ブログという表現方法がメジャーになったのは少なくともこの10年でしょう。
ブログはとても新しいメディアなのです。
特徴をまとめます。
1.書くのにも読むのにもおカネはいりません。
2.公開するまでにチェックする機関(編集者、校閲者)が存在しません。
3.けれども公開されたらその瞬間に万人の目に触れます。
4.匿名で書くことが可能です。
5.不都合になったら、すぐさま全記録を削除することができます。

今回、取り上げたいのは1です。金銭の問題であります。
おかしなブログがたまにあるでしょう。
「ここをクリックして」とか書いてあるブログ。
何ものにもかえがたき読者様に命令するなんて、いったい何さまなのでしょう。
あれをクリックすると該当ブログが人気ヒットチャートに入る模様。
おろかですね。だれかから認められないと、ものを書く気にならないのですから。

話はがらっとかわります。むかしこんな争いがあったようです。
ある純文学作家が文芸誌の編集長に抗議しました。
「こんな安い原稿料で生活できると思っているのか」
安定した会社員で、なおかつ高給取りの編集長はこう答えたそうです。
「あなたは報酬がなかったら書かないのですか」

いろいろ複雑な問題をはらんでいるやりとりです。
ここでは金銭面だけ問題にしましょう。
ブロガーのほとんどは収入が得られないのに書いている。
どういうことか。大多数のブログは純文学なのです。
21世紀の日本で純文学が復活したといってもいいのかもしれません。

それから、それから。
「本の山」管理人のわたしも無報酬で、
だれからも頼まれていないのに文章を書いています。
他人から依頼されて文章を書いたことは一度もありません。
多くの作家志望者が新人賞めざして無報酬で小説を書きます。
賞を取らないものは消えてゆく。書かなくなる。
新人賞を取った作家は、少なくとも数年は書きつづける。
なにゆえか。書いてくれという依頼があるからです。書いたらおカネになるからです。

この記事は、いったいなにを主張したいのか。
・「本の山」は長年、報酬もなく文章を書きつづけているから偉い。
・わたくしヨンダが小説を書かないのは、依頼されていないからだ。
・文学者の正体など、そもそもはブロガーに過ぎぬ。
以上3項、すべて誤りであります。
この記事の目的は(あるとすれば)おなじブロガーへの応援歌なのです。
頼まれもしないのに無報酬で文章を書いているみなさまへ。
ともにがんばりましょう! 書きつづけましょう! えいえいおう、なのです♪
「私の文学漂流」(吉村昭/新潮文庫)絶版

→どうして成功者は苦労自慢をしたがるのだろうか。
失敗者が苦労自慢をしても、ただの愚痴としか思われない。
しかし、おなじものを成功者が口にすると、なぜか美談になってしまうのである。
みなさまもこのからくりにはうすうす気づいているはずである。
繰り返しになるが、強調しておきたい。
言説は、なにが主張されているかが問題ではない。
だれが論じているか。これがすべてなのである。

人間を肩書きでしか判断できない「もてない男」の小谷野敦氏は、
この本を真に受けてたいそう感動したそうである(「評論家入門」)。
「もてない男」よりはるかに手練手管に通じているライターの日垣隆氏は、
本書における苦労自慢のいかがわしさを冷静に指摘する。
吉村昭の実家の尋常ならぬ裕福さを察知するのである。

めでたしめでたし、と言いたいところですが、「受賞前の貧乏時代」も実はちょっと曲者です。最も苦しかったはずの昭和三四年に、この夫妻は都内に五〇坪の土地を買い、平屋の家を建てているのですから。このときも吉村氏は兄の一人から援助を得ているのですが、そのあたりのぼんぼんぶりはここでは措くとして、昭和三〇年代には、ろくに注文のない貧乏文士でも都内に家が建てられた、という点に注目しておくことにしましょう。地代が安かったからです。


「ガッキーファイター」より
http://www.gfighter.com/0030/20041227000078.php

どうして人間は人生が運不運だと認めたがらないのだろう。
成功者はみな自分の苦労が実を結んだと、こうまで声高に主張しようとするのか。
人間だれしも性別、美醜、貧富、才能を選んで生まれてきたわけではない。
なのに、ふしぎと成功したときだけ、それを自分で選択した結果のように思う。
ほんとうにあさましい所業である。
「少年時代」(山田太一/「’90年鑑代表シナリオ集」/映人社)絶版

→映画シナリオ。平成3年公開作品。
ふたつの意味でとてもめずらしいシナリオである。
主戦場のテレビではなく映画の台本であるということ。
オリジナルではなく原作がある作品であること。

さすが映画の助監督時代が長かった山田太一である。
映画とテレビの相違をしっかりとらえている。
この映画シナリオを読むと、まるで山田太一ドラマらしくないのである。
恒例の長ぜりふが一箇所もない(子役ばかりのためかもしれないが)。
テレビドラマは、「ながら」で見られることが多い。
たとえば、料理をしながら、食器を洗いながら、洗濯物をたたみながら――。
耳だけで聞いているものが少なくないのである。
だから、会話中心になる。耳だけでもわかってもらうためである。

いっぽうで映画は暗闇できちんと見てもらえる。
このため「少年時代」では、言葉(せりふ)にならないような繊細な感情が重視される。
いわゆる「絵になる」シーンが、たくさん描きこまれているのだ。
人間はあえて言わないことで感情を表現することがある。
むしろ、切実になればなるほど言葉にならないはずだ。
そのうえ子どもは語彙が少ない。かえって語らせては台無しになる。
「少年時代」で、いかに言葉にならないシーンが多かったことか。
イコール、映画監督の「しどころ」が増える。
映像のちからを知り尽くしたシナリオ作家の作品である。

見る目のあるものにはわかるのだろう。
このシナリオは日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞している。
たしかに優秀な脚本だが、シナリオで読むより映像で観たほうがよほどおもしろい。
(映画「少年時代」は観たことがある。傑作だった)
このようなものが卓越したシナリオと評価されるのは複雑である。
というのも、わたしは山田太一のテレビドラマシナリオで
「少年時代」よりも優れたものをいくつも知っているからである。

ふたつのシナリオがある――。
シナリオでも映像でも楽しめるものと、映像でしか楽しめぬものと。
むろん「少年時代」は後者である。山田太一が意図してそう書いたからである。
「しまいこんでいた歌」(山田太一/「テアトロ」2003年3月号)

→戯曲。平成15年上演作品。実際に劇場へ行って観た芝居である。
観劇したときはえらく感動して、その場で戯曲の掲載された雑誌を購入したものだが、
こうして時を経て再読してみると、どこがよかったのかわからなくなっている。
もっとも稽古中にそうとう直しを入れたようで、
上演台本と掲載戯曲にはかなりの相違があるということである。
戯曲を読んで感動が薄いのはこのためなのかもしれない。

ドラマのきっかけは内部告発である。
ガス器具メーカー研究所の所長である高杉繁は、
就職を世話してやった娘が内部告発をしようとしているのを知りあわてる。
教えてくれたのは娘の母親である。
この母親がおかしいなことをいう。
謝罪のつもりか「私を好きにして」と誘惑してくるのである。
それはともかくとして、もし内部告発などされたら自分は馘(くび)になってしまう。
なんとかして止めなければならないと繁は思う。
そもそもなにを内部告発しようとしているのだろうか。

ドラマを推進するベクトルはふたつである。
本当のことってなんだろう。熱い生きかたをしたい。このふたつである。
ふたりの青年の発言を引こう。大学院でモラトリアムを過ごす繁の息子のせりふ。

「オレたち、本当ばかりで生きていません。
ニセ薬で、驚くほどなおったりするんです。
本当に深入りしちゃいけないんじゃないというか――」(P146)


もうひとりは内部告発の首謀者である。繁のかわいがっている部下。若い。

「俺は実は一方で、あたりさわりのない世界好きなんだよ。
みんなクールで、立入らなくて、何事もないの好きなんだ。
でも同じくらいそれが嫌なんだ。
告発するぞって、会社をゆさぶり所長をゆさぶり、大騒ぎになって、
大本はオレだとバレて周りから白い眼で見られて、
孤立して、ヒリヒリして、苦境に立って、
そこから脱け出そうとするような、カッカした人生を歩きたいんだ」(P148)


本当のことはなにも明らかにならない。
芝居の最後はギリシア悲劇のデウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)のように、
繁の老いた父がラッパを持って登場する。貫太郎である。
貫太郎はむかし軍隊でラッパ手だった。軍隊はそれはひどい世界だった。
個性なんてはぎとられ上官から殴られるばかりの毎日である。
ある日、しごきに耐えられないで便所で首をつった新兵がいた。
死体を運び出すところに偶然ぶつかったのである。
光景が頭からはなれなくなった。
3日ほど経って、貫太郎が反逆を試みたくなったのはこのためである。
消灯のラッパで、切ないほど甘い恋の歌を吹いて、みんなに呼びかけたくなった。
ところが、いざやろうとすると、まともに音が出やしない。
プープープーである。上官から半殺しの目に遭って営倉へほうり込まれた。

「八十すぎて、ふっと思い出すとな。(「うん」)
俺の一生は、あれがなかったら、なんだったんだと思うんだ。
あとは、ずーっと自分をおさえて干からびちまったよ。(「そんな――」)
いやあ、あんなに大勢に向けて、気持をワーッとはき出すようなことは、
それからあと、なかったよ。(「そうか」)
男の一生は、自分をおさえる一生みたいなところがあるからな。(……)
いまとなると、あんなみっともない、忘れたかったことが、
生きてた証拠のように思える」(P153)


だから内部告発をやってしまえと老人は若人をけしかけるのである。
もとより、そんなことをされたら息子が馘になってしまうのだけれども。
山田太一の芝居らしく、答えは舞台上で示されない。
観客各々の宿題として残るのである。
「林の中のナポリ」(山田太一/新日本出版社)

→戯曲。平成19年上演作品。もしかしたら山田太一先生は、
ちらりとなら「本の山」をご覧になったことがあるのかもしれない。
だとしたらこんな光栄なことはない。
とても拙文には山田太一先生のお目を汚す価値はないと自覚しているからである。

「インターネットで、匿名で、いいたい放題の悪口を書かれたんです」(P154)

山田太一ならぬ高原のペンション「林の中のナポリ」のこうむっている迷惑である。
なんと書かれたか。ペンションの主人が気味悪い。
陰気で暗い男が薄笑いを浮かべるので不愉快である。このためだろうか。
開業3年目のペンションは、この先、春にかけてまったく予約が入っていない。
中年(初老?)夫婦とその娘で経営する「林の中のナポリ」の主人、小野寺真一はいう。

「匿名のいいたい放題が、そんなに力を持つなんて、どうかしている」(P129)

山田太一の新しい文化へのアンテナのよさには驚くほかない。
ともあれ、客の来ないペンションに話を戻そう。
雪のふる日である。
今日も客が来ないと思っていたら、おかしな老婦人(南風洋子)が現われる。
静かな湖面に石が投げ入れられるのとおなじである。
さざなみが生じる。これこそドラマにほかならぬ。さあ、この石の正体を見極めよう。
ペンションの女主人、小野寺直子は70をとうに超えた老婦人をあやしむ。
宿帳に書かれた電話番号も住所も実在しなかったからである。
一泊だけかと思ったら、二泊三泊四泊と際限がない。
老婦人の話すことは、とうてい本当とは思えぬようなことばかりである。
夫の真一はこんな偶然があっていいものかと驚いている。
気味の悪い真一は、客の前に顔を出すことを母娘から禁じられていた。
ところが、うっかりとすがたを現わしてしまう。このとき老婦人の顔を見たのである。
見覚えのある顔だった。夜半、フロントに真一がひとりでいるときである。
老婦人がかれの前に現われる。「あなたにお話があるの」

「齢をとると、こんなことがあるって、テレビかなにかで見たような、
気がするんですけど――」(P168)


老婦人は伊沢かの子と名乗る。このとき38年前の事件が現在によみがえる。
スウェーデンである。真一は車を運転していた。事故を起こしてしまった。
運転していた真一だけ助かり、他の3人は死んだ。
死んだ青年のうちのひとりが井沢かの子の息子だったのである。
まさかこんなところで38年後に再会することになるとは。
真一が陰気なのはこの事件をひきずっているのである。
事件のことは妻にも話していない。いったいこの再会はどういう意味があるのだろうか。

かの子「ありがとう」
真一「なんですか(それ)」
かの子「こんなに長い間、あの事故を忘れないでいてくれて――」
真一「形だけ残ってるんです。身をかくそうという形だけ」
かの子「それでも嬉しいわ。
けろりと元気なあなたに会ったら、きっと淋しかったでしょう」
真一「フフ、暗いのをほめられたのは、はじめてです」
かの子「あの子がお礼をいってと、あなたにひき合わせたのよ」
真一「それは失礼だけど、あなたのつくった物語です」
かの子「そうね、わたしのつくったお話――」
真一「そうですよ」
かの子「だから、お話は続くの」
真一「続く?」
かの子「ありがとうだけじゃ終らない」
真一「終らないって――」
かの子「終りは、あなたが、あの事故からぬけ出して、明るい人になってくれるの」
真一「それは、どうかな」
かの子「井沢の母親が、本人に代って、いいに来た。もう罪に思わないでくれ。
幸福になることをためらわないでくれ」(P212)


かの子の事情も明らかになる。いま失踪しているところなのである。
姑が死んだ。夫も死んだ。天涯孤独の身で老人ホームに行くことが決定していた。
だが、思った。「嫌だ、行くの嫌だって」
かの子はトランク片手に逃げ出したのである。だから捜索願いが出ているかもしれない。
この老女をどうしたらいいのか夫婦は戸惑う。
38年前の事件はすでに妻の直子の知るところになっている。
かの子からとっくに許されていることを知り、
ようやく真一は妻に事故のことを告白することができたのである。
「林の中のナポリ」に予約が入る。女子大生の4人組である。
入れ替わりに自分が出て行くと井沢かの子は宣言する。
どこへ行くのか夫婦は問う。やはり老人ホームに行くべきではないのだろうか。
かの子は旅をつづけるという。自由気ままな旅を。
女子大生4人が登場する。かの子は問いかける。

「19世紀の終りに、ノルウェーにいたノラという女の人のことを知ってる?」

女子大生はだれもイプセン「人形の家」に登場するノラを知らない。ノラは――。

「お金持の夫と、可愛い三人の子どもがいるのに、
ある日、一人で家を出て行ったの。
どうやって食べていけるか、見当もつかないのに、無鉄砲に、無責任に」
「それで?」
「その先は分らない。どうなったのか、誰も知らない」
「はい」
「とにかく無責任に無鉄砲に家を出たの」
「はい」
「あなたたちは、知らないといったけど、ノラという名前を、
いまだに、百年以上たったいまでも、忘れられない人が、沢山いるの」(P238)


井沢かの子は平成の日本に現われたノラである。
老いてはいる。だが、ノラであることには変わりがない。
いいではないか。ノラがいてもいいではないか。一般論がなんだ。常識がなんだ。
平成日本のノラはとびきりの笑顔でペンションから旅立つ――。
陰気で根暗だった真一が精一杯明るくふるまう。
4人の女子大生は、はじめて見るノラにそれぞれの思いで拍手してしまう。
このあときっと観客も拍手したことだろう。盛大な拍手を。

最後に、あとがきの自作解説から。

「(「林の中のナポリ」を)書き出す前も書き出してからも書き終えた時も
南風さんは、会えばいっぱいの笑顔で、勇ましいといいたくなるような気迫で、
舞台について語った。稽古で民藝の稽古場へ行くと
「これはノラですね。常識では無茶でも年寄りの心にある夢ですね」
などとおっしゃった。
私もそれに近い気持ちだった。
南風さんで老人を描いて、リアリズムで終始する物語など書きたくなかった。
気品のある老婦人が、笑いの多い舞台の中を、明るく無茶な方向へすすんで行く。
観客には彼女の行き先の暗闇が見えるが、老婆は終始明るい。
万事承知で明るい。明るいまま無茶な旅を続けていく。そんな舞台を書きたかった」(P250)
「輝きたいの」(山田太一/大和書房)絶版

→テレビドラマシナリオ。昭和59年放送作品。全4回。
つくづくテレビで活躍する山田太一の偉大さを思わずにはいられない。
テレビは1千万人レベルの人間を相手にしなければならないのである。
純文学なら3千部売り切れて合格。1万部売れたらバンザイである。
文学のみならず書籍全般でも、10万部売れたら担当編集者にボーナスが出る。
この数字と比較したら(いくらテレビはただとはいえ)1千万人の恐ろしさがわかるはずだ。
したがって考えようによっては、山田太一ドラマが好きというのは恥ずかしいのである。
みんなとおなじところで笑い泣くのを白状していることになるのだから。
初版3千部しか出ていないような純文学作品を愛好しているほうが、
山田太一ファンよりも高尚に見えるのはこのためである。
いや、正しくない。高尚に見えるだろうと勘違いしている人がいるのは、である。
だれも知らない作家(たとえばストリンドベリとか)を持ち上げることで、
下駄をはいたつもりになっているゲスな人間のほうがむしろ恥ずかしいと思う。

