「杜甫」(黒川洋一/角川ソフィア文庫)

→毎度のことだが、サルでもわかるビギナーズ・クラシックス。
中国を代表する詩人をひとり選べとなったらこの杜甫(とほ)になるらしい。
「詩聖」とも称される中国随一の文豪。

アルコールで脳がいかれているのだろうか。さっぱり杜甫のよさがわからなかった。
しかし、「杜甫はトホホ」とおちゃらけるほど落ちぶれてはいないつもり。
杜甫にはゲーテにひってきする名声と退屈があるように思う。
どうして杜甫が中国の代表詩人なのかという問いに、ある答えを出してみよう。
わからないからである。一見(いちげん)さんは杜甫を理解することができない。
なぜなら存命当時の中国情勢、古来からの中国神話(伝説?)が、
杜甫の詩に大きく関与しているからである。
つまり、杜甫は周辺の勉強をしっかりやらないとわからないということだ。

これはある階層にとってとても都合がよろしい。
まず知識人階級にとって、杜甫という詩人は大いに利用価値がある。
杜甫を用いて無知蒙昧な大衆を見くだすことができるからである。
これは支配者階級にしても悪いことではない。
というのも、知識人階級の生殺与奪を管理しているのは支配者階級。
支配者にとっては杜甫の芸術的価値などどうでもいいのである。
対象が人民の支配および国家発揚に使えるかというのが問題。
この点で、杜甫という詩人はたいへん便利なようである。

日本で杜甫の影響をもっとも受けたのはおそらく芭蕉であろう。
日本を代表する俳人である。
ここはもう同国人のよしみでみなさまにニヤニヤしながら聞きたいのだが、
芭蕉の俳句っていいか?
ほんとうに芭蕉の俳句をすばらしいものだと思いますか。
わたしは「おくのほそ道」作者、すなわち旅行ライターとしての芭蕉は天才だと思う。
けれども、いい年をして、芭蕉の俳句のどこがいいのかまるでわからない。
いつの間にか憶えてしまった俳句はいくつかある。
残念ながら、そのどれひとつとして感銘を受けたものはない。
よしんば、こんなことを白状しようものなら、大学教授に笑われるのだろう。
あるいは、俳句の先生? まあ、プロのひとからお叱りかあざけりを受けると思われる。

杜甫と芭蕉は似ているのかもしれない。
勉強しないとわからない。
にもかかわらず、なのか、それゆえに、なのか、両者は国を代表する文豪である。
おそらくだが、地位学識問わず、だれにでもわかる陶淵明や山頭火のような文人に
高い評価を与えてはいけないという理由が、なにかしらあるのであろう。
「李白」(筧久美子/角川ソフィア文庫)

→例によってバカの味方、ビギナーズ・クラシックス。
李白(りはく)は杜甫と双璧をなす中国を代表する詩人。
酒を愛し、民衆の哀歓をうたいあげるのが特徴。
だから、ぜったい好きにならなければおかしいのだけれど、なんかダメなんだよな。
ちまたでは酒といえば、陶淵明よりむしろ李白らしい。
詩人としての格も李白のほうが圧倒的に上とのこと。

ごめん、もうぶちまける。お酒のみながらこれ書いてるし~。
李白、どこがいいのかわかりません。
傲岸不遜をお許しいただけるのなら、こんな暴言を吐きたい。
李白は酒の呑みかたがなまぬるい!
決して好きな作家ではないけれども、太宰治が「斜陽」でこう書いている。

「死ぬ気で飲んでいるんだ。
生きているのが、悲しくて仕様が無いんだよ」(新潮文庫版152ページ)


死ぬ気で酒を呑む。酒を呑むという行為のどこかに死を思う。決死の覚悟で呑む。
こういう無頼が李白からは感じられないのである。いってしまえば上品なんだ。
教科書に掲載してもいい酒の呑みかたといったらわかってもらえるか。
自動販売機の釣り銭出口をあさってでもカップ酒を呑みたいといういやしさがない。
芸術家からしたら李白の品のよさを責めるのは美をわかっていない証拠なのだろう。
だが、わたしにはそこが不満である。
上品に呑むようなやからに酒の真価などわかってたまるかと思っている。

ここで李白の「将進酒」を引用してダメだしをする予定だったが中止。
文章を書き写すのは、けっこうな骨折りなのである。
陶淵明の漢詩文はぜひともみなさまに味わってほしかったが、
李白に対してはそのような情熱はない。
最後に結論めいたことをいうなら、李白にとって酒は逃避に過ぎなかった。
あるいは、ひと晩の愉楽程度のものであった。
しかし、陶淵明の酒はそのような軽いものではない。
陶淵明は酒で死のうとした。
すなわち、かれは酒で生きようとしたのである。
酒を呑むとき、充実した生は無味乾燥の死に転ずる。
反対に、死を思い酒を呑めば泥酔者は生の横溢(おういつ)に歓喜する。
李白がこの酒のからくりを(陶淵明のように)知っていたとはとても思えない。
「陶淵明」(釜谷武志/角川ソフィア文庫)

→いつものようにビギナーズ・クラシックス。岩波文庫ではない。
陶淵明(とうえんめい)は詩人。杜甫や李白ほど有名ではない。ノーチェックであった。
中国古典のシリーズに入っていたから、やむなく読んだようなもの。
ほかの中国古典と比べると売れてもいないようである。
ところが、これがよかったのである。
正真正銘のアルコール中毒患者が断言するのだから信じてもらいたい。
えらそうな物言いになって申し訳ないが、陶淵明はまこと酒の呑みかたを知っている。

陶淵明は田園詩人として知られている。
なんのことはない。出世(仕官)をあきらめて田舎へひきこもったわけである。
かといって、みずから田畑を耕作したわけではない。
裕福ではなかったようだが、小作人のいる地主である。
隠者・陶淵明は田舎でなにをするか。ただただ酒を呑むのである。詩作するのである。
どちらも実に美しい。酒の呑みかたも、作る詩も、である。
飲酒と詩作というふたつの行為が陶淵明の生きかたにおいて絶妙に溶けあっている。

詩を要約するのはいくらなんでも乱暴だが、しいて試みるならば、
陶淵明はさしずめ「どうしようもない酒を呑んでいる」ではないか。
日本の俳人・種田山頭火の句「どうしうようもない私が歩いている」
を真似たことはいうまでもない。
この日中の俳人、詩人のあいだには無類の酒好きという共通項がある。
陶淵明は「どうしようもない酒」を呑んでいるわけではないのは、
山頭火が「どうしようもない私」ではなかったのと同様である。
「どうしようもない」「私が歩いている」であり、「どうしようもない」「酒を呑んでいる」である。
陶淵明は「どうしようもない」から「酒を呑んでいる」のか、
それとも「どうしようもない」にもかかわらず「酒を呑んでいる」のか。
どちらも正解で、どちらも不正解なのであろう。
「どうしようもない」という状態からごく自然に「酒を呑んでいる」。
陶淵明の生きかたである。

詩の一部分を引用するのは野暮というものだが、もう少しだけおつきあいください。
なんとか陶淵明のよさを紹介できたらと思うのです。
「帰園田居(園田の居に帰りて)」の最後の部分がよろしい。
さあ、田舎へ戻った。子どもたちを連れてハイキングである。
住居の跡がある。廃村のようである。これはいったいどうしたものか。
通りすがりのひとに聞く。みな死んでしまって、もはやだれもいないとのこと。

「人生似幻化 終当帰空無」

「人生は幻化に似たり 終(つい)に当(まさ)に空無に帰すべし」

「人生は夢まぼろしのようなもので、結局、最後には無に帰するのである」(P74)


