この日、近所のブックオフがリニューアルオープンをするというので、
たいした期待もせずに訪問。店内改装をあいだにはさんだ1週間ぶりの入店である。
閉店前は全書籍半額でだいぶお世話になった。
なんでもオーナーが変わるのだとか。
フランチャイズのオーナーが降りて(赤字だったんだろうな)直営店になる。
もしくは、関連会社あつかいになる。
ともあれ、いままでの投げやりな経営ではなくなるということである。
それでも所詮は田舎のブックオフ。まったく期待していなかった。
店のまえでバイトが割引券を配っている。
やる気満々じゃないか。まったく雰囲気が変わっているので驚く。
割引券は50円の金券。わずか50円でも得をすると嬉しい。
パチンコは一度もやったことがないが、
かの賭博場に足を踏み入れる心持はもしかしたらこれに似たものがあるのかもしれない。
そんなことを思いながら、心底流れる軍艦マーチとともに入店。
やられたと思う。こんなことがあるのか。いや、これが古本の世界なのである。
ほんの数日前、ネット通販で買った山田太一のシナリオが105円で売られている。
「夕陽をあびて」。わたしはこの本を1000円近く支払って買ったのだった。
古本歴は5年になる。ひまにまかせて無数の古書市、古本屋に足を運んだが、
この「夕陽をあびて」は一度もお目にかかったことがなかった。
だから、わざわざ送料まで負担してネットで購入したのである。
それなのにわずか数日後にブックオフで出逢ってしまう――。
繰り返すが、これが古本なのである。古書はときに人間以上にドラマチックだ。
買ってしまおうかと思ったが、2冊あっても仕方がないので放流。
しかし、怒り心頭だったのは、わずかな時間である。
というのも――。この日、わたしは大勝ちしたのである。
結局、この店だけで32冊もの書籍を購入した。
おそらくこれだけ大量の本をひとつの店舗から買ったのはこれがはじめてだろう。
近所でなかったら、たぶん持ち帰ることができなかったはずである。重かった。
32冊だ。合計3360円。50円の割引券で3310円。
ブックオフでは3000円ちょいで、これだけの書物を仕入れることができるのである。
店員の声出しが以前の10倍でとてもうるさかったが、
たいへん満足できる買い物であった。以下に詳細を記す。
これを見たらみなさまもブックオフに行きたくなること必定。
「図解雑学 宇宙論」(二間瀬敏史/ナツメ社)105円
「図解雑学 脳のしくみ」(岩田誠:監修/ナツメ社)105円
「図解雑学 マクロ経済学」(井掘利宏/ナツメ社)105円
「図解雑学 ミクロ経済学」(嶋村紘輝・横山将義/ナツメ社)105円
「図解雑学 株のしくみ」(寺尾淳/ナツメ社)105円
「図解雑学 ゲーム理論」(渡辺隆裕/ナツメ社)105円
「図解雑学 キリスト教」(挽地茂男/ナツメ社)105円
大好きな図解雑学シリーズがぞろり、みーんな105円。
キリスト教のは、定価で買おうかだいぶ迷った記憶がある。
すべて書き込みなしの美品。わたし、いい年をして、勉強に目覚めている。
けれども、年も年だから、わからない本はいっさい読みたくない。
図解雑学シリーズは、こんなわたしがかなり信頼しているもの。
「インド思想史」(東京大学出版会)105円
「禅の智恵」(学研)105円
「神道の本」(学研)105円
「無門関」(西村恵信:訳注/ワイド版岩波文庫)105円
「こだわりを捨てる 般若心経」(ひろさちや/中央公論新社)105円
「インド思想史」なんぞ定価は3400円!