「輝きたいの」は女子プロレスの世界を舞台にした青春ドラマである。
ネットで検索していたら、とある人の日記ブログでこのドラマがヒットする。
若いころにこのドラマを見て、生きかたを変えようと思ったと書かれている。
20年以上もむかしのドラマなのである。
それでもこのように人間の心に残りつづける。テレビドラマのすばらしさである。
文学作品なんていうのは成績のいいお坊ちゃんお嬢さんのもの。
だが、テレビドラマならだれだって見ることができる。
「輝きたいの」である。だれもが人生で輝きたいと思っている。
むろん貧富、美醜、知能、人間が持って生れたものはそれぞれ異なる。
けれども、輝きたいという一念は多くの人間に相通じるものがあるのではないか。
だから、山田太一はドラマ「輝きたいの」を書くのである。

登場する5人の少女たちがプロレスラーになろうと思った理由はさまざまである。
家族全員が女子プロレスファンで、
みんなから応援されてプロレスラーをめざす少女がいる(桂子)。
かと思えば、母子家庭で生活保護を受けている家の娘もいる(由加)。
父親はアル中で籍が抜けても酔って金をせびりに来る。
由加は強くなりたい一心で空手を学んだ。母は病の床に臥している
中学を出て、ほかにお金をたくさん稼げるところなんてどこにあるだろう。
「輝きたいの」である。
身体は大きいものの知能が低いため不良にいじめられている少女がいる(祥子)。
祥子を励ますものが現われる。同級生で車椅子の美少女、美江である。
車椅子の美江に励まされ祥子はプロレスラーをめざすようになる。

美江「いい? あなたは取得がないなんて事ないわ。
その気になれば、あんな奴ら、絶対やっつけられるし、意地悪だって出来るし、
嘘だってつけるわ。自分を――駄目だなんて――思わないで。
第一、あなたは歩けるわ。走れるわ。とべるわ。蹴とばせるわ」(P17)


ドライブインで働く良子もまたプロレスラーをめざしている。
だが、良子にはハンディキャップがある。
ふつう女子プロレスは中学卒業直後に志願するものである。
良子はもう19歳になっている。恋人もいる。おなじドライブインでコックをしている信広。
プロポーズされている。人生の転機だ。良子は信広にモーテルに連れ込まれる。
信広は結婚しようという。身体を求めてくる。

良子「よした方がいいよ」
信広「なにを?」
良子「私なんか、よくないよ」
信広「なにいってんだ」
良子「私、いい奥さんになんないよ。そういうのヤだと思ってるところあるから」
信広「ヤだって――」
良子「これでさ、結婚して、どうなるのよ?」
信広「どうって――将来お前、レストランひらいてよ」
良子「そういうの、なんか、駄目なのよ」
信広「なにが? なにが駄目だ?」
良子「子供うんで、あんた助けて、それで年とって」
信広「サラリーマンがいいのか? 体裁いいのがいいのか?」
良子「そうじゃないのよ。自分勝手なの。私、すっごく自分中心なの」
信広「――」
良子「自分がパーッとなりたいの。男の人助けてなんて、
そういうのじゃ、ちゃんと、温和しくしてられるかどうか分らないの」
信広「――」
良子「将来は、それでもいいけど、いますぐ、そうなるの、なんかヤなの」
信広「――」
良子「一遍は、自分で光りたいの」(P23)


抱いてしまえばいいと身体を求めてくる信広のミゾ落ちあたりを良子は拳固で突く。
痛みでうずくまる信広である。良子はモーテルから新しい世界へ飛び出す。

不良の女番長なんていうのもいる。里美である。
界隈を取り仕切っている女ボスである。
里美は女子プロレスのコーチをしている鳴海ミチ(和田アキ子)からスカウトされる。
そばには女子プロレス会社の社長・川倉と、おなじくコーチの水口孝次がいる。

ミチ「(里美に)どやね? 真面目で、本気で、
ハキハキしとるなんちゅう奴ら、ハリ倒したくないか?
そういうのンばっかり光あたったら、いまいましうないか?
理不尽に(と孝次と川倉に向い)汚ない手ェもつかって、もてそうな女はり倒して、
女だからどうの、真面目なら許せるのというとる奴、
はじきとばしてチャンピオンになるようなのがいなくて、なんでプロレスですか?」
川倉「悪役は、ちゃんと」
ミチ「悪役やないの。真面目な子を悪役に回して、
凄(すご)ませとるんじゃ駄目やいうとるの。
そんなことじゃ、お客はだまされんわ。本当の敵意、本当のひがみ、
本当のひねくれがどんな手をつかってでも勝とうとするところがなけりゃあ
つまらんというとるんや。女子プロレスが、本当に人の心つかむには、
本気でこの世に敵意を持ってる、ひがみを持っとる、
こういう子を入れなあかんというとるんや」(P56)


桂子、由加、祥子、良子、里美――新人が5人せいぞろいしたわけである。
テレビを見ているのは裕福な家の勉強ができる子ばかりではない。
貧しい子がいる。成績のよくない子がいる。ふつうの子もいる。ひねくれた子もいる。
視聴者おのおのが感情移入するわけである。
1千万人を相手取るテレビライターならではの手腕といえよう。
新人5人のうちからその年の新人王がひとり選ばれる。
果たしてだれが選ばれるのか。賞金は百万円である。
新人王めざして5人の少女の切磋琢磨するすがたがドラマに描かれる。
勝負論かショービジネスかの葛藤も生じる。
新人5人の中でいちばん強いのは祥子だが、頭が悪いので見せ場を作ることができない。
プロレスは強ければいいというものではない。ショーでもある。
観客を楽しませなければならない。
新人レスラーは仲間とも観客とも闘わなければならないのである。
新人王は果たしてだれか……は先送りにして、いいなと思うシーンを紹介する。
巡業から戻った古株レスラーと新人5人が初めて顔を合わせる場面である。
もちろん川倉社長とコーチふたりも同席している。寮の食堂。
コーチの水口孝次は菅原文太が演じている。

孝次「(マイクを持って)えー、恒例により、得意のノドを聞かせるわけだが」
選手「カックイイ(と短くひやかす)」
拍手するもの。
笑うもの。
孝次「こんどの新人では桂子のところが」
桂子「――」
孝次「一家をあげて、彼女を応援してる。親父さんは、是非とも新人王にしたいと、
桂子が寮へ入った日から、梅干とポルノ映画を断(た)ったそうだ」
選手「ワハハ」
みんな笑う。
孝次「しかし、そういう親は少ない。大抵の家では、
娘がプロレスになりたいといい出せば、反対する。
そんな途方もないことをと泣いた親、怒り出した親もいるだろう」
由加「――」
祥子「――」
孝次「なぜ、温和しく、どっかの会社へつとめて、結婚相手を見つけて、
堅実に、平凡な幸福を築こうとしないのかと叱られたものもいるだろう」
良子「――」
孝次「親だけじゃない。世間も、女子プロレスと聞いて、
素晴しいといってくれるばかりじゃあない。
つまらん、品の悪い、見世物のようにいう人もいる。
しかし、お前たちは、この世界をえらんだ。
温和しく、多くの娘たちと同じ人生を歩こうとはしなかった。
自分で、自分の運命をきり拓こうとした。そして、この世界は素晴しい世界だ。
何より力があれば、そして努力すれば、むくわれる世界だ。
多くの他の世界では、娘たちは、力があっても努力をしても、
男より下の扱いしか受けない。ここはちがう」
由加「――」
孝次「努力次第で、いくらでもライトを浴び、金も入る」
良子「――」
孝次「下らんというものには、娘たちが自分の力で、
他にどんな世界を摑めるのか聞きたい。
娘たちが、自分の力で、自分の運命をきり拓ける世界は、実に少ない。
お前たちは、その一つを選んだ。
親の反対、世間の目を押し切って、この世界を選んだ。
平凡にOLをやり、結婚するより、努力のいる苦しい世界だ。
選んだ以上、この世界で輝こう。この世界を素晴しいものにしよう!」
ミチ「(くさいなあ、という顔)」
しかし娘たちは感動している。
孝次「マイ・ウェイ」を唄い出す。
一節をうたうと、みんなも一緒にというジェスチュア。
まず、スター選手の一人が歌い出す。
そして、次々と歌い出し、新人五人も唄う。
涙を浮かべているものもいる。
大合唱の中で、川倉も感動していて、
川倉「いつもながら、あいつのマイ・ウェイはいいなあ(と涙を拭く)」
ミチ「(可愛い、という思いで微笑してうなずく)」
大合唱、続いて――」(P92)


いいよな。くさいんだけど、よくないかな。
このようなシーンをせせら嗤(わら)う人間をインテリというのかもしれない。
ほかにもいいシーンが目白押しである。
祥子を覚えていますか。あの頭がちょっと弱い、いじめられっ子だった大柄な少女を。
祥子が初めてのお休みで、お土産をたくさん持って魚屋の実家に帰るシーンがいい。
車椅子の美江もいて祥子はセーターをプレゼントする。
母親は無駄遣いする祥子をいさめる。まったくこの子ったらバカなんだから。
いいじゃないかと反論するのは父親である。嬉しいじゃないの。
頭ゆっくりしてるから、ふつうの会社じゃ勤まらないだろう。
のちのちは養子をもらって魚屋をつがせるしかないと思っていた娘がだ。
中卒で10万円もらって、こんなお土産をいっぱい親に買って帰って来る。
いい子じゃないの。祥子はいい娘だよ。美江さんありがとう。祥子、よく頑張った。
父親は泣いている。祥子も泣く。車椅子の美江もうつむく。
別の日、この祥子がプロレスラーとしてリングで闘っている。
祥子、強い。また強い。車椅子の美江がリングサイドで泣きながら喜んでいる。

最後の最後で新人王が明らかになる。由加である。生活保護の母子家庭の娘――。
病気で寝込んでいる母のもとに吉報がやって来る。

●由加のアパート
由加「(花束かかえて、あいているドアの前へ走って来て立つ)」
弟の声「姉ちゃんが、勝った」
母「(布団から起き上がっていて)――」
由加「ただいま(と顔歪む)」
母「――(顔歪む)」
由加「(涙)」(P151)


道場のリングで激しい稽古をする5人。プロレス会場で試合をする5人。
それぞれ、いためつけられたり、強かったり、ガッツポーズをとったりしている。
女子プロレスラーになる前の5人のショットをひとつずつ見せて――。
道を走って来るものがいる。プロレスラーになった5人が並んで走って来る。
いっせいに飛び上がったところでストップモーション。「輝きたいの」終了である。
「秋の一族」(山田太一/「月刊ドラマ」2003年6月号/映人社)

→テレビドラマシナリオ。平成6年放送作品。全3回。
いま40代のシナリオ作家はみな少なからず山田太一の影響を受けているという。
けれども、残念ながらテレビドラマの質がむかしより向上したとはいえないだろう。
本来なら電化製品のように、どんどん進化していってもおかしくないのである。
どうしてドラマはテレビ(大型プラズマ! 液晶薄型!)のように進化しないのだろう。
シナリオに関していえば、おそらくそれがたったひとりで書かれるものだからではないか。
大勢の人間が開発にたずさわる電化製品とは制作過程が異なるのである。
シナリオは、人間が孤独と向き合い、自分の世界観を掘り下げ掘り下げして作るものだ。

むろん、現代ではシナリオ制作に複数の人間が関わることも少なくない。
プロデゥーサーがマーケティングリサーチをして、人気俳優の意見(わがまま)も聞き入れ、
ドラマの筋があらかじめ決められ、そのうえでようやく下請けのライターにおろされる。
ライターもひとりではなく複数いる。いちばん上出来なものが放送用として選ばれる。
こういう過程を経て作られたドラマもあるという。
山田太一とは百八十度異なるドラマ作法である。

もしシナリオ作家志望者が山田太一から学ぶことがあるとすれば、
それは物語設定でも会話の呼吸でもない。
自分にこだわるということである。
孤独になり、世界でたったひとりしかいない自分と向き合う。
おそらくほとんどのドラマはシナリオを見てもだれの作品かわからないのではないか。
だが、山田太一ドラマならシナリオを少し読めば作者の顔が浮かぶ。
これが山田太一作品の魅力である。
したがって、ライター志望者が山田太一の模倣をするのは根本に誤解がある。
あれは山田太一の世界なのである。余人の追随を決して許さぬ閉じた世界である。
もし山田太一を見習うならば、手本とするならば、
あなたやわたしは自分だけの世界を掘り当てることに努力しなければならない。
孤独な作業である。ひとり嘘を作るのだ。それも真っ赤な嘘ではいけない。
本当のような嘘を作らなければならない。
本当のことをよく知り、本当から嘘を作るのだ。

孤独が事件を生む。

○電車の中
江崎哲也と美保が、ドアの脇に立っている。若い夫婦。美保は臨月が近い。
二人でデパートへ行って出産のための品物を買った帰りである。
大きなデパートの袋は、網棚にのせてある。二人は仲が良い。
少しもこれみよがしではないが、孤独な人間は不快かもしれない。
車内は、他にも数人、立っている。その中に老人もいる。
あいている席はない」(P101)


ふたりが隣の車両に行こうとしたとき、美保に足をかけて転ばせたものがいる。
30過ぎの会社員、川田である。足はすぐにひっこめられた。
哲也は川田の足を見た。まずは転倒した美保の心配をする哲也である。
それから川田に食ってかかる。川田は白を切る。自分はなにも知らないという。
哲也は川田を殴りつける。倒れこんだら蹴りを入れてゆく。
乗客のなかにだれか川田の足を見たものはいないか哲也は問う。
みなかかわりになりたくないのか、去ってゆく。こうして哲也は逮捕された。

哲也の味方をするものがふたりいる。
ひとりは哲也の父、史郎(緒形拳)である。
むかしは大会社の商社マンだったが、いまはリストラされパートで掃除夫をしている。
もうひとりは哲也の母、中里奈津(岸恵子)。
たまたまシンガポールから日本へ帰ってきているところで息子の事件を知った。
奈津はシンガポールを拠点に世界をまたにかけて手広く商売をしている。
奈津が史郎と離婚したのは13年前である。
13年間かけて女の身ひとつで奈津は事業を拡大させた。
このたび日本へ帰ってきたのはビジネスが傾いてきたからである。

問題が生じる。哲也が川田との示談に応じないのである。
そのためいまでも哲也は警察署に勾留されている。
自分の非を認め示談金の百万円を払えば自由の身になるのである。
妊娠まぢかの妻もいる。けれども、哲也はそれをよしとしない。
自分は悪くない。足を出して妊婦の妻を転ばせたのは川田である。
といっても、証人はいない。このままいったら裁判になるだろう。
あげく十中八九有罪になる。
史郎は警察署に勾留されている息子と面会する。
むろん、示談をすすめるためである。史郎は冷静に考えろという。
冷静に、赤の他人がどう受取るかを考えるんだ、

史郎「関係のないあの男がだ。食品会社の研究員の所員がだ。
哲也「なに?」
史郎「関係ない妊婦が通るのを、足をつきだしてころばせるか?」
哲也「ころばせたんだよ」
史郎「どうして、そんなことをする? 
本人もそんなことをする理由がないといっている」
哲也「嘘をついてるんだ。俺は見たんだ」
史郎「証明できるか? 他に見た人間がいないんだ」
哲也「見た奴は、きっといるさ。でも、逃げたんだ」
史郎「捜せるか? 証人を出せるか?」
哲也「――」
史郎「裁判に持ち込んだって、証拠がなければ、
お前がいいはっているだけのことになる」
哲也「――」
史郎「本当はどうだったかなんて関係ないんだ。証明できるかどうかだ。
裁判というのは、そういうものだろう」
哲也「――」
史郎「証明出来なきゃ、誰もお前が正義だなんて思わない」
哲也「お父さんもね」
史郎「俺は別だ」
哲也「どうして別?」
史郎「お前の親だ」
哲也「だからなにさ?」
史郎「お前のいう通りを信じている」
哲也「無理しなくていいよ」
史郎「無理じゃない」
哲也「理由がないっていったじゃないか」
史郎「理由がないのは事実だろう」
哲也「ほらみろ、信じてない」
史郎「子供っぽいことをいうなよ」
哲也「本当なんだよ」
史郎「そう思ってるのさ」
哲也「そうかな?」
史郎「しかし裁判しても勝目はないんだ。だったら罪を認めて、
こんなところから早く出ることだ。子供がうまれるんだぞ」
哲也「お父さんは、いつもそうさ」
史郎「いつもなんだ?」
哲也「本当のことなんて、どうだっていいんだ。早く片付けばいいんだ。(と立つ)」
史郎「意地をはって、なんになる」
哲也「なんにもならないことも、人間てするんだよ。知らなかった?(と行く)」
史郎「――」(P111)


謝るくらいなら実刑のほうがいいと強がっていた哲也だが結局示談に応じる。
英雄の登場するハリウッド映画ではないのである。
山田太一の描くのはどこにでもいる庶民のドラマだ。
出産間際の妻のそばにいたいという哲也の転向は少しもおかしくない。
哲也の出所祝いで鍋をかこんでいる。
参席しているのは哲也、美保の若夫婦。それから史郎と、かつての妻の奈津。
あんな事件がなかったらこの4人が一堂に会することなどなかったかもしれない。
前言をひるがえしたのが恥ずかしい哲也である。
そんな息子に史郎は語りかける。
それでいいんだ。人生、正しいことがいつも通るわけじゃない。
正しいことは頑張れば通るっていうほど世の中、簡単じゃあない。