人生似幻化――。また別の日のことを陶淵明は詩にしている。秋の暮れである。
冬をまえにして風は冷たい。庭の木々も枯れてゆく。雁の群れが大空を横切る。

「万化相尋異 人生豈不労 従古皆有没 念之中心焦 
何以称我情 濁酒且自陶 千載非所知 聊以永今朝」

「万化 相尋(あいつ)いで異なり 人生 豈(あに)労(ろう)せざらんや
古(いにしえ)より皆な没するあり 之(これ)を念(おも)えば中心焦(こ)がる
何を以てか我が情に称(かな)えん 濁酒(だくしゅ)且(しばら)く自ら陶(たの)しまん
千載(せんざい)は知る所に非ず 聊(いささ)か以て今朝(こんちょう)を永くせん」

「万物は変化して次々に変わってゆく、
人生というものはどうして苦労なしでいられようか。
昔から人はみな死ぬものと決まっている、
そのことを思うと胸の中は熱く焦げるようだ。
なにによって自分の気持を満足させよう、
にごり酒を飲んでひとまずみずから楽しもう。
千年先のことなどわかるものではない、
まずは今日をゆったりと過ごそう」(P117)


実もふたもないことをいうと、どうせ死んでしまうのだから酒でも呑もうや、である。
アル中の開き直りというなかれ。「之(これ)を念(おも)えば中心焦(こ)がる」である。
胸が熱くなるのである。そのうち死ぬのなら、なにかを成し遂げたい。
だが、世事全般ままらなぬ。
ならせめてこの熱情を酒で鎮めるほかあるまいと陶淵明はうたっているのである。

他日のこと。ある晩年の一日を陶淵明は詩にしている。子どもが五人いる。
ひとりひとり見ていくが、どの子もあまり見込みがあるようには思えない。
それでもわが子だからかわいい。もう少しなんとかならないものか。いや――。

「天運苟如此 且進杯中物」

「天運 苟(いやし)くも此(か)くの如くんば 且(しばら)く杯中の物を進めん」

「もしかりにこれが運命だとすれば、ひとまず酒でも飲むことにしよう」(P151)


どうしようもねえな、酒でも呑むか、である。飲兵衛の詩というほかない。
陶淵明は「挽歌詩」というみずからが死んだのちの詩を書いている。
自分の葬式を陶淵明は描写する。家族が泣き、友人も泣いている。
自身は冷静なものである。最後の最後でこう来るのだから――。

「千秋万歳後 誰知栄与辱 但恨在世時 飲酒不得足」

「千秋(せんしゅう) 万歳(ばんさい)の後(のち) 誰か栄と辱とを知らんや
但(た)だ恨む 世に在りし時 酒を呑む事 足るを得ざりしを」

「千年万年もののちに、栄誉や恥辱をどうして知ろうか。
ただ心のこりなのは世に生きていた時、十分に酒が飲めなかったことである」(P191)
「韓非子」(西川靖二/角川ソフィア文庫)

→みたびビギナーズ・クラシックス。
韓非子(かんぴし)は法家とよばれる学派の立場を取る。
孔子の儒家、老荘の道家とならぶ中国における大きな思想潮流のひとつである。
儒家、道家が宗教的側面を有していたのとは異なり、
法家にはからきし宗教的なものがない。
これが韓非子の特徴でもある。
ひどい吃音だったらしく、あるいはこのために性格がねじまがってしまったのかもしれない。
韓非子は完全なまでの、いうなればサラリーマン出世マニュアル。
上司へどうゴマをするかにはじまり、
社長になってからの処しかたまで、微に入り細をうがつ丁寧さで説かれている。

「論語」ってウソくさくねえか? というのが根本にあるようである。
親を愛せ、君主を敬えが「論語」である。
バカをいえ! そんな悠長なことで出世できるか、経営がうまくいくか、アホさらせ!
偽善とは縁遠い韓非子という男は嫌いではない。
社長さんで、よくいるじゃん。やたら好人物ぶろうとしているやつ。
経営者としてのみならず人格者としても認められたいと思っている社長さん。
うちの社員はみな家族のようなものです、なんて本気でいったりしちゃう。
ああいう社長さんがたぶん「論語」を愛読するのだろう。で、うざい説教をはじめる。
そんなことをしても、うまくいきやしないんだと主張するのが今回の韓非子である。

韓非子の思想をふたつにまとめてみる。

「人主の患は、人を信ずるに在り」

「君主にとっての弊害は、人を信用することにある」(P176)

「故に人事を行い施予するに、之を利とするを以て心と為さば」

「だから人が事を行ったり他人に施したりする場合、
そうすることが結局互いの利益だという考え方をすれば(うまくいく)」(P200)


・他人を信用してはならない。
・人間の求めるのは自分の利益のみ。
これが出世の秘訣であり、経営者にとっては商売繁盛の常道である。
同期入社だからといって居酒屋でうっかりこころを許したりしたら、
同僚からだしぬかれてしまう。
いくら社長が従業員を心底から愛していたとしても、
給料を上げてやらなければ本気になって働くわけがない。
ビジネスマンたるもの「韓非子」を読まなければならないのである。

たとえば――。従業員から給料の前借りを頼まれる。
理由を聞くと、家族が病気だからという。
同情して多めに渡す。人手不足の問題もあった。
だが、その従業員は無断で会社を辞めてしまう。
なおかつ会社のカネを横領されていたことを知る。バカを見た。
こういうひとのよい社長さんを、韓非子は、
だからおまえはダメなんだ、と叱り飛ばすわけである。

韓非子は、偽善がないのはいいけれども、なんだか面白味がないというか、味気ないな。
最後にかれの実人生を紹介すると、結局出世はかなわなかった。
あと少しで天下の始皇帝の寵愛を受けるというところまでいったのである。
だが、かつての友人に裏切られ、騙され、みずから毒を仰ぐことになる
紙面のうえではうまくいっても、現実社会ではななかなかうまくゆかぬものらしい。
にもかかわらず、いまも日本の経営者で韓非子を愛読するものは多い。
韓非子でさえ成功しなかったのである。
いつの時代もひとは自分ならば人間不信をつらぬき、
自他のエゴイズムを調整することで成功できると思うものなのかもしれない。
韓非子がそうであったように。
「老子・荘子」(野村茂夫/角川ソフィア文庫)

→ふたたびビギナーズ・クラシックス。
老子と荘子は老荘思想とひとくくりにされることが多い。
孔子の儒家に対して道家と呼ばれている。
中国の民間信仰のひとつ、道教の根本経典ともされている。
この記事において老子と荘子の違いは言及しない。
道家とひとまとめにして語ることにする。
なにゆえ老荘の思想が道教につながるかといえば、
老子も荘子も道を説いているからである。
孔子は、君子たれ! と仁なるものを尊んだ。
いっぽうで老子・荘子は、道がある! と主張した。
孔子は現実的、老荘は根源的といわれている。

道家は儒家批判からスタートする。はじめに儒家ありきということに注意したい。
道家は儒家に、そんなあくせくすることはないんじゃないか、と反論したのである。
わかりやすく説明する。
道家は、「論語」好きのサラリーマンを、よくやるなとあきれているのである。
上司と飲みにいって教えを乞う。部下を飲みにさそって説教をたれる。
おまえ、やり過ぎじゃねえの? というのが「老子・荘子」を好む会社員の立場。
断わっておくが、どちらもサラリーマン(宮仕え)であることに変わりはない。
道家とて、出世をあきらめているわけではないのである。

老荘の説く道とは、人間に無為自然をすすめる。
行為、無くして、自然たれ、である。
なんにもしなくていい。自然のままにまかせておけ、というわけだ。
なるようになる。いざなってしまったら、それがいちばんいい結果なのだと考える。
部長になろうと策を弄さない。
自分が部長になる器であればなるだろうし、ないならばならないでそれもまたよし。
もしかしたら社長になる器なのかもしれない。
たとえ社長になったとしても、あれこれと術策をめぐらさない。
なるべく無為をつらぬき自然のままにしておく。
これは有為よりも無為のほうがはるかに難しく、また有意義であるという考えかたによる。
(余談だが、河合隼雄さんはカウンセラーにとって重要なのは
なにもしないこと=無為であるとよく語られているが、どこか似ているところがある)