読むまえに買うのからしてたいへんな本である。ブックオフさまさま。
最近、禅関連の本をよく買う。悟ろうとしているのかなボクちん(笑)。
「トランスパーソナル心理学」(岡野守也/青土社)105円
「日本文学史」(久保田淳:編/おうふう)105円
「3日でわかる古典文学」(大橋敦夫・西山秀人:監修/ダイヤモンド社)105円
「カラー版 西洋美術史」(高階秀爾:監修/美術出版社)105円
そうそう、「日本文学史」も定価で買おうか迷ったものだ。
日本の文学史を1冊で理解できる大人向けの本は意外と少ないのである。
恥ずかしいけど「3日でわかる」のほうも、あと少しで買うところだった。
「1年で600冊の本を読む方法」(井家上隆幸/ごま書房)絶版105円
「打たれづよくなるための読書術」(東郷雄二/ちくま新書)105円
本は買うだけじゃなく、読まないといけませんね。
「こころに効く小説の書き方」(三田誠広/光文社)絶版105円
「すぐに稼げる文章術」(日垣隆/幻冬舎新書)105円
「大人のための文章術」(清水義範/講談社現代新書)105円
「書きたい! 書けない!」(マリサ・デュバリ/別所里織訳/愛育社)105円
本は、買う読むのみならず、書くこともできる。
早稲田で三田さんの指導を受けて作家になろうと高校生のわたしは思ったのだった。
結局、大学で三田さんの授業はひとつも取らなかった(取れなかった?)。
これが現在の失敗のもとになっているのでしょうか。
最後の翻訳書は本場アメリカのシナリオ作法書。定価1800円。
こんなのぜったいに定価じゃ買えないもんね。
「鹿男あをによし」(万城目学/幻冬舎)105円
「博士の愛した数式」(小川洋子/新潮文庫)105円
「夜のピクニック」(恩田陸/新潮文庫)105円
売れている本も読まなきゃな〜。ふつうの人とわたしは正反対なんだ。
一般の読者が娯楽として読む本を、わたしは勉強としていやいや読む。
一般人が勉強のため張り切って読む書籍をわたしは娯楽として読む。
買ったけれど、読みたくないな。だけど、買わなきゃ読まないもんな。
「鹿男」の作者、プロフィールを見たらおない年だった。なにやってんだか、おれ……。
「ハノイの犬、バンコクの象、ガンガーの火、」(小林紀晴/幻冬舎文庫)絶版105円
「間違いだらけの海外旅行術」(西本健一郎/宝島新書)絶版105円
「アンコール・ワット 旅の雑学ノート」(樋口英夫/ダイヤモンド社)絶版105円
みどくつ先生(西本健一郎)の本を買ってしまいました……。
ほんとうに作家はたくさんいる。まぎれこめないものかしらん。
「もとの黙阿弥」(井上ひさし/文春文庫)絶版105円
「山頭火の虚像と実像」(上田都史/講談社)絶版105円
「自分探しが止まらない」(速水健朗/ソフトバンク新書)105円
「編集者という病い」(見城徹/大田出版)105円
そのためには編集者さまのご意向をうかがわなくては。
作家は読者と勝負するというのは建て前ではないか。
高学歴高収入にして自尊心も高い、出版社の編集者さまといかに付き合うか。
カリスマ編集者から幻冬舎社長に成り上がった見城徹から学びたい。
某月某日の「買った本の報告」。
早朝8時15分信濃町にある大学病院に到着。
この大雨。さすがに小生が一番だろうと思ったが、先んずるものあり。
二番手に甘んずる。医師、8時45分に診療室開放。
いつものことだが先生の笑顔には励まされる。
3分で診察終了。この日は風邪薬PL顆粒をもらったのが常ならぬこと。
以前頂戴したものを先だっての風邪で服用。
医者から処方される風邪薬ほど効能あるものなし。
