくないかな。自分の身がたいせつかな。長生きしたいかな。
わたしがその場に居合わせたら、間違いなく小僧をやっつける。
繰り返すが、たかが刃物一丁なのである。
刺されたって、よほど場所が悪くなければ死にやしない。
同年代の男に小声で話しかける。「まずおれが行く。あとに続いてくれ」
カバンかなにか刃物をふせげるものを盾(たて)にして突っ込んでゆく。
相手がひるんだら残りのおとなが取り押さえたらいい。
まだ陰毛もはえそろわぬような餓鬼である。こらしめてやるのがおとなの務めだ。

どうしてこれができなかったか。
日本人は公共空間で見知らぬ他人と会話できないからである。
アジアのなかでこれは日本人だけではないか。
タイでも中国でもインドでも、初めて会った人がふつうに会話をする。
アジア個人旅行に行った日本人が第一に驚くのはこのことではないか。
日本人は海外ですら見知らぬ同国人に話しかけるのをためらう人種なのだ。
日本人は、恥ずかしがり屋さんが多い。
いつだったか日も暮れた帰途である。某JR線がストップするのに出くわしたことがある。
情報は駅員がマイクで流すだけである。
ブラットホームは人でごったがえしている。なのに、乗客同士はなにも会話をしない。
アジアの旅から帰ってきたばかりだったのでひどく驚いた。
わたしはアジアの流儀で話しかけたものである。
いまとまっている電車は各駅停車なのか。急行列車なのか。
とどのつまり、我われは現在どのような状況にあるのか。
もちろん日本人は親切な人が多いから、聞かれたらだれもが丁寧に答えてくれる。
けれども、ここが重要なのだが、最初に見知らぬ他人に話しかけるものがいない。
みんながみんな情報不足で戸惑う。
このバスジャック事件でも、おなじことである。
だれかがひと言発していたら、こんな悪戯は警察を呼ぶまでもなかった。
「この餓鬼はなんだ? 我われおとながガツンとやらなあかん」
だれかがだれかにこう話しかけていたら事件はその場で解決していたのである。

あなたが日本人なら同国人から母国語で話しかけられたら答えるでしょう。
なら、どうしてあなたから話しかけない。
ここに日本人の美徳と欠点が同時に存在するように思うのである。
実はいま忘れられた文豪・ストリンドベリの最高傑作ともいうべき「死の舞踏」が上演されている。
「ステージ円」で17日から今月いっぱいである。

「死の舞踏」公演情報
http://www.en21.co.jp/shinobutou.html


日本一のストリンドベリ・マニアを自負する我輩だが観劇におもむく予定はない。
6500円という金額が障害である。
どれだけいい芝居を見せられても6500円は高すぎる。
ふざけたことを書いておくと「演劇集団円」がいけない。
いま日本のネット上でストリンドベリをまじめに論じているのは「本の山」だけである。
ネットで検索すればすぐわかること。どうして我輩を招待してくれないのだろう。
方面が違えばおそらく招待券を出しまくっているのではないか。
演劇なんてほとんど道楽の世界でしょう。採算をはなから度外視した自己満足。
関係者にはタダ券をばらまいているはずである。
その1枚がどうして我輩のもとに届かないのか。
日本でいちばんストリンドベリを愛しているこの男のもとに――。

なんちゃって(笑)。乞食みたいなことを書いてしまったよ。
本気にしないでくださいね。
ところで、いま日本の演劇というのは、だれが支えているのだろう。
だれがおカネを支払っているか、である。
むちゃくちゃ乱暴なことを書く。
高いチケットを購入して芝居を観にいくものは、想像力貧困の知的弱者ではなかろうか。
演劇世界はたしかにおもしろい。けれども、戯曲として作品を読むことができない。
こういった人たちがいまの日本演劇を支えているのではないか。
戯曲を読めない面々がおカネを出し合い、プロに戯曲の内容を教えてもらう。
演出家がむやみに居丈高なのは、戯曲を読めぬ観客を見くだしているからである。
本来なら戯曲を再現すればいいだけのロボット=俳優がこれまた大きな顔をする。
毎度のことだが芸術家きどりの俳優を見ると何様かとふきだしてしまう。
おそらく役者の尊大も、たかだが戯曲を読解できるという能力によるはずである。

