読書に関係する革命的な発見があったのでご報告します。

買うは読書のはじめなり。

世間様をかえりみるにどうやら読書は優先すべき行動のようです。
なら、読書とはいかなるものか。
いろいろな定義がありましょう。世の秀才が読書の意義を多種多様に説いています。
凡愚の某(それがし)はここに小声でつぶやきたいのです。
本を買うことから読書がはじまるのではないか。

落ち着いて考えてみましょう。
数日前に読了した小説、ツルゲーネフの「ルージン」。
これは「うるさい哲学者」の中島義道が、とある新書で紹介していた小説。
版元は岩波文庫で今現在は品切です。
流行作家の中島のことだからいい加減な引用をしていると邪推。
原典を読もうと思ったのはこのためかもしれません。

しかし、もしこのとき「ルージン」が自宅になかったら読まなかったと思われます。
たまたまこの品切岩波文庫を積ん読していたのです。
(かつてある古本祭りで、かの文庫を大量購入しました)
だから読んだのだと思います。
もし家になかったらわざわざネット古書店で買ってまでは読まなかったことでしょう。

数年前にチベット密教の入門書をブックオフで105円にて購入。
このごろ話題なのがチベット問題。
過日、チベット仏教の本を読んだのは、たまさか家にあったからであります。
もし安価で買った本が自宅になかったら、チベットの本など読まなかったことでしょう。
本は買うべきだと思うのはこのため。
なぜなら買った本しか、ひとは読まないからです。
すなわち、身銭を切って購入した書籍ならば、
たとえどんな難しいものでも、いつか読むかもしれない。

わたしもいい年をして「レ・ミゼラブル」や近松門左衛門を読むとは思わなかったです。
なにゆえ読むことができたのか。
買ったからだと思います。本を買った。棚に並べた。毎日タイトルを眺めた。
だから、あのようなご大層な本を読むことができたのだと思います。
結論めいたことを申し上げるならば、本は買いましょう。
出版社(や古書店)のまわしもののように思われるかもしれませんが、
本は買わなければなりません。
買った本はいつか読むかもしれない。
しかし、買っていない本は永久に読むことはないのです。
読書は本を買うことからはじまる――。
「スローな旅にしてくれ」(蔵前仁一/幻冬舎文庫)

→蔵前仁一は旅行作家のトップランナー。
どの書物も一定以上のレベルに仕上げる職人である。
酒をのみながら旅行エッセイを読むほど楽しいことはなかなかないだろう。
飲酒しながら読める本というのは、かえってむずかしいのではないか。
難解な書籍はダメ。入念な読解を必要とする文学作品もアウト。
むしろ、このような娯楽作品を書くほうが骨折りなのではないかと思う。

旅行ライターは、道中に事件がなければ書くことがなくなる。
なにもなく無事に旅行しました、では読み手が満足しないのである。
だれかと出逢わなくてはならない。だが、蔵前仁一はこんな弁明をする。

「……僕は旅の途中で、こちらの方から積極的に交流を結ぼうとすることなどない。
僕はよく、「現地の人々との温かい交流」を描いていますね、と言われるのだが、
結果的に「温かい交流」になってしまっただけで、
僕の方から積極的にそれを求めたわけではないのだ」(P91)


偶然が才能だということがよくわかる。
人間、道中でだれと逢うかも内なるものに左右されるのではないか。
古来、旅にたとえられる人生でもおなじことがいえるのかもしれない。
蔵前仁一の旅行エッセイには10年選手がたびたび登場する。
10年かけて世界中を旅せんとするつわもののことだ。かなわないなと思う。
むかしもいまもこういう旅人はいる。
人生にいきづまったら、このような長期放浪も選択肢に入れていいのかもしれない。
これは自殺とおなじであろう。
いざとなったら自殺(=放浪)しようと決めると、
つらい生活にも耐えられるという利点がある。

いまはブログをしながら放浪するものも多い。
たとえば、わたしの知っているのは下記。3年近く世界をまわっているようだ。
いろいろな人生があると感心する。

「ちょっとそこまで」
http://blog.goo.ne.jp/coupdroit500


探せばほかにもいろいろな(帰国日未定の)旅行ブログがあると思う。
個人的には帰国してから書かれる旅行記のほうが好きである。
「私の「本」整理術」(安原顯:編集/メタローグ)

→富士川英郎という評論家の書物とのつきあいかたが参考になった。
いわく、毎日、本棚に並んでいる書物をながめなさい。
たとえ読まなくてもタイトルを見るだけでよろしい。
日々、そうしているうちにあなたと本のあいだに関係が生じる。
すると、まさか読むまいと思っていたような本まで読むようになるというのである。
実践してみた。効果よりなにより蔵書と向き合うのがたいへん心地よい。
まだ読んでなくて、そのくせいつか読みたい本がある、この悦びはどうだ!
本は整理するものではなく愛するものだと、かの評論家は言いたかったのかもしれない。
「「人間嫌い」のルール」(中島義道/PHP新書)

→あなたのまわりの青少年がギドーの本をマジメな顔で読んでいたら、
ただちに取り上げなければなりません。
中島ギドーは宮台真司と双璧をなす有害作家だからです。
ヘタをすると自殺しちゃうかもしれませんよ。
さあ、お子さんの本棚をチェックして。あったら断固、捨ててしまいましょう。
小谷野敦の本なら読んだところでもてなくなるくらいですが、
ギドーやミヤダイは生死に関わるからいけません。

病院の待合室でにやにやしながら読んだ。ギドーは笑えるな。
ツルゲーネフの「ルージン」を紹介している部分がよかった。
中島ギドーの意地悪なところがじつによく出ている。
ルージンは30代半ばの男で、社交界で最初はもてはやされる。
たくみな弁舌術のためである。だが、しだいにだれにも見向きもされなくなる。
最後は何者にもなれずに死んでゆく。
大学教授の中島は現代日本の「ルージン」たちに意見する。すなわち――。

「才気をほとばしらせて、周囲の者を手当たり次第に馬鹿にし、
すでに名を挙げた者をこき下ろし、「誰もわかっていない」と呟く」(P102)


こういう人間が「ルージン」だと中島ギドーは言うのである。
ひきつづき中島は経験を語る。

「ずっと昔、ウィーンで若い作曲家に会った。
彼はベルリンで修行中であったが、
現代日本で活躍中の名だたる作曲家を手当たり次第にこき下ろした。
私が芥川也寸志とか黛敏郎という名前を挙げると、もう耐えられないというふうに
「やめてくれー!」と叫んで座布団で頭を隠した。
その後、作曲家としての彼の名前は聞かない。
こういう姿勢は二十代まで、せいぜい三十代の前半くらいまでは、どうにか通用する。
周囲の者も、もしかしたら不遇の天才かもしれないと思い込む。
だが、それをずっと続けると、――悲壮なことに――
彼は正真正銘のルージンとして人々からそっぽを向かれる運命にある」(P102)


人生に勝った中島の敗北者を見くだす、この余裕ある意地悪な視線こそ、
かのベストセラー作家の魅力である。
この引用部分を読んで「いやあな」気分になる。
もしかしたら自分も「ルージン」になるかもしれないと思うからである。
この不快感がたまらないのである。
読者を不愉快にさせることにかけては中島ギドーの右に出るものはいまい。
かれの書物はよほどしっかりした常識感覚を持っていないと
食い殺されかねないほどに毒々しい。
まさにビジネスマナーの対極に位置する本である。
「図解でわかる仕事の基本 ビジネスマナー」(下條一郎/JMAM)

→ビジネスマナーにもいろいろあるもんだ。
こちらの本では、名刺は目下のものから出すのが礼儀と書いてある。
だが、前記の幻冬舎の本には、これはぜったいやってはいけないと記載されている。
相手の立場が上の場合、まず名刺をいただくのが礼儀と。
どちらが正しいのだろうか。ま、ケースバイケースなんだろう。

大学時代、文学部だったせいか編集者を目指す同期が多かった。
ふしぎに思ったものである。当時は編集者など裏方という認識だった。
いまから思えば世間知らずにもほどがある。
いちばんおいしいのは大手出版社の編集者だったのである。
どうせ書類選考で落とされただろうけど、一社くらい記念に受けておけばよかった。
同期に集英社の編集者になったものがいたな。
イケメンでいつもダイナマイトボディー(ってなによ)の彼女を連れていた。
ふざけ半分で、将来困ったら助けてくれと頼んだことがある。
まかせとけ、なんて笑いながら言われた記憶が。
あはは、集英社の編集者さまがおれのことを覚えているわけがないよな。
「知識ゼロからのビジネスマナー入門」(弘兼憲史/幻冬舎)

→内幕を調べてみると、いま文学の世界でいちばん偉いのは編集者のようである。
新人賞を取るものは山ほどいるが、ほとんど消えている。
なぜか。新人作家が小説を書いても編集者のOKが出ないと掲載されないからである。
熱狂や興奮を静め、冷静に文学ピラミッド(食物連鎖)を見ると、
最高峰にいるのは実のところ編集者だったのである。
むかしから収入でいえば、たいがいは編集者のほうが上であった。
「先生、先生」とおだてることでごまかしていたのである。
出版不況の現在は収入のみならず地位においても編集者と作家の立場は逆転した。
幸運な人気作家を除くと編集者と作家の関係は主人と奴隷にほかならない。
奴隷は主人に気に入られなければならぬ。
奴隷志願のわたしが慌ててこのような本を読んだゆえんである。
エレベータの乗りかた、車内の席順など、
忘れかけていたものをあらためて脳内にインプットする。
「お縫い子テルミー」(栗田有起/集英社)

→いまこの小説をネットで検索してみたのだが、ものの見事に女の感想しかない。
だが、ふつうに考えたら男が「お縫い子テルミー」なんてタイトルの小説は買わないか。
それ以前に現代文学市場というのは、いまや女の世界ではないのだろうか。
女が書き、女の読むのが現代文学。「スイーツ(笑)」文学。
悪くはないと思う。
むかし文学は女子供(おんなこども)のものとされていたのだから、
日本近代文学の伝統に戻ったわけである。
ならば、男はどこへ行ったのか。成功哲学とアキバかな。
数少ない男の文学残留組は、時代に取り残され、いまだに漱石だのドストエフスキーだの。
その点、流行に敏感な女は違うってことか。「ダ・ヴィンチ」でお洒落にブンガクしよう!

「お縫い子テルミー」はたぶんおもしろいのだろう。
というのも、わたしはがさつな男だから女性様の繊細な感覚がいまひとつわからない。
短文の積み重ねがテンポを生み出し、とても心地のいいものとなっている。

同時収録されている「ABARE・DAIKO」は、はっきりつまらないと断言できる。
この小説の主人公は小学5年生の男児。
かつて少年だった経験からこの小説を眺めると、からきし読むにたえない。
けれども、ネットの女性読者はみなみなこの「ABARE・DAIKO」を絶賛している。
「少年の心情がよく描けている」って、おまえら少年だったことがあるのかい?
なーんて、からむとセクハラや痴漢で訴えられてしまうかもしれない。

もしかしたら現代の文学は女性専用車両で、男性はシルバーシートの老大家のみなのか。
「若いおなごはええの」と鼻の下をのばしている既存作家のにやけ顔がいやらしい。
「八月の路上に捨てる」(伊藤たかみ/文藝春秋)

→おなじ芥川賞作品の「乳と卵」と比べたら10倍はおもしろいけれども、
作者に華がないから世間的には受け容れられないのかもしれない。
なにかないと世間は振り向いてくれない。
作品ではなく作者で評価されるのはとても残酷だと思う。
その意味では会見場でずっこけてみせたモブ・ノリオはこうごうしい。

閉塞的な時代状況が極めて巧みに描かれていると思う。
現代の「終わっちゃった」という感じがうまくすくいとられている。
選考委員には概して不評だったようだが、いまは先生がたの若かったころとは違う。
「ぶっ壊せ、ぶっ壊せ!」とバリバリ進める時代ではないのである。
もし選考委員の先生がたがいまを生きる若者だったら
どんな傑作を書いてくれるのだろうか。
とくにいまは男が損である。
伊藤たかみはこの不利な状況のなかで最大限に奮闘している。

主人公の妻・知恵子の壊れっぷりに大笑いした。
知恵子は編集者になる夢を持っていたが大手出版社に落ち続け、
興味のないマンション販売代理店に就職。円形脱毛症になる。
1年後、食品関連企業の出版部門に転職するものの心を病んで退職。
突如、アナウンサーになると20万円もの代金を支払い通信講座に入会する。
夫の敦から散財を責められると――。

「趣味でやるのはいいけど、今さらそんな金を使ってどうなるの。
アナウンサーになんてなれっこないじゃん。
二十万あったら、俺たち、今月どれだけ楽だったか。敦はついに言ったのだ。
すると知恵子は、考えていた以上に反応した。
何かに取り憑かれたようになって、どうしてどうしてと、
敦の襟首をつかんで揺さぶった。
どうしていけないの。私だけどうして夢を追っちゃいけないの。
私はずっと辛かった。夢がないのが辛かった。そんなとき、思い出した――。
言い方が、安っぽいドラマのヒロインみたいでまた憎たらしくなり、
敦は冷たく言い放つ。
そんな暇があるんなら、いい加減、働いてくれよ。
ぎゃあと叫び声が聞こえたが、定かではない。
そこから先、敦はなぜか醤油差しの注ぎ口ばかり見ていた。
垂れた醤油がこびりついている。はっきりしない不満のように凝り固まっていた。
気がつくと知恵子は、狂ったように教材を壁に投げつけていた。
出口がない出口がないと意味のわからない言葉を吐く」(P40)


おかしい。とっても笑える。出口がない出口がない(笑)。
「乳と卵」(川上未映子/「文藝春秋」2008年3月号)

→川上未映子さん、ひさびさの大型新人の登場ですね!
マスメディアのあつかいも大きく、この新人を世に出した選考委員もしてやったりでしょう。
いまさら同人誌歴20年の陰気な高校教師が受賞しても意味がありませんもの。
川上未映子さんは芥川賞作家に必要な華を生まれ持っています。
これこそ彼女の才能です。書店のポスターではどきりとしました。

小説について語りたいと思います。文章が読みにくくて苦労しましたが、
ふと考えてみれば読みやすいものは文学ではないので、これは純文学の王道ですね。
このような高度な作品を難なく読みこなせるよう勉強をしようと思いました。
女性の生理に関するぐじゅぐじゅした描写がよくわかりませんでしたが、
これはわたしが鈍感な男だからでしょう。
これからはどんどん女性の時代になっていきます。
こんかい日本文学の最先端たる芥川賞作品で女性ならではの感性を学習できたのは、
とても有意義でした。