道家は人為を否定する。天まかせの思想である。
個人的な述懐だが、わたしは儒家よりもよほどこちらのほうを好む。
一部、抜粋する。老子の言葉である。

「天の道は争わずして善く勝ち、言わずして善く応じ、
召さずして自ら来り、繟然としてよく謀る。天網恢恢、疎にして失わず」

「天のはたらきというものは争わなくてもいつしか勝ち、
いちいち説明しなくても(天に従えば吉、逆らえば凶と)うまく対応させ、
召し寄せなくても自分からやって来させ、
いかにもゆったりしている<繟然>ように見えるが
(実は)巧みに計算されております。
天の張りめぐらした網の目は
(人の目には見えないほど)ひろびろとしていて<恢恢>、
まばら<疎>でありますが決して目こぼしはないのです」(P126)


荘子からも引いておこう。

「且つ夫れ得るは時なり、失うは順なり。
時に安んじて順に処らば、哀楽も入る能わざるなり。此れ古の所謂県解なり」

「そもそも、生命をこの世に得たのも時のめぐり合わせ、
生命を失って死んでゆくのも運命にしたがってのこと。
時のめぐり合わせに安んじて、運命にしたがうならば、
哀しみも楽しみも心に入りこむことがない。
これが昔からいわれる、すべての束縛からの解放<県解>である」(P192)


荘子のいわゆる髑髏(どくろ)問答もおもしろい。長いので、ここは要約でご勘弁を。
ある日、荘子は旅の途次、されこうべを目撃する。白骨に問いかけた。
きみはいったいどうして死んだんだい? 病死か。戦死か。自殺か。餓死か。
もとより、なきがらが応えるはずもない。その晩、荘子はされこうべを枕として寝る。
夜半、夢に死者が現われるではないか。死人の語るところはこうである。
死んでしまえば気楽なものだ。つかえる君主もいなければ、世話をする臣下とておらぬ。
春夏秋冬の四季すらなく、実にゆったりとしたものである。
地上に君臨するどの王であれ、これほどの満足を味わえるものか。
荘子が死者に問う。生死をつかさどる門番に頼んでおまえをよみがえらせてやろう。
どうかね、家族や友人ともう一度会いたいとは思わないか?
死者の返答は、お断りである。
亡者は、もう一遍人間世界で苦労するなどまっぴらごめんというのである。

この話は単純な物語だが、意味しているところはぞんがい深いように思われる。
人間はだれひとりとして死後の世界のことを知らない。
もし死んだのちにゆく世界が楽園だとしたらどうだろう。
殺人犯が刑罰に処せられるのがおかしいということになる。
というのも、かれは善行をなしたことになるのだから。
死刑というのも見当違いに相成る。
罪人をいち早く楽園へ向かわせてどうする、という問題だ。

儒家が人間の行為にとどまっているのと比較して、
道家ははるか高みから人事を見おろしているということができよう。
高みとは、天のことである。天から地上を見ると、あるいは道が見えるのかもしれぬ。
「論語」(加地伸行/角川ソフィア文庫)

→すまん、岩波文庫ではないんだ。角川文庫のビギナーズ・クラシックス。
角川文庫のこのシリーズはお気に入り。
いいおとながなにも無理して岩波文庫なんて読む必要はないと思う。
角川文庫のビギナーズ・クラシックスがいちばん。
なぜならサービスの精神がある。読者のことを考えている。
したがって、わかりやすい。おもしろい。たいへんよろしい。

さて論語だが、これはわたしの読む本ではないというのが感想。
質問する。あなたは大企業の社長をえらいひとだと思いますか?
イエス。
大企業の社長になるくらいなのだからさぞかし優秀で人間観もしっかりしているのだろう。
しもじもの我われには計りしれないような傑物であるに相違ない。
こう考えるものは論語に向いている。
わたしはどうしてかノーなんだ。
それはすごいひとなんだろうけれども、あこがれるというようなことはない。
だから、なに? なんて思ってしまう。論語に向いていないタイプである。

現代日本で論語ともっとも相性がいい人間は、一流企業の30~40歳くらいだと思う。
ばりばり働いてきた。まだ出世の道は閉ざされていない。
どこまで行けるかとおのが器量を推し測っている。
しかし、内面をかえりみるに空っぽである。部下に語る言葉をなにも持っていない。
仕方がないんだと言い訳もしたい。いままでビジネスの成功を必死に求めてきたのだ。
二兎を追うわけにはいかないではないか。
こういうときに書店で論語に目がいくようになる。
むろん、岩波文庫ではない。角川文庫でもない。ビジネス書である。
「論語で成功する!」とかいうたぐいの書籍。
これがきっかけになってこのサラリーマンは、
もしかした岩波文庫までたどり着くかもしれない。
がんばって出世したあかつきには、
ぜひ思案ぶかげな重々しい顔つきで論語を語っていただきたい。

論語とはなにか。儒教の経典のひとつである。
内容は、道徳を説いている。ひと言でいえば、君子たれ! ということだ。
君子とはいかなる存在かを説いたのが論語である。いうなれば説教集。
といって、目新しい説教があるわけではない。
ふつうに高校の漢文教育を受けていたら、
どこかで聞いたことのある話が多いのではないか。
それでいいのである。
なぜなら説教をしているのは高校教師ではなく、偉大な孔子先生なのだから。
こちらはひれ伏して聞いていればいい。あたかも上司の説教を聞くようにである。
同様、もし部下に説教をしたくなったら孔子の真似をすればいいのである。

論語には左遷、リストラされたときのこころの持ちようまで書かれている。
この記述があるために論語は宗教書にもなったのであろう。
天命の思想である。これが天命だったのかとあきらめる。
ビジネスのみならず家庭でも利用可能。妻から離婚届を渡されても天命。
息子が悪さをして少年刑務所へ収監されても天命。
人間を超えるものの存在を認めている点で論語はビジネス書と決定的にたもとをわかつ。
電車で1時間。神奈川県の高津市民館へ行く。
山田太一の公開講座が行なわれるのである。主催は「川崎いのちの電話事務局」。
いのちの電話というものがある。
24時間、無料で電話相談に応じる。話を聞くことがおもな業務。
自殺志願者からの電話応対が多いという。
いのちの電話は市民からのボランティアで成り立っている。
本講座はボランティア相談員を養成するための公開講座という位置づけ。
山田太一も川崎に在住しているという経緯で、
まえにも一度講演会をやったことがあるらしい。
いのちの電話に興味があるわけではない。そんなボランティアはやりたいとも思わない。
行ったのは山田太一のファンだからである。
早めに行き、まえから2列目に陣取る。もうダメなのである。こみあげてくるものがある。
山田太一先生、と思う。山田太一ドラマにいままで生かされてきたといってもよいくらいだ。
尋常ではないほど山田太一に傾倒しているのである。
壇上に登場した氏を目で追う。姿勢がいい。背筋が伸びている。
とても今年で74歳になるようには見えない。まだまだ長生きしてくれそうである。
これだけでなみだぐんでしまうのだから熱狂的なファンというほかない。
以下に講演の内容を採録する。といっても、わたしの記憶に残っているところのみ。
テープはおろかメモすら取っていない。聞き間違えも多々あると思う。
はじめにそうお断りしたうえで公開講座を再現する。

――今日お集まりのみなさんは、いのちの電話をなさりたいと思っていらっしゃる。
私は、いのちの電話というのはかなり上質なものなのではないかと思っています。
人間、だれでも死ぬよりは生きていたほうがいいという思想がその前提にあります。
これはけっこうすごい思想ではないかと思うのです。ニヒリズムといってもよい。
いろいろな人間がいます。自分を高めよう、向上させようと努力している人間がいる。
いっぽうで自堕落に、いいかげんに生きている人間というのもいる。
どちらの人間を生かすという選択が、いのちの電話にはない。
どんな人間でもいのちの電話は生きるべきだという。そこに選別はない。
人間はかくかくしかじか生きるべきだという主義のようなものがそこにはない。
すごいですよね。いま中東で人間があらそっている。
そのいさかいのおおもとにあるのは、人間かく生きるべしという思想です。
ひっくり返すと、そうではないものは死んでもかまわないということ。
これと比較すると、だれもかれも生かそうとする、
いのちの電話というのはよほど変わっています。いいと思います。