次なる風邪に備え本日PL顆粒を所望したのはこのため。
医師いわく「頭痛に効くんだったんですよね」
記憶違い甚だし。小生、心配す。PL顆粒を頭痛止めに使うことあらんや。
適当に口裏を合わせ薬物を入手。医者が関心を持つのは患者ではなく疾病。
すべからく病者はこのことを知るべし。ならば、かの先生はまれなる良医なり。
薬品を受けとり失敗に気づく。痛み止めロキソニン3週間分処方されり。
小生の頭痛しばらく前に終了。ロキソニン不要。
だが、思い直す。友人に頭痛もちあり。このロキソニンを融通せん(薬事法違反)。
雨は激しくなるばかり。濡れ鼠でブックオフ新宿靖国通り店へ。
「ヨーガ・セラピー」(スワミ・クヴァラヤ−ナンダ/S.L.ヴィネ−カル/山田久仁子訳/春秋社)105円
「気分はいつもシェイクスピア」(小田島雄志/白水社)105円
「木下恵介伝 日本中を泣かせた映画監督」(三国隆三/展望社)105円
「偶然の恋人」(ドン・ルース/藤田真利子・伊東奈美子訳/愛育社)105円
世に決して文庫化されぬ書籍あり。このほうブックオフで買うべし。
まさか「買った本の報告」のなかで敗北を記す日が来るとは思いもよりませんでした。
ええ、たしかに、わたしはこの日、負けたのです。
長いこと敵視していた神保町の矢口書店に。
この古本屋は演劇シナリオ専門店として、また高額なことでも知られています。
この矢口書店で本を買わないことが「本の山」のプライドでした。
それが、あろうことか、とうとう、この古書店の軍門にくだったのです。
わたしは、あたかも俗物のえせインテリのごとく、
本にカネは惜しまぬと言わんばかりに、神保町の有名古書店で、
ワゴンではないものを棚から取りだし、主人のまえに突きだした――。
こんなことが軽々しく起こるはずがないのです。
少しまえから説明をしなければなりません。
週末恒例の小宮山書店ガレージセールで奇蹟が起こりました。
これは本の神様からの誕生日プレゼントだとわたしは思っています。
小宮山書店のガレージセールは3冊で500円。
正確には1冊でも2冊でも3冊でも500円。
古本初心者、神保町新参者は、まず小宮山書店のガレージセールをおすすめします。
本は読むものではなく買うものだということがわかるでしょうから。
この日のお買い物はというと。
「花の回廊」(宮本輝/新潮社)
「8月の果て」(柳美里/新潮社)
「ヤマトタケル」(梅原猛/講談社)絶版
宮本輝キター! です。「花の回廊」は去年7月の出版。
わたしは2000年から宮本輝の新刊はすべて単行本(定価)で購入しています。
やめたのは「にぎやかな天地」から。
おそらくかの大作家の作品を愚昧なわたしが理解していないのでしょうが、
宮本輝の説教がうざくなったのです。
先生のここ10年の小説は、ほとんど説教から出来ています。
どうしてこちらがカネを払ってまで説教されなければならないのかわからない。
たしかにサラリーマン。
上司は部下に呑み屋で説教するでしょうが、代金は上司が支払うもの、奢るもの。
どうしてこちらが奢っているのに説教されなければならないのか理解できない。
宮本輝先生の新刊を買わなくなった理由です。
ことに「花の回廊」は定価が2000円もする。
いまその書籍を、発売から1年も経たぬうちに激安価格で入手できるとは。
毎度のことながら、なぜかわたしは古本のヒキが異常なほどいいのです。
わたしという人間は、このくらいの買い物で、すっかりもう幸福になってしまいます。
それから有名古書店のワゴンを巡回する。
この古書街はたしかに概して高額ですが、店外のワゴンだけは例外です。