川上未映子さんの小説技法は、まるで新人とは思えないほど熟練しています。
豊胸手術のため上京した姉と銭湯へ行く。
姉はタオルで胸を隠しているが、しばらくしてからぱらりと公開される。
手術に出かけた姉がなかなか帰ってこないで気をもませる技術も一級品です。
姉の娘が失語症(?)で、最後に言葉を発するというのもすばらしいのひと言に尽きます。
買った花火の使われなかったのがふしぎでしたが、
いまから思えばこの芥川賞の大フィーバーを予告していたのかもしれません。
川上文学の力学はチラリズムではありませんか。
見えるか見えないかぎりぎりのミニスカートで関心を引く。
待たせて待たせて、ぱっと足を開く。あるいは、さっとスカートを持ち上げる。
「平成の樋口一葉」川上未映子、その人と文学のなんと妖艶なことでしょう。
今後のご活躍、期待しております。
「2週間で小説を書く!」(清水良典/幻冬舎新書)

→本書を読んで自分には小説を書く才能がないのだと思い知らされた。
意見と描写は違うのだという指摘がいちばん印象深い。
意見を書くのはかんたんだが描写はそうではないと清水良典はいう。
なぜなら――、と文芸評論家でもある著者は時代をさかのぼる。

「百年前の明治時代には、文章を読み書きできるのは一握りのエリートだけだった。
だから、小説を書く人は、人類の代表のように重いテーマに苦悩したり、
人道への警鐘を鳴らしたりしたのである。
その真似事のような文章を、こぞって学校は生徒に書かせるようになった」(P70)


読書感想文や小論文のことである。

「その甲斐あって、文章を書く力はある程度みんな備わっているのだが、
そこからすっぽり抜け落ちているものがある。
これらの書く力は、全て考えや意見(オピニオン)を書くことばかりなのである。
しかし、小説を書くのに最も大切な書く力とは、具体的な人物や行動や風景を、
目の前にあるかのように再現する力、すなわち<描写>力である」(P71)


これほど真っ当な教唆を、
まさか本書のように安易なタイトルの新書から得られるとは思わなかった。
仰せのとおりなのである。小説は描写であるとはよくいわれる。
じゃあ、描写ってなんなのだろうと思う。
我われがふつうに書いている文章はなんなのか。
読書感想文や小論文の延長線上にある意見(オピニオン)だったのである。

過日、ある大学病院の眼科を5年ぶりに受診したことをブログに書いたが、
たしかにあの記事はオピニオンでまったく描写がなっていない。
大学病院がどのような建物だったかぜんぜん書いていないし、
対面した女医さんがどんな顔をしていたのかも読み手にわかるように書いていない。
いろいろな理由があるが、どれも描写が書けない言い訳になってしまう。
大学病院と書いたら、だいたいどんな感じかわかるのではないかという甘えである。
同様、若い女医さんと書いたら、あとは読み手がめいめい想像すればいいという判断だ。
しかし、これを書かなかったら小説にならない。
読み手に病院や女医のイメージを伝えるのが小説ということだ。愕然とした。

駅から病院へ行くまでの道程でもさまざまなものを見ているはずである。
そういったことをわたしはひとつも書いていない。むしろ、書けない。
書くことに興味が持てないのである。
読む場合もおなじで、ながながと描写が続くとわたしは退屈してしまう。

「私たちは<描写>の文章を書くための訓練や指導を一度も受けた経験がない。
学校教育はオピニオンを要求しても、描写力は必要としなかった。
だから小説を書こうという人は、
自力で描写力を身につける訓練を自分に課さないといけない。
本書に載っている実践練習の大半は、
じつは描写力を増すためのトレーニングにほかならないのである」(P71)


至極もっともである。極めて正しい指導というほかない。
清水良典は大学で創作のクラスを10年受け持ってきたという。
この文芸評論家が学生に課している課題のひとつが「コップ」である。
どこにでもあるコップに八分目まで水を入れる。
このコップを文章で描写するのが小説家志望に課せられた訓練である。
コップの思い出に逃げてはならない。目の前のコップをただ描写する。

白状すると、いまわたしの横には水の入ったコップがある。
さっきからずっとコップを見つめているが、少しも描写ができない。
かなしいかな、「コップがある」としか書けないのである。
才能がないのをぎりぎりで認めたくないので、
負け惜しみに小説家・宮本輝の言を引いておく(対談集「道行く人たちと」)。

「だっていまの作家の多くが、たとえば、飛行場からモノレールに乗って
浜松町に着くまでの間のことを十何ページにわたって書いたりするんですよ。
そんなものは、モノレールに乗った、浜松町に着いたでいいじゃないですか」(P184)
「若山牧水 流浪する魂の歌」(大岡信/中公文庫)絶版

→芸術というのは女や酒が作るものではないかと思った。
若山牧水の場合、女も酒もどちらも活用し、人生を味わい尽くしたようである。
牧水が最初に愛執した女は1歳年上の人妻。二児の母でもある小枝子。
小枝子を題材に、燃えるような恋慕の歌をいくつも作っている。
おそらく性の手ほどきも、この小枝子なる人妻から受けたのであろう。
ところが、どうやらこの小枝子はバカだったらしい。
いや、ほとんど教育を受けていなかったからといってバカと決めつけるのはよくない。
事実として、小枝子は牧水の作る歌を価値あるものだとは思わないタイプの女だった。
ふたりは別れるわけである。この別離の苦しみからも、歌人は秀歌を創作している。

打算的といったら愛好者から怒られるのかもしれないが、
若山牧水は失恋の痛手を癒すために結婚をするのである。
相手は小枝子とはまったく異なるタイプ。当時、牧水は歌壇で名を知られた存在だった。
喜志子は旧家の娘で、短歌を何度も投稿するような文学少女。
この生娘に若山牧水は目をつけるのである。
喜志子は有名人の牧水から求婚され舞い上がってしまう。
挙句、家出までして牧水との同棲生活を始めるのである。
芸術家・若山牧水の女の取り扱いかたは見事というほかない。
はじめは人妻と熱愛をして芸術の肥やしにする。
名が売れたら有名人の威光で生娘を嫁に取り生活の足しにする。

結婚してからひと月も経たぬうちに、
牧水は歌を作るという名目で三浦半島をひとり旅行する。
かの地から歌人が新妻へ送った手紙がのこっている。
妻・喜志子は下宿で縫物の内職をしていた。

「最愛なる妻よ、浄きこころをもて、
御身の良人(おっと)の世にも清らかなる天才なることを信ぜよ」(P99)


いきなりの天才宣言である。翌日の手紙には――。

「喜志さん、ほんとうに、お前は、単に、妻、夫といふ相対的の意味のみでなく、
母となり、姉となり、妹となつて、僕をはぐくんで呉れ、
僕、また屹度(きっと)それに酬(むく)ゆるよ。
僕は、ほんとに、今日から漸く真の芸術家の生活に入るのだ。
いままでのは謂はば素人芸にすぎなかつた。
……………………
金はすまないが、頼む、出来た歌を持つて帰れば、相応の金に代へられるし、
その心組をもしておいて呉玉へ。
歌を作つたあとなど、どうしても麦酒の一本なりと飲まなくては、
心がかわいて、病的に興奮して、とても睡られない。
もつとも、無理まですべからず、出来た分でいいのだよ」(P99)


結婚したらさっそくカネの無心である。
どうしてこうも早くカネがなくなったのか、このときの作歌から明らかになっている。
なんのことはない、新婚ほやほやの牧水は旅先で遊女を買っていたのである!

本書によると、若山牧水は生涯で二度就職している。
二度とも新聞社で、どちらも数ヶ月しか続かなかった。
当時の同僚の記録がのこっており、
なんでも牧水は朝から酔っぱらって出社してきたという。
とても仕事にならないのである。
「有名な歌人」という威光が有効なのは、数ヶ月だったということであろう。
牧水は44歳のときに肝臓が原因で死んでいる。
最期を看取った医師のカルテが本書に転載されているので孫引きすると――。

「酒ノ習癖ハ昨今益々甚シクナリテ四六時中酒気失セテハ何事モ手ニツカザルニ至レリト言ハル」(P142)

若山牧水は完全なアルコール依存症患者になっていたのである。
死ぬまでカルテは書かれているが、このころの医者は人間味があったのだろう。
酒でぼろぼろになった牧水が病床でなお酒を求めると医師は飲酒を許すのである。
末期の牧水を先生と呼び、飲みたいだけ酒を与える医師の態度に胸打たれた。
現代の医療従事者でこれをできるものは極めて少ないのではないか。
こうして牧水は死にゆくわけだが、この芸術家は最期までひとに恵まれていたといえよう。
この対人運こそ歌人・若山牧水の才能だったのかもしれない。
「泣き虫なまいき石川啄木」(井上ひさし/新潮文庫)絶版

→演劇を独学していたころ一度だけ井上ひさしの芝居を観にいったことがある。
「頭痛肩こり樋口一葉」だったと思う。観客は老人ばかりだった。
驚いたのは観客がよく笑うこと。つられてわたしも笑っていた。
演劇はこれでいいのである。観客のひとりが芝居の笑う箇所を発見して笑う。
その笑いによっておかしな部分を教えられたほかの観客も笑う。
いうなれば、笑いの連鎖か。泣く部分でもおなじことが生じうる。
舞台は観客が作るというのは、ほかならぬこの現象をいうのだと
井上ひさし自身がどこかに書いていたのを読んだことがある。
とにかくお客さんを満足して帰すのが、井上ひさしの流儀である。
料金はたしか5千円くらいだったか。裕福な老人にはこの金額が妥当なのだろう。
しかし、おなじように笑ったわたしだが、経済状況の相違からリピーターにはならなかった。
戯曲で読めば、より経済的におなじ効果を得られるとふんだのである。

「泣き虫なまいき石川啄木」を読んでいても、笑わせる箇所は明瞭である。
もっとも実際には笑いはしないが、笑った老人の顔を想像することでよしとしている。
笑わせかたはことさら古臭いものの、観客が実際に笑うのだから批判することではない。
タイトルどおり石川啄木の評伝劇である。
芸術至上主義に近かった啄木が「実人生の白兵戦」を経験することで、
地に足をつけた短歌を創作するようになるという、いってしまえば成長ものである。
以下のような啄木のせりふは、作者井上ひさしの文芸思想にも相通じる。
啄木が妻の節子に逃げられたのちの述懐である。

「節子に家出されたとき、僕はそのときの辛さや悲しみを
和らげてくれるやうな詩や小説があればなあと思った。
実人生の必要品としてさういふものが必要なんです。
おとうさんにも実人生の辛さや悲しみがあるでせう。
さういふとき、歌や詩で少しは慰められたいと思ひませんか」(P83)


解説で知ったのだが、この芝居の創作過程で、
好子夫人が井上ひさしのもとから逃げ出したという。
違う男性のところへ走ったそうである。この前夫人は「こまつ座」の座長も兼ねていた。
この女性がのちに井上ひさしの壮絶な家庭内暴力を暴露したことはよく知られている。
妻に逃げられた井上ひさしの心痛は、芝居のせりふにも私小説的に現われている。
たとえば、つぎのせりふは、事情を知るものなら作者の強い悲嘆を感じずにはいられない。
これもまた啄木のせりふ。

「つまり妻に捨てられたといふことは、妻から、あなたは天才詩人でもないし、
小説家になれる器量もない、ひつくるめてあなたになんか才能のサの字もないのよ、
と宣告されたのと同じことだつたのです。
(トコップを空にして、それをもてあそびつつ)
妻から「あなたは天才よ、きつと大きなことを仕出かす人よ」と囁(ささや)かれ、
それを真に受け、そのつもりで生きてきた僕ですから、
妻に捨てられたことはフフフフ(二人恐怖)死の宣告。
未来はない(二人、連続的戦慄)といはれたも同じことで、
人生の底がどこまで深いのかわからなくなつてしまつた……」(P59)


ところで考えてみれば、石川啄木も井上ひさしも、
才能を認めてくれる奥さんがいたということか。
失礼になるが井上ひさしはあの顔だから、
好子前夫人はほんとうに才能に惚れていたのかもしれない。
おいらも天才だのなんだのと褒めそやしてくれるワイフが一度でいいからほしい。
たとえあとになって逃げられても、その苦悩を創作に用いればいいのだから。
やっぱり本は買って読むものだと思う。
だって人間、もらった本はなかなか読まないでしょう。
物書きさんもぞんがい献本や寄贈本のたぐいには迷惑しているのではないか。
読みたくもない本を送りつけられるのは考えてみたら迷惑このうえない。
読まない寄贈本が積みあがってくると、自分が人非人のように思えてくる。
ハードカバーの単行本はことさらスペースを取る。
どんどん部屋が狭くなる。ごめんなさいとせっかくいただいた本を売るしかない。
そのとき本を書く苦労を知っている物書きなら、
ひどい自責の念にとらわれるはずである。

無名がいちばん♪ ばんばん買おうブックオフ♪ 本を買うならブックオフ♪
と節をつけて歌いながらおりたつは阿佐ヶ谷駅。
小刻みにスキップしながらブックオフ阿佐ヶ谷店にジャンプイン!
棚の入れ替えが行なわれたようだ。漫画が2Fになっている。

「お縫い子テルミー」(栗田有起/集英社) 105円
「カウンセリング」(水島恵一/放送大学教育振興会) 105円
「高校生のための実践演劇講座2
舞台美術・照明・音響効果篇」(つかこうへい/白水社) 105円


「テルミー」は現代文学(笑)。
三浦哲郎がほめていたので買ってみた。すでに文庫化もされている。
おそらくただでもらっていたらこの手の本は読まないと思われる。
105円支払ったという記憶が現代文学作品を読む活力となる。
放送大学のテキストはむかしからヒイキにしている。
小谷野敦も書いていたことだけれども、講義って意味がないと思う。
壇上の先生の話を聞くよりも、テキストを読んだほうがはるかに効率的である。
講演会やカルチャースクールを好むひとの気持がわからない。
つかこうへいの本は1巻と3巻をすでにブックオフ105円で集めている。
このたび完結したわけだが、果たして読むのかは疑問である。

てくてく歩いて荻窪へ。ささま書店に到着。
105円棚を見るもこの日は収穫なし。店内へゴー。
「市川森一センチメンタルドラマ集」1500円が気になる。
なぜか戯曲やシナリオを見ると色めきたってしまう。
けれども、考えてみたらテレビドラマは山田太一でお腹いっぱい。
未読の木下恵介シナリオ集もあるからこれはパス。