一回きりというのがとてもいいと思う。電話で一回話すだけ。会わない。
会おうと思っても会えないというシステムがいい。
まえに話したひとと、再度話したいと思ってもできないというシステムがいい。
だって、人間は究極的には他人を救えませんもの。
人間を本気で救おうと思ったら、それはもうなにもかも投げ出さないといけない。
けれども、そんなことはできるものではない。
山田洋次監督の寅さん。寅さんがいうセリフであるでしょう。
「おれがイモ食って、おまえから屁が出るか」。
イモを食った人間からしかおならは出ないのですね。
私は、やはりこういうものだと思う。他人ことはどうしてもわからない。
他人がどう感じているかというのは決してわからないものだと思う。
わかるというのはとても傲慢なことなのではないか、と思っています。

夜中、さみしい。どうにもこうにも追いつめられてしまうということがある。
あとになってはなんであんなに悩んだのだろうということで、人間は死にたいほどに苦しむ。
そういうとき、いのちの電話に電話して、慰められる。話を聞いてもらえる。
いいと思います。これはメールではダメなんですね。
だれかがいなくてはならない。話さなくてはならない。
そういうひとにみなさんがちょっとした手助けをする。ほんとうにわずかな手助けです。
人間を救えるなんて思っちゃいけません。話を聞く。意見しないで、話を聞くことに徹する。

自分のことを話しますけれど、私は10日間くらいホテルに泊まることがあるんです。
最近は身体の問題もあって、あまりないけれども、仕事でホテルに。
すると、何日もひとと話さないなんて当たり前。フロントでカギをもらうときだけ。
いや、それでいいんですが。あたまは作品のことばかり考えていますから。
困るのは朝です。開いている店がない。じゃあということでスターバックスに入る。
セルフサービスです。パンを取る。ある日、会計のときにこういわれたんです。
「そのパンお好きなんですね」
どうやらまえにもこの店でおなじパンを頼んだことがあったらしい。
私はそんなことぜんぜん憶えていないんですね。店員さんがそれを憶えていた。
声をかけてくれる。自分でも意外だったんですが、とてもうれしかったんです。
もうその一日、幸福でいられるくらい。
ああ、自分に関心をもってくれているひとがいるんだ。そう思うとうれしくて。
こんなことをいうと、とんでもなく不幸な人間みたいだな(場内笑)。
そんなことはないんです。そこまで不幸じゃないんです。
だけど、うれしかったな。いのちの電話には、そういうところがあると思うんです。

死にたいといわれる。生きていたほうがいいという。
私くらいの年齢になると複雑なんです。病院へお見舞いへ行く。
といっても、相手がもう助からないのがわかっている。
死ぬってわかっているひとのまえで、なにをいったらいいか。
まさか生きてください、なんていえませんから。
他人ってわからないと思います。どんなことを考えているんだろう。
内心は死にたくないとあがいているのか。それとも、澄み切ったおだやかな心持なのか。
わかりません。他人のことはわかりません。
いえ、ちがうんですよ。人間どうせ死ぬんだから、自分から死ぬことはない。
こういうことを主張したいわけではないんです。
でもまあ、そうともいえます。
私だってどうせ死んでしまう。そのあとにはなにも残らない。
夏目漱石とか福沢諭吉ならお札になって残りますが、
たいていの人間は死んだら忘れ去られます。
そして、人間だれもが死ぬ。
今日ここにいるみなさんだって10年後に果たして生きているか(老人だらけの場内爆笑)。

だから、どんな笑いのなかにもかなしみがあると思います。
人間はみんな死んでしまう。
どれだけおかしいことも、死を宿命づけられた人間の行為だと思うと。
生きるかなしみをつとに感じます。

ウソって大切だと思うんです。人間が生きるときにウソというのはとても重要である。
みなさんも今日、久しぶりに会うひとなんかいるんじゃないですか。
お変わりありませんね、とか、まだお若い、とか、いうでしょう。実際はそんなことはない。
いってしまえば、ウソなんですね。けれども、ウソがあることでうまくいっているところがある。
たしかに真実を知るということは人間にとって意味があります。
真実を知ることで進歩してきたのが人間の歴史かもしれません。
だが、それでいいのか。真実はすべて公開すべきなのか。疑問に思います。
このまえ、あるひとのお墓参りに行ったんです。ひとりで、電車に乗って。
墓地は、伊豆の絶壁にあるんです。目の前は断崖絶壁という場所にお墓がある。
海に面しているわけです。
お花とお線香をそなえます。まだ時間がある。変わったところにある墓地だなと思う。
来るときに事務所に挨拶してきたんです。
そのとき知ったんですが、まだ墓地には空きがあるという。造成して間もないんですね。
ふと思ったんです。死んだあとに、こういう風景をぼんやり見ているのもいいなと。
これはウソですよね。死んだ人間がものを見られるはずがない。
だけど、そのときそう思ったんです。死後も生きているような思いにとらわれた。
私は信仰はありません。だから、人間は死んだらなにもなくなると思っています。
しかし、死んでも生きていると思っている自分がまたいっぽうでいる。

蕪村の、俳人です。与謝蕪村。好きな句があります。
「門を出て故人に逢ひぬ秋の暮」
蕪村が家の門を出るわけです。行きかうひとと、ぱっと目があう。知っているひとだ。
だけど、あれ? あのひとはもう死んでいたんじゃないか。
そう気づいたときには、もうすがたを消している。
いまだって電車であるかもしれない。ああ、あのひとは知っていると思う。
けれども、あとでよくよく考えたら、その人物はとっくのとうに死んでいる。
なつかしいという感情だけではない。
あいつが死んでもう秘密を知るものがいなくなった、なんて思っていることもある。
あいつが死んだからもうだれも自分の恥ずかしい秘密を知らない。
そういうときに故人とそっくりなひとを見る。やばい、なんてドキッとする(場内笑)。
「門を出て故人に逢ひぬ秋の暮」
この蕪村の句はそういった箇所をうまく描いていると思う。
死も生も、ぼんやりと一緒くたになっているような魅力があります。

20世紀は医療の時代といわれています。医療。治すということですね。
治せばいいと突き進んできたのが20世紀なのかもしれません。
不登校の子どもがいるなら治さなければいけない。
子どもが学校へ行くことを正しいと決めつける。登校したら治ったとほめる。
私は、これは大きな誤りがあるのではないかと思っています。
なにかを絶対的に正しいと思うことは果たしてよいことなのか。
失恋をする。苦しいものです。いまは精神医学が発達しています。
こういう苦しみも、薬で治ってしまう面があるのです。
これを治していいのかと、私なんかは思いますね。むしろ苦しめばいいと思う。
そういうときにほんとうの自分とか、そういった問題に直面するのだと思う。
失恋して苦しい。治さない。悩む。
このように治さないことで、のちのちだいぶ実りがあるんじゃないかと思うんです。
もちろん、自殺とか、そういう大ごとになったらいけませんが。
けれども、治さない。
あえて治さないということが、人間の成熟に関係してくるのではないか。

いまのお子さんもそう。
事件に巻き込まれて、ひとの死ぬところを見てしまうということがあります。
おとなは、精一杯、子どもを治そうとします。
スクールカウンセラーでしたっけ? ああいう専門のかたに治させる。
私は、これを治す必要はないと思うんです。
ひとの死に立ち会う。貴重な体験です。これをかんたんに治してしまったらもったいない。
子どもは、この死によって、たくさん学ぶところがあると思います。
トラウマとよくいわれます。トラウマになっていいんじゃないか。
むしろ、徹底的にトラウマにこだわることで得られるものがあるかもしれない。
トラウマを大切にしてもらいたいと思いますね。