おっとっと。某古書店のワゴン――。100円だからとりあえず買っておこう。
「南回帰線」(ミラー/大久保康雄訳/河出書房新社版)絶版
「南回帰線」は講談社文芸文庫から新訳が出ていますが、評判はどうなのでしょうか。
とりあえず100円なら解説を読むだけでも元が取れます。購入した理由です。
演劇シナリオ専門古書店の矢口書店へおもむく。
この日も、言うまでもなく、買うつもりはなかったのです。
内心にやにやしながら店内の在庫と価格をチェックする。
優越感にひたるのが目的なのかもしません。
こんな高値がついている古書を、わたしは激安価格で買っている。
矢口書店で味わえる幸福とはこのことです。
「シナリオマガジン ドラマ」のバックナンバーで驚くことが。
山田太一作「タクシーサンバ」掲載号です。
この作品は山田太一もかなり思い入れがあるものだそうです。
「タクシーサンバ」掲載誌をはじめて見たのは、ところもおなじ矢口書店。
数年前だったと思います。2000円の価格がついていました。
ほしいけれども高い。迷いながら数日後に行ったら売り切れていました。
2回目に見たのは、ほんの10日ほどまえ。
このときは1400円でした、買おうかどうかだいぶ迷った。
しかし、状態がよくなかったのです。これで1400円は高い。
矢口書店に負けたくないという気持もありました。そして、この日。
宮本輝「花の回廊」を幸運にもバーゲン価格で入手した、この日――。
「ドラマ 1982年1月号」(映人社)品切れ 900円
これも決して美品ではありませんでした。だから900円なのでしょう。
あの「タクシーサンバ」を三桁で買うことができる。
だが、ここは矢口書店。
この古書店で買ってしまったら「本の山」の根幹が崩れてしまう。
物欲と自尊心の激しい交戦が繰り広げられました。
わたしは勝ちました。わたしは負けました。
2008年5月演劇シナリオ専門ブログ「本の山」、ついに矢口書店に屈する――。
「未成年」(ドストエフスキー/工藤精一郎訳/新潮世界文学14)絶版
→その日はわたしの誕生日であった。
長編小説「未成年」の感想を書こうと朝からパソコンのまえに座っていたが、
なにも思い浮かばなかった。
参考になるものがあればとネット検索を繰り返したが、ろくなものがない。
途中で読むのを挫折したという記述をよく目にしたことを憶えている。
このようなことはめずらしくなく、それでも3時間もうんうん唸っているうちに、
糸口のようなものを発見するのが常だった。
わたしの感想文の書きかたを紹介すると、こうである。
本を読みながらチラシの裏に気になったページと思ったことを走り書きする。
感想を書くときこのメモにしたがい再読すると、これらの点がおのずから線となるのだ。
だが、この日、何度も「未成年」を開いたが、
この大作をどのように切り取ればいいのかわからなかった。
6時間が経った。まだ1行も書けていない。
途中、干していた布団が風で飛ばされたのに気づき、あわてて階下まで取りに行った。
8時間経過。午後5時である。朝からなにも食べていないことに気づく。
せっかくの誕生日になにをやっているのかと自己嫌悪におちいる。
だれも祝ってくれるものもなく、ひとりパソコンとぶあつい文学書に向き合っている。
そのうえ読書感想文など書いても、一文の得にもならないのである。
こんなかび臭い古典作品の感想をだれも読もうとはしないだろう。
なにを悩んでいるのだ。苦しむ必要などないではないか。
べつにおまえが感想を書かなくたってだれも哀しみはしない。
書いたところで喜ぶものさえいない。いったいおまえは誕生日になにをしているのだ?