「まあ聞いてくれ。俺は、会社づとめで、正しくないことを、いろいろ見て来た。
子会社に全部責任をおっつけて倒産させて、ま、いいかなんてこともあった。
功績の横取りもあった。力のある人間が、周りの嫉妬で、
どんどん主流からはずされて行くのを見たこともあった。
そういうのを見て、正しくないと、俺はいったか? 
いわなかった。いえなかった。そんなことをいい出せば、会社で先はない。
そんなことをいえた俺か、というところもある。
俺は汚いことはしなかったつもりだが、全然しなかったわけじゃない。
組織にいれば限度がある。正しいことをガンガンいい立てる人間の前に立ったら、
俺もやられるだろう」(P133)


だから留置所で頑張る哲也を史郎はほめなかった。励まさなかった。
頑張っても、なんにもならない、といった。
「しかし、それで終わりじゃ情けない」と史郎はいう。
本当にあいつが足をつき出したのなら、示談金くらい取り返そうじゃないか。
このようなかたちでドラマのゴールがなかば示されるわけである。
史郎、哲也の父子がそれぞれ川田(被害者)を見張るが成果は上がらない。
ここで唯一、顔がばれていない奈津の出番である。
13年前家族を捨てたという負い目もある。
奈津はほとんど無謀なやりくちで川田の部屋に潜入することに成功する。
川田は奇妙な縁で知り合った奈津に述懐する。

「孤独な若い男はなにをするか分りませんよ」(P170)

川田は21のときレイプで警察に逮捕されたことがあるという。
つきあっていた女性だった。結婚してもいいと思っていた。
向こうはそうは思っていなかったみたいで、暴れて逆らわれた。
失望で息が詰まりそうだった。カッとなった。許せなかった。殴ってしまった。
「それから乱暴をしたんです」
もう10年以上も前のことだけれども、それ以降、川田は女性を怖がるようになる。
女性を信用出来ない。いつ豹変するかわからないからである。怖い。
ひと晩を川田の部屋で過ごしたふたりである。
川田はこうまで自分を信じてくれる奈津をなにものかと疑う。
そもそもどうしてこの部屋に飛び込んで来たのか。
もしや哲也の関係者ではないだろうか。
勘付かれたと思った奈津は部屋から逃亡する。
川田は哲也のアパートへ足を運ぶ。本当のことをいうためである。
アパートには妻の美保しかいなかった。川田が謝ろうとしたそのときである。
美保の陣痛が始まる。川田が美保を病院へ連れて行くことになる。
病院の待合室で川田は本当のことを哲也一家の前で白状する。
示談金はすべて返すと。悪かったと。川田が病院を去ると子供がうまれる――。
史郎と奈津はふたりでシンガポールへ向かう。
かつては有能な商社マンだった史郎が、傾きかけた奈津のビジネスを手伝うのである。
こうしてハッピーエンドでドラマは終わる。ただひとりを除いて――。

川田「私は、電車の中で、足をつき出して、あの人を、ころばせました。
(……) はじめ否定したんで、ひっこみがつかなくなって。
(……) 金に、手はつけていません。返します。申訳ありません。
(……) 幸せそうで、羨ましかったんだ。
見せびらかすんじゃねえよって、腹が立って――(ちょっと声大きくなる)」(P174)
「ちょっと愛して…」」(山田太一/「月刊ドラマ」2003年6月号/映人社)

→テレビドラマシナリオ。昭和60年放送作品。単発ドラマ。
もてない男女が烈しい恋愛なんてなにもないまま断念するかのように結婚するまでを描く。
「他にないドラマを創る」が信条の山田太一らしい、ひねくれたドラマである。

加島秀子は37歳、独身である。
派遣社員。デパートの紳士服売場でバリバリ働いている。
ずっと独りのままでいいと思っていた。
ところが、ままらなぬ感情につき動かされ結婚相談所へ足を向けてしまう。

秀子「結婚して幸福な家庭を持ちたいって、そんなんじゃないのよ。
なんか揉(も)めててもいいから、揉める相手が欲しいというか」(P65)


結婚は条件の折り合いである。年齢、年収、初婚か再婚か、子の有無。
秀子に条件が適合する男性が現われる。
41歳、次男、電信技術者、年収250万以上300万未満の大谷光一である。
秀子は光一とホテルの喫茶店で逢う。
初対面からお互いの見てくれにがっかりする男女である。
秀子は交際お断りの連絡を入れる。これで終わりのはずだった。
ある日、紳士服売場に光一がすがたを見せる。光一は言う。
結婚相談所から女性を紹介されると、片っ端から逢いたいと返事を出す。
しかし、だれも逢っちゃくれねえ。どうかな。もう一度、交際できないかな。
秀子は断わる。「私だって、そりゃ、贅沢いえた身じゃないけど、それなりに夢もあるし」
こうしてふたりの交際は終わったはずだった。
秀子は紹介される男性のほとんどに逢いたいと返事を出すが、
断わられてばかりである。さみしい。つい光一に連絡を取る。逢ってみる。
けれども、どうしようもなく性格が合わない。
秀子は西欧の文物を愛している。光一は気取っていると秀子の趣味をバカにする。

ふたりは逢っても喧嘩ばかりしている。
ある日、光一は秀子を自分のアパートに誘う。光一は秀子に言う。
「俺、ほんというと、あんたのこと、本当に好きかどうか、まだよく分らねえ」
寂しくなったものは、こんな風にして世帯を持つのだろうか。
そう口にした光一は秀子を不器用に抱きにかかる。
秀子はキスをされ押し倒されるのをはねつけることができない――。
ふたりは結婚相談所へ婚約の報告におもむく。その帰り道である。

秀子「(立止り)大谷さん」
光一「うん?(と振りかえる)」
秀子「いいのかしらね? 
こんなことで、一緒になって?(と奈落から見上げるような目になってしまう)」
光一「(ゆっくり戻って、秀子の前に立ち)先のことは、分らねえけど、
お互い、ひとり暮しには、結構懲(こ)りとるから、案外、続くんじゃねえか」
秀子「(うなずき)――そう、だといいけど」
光一「腕組めや」
秀子「いいわ」
光一「長えこと、見せつけられて来たんだ。ちっとぐれェは、見せつけてえじゃねえか」
秀子「うん――(と組む)」
光一「フフ(と歩き出す)」
秀子「フフ」(P71)


番組終了の直前、ふたりの新婚生活が明らかになる。
夜半、鍋をぶつけ、座布団をぶつけ、摑(つか)み合いの喧嘩をしている秀子と光一。
かと思えば、昼である。手をつないで、肩をぶつけ合ってやってくる秀子と光一。
その幸せそうな笑顔のストップモーションで――ドラマは終了するのである。
1849年 ストリンドベリ誕生。父は富豪商人(のち没落)。母は同家の女中。

1862年(13歳) 母の死。

1869年(20歳) シラー「群盗」を読み俳優をめざすも失敗。自殺未遂。劇作家志望に。
→以降、職を転々としながら、いくつかの戯曲を執筆。上演されることも。

1874年(25歳) 王立図書館員として就職。初めての安定した職業。以降8年勤務。

1875年(26歳) 人妻のシリとの禁じられた恋が芽生える。

1877年(28歳) 離婚したシリと念願の結婚。長女は誕生まもなく死亡。

1879年(30歳) 小説「赤い部屋」が評判となる。世に出る。翌年、次女誕生。
*女性解放をテーマにしたイプセンの「人形の家」出版される。

1882年(33歳) 童話劇「ペエアの旅」
≪分裂病発症:ヤスパース≫

1884年(35歳) 短編小説集「結婚生活」が瀆神罪の疑いで起訴される。
≪被害妄想が始まる≫

1886年(37歳) 自伝的告白小説「女中の子」。最初の自然主義的戯曲「なかま同士」

1887年(38歳) 妻との関係悪化。戯曲「父」。小説「島の農民」
≪分裂病増悪期:ヤスパース≫≪嫉妬妄想が始まる≫

1888年(39歳) 妻の不貞を告発する小説「痴人の告白」をフランス語で発表。
→代表作「令嬢ジュリー」。自選最高傑作の「債鬼」。ニーチェと文通。

1889年(40歳) 北欧実験劇場を創設するが失敗。シリ夫人は女優および劇場監督。
→一幕劇「強者」「賤民」「熱風」。

1890年(41歳) 女性と愚民に滅ぼされる知的超人を描いた「大海のほとり」完成。

1891年(42歳) 妻のシリと離婚。14年にもわたる結婚生活に終止符を打つ。

1892年(43歳) 子の親権をシリに取られたのが悔しく劇作で鬱憤をはらす。
→一幕劇「貸と借」「母の愛」「火あそび」「きづな」「死の前に」「最初の警告」
→以降5年のあいだ沈黙する。

1893年(44歳) ジャーナリストのフリーダと結婚。翌年、娘が誕生。
→フリーダの前の愛人につけ狙われていると思い込み、逃げ回る。
→フリーダが夫に禁じられていた「痴人の告白」を読んでしまう。
≪追跡妄想が始まる≫

1895年(46歳) 2番目の妻フリーダと離別(正式離婚は97年という説もある)。

1896年(47歳) 世界を破壊せんとの熱狂から錬金術研究に没頭する。
→フリーダの持参金を食いつぶし、なお無収入。友人知人からのカンパで生活。
→神秘思想家スウェーデンボリの著作に触れ救われたと感じる。
≪分裂病増悪期:ヤスパース≫

1897年(48歳) 分裂病体験を描いた自伝的小説「地獄」「伝説」完成。

1898年(49歳) 最初の表現主義的戯曲「ダマスカスへ第一部」「第二部」発表。

1899年(50歳) メロドラマ「罪また罪」。歴史劇を書き始める。

1900年(51歳) 最高傑作「死の舞踏」。童話劇「冠の花嫁」

1901年(52歳) 30歳年下の女優ハリエットと3度目の結婚。
→旺盛な創作活動。「ダマスカスへ第三部」「白鳥姫」「夢の劇」

1902年(53歳) 老いてなお性欲絶倫。ハリエットをはらます。娘、誕生。

1903年(54歳) 最後の自伝的小説「孤独」。史劇「ルッテル」

1904年(55歳) ハリエットと離婚。文壇暴露小説「黒旗」完成。

1906年(57歳) 「黒旗」の悪魔的世界から逃れんと信仰に到達する。
→自作「黒旗」を否定せんと、スウェーデンボリに捧げる随想集「青書」を書き始める。
*「近代劇の父」イプセン死亡。

1907年(58歳) 若い演出家のファルクと協力し「親和劇場」を創設(3年で閉鎖)。
→独自の演劇理論から室内劇を書く。「ペリカン」「稲妻」「焼け跡」「幽霊ソナタ」。

1908年(59歳) 40歳以上年下の女優に熱愛、求婚する。結局は断念。
→多数の演劇論を発表。まとめられたもののひとつが「戯曲論」

1910年(61歳) 世間への挑発癖は治らずストリンドベリ論争が起こる。

1912年(63歳) 自国最高の作家にノーベル賞が与えられぬことに青年社会党が反発。
→有志一同がストリンドベリ63歳の誕生日にこの作家を表彰し寄付金を贈呈する。
→4ヶ月後、ストリンドベリ、胃ガンで死去。
→死の直前の病床で、娘の胸に聖書を押しつけストリンドベリは静かに言ったという。
→「すべてはつぐなわれた」

(注)毛利三彌、山室静、両氏の作成した年譜を参考にしました。
果たして人が酔っぱらって話すことは本音だろうか。
酒をのんで腹のうちをさぐりあう、という。
だが、人間はほんとうに酒に酔ったら本心を白状するのだろうか。
もしかしてそのような通念は大きな間違いをはらんでいるのではあるまいか。

昨日13年ぶりに東京大学本郷キャンパスの学食へおもむいた。
どうして行ったのか、いま考えてもよくわからない。
流れとしかいいようがないのである。
友人と会った。まだ日の暮れぬまえから東京ドームのビアガーデンでのんだ。
ここに来るにいたったのもほんの偶然である。
友人とは、神保町にある演劇シナリオ専門古書店、矢口書店のまえでおちあう約束だった。
この待ち合わせ場所へ行く途次、たまたまそのビアガーデンの広告を見たのである。
アサヒスーパードライ飲み放題がキャンペーン価格で、90分たったの1000円!
うっひょお、と思ったものである。
外で酒をのむのを好まないのは、もっぱらふところ事情による。
これだったら家でのむよりはるかに安上がりである。

久しぶりにのむビールはうまかった(ふだんは第三のビールゆえ)。
ハイペースでジョッキを空にした。
通常90分飲み放題だとラストオーダーが60分なのだが、ここは90分まるまるOK!
つまみ代をあわせても、しっかり元を取ったと思う。
気持よく酔っぱらったのである。ここからの行動が自分でも意味不明だ。
どうしてだかわたしは引越すまえの住居近所へかれを導いた。
覚えてはいないが、どうでもいい昔話をしたのかもしれない。
そこからなぜだか上野へ行くことになった。
かつて上野往復をわたしが散歩コースにしていたからだと思う。

上野へ行く過程で東京大学本郷キャンパス内を通過する。
ここでわたしの悪い虫がうずいたのだと思う。
連れを無理矢理に東大の学食へ連行する。ここでのもうというのだ。
しかし、友人は限界で、これ以上、酒をのめない。わたしだけ酒をのむことにする。
ここからが大問題なのである。わたしがなにを話したか。
白状すると、わたしは東大に落ちている。
河合塾で浪人までしたけれども、東京大学文科3類に入学することは認められなかった。
浪人生のころ仲間と1回、この東大学食に来たことがあった。
泥酔状態で、かのトラウマが「おいで、おいで」したのだろうか。
かくしてビアガーデンの二次会が東大学食になったわけである。

かすかな記憶としてしか残っていないのだが、
この学食で酔ったわたしはめちゃくちゃな発言をした。
将来有望な東大生が憎らしかったのだと思う。
「加藤くん」とわたしはいった。秋葉原通り魔の加藤くん――。
人を殺すのなら秋葉原なんかより、この東大学食にいる連中をやればよかったんだ。
こいつらは恵まれている。だれかがガツンとやってやったほうがいい。
しゃべりながら気持がよかったのを覚えている。
けれども、これは本音だろうか。
というのも、翌朝には昨夜のことをほとんど覚えていないのである。

なら、どうして思い出したのか。
先ほど、その友人から電話があったからである。
お互い、酒会のことはブログに書かぬと取り決めていた。
「書いてもいいかな」と電話口の相手はいう。「どんなことを?」
「ぶっ殺すとか、そういうこと」
この瞬間である。わたしは昨夜の暴論をほぼ正確に思い出した。
他人のことを好き勝手に書いてきているわたしである。まさか書くなとはいえまい。
だいぶ悶絶したものである。

この記事を書いた理由は明白である。ふたりの共通した知人が幾人かいる。
かれにかの女に弁明するためである。東大生をぶっ殺せというのはギャグなのだと。
ルサンチマンではない。ほんのふざけた軽口なのだと。
電話で友人に聞いたら、ブログ更新は10時半ころから始めるという。
いち早く手を打ったのはこのためである(現在9時半)。先手必勝である、がはは。
「北欧演劇論」(毛利三彌/東海大学出版会)絶版

→副題は「ホルベア、イプセン、ストリンドベリ、そして現代」。
いちおう通読はしたが、関心のあるのはストリンドベリの箇所のみ。
毛利三彌はストリンドベリを日本に紹介してくれた恩人である。
(それも戦前のようなドイツ語訳からではなく、原典スウェーデン語から!)
大正時代にストリンドベリブームがあったものの戦後はまったく鳴かず飛ばずのこの作家を、
ほそぼそながら日本の読者に紹介してきた毛利三彌の功績は大きい。
だから、悪口めいたことは書きたくないのだが、本書はゆるいと言わざるをえない。
座談会形式のため、なにかのシンポジウムの採録かと思ったら、
すべて毛利三彌の自作自演なのである。
司会、E(英文学者)、F(仏文学者)、D(独文学者)から本人の毛利まで、
みなみな著者のかたちを変えたすがたである。
「~~さんはどう思いますか」「いえ、それはこうなんですよ(笑)」――。
終始、このような軽めの会話スタイルである。大学出版会の本とは思えない。
ひとり何役もこなしつつ、(笑)とか書いて恥ずかしくならないのだろうか(ごめんなさい)。
要するに、著者はまじめな形式の文章を書くのが億劫なのであろう。
対話形式にしたら楽ちんだとズルをしたわけである。

おとしめておいて今度は持ち上げるが、むしろこれでいいのだと思う。
口語体のため読みやすい。
内容は論述というよりも、ほとんど北欧劇作家のゴシップに近い。
ならば、堅苦しい評論めいたものにするより、こちらのほうがよほどすっきりしている。
最近思うのだが、日本人の外国文学研究というのは意味がないのではないか。
とくに西欧文学研究などそうである。
東の果ての島国の研究者が西欧文学を論じても、本場では相手にされないわけでしょう。
おなじ日本人相手に西欧の威光で偉ぶるくらいが関の山。
もとより、学者などいらないと主張しているわけではない。
学者先生は外国文学のおもしろさを紹介すればいい。翻訳すればいい。
知の享楽を独占せず一般社会に還元することこそ学者の役割ではないだろうか。
本国研究者も日本の一般読者も読まない、
――つまりだれも読まないような外国文学研究のどこに意義があるのだろう。
こう考えると毛利三彌は学者の鑑である。理想の学者といえよう。
我われふつうの日本人はスウェーデン語を読めない。
だが、我われになりかわって毛利三彌が読んでくれるのである。
そこで知りえた知識を書物で一般読者に知らしめる。
まこと有意義な知的業績ではないだろうか。
毛利三彌には渡辺守章のようなゆがんだ虚栄心がない。
いちばんおもしろいのは文学者にまつわるゴシップ、裏話のたぐいだとよくわかっている。
人間として正直である。