演劇会場のお高くとまった雰囲気が嫌いである。
客が女ばかりであることにも恐怖する。男といえば、たいていは女の同伴である。
どうやら女は男よりも芝居を楽しむ能力に恵まれているようだ。
口をポカーンとあけて舞台上の俳優の一挙手一投足に陶酔できるのはひとつの才能だ。
男に生まれついたことを残念に思うことさえある。
客席には男ひとりで来ているものが極めて少ない。
いや、いることにはいるのだが、自称研究者のおかしな連中である。
インテリぶってブログにだれも読まない劇評を書く手合いである。
観劇好きの男とも女とも馬が合うようには思えない。
劇場へ行くたびに自分の居場所がないと疎外感をいだいたものである。
こうしていつしか芝居小屋とは縁がなくなっていった。
ストリンドベリ劇が上演されると聞いてもわざわざ行く気にならない。

(追記)ストリンドベリ自身も、あまり好んで劇場へ行くことはなかったという。
人間が嫌いなのである。自作が上演されるときでさえ、なかなか会場へ行かない。
俳優へ個別に手紙を書くのみである。
あんがい我輩の態度もストリンドベリ・マニアらしいのかもしれぬ。
思うこといろいろ。しかし、当方肩書きなし。みなさまが読む価値はないと思う。

と断わっておいたらいいでしょう。大分県の教員テスト、ひどいよね。
いえ、大分県はどこかって、日本地図をだされてもわからないわたしだけど(一応大卒)。
親の権力で子どもが教職につくのは是か非か。
公務員は安定している。俸給もいい。世間を知っている親が必死になるのも無理はない。
けれども、よくないことだと思う。
おそらく、どの都道府県でも、こういったコネはあるのだろうが、それでも。
まじめに努力している若者が報われないのはいけないと思う。

むむ? なら、おい、ちょっと待てよ。
どうしてこの教員採用試験だけ問題にするのだろう。
人間は生まれたときに、どうしようもない差がついているでしょう。
なにゆえあれは問題にしないのだろう。
美醜、知能、才覚、ほとんどは遺伝である。
高卒の飲兵衛の息子が東大に入ったなど聞いたことがない(だから話題になる)。
作家・井上光晴の娘が直木賞をゲットするのは果たして努力のおかげだろうか。
大分県の不祥事は裁かれなければならない。
だが、裁きえぬ厚遇も断じて忘れてはならぬ。

チワワを蹴り殺した男が逮捕された。愛犬家の感想をだいぶテレビで見た。
土手を散歩するの好きである。犬をつながないで散歩させている飼い主が圧倒的だ。
わたしが犬を嫌いなのを、あちら畜生のほうでも感じるのだろうか。
犬からうるさくからまれることがある。攻撃的に吠えられるのである。
向こうは縛りがない。人間と犬の一対一である。
飼い主はとめようとするが、この対立構造は変わりがない。
蹴り殺してやろうかと思うことも少なくない。
だが、もし殺したら「器物損壊罪」に問われるのだろうか。
それとも、飼い主がロープを握っていなかったら正当防衛になるのか。
今日の報道を見た感じではわたしが罪に問われそうである。
かわいい犬は守られなければならない。かわいいものはなにをしてもいい。
犬が若い女性のように見えてきた。
数日前、自分は常識人であると書いたら、
さっそく友人から「常識人のヨンダ様」などと、からかうメールが舞い込む。
いま読み返すと笑えるのは、常識人ぶっておいて、おなじ記事でさらっと、
大学の先生からのメールを無断で転載しているところ(だって、むかついたんだもん)。
まあ、ここが「本の山」のおもしろさとどうかお許しください。
考えてみたら、わたしが常識人のはずないよな。
「あす死んだって構わない」なんて毎日思っている常識人がどこにいるという話で。
常識人ではない。常識をからきし持ち合わしていない。
師匠の原一男先生から教えられたことをひと言で要約すれば、常識をぶっつぶせ、だから。
伝授された非常識、というか反常識だな、
――常識に反対してゆく態度でこれまで生きつづけてきたわけである。
のうのうと生きていればそれでいいのか? 長生きすれば万々歳かい?
こんなもんだと思って生きていりゃあ、それでいいのかい? 
もっとなにか出来ると思いやしないか? 大きなことをぶちかましてやりたくないか?
原一男から継承した悪しき(原先生、ごめんなさい)遺伝子である。
非常識、反常識をつねに目指している。
だからこそ、なんでもないところでは常識人でありたいと強く願っているのであろう。