気晴らしにおもてへ出た。土手を散歩しようと思ったのだ。
歩くのが好きだ。ひとりで歩くのが好きである。唯一の趣味といってよいかもしれない。
夕暮れどきとはいえ5月の太陽はまだ高い。
道の両脇に生い茂る草花は陽の光を受けきらめいている。
春の輝きのなかで、わたしはロシアの陰気な小説を思った。
未成年アルカージイ、その父ヴェルシーロフ、
このふたりから愛される高慢な美女カテリーナを思った。
かれらを狂おしいほどに愛した。
1時間ほど歩くとふたつの川が行き交う地点に出る。
ここで引き返すことにする。
今度は西に向かって歩くことになる。朱(あけ)に染まった空めがけて進む。
このとき世界の均衡が崩れたような思いにとらわれ身震いがした。
異常な感覚がわたしを襲い、目まいがしてその場で倒れるかと思った。
体勢を整え、ふたたび歩を進める。
いままで一度も歩いたことがない川辺の細道を進路に選んだ。
光を失いつつある草花は、不穏な気配に満ちている。
胸騒ぎがしてよくないことが起こるだろうとふしぎな確信をいだいた。
だから、その男が現われてもまるで驚かなかった。
枯れ木のような男は、異様なほど痩せていた。
男は髪もひげも聖者のように伸ばしており、白髪まじりの灰色がいかがわしかった。
目は一点を見すえ、口ではなにやらつぶやいていたものの、その詳細はわからない。
こいつは廃人に違いないとわたしは昂(たか)ぶった。
無礼なほどじろじろ見つめたが男はいっこうに意に介さない。
男とわたしはすれ違い、別れた。道は行き止まりであった。
やむなく引き返すと今度は反対方向から男が歩いてきた。
危険を感じたわたしは道を離れ、男から逃げだした。
これといった道のない川辺の野原をわたしは歩いていた。
場違いな嬌声が聞こえ、出どころを見やると若い女が5、6人、円座している。
女だけの集団は、この世ならぬ熱狂のただなかにいた。
いま思えば、ドラッグかなにかで昂揚していたのだろう。
女たちがわたしの存在に気づいたことを、わたしも察知した。
お互いに気まずいものがある。
わたしはなにやら秘密をかいま見てしまったようなやましさにとらわれた。
見なかったことにしよう。顔をこわばらせ、一点を凝視して前進する。
セックスという叫び声が聞こえた。
明らかにわたしを意識して騒いでいるという声色であった。
「あやまれよ。昨日電話に出なかったのはセックスしてたからだって、あやまれ!」
わたしはびくりとするが振り返らない。
「ダメだって。セックスしてたからです、って言え」
同調するかのようなはやし声が聞こえる。ひとりをつるしあげているのかもしれない。
一瞬しか見ていないが、まだ十代といっていいほどの少女たちだった。
ここでなにをしているのだろう。秘密のたまり場なのだろうか。
笑いをふくんだ命令が繰り返される。
「昨日電話に出なかったのはセックスしてたからなんだろう。
わかってるんだって。あやまれ。声に出してあやまれ。セックスしてましたって言え」
誘惑に負けて、女たちのほうを見てしまう。
先ほどは気がつかなかったが車座の中心に上下とも下着姿の少女がいる。
一面の緑のなかで少女の白い下着がまぶしかった。
女たちはわたしが振り返ったことを知り、歓声をあげた。
焼きを入れているところなのかもしれない。
むざむざ女たちの誘いに乗ってしまった自分を恥じた。愚かな女どもめ。
ことさらなんでもないことのように振る舞いわたしは変わらぬ速度で歩きつづけた。
後方から女たちの笑い声が追いかけてきたが振り払った。
あいつに会いに行こうと思った。
川岸でテント生活をしている浮浪者がいるのである。
見たところ外貌はそれほど荒廃していないのがかえって新鮮だった。
この中年男性は毎日なにを思って生きているのだろう。
わたしはそこを通りかかるたびに話しかけたいという欲望を覚えたものだ。
むろん今日とて、わたしはかれに話しかけはしないだろう。
だが、このまがまがしい世界のゆがみはあの男によって正されるかもしれない。