さて、いまから毛利先生より教わったことを再紹介しよう。

・ノルウェー語、デンマーク語、スウェーデン語はよく似ている。
方言の相違程度である。
ノルウェー語とデンマーク語が書くとほとんどおなじ。話すとぜんぜん違うけれども。
ノルウェー語とスウェーデン語は話すとおなじようなもの。だが、書くと異なる(P8)。

・イプセンやストリンドベリが当時の代表作家のようになっているが、
それは後世からながめた演劇史としての評価である。
両作家の存命時の演劇界の主流は相も変わらぬ娯楽劇。ウェル・メイド・プレイ(P96)。

・イプセンは観客をぜんぜん信用していなかった。
結局のところメロドラマを好む観客にほとんど嫌気がさしていた。
けれども、劇作家は観客のために書かねばならぬ。
イプセンはこの矛盾に苦しんだ(P123)。

・ストリンドベリの短編小説集「結婚生活」は神を冒瀆しているとして起訴された。
まえにも該当箇所を引用したことはあったが、あれは翻訳がひどかった。
毛利三彌の訳で再び――。

「千八百年以上も前に処刑された大衆煽動者ナザレのイエスの血と肉だと言って、
牧師どもが差し出す一壜(びん)六十五エーレの酒に
ポンド一クローネの玉蜀黍(とうもろこし)パンで行なう恥知らずなペテン行為……」(P167)


・ストリンドベリは一幕物の芝居なら2日で書けると手紙で豪語している。
演出家に送った手紙のなかでである。「イプセンはもうあてにならない」とも。

・毛利三彌は指摘する。
ストリンドベリの心をもっとも強く捕えていたのは最初の妻シリではないか。
考えてみれば、のちの結婚はどちらも数年で終わっているが、
シリとの結婚生活は15年近くもつづいている(P179)。

・ストリンドベリは地獄期(分裂病増悪期)、神秘家のスウェーデンボリに救いを見いだす。
作家の読んだのはドイツ語に訳された「天界と地獄」と想定される。
邦訳もあってタイトルは「天界とその驚異及び地獄」。
(この神秘家の著作で入手しやすいのは「霊界日記」角川文庫。読もうかしらん)
ストリンドベリの悟った内容を毛利三彌は簡潔にまとめている。

「ストリンドベリはこの本(「天界と地獄」)によって、
他人への恐れが自分の心に由来すること、
すべては自分のなした悪の報いであり、この地上ですでに地獄に堕ちていること、
しかもこの苦しみはそれまで悪の力だと思っていた<知られざる力>によって
天界へ導かれる道程であることなどを悟ったと言います」(P181)


・ストリンドベリ3度目の結婚、お相手は女優。このとき劇作家52歳、女優22歳――。
ストリンドベリは家庭的で夫を敬う妻をのぞんでいるように見えて、
実際に妻とするのは決まって自立心の強い知的な女性である(P187)。

・ストリンドベリ晩年の小説「黒旗」は、特定できるモデルが文壇に幾人かおり、
ほとんど個人攻撃になっていたという。このためたいへん世間を騒がせた。
ストリンドベリ自身も激しい反撃の矢面に立たされた(P188)。

・ストリンドベリは晩年、自身を熱烈に信仰する演出家ファルク(24歳!)と交際を持つ。
この結果としてできあがったのがストリンドベリ劇場=「親和劇場」である。
ストリンドベリはこの劇場で監督の役についた。
けれども、極度の人間嫌いで、人前で話すことができない。
舞台稽古に参加するのは2、3回だけ。あとは手紙で劇団員に指示を出した(P191)。

・演出家ファルクともわずか3年で喧嘩別れする。
原因はファルクが「親和劇場」でメーテルリンクの「闖入者」を上演しようとしたから。
これにストリンドベリは激怒。
「私の戯曲のみ上演して他のどの作家も許さないということ!」
ストリンドベリはメーテルリンクを尊敬していたが、
それでも自分の劇場で自作以外の上演されるのが我慢できなかった。

ストリンドベリ(笑)――。
「ストリンドベルクとファン・ゴッホ」(カール・ヤスパース/村上仁訳/みすず書房)絶版

→著者は精神科医にして哲学者。
ヤスパースは本書において、ストリンドベリとゴッホを精神分裂病(統合失調症)と診断し、
ふたりの創造者のうちにひそむ病気の本質に迫ろうとする。
わたしはゴッホには詳しくないので、
ストリンドベリについて書かれた記述を注意して読んだ。
ストリンドベリは生涯にわたって自伝的(告白)小説を多数書いている。
順に「女中の子」「或る魂の発展」「痴人の告白」「地獄」「伝説」「不和」「孤独」――。
ヤスパースはこれらの自伝小説から、
通常なら得られぬ価値のある病誌(病状の記録)を採取できると指摘する。
ストリンドベリの主観的な記録のみならず、著者は作家の友人・知人の証言まで参照する。
実に丁寧な仕事ぶりに感心した。
またヤスパースの筆致は平明で、医学的知識の乏しい一般人にもわかりやすい。
卓越した書物であるといえよう。

キチガイという言葉がある。精神病という疾病が存在する。
では、そもそも気が狂うとはどういうことだろうか。
なにゆえ精神病患者と天才が混同されるような事態が起こりうるのか。
人と違ったことをする。これがスタート地点である。
ある人がみんなのしないような行動を取る。
この行為を見て大多数のものが「あの人は狂っている」と言う。精神病の始まりである。
換言すると、多数の人間が理解できない行動を起こすものが狂人とされる。
そうだとするならば、狂うというのは相対的な判断に過ぎなくなる。
絶対的な狂気が存在しえぬということだ。
ある異常な行動が時代や国をかえれば正常なものとみなされることもありうるのだから。

とはいえ、それでもなお狂人はいなくならない。
人と違ったことをする。だれにも理解されぬことを言う。
いいではないか、天才的ではないか、と狂気を是とするものは、
おそらく真の狂人を知らないのだろう。
たしかにふつうの人がしないような行動や発言は、天才を証明するもののひとつである。
だが、これを忘れてはならない。奇行は迷惑なのである。
通常なら人が言わないようなことを言いふらしてまわる男は迷惑極まりない。
危険でもある。
だから、かれは周囲から狂人と恐れられ、ときには監禁されても仕方がない存在となる。
医師による治療が必要と判断されるのはこのためである。
もっともストリンドベリの存命時は、薬物療法が発明されておらず、
医師はもっぱら狂人の診断をする審判者としての役割に甘んじていたのだろうが。
当時、狂人の治療は、転地、安静、監禁くらいしかなかったようである。

いよいよストリンドベリの狂気に踏み込もう。
なぜ天才ストリンドベリが精神病患者とみなされなくてはならないのか。
この男の取った異常な行動が、
分裂病患者の極めて類型的なパターンに当てはまるからである。
ヤスパースはストリンドベリの分裂病過程の開始を1882年に見る。
33歳のストリンドベリが体験した(と自伝小説に記す)神経発作からの判断である。
作家が「赤い部屋」で世に出た、わずか3年のちのことである。
ストリンドベリの人生における、最初の分裂病増悪期は1887年(38歳)。
妻シリへの嫉妬妄想が爆発する。
これは翌年に書かれた「痴人の告白」からの診断である。
わたしもこの小説を読んだとき、作者の分裂病的嫉妬妄想を疑ったものである。
精神科医ヤスパースは、小説の内容を事実無根の典型的な妄想だと断定する。

「(ストリンドベリにとって)妻のすることはすべて嫌疑の種となり、
そのすべての行動は意味をもつ。
彼が病気から恢復(かいふく)しても、妻が冷淡なように感じられ、
彼女が親切にすれば、それは欺瞞的な阿諛(あゆ)と判断される」(P33)


ストリンドベリは妻の不貞を疑い、手紙の無断開封から探偵のまねごとまで行なう。
ストリンドベリ、天才の証左である。妻が淫乱な浮気女だとストリンドベリは思う。
だが、このことを知るのはストリンドベリただひとりである。
周囲のものは、だれも女優の妻のことをそんなふうには思っていない。
ふたつにひとつである。ストリンドベリは述懐する。

「確かな証拠を握るか、死ぬか、どちらかだ!
犯罪が行なわれたか、私の気が狂ってるか、どちらかだ!
真実を知らねばならぬ。(……) 必要なのは詳しく知ることだ!
そのために私は徹底的に科学的に調べよう。
最近の心理学のあらゆる手段、暗示、読心術、精神的拷問なども用いよう。
侵入、窃盗、手紙の開封、署名の偽造などの昔からの方法も用いよう。
私はすべてを試みるつもりだ」(P36)


ほとんど泣きながら夫に「真実を白状せよ」と迫られた、
ストリンドベリ夫人の心中を思うとやりきれない。
ふたつにひとつ。ストリンドベリは狂っているのか、狂っていないのか。
ストリンドベリは生涯で多くの医者の診断を仰いでいる。
ある医師は精神病だといい、また別の医術者はまったくの正常だと判断した。
ヤスパースの診断はクロである。わたしもヤスパースに同意する。
いちばん重要なのはストリンドベリ自身がどう判定をくだすかである。
ストリンドベリは「自分は狂っていない」という結論に達した。
この病識(病気の自覚)のなさこそ、精神分裂病患者の特徴だとヤスパースは指摘する。
我輩は断じて間違ってはおらぬ! 誤まれしは汝らなり!
ストリンドベリは「狂気か正常か」のふたつにひとつに悶え苦しみながら、
常に最終的には後者の「正常」を信じるにいたる。
結局、ストリンドベリは女優の妻を離縁する。

嫉妬妄想が生じたのとおなじころ追跡妄想、被害妄想も発症する。
ストリンドベリは自分がなにものかに狙われている、マークされていると感じる。
殺されかねないとのおびえまで生じる。
この不安状態の段階で踏みとどまったら、かろうじて正常でいられるのである。
だが、ストリンドベリは行動に移す。
追っ手からの逃亡を企てる。暗殺者への反撃を計画する。やられるまえにやれである。
追跡妄想、被害妄想はやむことなく続いたが、
ヤスパースの診断によると、もっとも増悪したのは1896年とのことである。
これは自伝小説「地獄」からの推測である。

追跡妄想、被害妄想の具体例を見てみよう。1892年のことである。
ベルリンにストリンドベリを支持するものがいた。
ローラ・マルホルムとその夫オラ・ハンソンである。
ふたりは窮乏するストリンドベリのために金をこしらえてやった。
友人としてドイツにストリンドベリを紹介したのである。
ところが、ストリンドベリは恩人ともいうべきローラ・マルホルムを危険視する。
この女は恐るべき犯罪者だと確信するようになる。
マルホルムは全女性と同盟してストリンドベリを精神病院に監禁しようとしている!
ストリンドベリは夫婦のもとを逃げ出す。
そのうえで恩人マルホルム夫人の悪意あるデマを社交界に流すのである。
ストリンドベリ本人は正当防衛のつもりなのだから、分裂病患者は恐ろしい。
こうして知人はふた手に別れざるを得ない。
ストリンドベリの狂言を信じるものと、とてもついていけないものと――。

「彼(ストリンドベリ)の追跡妄想の発作は次第に頻繁になった。
彼は極端に精神病院を恐れていた。彼は根拠のない疑念を訴え、
『敵』がそれを問題にしないで冷静にしていると、失望し、激しい憎悪を抱いた。
そのため一度睨まれた人は一生迷惑した」(P53)


マルホルム事件のとき、ストリンドベリの味方となった友人がいる。
パウルである(かれはストリンドベリの思い出を書いている)。
ストリンドベリがつぎの標的に選んだのが、友人パウルなのである。
1893年、ストリンドベリは2度目の結婚をしていた。
ところが、結婚生活は破綻寸前。
ストリンドベリは妻から征服される危険を感じ家庭から逃亡する。
友人パウルのもとに身を寄せる。
ストリンドベリにはパウルもまた「敵」に見えてしまうのである。
のちに自伝的小説「不和」でかつての友人を作家は裁く。

「イルマリーネン(パウルのこと)は以前と違い、冷たく当惑した様子だった。
(ストリンドベリは)この男が何か企んでいるように感じた。
……かれ(ストリンドベリ)はこの詰らぬ、
教養のないイルマリーネンを引き立て、彼の仲間に入れてやった
……ところが今では、彼の傍に居ても何も利益がないと判ったので、
この助手は彼から逃げ出そうとするのだ」(P61)


ひどい中傷である。パウルにとっては、ストリンドベリのほうこそおかしかった。
パウルはこのときのストリンドベリをこう述懐する。

「彼(ストリンドベリ)はいつも機嫌が悪く、他人にも不愉快な感じを与えた。
彼は自分の不機嫌や人生厭悪を他人に伝染させるのに妙を得ていた。
自分に面白くないことは、他人も面白がってはいけないのだった」(P62)


ストリンドベリとパウル、果たして正しいのはどちらだろうか。
ヤスパースはもちろん、後者を正常とみなす。
ストリンドベリは自分に好意を寄せるものをことごとく「敵」と判断するのである。

「ストリンドベルク(ストリンドベリ)はこのように直ちに計略、照会、
手紙などによって、防禦手段を講ずる。彼は自分の力に自信を持っている。
『私は他人にやっつけられはしない、反対に敵をやっつけてやる』。
最後に彼は何の理由もなく、パウルとも絶交する。
そして彼に書く(一八四九年七月三十一日)、
『君はこれから決して無事では居られまいよ』」(P65)


こんな脅迫の手紙をもらったらしばらく震えがとまらないと思う。
だが、ストリンドベリとは、このような男なのである。
友人や恩人を「敵」と憎悪し、さらに「復讐」されるのを恐れる。
がために「やられるまえにやれ」。相手を容赦なく攻撃する。
ストリンドベリにとって真実はひとつなのである。
おのれは間違っていない。不正をなしているのは周囲のものである。
晩年のストリンドベリは夜ごと悪人の死を願いながら祈祷したという。

なんという精神病の恐ろしさではないだろうか。
何ヶ国語にも通暁している知識人ストリンドベリがついに知りえなかったこと。
それがおのが狂気である。
みずからが狂っていることを最後まで秀才ストリンドベリは自覚できなかった。
だが、ストリンドベリの天才は分裂病の世界を見事な作品に仕立て上げた!
「死の舞踏」や「黒旗」が、重度分裂病患者の作品とは信じられない。
いや、重い精神病患者にしか書きえぬ名作だと思う。
このあたりはヤスパースとわたしの意見が相違する。
ヤスパースは本書で、ストリンドベリ後期作品を駄作と論ずるパウルの文章を引く。
そもそもヤスパースはストリンドベリ作品にまったく興味を持っていないという(P223)。
精神医学的に関心を抱いたに過ぎぬらしい。
また、だからこそ、本書のような冷静沈着な分析が可能だったのであろう。
わたしはどうしようもなくストリンドベリの愛読者である。
ふつう分裂病を罹患したものは、なだらかに人格荒廃にいたるという。
ストリンドベリの人格は晩年の作品を見るかぎり、まったく荒廃していない。
かえって分裂病体験を養分にしているとさえ思う。
ストリンドベリの人生は、精神病との闘いであった。
おそらくヤスパースはこの闘争の軍配を精神病に上げるのだろう。
けれども、わたしはわかったものではないと思っている。
もしかしたらストリンドベリは難敵の精神病に……勝ったとは言わない。
それでも一矢報いてはいないだろうか。

「ハンソンも一九〇七年頃ストリンドベルクを訪問したことがある。
同じように彼は郵便箱の蓋を開けて外を見た。
十五年会わない間に容貌が変っていた。
我々は赤い鼻と、小さい涙ぐんだ眼を持ち、無限の不安の表情を表わした顔を見た」(P97)


ストリンドベリは旧友ハンソンに、先ごろ精神医学者の罠から逃れた自慢をしたという。
気狂いかどうか診察しに来たのを、機転を利かしやり過ごした。
興奮しないで親友のように遇してやった。
生涯幾度も自殺の衝動にかられたストリンドベリの死因は胃ガンである。享年63歳。