治せばいいのか。これは生きていたらいいのか、という問題にもなります。
このことを話すとき、高村光太郎を例に出すとわかりやすいんですね。
高村光太郎は彫刻家、詩人です。絵も描いています。お父さんも彫刻をやっていた。
お父さんは、生活に困っているとき東京芸術大学に教授として招かれた。
このことで経済的に裕福になったんですね。
息子の光太郎の外遊を可能にした背景にこういうことがあります。
高村光太郎は31歳のときに智恵子に出会います。それはもう激しい恋に落ちる。
いかにも芸術家というほかない身勝手な恋愛感情なんですが智恵子も応えてしまう。
14年間、結婚生活をつづけるわけです。
しかし、やはり光太郎の相手をするのはたいへんだったんでしょうね。
智恵子は発狂してしまいます。発狂して死んでしまう。
有名な「智恵子抄」の元になった体験です。これだって、いってしまえば、
第三者がうまくあいだに入っていたら智恵子は死ななかったのかもしれない。
智恵子の死を食いとめることは、いまから考えたら可能だったのかもしれない。
ここからが複雑なんです。果たして生きていることがそんなにいいことか。
なにもせずにぼんやり無為に生きていたらそれでいいのか。
智恵子の発狂と死という問題があってこそ高村光太郎の芸術が生きるのです。
ふたりがのうのうと暮らしていたら芸術なんて生まれていなかったかもしれない。
いや、生まれていなかったでしょう。
そう考えたときに、果たして生きていたらそれでいいのか、
万々歳なのかという壁に突き当たります。
いのちの電話でもこの問題を忘れてはいけないと思います。
生きていればそれでいいのか。

いまという時代を見るとき、思うのは、冷たいということです。
みんな、どこか冷たくなっていないか。
食品偽装の問題だって、なんであんなに叩かれなければならないのでしょう。
会見をする側も、どうしてほんとうのことをいわないのか。
たとえば、赤福だって、本音はもったいなかったからでしょう。
まだ食べられるのを捨てるのはもったいない。冷凍して再加工すればおいしく食べられる。
もったいないというのは日本人の美徳だと思うんです。
なにもああも冷たく叩くことはないと思ってしまうのですが。
冷たいといえば、これもテレビで見たんです。
いま海水浴場で盗撮をしているひとがいます。
テレビはかれらをまるで極悪人のように報道します。ほんとうにそうなのか。
もちろん、盗撮したのを売ったりするのはよくないことですよ。
だけど、男だったら若い女性が水着姿でいたら見てしまいませんか。
男ってそういうものでしょう。きれいだなと思う。
写真に残したいと思う。繰り返しますが、売ったりするのはよくありませんよ。
けれども、男が水着姿の女性にひかれるのを批難されても、それは行き過ぎではないかと。

冷たいといえば、そうそう、人間、努力したって報われやしませんよ。
マスコミは成功していない人間に冷たいところがあるというか、
努力すれば報われる、努力すれば報われる、こればっかりでしょう。
あれで苦しめられる人間がだいぶいると思います。
だって、考えてみましょうよ。雑誌は、成功しているひとしか取り上げないんですよ。
だから、努力すれば報われるの一色になってしまう。あれはちがいますよね。
私は、努力しても報われないと思っています。統計を取ったら、
ぜったい努力しても報われなかったひとのほうが多いはずです(場内の老人爆笑)。

この年になったからいえることなのでしょうが、マイナスはかならずプラスになります。
人生のマイナスは年月を経たあとにプラスになっていることが多い。
プラスばっかりではつまらないじゃないですか。
女性の容姿のことをいうと叱られるけれども、美人なんて得なんですかね。
それは若いときはいい。けれども、年を取ってシワのひとつもできる。
かつて美人だっただけに、ひとつのシワがひどく目立つと思いますね。
有名大学を出て一流企業に入る。挫折を知らないでとんとん拍子に出世する。
中年になってはじめて左遷される。このときかれは立ち直れなくなります。
そういうひとを私は知っています。
もとから低空飛行なら左遷されようが、いつものことでへっちゃら。
少しでも出世しようものなら、喜びが大きいですよ。
これは経験からなんですが、ものを書こうと思った場合、マイナスが武器になります。
この年までなんで書きつづけてこれたのだろうと思ったとき、行き当たるのはマイナスです。
マイナスの部分が助けてくれるんですね。
だから、小説家や脚本家になりたいのなら、マイナスを歓迎しなくてはならない。
みなさんも、読んでもおもしろくないでしょう。
二十歳そこそこで華々しくデビューした人間の作品なんて。
マイナスがあることで人生を深く考えることができるようになります。

このまえNHKのドキュメンタリーで見たんです。
障害をもった赤ん坊がいます。まともに這い這いもできない。
ところが、その子を赤ちゃんの群れに入れる。すると這い這いをするようになるんです。
あれは保育園だったのか、なんだったのか。とてもふしぎな思いがしました。
思いましたね。人間は、集団のなかにいるだけでたくさんのことを学んでいるんじゃないか。
言葉なんて交わさなくても、
ただ他人と一緒いるだけで人間はいろいろ吸収するのではないか。
電車でヘッドホーン、イヤホーンをしているひとがいるでしょう。
あれはもしかしたら、ものすごくもったいないことなのかもしれません。
渋谷の有名な、あれはなんでしたっけ。スクランブル交差点? 駅前にあるでしょう。
よくテレビに映し出される。
見るたびに、こんなに人間がいるのかとアワ食ってしまいますが。
あの交差点を5回も歩いたら、あんがいそうとう学ぶことがあるのかもしれない。
そんなことを思ったりしますね。
もし人間というのは、ただ他人と空間をともにするだけで学ぶものがあるならば、です。
そとに出てひとごみのただなかを歩くのもおもしろいかもしれません。

――講演会を聞き終えたわたしは田園都市線へ乗車。
渋谷で乗り換えである。
このとき、ものは試しと、例の交差点をきっちり5往復したことを最後に報告する。
なにもわからなかったが、もしかしたらなにかがわかったものの、
それをいまだ言語化できないだけなのかもしれない。
先日、必要があって某銀行で新規口座開設の手続きをした。
こちらの身なりで判断したのだろう。極めて横柄な対応を取られた。
あたまに来たので、書類の記載でいたずらをした。
総資産額を記入する欄に実際の10倍もの金額を書き入れたのである。
男性の態度のがらりと変わったのが笑えたが、むろんその場で笑ったわけではない。
いまから考えると笑えるという話である。
急に腰の低くなった銀行員は、あれこれと投資をすすめてくる。
銀行員と話す機会などない。なにかに使えるかもしれないと話を聞いてみることにした。
かれらのやり口というのは、顧客に夢を見せることなのである。
こういう聞かれかたをする。
「いまの金額がいくらになったらいいと思いますか」
これに答えると、なんらかの投資を紹介されるわけである。
だが、もとよりフィクションである。実感がわかない。こう答えた。
「いくらになったらとかないですね。リターンの希望額はないです。
万が一リスクでぜんぶなくなっても、それがわたしの人生だと思うし」
こんなことをいう顧客はいないのだろう。
かなり戸惑っているのが見受けられた。

つぎになにを聞かれたか。
「趣味はなんですか」である。
これも答えに窮する。
「とくに趣味とかないですね。ほんとありません」
銀行員はひどく狼狽している。悪いことをしたと思い助け舟を出す。
「お酒、好きといえば好きです。といっても、安酒でいいんですが」
水を得た魚のように生き生きする銀行員さん。
ある仕組み預金の説明に入る。
「おカネが増えて困ることはないでしょう。
使いみちに困ったらビルのてっぺんからふりまけばいいんだから」
このひと、なんかやけくそになっていないか。
「これはかならずもうかります」とある商品をしきりにプッシュする。
「いまは円高だからほとんどリスクなんてありません。
毎年、~万円、利子がはいるんですよ。これでいっぱいお酒がのめるじゃないですか」
リスクの説明はほとんどなかった。即決を迫られたので驚いた。
なにかあるとすぐにお酒の話である。
「この利子でお酒をのめばいいじゃないですか」
おまえ、おれを酒で殺すつもりか。
話がひと段落つく。銀行員が身の上話をはじめる。
おない年だというのである。おなじ76年生まれらしい。
「あの就職氷河期に銀行へ入るなんて優秀なんですね」
持ち上げてみる。すると、話す、話す。
いろいろたいへんだったらしい。
最初に就職した銀行で、こころを病んだ。2年で退職して海外逃亡。
ふたたびいまの銀行へ転職したという。
やはり最後は投資のすすめに結びつく。
「お客さんは他人という気がしないんです。
おない年ですし。ぜったいに損をしてもらいたくないんです。
私を信じてください。おカネを増やしていきましょうよ」