このまま自宅に帰るわけにはいかないのである。
わたしは熱にうかされたように男の青色のテントをめざした。
男はテントのそとで椅子に座りながら料理をしていた。
男のまえのコンロからは煙が出ている。
我われの目が合い、男は隠遁者ならではの鋭い嗅覚でわたしの意図を察したようである。
読者のみなさまに信じてもらえるかどうかわからないが、
わたしはにやりと笑ってみせたのである。
すると男の目がぎらぎら燃えだした。異様なしわが額にちらと走った。
おそろしく陰鬱なしわである。男はぷいと後ろを向いた。
テントは道の行き止まりにあるため、ここからは道がない。
わたしは急勾配の土手を登らなくてはならない。
土手のうえから浮浪者を見おろした。立ちどまって、これ見よがしにじろじろ見た。
男は背中を向けていたが、間違いなくわたしの視線を意識していたことだろう。
わたしは男の背中に呼びかけたくてたまらなかったのである。
このときわたしがかれを二人といない親友とみなしていたといったら、
信じてもらえるだろうか。
異様な親しみが湧き上がり、わたしはいまにも土手をかけおり、
かれの手を取りたいほどだった。かれとわたしは一晩中でも話すことがあるだろう。
そうしてわたしは男を煽りたてるのだ。
やってしまえばいいではないか。我われは復讐しなければならない。
幸福な勝利者連中をひとりでも多くぶっ殺して、
世間をあざわらいながら不幸の歓喜のただなかで自刃しなければならない。
それは歓喜だ。不幸は歓喜なのである。
なにをくすぶっているのだ。燃え上がらなければならない。
火事は起こせるのである。なぜ火をつけない? 内なる業火を延焼させよ!
焼き尽くされた幸福を想像しながらわたしはほとんど有頂天になっていた。
わたしは歩きつづけた。陽は沈み夜の静まりが気分をいらだたせる。
作業着を着た若い工員3人が、土手の階段に座り込み酒盛りをしている。
見ると、安焼酎「いいちこ」の瓶がある。
わたしはみずからを罰する必要があるように思った。そのためになにをしたか。
なんのことはない、かれらの横を通りすぎるときに薄笑いをするだけでよかった。
人一倍、自尊心に敏感な若い工員たちは、すぐに色めきたった。
あとは振り返るだけである。薄笑いを崩さず、再度かれらを見やった。
ひとりの工員が立ち上がろうとするのを、のこりの二人が必死になってとめている。
どうした、さあ来い。わたしは殴られ蹴られ血まみれのどん底に落ちるのだ。
たとえ今日死んだとして、だからいったいなんだというのだろう。
生まれた日に死ぬのもなかなかおもしろいではないか。
どうした、来ないか、チンピラども。おまえらには刑務所がお似合いだぜ。
亡ぼしてやる! おまえらもわたしも世界も亡ぼしてやる!
このわたしが死ねば世界などその瞬間に亡びるのである。
男たちは動かなかった。
常軌を逸した憎悪を感じはしたものの、工員たちはわたしをにらむだけであった。
家に戻り酒をのんだ。みずからの誕生をひとり祝った。
とろとろ心地よい酔いにつつまれる。
だれからも誕生日のお祝いなどもらわなかったが、わたしは満足していた。
これまでの人生で出逢い、別れた人のことを思った。
かれらは存在した! わたしはいかようにもかれらと戯れることができる。
未成年アルカージイと、その家族のことを思った。
「未成年」を書いたドストエフスキーに思いを馳せた。
かれらもまたわたしにとって貴重な友人たちではないか。
わたしは今日という丸一日を未成年たちと遊んで過ごしたといってよい。
なんとぜいたくな誕生日であったことだろう。
わたしはロシアの友人たちと遊びほうけていたのだから――。
アルカージイの輪郭がとろけ、むかし別れた友人の某にまじり、
事実と虚構があいまいに混濁し、これらすべてがわたしという容器に流れ込む。
わたしわたしわたしである。アルカージイはわたしであった。
世界には「わたし」しかいないのである!