ブックオフ荻窪店へ。ここは105円の単行本がない。
最低価格を200円に値上げした悪魔の直営店。

「行ってはいけないベトナム」(竹内書店新社) 200円
「3パターンで決める日常中国語会話ネイティブ表現CDつき」(語研) 200円
「本屋でぼくの本を見た〔作家デビュー物語〕」
(新刊ニュース編集部編/メディアパル) 200円


中国語会話は、たいへんわかりやすい構成になっている。
CDもちゃんとついているのがうれしい。ぱらぱら読むと、なつかしい中国語。
10年前、大学生の若い脳が記憶した中国語である。
もし去年の中国旅行中にこの本が売っていたら2千円でも購入していたと思う。
当初、中国へ行く予定がなかったのでまったく勉強していなかった。
少しでもこのような本で復習していたら、どれほど旅行が快適なものになったか。
そういう思いで買ったのだけれども、ううん、いまさら読まないだろうな。
「作家デビュー物語」は世に星の数ほどいる作家先生がどうやって世に出たか。
作家先生が出世作の思い出をめいめい綴ったもの。
ああ、作家♪ なんていい響きなんでしょう。作家は先生なんて呼ばれるのかしらん。
だれも呼んでくれないからひとり言。Yonda?先生♪ ううう、なんて耳に心地よいか。
もう一回だけ。ヨンダせんせい。ああん、うっとりしてしまう。
冷静になると、我ながら大馬鹿者である。
頭痛が治ったのである。痛みがなくなった。4月7日のことだ。
頭痛の始まったのは2月9日だからちょうど2ヶ月続いたことになる。
奇しくも、4月6日の日曜日は、
友人ふたりに近所の公園に来ていただき花見をやったのである。
翌日からぱたりと痛みが消えた。
それから今日でおよそ10日になるが一度も痛みは再発していない。

花見はまえまえから楽しみにしていた。
というのも、10年ぶりの花見である。
8年前にある事件がきっかけで人生が破壊されてから、
まさか花見などできる日が来るとは思ってもいなかったので当日は感慨深かった。
よく晴れたのもよかった。真昼間から桜とそのうえの春空を見ながらビールである。
横には、気心の知れた友人がいる。ふたりのあいだには茹でたての枝豆。
(残1名は遅刻をしたのである)
冷凍ではない枝豆が実にうまかった。ビールをよけいにうまくした。
この日は奮発して高めの日本酒を用意していたのだが、これもよかった。
やはりいつものんでいる2リットル千円弱の日本酒(じゃないのかも)とは味が異なる。
昼間からどろどろに酔っぱらったのだった。
トイレに行くとき、盛大にすっころび、
しかし両手をきちんとついたので大事には至らなかった。
まわりの花見客からたいそう心配されたが、
わたしは花見が嬉しくてたまらなかったのでにやにやしながら起き上がった。

脱線が過ぎたようである。頭痛が治ったということを書きたかったのだ。
花見をした翌日に2ヶ月継続していた頭の痛みがぴたりと止んだ。
とても意味深いものを感じた。
むろん、因果関係ではない。花見をした「から」頭痛が治ったのではない。
このつぎ頭痛になったときに、
ふたりを呼び出しおなじ場所で酒盛りをしたら痛みが消えるかといったら、
そんなことはないだろう。
オカルトめいたことを言うなら因果的ならぬ共時的現象なのだろう。
むずかしいことではない。機が熟したということである。

こんかいの頭痛への向き合い方は我ながらなかなかのものであった。
1年ぶりに頭痛が発生した。ここで慌てないのがよかった。
過去のデータから1~2ヶ月で自然に治ることがわかっている。
じたばたせずに時の経過を待つことにした。
朝昼に痛み止めのロキソニンをのんだら痛みは最小限までおさまる(夜はお酒ね)。
2ヶ月間、毎日かかさず痛み止めをのんでいた。そのうちかならず治るのだから。
桜が咲き、花見をしたら、ようやく頭痛が治った。
2月に桜が咲くことはないし、いざ頭痛が始まったら1週間で治ることもない。
かといって4月になっても桜が咲かないことはないし、頭痛が永遠に続くこともない。
自然の大きなちからである。
老木の枯れることもあろうが、これまた自然の摂理である。
春に桜が咲くということは、夏秋冬には咲かないことを意味する。
いくら人間が努力しても、自然のちからが加わらなければかなわぬことがある。
みずからへの戒めとしたい。
「ひと我を非情の作家と呼ぶ」(丹羽文雄/光文社文庫)絶版

→晩年の丹羽文雄がみずからの地獄を赤裸々につづったエッセイ。
こんなものを公刊してほんとうによかったのだろうか。
作家・丹羽文雄の実家の秘密をかなりのところまであけすけに書いている。
この書が出版されたことでどれだけの人が傷ついたかと思うとめまいがする。
内容を書き写してもいいのだが、これは他人がおいそれと触れていい問題ではないと思う。
読んだ人のみが、人生の重さに圧倒されればいい話ではないかと思い至った。
丹羽文雄の非情ぶりは余人の追随を許さぬものがある。
作家の非情な生きかたがたいへん参考になったので、箇条書きにしてみる。

・恵まれた家庭から作家など生まれるはずがない。
・作家はもてなければならない。
・無名時代に女から才能を認められることがどれだけ作家を励ますか。
・他人を許さないこと、不幸を忘れないことから生まれる怨念が小説を書かせる。
・商売女に食わせてもらいながら女を学ぶのはいいが、結婚は生娘としよう。
・自分を批判した作家は、そいつが死んでから悪評を高めて復讐しよう。
・だれかを犠牲にしなければ文学などできるわけがない。
・人を憎むこと、恨むことが文学の原点である。意地悪になろう。
・他人の迷惑をかえりみず好き勝手に生きることが結果的に文学を生む。
「新編 軟弱者の言い分」(小谷野敦/ちくま文庫)

→小谷野敦のファンである。
大学生のころは宮台真司の熱狂的読者で、
いきおい似合わぬ服を着てあたまを茶髪にしていたわたしが、
よもや10年後に「もてない男」小谷野敦の愛読者になるとは思わなかった。
これは進歩したのか退化したのか複雑なところである。

小谷野敦から学んだことは多いが、大きなものをひとつ挙げろと言われたら、
文学研究と文学評論の相違である。
かつて福田恆存に導かれてシェイクスピアにはまったことがある。
大枚をはたいて舞台鑑賞へも行ったものである。
学者先生の研究書も大量に買い込み読みあさった。
ところが、どれも異常なほど退屈なのである。
福田恆存はシェイクスピア劇から「いかに生きるか」を論じていた。
たいそう魅力的だった。
いっぽうで、日本のシェイクスピア研究者たちは、
なにやら閉所でうごめいているようにしか見えなかった。
そもそもシェイクスピア学者は福田恆存の名前をほとんど出さないので驚いた。
学者先生の文学レベルがひどく低いのにもあきれた。
シェイクスピアのせりふだからというので、
なんのことはない処世訓をことさらありがたがる学者のどれだけ多かったか。
どうしてこうも福田恆存と学者先生が乖離(かいり)しているのか、まるでわからなかった。

小谷野敦の著作を読むことで謎が解けた。
小谷野自身もいまなお評論と研究のはざまでもだえているのだからわかりやすい。
研究と評論はまったくの別物だったのである。
「生きる」という問いに、学問は答えを与えるものではない。
小説家や評論家が「生きる」こと全体に向き合っているのに対して、
研究者は作品や作者と密室で顔をつきあわせていればいいのである。
両者はまったく性質の異なる存在だったのである。
小説家に研究を頼んでも退屈でやれないと断わられるだろう。
研究者に「いかに生きるか」を問いただしても、
自宅と研究室しか知らない学者は答えようがないはずである。
両者を混同するものが現われるのは(かつての小谷野やわたしのことだ)、
領域侵害をする困ったものがいるからである。
小説家のくせにインテリぶりたいのか研究めいたインチキを書くものがいる。
ものを知らぬ学者が身の程をわきまえずに高みから人生論を垂れる。
我われが両者を混同するゆえんである。
たいがいのものはきちんと住み分けをしているのである。
自己顕示欲旺盛な少数のものが逸脱をやらかす。がために誤解が生まれる。

さて小谷野敦は評論家だろうか。研究者だろうか。
わたしが小谷野敦のどこが好きかというと、
「いかに生きるか」をいっさい書かないところである。
小谷野にとって「生きる」とは長生きすることであり、
高学歴の美女からもてることであり、大学の安定した職を得ることであり、
収入を増やすことであり、栄えある賞をいくつもらうか、なのである。
俗物の極みなのだが、かえって偽善がないので新鮮である。
小谷野敦の生きかたは高校生のころからまるで変わらない、ぶれない。
小谷野にとって、生きるとはそういうことである。
したがって小谷野敦は「いかに生きるか」を説く評論家ではない。
では、研究者かというと、これも微妙なのである。
あまりにも肥大した自尊心が一介の研究者であることをよしとしない。
結果として小谷野敦は作家でも研究者でもない得体の知れない生命体と相成っている。
動物園に行っても見られないような珍獣がおもしろくないはずはない。
そのうえ不思議生命体コヤ~ノは、ときおり檻から抜け出て、見物客に噛みつく。
噛まれたほうはたまったもんじゃないのだろうが、見ているぶんにはおもしろい。
小谷野敦の魅力である。遠くから見守るファンとしては、
この先、研究者や作家として小さくまとまってもらいたくない。
だが、これは大学教授や文学賞を放棄しろと言っているに近いから、
本人に向かって言うことではないのであろう。
「ニュールンベルクのストーブ」(ウィーダ/村岡花子訳/新潮文庫)

→物語における不幸の役割について考えさせられた。
もし不幸という設定を使えなかったら古今東西多くの物語が消失したのではないか。
現実生活では、不幸ほど忌むものはないとされている。
ところが、ひとたび物語の世界に入ると不幸ほど読者をひきつけるものはない。
「ニュールンベルクのストーブ」とて、おなじこと。
この物語の主人公、画家志望の少年は、貧乏のうえに不幸である。
なぜならずっと愛してきた骨董品のストーブを、
カネに困ったアル中の父親が安値で売ってしまったからである。
愛するものと別れるのは不幸だ。
少年はストーブと別れたくない一心で、危険もかえりみず冒険をする。
すなわち、ストーブのなかに潜み、ともに旅をするのである。
これがもし裕福な少年の幸福な物語だったらどうだろう。
ある日、少年のもとにすばらしい骨董品のストーブがやってきた。
ちっともおもしろくはない。やはり不幸がいいのである。
ならば不幸な少年を追跡しよう。このストーブが行き着いた先は王宮だった。
やさしい王様は少年の身の上に同情し、
宮廷で画家になる勉強をさせてあげようと約束する。
のみならずストーブを安く買い叩いた古物商は罰せられ、
大金が少年の父親のもとへ渡されることになる。
めでたし、めでたし、である。幸福になったら物語は終わらなくてはならない。
ふしぎなものである。
物語のうえでは不幸はこんなにも刺激的で、その反面、幸福はどこか退屈である。
なのに現実生活では、なにゆえ我われはこうも幸福を求めるのだろうか。
「フランダースの犬」(ウィーダ/村岡花子訳/新潮文庫)

→物語における貧乏の役割について考えさせられた。
もし貧乏という設定を使えなかったら古今東西多くの物語が消失したのではないか。
現実生活では、貧乏ほど忌むものはないとされている。
ところが、ひとたび物語の世界に入ると貧乏ほど読者をひきつけるものはない。
「フランダースの犬」とて、おなじこと。
もし主人公の少年が貧乏でなかったら物語が成立しないのである。
ご存じのかたも多いだろうから、かんたんにすじを説明すると、
画家志望の貧乏な少年が、たったひとりの身寄りである祖父に死なれ、
なおかつ世間の誤解もあいまって、雪降る夜、愛する犬と死んでゆく物語である。
死んだのちに意外なことが明らかになる。
この少年の才能を認める画家が現われるのである。
死ぬのがあと1日遅かったらという話だ。
わたしは少年は死んでよかったのではないかと思う。
この少年が将来有名な画家になったりしたら、そうとう嫌なやつになると思うからである。
むかし苦労をした成功者ほど嫌味なものはいない。
おそらく繰り返しむかしの苦労話をする鼻持ちならない画家になったことだろう。
選者などになったら、ことさら金持の子弟に意地悪をするかもしれない。
ふしぎなものである。
物語のうえでは貧乏はこんなに美しく、その反面、金持はどこか醜悪である。
なのに現実生活では、なにゆえ我われはこうも裕福を求めるのだろうか。
「池田大作の素顔」(藤原行正/講談社)絶版

→元側近(というか弟分)による池田大作暴露本。実に読みごたえがあった。
笑いがとまらなかった箇所も多い。池田大作という男は、まことおもしろい。傑物である。
かえってこの暴露本を読んで、かの池田先生に親しみを抱いた。
どうして学会関連本は、どれもつまらないのだろうとつねづね不満だったのである。
聖人君子・池田大作を描くことは、逆にわたしのような人間を遠ざけることになる。
おそらくこの書籍で暴露されていることは、ほんとうなのだろう。
池田の影響力から考えたらわかることである。
あれだけ多くの信者をとりこにする人間が、つまらぬ聖人君子などであってたまるか。
よく効く薬は、反面、強い毒性を持っているものなのである。
いいではないか。池田先生の奔放な下半身。英雄色を好むという。
いいではないか。池田先生の虚言癖。人間は事実より嘘を好む。
作りあげられた虚像「池田大作」に救われるものがいるのなら、どうして悪いもんか。
この書籍で詳述されている池田の陰湿な人間性もたまらない。ぞくぞくする。
こういう男を大物というのである。マイナス即プラスである。
マイナスが大きい人間ほどプラス面も光り輝くのだ。
恨みを決して忘れずねちねち復讐する池田の人間くささはあっぱれというほかない。
悪口を書かれたら、なんとしても潰そうとする異常な攻撃性はカリスマならではである。
日本を牛耳ろうとまで思う青年・池田大作の野望には恐れ入った。
しかも、現実に日本制覇の寸前まで行ったのだからたいしたものだ。

すべては池田青年が創価学会と出会ったことからスタートしたのである。
藤原行正は池田と学会の邂逅をシニカルな筆致で描いている。
著者が学会へ入信したのは池田大作より遅れることわずか2年。
おそらく描かれている出会いは事実であろう。
悪意みなぎるすばらしい文章をお読みください。