最後に私事を記しておきたい。
わたしは自分がどうしてこうまでストリンドベリにひかれるのかわからなかった。
著書はほとんど絶版入手不可で、なおかつ古書価格も高騰している。
なにゆえストーカーのごとくこの男を追い詰めなければならなかったのか。
名著「ストリンドベルクとファン・ゴッホ」を読んでようやく理由がわかる。
ストリンドベリの精神構造が死んだ母とそっくりなのである。
わたしの眼前で飛び降り自殺をした母は、膨大な量の日記を遺していた。
読むとどのページも周囲のものへの悪罵がつづられている。
自死を遂げる直前の記録がつらかった。
息子であるわたしの悪口が細かい字で大量に書かれているのである。
日記だけではない。死ぬまえの母はほんとうにひどいものだった。
「おまえは私の敵だ」「おまえにはサタンが乗り移っている」「私はおまえに殺される」――。
母からかけられた言葉である。挙句、目の前で飛び降りられるのである。
どうして自分がこんな目に遭わなければならないのかまるでわからなかった。
だいぶ苦しんだ。
あれから8年が過ぎ、今日ひと段落が着いたように思う。
すべて精神病がいけなかったのである。典型的な追跡妄想、被害妄想ではないか。
むろん、むかしからそんなことはわかっていた。だが、納得できなかったのだ。
この記事で引用した部分(黒強調文字)は、
みなみな母の行動と驚くべき相似を見せている。
そうだったのかと思う。母もこんなふうに考えていたのか。
ヤスパースはストリンドベリを精神分裂病と断定する。ならば母も――。
それにしても精神病とは、なんと恐ろしいものだろうか。
悪魔のように不可解で理不尽である。
いきなりなんの理由もなく、自分の味方を攻撃するのである。味方を敵とみなし憎悪する。
ひとり残らず味方を敵と見まがえ排撃した母は、最後に息子のまえで息絶えた。
精神病から生みだされる地獄絵図である。
この地獄を活写(=生き生きと描写)したのが狂人ストリンドベリである。
そして、ストリンドベリの狂的世界がわたしにはとても懐かしい。
狂ったっていいじゃないかと思う。いいじゃないかと思いたい。
時事ネタはほんと書きたくない。なぜかというとだれでも書けることだから。
わざわざ無名のわたしが書かなければならないことではない。
時事ネタなんていうのはね、みんなおなじような感想しか持たないんだ。
問題になるのは、発言内容ではない。だれの意見かである。
くだらない寸評でもビートたけしが言えばもっともになる。
たとえ卓見だろうが、そこいらのブロガーが言ったのなら、だれも聞く耳を持ちやしない。
「本の山」がなるたけ時事ネタを敬遠しているのはこのためである。

けどね、申し訳なくも思うわけである。
こんな無名人の書く過疎ブログの更新を気にかけてくださる人がいる。
ねえ、うれしいじゃないの。そういうお方を手ぶらで返してもいいのかい。
くだらぬことでもなにか更新があれば(たとえその記事が読まれなくても)、
訪れた意味が多少はあったということでしょう。
みなさまもそうだと思うけど、時事ネタだったらいくらだって書ける。
書いてみようじゃないの。どうせつまらない意見だよ。
いいじゃないか。なにをもったいんぶっているんだ。おまえはつまらない人間だろう。
もしおまえに価値があるとすれば、自分のどうしようもなさを熟知していることではないか。
なんて思って書くわけである。

たかが時事ネタを書くだけでこうも前口上を必要とする。
なんて自意識過剰なのだろう。いやになるね。
わたし? とっくにいやになってるよ。いやでいやでしようがない。
中学生がバスジャックを起こしたという。どうしてと思わないかな。
だいのおとなが何人も乗っていたんでしょう。相手の凶器は刃物一丁。
恥ずかしくはないのか。まだおさない中学生の言いなりになって、それでもおとなか。
そんな怪我をしたくないかな。自分の身がたいせつかな。長生きしたいかな。
わたしがその場に居合わせたら、間違いなく小僧をやっつける。
繰り返すが、たかが刃物一丁なのである。
刺されたって、よほど場所が悪くなければ死にやしない。
同年代の男に小声で話しかける。「まずおれが行く。あとに続いてくれ」
カバンかなにか刃物をふせげるものを盾(たて)にして突っ込んでゆく。
相手がひるんだら残りのおとなが取り押さえたらいい。
まだ陰毛もはえそろわぬような餓鬼である。こらしめてやるのがおとなの務めだ。

どうしてこれができなかったか。
日本人は公共空間で見知らぬ他人と会話できないからである。
アジアのなかでこれは日本人だけではないか。
タイでも中国でもインドでも、初めて会った人がふつうに会話をする。
アジア個人旅行に行った日本人が第一に驚くのはこのことではないか。
日本人は海外ですら見知らぬ同国人に話しかけるのをためらう人種なのだ。
日本人は、恥ずかしがり屋さんが多い。
いつだったか日も暮れた帰途である。某JR線がストップするのに出くわしたことがある。
情報は駅員がマイクで流すだけである。
ブラットホームは人でごったがえしている。なのに、乗客同士はなにも会話をしない。
アジアの旅から帰ってきたばかりだったのでひどく驚いた。
わたしはアジアの流儀で話しかけたものである。
いまとまっている電車は各駅停車なのか。急行列車なのか。
とどのつまり、我われは現在どのような状況にあるのか。
もちろん日本人は親切な人が多いから、聞かれたらだれもが丁寧に答えてくれる。
けれども、ここが重要なのだが、最初に見知らぬ他人に話しかけるものがいない。
みんながみんな情報不足で戸惑う。
このバスジャック事件でも、おなじことである。
だれかがひと言発していたら、こんな悪戯は警察を呼ぶまでもなかった。
「この餓鬼はなんだ? 我われおとながガツンとやらなあかん」
だれかがだれかにこう話しかけていたら事件はその場で解決していたのである。

あなたが日本人なら同国人から母国語で話しかけられたら答えるでしょう。
なら、どうしてあなたから話しかけない。
ここに日本人の美徳と欠点が同時に存在するように思うのである。
「ハノイの犬、バンコクの象、ガンガーの火、」(小林紀晴/幻冬舎文庫)絶版

→小林紀晴の才能について思う。口惜しいが、
「再会」をテーマにしたこのアジア旅行記から才能というほかないものを感じる。
著者の才能は、驚くべき性格の良さに起因しているように思う。
性格の悪いものがいい文章を書くと思っていた。
だが、飛びぬけて性格のよいのもまた、ひとつの武器になりうるのだ。
小林紀晴の文章の特徴はピュアなところである。
純粋というと古めかしくて似合わない。小林紀晴はピュアなのである。
ふつうの人間ならとても恥ずかしくて書けないようなセンチメンタルな文章を綴る。
それがまったく鼻につかないのは随所から感じられる著者の純情ゆえである。
ひねくれたところがまるで感じられないのである。
だれもがアジアで感じるものの、しかし恥ずかしくてとても口には出せないことを、
飾り立てすることなく著者はストレートに表現する。
稀有な作家だと思う。今後、どこまで根性曲がりにならないでいられるか。
友人が極めて多い著者のこと。心配する必要もないのであろう。
およそ旅行記としては最高レベルの、ほんとうに満足できる読書であった。
「北国の春」(井上靖/講談社文庫)絶版

→ひとり杯を傾けながら井上靖の軽めの小説を読むのもまた、
数少ない人生の愉しみのひとつかもしれない。「北国の春」は短編小説集。
どんなに短い小説でもなにかが起こるのは著者が物語作家であるためだろう。
非難しているのではない。それどころか、むしろ物語歓迎である。
なにも起こらない小説を読んで悦に入るような文学青年ではない。
物語とはなんだろうか。これまで幾度も考えてきたことである。
いま酔い心地で思いついたのだが、
偶然が偶然ではないように見えるのが物語ではないか。
偶然なのだが、そこにはなにかしらの手が加わっているように見える現象。
だが、もしこれを物語と定義するなら、すべてが物語になってしまう。
あなたもわたしも人間はまったくの偶然の産物だが、
だれひとりとして偶然存在しているようには見えぬのだから。
畢竟(ひっきょう)、人間を巧妙に描けば物語になるということだろうか。
「夢か現か」(高井有一/筑摩書房)

→独酌しながら老作家の随筆集をひもとくのは人生の悦びである。
2006年初版。老作家の眼に現代はどううつるのか。
ちなみに高井有一は山田太一より2歳年上で、ほぼ同年代である。
比較すると山田太一の若さには恐れ入る。

恩師の原一男先生が、
自分は青年が初めて書いたようなみずみずしい文章が好きだと仰せになったのを思い出す。
わたしはどうしてか荒削りな文章より枯淡を好む傾向があるようだ。
新しいものはすぐに古くなるが、古いものはそれ以上古くならない。
だが、こういった保守的な態度はよくないと反省している。
師匠を見習って常に最新のものにアンテナをはりめぐらせたいと思う。
さて、著者の高井有一はわたしにとって特別な作家のひとりである。
著作は、かなり読んでいるほうである。
高井有一は母の自殺をテーマにした「北の河」で芥川賞を受賞した。
言うなれば、先行作家なのである。
少年時代に不幸を経験した作家が老年となり、
現在どのように母を想っているのかが興味深かった。

「その年の十一月に、生活の方途を見失つた母が、近づく冬の気配に怯え、
町に沿つて流れる河に身を投じて死んだ。文学少年だつた私は、
その体験をいつか小説に書きたい、書かなくてはならない、
と早くから思ひ定めてゐたが、書き上げるまでには途方もない時間がかかつた。
何度も書きかけては止め、
また気を取り直して書き出しては挫折する事を繰り返した。
大学へ入つて直ぐ、疎開時代にあつた事のすべてを連作形式で書かうと思ひ立ち、
一部を雑誌に発表したものの、それも中絶した。
やうやく「北の河」と題して五十数枚の小篇に纏められた、一九六五年であつた。
書けなかつた理由は、
私が体験の意味を正確に把めてゐなかつたといふ一事に尽きるだらう。
現実にまともに向き合ふ勇気をなかなか持てなかつたせゐだ、
とも言へるかも知れない」(P33)


「北の河」は不幸から20年もの時を必要としたのかと思うと先が思いやられる。
あと12年生きなければならないと考えると暗澹(あんたん)たる気分である。

「母方の叔父に引き取られて東京へ帰つて間もなく、
お母さんはどうして死んだのか、と他人に訊かれたとき、
冬になつたからです、と答へた覚えがある。
咄嗟に口に出たこの答は、人が死ぬ理由なんて判るものか、
と頑なに思つていた私の気に入つて、その後何度も繰り返した。
若し母が戦後も雪の積もる土地で生きる勇気を持つてゐたら、と私は思ふ時がある。
むろんその結果、私たちが仕合せになれたとは限らない」(P131)


同感である。もし母があのとき死ななかったとして、
あの母子関係が将来の仕合せに結びついたと断言することはできない。
わたしが長生きすれば仕合せになれるのかもわからない。
死ぬときは人間、死ぬのだろうと思っている。
「舞台芸術の現在」(渡辺守章/放送大学教育振興会)絶版

→歌舞伎を観にいく前日に予習として読んだ本。
演劇全般に興味がある。劇的行為なるものの本質を見極めたいと思っている。
だが、和洋の演劇を同一視野のもとに論じる書物は少ない。
本書には期待していたけれど、渡辺守章が日本語障害者だったことを忘れていた。
放送大学教材なんだから著者はわかりやすい説明を目指さなければならない。
ところが、これは渡辺守章がナイフで脅されてもやろうとしないことである。
なんのことはない、実のところは、できないに過ぎぬ。
渡辺守章は日本語に障害があって、わかりやすい文章を書けないよう生まれついている。
どんな簡単な事実でも、この男に書かせると意味不明かつ一見難解なものに仕上がる。
才能といえば才能だが、知能障害ともいいうる。
著者は人間において才能(長所)と障害(短所)が紙一重であることを示すいいサンプルである。

演劇はショーかドラマかに大別される。
身体を重んじるショーと物語を必要とするドラマのふたつである。
前者を拡大解釈すると、サーカスのようなものまで演劇の仲間に加えることが可能だ。
たとえば、こんな単純なことを、著者はひどく難解に論述するわけである。
それから渡辺守章のあらすじ紹介の下手ぶりはほとんど神々しい。
書物の性質上、戯曲のあらすじを紹介しなければならない場面がいくつかあるのだが、
まったく説明できていない。日本語の訓練をいっさい積んでこなかったことがよくわかる。
読者になにかを伝えようという意志が渡辺守章にはないのである。
なら、なんのためにこの男は文章を書くのか。ひとりよがるためである。
マスターベーションである。
この年代は少年期に自慰は悪徳だと教えられたはずだが、忘れてしまったのだろうか。
自慰ばかりしてると頭が悪くなるぞ。
いまから渡辺老人のオナニーをみなさまへご覧に入れる。
決して気持のいいものではないから、勇気のないかたはここから先を読まないでください。

渡辺守章は「リア王」上演の説明をしている。

「ところで狂気は、身体のレベルで表象されなければ、演劇的な事件とはならない」(P138)

なにを言いたいのかさっぱりわからないでしょう。
実は極めて簡単なことである。
「精神の狂気は、役者が肉体で演じないと観客には伝わらない」
ふたつの文章を比べてください。
渡辺守章のこけおどしがよくわかると思う。

もっと醜悪な自慰文章をお見せしなければならない。
渡辺老人はオナニーを身体のレベルで表象する。

「いずれにせよ、身体を戦略的な場として開かれた断絶の体験は、
どのような演劇作業であれ、
今やそれを己れのプログラムに組み込まなければならないような、
そうした不可避の要請なのである」(P72)


射精を終えた渡辺守章の満足気な顔が目に浮かぶようである(キモ~い)。
本人は決まったと思っていそうで、たいへん笑える箇所でもある。
わかりやすく言い換えてみよう。
「あらゆる演劇で身体の重要性、つまりショー的要素が見直されなければならない」
戯曲には表われない役者の肉体を重視しようね、ということだ。
「戦略的な場」や「開かれた断絶」といった言葉をかっこいいと思った、
オナニー大好き少年……いや老人の駄文である。
渡辺守章の文章は断じて難解ではない。未熟なだけである。
本書もこうして丁寧に意味を取っていくと、それほどたいしたことを論じているわけではない。

笑えるのは文楽(人形浄瑠璃)についての文章である(P161)。
ロマン・バルトが文楽について論じたものがあるという。
渡辺守章は無批判にロマン・バルトに土下座する。
渡辺老人にとっては、欧米人様が日本について論じたものはすべて正しいのである。
生年を調べたらちょうどギブミーチョコレートで進駐軍からほどこしを受けた世代だ。
渡辺守章はチョコレートをかじりながらオナニー三昧だった少年期が忘れられないのだろう。
自慰少年を身体のレベルで表象する渡辺守章の古びた男根は、
戦略的な場として開かれた断絶に侵入する――。
「せつない春」(山田太一/「月刊ドラマ」1995年11月号/映人社)品切れ

→テレビドラマシナリオ。平成7年放送作品。単発ドラマ。
現実っていったいなんだろうか。
山田太一はシナリオ雑誌の巻頭インタビューで脚本家を詐欺師に模す。

「詐欺師でも現実観の甘い人をだますのは簡単だけど、
現実をよく知ってる人をだますのは大変じゃないですか。
詐欺師のほうも現実をよく知ってなければ、騙せない。そういう関係は
テレビドラマのライターと見てくださってる方との関係であると思います」(P12)


山崎努は東央物産の総務部長代行。総会屋対策を一任されている。
株式総会で総会屋が暴れないように裏でカネを渡すのが仕事である。
むろん違法だが、企業にとってはなくてはならない存在である。
ところが、社長が交替したことで事情が変わった。
新社長はプレーンに弁護士を加え、今後総会屋とは一切縁を切るという方針である。
それはいけないと山崎努は思う。会社には知られてはいけない秘密が山とある。
そうそうクリーンにできるわけがない。だが、経営陣に山崎努の意見は聞き入れられない。
このままでは株式総会でぜったいなにか事件が起こると山崎努は経験から断定する。
会社が危うい。山崎努は弁護士に直談判する。
考えてみれば、山崎努のポジションを失墜させたのは、この弁護士である。
弁護士は山崎努に冷たく言い放つ。

「あなたばっかり現実を知ってるようなことをいうが、
あんた、ほんとに、現実を知ってるの?
訳知りになって、用心深くなって、たいした力もない奴を、大げさに考えて、
俺たち脅して、自分が改革の邪魔になっているという反省はないのかッ!」(P149)


職場のみならず家庭でも山崎努は現実に打ちのめされる。
娘の交際している男が、旧知の総会屋・柄本明の弟だとわかったからである。
娘は足が不自由である。総会屋の弟が言い寄って来たのはなにかの罠に違いない。
足の悪い娘を愛する男なんかいるはずがないと思っているのである。
山崎努は現実からダブルパンチを食らう。
娘の交際相手は、ほんとうに打算抜きで娘を愛していることを知ったからである。
そして、総会屋を排除した株式総会でもなにも起こらなかった――。
山崎努は用無しとして閑職に飛ばされてしまった。
会社はもう自分を必要としていないのである。
総会屋の柄本明から悪事に誘われる。山崎努は会社の裏事情に詳しい。
ふたりでグルにならないか。口惜しかないか。会社を脅そうじゃないか。
いっときはその気になり、かつての仇敵と浮かれ騒ぐ山崎努は視聴者を楽しませる。
けれども、すぐに思い直す。やはり会社を裏切ることはできない。

「三十六年つとめた会社だぞ。俺の人生、ひっくりかえせってことだぞ。
可笑(おか)しけりゃ笑え。一緒に苦労した奴もいる。愛着もある。
思い出もある。みんなを敵に回して」
山崎努の妻「本当の仲間なんていた? いなかったじゃない」
「知りもしないで」
妻「分るわよ。本当の友だちなんていなかった。
趣味もなかった。仕事ばかりだった」(P164)