ごめんな。そんな大金ないんだほんとは。
帰宅してからすすめられた金融商品をネットで検索する。
幾人もの経済評論家が悪徳商品だと評していた。
リスクばかり大きくてメリットがぜんぜんない。
銀行がもうかるための商品ということである。
たしかにプロの意見を読むと、まったくもってそのとおりである。
それだけではなく、なんでもこの商品はかつて広告で不当表示を行ない、
公正取引委員会から排除勧告を受けたことがあるという。
まったくもう76年生まれの銀行員さんは(笑)。
これが話の落ちではない。
勝ち組と負け組がはっきりわかれたな、という感慨があったのである。
銀行員のかれは疑いもなく輝いていた。
口八丁手八丁ながらも完全なまでにやり手の銀行員であった。
見習いたいと思った。ひとをだます手口などほれぼれとするものがある。
いつまでも負けてはいられないと思う。
ほしいものがないのが悩みである。
ひとによっては信じられないような悩みかもしれない。
物欲がないのである。いまにはじまったことではない。
むかしからあまりものをほしがらない子どもであった。
かといって、なんでも与えられためぐまれた環境に生まれ育ったわけではない。
あたまが悪くなるからとテレビさえなかった期間も10年近くある。
誕生日やクリスマスに「ほしいものを買ってあげよう」といわれると困った。
ほしいものがないのである。
正直に白状すると、おとなはがっかりするから、それなりに気をもんだものだ。
すなわち、あれがほしいと演技をした。

大学に入ってからもおなじだった。異なるのは自由につかえるおカネの量だ。
こうまでかんたんにおカネは稼げるのかとアルバイトをしながらふしぎな思いであった。
家庭教師とコンビニの夜勤で月15万円近く稼いでいた。
家庭教師は子どもと遊んでいるようなもの。
コンビニはバイト仲間とふざけていたらいつの間にか終わっている。
どちらも働いているという実感に乏しかった。
困ったのはおカネの使いみち。なにもほしいものはないのである。
さいわい大学の費用を自分で払わなければならないような苦学生ではなかった。
いまになったら笑い話だが、真剣におカネの使いかたを考えたものである。
服装にこだわったこともある。ファッション雑誌を読んで、流行を追い求めた。
だけど、結局は似合わないんだよね。
もとがダメなくせに、服装にこだわると、かえってアンバランスになってしまう。
そのことに気づくのに時間はかからなかった。
えへへ、茶髪にしていたころもあったんだぜ!

現在は大学生のときよりこの悩みは深刻化している。
相変わらず、ほしいものがなにもないのである。満ち足りている。
クルマもほしくない。だって、ペーパードライバーだから運転できないし。
おいしいものを食べたくはないのか。べつにと答えるしかない。
わが舌はカップラーメンを充分に美味と認識する。
格式のある高級料理店へ行ったら、かえって疲れてしまい落ち着けない。
酒もおなじである。安酒で満足している。
だいいちいまだにビールと模造品の区別がつかないくらいである。
自宅でのひとりのみだからたいしてカネもかからない。
居酒屋は嫌いというわけではないが、
タバコの煙が苦手なので頻繁に行きたいとも思わない。
服装も変わらず。ユニクロで間に合っている。
高いのを買ったってどうせ似合わないのは自分がいちばんよく知っている。
ああ、あとあれか。だって、おれフーゾクとかにはまるキャラじゃないもん。

本はどうか。書物は好きだろう。いっぱいほしくないか。
これもダメ。もう今現在でほぼほしい本は買い集めたという思いがある。
足を使ったせいか、そう高額の費用をかけずに収集することができた。
これから1冊も新刊がでなかったとしても問題はない。
いまある本で満足しているからである。そのうえ、新刊を期待している作家もいない。
かりに気になる新人作家が登場したとしてもブックオフで買えば安い。
わたしのような人間は資本主義社会の敵であろう。
ほしいものを追い求めさせることで、肝心ななにかを忘れさせるのが資本主義社会だ。
そのなにかというのも、むずかしいことではない。
人間はだれしもいつ死んでしまうかわからないという当たり前の常識である。

ほしいものはふたつある。才能と……それから愛かな(照れ笑い)。
ところが、愛は受けるだけではなく、与える必要もあるためいろいろ面倒。
どうにも愛の授受がねじれてしまう人間というのが世の中にはいて、
おそらくわたしもそのひとりだと思われる。
となると、最後に残されたほしいものは才能である。いま才能がほしい。
だが、こればかりはおカネで買うことはできない(愛は買えるとしてもネ)。
平成20年になって大きな変化があった。心境の変化である。自分でも驚いている。
母への恨みがなくなっているのである。
母が亡くなってから7年半。今年で8年目になろうとしている。
7年間、苦しみつづけてきた。
どうしてお母さんは、息子であるわたしの目の前で飛び降り自殺をしたのか。
そのうえ、息子の悪口を書きつづった日記を何冊も残していたのか。
母への憎悪は言い尽くせないものがあった。
死後にでも逢う機会があったら、どう抗議してやろうかたびたび考えたものである。
お母さんが大好きだったからこそ、こんな理不尽が許せなかったのである。
いまでもふたつの謎は解けていない。
だが、母への怨恨はまるで雪が春になるととけるようにゆるやかな変質を見せている。
かたくなだったこころが少しずつだが人間らしいやわらかなものへと変容している。
いまなにかの奇蹟で母と話すことができたとしても、怒るつもりない。
「つらかったんだね、お母さん、ほんとつらかったんだね」と母を抱きしめてあげたい。
それからわたしも母から抱きしめてもらいたいと思う。

昨年末にお逢いしたひとからいわれた。
表情がおだやかになっているというのである。
というのも、このかたと逢うのは2度目。最初に逢ったのは1年半前のこと。
自分では気がつかないことなので、教えられそうなのかと感じ入るものがあった。
わたしの顔はおだやかになっているのか。
これがいいことなのかどうかはわからない。
表現をするうえで怒りというのは有効な原動力である。
それでも、喜びがないわけではない。ようやくこころの平安を取り戻しつつあるのか。
なにがよかったのだろうと思いをめぐらす。
自死遺族の集いへ参加したのがよかったのか。
「アジア漫遊記」を完結させたのがよかったのか。
結局は時間なのだろう。「Time tames the strongest grief.」
学校で暗記させられた英文をかなしくも思い出す。

これでよかったのかもしれないとも思う。
大学生のとき就職活動をしながら嘆いたものである。
このままちっぽけな会社へ入るんだろうな。処世の術にたけているわけではない。
おそらくたいした出世も望めないだろう。
なんとなく流されるように結婚も決めてしまう。
ちょっときれいなくらいの年上の女から、
いろいろ遊んだけど、このへんでいいか、マジメそうだし、なんて値踏みされてつかまる。
子どもが生まれたらもう自由はきかなくなる。夢は老後へ託すことに相成る。
リクルートスーツを着ながら先々のことを考え
暗澹(あんたん)とした気分になったものである。
高校、大学というなればエリートコースを歩んできた。
自分にはこのレールを踏みはずす勇気がないことはわかりきっていた。
それが母の事件ですべてが変わってしまった。
マジメで優等生だったわたしが、自分でも信じられないほど堕落の道を突き進んでいる。
いまでは老後のことなどいっさい考えていない。
どうせ生きていないのだからと開き直っている。
数年前まで30歳まで生きられればそれでいいと公言していたらいつしか30を超えた。
いまは40歳まで生きられたらそれでいいと前言をひるがえしている。
まさかこんなことをいうおとなになろうとは、子どものころのわたしは想像もしなかった。