「池田の創価学会入信は昭和二十二年夏。
からだをこわして、西新橋の印刷屋を一年ほどでやめて、
しばらく自宅でブラブラしていた時期である。その時、池田は十九歳、
たいした学歴もなく、からだも弱く、カネもなく、夢らしい夢もない。
孤独でうら寂しい青春を送っていた。
十九歳の池田が密かに想いを寄せる幼馴染みの女性がいた。
近所に住んでいた四人姉妹で二番目のAさん。
ある日、Aさんから学会の集まりへ誘われ、
喜んだ大作少年は一も二もなくついて行く。
その会合には気易く語り合える仲間がいた。
平凡な入信パターンだが、これが池田大作と創価学会の出会いである」(P32)


なんのことはない、女の子目当てにふらふらついていったのである。
これが池田大作の回想になると、たいそう立派なものに変容する。
池田大作著(といってもゴーストライターの書いたものらしいが)「私の履歴書」より。
(「池田大作 行動と軌跡」より孫引き)

「二回目の終戦記念日を迎えようとしていた蒸し暑い真夏のある夜である。
小学校時代の友だちが訪ねてきて
『生命哲学について』の会があるからこないかという。
生命の内的自発性を強調したベルクソンの『生の哲学』のことかと、
一瞬思って、尋ねてみたが『そうではない』という。
私は興味を持った。約束の八月十四日、読書グループの二人の友人と連れ立って、
その『生命哲学』なるものを聞きに向かった」


これが宗教の実際なのだと思う。
女の子に誘われほいほいついて行くのが、「生命哲学」に入れ替わる。
なぜなら信者は「生命哲学」に関心を寄せる青年を好むからである。
断じて批判しているわけではない。宗教とはこういうものなのである。
本書は以後、延々とこの手の虚構あばきを繰り返す。
そして、わたしはベルクソンなんたらとこまっしゃくれたことを言う神童・池田よりも、
好きな女の子に誘われたからとにやにやつきしたがう人間・池田に親しみを覚える。
人間とは、そういうものだと思うからである。

したがって、強大な私怨で書かれたこの書物は、
わたしにとってはまったく逆の効果を及ぼしたことになる。
計り知れぬ聖性と俗物根性を持ち合わせる池田大作という傑物に強い関心を持った。
その意味で、実に楽しい読み物であった。
「池田大作 行動と軌跡」(前原政之/中央公論新社)

→もう時効だと思って書いてしまうが、2ヶ月ほどまえ学会員さんからメールをいただいた。
東北地方にお住まいの二児の母だという。年齢はわたしより10歳上。
名前も住所も記載されている実に正々堂々としたメールであった。
内容もストレートでうろたえた。座談会へ来ませんかというのである。
折伏(しゃくぶく=勧誘)のメールだ。「宮本輝」で検索して「本の山」を知ったという。
学会二世ではなく、家族の不幸をきっかけに入信した。
メールで意見交換が出来れば、と結ばれていた。

わたしはいただいたメールにはほとんどすべて返事を書くが、
これだけはどうにも書けなかった。
どのような返信をしても、お互いによくない結果に終わるような気がしたからである。
法華経や日蓮をからだが受けつけない。
たとえば、香水のようなものだと思う。
わたしは男性だから香水に詳しくないが、なかには高級な香水もあるのでしょう。
それをつけている女性がいる。本人はいいと思っているし、実際高値であった。
おおかたの人間は、その香水のにおいを快く思うのだろう。
それが「正しい」感覚なのかもしれない。けれども、わたしは香水が苦手なのである。
こうなったらもうどうしようもないとは思いませんか?
わたしはその香水がよいにおいとされていることも、高級品であることも知っている。
にもかかわらず、からだが拒否してしまう。
このとき女性にこう言われてしまうとなんともつらい。
「この香水のよさがわからないなんて、ひどく野暮なのね!」
よさはわかっているのである。よいのだろう。だが、申し訳ないが、ダメなのである。
おそらく努力しても香水を好きになることは無理ではないか。
かといって、香水をつけるのをやめてくれ、と言うつもりはこちらにはない。
そういうことなのである。この男女がいくら意見交換しても不毛な結果に終わろう。
うっかり香水がくさい、などと口にしてしまうと、女性は逆上するかもしれない。
本人はいいと思っているし、たいそうな自信もあるのだから。

創価学会のすばらしさはよく知っているのである。
この宗教団体がいままでどれだけ多くの人間の苦悩を希望に変えてきたか。
おそらく池田大作氏は戦後日本における最大の偉人なのだろう。
学会員さんが無宗教の人たちよりも純粋で親切で、
なにより好感のもてるかたたちばかりなのも知っている。
前向きで明るいのみならず、他人の苦しみによりそえる優しさを有している。
これらの長所がすべて日蓮大聖人の仏法から来ているものであり、
同時に池田大作名誉会長の薫陶(くんとう)の結果であることも熟知している。
では、なにゆえ入信しないのか。
香水とおなじでにおいがダメなのである。
学会員さんたちは、これをよいにおいだと思っているのだから、
わたしが「学会はくさい」と書くことを快くは思わないだろう。
伏してお詫びする。もしご覧になっていたら寛大なお気持でどうかお許しください。

ようやくベストセラー「池田大作 行動と軌跡」の出番である。

「『仏法は勝負である』と、池田は断言する。
この言葉には、神頼みのようなふわふわした信仰観は微塵(みじん)もない。
むしろ、『断じて勝たなければならない』との信念の宣誓だろう。
『勝つために信仰があるのだ』と言っているのである」(P129)


負けを認めないこの信仰がどうにも受け容れがたい。
どの宗教に入っていても人間であるかぎり負ける、すなわち死ぬのではないか、
とわたしは思う(学会員さんがそうは思わないのは知っているけれども)。
創価学会というのは、よくも悪くも青年の宗教なのだと思う。老年の宗教ではない。
勝利に異常なこだわりを見せるのを、
まるで少年のように幼稚だと揶揄するつもりはないが。
わたしの母は負けているわけである。自殺している。この自殺を認めたい。
わたしは負ける人生も肯定しなければならないと思っている。
勝つばかりが能じゃないと思っている。
(繰り返すが、学会員さんがそう思わないのはよく知っています)
そのうえこの勝利への異常な執念からだと思うが、
学会員さんは、学会員ではない敗北者にひどく冷たいような気がする。
仏罰だとあざわらうようなところがないとは言えないのではないか。

「池田は、泣き言を嫌う。感傷を嫌う。
自分に甘く、努力しない人間。それでいて、偉そうに振る舞う。
それを池田に指摘されると『自分は弱い人間です』などと卑下する。
本当に弱いと思うなら、強くなろうと努力せよ、と考える池田にとって、
この種の人間は傲慢と映る。
謙虚さとは、ひたむきな生き方であって、謙虚ぶることとは異質なものだ」(P211)


わたしは泣き言が好きなのだ。感傷ほど美しいものはないと思う。
人間のなかには努力できないように生まれついているものがいるのではないか。
どうしてそのことを認めないのか。
自分に甘くたっていいじゃないか。偉ぶったっていいじゃないか。それが人間だろう。
弱い人間はダメだという。強くなれという。努力しろという。
強ければいいのかな。強い人間ばかりだったら息苦しくないかな。
まるで山田太一ドラマのような物言いをしてしまったが、そうなのである。
池田大作氏の嫌う人間を好んで描くのが、わたしの尊敬するシナリオ作家なのである。
山田太一ドラマは泣き言と感傷に満ちている。
山田ドラマを嫌う人間がいることを知っているが、かれらを間違っているとも思わない。
好き嫌いの問題だからである。

こうして書いてきたのは決して池田大作氏への批判でも本書への不満でもない。
この書籍は、おそらく池田大作氏の実像をよく伝えているのであろう。
まさしく池田大作氏の体臭が読者にもわかるほどにである。
この体臭に、学会員さんは感激する。申し訳ないが、わたしは「くさい」と思う。
どちらが優れている・劣っているという問題ではない。ふたりの人間がいる――。
「女殺油地獄」(近松門左衛門/鳥越文蔵:校注/小学館「日本古典文学全集」)

→「女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)」は近松最晩年の異色作。
上演当時はまったく観客に支持されなかったが、明治に入ってから注目されるようになる。
現代にいたるまで改作、映画化が多数ある。
読んで思うのは明らかな失敗作である。
近松が観客を度外視して「女殺油地獄」を書いたのはほぼ間違いあるまい。
時を経てから注目されたのは、
オリジナリティのない表現者にとって本作品が都合がよかっただけであろう。
失敗作ゆえつけこむ隙がたくさんあるというだけだ。
したがって改作はどれも近松の名を借りての、下卑た個性表出行為に終わるはずである。

69歳の近松門左衛門は「女殺油地獄」でなにを試みたのか。
南無阿弥陀仏を劇作で突きつめてみたかったのだと思う。
近松の生家は南無妙法蓮華経(日蓮宗)だったというが、
この劇作家の描く世界は南無阿弥陀仏(浄土真宗)以外のなにものでもない。
南無阿弥陀仏を極限まで追求したのは「歎異抄」における親鸞だが、
近松の「女殺油地獄」はかの聖典に比するほどの迫真性がある。
(むろん「歎異抄」が一般に知られるのは明治以降だから近松は読んでいない)
近松門左衛門は念仏者のひとりとして劇作のなかで阿弥陀仏の光明を追い求めた。
結果、善良な女が油まみれ血まみれになりながら殺される地獄に思い至ったのであろう。
「女殺油地獄」は宗教文学としての深みは驚くべきものがあるものの、
それは必ずしも観客の喝采と結びつくとはかぎらない。
むしろ、この作品の場合は正反対の結果に終わったわけだが、
作者近松は「女殺油地獄」を書いたことに言いようのない満足を覚えていたのではないか。

本作品の主役は河内屋与兵衛。油屋河内屋の長男である。
与兵衛はおよそ最低最悪の人間として描かれる。
河内屋主人の父が元番頭であることにつけこみ店のカネを使い放題。
というのも、義父はかつて河内屋の番頭で、
主人の死後、後釜として収まったという経緯がある。
このなさぬ親子の引け目を逆手に取り放蕩三昧の与兵衛であった。
両親がいくら苦心して稼ごうが、みなみな与兵衛が遊女につぎこんでしまうのである。
挙句、家庭内暴力である。カネをくれぬ義父を足蹴にする。
病身の妹と母が泣いて取りすがるが、与兵衛は振り払い悪罵のかぎりを尽くす。
こらえかねた両親から勘当を言い渡され家を出て行く与兵衛である。
とはいえ、与兵衛の両親はどちらも息子を憎からず思っているのである。
なんとかまともな人間になってもらいたいと念じている。
どうしてこうも親心が通じないのかと両親は泣くばかりである。

ある日、与兵衛が近所のこれまた油屋をしているお吉の家へ寄ったときのことである。
耳をすますと、家のなかには与兵衛の両親が来ている。
盗み聞きをして与兵衛は驚く。
父も母もお互い配偶者に内緒で与兵衛への小遣いをお吉へ託していたからである。
両親ともに心底から息子を心配していることを与兵衛は知る。
さあ、この男は改心するのか。
両親が去ったあとお吉の家に入る。早速、お吉がカネをさしだすと感謝するそぶりもない。
与兵衛はこのくらいのカネではどうにもならぬほどの借金を抱えていたのである。
さらにカネを貸してくれと与兵衛はお吉に依頼する。
油屋をしているのだから運転資金があるだろうというのだ。
お吉は主人の承諾を得ぬうちに貸すことはままならぬと断わる。
カネを今日中に工面しないと捕まってしまうのだと与兵衛は泣き落としにかかる。
最低の甘えである。以前、与兵衛はお吉の世話になったことがあるのである。
あのときは泣きながら懇願したら助けてくれた。
今回も泣いてみたらどうだろうか試みる与兵衛は人間のクズというほかない。
ダメです、カネは貸せませぬとお吉に断わられると、与兵衛は「なら油を貸してくれ」。
油だったらとお吉が背を向けたそのときである。与兵衛は刀を抜く。
気がついたお吉が逃げようとするのを捕まえ首をぐさり。
激痛にもだえ苦しみながらお吉は哀願する。
「命だけは助けて。あたしには幼い3人の子どもが。おカネだったらいくらでも。だから命は」
これに対して与兵衛は――。以下は「女殺油地獄」の絶頂である。

「諦めて死んでくだされ。口で申せば人が聞く。心でお念仏。南無阿弥陀。南無阿弥陀仏と、引寄せて、右手(めて)より左手(ゆんで)の太腹(ふとばら)へ。刺いてはゑぐり、抜いては切り。お吉を迎ひの冥途の夜風。はためくか門の幟(のぼり)の音。煽(あふち)に、売場の火も消えて。庭も心も暗闇に。うち撒(ま)く油、流るる血。踏みのめらかし、踏滑り。身うちは血潮の赤面赤鬼。邪慳の角を振立てて。お吉が身を裂く剣(つるぎ)の山。目前油の地獄の苦しみ。軒(のき)の菖蒲(あやめ)のさしもげに。千々(ちぢ)の病はよくれども。過去の業病逃れえぬ。菖蒲刀(しょうぶかたな)に置く露の、たまも乱れて息絶えたり」(P557)

よくよく注意したいのは、
与兵衛が南無阿弥陀仏と念じながら命乞いをする人妻を殺めていること。
南無阿弥陀仏は人を殺せるということだ。
このような残虐極まりない行為が、あろうことか南無阿弥陀仏から生まれている。
なんの罪もない、それどころか気立てのいい子持ちの女が、南無阿弥陀仏ゆえに
非常な苦しみを味わいながら子どもへの未練を残しつつ死んでゆかねばならぬ。
両親の優しさもお吉の好意も報いられることがなく、むしろ地獄へ直結するのは、
南無阿弥陀仏という称名を響かせることで相殺(そうさい)される。
断じて南無妙法蓮華経にはできぬことである。
題目にはこの地獄は描けぬ。
だが念仏ならば、ここまで人間を世界を宇宙を肯定できるのである。
近松はこの芝居のまさにこの場面を書きながら、
心中が弥陀の光明に満たされることを感じていたのではないか。
南無阿弥陀仏で心中(自殺)ができる。いな、殺人までも可能であった!
理不尽な苦しみ、道理に合わぬ不幸こそ、南無阿弥陀仏を証明する。
仏教者・近松門左衛門の信心は、
「女殺油地獄」を書くに至って、ついに揺るぎない不動のものとなったはずである。

あらすじを書いておくと与兵衛の罪科は、のちに明らかになる。
そのときの与兵衛の言葉はこうである。

「南無三宝、顕(あらは)れし」(しまった、見つかったか)(P568)