これから人生の夕暮れを迎える山崎努である。
会社に裏切られても、会社を裏切ることができない。
ひとつ明るい日の出めいたものがあるとすれば娘の結婚である。
窓際社員の一家と総会屋の一家が親戚になったことだ。
ラストシーンは海岸地帯である。早朝、両家はせいぞろいして日が昇るのを見ている。
画面が一転する。

○丸の内出勤風景
出勤する人々。ビル街。(終)(P166)
「夏の一族」(山田太一/「月刊ドラマ」1995年11月号/映人社)品切れ

→テレビドラマシナリオ。平成7年放送作品。75分の全3回。
渡哲也は自動車メーカーの設計部から営業所へ出向を命じられる。
まるで嫌がらせのような人事である。渡哲也はいちから営業を学ばなければならない。
もちろん車は売れない。エリート嫌いの所長からはねちねち嫌味を言われる毎日である。
職場のみならず家庭もおだやかではない。
妻の竹下景子は高校の同窓だった男に浮気をそそのかされている。
一人娘の宮沢りえは妻子ある男性と不倫の関係にある。
渡哲也が唯一こころ落ち着ける場所がなぞの年配女性・加藤治子のアパートである。
渡哲也は加藤治子を「姉さん」と呼んでいるが、関係は定かではない。
妻の竹下景子もこのアパートを訪問していることから見ると家族ぐるみの関係のようだ。
渡哲也は川辺で知り合った不登校の少年が縁となり、
その父親に3台の車を買ってもらうことになる(第一回「川を見に行く」)。

一人娘の宮沢りえが、好きな人に会ってくれと両親に頼む。
娘の相手と会った渡哲也は激怒する。男が離婚届を手にしていたからである。
前妻と離婚したから娘をくれというのはあんまりではないだろうか。
人間は、そんな簡単なもんだろうか。別の女を好きになったから前の女と別れる。
たしかに道理としては間違っていないのだろうが、
だからといってそう簡単に認めてしまっていいのだろうか。
どこか人間を舐めた行動のように渡哲也は感じたのである。
父は娘の結婚に反対する。宮沢りえはその晩、家出をして男との同棲を開始する。
平成の現代である。いくら親が反対しようが娘の結婚をとめることはできない。
渡哲也はひとつだけ条件を出す。娘の相手の男と一度ふたりだけで会いたい。
いったいなにを話すつもりなのだろうか。
宮沢りえ、竹下景子の母子は不安になる(第2回「娘の縁談」)。

渡哲也が「姉さん」と慕う加藤治子の異常行動が明らかになる。
ひとりで取り壊し寸前のアパートの一室に行くのである。
そこで加藤治子は菓子や茶を並べひとりで話している。
みな加藤治子がボケたのではないかと心配する。
渡哲也と娘の結婚相手がふたりだけで会うのはとりやめになった。
竹下景子、宮沢りえ母子の「みんなで会えばいいじゃない」という提案を呑んだのだ。
父、母、娘、その婚約者――。
渡哲也はふたりだけで話そうと思っていたことをここで話すという。
自分と加藤治子の関係である。あれは戦時中、空襲下の東京のことである。
加藤治子は20歳だった。空襲に遭った。家族とはなればなれになった。
家族を探しているとき、ひとりぽつんとただずむ少年を発見する。
4歳の渡哲也であった。加藤治子の家族はみな焼死していた。
渡哲也の親族も見つからない。
加藤治子は渡哲也の姉代わりとして育てることを決意する。
戸籍は入れなかったが、女手ひとつで加藤治子は渡哲也を成人させた。
人生にはこういうことがある。人間を舐めてはいけない。
堅実に幸福を築きあげていってほしい。父親からのメッセージである。

加藤治子の異常行動はより顕著に見られるようになる。
無人のアパートで桃の缶詰をあける加藤治子。
「あのころは甘いものなんてなにもなかったね」
空襲で死んだ家族に話しかけているのである。
加藤治子を窓の外からうかがうものがいる。
尾行してきた渡哲也、竹下景子、宮沢りえである。
3人は、いまは亡き家族に話しかける加藤治子のすがたに打たれる。
渡哲也は思わず加藤治子を抱きしめてしまう。
すると「嫌、嫌、嫌」と竹下景子が取り乱し、ふたりを引き離す。
場は騒然とする。竹下景子はなにかを勘づいているのである。
ほんとうのことを話そうと渡哲也は決意する。
みんなをひとつの部屋に集める。娘の結婚相手も居合わせる。
渡哲也の話を加藤治子が引き継ぐ。戦後50年の物語である。
加藤治子は家庭科の代用教員をしながら渡哲也を育てた。

「この人(渡哲也)ね、小学校の頃――ううん、その前から、
とっても綺麗な男の子だった。(中略) 私は、嬉しくて仕様がなかった。
この人のお母さんのふりが出来るのが、とっても幸せだった。
結婚したいって、この人がいった時、びっくりしちゃった」(P112)


仕方ないと加藤治子は思う。22年間も一緒に暮らしてきたのである。
喜んでお嫁さんにまかせようと決意する。
ところが、結婚が迫ってくると、気持が沈んでしょうがない。
あとひと月という時になってようやく自分の気持に気がついた。
自分は渡哲也に恋をしていたんだ。
だから、自分の結婚なんて、見向きもしないでいられた。
いったん気持に気づくと別れがつらい。竹下景子が憎い。仲を引き裂きたい。
26歳の渡哲也は、それは綺麗だった。いい男だった。

「なんとか誰にも気づかれないで、――とうとう結婚式の前の日が来て、
朝が終り、昼が終り、夜になって、ああ、もう、ほんとにいくらも、
二人でいる時間はないんだなあ、と思った時、
ふらふらっと明さん(渡哲也)の前に、座っていたの。
そんな事、寸前まで、考えてもいなかったのに、明さんて、
私、命令するようにいったの。私を一度だけ抱きなさいって――。
明さんは、なんのことって、笑いかけて、私を見て、
それからだんだん青い顔になった。
あとくされなんかない、今夜だけのこと――そのくらいしか私もいわなかった。
この人、驚いてた。でも、なにもいわなかった。
恩に着るタイプだから、どうしていいか分らなかったんでしょうね。
――私が、押し倒すみたいに抱きついて行ったの。
翌日からは、一切忘れました。水くさいくらいの、義理の姉さんになりました」(P113)


原因をたどれば戦争に行き着くのかもしれない。あの日の空襲がよくなかった。
よくなかったのだろうか。空襲でふたりは知り合った。のちに別れが訪れた。
戦後50年を生き抜いたふたりの日本人である。
竹下景子は夫と「姉さん」のふたりを許す。
どうして部外者(娘の婚約者)のまえで話そうと思ったのか夫に問いただす。

「こんな人間もいるんだ、といいたかった。(……)
気持が離れたから、別れた。好きだから一緒になる。
あいつはバカに簡単じゃないか。(……)
人間はもっと細かなもんだ。してしまったことは、ずっとあとをひく。
人を苦しめる。簡単には、わり切れない。(……)
そんな筈はない。人間は、細かな事にこだわるし、いろいろに悩むもんだ。
あの男は、たかをくくっている。簡単に妻子と別れ、
簡単に奈美(宮沢りえ)とその気になっている。それですむはずがない」(P114)


渡哲也はようやく営業の仕事にもなれ、車も順調に売れるようになる。
ひとつ、心残りは加藤治子のボケである。
夜半、渡哲也、竹下景子、加藤治子の3人は例の老朽アパートのまえに来ている。
ここで声がしたのだと加藤治子はいう。
自分を呼ぶ、死んだ家族の声がしたのだという。
加藤治子はアパートの一室で、両親、祖母、妹と再会した。
死んだものはいう。みんないるよ。みんな戦争のあとの日本、見てるよって。
年の離れた妹がいう。
チョコレートもあるし、バナナもあるし、お砂糖もお汁粉もあっていいねえって。
加藤治子は無人の部屋に、缶詰や果物を持って行った。
おかしいわよね。実際にそんあことあるわけないもの。
加藤治子がみずからのボケを認めようとしたそのときである。
取り壊し寸前のアパート、例の部屋の窓に灯(あか)りがつく。
別の窓にも灯り。別の窓にも。別の窓にも。3人、呆然と見ている。すべての窓に灯り。
「ありがとう」と加藤治子が手を合せる。渡哲也も竹下景子も手を合せる。
とてもいいシーンだと思う。あるわけがないことが生じる。それが人間を生かす。
現実だけでは人間はたまらない。だから、灯りがつく。山田太一は灯りをともす。
この灯りをフィクションという――(第3回「まだある昔」)。
「時にはいっしょに」(山田太一/大和書房)絶版

→テレビドラマシナリオ。昭和61年放送作品。全11回の連続ドラマ。

テレビは幸せを売る器械である。
NHKをのぞく民放各社はボランティアでテレビ番組を放送しているわけではない。
企業から広告収入を得て番組を製作している。
実のところテレビの主張はひとつしかないのだ。カネを使えである。
なんのために? 
幸せになるためである。多くの人間はどうすれば幸福になれるかわからない。
テレビコマーシャルは視聴者にささやく。これにおカネを使えば幸せになれますよ。
詐欺といったら口が悪すぎるが、ひとつのフィクションであることは否定できないだろう。
山田太一ドラマはテレビのこういった機能に決して目をそむけない。
むしろ、(映画ではなく)テレビであることにこだわる。
これは多くの山田太一ドラマのテーマが
「幸せとはなにか」「フィクション」のふたつであることからわかるだろう。
コマーシャルは、こうしたら幸せになりますよとささやきかける。
山田太一ドラマは、人間そんなかんたんに幸せになれはしないよと訴える。
ほとんど営業妨害である。
よくもまあ、山田太一ドラマがつぶされなかったものだと感嘆する。
ひとえに視聴者から支持されたがためである。
広告は多数の人間の目にとまらなければならない。
結果として、矛盾に満ちた画面が展開されることになる。
ドラマとCMの内容が互いに矛盾するのである。
だが、この矛盾に満ちた混沌が、
ある時期におけるテレビメディアのエネルギーだったのだろう。
いや、矛盾と書いたが、本質的な人間観は矛盾していない。
人間とはなにか? 人間は、幸せになろうとなろうする。幸福を欲する。
幸福とはなにか? 山田太一ドラマとコマーシャルはおのおの回答をだす。
この脚本家のドラマでは回答は提出されず問題提起に終わることも少なくない。
ともあれ、山田太一ドラマにおいて、人間は幸せになろうと行動し、結果に喜怒哀楽する。

どこにでもある郊外の一軒家でドラマは始まる。
駅からだいぶ離れているため自転車がないと生活できない。
このため車庫には家族の人数分の自転車が並んでいる。
夫は大学の助教授。妻は専業主婦である。
一度、夫の浮気があったが、これが離婚の原因ではない。
相手に関心を持てない。このままいっしょに暮らしていれば、それでいいのだろうか。
妻は離婚理由をこう説明する。

「子供だって、うんと小さければともかく、あのくらいになれば、
両親揃ってなくたって大丈夫だと思うの。
勝手ないい草だし、別れていまより幸せになるとは限らないけど、
つめたいまんま、静かに年をとるなんてまだ嫌なの」(P40)


夫婦は父と母でもあった。
子どもは高校三年生の季代(としよ)と高校1年生の茂の姉弟。
(季代を演じるのは当時ブレイク直前のアイドル南野陽子
この姉弟が切り離される。というのも、父がこう言うからである。

「二人の判断にまかせたいが、出来れば、一人はお母さんと、
一人は私と、暮してくれれば、と願っている」(P30)


ふたりでどこかへ行ってこいと茂は父から2万円を渡される。
姉弟は東京サマーランドへ行く(アイドルの水着姿!)。遊ぶふたり――。
夕飯はハンバーガーショップで食べたが茂は不満である。
もっと一流のレストランへ行きたかったというのである。
季代は姉らしく弟をいさめる。
いくらかかるか知れたものではない。無駄遣いはやめましょう。
自分は全然あんなところへ入りたくない。すると茂は自分も入りたくないという。
弟はわけがわからないと季代は思う。
帰りの電車である。もう日が暮れている。ふたりは現実に直面する。
どちらが父についていき家を出るか。1日で答えの出る問題ではない。
最寄り駅に到着する。その自転車置場――。

季代「ほんとだね」
茂「なにが?」
季代「時間かけたって同じだね?」
茂「いいよ、別に」
季代「二つに一つよ」
茂「いいってば」
季代「二人ともお母さんと一緒に、いままで通り暮すか、
私がお父さんと一緒に出て行くか。二つに一つよ」
茂「なんで姉さんが出て行くんだよ?」
季代「じゃあんた出て行く? お父さんと行ける?」
茂「いいよ」
季代「男ふたりじゃ、どうしようもないじゃない」
茂「――」
季代「お母さんも茂といたいのよ」
茂「関係ねえよ」
季代「下の子が、お母さんと一緒の方がいいもの」
茂「そんな子供じゃねえよ」
季代「じゃあ、どういうのがいいの? 茂はどうしたいの?」
茂「――」
季代「お父さんひとり、追い出すみたいの可哀そうじゃない」
茂「浮気したんだろ」
季代「終ってるわ」
茂「どうして分る?」
季代「気にしてれば分るわ」
茂「じゃあ行けよ。お父さんと行けよ。
姉さんいなけりゃ喧嘩しなくて、静かでいいや(と自転車を走らせてしまう)」

●並木のある坂道

茂、来て上りかけて止る。
季代、少しおくれて来て、並んで止る。
茂「(おりて、自転車押す)」
季代「茂」
茂「(止る)」
季代「(おりて、自転車を押して茂に並び)レストランで食べたいっていったの、
思い出のつもりだった?」
茂「(なんだかツーンと来て、返事が出来ず口をとがらせて、うつむく)」
季代「気がつかなかった」
茂「(急にこみ上げてべそをかく)」
季代「鈍感でごめんね。そうだよね、別れちゃうかもしれないんだもの、
レストランぐらい、行きたかったよね」(P41)


このとき3人の青年が坂を下りてくる。姉弟をカップルだと思い冷やかす。
茂は姉さんだと言い、青年たちに殴りかかろうとする。
青年たちは気のよい若者で喧嘩をするつもりはない。悪かったとあやまる。
なおも茂は殴りかかろうとするものの、季代につかまれてとめられる。
茂、泣いている――。
とてもいいシーンだと思う。ツーンと来る、というところがいい。ほんとうに、いい。
引越の前日、大学受験をひかえている季代は決意する。

季代「ためすの、私」
茂「なにを?」
季代「今までわりと幸せだったじゃない。自分がどのくらい強いのか、
それとも弱いのか、分らなかったから、どんな風かためしたいの」
茂「受験じゃねえか。そんな時――」
季代「緊張していいわよ。ちょっといいじゃない。親が別れて、
急にバラバラになるなんて、そんなこと、自分に起ると思ってなかった。
格好よく生きよう」
茂「――」
季代「面白がっちゃおう」
茂「明日だけで引越しなんか出来んのかよ(と泣きたい気がして、廊下へ。
バタンとドアを閉める)」(P64)


少年少女は恋をする。姉弟はそれぞれ胸に思う異性がいる。
弟の茂が好きなのは、3歳年上のレンタルビデオ店員の比呂子。
高校を卒業して上京。いまひとり暮らしをしている。
一風変わった女性で、茂と彼女はひょんなことから知り合った。
彼女の部屋でふたりは握手している。比呂子が手を握ってくれと頼んだのである。
もっと強くという。痛いくらいでいいという。

比呂子「痛くていいんだもの。痛いと消えるの」
茂「なにが?」
比呂子「フフ(と苦笑)」
茂「なにが消えるの?」
比呂子「不安(いってちょっと照れる)」
茂「フアン?」
比呂子「聞き返さないで」
茂「フアンて、心配とか、そういう不安?」
比呂子「――(うなずく)」
茂「なんか心配なわけ?」
比呂子「(真面目な顔で)全部」
茂「全部って?」
比呂子「そういうこと、家族と一緒だとないのかな?」
茂「どういうこと?」
比呂子「栃木から出て来て、こうやって一人で暮してると、時々来るのよ」
茂「なにが?」
比呂子「不安が――」
茂「へえ」
比呂子「私なんか、いいお嫁さんとかになりそうもないし、
なにか才能があるわけじゃないし、すごくいい女ってわけじゃないし、
なんにもないんだよね」
茂「(うなずく)」
比呂子「お金もないし、これ以上いいアパートで暮せそうもないし、
いい仕事につけそうもないし、恋人出来そうもないし臆病だし(一気にいう)」
茂「――」
比呂子「臆病なの」
茂「ほんとに?」
比呂子「男って、大抵私より大きいし、勝手、みたいだし、
うっかり気を許すと、ヅカヅカ踏みこんで来る気がするし、
もうちょっとのところで、つきはなしたりしちゃうんだよね」
茂「へえ(と小さく)」
比呂子「時々、自分て、誰とも関係がないって気がして、ひとりだなあって気がして、
未来も、なんにもいいことがないって気がして、
この辺(ミゾオチ)がへっこんじゃうように不安になるんだよね」
茂「(うなずく)」
比呂子「そういう時、誰かにギューッて抱きしめてもらえば、
きっと、少し安心なんだろうけど、そういう人いないから」
茂「(うなずく)」
比呂子「手、握って貰ったの」(P94)