そのときわたしは言いようもない幸福の絶頂に達した。
生まれてきてよかったと心底より思った。生命の妙味を発見したとさえ思った。
結局、誕生日のこの日、「未成年」の感想を書くことはできなかった。
けれども、おかげで、
こうしてドストエフスキーに惑溺(わくでき)することができたのである。
※「未成年」ノート
・「未成年」はドストエフスキーの最高傑作であるように思う。
わたしは「罪と罰」「白痴」「悪霊」「カラマーゾフ」よりも「未成年」を推す。
ただしこの小説は非常にスタートが遅い。
ジェットコースターとおなじである。
ジェットコースターはある高さまでゆっくり人工的な力で運ばれる。
そこからの落下は、人力をまじえぬまったく自然の力による。
「未成年」は三部にわかれるが、第一部はおよそジェットコースターの上昇に比される。
第二部から落下が開始すると思いながら読みすすめなくてはならない。
たしかに第一部の退屈さは異常なほどである。
しかし、第二部からの迫力もまた異常というべき魅力に富む。
・「未成年」は青春小説である。
私生児アルカージイが父との対決、友人との交流、美女への片思いを経験する。
アルカージイは未成年ゆえ未熟である。
多く誤まる。すなわち、誤解をする。
青年の誤解と発見のたえまないプロセスが「未成年」だ。
アルカージイのなんとかわいらしいことか。
この青年は愛する美女を破滅させる秘密の手紙を持っている。
この手紙を武器に女を屈服させようとの卑劣な考えを持つアルカージイ。
だが、いざ女のまえに出ると、未成年は自分の計画を告白して許しを請うのである。
女は身分の高い男爵と結婚しようとする。
私生児アルカージイはふたりの後を追うが男爵に打ちのめされてしまう。
愛する女のまえで這いつくばる未成年の屈辱は美しい。
・ドストエフスキーの作中人物は熱にうかされたように行動する。
有頂天とどん底を行ったり来たりするのがかれらの特徴である。
中間でじっとしているということがない。
有頂天かどん底でなければ満足できないのであろう。
かれらの見せる極端な愛情と憎悪もこのためと思われる。
憎んでいるかと思ったら、打って変わって、異様なまでの親愛を示す。
気分の浮き沈みは病的というほかないものがある。
こんな人間がそばにいたらたまらないが見ているぶんにはおもしろい。
で、見ていると真似をしたくなってくるのだからドストエフスキーには困ったものだ。
・シェイクスピアを愛したドストエフスキーならではの、
戯曲めいた小説構成が見られる。
この小説の動因をひとつに限定すれば遺産相続に関わる秘密である。
この秘密をなぜか未成年アルカージイが持っている。
この設定のため物語はアルカージイの行動とともに動いてゆく。
秘密のやりとりで話を進めるのはもっぱらドラマ作法と等しい。
「未成年」のなかで盗み聞きは3回発生する。
2回は未成年自身が盗み聞きを行ない、1回はかれが被害者となる。
・未成年とはドストエフスキー自身のことかもしれない。
かれの小説では老若男女がおそろしく幼稚な疑問にとらわれている。
いまどき日本の中学生でも悩まないような壁に衝突する。
だが、この幼稚さ純粋さが、ドストエフスキー作品の魅力なのかもしれない。
ガキ臭いことをだいのおとなが大まじめに議論するのである。
また、喜怒哀楽の激しさも、まるで幼児のようである。
ドストエフスキーの作中人物は感情を抑制するということを知らない。
すぐに怒る。かんたんに泣く。絶交も仲直りもシベリア超特急である。
だが、男女の性交にまでいたる速度はこのかぎりではない。
※「未成年」の言葉
長編小説「未成年」はアルカージイの手記という形式を取る。
「中学を卒業するとすぐに、わたしはまだ二十歳にもなっていなかったくせに、
すべての人と完全に関係を絶とう、それどころかもし必要とあれば、
全世界とさえ縁を切ろうと決心した」(P21)
「そう、わたしは陰気な男である。わたしはいつも自分の殻にとじこもっている。
わたしはしょっちゅう社会から脱け出したいと思っている。
わたしは、おそらく、人々に善をなすことになろうが、
しかし彼らに善をなさねばならぬこれっぽっちの理由も
見出せない場合が多いのである。
おまけに人々は、それほど気をつかってやらねばならぬほど、
決して美しいものではない。
どうして彼らのほうから率直に、胸を開いて、助けを求めに近づいて来ないのに、
どうしてこっちから先に、彼らのそばへ這いよって行かなければならないのだ?