与兵衛はなんとか言い逃れようとするが、これも阿弥陀仏のはからいか。
ひっ捕らえられ、みじめなすがたで連行されてゆく。
与兵衛に改心や反省のないのは言うまでもない。
果たしてこの悪人は阿弥陀仏に救われるのか。
親鸞なら救われると大きく首肯したはずである。
なぜなら殺害の直前に南無阿弥陀仏と言っているではないか。
だれでもどんな人間でも与兵衛のような性格、環境に生まれついたら殺人を犯すのである。
だからこそ南無阿弥陀仏なのだと大声で念仏したのが親鸞である。
この親鸞の他力信仰は「歎異抄」が広くゆきわたるまで一般信者は知るよしもなかった。
だが、近松門左衛門の天才は、高僧の智慧を借りるまでもなく、
ただ一心に劇作を繰り返すことで、この南無阿弥陀仏の歓喜に達したのであろう。
近松人形浄瑠璃から、なんと心地のよい念仏が聞こえてくることか。

「冥途の飛脚」(近松門左衛門/鳥越文蔵:校注/小学館「日本古典文学全集」)

→そろそろ近松人形浄瑠璃を総括してみたい。
時代物「出世景清」で遊女・阿古屋の口にしたせりふが鍵になると思う。
「人は一代、名は末代」である。「ふたつにひとつ」の葛藤だ。
一代かぎりの人生を重んじるか、それとも末代(死後)まで残る名を尊ぶか。
敷衍(ふえん)すれば、個人か家名かともなろう。
個人として生きるか、家名を背負って生きるかの二者択一。
これこそ近松劇に登場する人間が向き合わされている葛藤といえよう。
近松の芝居は、歴史をもとにした時代物と町人生活を描いた世話物に二分される。
時代物において登場人物は概して一回きりの人生より家名を重んじる。
いっぽう世話物では、名よりも人としての感情が優先される。
これも無理ないことで時代物に登場するのは武士。
侍は町民と比較すると、家名を重んじる傾向がある。
町民にも家名を守ろうとする気概がないことはないが武士ほど夢中になることはない。
まとめてみると近松劇のドラマ力学は「人は一代、名は末代」である。
人間はこの二者択一に苦しまなければならない。
言い換えれば、近松門左衛門は「人は一代、名は末代」でかれの人形たちを嬲(なぶ)る。
人形のなかの武士は「末代の名を」、町民は「一代の人」を苦悶のすえ選び取る。

「冥途の飛脚」で「一代の人」として生き抜くのは亀屋忠兵衛。
忠兵衛は、飛脚問屋の亀屋に養子として入っている。
所詮は養子の身。たいしたカネもないのに遊女の梅川に入れあげている。
店のカネを流用することでその場を取りつくろっているのが現状だ。
カネがかかるのは、ある田舎客と梅川を奪いあう羽目におちいったため。
(まさに「男女男」で、忠兵衛は嬲られているわけである)
亀屋から送金がとどこおっていることに疑問を感じた八右衛門が取り立てに来ると、
涙ながらに遊女に執心している事情を話す忠兵衛であった。
このへんが近松芝居の特徴なのだが、大のおとながよく泣くことにあきれてしまう。
いまでいえばフーゾクにはまって会社のカネを横領。
取引先から催促が来ると「フーゾクのせいで」と泣きながら詫びるようなものである。
現代なら「ボケぬかせ」と笑われるのが必定だが、そこは江戸時代の人情芝居だからか。
八右衛門は友人の事情を察し忠兵衛とともに涙を流すのである。
そのうえでカネを返すのは後でいいと了承する。
忠兵衛は感じ入ってさらに号泣し八右衛門へ土下座する。
亀屋の義母からの詮索も八右衛門の協力でごまかすことに成功する。
忠兵衛は八右衛門に、鬢水(びんすい)入れを小判包みに見せかけ渡すのであった。

ひと息ついた忠兵衛のもとに江戸からの荷物がやってくる。
300両の到着である。この大金を今夜中に堂島の屋敷へ届けなければならない。
忠兵衛は300両をふところに入れ亀屋を出る。
堂島は亀屋の北。南になにがあるかといえば愛妓・梅川のいる遊郭である。
ここは「冥途の飛脚」のクライマックス。原文で見てみよう。忠兵衛は――。

「銀懐中に、羽織の紐。結ぶ霜夜の門の口、出馴れし足の癖になり。心は北へ行く行くと思ひながらも身は南。西横堀をうかうかと、気に染みつきし女郎(よね)がごと。米屋町まで歩み来て、ヤアこれは堂島のお屋敷へ行くはず。狐が化かすか、南無三宝と引返せしが。ムム我知らず、ここまで来たは。梅川が用あつて氏神のお誘ひ。ちよつと寄つて、顔見てからと。立返つては、いや大事。この銀持つては使ひたからう。おいてくれうか。行ってのけうか、行きもせいと。一度は思案、二度は無思案、三度飛脚。戻れば合せてろくだう(六道)の、冥途の飛脚と」(P41)

「心は北へ身は南」の葛藤シーンである。
心では早く大金を堂島へ届けなければならぬとわかっているのだが、
身はどうしてか色街のある南へ行ってしまう。
一度は引き返すが結局、誘惑に負けてしまう忠兵衛である。
心では飛脚問屋亀屋の名前を守らなくてはいけないとわかっているのだ。
しかし、人間としての欲望が理性を振り切ってしまう。
「人は一代、名は末代」。忠兵衛の出した結論である。
末尾の文章は実に味わい深い。

「一度は思案、二度は無思案、三度飛脚。戻れば合せてろくだう(六道)の、冥途の飛脚と」

(拙訳:一度は思案して引き返したが、二度目は無鉄砲に突き進み、
とはいうものも飛脚問屋のことが気にかかり躊躇するのは三度目の葛藤、
一たす二たす三は六で、六といえば仏教の六道、
忠兵衛は地獄へ向かう飛脚となったのである)

六道とは仏教用語で、人間の死後に生まれ変わる6つの世界のありようである。
内訳は、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道。
どこへ行くかは、生前になした行ないの善悪(業)によって決まる。
この六道はのちに転じて、死後ではなく現在の生存状態を表わすものともなる。
忠兵衛はこれから先、段々と修羅、畜生、餓鬼と地獄へ向けて堕ちてゆくわけである。
けだものめいた愛執の世界はさながら畜生道である。
そして、地獄の業火に焼かれる男女こそ近松の描きたかったものであろう。
芝居のなかで人間は地獄に堕ちなければならぬ。
近松は、地獄の美しさを知っていたのである。

忠兵衛は越後屋で、八右衛門と遊女の会話を盗み聞きして誤解する。
(屋根裏では梅川もこの会話を盗み聞きしている)
持っていた300両を自分のものだといつわり八右衛門へカネを叩きつけた忠兵衛は、
その場で梅川の身請けを宣言するのである。
ふたりきりになると泣きながら真相を白状する忠兵衛であった。公金横領は大罪である。
行けるところまで生き延びようと逃避行を決意したふたりは忠兵衛の生まれ故郷へ向かう。
ところが、すでに手配は行き届き、ふたりはやっとのことで身を隠す。
そこに登場するのは忠兵衛の父、孫右衛門。
ふたりの見ているまえでみじめにも転倒して鼻緒を切ってしまう。
だが、忠兵衛が出て行くわけにはいかず、梅川が介抱におもむく。
こんなことにならなければ嫁と舅(しゅうと)の関係にもなった両人である。
孫右衛門は話しているうちに、この親切な女が息子と逃げている遊女だと気づく。
けれども、罪を犯した息子と会うわけには行かないとぐっとこらえつつも、
梅川に逃走費用を与える。
この場面は近松人形浄瑠璃のなかでも随一であるとの声も多い。
父子のかなわぬ対面は、とりわけ観客の涙を誘ったことだろう。
父の願いはかなわずふたりは捕らえられ罪人として引っ立てられてゆく――。


(追記)以上で「冥途の飛脚」は終幕する。
近松を読むのはもうすぐ終了する予定なので、少し話を広げてみたいと思う。
これから述べることは近松からの飛躍である。
整理すると、近松門左衛門の描いた世界は、よくも悪くも六道なのである。
近松は六道までしか書けなかったが、余人ゆるさぬほど美しく六道を描き切った。
現代人が近松に魅せられるゆえんである。
とはいえ、近松劇に登場する人物はやはり単純な造形といわざるを得ない。
善人は善人に過ぎず、悪人は悪人にとどまっている。かれらは極めて容易に
六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道)へ分類可能だ。
近松の生きた時代の限界だったわけである。

十界(じっかい)という仏教用語がある。
天台宗の教義で、この十界は10の生存状態のことである。
もとにあったのは六道の考えかた。
六道に4つ成仏状態を付け加えて十界としている。すなわち、十界とは――。
地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界。
さらに天台宗では十界互具(じっかいごぐ)を説く。
十界にまた十界が具(そな)わっているという世界観、人間観のこと。
日本有数の物語作家である宮本輝が、
この十界互具を用いて実にわかりやすく近代小説を説明しているので紹介したい。
中上健次との対談から(「道行く人たちと」)。

「人間というのは、そんな簡単なものじゃない。
だから、生命状態のカテゴリーとして十界論があるけど、
十界(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏)というのは、
それぞれに独立している程度しかぼくはまだ書けてなかったんですね。
しかし今度は十界互具というところに入ってくるわね。
それは、地獄界と仏界とが別々にあるんじゃなくて、
仏界所具の地獄界、地獄界所具の仏界ということが、
ものすごく大きな問題点でしょう。
人間が同時にそういうものを持っているということがね。
簡単なたとえを使えば、いま中上さんは癌にかかっているとする。
すると中上さんは地獄界に生きてる。
けれども、その中上さんは、同じ病気で余命いくばくもない少年を見て、
自分のことより、その少年を何とか助けてやれないかと考えたりもする。
これは地獄界所具の菩薩界ですよ。
つまりひとつのカテゴリーの中だけではとらえきれないひとりの人間のカオスだよ。
ドストエフスキーはキリスト教に対してどういう考え方をもっていたのか、
まったくぼくには想像もつかないけれども、
おそらく本能的に、人間のそういうものを知っていた人だな、という気がするのね。
非常に混沌としているよ、あの人のは。
だからあの人の登場人物の性格分析はできないね」(文庫版P122)


近松人形浄瑠璃(六道)→近代小説(十界互具)

「出世景清」(近松門左衛門/藤村作:校訂/岩波文庫)品切れ

→これで近松芝居を読むのは6つめだが、この劇作家の作法にようやく思い至る。
近松門左衛門の人形浄瑠璃は嬲(なぶ)りである。
手元の岩波国語辞典で「嬲(なぶ)る」を引いてみる。

1.手でもてあそぶ。
2.他人を苦しめ悩まして面白がる。また、責めさいなむ。いじめる。
3.からかい、ばかにする。

なんのことはない、近松人形浄瑠璃の本質がすべて書かれているではないか。
近松は劇作構想中、あたまのなかで人形をもてあそんでいる。
挙句、芝居では登場する人間を苦しめ悩ませ、観客と共に面白がる。
どれほど近松芝居の人形たちが浮き世(憂き世)に責めさいなまれることか。
登場する町人相互のからかい、ばかにしあいのなんと軽妙なことか。
近松劇の特徴は嬲りにある。嬲るは「男女男」と書く。男ふたりが女を挟んでいる。
「曾根崎心中」「冥土の飛脚」は、まさに嬲り芝居である。
ひとりの遊女を男ふたりが取り合うことで芝居が進行する。
「男女男」ではなく「女男女」と書く「嫐」という字がある。
これは「うはなり」とも、また「嬲」とおなじく「嫐(なぶ)る」とも読まれる。
近松が嫐りを実行したのが「心中重井筒」「心中天の網島」。
ふたりの女(本妻と遊女)がひとりの男を奪い合っている。
近松のなぶる様(さま)を見ていると、男女のからみあいに感嘆する。
いかに女が男を、男が女を動かしていくか、である。
近松にとって男女の性差はお互いを動かす操り糸であったことは明瞭である。
近松は人形を舞台に登場させるがこの人形は動かない。
だから、作者は異なる性を仕掛けていく。色仕掛けだ。
近松劇の男にとって女は罠(わな)に等しい。

近松初期の当たり芝居とされる「出世景清」は「女男女」の嫐りものである。
男は怪力をもつ大男・平景清。源平の合戦で敗れた平氏の落ち武者。
いまは大宮司のもとに身をひそめ源氏へ復讐する機会をうかがっている。
いつしか景清は、大宮司の娘である小野姫と結ばれている。
大仏建立を好機と見た景清は日雇い人に変装して復讐をねらう。
ところが、正体がばれてしまい、景清はからくも現場から逃走する。
つぎに景清の隠れ場所としたのが、遊女・阿古屋(あこや)のもとである。
ふたりはかつて愛し合い、いまは幼い息子がふたりいる。
阿古屋は小野姫への浮気を責めるが、
景清はなんのかんのとこの遊女をなだめるのであった。

近松芝居では人形はなぶられなければならない。
悩み苦しむことが求められている。悩み無用生活は芝居にならぬ。
ある日のことである。景清は留守にしていた。
ずるがしこそうな兄の十蔵が阿古屋のもとにやってきて、こういうのである。
訴人の景清をつきだしてしまおう。たんまりゼニが入るぜ。
阿古屋は泣きながら兄をとめようとする。
頼ってきたものをつきだすなんて、それも景清様は兄上にとっては妹婿。

人は一代、名は末代。思ひわけてもご覧ぜよ」(P81)

人間は一代かぎりのものですが、名、すなわち名誉名声評判は末代まで響きます。
どうか分別をお持ちくだされ、兄御様。ところが、兄は――。

「十蔵からからと打わらひ。やれ名を惜しみて得を取らぬはむかしふうの侍とて 当世は流行らぬ古いと」(P81)

そのうえ十蔵は妹の痛いところをつく。
聞けば、景清は小野姫という娘を愛しているそうではないか。
なぶられる阿古屋である。そこに飛脚の登場である。
渡されたのは、小野姫から景清に宛てた手紙。阿古屋は開封して盗み見る。
内容は――ご消息聞こえぬゆえ心配申す。阿古屋という遊女とお親しみとか。
よもやわたくし小野姫と交わした将来の約束をお忘れになったわけではあるまいな。

「阿古屋は読みも果て給はず はつとせきたる気色にて。うらめしや腹立や口おしや妬ましや。恋に隔てはなきものを遊女とは何事ぞ。子の有中こそ まことのつまよかくとはしらではかなくも。大切がりいとしがり心を尽くせし口惜しさは人にうらみはなきものを。男畜生いたづらもの アアうらめしや無念やと。文ずんずんに引きさきて かこちうらみてなき給ふ」(P83)