茂は比呂子に振り回される。あるときには身を売るという。
体でも売らなきゃこの境遇から脱け出せないと思ったというのである。
どうせ結婚したところで、いまよりちょっと広いだけの汚いアパート生活。
ドーンと生活を変えるにはこうするほかない。茂は必死でとめる。
理由を問う比呂子に茂は答えることができない。嫌だとしかいえない。

比呂子「だったら、どうなるのよ? どうぬけ出せるのよ?
(自分の腕をこするようにして)こんな若くて、
裸になればよだれ流す男いっぱいいるのに、それ使わないで、
この部屋にジーッとしてて、あの店で一時間七百円稼いで、
年とるの、ほっとけっていうの」
茂「――」
比呂子「ビール、のんでく?」
茂「――」
比呂子「未成年だから駄目だなんていわないでよね、子供」
茂「いわねえよ(はじめてスニーカーを脱ぎ、大人ぶって、冷蔵庫をあけ、
ビールを出して、ドンと畳に置く)」(P108)


また別の日――。山田太一はなんでもないシーンを描くのがことさらうまい。
ありきたりな風景のすばらしさを我われに再認識させてくれる。
脚本家はともすればなにか「ある」ことを書きがちである。
だが、山田太一は意識してなにも「ない」風景を描写せんと努める。

●ビデオショップ・店内

茂「(ドアから入って来る)」
比呂子「いらっしゃいませ(と頭を上げる)」
茂「(ニコッとうなずく)」
誰も客はいない。
比呂子「今日は十時までだもの(とどこか心細げな声)」
茂「知ってるさ(とテープの棚を見て歩く)」
比呂子「テープ?」
茂「そうじゃねえよ(と棚を見て歩く)」
比呂子「じゃ、なに?」
茂「いいだろ」
比呂子「用?」
茂「ただ来たっていいだろ」
比呂子「そりゃいいけど、今日は駄目だから」
茂「分ってるよ」
比呂子「――」
茂「(テープをしまい、他のをとる)」
比呂子「フフ、ほんと。ただ、来たわけよね」
茂「(テープをしまう)」
比呂子「フフ、私、いま、瞬間、ひっどく落ち込んでたの。
だから、どうして来たんだろって思っちゃって」
茂「まいったな(とテープ見て行く)」
比呂子「私の顔見に来たんだ?」
茂「顔ってわけじゃないけど」
比呂子「私に逢いに来たんだ」
茂「いうかな、そういうこと」
比呂子「フフ、でもこういうのいいね。すっごく救いになる」
茂「(苦笑)」
比呂子「こっち見て」
茂「――」
比呂子「見て」
茂「なによ?(と見る。すぐ目を伏せる)」
比呂子「いいね。用じゃなくて、ただ逢いに来る人がいるって、
こんなにいいと思わなかった(と嬉しい)」
茂「大きいよ、声が(と照れて、テープをしまう)」
比呂子「今度さ(とひとりで盛り上って)キスとか、
いろんなこと、いっぱいさせてあげるね(大学生らしい四人入って来る)
いらっしゃいませ、いらっしゃいませ」(P152)


姉の季代も片思いをしている。相手はひとつ年上の大学生、高杉。
季代の高校の先輩だった。去年、高校を卒業した。
ちょっと不良がかっている。
顔がいいのだが、本人も自覚していて少し嫌味だと季代は思う。
けれども、高杉の魅力にはあらがうことができない。
高杉は後輩から好かれているのを知っているが、いまのところ手を出していない。
後輩の男子が季代に熱をあげているのを知っているからである。
根っからの悪人ではないのだ。
ふたりは偶然出逢って話をしている――。

季代「時々、勉強、ほったらかして、読んでます」
高杉「なにを?」
季代「なにをって下さった本――」
高杉「ロシュフコオ?」
季代「はい」
高杉「返して貰おうかな」
季代「どうして?」
高杉「勉強の邪魔になっちゃ悪いだろ」
季代「いいんです。そんなに夢中ってわけじゃないですから」
高杉「ならいいけど」
季代「今、ひっかかってる言葉が二つくらいあります」
高杉「そう」
季代「人間は――」
高杉「うん」
季代「独りでいても淋しくないという自慢をする。なぜだろう?」
高杉「そんなの、あったかな」
季代「時々、このごろ、その言葉、浮ぶんです。
なぜ独りでいても淋しくないなんてことが自慢になるんだろうって」
高杉「お父さんと二人だっけ?」
季代「そういうことは関係ないけど――」
高杉「もう一つは?」
季代「え?」
高杉「ひっかかってる言葉が、二つあるっていった」
季代「そうですね。ほんとは、もっともっとあるんだけど、
時々、自分にいいきかしてる言葉があるんです」
高杉「なに?」
季代「自惚(うぬぼ)れがなかったら、人生はつらいばかりだ」
高杉「――」
季代「ほんとにそうだなあ、と思って。
かまわないから、自惚れようって、よく思うんです。
自惚れなくなっちゃったら、ほんとにつらいな、と思って」
高杉「――」
季代「フフ、愚痴こぼしてるんじゃないんです。ただの話です。すいません」
高杉「ううん」
季代「のみにくい(と小さくいって缶コーヒーをちょっとのむ)」
高杉「フフ(とのむ)」(P205)


岩波文庫「箴言と考察」(ラ・ロシュフコオ)である。まったく山田太一さんは(笑)!
南野陽子に岩波文庫を読ませてしまうのである。
美少女が岩波文庫。くうう、ぞくぞくしますな。
離婚により崩壊した家族4人はそれぞれ恋をする。
父は研究室の助手と。母はバイト先のオーナーの弟が相手である。
その日は父も母もデートでそれぞれ家をあけている。
さて、姉弟の片思いはどうなったか。なんと比呂子と高杉がむすばれてしまったのである。
アイドルの南野陽子に失恋する役をふるのは、いかにも山田太一らしい。
姉は弟を問いつめる。あなたがなんかしたんじゃない?
高杉さんをあの子とくっつけたのは茂でしょう。
弟は否定する。「だって、あいつ好きだもの。好きな子、人におっつけるわけないだろう」
姉は弟もまた失恋したことを知る。
かつて家族4人が暮した家の居間に姉弟はへばったように座りこんでいる。

季代「(ぽつりと)茂」
茂「うん?」
季代「結局――」
茂「うん?」
季代「二人して、失恋したわけね」
茂「――うん」
季代「なんなんだ?」
茂「うん?」
季代「そんなに程度悪いかな?」
茂「そんなことないよ」
季代「だって、比呂子って子、選んだのよ。あの子の方がいい?」
茂「姉さんの方がいいさ」
季代「茂だって好きになったくせに」
茂「そっちは姉さんだろ。姉弟じゃよくたって仕様がねえもん」
季代「そうだけど」
茂「姉さんの方がいいさ」
季代「――」
茂「あんな奴、どうってことねえよ」
季代「そうよね。高杉さんだって、どうってことないわ」
茂「見る目がねえんだよ」
季代「そうなのよ。趣味悪いのよ」
茂「悪い同士はくっつきゃいいんだよ」
季代「茂の方が余程魅力あるわよ」
茂「姉さんの方が、どれだけいいか分んねえよ」
はずみで盛り上って、黙ってしまう。
季代「なにいってるんだ? 二人で(と淋しくいう)」
茂「ほんとだもん(とぼそりという)」
季代「お母さん、何処いっちゃったのよ?」
茂「うん」
季代「うんと、我儘(わがまま)いいたくなって来たのに(と泣きたくなる)」
茂「俺にいえよ。なんでもしてやるよ」
季代「(泣くまいとして、笑顔をつくろうとしてつくれず、冗談のつもりで)
豚にでもなれ。ヘヘ、フフ(と泣き笑い)」
茂「(豚の顔をつくり)ブーブー、ガーガー、ブーブー(と騒ぐ)」
季代「(泣きたいけど笑っている)」
茂「ブーブーブーブー」
二人して泣いてしまう(P244)


人間は幸せを夢見る。けれども、そううまくはいきやしない。
泣くしかない。泣くしかないのだが、いっしょに泣いてくれるものがいたら少しはましだ。
少しはというが、人間にはこの程度のことしかできない。
いっしょに泣くくらいが人間が他者になしうる限界だ。
とはいえ、これはやはり偉大なことではないだろうか。いっしょに泣く。
相手のことを心底から思う。自分のことを思ってくれる他者がこの世に存在する。
それはちょっとしたことだけれども、人間にとってほんとうに大きな救いではないだろうか。
時には、そう、「時にはいっしょに」――。
最終回で家族4人が顔をつき合わせる。ランチを食べようというのである。
むろん、両親のよりが戻ったというわけではない。
結局、父の恋愛も、母のほうの関係も、ままならず終わってしまったのである。
いうなれば、家族4人全員が失恋したのかもしれない。
人間は孤独である。だれかといっしょにいたいのは自然なことである。
だったら、たまになら、こうしてかつて家族だったものが集うのもいいのではないか。
そういう家族関係があってもいいのではないか。
これからどんどん人間は孤独になってゆく。離婚は増えるだろう。
親子の関係も疎遠になってゆくと思われる。時代の流れだから仕方がない。
けれども、「時にはいっしょに」――。

私事になるが、山田太一ドラマの1クールものはこれで終わりである。
(「ふぞろいの林檎たち」が残っているが、一部再読になるため除外)
「時にはいっしょに」はとくに代表作というわけでもなく、ほとんど期待していなかった。
ところが、嬉しい誤算で山田太一ドラマのなかでもベスト5に入る傑作であった。
「岸辺のアルバム」や「男たちの旅路」のようなものはむろん名作だが、
「想い出づくり」や「時にはいっしょに」のような(テーマが)軽めの作品もすばらしい。
かえって、軽めのドラマのほうが山田太一の味がよく出ているようにも思う。
「時にはいっしょに」はすっかりまいってしまった。
感想の書きようがないのである。おもしろいから読んでくださいとしか。
だが、絶版のものだしシナリオはあまり好まれない。
ならと思い、引用を多くした。
書き写しながらぞくぞく身震いしたものである。
涙ぐみながら、いいな、いいだろ、となにものかに語りかけたくて仕方がなかった。
このよさが読み手に伝わればいいと期待しているが、
一部抜粋のため書き手のねらったほどの効果はないかもしれない。
もし退屈でしたら、それは山田太一が悪いというのではない。
すべてわたしの紹介のまずさが原因です。作者と読者にお詫びします。
「ストリンドベルィ」(アトス・ヴィルターネン/宇津井恵正訳/理想社)絶版

→ドイツ人によるストリンドベリの評伝。著者がどんな人物なのかは不明。
おそらく学者だろう。ほとばしる才気といったものは感じないが、
それがかえって本書においては幸いしている。
著者はストリンドベリの自伝や関係者の証言に誠実に依拠し、
可能なかぎり正確なスウェーデン文豪の全体像を描こうと努めている。
邦訳されたストリンドベリの研究書は極めて少ないため本書は貴重な資料である。
この記事では本書の流儀にならい事実の紹介を中心にしたい。
日本に10人いるかわからないストリンドベリ・マニアのための仕事である。
(ちなみに宇津井恵正の翻訳は手抜きというほかなく、
ストリンドベリへの愛情がまったく感じられない)

ストリンドベリは青年期を回想して、
かれの人生を決定づけたふたつの根本法則を認める。
ひとつは「疑い」である。かれはあらゆる思想を批判した。
そのうえで独自の思想を発展させた。あるいは複数の思想を組み合わせた。
もうひとつの根本原則は、「圧制に対する敏感さ」である。
圧制とは既存の権威のことだと思う(ちゃんと訳せよ宇津井恵正!)。
権威を否定するためにストリンドベリのとった手段はふたつ。
自分自身の水準を高める。権威の高級ならざることを証明する(P18)。

ストリンドベリの表現活動は劇作からスタートした。
演劇界への最初のアプローチは、20歳のときドラマ劇場の俳優に応募したこと。
シラー「群盗」を読み熱狂し、主人公カールの役を熱望したのである(P20)。
*ストリンドベリは生涯「群盗」のカールを演じていたともいいうる。

作家35歳のおりフランスで出版した短編小説集「結婚」が瀆神罪を犯すとして起訴される。
該当箇所は以下であるらしい。めったにないほどのひどい翻訳だが引用する。
(日本語障害者・宇津井はストリンドベリのドイツ語訳を日本語に訳している)

「そして春には彼は堅信礼を受けた。支配階級が労働階級に、
後者が前者のすることにかかわりあうことがないようにと、
キリストの屍と言葉にかけて宣誓させるこの戦慄すべき出来事は
長く彼の心にのこった。
千八百年前に処刑された人民の煽動者であるナザレのイエスの血だ肉だといって、
牧師の手で手渡される一かん六十五エーレの安ぶどう酒や、
一ポンド一クローネのレットストレームのとうもろこしの聖餅をつかって
まるめられる嘘八百はまったく彼の意識には上らなかった。
なぜならその頃は、世の人の常として深く考えないで、
むしろ≪雰囲気≫に身をあずけたからだ」(P89)


この文章を教会から告発されたことがきっかけで、ストリンドベリは被害妄想を発症する。
作家の被害妄想的態度は死ぬまで継続する。
そう考えると、この一節が全生涯の災厄のたねになったともいえるのかもしれない。

世界最大の女性嫌悪小説「痴人の告白」で、
ストリンドベリは最初の妻の不貞を告発・弾劾している。ふたりは離婚するにいたる。
後年、この夫婦の長女が語っている。

「あたしの母はその夫と喜びや悲しみをともにした時代を
何年も後になって回想しますごとに、だまってひとり泣いていました」(P98)


芸術にはつねに犠牲が供せられなければならないのだろうか。
「青書」に、晩年のストリンドベリがこの元妻と再会したくだりが書かれている(P219)。
芸術家は元夫人へのひどい仕打ちをまったく反省していなかった。

ストリンドベリが3度目の結婚をしたときのプロポーズの言葉が残っている。
3番目の妻ハリエット・ボッセはこう回想する。

「彼(ストリンドベリ)は、生活にはいかに苛酷かつ非情な目にあわせられているか、
いかに彼が光輝、つまり彼と人類や女性自体とを和解させてくれるような
女に憧れているかを語りました。それから彼は手を私の両肩にのせ、
私を深々とあたたかく見つめて質問しました。
≪あなたは私と赤ん坊を共有したくありませんか。ボッセ嬢。≫
私は膝をまげて会釈し、完全に催眠術にかかって答えました。
≪そう致したいのです。≫こうして私たちは婚約したのです」(P60)


いつか真似をしてみたいと思う。なあ、おれと赤ちゃんつくらんか?

いくつかの作品にまつわる話――。
大傑作「死の舞踏」は、姉妹のひとりの結婚生活をモデルにしたとのこと。
校長をしていた旦那は激怒してストリンドベリへ絶交を告げる。
といっても、後年、交際は復活したらしい(P158)。
この義兄弟が死んだのちにストリンドベリはつぐないとして作品を創作した。
晩年の大作「黒旗」もまた同様にストリンドベリの人間関係を破綻せしめる。
急進派からも保守派からも認められず、
一部の崇拝者をのぞいてまわりは敵だらけになったという(P148、P165)。
「黒旗」に描かれた悪魔思想と絶縁するために書かれたのが「青書」である。
「青書」は神秘主義思想家のスヴェーデンボリに捧げられている。
ストリンドベリにこの思想家をすすめたのは2番目の妻の母である。
烈しい精神病の渦中にいたストリンドベリはスヴェーデンボリに救済を見いだす。
かれは自伝小説「地獄」にこう記している。

「この瞬間から僕はスウェーデンボルィに鼓舞されて、
自分はヨブだ、実直で非のうちどころのない男だ、
誠実な男が不当に加えられた苦しみを耐え得るのを悪人ばらに見せつけるために
神によって痛めつけられているのだと思いこんだ」(P53)


壮大な被害妄想が創作のみなもとなのかもしれない。
余談だが、あれほどの地位と収入を獲得した稀有な果報者、
日本のカトリック作家・遠藤周作もまた、
最晩年の病床日記でみずからをヨブにたとえている。
ストリンドベリのこの記述を考えるうえで興味深い。

作家はどのように作品を創造するか。いちばん知りたいのはこれである。
ストリンドベリ研究はわたしの仕事ではない。
ストリンドベリはどのようにして名作の数々を執筆したのか。最大関心事である。
作家はみずからの生活を「地獄」に書きとめている。
作家は眠る。朝を待つのだ――。

「しらふですごした晩とたっぷり眠った夜があけて、
朝になりベットから起きると、生きること自体が楽しくなる。
なんだか死者たちのなかからよみがえる気がする。
全精神力が新たにかたちづくられ、
眠ってかちえた力は何層倍にもなったように思われる。
すると何だか、血気にまかせて世界の秩序を変革し、諸国民の運命を制し、
戦争を宣言し、王朝を廃することができるようなつもりになる」(P150)


激烈な躁病傾向と誇大妄想、恐れを知らぬ全能感を作家が有していたことがわかる。
ストリンドベリは早朝の散歩を日課としていた(P42)。
この散歩のあいだに脳内に沸き立つ思考を整理するのだという。
さあ、仕事の時間である。