こう考えてゆくと、あの大学の先生は立派だったのかもしれない。
お茶をのみながらありきたりな話をするより、よほどあのほうがよかったと思う。
話が進むうちに、先生のだんだん狂ってゆくのがわかったものである。
むろん、先生は断じて精神病ではない。
あの場所でだけ一時的に狂ったのである。
仮面を取り払い本性を剥きだしにした。本音を連発した。
うちにためこんでいる鬱屈した感情をすべてぶつけてきてくれたのである。
そう簡単にできるものではない。先生も勇気がいったはずである。
わたしのほうも、どこかでおもしろがっていた。このままどこへ行くんだろう。
先生がおかしくなってゆくのを助長しているような態度があったのだと思う。
感情を全解放して大声でわめいている先生を前にして心地よかったのもまた事実である。
この感触は久しぶりだと懐かしくさえあった。
わたしの母は精神病だったが、狂った母と対峙しているころを思い出した。
対面して原一男先生のお話をうかがっているとき、
たまにこの映画監督が発する狂気を思い出した。
狂的なものと向き合う緊張感を久しぶりに味わった。
自分が完全否定されているのに、そこまで怒りがわかなかったのはこのためなのであろう。

だから、あのフランス語の先生を常識がないと責めるのは筋違いなのだ。
なぜなら先生の何倍もこちらは常識がないからである。
わざわざ先生はわたしのレベルまで降りてきてくれたのである。
本来なら感謝すべきところなのかもしれない。
やはり先生と逢ってよかったと思う。人間と人間は逢うべきである。
できたらあの先生にもそう思ってほしいが、それはいくらなんでも贅沢というものだろうか。
「ハノイの犬、バンコクの象、ガンガーの火、」(小林紀晴/幻冬舎文庫)絶版

→小林紀晴の才能について思う。口惜しいが、
「再会」をテーマにしたこのアジア旅行記から才能というほかないものを感じる。
著者の才能は、驚くべき性格の良さに起因しているように思う。
性格の悪いものがいい文章を書くと思っていた。
だが、飛びぬけて性格のよいのもまた、ひとつの武器になりうるのだ。
小林紀晴の文章の特徴はピュアなところである。
純粋というと古めかしくて似合わない。小林紀晴はピュアなのである。
ふつうの人間ならとても恥ずかしくて書けないようなセンチメンタルな文章を綴る。
それがまったく鼻につかないのは随所から感じられる著者の純情ゆえである。
ひねくれたところがまるで感じられないのである。
だれもがアジアで感じるものの、しかし恥ずかしくてとても口には出せないことを、
飾り立てすることなく著者はストレートに表現する。
稀有な作家だと思う。今後、どこまで根性曲がりにならないでいられるか。
友人が極めて多い著者のこと。心配する必要もないのであろう。
およそ旅行記としては最高レベルの、ほんとうに満足できる読書であった。
「北国の春」(井上靖/講談社文庫)絶版

→ひとり杯を傾けながら井上靖の軽めの小説を読むのもまた、
数少ない人生の愉しみのひとつかもしれない。「北国の春」は短編小説集。
どんなに短い小説でもなにかが起こるのは著者が物語作家であるためだろう。
非難しているのではない。それどころか、むしろ物語歓迎である。
なにも起こらない小説を読んで悦に入るような文学青年ではない。
物語とはなんだろうか。これまで幾度も考えてきたことである。
いま酔い心地で思いついたのだが、
偶然が偶然ではないように見えるのが物語ではないか。
偶然なのだが、そこにはなにかしらの手が加わっているように見える現象。
だが、もしこれを物語と定義するなら、すべてが物語になってしまう。
あなたもわたしも人間はまったくの偶然の産物だが、
だれひとりとして偶然存在しているようには見えぬのだから。
畢竟(ひっきょう)、人間を巧妙に描けば物語になるということだろうか。
「夢か現か」(高井有一/筑摩書房)

→独酌しながら老作家の随筆集をひもとくのは人生の悦びである。
2006年初版。老作家の眼に現代はどううつるのか。
ちなみに高井有一は山田太一より2歳年上で、ほぼ同年代である。
比較すると山田太一の若さには恐れ入る。