ふざけんじゃないわよ! 
宮司の娘だかなんだか知らないけど、あたしが遊女だからってその高飛車はなに?
こっちにはねえ、あんたと違って子どもまでいるの。ほんとお高くとまっちゃって。
(だけど男はやはり商売女なんかより、良家の令嬢を好むものかしら)
ふん、男なんてみんなけだものじゃない。チクショー。こんな手紙はビリビリに破いてやる。

「人は一代、名は末代」
名誉名声など知ったことかと、このとき遊女阿古屋は人間の感情に走るわけだ。
「人は一代、名は末代」は「ふたつにひとつ」である。
言い換えるなら「一代の人か、末代の名か」となる。阿古屋は前者を選択したわけである。
すなわち、景清の所在を役所に通報したのである。
ところはかわって清水寺。仏心の篤い景清は寺に参籠の折節。
四方軍勢に囲まれるも、そこは怪力無双の景清。
寺の荒法師にも助けられ、まんまと危機を脱するのであった。

さて、おだやかではないのは幕府の追っ手。どうにもこうにも埒(らち)があかぬ。
頼朝公の側近、梶原源太は大宮司を捕まえ牢屋へ収監する。
こうすれば人情に厚い景清が現われるのではないかという計算である。
ところが、遠路はるばるやってきたのは娘の小野姫。
父のいる牢屋を探し求めているうちに悪漢・梶原源太に見つかってしまう。
この場面は「出世景清」における白眉である。細かく見ていきたい。
梶原源太は親思いの小野姫に詰問する。

「をのれの親の大ぐじに。景清が行方をいへといへどもしらぬといふ。をのれは夫婦のことなればよもしらぬことは有まじき。すでに清水坂の阿古屋は子の有中さへ振捨てて一度注進申せしぞや。有のままに白状せよと小がいな取りて怒りける」

おまえの親父は口を割らない。おぬしは夫婦なのだから知らぬはずはあるまい。
とうに遊女の阿古屋は子のある仲にもかかわらず告発している。
おい、小娘、白状しやがれ、と梶原源太は小野姫のかぼそい腕をむんずとつかむ。
健気にも小野姫は――。

「なふ恨めしや命を捨てて。是迄出るほどの心にて たとへゆくゑをしつたればとて申さふか。此うへは水責め火責めにあふとても つまのゆくゑもぞんせぬなり。ただ父上をたすけてたべと こゑも惜しまず泣き給ふ」

ひどいじゃありませんか。女だてら命がけでここまで来たのです。
よしんば、行方を知っていても決して申しませぬ。なんと薄情なお侍様。いいですこと。
水責め火責めの拷問を受けようが、知らないものは知りませんから。
どうか父をお助けくださいと声をあげて泣く小野姫。
さあ、梶原源太はどうするか。大宮司の娘である。宮司とは、神社における最高の神職。
その娘なら、小さいころからかわいがられて育ったに違いない。
だから侍の自分をまえにしても、気の強いことをいうのだろう。
この小娘が、水責め火責めだと? ゴーゴー梶原、ゴーゴー源太♪

「ヲヲいふ迄もないことさ。をのれ落ちずはただ置くべきかと。高手小手に縛り付 六篠川原に引出し。種々に拷問したりしは なふ情けなうこそ見えにけれ。梶原親子が奉行にて。方一町に垣をゆひ 突く棒 刺す股 かねの棒。兵具ひつしと並べしは さながら修羅獄卒が。八逆五逆の罪人を 呵責にかくるごとく也。いたはしや小野姫 あらき風にもあてぬ身を。裸になして縄をかけ。十二の梯子に。胴中を縛りつけ 哀れもしらぬ雑人共。湯桶に水をつぎかけつぎかけ落ちよ落ちよと責めけるは ただ瀧津瀬のごとくにて 目もあてられぬ景色なり。むざんやな小野姫 息もはや絶え絶えに。心もみだれ目くるめき既に最後と見えけれ共。いやいや武士の妻と成 心弱くてはかなはじと。さあらぬていにもてなし いかに方々。夫の景清つねに清水寺の観世音を信仰し我にも信じ奉れと深く教え給ふゆへ。今とても尊号をたへずとなへ奉れば。此水は観音の甘露法雨と覚たり。今此水にて死する命は惜しからじ。夫のゆくゑはしらぬぞや 千日千夜もせめ給へ。南無や大悲観世音と苦しきていを押しかくし。いさぎよくはのたまへども。さすが強き拷問に声もにごりて身もふるひ。弱々と成給ふは さてもかなしきしだい也」(P91)

ここはあえて訳さない。原文のほうがよほど味わい深いと思うからである。
凄まじいというほかないエログロバイオレンスでしょう(笑)。
近松のサービス精神はとまらない。このあとも拷問はつづくのである。
梶原源太は素っ裸の小野姫をつぎは古木責めという拷問にかける。
首に縄をかけ木の裏から引っぱりあげ、死なないうちにまたおろすという繰り返し。
これも効果なしで火責めまでやる近松のサド根性には恐れ入った。
(ストリップショーでもポルノ映画でもなく、あくまでも人形芝居。
したがって観客は物語を聞きながら想像するのみ。
だけど、実のところこれがいちばんいやらしいんだな、うしし)
話をもとに戻すと、「人は一代、名は末代」。
小野姫は人としての苦しみにたえ、武士の妻という名を取ったわけである。
ここに「景清見参!」と、かの荒武者が仁王のごとく登場するのは芝居の見せ場だ。

小野姫の代わりに捕われの身になった景清は、
ほとんど身動きができないほど小さなまるで檻のような牢屋に入れられる。
手かせ足かせも厳重になされている。
牢屋は見せしめとして徒刑場に放置された。
このような環境でも信心に篤い景清は観音経を唱えつづけるのであった。
釈放された小野姫は酒や食事を持ち寄り景清の世話をする。
明日また来ると言い残し小野姫が去ったのちのことである。
遊女の阿古屋が幼い息子をふたり連れて景清のまえに現われる。
怒り狂う景清である。指一本でも自由になればぶちのめしてやったのに!
泣きながら許しを乞い阿古屋は事情を説明する。
小野姫からの手紙を見てしまったの。嫉妬は女のさがゆえどうかお許しくだされ。
許さぬと景清の憤怒は鬼かとまごうほどである。
だが、ふたりの幼子(おさなご)にまとわりつかれ思わず涙する景清。
「せめて子どもたちにはあたたかい言葉をかけてあげてくれませんか」と阿古屋。
いやだ、断わる、おまえの邪悪な腹から出たのだから子どもも敵じゃわい。
未来永劫おまえらを妻とも子とも思うことはない、と景清は言い放つ。
帰れ帰れと憎悪の目でにらんでくる夫に、妻の阿古屋は――。

「なふ最早ながらへて何方へ帰らふぞ、やれ子供よ。母が誤りたればこそ かく詫言いたせ共。つれなき父御のことばをきいたか。親や夫に敵と思はれ おぬしらとても生甲斐なし。此うへは父親もつたと思ふな 母斗が子成ぞや。みづからもながらへて非道の浮名ながさんことと未来をかけて情けなや。いざもろ共に四手(死手)の山にて いひわけせよ。いかに景清殿。わらはが心底是迄也と。弥石(長男)を引きよせ守り刀をずはと抜き。南無阿弥陀仏と刺し通せば 弥若(次男)驚き声を立」

阿古屋はなにを思ったか子どもを刺し殺したのである。
「人は一代、名は末代」における「非道の浮名」の流布を恐れたのか。
次男の泣き叫びながら命乞いをするすがたは哀れというほかない。
お父ちゃん、助けてくれと景清に嘆願するが、阿古屋は皮肉をいう。
「向こうに行ったら今度はお父さんに殺されますよ」
絶望した幼子はどうしたらいいかわからない。
「お兄さんは静かに死んでいったでしょう。
お母さんは死ななければお父さんに言い訳が立たないの。
さあ、死にましょう」
もう死ぬしかないと思い定めた幼子は兄の死骸によりかかり母の刃を待つのであった。

「阿古屋は目もくれ手もなへて まろび。伏してなげきしが。エエ今はかなふまじ 必ず前世の約束と思ひ母ばし怨むるな。追つつけゆくぞ南無阿弥陀と心もとを刺し通し。さあ今はうらみを晴らし給へ 迎へ給へ御仏と。かたなを喉にをしあて 兄弟が死骸の上にかつはと伏し。ともに空しくなり給ふ。さても是非なき風情なり。景清は身をもだへ泣けど叫べどかひぞなき。神や仏はなき世かの さりとてはゆるしてくれよ。やれ兄弟よ我が妻よと鬼に欺く景清も。声をあげてぞ泣きゐたり。ものの。哀れのかぎりなり」(P100)

専門的な話になるが、この子殺しのシーンはギリシア悲劇と比較されることがある。
エウリピデスの「メディア」である。だが、比べてみると悲劇のレベルが段違いである。
「出世景清」のほうが桁違いに悲劇的であるといえよう。
メディアは、夫への復讐のために子どもを殺し逃亡する。
殺害も観客から隠された場所で行なわれている。
いっぽう「出世景清」では夫の目前でいたましい殺害がなされている。
(これが可能なのは俳優を用いない人形芝居だからであろう)
そのうえ景清のまさに目の前で阿古屋は自害する。
このとき牢屋のなかで手も足も出せぬ景清の気持を思うと荘厳なものさえ感じられる。
眼前で子が殺され妻が死んでゆくのである。
それも自分の許さないと言ったのが直接的な原因なのだから。
直後に今度は自分のほうから妻や子に許しを乞う景清ほど
悲劇的な人物はなかなかいないだろう。
死でもって愛とも憎とも言いがたい巨大な感情を景清に伝える阿古屋は見事である。

景清の悲憤はすぐに放出される。阿古屋の兄が通りかかったのである。
十蔵は景清が牢屋にいると知ると、この武士を挑発する。
哀しみと怒りで全身が張り裂けんばかりの景清である。
堅固な牢屋もあっけなく砕け散った。
景清はかつて自分を売った十蔵を生きながらまっぷたつに裂く(う~ん、バイオレンス!)。
どこへ逃げようかといったんは迷った景清だが、
どのみち小野姫が捕らえられてしまうと悟り、おとなしく牢屋のなかへ戻るのであった。

芝居の終わりでようやくにして源氏の総大将、源頼朝公のお出ましである。
景清の斬首処刑の報告を受けた頼朝だが、家臣のなかに景清を見たというものがいる。
一行が景清の首を見にいくと、あるべき場所に観世音の頭部が光り輝いていた。
ありがたい観世音菩薩の示現に感銘を受けた頼朝公は訴人景清を放免する。
頼朝公から請われ、居並ぶ家臣のまえで源平合戦の物語する景清であった。
宴も終わり、頼朝公がひきあげようとしたそのときである。
景清は抜刀し憎き平家のかたき源頼朝へ襲いかかろうとする。
異変に気づいた家臣は、みなみな刀を抜き身構える。
景清は刀を捨て、土下座して泣きむせぶのであった。
頼朝公からは恩賞もいただき感謝しなければならない身なのに、
凡夫ゆえか、かつての仇敵と思うと、知らぬ間に抜刀している。
すべてこの目がいけない。すがたさえ見えなければこんなことにはならぬ。
そう宣言すると、景清はおのが両目をくりだし、その場で頼朝公へ献上するのであった。

「頼朝もはなはだ御感有 前代未聞の侍かな。平家の恩を忘れぬごとく 又頼朝が恩をも忘れず。末世に忠をつくすべき仁義の勇士武士の手本は景清と。数の御褒美あさからず 鎌倉さして入給へば。なお景清は観音に。三萬三千三百巻の普門品を読誦して。日向の国を本領し 悦び悦び退出す。なをなを源氏のご繁昌。国静謐の始めなるはと皆。萬歳をぞ唱へける」(P111)

実にめでたい。こういうときはことさら大きく喜ばなければならない。
このところあたまを悩ませていた問題がようやく解決したのである。
またもや騒音である。
この数週間というもの、朝晩を問わずピアノの音に迷惑していた。
毎日ではない。長時間でもない。
この程度なら許すことのできる人間のほうが多いのだろう。
そうはわかっているのだが、どうしてもわたしはダメなのである。
神経症体質なのだと思う。ピアノの音を聞くとこのうえもない不快感につつまれる。
よくないのは、四六時中ピアノを気にしなければならなくなったこと。
いつピアノが鳴るかと思うと不安でたまらないのである。
病院へ行けといわれそうだが、いまのところ騒音恐怖症を緩和するクスリはない。

ピアノの音が聞こえるたびにドアから飛び出たものである。
どこの部屋から出ているのか知らなくてはならない。
しかし、これがなかなかわからないのである。
複数のドアのまえに立ちどまり耳をすませるが特定はできない。
はたから見たら完全な不審者である。
自分でもこれではまるで狂人だなと思ったものである。
どうしようもなくピアノがいやなのである。
むろん、耳栓はしている。だが、ピアノ騒音は耳栓などらくらく突破する。
完全防音が売りのヘッドホンを買うしかないのかと思った。
飛行機のパイロットが使っているものだが金額は4万円を超える。

毎日が地獄の様相をていした。たかがピアノというのはわかっているのである。
気にしなければいい。
ところが、気にしないようにしようと思うと、かえって気になってどろぬまである。
神経症や恐怖症は、まさにどろぬまだと思う。
動けば動くほど沈んでいく。沈むと恐怖感がつのり助かりたいとまたあがく。
すると、皮肉にも身体はどんどん沈んでゆく。
このままでは呼吸ができなくなってしまうと恐怖する。
動かないのがいちばんなのである。動かなければ沈むにしろゆっくりとしたものだ。
いつかロープがかけられるかもしれない。
だが、神経症患者はみなみな恐怖感からあせる。そのぶん沈む。
いつしか顔までどろぬまである。口に鼻に異物が侵入する。
こうなったらほとんど人間崩壊である。死ぬか殺すしかなくなる。
人間はたかがピアノの音でひとを殺せるのである。
(ごめんなさい、わたしはピアノ騒音殺人の犯人の気持がわかります。
小学校の先生にいわれたな。ひとの気持がわかる人間になりましょう)

昨日の朝8時、ピアノが鳴る。今日こそはつきとめなければならない。
このときわたしの目はひどく血走っていたことだろう。
こうして部屋を飛び出るのはこれで5回目になろうか。
ある考えを実行した。建物の外側にまわってみようと思ったのである。
音源が特定できるのではないか。
どこから出ているかわからないというのが最大の恐怖なのである。
これは2ちゃんねるや、はてなブックマークで攻撃される不快感に近い。
耳をすます。このへたくそなピアノはどこでだれが弾いているのか。
わかった、と思った。うちの真下ではないか。
全速力でかけだす。現行犯で逮捕しなければならない。
見ず知らずのひとのチャイムを押すことを尻込みするひとが多いようだが、
わたしはそれほどでもない。
というか、ピアノの音に狂わされそれどころではないのである。
たとえ狂人と後ろ指をさされようが、ピアノ騒音がなくなるのなら構わない。