しかし、なってしまったうれしさもあるのである。
ぜったいに行けないと思っていたあちらがわにいまわたしはいる。
あちらがわ――。
最初にこのことを意識したのは事件当日である。
早朝、救急車で連れて行かれた病院で母の死亡を医師から聞かされ、
まず思ったのは自分がとうとうあちらがわに行ってしまったということだ。
それまでは映画監督の原一男さんや作家の柳美里さんと距離を感じていた。
かれらはあちらがわの人間という思いである。自分とは住んでいる世界がちがう。
こころのどこかでそんな不遜で失礼なことを思っていた。
それが、どうだ。なんなくわたしも一線を踏み越えたというわけである。
現実社会と徹底的にあらがう立場を余儀なくされた。
表現の世界で生きていこうと腹をくくったのもこのときである。
それまでは、どこかいい会社に入れたらそれもいいか、という浮気ごころがあった。
母の事件が、こういった甘えた考えを崩壊せしめたのである。
まだ芽は出ていない。今後芽が出るという保証はまるでない。
おそらくなにものにもなれずに終わるという可能性がいちばん高いだろう。
にもかかわらず、これでよかったと思う。
こちらがわに来たことを後悔したくない。
お母さんのあれがなかったら、とてもではないがこんな生きかたはできなかった。
みんなが列を組んで歩く舗装された公道ではなく、
自分の道を求めて深山を分け入っているという危険と隣合せの充実感を大切にしたい。
こういう機会を与えてくれた母に感謝しなければならないとあらためて思う。

そろそろ母の問題を落着させる時期がきたのかもしれない。因縁時節である。
なにも解決はしていないが、そのまましずかに抱きしめる。
放り投げるわけではない。壊すのでもない。中身を見ようとカギを求めるのはやめる。
どんなカギをもってしても、この箱は開かないのだろうから。
ならば、箱を大事に抱きしめるしかないではないか。いまの思いである。
いままではこの開かずの箱と挌闘してきたようなもの。
これからは箱を抱きしめたまま、
箱から目を離し、少しちがう方向を見てみようと思っている。
その最初の一歩は母への感謝である。
やはり生まれてきてよかったと思う。生んでくれてありがとうございます。
お母さんと逢うのはもう少し延期して、しばらくこちらの世界でがんばろうと思っています。
いまやってみたいのはミクシィ。言うまでもなく、若い女性のプロフィールで。
設定は24~26歳くらいがいいな。で、マイミクをどんどん増やす。
そのうち日記にいるはずもないあこがれの上司なんて登場させちゃう。
だけど、かれには奥さんがいるの、なんて。
自分だって下心まんまんのおじさんから、それはやめたほうがいい、とか言ってもらいたい。
さらにそのおじさんのミクシィに思わせぶりなコメントを残したり。
すると、べつの取り巻きが嫉妬していさかいになる。
こんな女王様コミュニティをミクシィで作ってみたい。
本気になったらかなりのところまでいける自信がある。
大勢のおじさんの悩める心を慰めてあげられることと思う。
惜しむらくは時間のないこと。さすがにブログとミクシィのふたつを運営するのは不可能。

道徳的にさほど悪いことだとは思わない。
こちらは変身願望が満たされてたのしい。べつの人生を仮想体験することができる。
男のほうだって、どうせつまらない人生なんだから。
せめてウェブ上だけでも、不倫相手がいると思えたらなかなか幸せなことじゃないかな。
逢わなくたっていいんだから(というか物理的に女としては逢えないのだが)。
わずかだけでもつまらない人生を忘れられたら、それは悪いことではないと思う。
自分の人生は妻子だけのものではない。
日本のどこかに自分を思ってくれている若い女の子がいる。
そう勘違いできる人生というのは、そうでない生きかたよりも質が高いのではあるまいか。
こちらもたのしい。若い女性なんて本来なら生まれ変わらなきゃなれないんだから。
顔の見えない匿名のインターネットはこういうふうに使うものだとさえ思ったりする。

ひとつだけ問題がある。いや、これは問題なのかどうかわからない。
新しい可能性とも呼べるものかもしれない。
ネットで女装しておじさんをふりまわしていたつもりが、実はそうでなかったとしたら!
どうして相手のプロフィールがほんとうだと信じられる?
こちらだって大きな嘘をついているのだから向こうが嘘をついていないという保証はない。
もしかしたらおじさんだと思っていた相手がそうでないかもしれない。
女子高生がおじさんを演じているのかもしれないのだ。
いくらなんでもそれはないが、若い女性が中年男性を装っている可能性は否定できない。
いもしないワイフの悪口を書く。存在しない上司への不満を書く。
意外と人間はそういう変身で慰められるものである。
このふたりがもし現実で逢って恋に落ちたら――。
まるで小説のような話と思われるかもしれないが、そんなことはない。
残念ながら恋に落ちたことはないけれど、
このくらいだったらわたし程度の人間でも現実で一度ならず経験しているのだから。
すなわち、女を演じていたわたしは男を装っていた女と逢ったことがある。

人生、つまらなくはありませんか? 
現実ってなんて退屈なのだと嫌気がさしませんか?
異性に変身しましょう。ネットの世界でならいくらだって人生を変えられる。
余命半年の青年になって心境をつづるのもいい。
前科者になってみるのもおもしろい。
なるべくなら、いまの自分とは正反対の設定にしたほうがよろしい。
嘘をつくなら大きくついたほうがふしぎとばれにくいものなのである。
さあ、異性になろう! 新しい人生を生きよう!
フィクションを生きようじゃないか。
人間、生きていたらなにをしたっていいとは思いませんか。
ただし、ひとつだけご注意を。相手の設定を鵜呑みにしてはいけない。
いや、それもおもしろいのかもしれない。現実と虚構の落差がドラマを生む。
まず人間を信じようではないか。悪いひとはなかなかいないものである。
いざ漕ぎださん! ネットの大海原に! 未来はバラ色だ!
せっかくプロレスの話になったのだから、
しばらくだらだらと牛の涎の如く雑談を垂れ流そうではないか。
まえの記事のつづきみたいなものだから、そこんとこよろしく(決めポーズ)!
つまりだな、プロレスラーと挌闘家の相違。作家と学者の役割分担について書きたい。
プロレスラー(作家)はかならずしもガチンコ(学問)が強くなくてもいいんだ。
さぞかし強いのだろう(博識だろう)と観客(読者)から目されたらそれで充分。

プロレスラー(作家)は間違っても挌闘家(学者)と闘ってはならない。
最初から勝ち目がないんだから。自分がほんとうに強いのだとは錯覚してはいけない。
そもそもの実力がちがうのである。これは恥ではない。
訓練していることがまるでちがうのだから仕方がないのだ。
万が一挌闘家(学者)とからむ(対談する)ことがあったら、
相手をなるべく立てなければならない。しょせんこちらはペテン師なのだから。
けれどもさすがにヨカタ(しろうと)に舐められるほど弱い(バカな)のはNG。
そこらへんのおにいちゃんに喧嘩を売られても大丈夫なくらいは
ガチ(学)のちからをつけなければならない。

ほんらいなら挌闘家(学者)あがりのプロレスラー(作家)がいちばんなのだが、
こういうレスラーは概して観客から支持されない。
強ければそれでいいと観客を満足させようとしないからである。
プロレスラー(作家)同士のからみ(対談)でならいきなりシュートをしかけてもいい。
天龍源一郎も会場の雰囲気がだれていると、
いきなり若手レスラーの顔面を蹴り飛ばしたものである。
だが、こういった行為はよほど自分の実力に自信がないとできない。
もし相手がぶち切れたときに対応できないからである。
会社(業界・文壇)から干されてもいいと思うならば、
先輩レスラー(作家)の顔面をガチで張り飛ばしてみるのもおもしろい。
こういった勇気ある行為は観客から歓声を受けることだろう。人気アップにつながる。