「それから帰宅して書きもの机を前にすると、私は生気がでてくる。
私が戸外であつめた力は、不調和という切替え開閉器によるのであれ、
調和という整流器によるのであれ、今や私のいろいろな目的に役だつ。
私は生気をたぎらす。私が描くすべての人々の生活を私は多様に生きる。
陽気な物とともに陽気になり、悪人とともに悪くなり、善人とともに善良になる。
私自身という人物からぬけだし、子供の口調、婦人の口調、老人の口調でかたる。
私は王になり乞食になり、高官になり暴君になり、
また最も軽蔑されるものになり、しいたげられた暴君の敵になる。
私はあらゆる見解をもち、あらゆる宗教を奉ずる。
あらゆる時勢に生き、みずからは存在することをやめてしまう。
これはいうにいわれない幸福をあたえる状態だ」(P150)


創作のえもいわれぬ快楽をこうも赤裸々に告白する文章はめずらしい。
ストリンドベリは不幸の人である。
かの偉人の生涯は不幸の連続だった。安息するいとまもなかった。
ストリンドベリは周囲の人間を不幸にし、そのことで自身も不幸になった。
他者と自己をやむことなく苛(さいな)みつづけた。
だが、ストリンドベリは幸福であった。
ものを書いているあいだだけはストリンドベリは幸福の絶頂にいられた。
この(創作の)幸福のために(実生活の)不幸が必要とされたのではないか。
「貸と借」はストリンドベリの手による一幕劇の表題である。
人生の採算および貸借関係を作家はよく問題にした。
みずからをヨブにまで擬したストリンドベリの膨大な不幸は、
人生を合算するとあんがい幸福と帳尻が合っているのかもしれない。
芸術創作という過程においてのみ不幸は幸福に変質しうる。
我われがストリンドベリの壮絶な人生から学びうる真理のひとつである。
「青書」(ストリンドベーリ/宮原晃一郎訳/日月書院)絶版

→ストリンドベリ最晩年の随想集、箴言集。
日本の読者には山本周五郎が愛読した「青巻」としてもっぱら知られている。
書誌的な情報を記しておくと「青書」と「青巻」は同一書物の日本語訳。
「青書」の翻訳のほうがより新しい(とはいえ昭和18年だが)。
どちらも英語からの重訳で、なおかつ原書の全訳ではない。
だが「青書」のほうが「青巻」よりも収録している内容が多い。
大衆作家・山本周五郎青年期の愛読書ということで
探し求めているかたがネットで散見されたが、
山本周五郎への興味から読むのならあまり得るものはないように思う。

訳者の宮原晃一郎は本書を「一大奇書」と評しているが言い得て妙である。
発表当初から「狂人の戯言(たわごと)」ではないかと冷笑するものも少なくなかった。
ストリンドベリは極端な性格の持ち主であった。
「われに自由を与えよ、しからずんば死を!」とはシラー「群盗」のなかのせりふだが、
青年ストリンドベリはこの劇作に感銘を受けて演劇界に入る決意を固めている。
ストリンドベリの生涯を概観すると、
この作家は青年期から一貫して二者択一の両極端な人生態度を好む。
ストリンドベリの愛したゲーテやシラーはたしかに劇を書いた。
だが、ドイツ文豪にとって劇はあくまでも書くものに過ぎなかった。
ところがストリンドベリにいたって、
劇は書くのみならず、そのただなかを生きるものになった。
「全か無か」は劇中人物が悩まされる究極的な問いのひとつだが、
ストリンドベリは実人生でこの二者択一を闘い抜いたといえよう。

凡人には測りがたき天才によると、
どうやら万物において両極端は最短距離で通じているようである。
生の歓喜の瞬間に人間は空虚から死を思う。
そして、死に直面した絶望の淵に人間は生の芽吹きを見て取る。
究極の愛とは、烈しい憎悪にほかならぬ。
狂人とは最高の賢人、すなわち天才のことである。
狂熱地獄に焼かれながら老ストリンドベリは
正常人には断じて見えぬまったき真実に直面する。
この真実が「青書」の内容である。
猜疑心の異常なほど強いストリンドベリは
世界全体をあらゆる学問的見地から疑ったのである。
行き着いた結論はなんだっかた。全無であった。なにもかも無であった。
このときストリンドベリは有頂天になったに相違ない。
なぜなら熱愛は憎悪だからである。天才は狂人だからである。苦悶こそ愉悦だからである。
世界において生は死で、死は生であるからである。
これらの事実はストリンドベリ自身が実人生の狂熱でまざまざと経験したことである。
ならば諸君! 
全無が証明されたとき、とうとう全有が明らかになったと考えられはしないか!
神はどこにもいなかった! ならば、全能の神があらゆるところに遍在している!
天にまします我らの父よ、あなたの膨張した男根は、甘露のごとき白濁天水を撒き散らす! 

きみは論理が通じぬと言うか?
あわれな凡愚よ! ストリンドベリは幸福の絶頂から哄笑する!
繰り返すが、両極端は通じているのである。
「われに自由を与えよ、しからずんば死を!」と「群盗」の青年カアルは神に訴えた。
蒙昧なる人間の嘆きである。
老ストリンドベリは苦闘のすえ人間を超えたのである。
青年よ、完全な自由とは死にほかならぬではないか!
自由か死かではない。自由は死なのである。全か無かではない。全は無なのである。
人生は二者択一ではなかった! 
この美しい統合がきみには見えぬというのか? 人生の完全美が!?
愚かなきみはストリンドベリを狂人とあざわらうか?
なぜ超えぬ? 人間を超越せよ! 
統合は失調などしておらぬ! ああ、完全無比なる統合の美しさよ!

人生に偶然などないのである。すべては必然であった。
笑いがとまらぬ。ならば、すべて偶然ということになるのだから。
人間に自由などあるもんか。すべては決められている。死だ。死は自由だ。きみは自由だ。
だから自由人は森羅万象に感動するのである。

「偶然だ! 実に恐ろしい偶然だ! これには私もやられた!」(P350)

「青書」は読者をしてかように狂わしめる危険性がある。
読書ちゅう二度ほど目まいがして、重度の不眠症のわたしがその場で眠り込んでしまった。
そのときに見た悪夢は吐き気をもよおすほどひどいものであった。
「青書」には読解不能の部分が多数ある。
おそらくこの箇所が読者をおかしくさせるのだと思われる。

いまから我われ凡人でも理解できるところを、いくつか引用する。
一般的には、ストリンドベリは「青書」で無神論者から神秘主義者に転じたとされている。
常識人のつまらぬ評言だが、念のためみなさまにお伝えしておく。

「青書」は先生と弟子の問答形式で進行する。
まず人間世界はいかなるものか。先生は語った――。

「此世は生きて行くのに難しいものだ。そして人の運命は様々である。
或者の運命は朗かであり、他の者のそれは暗い。
だから人は如何に人生を処すべきか、何を信ずべきか、如何に行動すべきか、
如何なる見解をもち、どの党派へ仕へようかといふことを知るのは容易でない。
此の運命は避け難い盲目の宿命ではなくて、
人各々に割当てられた任務、為さざるを得ない罪科である。
神智学派は是を業とよんで、
我々が只漠然と記憶する過去と関係するものと見てゐる。
早くその運命を発見して、緊密にこれに寄り縋り、自己の運命を他と比較せず、
他の善き運命を猜まない者は、己れを発見したもので、
人世を安らかに送るであらう」(P66)


人間は運命とどう向きあうべきか。先生は言葉をついだ――。

「或者は名誉と黄金とを、他の者は只名誉だけを、
更に又他の者は単に黄金だけを獲るやうに生れついてゐる。
多数の者は屈辱、貧困、又は病弱に生れついてゐる。
所謂、貨幣の極印が打つてあるのだ。
人は各々その運命を和らぐるには、自己を屈し適応すること――
要するに諦めることによつて、これを為すことができる。
それによつて獲られる内心の悦びは一切の外部の繁栄にまさつてゐる。
この結果貧者、病者が、富者、強者に羨まれることにもなる。
神に仕へる者は、一切を最も善きことに用ひ、名誉と黄金とに憧れないもの、
何ものも犯し難い、或意味に於ての全能者である」(P67)


あきらめちまえば楽ちんさ、である。だが、あきらめきれぬときがある。

「一番辛いことは世の中に不義の存在を見ることである。
だが、それをひとつの試練と見ることによつて堪へ忍ぶことが出来る。
よしや悪人が栄えようとも、そのままに任せて置くがよい。
我々の関つたことではない。
又その繁栄は、仔細に見れば、それほど大したものではない。
よしや君が不幸に悩まさるるとも、良心がそれを当然と認めないなら、
安んじてそれを受け、試練に堪へることを誇りとし給へ。
必ずや善き日がめぐつて来るであらう。其の時、君は不運は善い事で、
少なくとも、君の忍耐力を試むべき好機会であつたことを発見するだらう。
誰をも羨むな。君は羨まれる者がどんな日を送つてゐて、
どんなものを裏面に隠してゐるか知らないのだ。
それを取換へるとなつたら、君はきつと欲しくないと思ふものだらう」(P68)


まるでおみくじに書いてあるようなことだが。
これこそ老ストリンドベリがあまたの闘争を経たあとで獲得した真理なのである。
真理は国や時代を問わず一定ということなのかもしれない。
現代日本の「負け組」も謹聴すべき託宣だと思う。整理してみると――。
人間には恵まれたものと、そうではないものがいる。
これは前世が関係している。この運命ともいうべきものを速やかに発見しよう。
断じて自分の運命と他人のそれを比較してはならない。
さて運命にいかに堪えたらいいのか。あきらめるしかないのである。
だが、あきらめるのを妨害するものがいる。
自分よりも善行をなしたとは思えぬ「勝ち組」の存在である。
これは自分に課せられた試練と考えよう。放っておこう。
「勝ち組」がほんとうに幸せかわかったものでもない。
毎日の試練を堪えていたら、いつか「善き日」がめぐってくるはずである。
そのとき忍耐力がついたことをむしろ感謝しようではないか。
しかし堪えるのはやはり難しい。どうすれば忍耐することが可能になるのか。

「人が智慧を得て、その智慧によつて、
此の生命はさきの世まで続いてゐるといふ信仰を築くならば、
現世に於て忍ぶことが一層容易になり、
些細なことを骨折つて、追ひ求めることはなくなります。
そこでゲーテの言ふ、神々しい軽い心が持てます。
人はそれによつて、打たれても、罵られても、もはや何でもなくなります。
すべてが柔かに、滑かに進みます。周囲は如何ほど暗く見えようとも
自分だけは明るくて、希望の手燭を携へてゐるのです」(P149)


来世を信じよう、と主張しているのである。
来世のことを考えたら現世で忍耐することがさしたる苦痛ではなくなる。
お気づきのかたがいるかもしれないが、「青書」における人生訓は、
先日わたしが「負け薬」として書いたものと驚くべき類似を見せている。
「青書」を読んだのは「負け薬」を記したあとで奇妙な一致がふしぎである。
(わたしの前世はストリンドベリなんて言ったらキチガイだから言わないよん♪)
ある種の普遍的な苦悩の解決方法なのだと思う。

最後に山本周五郎を感動させた名言を引用する。
「青べか物語」にも採録されたものだが、あちらは「青巻」で訳文がいささか異なる。
「青書」巻末の数行である。

「祈れ、されど働け。苦しめ、望め。一眼は地に向け、他の眼を星辰に向けよ。
座して動かぬやうにしてはならぬ。此の世は只遍路である。
家居ではなくて、駅逓(えきてい)である。真理を求めよ、真理が世に在るが故に。
されど只、自ら道たり、真理たり、生命たる唯一の者に於て」(P411)


どんな聖人が口にしたせりふかと思うむきもあるかもしれないけれど、
あれだけ周囲をかきまわし迷惑をかけつづけた狂人ストリンドベリが深刻な物言いで、
上記のような説教をするのである。
一面「青書」のグロテスクが象徴されているとも言えよう。

(追記)「青書」のなかで人生訓はむしろ少ないほうである。
収録されている内容は多岐に渡る。毎度のごとくの女性嫌悪(P189、P198)。
シェイクスピア、メーテルリンクへの言及(P108、P110)。
宗教学、哲学に対する独自の見解(P212、P379)。
脳科学への疑問(P306)。ゾラ礼賛(P237)。
オカルト信仰(P259)。シンクロニシティ体験(P280)。インド思想(P298)。劇作法(P365)。
印象に残ったところも少なくないが長くなったのですべて割愛する。
6月末日、近所のブックオフへ本をもらいに行く。
お買い物券を150円分所持していたのである。
改装オープンしたときに3300円ほど本を買ったのは以前に書いたとおり。
このときサービス券がついてきたのだ。
千円買うごとに50円分のサービス券が……というやつである。
といっても使用期限があって6月いっぱい。
この日使わなかったらただの紙くずになってしまう。

お買い物♪ お買い物♪ と即興で自作したソングを奏でながらブックオフ入店。
ブックオフを考えた人はあたまがいいと思う。
だれもがうすうす気づきながら、それでも公言はできない事実を根拠として、
新しい古本商法を考えついたのだから。
その事実とは、なんのことはない。

ほとんどの書籍は一度読まれるとゴミになる!

おそらくブックオフ創業者は読書家ではなかったはずである。
くわえて知的コンプレックスもなかったのではないか。
だから、中古の本などゴミに過ぎぬと看破できたのである。
ゴミならば、ただでもらっても構わない。
こうして恐ろしいほどの安価で古本を買い取るマニュアルがつくられた。
古本など重宝するのはバカである。ひとたび新刊書店を離れた書籍などゴミに過ぎぬ。
ブックオフを生みだした思想である。
いまわたしはゴミをただでもらおうとしている。まるで乞食である。

「夢か現か」(高井有一/筑摩書房)
「儒教の本」(学研)


サービス券をさしだすと、求められたのはわずか60円!
店員さんはこんなわたしを見くだすこともなくマニュアルどおりの接客。
ブックオフはすばらしいと改めて思う。

はじめてのブックオフは5年前の町田であった。
スーパークリエイターにして創価二世の工藤伸一氏からすすめられたのである。
2ちゃんねる文学板でのことである。
ぜひぜひブックオフ町田店へあなたは行くべきだ。
わたしの古本初体験である。これをビギナーズラックというのだろうか。
ブックオフ町田店でずっとほしかった本を105円で買えてしまったのである。
別冊宝島の「となりの創価学会」である。
これは存在を知ったときから読みたくて仕方がなく(とはいえ絶版)、
1冊でも在庫がないか出版社まで電話して問い合わせたものである。
ない、とあっさり片付けられたが。
それがブックオフではたったの105円で売られている!
ブックオフ中毒になったのはこのときである。
余談だが、この入手困難の「となりの創価学会」が先ごろついに文庫化されたとのこと。
良書なので興味のあるかたはぜひこの機会にご購入ください。

わたしは大学でなにかを学んだという記憶がない。
もしわたしに幾ばくかの知識があるとすれば、
それらはすべてブックオフと2ちゃんねる文学板から学んだことなのだと思う。
最終学歴に記入したいくらいである。
たまに人気ブログというものを拝見することがある。
過日著書を読んだライターさんの経歴にも人気ブログを運営しているとあったので、
どんなものかと見にいった。
毎度のことながら、いわゆる人気ブログのどこがおもしろいのかまるでわからない。
いったいどんな人間に人気があるのだろう。
もっとも、わたしはブログをわかっていないのだと思う。
なぜなら人気ブログを書籍と比べているからである。
どの人気ブログも本と比べたらつまらないと言っているに過ぎぬ。
ブログをブログとして評価していないのである。
とはいえ、ブログの見かたなぞ学んだことはない。教えてくれるものもいない。
人気ブログのすばらしさをわからないゆえんである。
おそらく書物の読み手とは住んでいるところの違う、
ブログ専門愛読者という人種が存在するのだろう。ブログは読むが本は読まぬ。

うちがダメな理由はいくつか知っている。まず殺風景である。
しかし写真のとりこみかたがいまいちよくわからないのだ。
それから長文が多い。これも嫌われるブログの典型かもしれない。
そうそう、いい機会だから説明しておこう。
どうして「本の山」はお友達リンクがないのか。
断じて孤高を気取っているわけではないのである。
もっぱら実際上の問題だ。うちのブログの読者にはキチガイがいる。
リンクをはるとわざわざそこを訪問していろいろ悪さをするのである(経験あり)。
リンク先に迷惑をかけてしまう。
だから、リンクをはらないようにしている。
リアルでは極めて友人知人が少ないため、
せめてバーチャルの世界ではずらりとリンクを並べたいものだが、
そういうわけで願いかなわずである。

(追記)関係ないが(あるのか)、相互リンクをお願いしますと頼まれたことが一度もない。
いや、依頼されても事情を話して断わざるをえないのだが。
先日、ある新書を読んだら愚書からの引用に満ちているので驚いた。
タイトルをネットで検索してみると、「献本ありがとう」と書かれたブログを多数見つける。
フリーライターの著者がお仲間に配ってまわったらしい。
ブログで宣伝してもらえば元は取れるとふんだのだろうか。
もらった本をけなす人間はめったにいないだろうから安全な投資である。

愚書が愚書を生むという悪循環があるように思う。
愚書を読んでこの程度で構わないのかと思ったものが愚書を書くようになる。
ノンフィクションでもフィクションでもいえることである。
もっともむかしから良書と愚書の比率は変わらないというのがあんがい正解かもしれない。
いや、かつて本を1冊世に出すことは、
いまよりたいへんなことだったのではないか、とも思う。

「いけない子だな。こんなぐしょぐしょにしちゃって」
「いやん、恥ずかしい。見ないで」