ドアが開く。少女である。小学校の低学年くらいかと思われる。
この展開はまったく想像していなかった。見ると、かわいらしい女の子。
まず名乗る。何号室の××ですが――。
「ピアノ弾いていたね?」
少女はうなずく。よし、やはりここであったか。
「うるさいからやめてもらえないかな」
こくりと首肯する女の子。
さてと思う。これからどうしようか。このまま部屋に戻るべきか。
なにか忘れたことがあるような気がする。思い出した。
「お父さんかお母さんいないかな」
少女は母親を呼びに行く。どうやら洗面所にいるようだが、声だけですがたを現わさない。
顔の見えないこの母親と会話する。
「たいへん身勝手だとは思いますが、ピアノがうるさいんですけれど」
「どこですか?」
「上です。真上です」
言質を取っておかなければならない。
「これからもピアノを弾きますか?」
音を下げますから、ということである。とりあえず、今日はこのへんにしておこうと退散する。

どこの部屋かわかったのが収穫である。この獲物は大きい。
断わっておくが、集合住宅におけるピアノ演奏の是非は問題にしていない。
ピアノくらい構わないと考えるひとがいるのは知っている。
自分がぜったいに正しいなどとは思ってはいない。
わたしがこの日、行なったのは不愉快の伝達である。
知らないということが最大の問題なのである。
ピアノを弾いているがわは、自分たちが他人を苦しめていることを知らない。
これがよくないと思う。苦しんでいることをきちんと伝えなければならない。
繰り返すが、集合住宅での楽器演奏はマナーの問題。
規則はいまのところないようである。
この日、わたしはあなたがたのピアノで迷惑していると下の部屋のものに告げた。
だが、禁止されたわけではない。
あの少女はこれからもいくらだってピアノを弾くことができる。
そのときピアノを演奏することで他人を苦しめているという自覚があればいいのだ。
リスクも知らなければならない。
このままピアノがつづくようなら(ないと思いたいが)、
本意ではないがこちらも苦しみをお返ししなければならない。
そのことを昨日わかっていただいたのである。
ピアノで気が狂うかと思ったが、ああ神よ仏よ、ありがたいことにひとまずは解決である。
「随筆集 春の夜航」(三浦哲郎/講談社文庫)絶版

→三浦文学の魅力は、暗い夜道を歩む少年の透明な感性である。
薄暗い街灯はあてにならず、星の輝きも雲に隠れている、
にもかかわらず、前を向いて自身の有する光のみをたよりに歩を進める。
三浦哲郎の生きかたであり、文章である。
おちゃらけたところのまるでない一本気で純粋な、いわば文学の正統だ。
芥川賞を受賞した「忍ぶ川」の執筆経緯が本書に書かれている。

「その年の夏、私は急に思い立って、
二十日ほど睡眠時間を極度にきり詰めて『忍ぶ川』という作品を書いた。
それは新潮の十月号に掲載されたが、ほとんど反響がなかった」(P251)


「忍ぶ川」は極めて叙情的な恋愛小説である。私小説でもある。
三浦哲郎は自身の血と、それにあらがうための結婚を、書いている。
小説では、不幸な血を持つ「私」と、これまた幸薄い「志乃」が結ばれる。
これを読んだわたしは「忍ぶ川」が虚構よりも事実に近い私小説であることに驚いた。
思ったものである。わたしの前にも「志乃」が現われるかもしれない。
「忍ぶ川」を最初に読んでから8年近くも経つが、
「志乃」はどこにもいないし、急に思い立って小説を書くようなこともない。
「随筆集 下駄の音」(三浦哲郎/講談社文庫)絶版

→三浦哲郎氏の声を書きとめておこうと思う。
むろん、おのれの戒めとしてである。
三浦氏は次兄の出奔が自分を文学へ向かわせたという。
なんの前触れもなく、次兄が行方知れずになった。

「家族の信頼を一身に集めていたこの兄の背信は、
私たちに忘れかけていた十数年前の一家の暗黒時代をまざまざと思い出させた。
十九の次姉が入水して果てたのをきっかけに、
長兄が失踪し、長姉もまた服毒自殺を遂げた暗い記憶である。
あの陰鬱な嵐はすでに過ぎ去ったものだとばかり思っていたが、そうではなかった。
私は次兄の失踪に強い衝撃を受けていた。次兄は三十半ばに達していた。
もはや若気の不始末では片付けられない。
六人兄弟のうち四人までがこんな自滅の仕方をするのは
頗る異常だと思うほかはなかった。
こんなことになったのは一体なんのせいだろう。
二十歳の私はあれこれ悩んだ末に、
これはおそらく血のせいだろうと思うに至った。
私たちの血が病んでいて、兄や姉たちはその病んだ血の誘惑に負けたのだ。
私はおそろしくて、不安であった。
その病んだ血が確実に末弟の私自身にも流れているからである。
私も兄や姉たちのように、いつ血の誘惑に負けてしまうかもわからない。
それを思うと、おそろしくて不安だった。
私は自分自身の血に対して身構えなければならないと思った。
自分自身の血を試験管に採って調べる一方、
その血によって生きている自分という人間の監視を怠るまいと思った。
私は、血の検査の進み具合や自分自身の観察記録を
毎晩ノートに書きつけるようになった。
それが文学の道へ進むきっかけとなったのだが(後略)」(P262)


わたしの母は息子の目の前で飛び降り自殺をした。
いつの日かきっとわたしもだれかの前で身を投げるのだろうと思っていた時期があった。
いや、いまでも思っているのかもしれない。
自他問わずひとが飛び降りる夢は頻繁に見る。死ぬなら飛び降りるしかない。
この血はいったいなんなのだろうか。血を書いてみたいと思う。
しかし、わたしには三浦哲郎氏のような純文学的才能がどうやらないようなのである。
思い込みはよくない。
ともあれ偉大なる先行者、三浦氏から小説の書きかたを学ぼう。

「ノートをとって、それに縛られるのが厭だ。きちんと設計図を引いてしまうと、
肝腎の書くという作業がただの味気ない労働になってしまうのもおもしろくない。
これを、こう書いて、こんなふうな作品に、という程度の見当だけはつけておいて、
あとは自分という書き手に賭けたいと思う。
最初の一行が次の一行を産み、その一行がまた次の一行を産む、
という具合にじりじりと書き進めているうちに、
書き出す前には思いもしなかった収穫に恵まれないとも限らない」(P296)
「スペインの酒袋」(三浦哲郎/旺文社文庫)絶版

→8年前のひと夏をわたしは三浦哲郎氏に支えられて、
かろうじて生き延びることができたようにも思うのである。
三浦氏のふたりのお姉さまは自殺。お兄さまふたりは失踪(蒸発)している。
呪われた血をどう止めるかという葛藤から氏は文学の道を歩まれた。
三浦哲郎の文学は、
当時、母の悲劇的としかいいようのない自死でひどく打ちのめされていたわたしにとって、
ひとつのともしびであった。
「忍ぶ川」を読んでは泣き、「白夜を旅する人々」にいたってはなみだが止まらず、
生きよう生きようと歯を食いしばりながら思ったのであった。
夏が終わり、三浦哲郎氏はわたしにとってたいせつな作家となった。

この随筆集に、太宰治との出逢いを書いた一章がある。
氏は早稲田の政経学部に入ったものの、大学の講義はすこしも面白くない。
同郷の友人が、たまには小説でも読んでみるといいと文庫を1冊貸してくれた。

「それが太宰治の『晩年』で、読んで私はびっくりした。
寝転んで読みはじめたが、すぐ起き上ってしまった。
『晩年』の巻頭は『葉』という短編で、その『葉』の冒頭にこんな文章がある。
『死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。
お年玉としてである。着物の布地は麻であった。
鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。
夏まで生きていようと思った』
死のうと思って、そうして死んでしまった肉親を二人も持っている私には、
この文章は、こたえた。それまでの私は、死は、恥であり、
死のうと思って死ぬ者はその恥のかたまりであると思い込んでいたのだが、
この文章は、死のうと思う人、いわば死を操る人の繊細な心情を、
私に教えてくれたのである」(P50)
「オンディーヌ」(ジロドゥ/内村直也訳/白水社)

→戯曲。フランス産。
大昔はジロドゥなんざ読んでいるとお洒落で繊細そうでなおかつ深遠と思われ、
たいそう文学少女からもてたようである。
なんせおフランスものだからね。ひかえい、みなのもの、パリが目に入らぬか。
騎士が水の精オンディーヌと出会い、恋に落ち、別れる。
ああん、究極の恋愛って感じ。だって騎士も水の精もフランス人が演じるんですもの。
実はありきたりなストーリーラインなんだがな。
男女が偶然会って、イヌでもネコでもできる発情をして、あとは別れるだけなんだから。
男を最後に死なせるのも、観客を泣かせる意図がぷんぷんで興醒め。
過程で劇中劇のようなものがある。劇を作る劇みたいなのだが、よくわからない。
このわからなさがいいのである。
なにやら深いものが演じられているような錯覚がもたらされる。
「いやあ泣けた。やはりフランスは芸術大国だ」と感心するお客さん!
それでいいのです。舞台同様、実人生でも、
役者たるあなたもわたしもわけのわからぬ夢を見て死んでゆくのですから。

ジロドゥなんか読んでも、もてないのが平成ニッポン。
さあ、出会い系サイトに登録してきみもオンディーヌと会おう(死ぬなよ)!
「世の習い」(コングリーヴ/笹山隆訳/岩波文庫)

→戯曲。イギリス産。コングリーヴが誕生したのはシェイクスピアの死後約50年。
この時期、流行していたのは風習喜劇。代表作とされるのが「世の習い」。
コングリーヴは、ウェルメイドプレイで知られるテレンス・ラティガンやノエル・カワードの
元祖という説があるため、上質な娯楽作品であることを期待して読む。
まったく退屈な芝居であった。
登場するのは貴族の男5人、女4人。こいつらの関心のあることはイロとカネのみ。
イロとカネの奪い合いが舞台で繰り広げられる。
複雑な男女関係は、おそらく読者のなかでも理解できるものは極めて少ないだろう。
まあ、男女入り乱れてやりまくっているわけだ~よ。
妻の元カレはボクの親友だったみたいな(笑)。
だけど、ボクにも愛人がいて、しかしこの女もまた親友に食われていたという(笑)。
つまり、もてるやつはもてるってことだな。
笑われ役はイロボケした老女。このババアを変装した下男がからかうのだが、
この老人虐待、現代日本人にはちっともおもしろくない。
幕が開いたら閉じなければならない。
う~ん、コングリーヴちゃん、最終回ど~する? 結婚させちゃおうか?
といったテレビ局プロデユーサーのような乗りでカップルが結ばれておしまい。
「レ・ミゼラブル」(ユゴー/佐藤朔訳/新潮文庫)

→まさか30歳を過ぎてから
「レ・ミゼラブル」を読むような人生を送るとは思ってもいなかった。
この長編小説はあまりにおもしろい物語部分と、
これほど退屈なものはない作者のうんちくで成り立っている。
うんちく部分はすじとはまったく関係しない独立した評論である。
フランスの歴史、修道院の内部、隠語の研究、下水道の変化などである。
多くの読者が「レ・ミゼラブル」を途中で放棄するのはこのうんちく部分のためであろう。
すべて読んだわたしが保証するが、
うんちく部分はいっさい読まないでもこの小説の味わいはいっこうに薄れない。
これから挑戦しようとする読書家は参考にしてください。

「レ・ミゼラブル」は通俗小説と揶揄されるほど物語がおもしろい。
どのようにして物語が形成されているかに注意してこの長編小説を読んでいきたい。
知りたいのは、いかにしたらおもしろい物語が書けるかだ。
まずは自作解説を聞いてみよう。ユゴーはつぎのようにいう。
(引用部分末尾のローマ数字は何巻目かを示す)

「この書物は一つのドラマであり、無限を主人公にしている。
人間は端役である」(Ⅱ・P319)


「レ・ミゼラブル」全編をつらぬくドラマ、すなわち葛藤は物語のはじめに明らかになる。
ジャン・ヴァルジャンはパンを盗んだとがで19年もの服役生活を送った元徒刑囚。
ようやく釈放されたが前科者のかれには食事どころか寝場所すら与えられない。
この晩、嫌われもののジャン・ヴァルジャンにあたたかいスープと寝台を提供したのは、
ある司教であった。朝方のことである。
ジャン・ヴァルジャンはこっそり起きだし司教の部屋へ侵入する。
銀の食器の存在を思い出したのである。忍び足で老いた司教のもとへ近づく。

「彼の目は老人から離れなかった。
その態度と表情に、はっきりあらわれていたものは、
ただ奇妙な不決断だけであった。
身を滅ぼす深淵と、身を救う深淵と、
二つの深淵の間で、ためらっているようだった。
この頭を打割るか、この手に接吻するか、
どちらかをするつもりかのようだった」(Ⅰ・P162)


「レ・ミゼラブル」は5部からなるジャン・ヴァルジャンの死に終わる物語だが、
この元徒刑囚は生涯ふたつの深淵のただなかで生き迷ったのである。
「身を滅ぼす深淵と、身を救う深淵」である。
先を知るものの飛躍を許してもらえるのなら、
これは神の法と人間の法といいかえてもよい。
「レ・ミゼラブル」の物語における主軸は、神と人間との対立、葛藤である。
銀の食器を盗んだジャン・ヴァルジャンだが、あっけなく憲兵に捕まってしまう。
憲兵に連れられ司教館にひきずりだされるジャン・ヴァルジャン。
このとき司教はジャン・ヴァルジャンの窃盗を否定するのである。
この食器はあげたものだと説明する。のみならず、銀の燭台までさしだす。

「ジャン・ヴァルジャンは気絶しそうな人間みたいだった。
司教は彼に近寄って、低い声で言った。
「忘れないでください。決して忘れないでください。
あなたが正直な人間になるために、この銀器を使うとわたしに約束したことを」
何も約束した覚えがないジャン・ヴァルジャンは、あっけにとられていた。
司教はこれらの言葉を言いながら力をこめた。
彼は一種の荘重さをもってまた言った。
「わたしの兄弟のジャン・ヴァルジャンよ、あなたはもう悪の味方ではなく、
善の味方です。あなたの魂を、わたしは買います。
暗い考えや、破滅の精神から引離して、あなたの魂を神にささげます」(Ⅰ・P168)