恩師の原一男先生が、
自分は青年が初めて書いたようなみずみずしい文章が好きだと仰せになったのを思い出す。
わたしはどうしてか荒削りな文章より枯淡を好む傾向があるようだ。
新しいものはすぐに古くなるが、古いものはそれ以上古くならない。
だが、こういった保守的な態度はよくないと反省している。
師匠を見習って常に最新のものにアンテナをはりめぐらせたいと思う。
さて、著者の高井有一はわたしにとって特別な作家のひとりである。
著作は、かなり読んでいるほうである。
高井有一は母の自殺をテーマにした「北の河」で芥川賞を受賞した。
言うなれば、先行作家なのである。
少年時代に不幸を経験した作家が老年となり、
現在どのように母を想っているのかが興味深かった。

「その年の十一月に、生活の方途を見失つた母が、近づく冬の気配に怯え、
町に沿つて流れる河に身を投じて死んだ。文学少年だつた私は、
その体験をいつか小説に書きたい、書かなくてはならない、
と早くから思ひ定めてゐたが、書き上げるまでには途方もない時間がかかつた。
何度も書きかけては止め、
また気を取り直して書き出しては挫折する事を繰り返した。
大学へ入つて直ぐ、疎開時代にあつた事のすべてを連作形式で書かうと思ひ立ち、
一部を雑誌に発表したものの、それも中絶した。
やうやく「北の河」と題して五十数枚の小篇に纏められた、一九六五年であつた。
書けなかつた理由は、
私が体験の意味を正確に把めてゐなかつたといふ一事に尽きるだらう。
現実にまともに向き合ふ勇気をなかなか持てなかつたせゐだ、
とも言へるかも知れない」(P33)


「北の河」は不幸から20年もの時を必要としたのかと思うと先が思いやられる。
あと12年生きなければならないと考えると暗澹(あんたん)たる気分である。

「母方の叔父に引き取られて東京へ帰つて間もなく、
お母さんはどうして死んだのか、と他人に訊かれたとき、
冬になつたからです、と答へた覚えがある。
咄嗟に口に出たこの答は、人が死ぬ理由なんて判るものか、
と頑なに思つていた私の気に入つて、その後何度も繰り返した。
若し母が戦後も雪の積もる土地で生きる勇気を持つてゐたら、と私は思ふ時がある。
むろんその結果、私たちが仕合せになれたとは限らない」(P131)


同感である。もし母があのとき死ななかったとして、
あの母子関係が将来の仕合せに結びついたと断言することはできない。
わたしが長生きすれば仕合せになれるのかもわからない。
死ぬときは人間、死ぬのだろうと思っている。
「舞台芸術の現在」(渡辺守章/放送大学教育振興会)絶版

→歌舞伎を観にいく前日に予習として読んだ本。
演劇全般に興味がある。劇的行為なるものの本質を見極めたいと思っている。
だが、和洋の演劇を同一視野のもとに論じる書物は少ない。
本書には期待していたけれど、渡辺守章が日本語障害者だったことを忘れていた。
放送大学教材なんだから著者はわかりやすい説明を目指さなければならない。
ところが、これは渡辺守章がナイフで脅されてもやろうとしないことである。
なんのことはない、実のところは、できないに過ぎぬ。
渡辺守章は日本語に障害があって、わかりやすい文章を書けないよう生まれついている。
どんな簡単な事実でも、この男に書かせると意味不明かつ一見難解なものに仕上がる。
才能といえば才能だが、知能障害ともいいうる。
著者は人間において才能(長所)と障害(短所)が紙一重であることを示すいいサンプルである。

演劇はショーかドラマかに大別される。
身体を重んじるショーと物語を必要とするドラマのふたつである。
前者を拡大解釈すると、サーカスのようなものまで演劇の仲間に加えることが可能だ。
たとえば、こんな単純なことを、著者はひどく難解に論述するわけである。
それから渡辺守章のあらすじ紹介の下手ぶりはほとんど神々しい。
書物の性質上、戯曲のあらすじを紹介しなければならない場面がいくつかあるのだが、
まったく説明できていない。日本語の訓練をいっさい積んでこなかったことがよくわかる。
読者になにかを伝えようという意志が渡辺守章にはないのである。
なら、なんのためにこの男は文章を書くのか。ひとりよがるためである。
マスターベーションである。
この年代は少年期に自慰は悪徳だと教えられたはずだが、忘れてしまったのだろうか。
自慰ばかりしてると頭が悪くなるぞ。
いまから渡辺老人のオナニーをみなさまへご覧に入れる。
決して気持のいいものではないから、勇気のないかたはここから先を読まないでください。