わたしが自分に問いたいのはこのことである。
わたしは恩を知る男で、これはもう数知れぬばかげた行為で照明してきた。
わたしは胸を開かれるとすぐに胸を開いて応えて、
たちまちその相手を好きになるような男なのである。
そのとおりにわたしはしてきた。
ところが彼らはどれもこれもじきにわたしを欺して、
嘲笑いながらわたしから逃げてしまった」(P104)
未成年アルカージイの「ひきこもり宣言」といってよい。
だが、未成年は友情を知り、恋をおぼえる。
ところが、この恋は破れ、憂さを晴らしに友人とルーレットに行ったはいいが、
窃盗のぬれ衣を着せられてしまう。このとき友人は味方をしてくれなかった。
裏切りである。
盗人とさんざん面罵され賭博場を追い出されたアルカージイは夜道で夢想する。
「わたしの脳裏をこんな考えがかすめた。
『釈明がもうぜったいにできないし、新生活をはじめることもできないのなら、
いっそ負け犬になってやるか、うじ虫になり、下男になり、密告者になる、
もうほんものの密告者になってやるのだ、
そしてひそかに準備して、そのうちに――不意にすべてを空中に吹っとばし、
すべてを、罪のあるやつもないやつも、すべてのやつらをたたきつぶしてやるのだ、
そしてそのときはじめてやつらは、
これが――あのときみんなで泥棒呼ばわりしたあの男だ、と知るだろう……
それを見とどけたうえで、しずかに自分の生命を絶つのだ』」(P402)
「みんなぶっ殺しておれも死んでやる」である。こわいですねえ。
こんな未成年アルカージイに、あふれんばかりの愛情をそそぐものが現われる。
(しかし「未成年」において人物はなんと都合よく登場・退場することか!)
系譜上の父親、イワーノヴィチである。この老人は長年の巡礼のおかげか、
いまや聖者といった風格をただよわせている。ありがたい説教を拝聴しよう。
「わしは思うのだが、学問をおさめるほど、ますます退屈になるものらしい。
ま、考えてもみなさい、世界が生まれてこのかた、
いろいろな人がいろいろと教えてきたが、
世界がいちばん美しい、楽しい、そして喜びがいっぱいの住居になるような、
なにかいいことを教えてくれたかね? もひとつ言うとだな、
善美というものをもっておらん、もちたいという気持もないのだよ。
みんな破滅してしまった、そしてどれもこれも自分の破滅を自慢してるしまつだ。
ただひとつしかない真実のほうを向こうともしない。
だが、神のない生活は――苦しみでしかないのだよ」(P451)
工藤精一郎の訳はすばらしい。読むならこの訳で。
間違えても米川正夫の訳で読んではいけない。
うちに米川訳の「未成年」もあるので比べてみたが、米川訳は日本語になっていない。
しかし、どちらかといえば岩波文庫の米川訳のほうが入手しやすい。
どうしても工藤精一郎訳を所望するかたがおられましたらご一報を。
なぜか新潮文庫2冊組みも所有しているのでプレゼントします(状態は良くないが)。
いや、ビールの1杯くらいはおごってください。誕生日プレゼントとして、でも。
ほんとうに長いこと積ん読していた「未成年」をようやく読了した。
期待していた以上の傑作だったので、こんな嬉しいことはない。
なぜかだれも読んでいない「未成年」は、知る人ぞ知る、隠れた名作である。