司教はふたつの選択肢があったのである。憲兵につきだすことも可能であった。
だが、司教は人間の法でジャン・ヴァルジャンを裁こうとはしなかった。
神の愛でもってこの罪人を遇した。
この「ふたつにひとつ」がのちの物語における「ふたつにひとつ」を決定するのである。
苦難多き人生を余儀なくされたジャン・ヴァルジャンは、
あらゆる機会において「ふたつにひとつ」の選択を迫られる。
たいがいにして個人の欲得か神に通じる愛か、という二者択一であった。
その折々選択に迷うジャン・ヴァルジャンの物語こそ「レ・ミゼラブル」である。

のちに前科を隠し資産家となったジャン・ヴァルジャンは善行が認められ市長になる。
市長の正体を知るものが現われる。警察官ジャヴェールである。
ある日のことである。往来で事故が起こる。馬車の下敷きになったものがいる。
この事故にジャン・ヴァルジャンとジャヴェールが居合わせる。
徒刑囚ジャン・ヴァルジャンの怪力をジャヴェールは知っている。
もしここでいまはマレーヌと偽名を使っているジャン・ヴァルジャンが
馬車の下のフォーシュルヴァンを助けたら正体がジャヴェールにばれてしまうかもしれない。
「ふたつにひとつ」である。自己保身か隣人愛か。
ジャン・ヴァルジャンは命がけで馬車の下にもぐりこみフォーシュルヴァンを救出する。
この人命救助が縁となり、
後日逃亡するジャン・ヴァルジャンをフォーシュルヴァンがかくまうことになる。
すべては司教の「ふたつにひとつ」が機縁となっているのである。
立ちどまって物語の成り立ちを整理するとこうなる。

「物語」=「ふたつにひとつ」→「ふたつにひとつ」

ならば、「ふたつにひとつ」の根本とはなんだろうという疑問が生まれる。
この問題に答えを与えるのは先延ばしにして、もう少し物語を見ていこう。
ジャン・ヴァルジャンの正体を見破ったジャヴェールだが、
おかしな事態の推移で告発を見送らざるをえなくなる。
ジャン・ヴァルジャンとおぼしき男が捕まったからである。
ジャン・ヴァルジャンは銀器をたずさえ司教館を出発したのち、
ふとした放心から子どもの小銭を盗んだかたちになってしまった。
この罪状での逮捕である。
またもやジャン・ヴァルジャンのまえに「ふたつにひとつ」が現われる。
無罪の人間がジャン・ヴァルジャンの名のもとに裁かれようとしている。
正直に自分こそジャン・ヴァルジャンだと名乗りでるか。
だが、そんなことをしたら、またあの徒刑場に逆戻りである。
この町は自分が市長をやっているからうまくいっているのである。
市長をやめることになったら多くの人間に迷惑をかけてしまう。
もしや偽者のジャン・ヴァルジャンが捕まったということこそ神の意志ではあるまいか。
「ふたつにひとつ」のはざまでジャン・ヴァルジャンはもがき苦しむ。

「天国にとどまって悪魔となるか! 地獄に戻って天使となるか!」
どうしたらいいのか、ああ、どうしたらいいのか? (中略)
ああ! 彼はまたあらゆる不決断にとらえられた。
初めから一歩も進んでなかったのだ。
このように、この不幸の魂は、苦悩に身もだえしていた。
この不幸な男より千八百年前に、人類のあらゆる聖性と、あらゆる苦悩を、
一身に集めていた神秘な人キリストも、
オリーブの木々が、荒れ狂う無限の風におののいている間に、
星に満ちた深い空の中で、影をしたたらせ、
闇をあふれさせていた恐るべき杯が差出されたのに、
それをいつまでも手で押しのけていたのである」(Ⅰ・P371)


ついに「レ・ミゼラブル」の根本にある「ふたつにひとつ」が示されたのである。
イエスのゲッセマネ(オリーブ山)での祈りである。
イエスは自分が捕まり、弟子に裏切られ、死刑に処せられることを知っていた。
人間イエスはやはり命が惜しい。死が怖い。
だが、いっぽうでみずからを「神の子」と自負するイエスがいる。
人類の罪を引き受け十字架にはりつけにされなければならない。
神の愛を示すためである。人間を超えるためである。イエスがキリストになるためである。
「ふたつにひとつ」――逃げるか、あえて捕縛されるか――イエスは祈る。
キリスト教が誕生したのはこのときイエスが神の愛を選択したからである。
司教がジャン・ヴァルジャンを許し銀器を与えたのもイエスの真似をしたに過ぎぬ。
ゲッセマネにおけるイエスによる「ふたつにひとつ」が「レ・ミゼラブル」の原点である。
「運命の不吉な奇怪さ」にほんろうされながら、
ジャン・ヴァルジャンは裁判所へ馬車を走らせる。
我こそはジャン・ヴァルジャンだというためである。

ジャン・ヴァルジャンはいったんは逮捕されたものの人命救助をきっかけに、
ふたたび逃亡に成功する。ある売春婦の娘を引き取るためである。
この売春婦ファンチーヌは「レ・ミゼラブル」(みじめな人たち)そのものであった。
ジャン・ヴァルジャンは、
運命にもてあそばれ死にゆくファンチーヌにいいようもない親しみを感じる。
娘のコゼットを育てようと思ったのはこのためである。
かれはコゼットによって生まれて初めて愛する喜び、愛される喜びを知る。

「ジャン・ヴァルジャンは、彼女に読み方を教えはじめた。
ときどき、小娘に綴(つづ)りを言わせながら、
自分が獄中で字を習ったのは、悪事を働く目算からだったと思い出した。
そんな目算は、すっかり変って、子供に読み方を教えるようになった。
そこで老囚は、天使のような物思いに沈みながら、ほほえみを浮べるのだった。
彼はそこに天の配剤を、人間以上の何かの意志を感じ、
そして夢想にわれを忘れるのだった。
よい考えも、悪い考えと同じように、深淵を持っている」(Ⅱ・P214)


相も変わらずふたつの深淵にはさまれたジャン・ヴァルジャンである。
ジャン・ヴァルジャンはなにゆえいまのジャン・ヴァルジャンなのか。
「ふたつにひとつ」の結果であるのはいうまでもない。
だが、この「ふたつにひとつ」にも根本原因があるはずである。
ジャン・ヴァルジャンはパンを盗んだがためにコゼットと逢ったともいいうる。
では、なぜジャン・ヴァルジャンはパンを盗まなければならなかったか。
盗まないという選択肢もあったのではないか。
パンを盗んだのは貧困のためである。それも自分の空腹のためではない。
腹を空かせた姉の子どもを見ていられなくて思わずパンを盗んでしまった。
ならば、ジャン・ヴァルジャン一家の貧しさが「ふたつにひとつ」の原因なのか。
作者ユゴーの人間観、人生観を見てみよう。

「ああ、われわれ自身は一体なんだろう?
今あなたがたに話している私は、一体なんだろう?
私の話に耳を傾けているあなたがたは一体なんだろう?
われわれはどこからやって来たのだろう?
生れる前に何もしなかったと、断言できるだろうか?
この世は牢獄(ろうごく)に似ていないこともないのだ。
人間は神の裁きを受けた前科者ではないなどと、誰が断言できようか?
人生を近くからながめてみよう。
人生はいたるところに刑罰を感じさせるようにできている」(Ⅳ・P260)


ユゴーが全人類を前科者だと見ていたと判断するのは過誤かもしれぬ。
だが、この作家が「レ・ミゼラブル」(みじめな人たち)を
神に裁かれたものと見なしていたことは疑いようもない。
ジャン・ヴァルジャンはパンを盗むまえから前科者だったのである。
売春婦ファンチーヌは生まれるまえから神に裁かれていた。
とはいえ、おなじく神に罰せられ誕生したコゼットが
ジャン・ヴァルジャンと出逢う「レ・ミゼラブル」の輝きはどうだ!
不幸と不幸がよりそうことで幸福が生まれるこの人生の偶然はどうだ!
これが物語ではあるまいか。
ユゴーは物語の生成における大きな秘密をこう書きあらわしている。

「よく人は一本の糸を結んでいるつもりで、
別の糸を結んでいることがある」(Ⅳ・P79)


ストーリーテラーの重い箴言(しんげん)である。
ある目的のために結ばれた糸がまったく異なる用途で役立つことがままある。
人生の内実であり、物語の透かし図である。
人間の結ぶかぼそい糸を巻き取るのは、
人生では神であり、「レ・ミゼラブル」ではほかならぬユゴーそのひとである。
善かれと思ってやったことがかならずしも善良な実りを結ぶとはかぎらぬ。
反対に、悪だくみからなした行為によって喜ばしい結果が得られるのが人生である。
悪人、テナルディエにこの人生の皮肉が結実している。
テナルディエは戦場で死体から金品を盗むという善からぬ行ないをかつてした。
この過程で、仮死状態にあったある将校が息を吹き返すのである。
将校はテナルディエを命の恩人だと勘違いする。
テナルディエの戦場での悪事がなんと「レ・ミゼラブル」全体を左右しているか。
最後までこの悪事の実際は(読者をのぞいて)だれにもばれないのである。

将校の息子、マリユスは父の遺言でテナルディエのことを知り恩返しを誓うのである。
だが、糸はよじれ、のちにテナルディエの娘が戦場でマリユスの身代わりとなり死ぬ。
複雑な物語のようでいて、「レ・ミゼラブル」は裏側に整然とした糸の結び目を持つ。
物語の後半、テナルディエがのちの悪だくみのためマリユスのシャツを破ったことが、
ジャン・ヴァルジャンの聖人ぶりを立証する「レ・ミゼラブル」の結末は典型的である。

ジャン・ヴァルジャンが引き取った娘、コゼットに話を戻そう。
コゼットは美しく成長し、くだんのマリユスと恋に落ちる。
苦悩がまたもやジャン・ヴァルジャンに襲い掛かるのである。
愛を知らぬジャン・ヴァルジャンにとって愛そのものであったのがコゼットである。
このコゼットを奪われたら生きてゆくことはできぬ。だれにもコゼットを渡すもんか。
なにゆえこうもジャン・ヴァルジャンは苦しまなければならぬのか。
ああ、苦しむものよ、幸いなれ!
人間は振りかかる苦悩によってのみ偉大といわれる存在に近づいていくのである。
ジャン・ヴァルジャンを聖人に仕立てあげたのは運命がかれに与えた苦悩である。
さて、恐ろしい「ふたつにひとつ」がジャン・ヴァルジャンのまえに提示される。
マリユスのコゼットに宛てた恋文をジャン・ヴァルジャンは偶然入手するのである。
そこにはマリユスが革命をめざす内戦に参加したこと、
勝ち目がないこと、もうすぐ死ぬことが記されていた。
恋敵ともいうべきマリユスが死ぬ? このままいけばコゼットを独占できるではないか!
ジャン・ヴァルジャンは国民軍の制服に着替え武装して家を出る。
マリユスがいるバリケードのなかへ現われるジャン・ヴァルジャン!
ユゴーはどうしてジャン・ヴァルジャンが内戦に参加するのか理由を書かない。
(ここに見られるのが最大の物語技法、騙りである。読者を騙す!)

マリユスが負傷したそのときである。かれをかかえその場から逃げだす大男がいた。
かれこそジャン・ヴァルジャンであった。
ジャン・ヴァルジャンはコゼットへの執着をふりすて、
愛するものの愛するマリユスを救うために危険をかえりみず戦場へ向かったのだった。
このバリケード内でもうひとつのドラマがあった。
ジャン・ヴァルジャンを執拗に追いかける刑事ジャヴェールを思い出してください。
いまは警部となったジャヴェールが革命グループにスパイとして潜入していた。
だがスパイだとばれジャヴェールは反乱軍の捕虜となる。
結果、ジャン・ヴァルジャンとジャヴェール、
宿命のふたりが思いもよらぬところで再会するにいたる。
ジャン・ヴァルジャンは革命グループのリーダーにジャヴェールの処刑を願い出る。
自分に銃殺させてくれとたのむのである。ジャヴェールも観念する。
ところが、ジャン・ヴァルジャンはこの冷血な警部を逃がすのである。
「ふたつにひとつ」がここまで波及したのである。
かつてイエスはゲッセマネで祈った。司教は盗みを犯したジャン・ヴァルジャンを許した。
だから、ジャン・ヴァルジャンは最大の仇(かたき)ともいうべき警部を許すのである。
同日遅く、まったくべつの場所でふたりは再会する。
もうジャヴェールはジャン・ヴァルジャンを逮捕しようとはしない。
警部はあろうことか法律上の罪人を許してしまう。
人間の法の番人を称してはばからないジャヴェール警部は神の法、
神の愛をまえに敗れ去ったのである。
人間の法を信じて生きてきた警部ジャヴェールは崖から身を投げる。

コゼットとマリユスは幸福な結婚式をあげる。
なにものかへの忠誠心からジャン・ヴァルジャンはマリユスに告白する。
かつて自分は徒刑囚で19年ものあいだ獄中で過ごした。
このことを知ったマリユスはジャン・ヴァルジャンからコゼットを引き離そうとする。
ひとりきりになったジャン・ヴァルジャン――。

「彼は鏡に映る顔をながめたが、それは自分の顔とは思えなかった。
八十歳にも見えた。
マリユスの結婚前にはやっと五十歳くらいにしか見えなかったのだから、
この一年は三十年にも相当した。
額にあるのは老年の皺ではなくて、死の神秘なしるしだった。
そこには非情な爪(つめ)のあとが感じられた。
頬は垂れ、顔の肌はすでに土の下に埋められたかと思えそうな色で、
口の両端は、古人が墓石の上に彫刻した面のように垂れさがり、
目は何かを責めるみたいに、空間を見つめており、
まるで誰かのことを非難しないではいられない悲劇的な偉人みたいだった」(Ⅴ・P395)


ジャン・ヴァルジャン――常に「誰か」に見られてきた男、
ジャン・ヴァルジャン――常に「誰か」と向き合ってきた男である。
この「誰か」のせいでジャン・ヴァルジャンはこのような人生を歩まされた。
ひとりである。死期の迫っているのがわかる。
ジャン・ヴァルジャンは願う。最後にひと目でいいからコゼットに逢いたい。
扉が開く。あらゆる誤解が解けたのである。
そこには愛するコゼットが、夫のマリユスがいた。
ジャン・ヴァルジャン、愛の難業を為しつづけて来た男が、最期に愛に報われるのである。
かれの人生はあたかも苦悩の凝集したようなものであった。
しかし、かの男は愛を知って死んだのである。
「レ・ミゼラブル」(みじめな人たち)のひとり、ジャン・ヴァルジャンは死んだ。