渡辺守章は「リア王」上演の説明をしている。

「ところで狂気は、身体のレベルで表象されなければ、演劇的な事件とはならない」(P138)

なにを言いたいのかさっぱりわからないでしょう。
実は極めて簡単なことである。
「精神の狂気は、役者が肉体で演じないと観客には伝わらない」
ふたつの文章を比べてください。
渡辺守章のこけおどしがよくわかると思う。

もっと醜悪な自慰文章をお見せしなければならない。
渡辺老人はオナニーを身体のレベルで表象する。

「いずれにせよ、身体を戦略的な場として開かれた断絶の体験は、
どのような演劇作業であれ、
今やそれを己れのプログラムに組み込まなければならないような、
そうした不可避の要請なのである」(P72)


射精を終えた渡辺守章の満足気な顔が目に浮かぶようである(キモ〜い)。
本人は決まったと思っていそうで、たいへん笑える箇所でもある。
わかりやすく言い換えてみよう。
「あらゆる演劇で身体の重要性、つまりショー的要素が見直されなければならない」
戯曲には表われない役者の肉体を重視しようね、ということだ。
「戦略的な場」や「開かれた断絶」といった言葉をかっこいいと思った、
オナニー大好き少年……いや老人の駄文である。
渡辺守章の文章は断じて難解ではない。未熟なだけである。
本書もこうして丁寧に意味を取っていくと、それほどたいしたことを論じているわけではない。

笑えるのは文楽(人形浄瑠璃)についての文章である(P161)。
ロマン・バルトが文楽について論じたものがあるという。
渡辺守章は無批判にロマン・バルトに土下座する。
渡辺老人にとっては、欧米人様が日本について論じたものはすべて正しいのである。
生年を調べたらちょうどギブミーチョコレートで進駐軍からほどこしを受けた世代だ。
渡辺守章はチョコレートをかじりながらオナニー三昧だった少年期が忘れられないのだろう。
自慰少年を身体のレベルで表象する渡辺守章の古びた男根は、
戦略的な場として開かれた断絶に侵入する――。
「せつない春」(山田太一/「月刊ドラマ」1995年11月号/映人社)品切れ

→テレビドラマシナリオ。平成7年放送作品。単発ドラマ。
現実っていったいなんだろうか。
山田太一はシナリオ雑誌の巻頭インタビューで脚本家を詐欺師に模す。

「詐欺師でも現実観の甘い人をだますのは簡単だけど、
現実をよく知ってる人をだますのは大変じゃないですか。
詐欺師のほうも現実をよく知ってなければ、騙せない。そういう関係は
テレビドラマのライターと見てくださってる方との関係であると思います」(P12)


山崎努は東央物産の総務部長代行。総会屋対策を一任されている。
株式総会で総会屋が暴れないように裏でカネを渡すのが仕事である。
むろん違法だが、企業にとってはなくてはならない存在である。
ところが、社長が交替したことで事情が変わった。
新社長はプレーンに弁護士を加え、今後総会屋とは一切縁を切るという方針である。
それはいけないと山崎努は思う。会社には知られてはいけない秘密が山とある。
そうそうクリーンにできるわけがない。だが、経営陣に山崎努の意見は聞き入れられない。
このままでは株式総会でぜったいなにか事件が起こると山崎努は経験から断定する。
会社が危うい。山崎努は弁護士に直談判する。
考えてみれば、山崎努のポジションを失墜させたのは、この弁護士である。
弁護士は山崎努に冷たく言い放つ。

「あなたばっかり現実を知ってるようなことをいうが、
あんた、ほんとに、現実を知ってるの?
訳知りになって、用心深くなって、たいした力もない奴を、大げさに考えて、
俺たち脅して、自分が改革の邪魔になっているという反省はないのかッ!」(P149)


職場のみならず家庭でも山崎努は現実に打ちのめされる。
娘の交際している男が、旧知の総会屋・柄本明の弟だとわかった