反対にやってはならないのは観客に手をあげることである。
挌闘家やプロレスラーは強くて当たり前なのだ。
間違っても「もてない男」小谷野敦のようにしろうとに殴りかかってはならない。
うっかり負けでもしたら恥ずかしくて町を歩けなくなるからである。
だが、アントニオ猪木のように、しろうとのパンチに腹を立てて顔面を張り返す、
といった行為はお茶目とみなされお茶の間での人気上昇にもつながるから、
小谷野敦のやんちゃなウェブ活動もかならずしも批難されるものではないのかもしれない。
「七勝八敗で生きよ」(天龍源一郎/東邦出版)

→新刊。プロレスファンである。20年以上も天龍源一郎を一途に応援してきた。
男が男に惚れる、ということをこのプロレスラーから教えられたのである。
天龍みたいな男になりたいと思った。いまでも思っている。
笑われるのは百も承知だ。けれども、わたしはそういう浅薄な人生観で生きている。
哲学者や思想家ではなく、プロレスラー天龍源一郎に生かされてきた。
話しはじめたらまわりがドン引きするくらいのプロレスオタクでもある。
いままで隠してきたわけではない。趣味だからである。プロレスは純粋なたのしみ。
ことさら書きたいとは思わなかった。書くものではなく、たのしむものだからである。

2001年、元レフリーのミスター高橋がプロレスの内幕を暴露してしまった。
いわく、すべての試合の勝敗が決まっている。
それどころか、試合の内容さえも事前に打ち合わせをして概略を決めている。
いま思えば、プロレスを演劇、すなわちフィクションとしてたのしめばいいのだから、
なにも思い悩むことはなかったのだが、当時はそれなりにショックであった。
ミスター高橋の暴露本がプロレス界に与えた影響は大きい。

この天龍の本も、ミスター高橋の暴露を前提として書かれている。
そこが、おもしろかった。というのも、天龍の自伝はすでに3冊出版されている。
もちろん、すべて目を通している。どれも勝負論が前提となっていた、
つまり、負けるのは弱かったからだという書きかたがなされていた。
本書のおもしろさは、プロレスラー天龍源一郎が、ある程度、ぶっちゃけているところ。
ここまで話しても大丈夫かと天龍が重い口を開いたのである。
ファンのひとりとして興味深かったのはその部分である。

天龍源一郎いわく、プロレスにおける対戦相手は目の前のレスラーではない。
プロレスラーが向き合わなくてはならないのは観客である。
相撲出身の天龍は、プロレスのそこが伝統国技と異なると指摘する。
相撲をやっていたころは目の前の相手を倒せばそれでよかった。
勝てばよかったのである。勝ちさえすればなにも言われなかった。
たとえ小技で勝とうが、10秒で勝とうが、勝負の世界では問題にならなかった。
だが、プロレスは相撲とはちがう。
このことを天龍源一郎が知るまでにプロレス入りから5年を要した。
プロレスで重要なのは勝敗よりも、どれだけ客を沸かすかなのである。
いくら勝とうが観客が盛り上がらなかったらなんにもならない。
たとえ負けようがお客さんが満足して帰ればプロレスラーの勝ちなのだ。
本書のタイトルの元となった思想だと思われる。
勝てば官軍の格闘家ならこうは考えぬ。
ミスタープロレスと称される天龍ならではである。

プロレスファンは低学歴・低知能・低収入の多いことで知られている。
(あともてないことでも。プロレスファンの非モテを弾劾・愚弄・嘲笑したのは大槻ケンヂ氏)
どうせバカなのだからと思い切ったことを書いてしまうと、
プロレスラー天龍源一郎から学ぶところがいくつもあるように思うのである。
たとえば学者と作家の相違を、格闘技とプロレスの比較で説明できる。
学問の世界では正しければいい。格闘技で勝てばいいのとおなじ原理である。
だが、作家の書くものはおもしろくなくてはならない。客を退屈させてはいけない。
これはプロレスラーとおなじ行動規範を要求されるということではないか。

格闘技が嫌いである。プライドもK1もなにがおもしろいのかさっぱりわからない。
同様、学問もからきしわからない。
いみじくも天龍は勝敗の世界なら相撲で卒業したと言っているが、
これを真似て正誤の世界は大学受験で卒業したと言いたい。
やはり、いまだに、わたしは天龍源一郎のような男になりたいのである。
かのプロレスラーのようにお客さんを沸かせる作家になりたいと思う。
「宗教の自殺」(梅原猛・山折哲雄/PHP)

→オウム便乗本。オウム真理教の事件で宗教への関心が高まった。
そおれ、ビジネスチャンスを逃すな、と緊急出版された書籍(だとしか思えない)。
内容は、すかすか。出版されたのは麻原逮捕から7ヶ月後ゆえやむなし。
そこらへんのおっちゃんふたりが、居酒屋で時事ネタをさかなにのんでいるようなもの。
しかし、このおっさん二名は有名なマスコミ学者だったという――。
だから、買ってね、みたいな。
思うに、文筆業というのはほんとうに賤しいなりわいである。
戦争が勃発すると武器を売りに行く「死の商人」に近い下劣さがある。
このふたりはあまりにも有名だからそうとはいえないが、
なにか異常犯罪が起こるのを待ちこがれている文筆業者は大勢いるのではないか。
かれらにとって、ひとの不幸がメシのタネなのである。
不幸に苦しんでいる人間の存在を前提としてうるおう商売。
そのくせ正義の使者のような顔をして物事を論じるのだから最低というほかない。

いささか脱線をした。
話を戻すと、オウム事件がもはや風化した現在から眺めると本書の価値は低い。
これで終わるのもつまらないので、ひとつ梅原節を紹介したい。

「宗教に一番重要なことは、私は憑依や遊離だと考えているのですが、
魂が自分の身体から抜け出たり、
他のものの魂が自分の中に入ってきたりする体験を
もたないような宗教家はつまらんと思います。
芸術家についても同じことがいえる。
すぐれた作家は、やはり憑依されたり遊離したりする霊のもち主です。
麻原には、それがあります。
山折さんを前にしていうのは何だけれども、学者というのは、
宗教学者も例外ではなく、そういうものがありません。
魂が遊離していく体験も、別の魂に憑依される体験ももたない。
つまり宗教的体験に乏しいのです。そういう人たちに比べれば、
麻原は本質的に宗教的人間であるということはいえると思う」(P57)
「小説家への道Ⅱ」(「鳩よ!」編集部)

→47人の作家先生が「小説家への道」をご教示くださるたいへん贅沢な本。
数えてみたら47人のうち名前だけでも知っている作家はわずか5人だった。
不勉強を恥じるばかりである。
どの作家先生もナニサマと思ってしまうくらい態度がでかいのに驚く。
自分はしもじもの人間のうちのひとりなのだと気づかされる。
たとえカルチャースクールの講師収入で生活しているとしても作家は作家である。
志願者はふかくこうべをたれなければなるまい。

本書を読んで、作家というのは名誉職なのだと思い知らされた。
まったく報われる仕事ではないのであろう。
あこがれだけで成り立っているポジション(つまり、ほとんど職業ではない)。
自分がかつてあこがれていた。あこがれている志望者が大勢いる。
このふたつの憧憬が作家というはなはだもろい足場を支えているのであろう。
書いても書いても収入は増えない。読まれない。ほめられない。
高貴な役職でもなんでもなく、奴隷のように読者様につかえなければならない。
ちょっとした自慢話でも書こうものなら、読者様はすぐにへそを曲げてしまう。
本を買ってくれなくなる。食えなくなる。
書きたいものを書いて暮らしていけるのは、ほんのひと握りの作家のみ。
編集者にあたまを下げて仕事をもらい、
読者様のまえで這いつくばらなければならないのが作家。
編集者から命令されたらケツの穴まで見せなくてはならないのが作家。
そうまでしても、読者様から「きったな~い」なんて笑われてなみだをのむのが作家。
作家というのは街娼以下のなりわいなのかもしれない。

そんな賤業(せんぎょう)作家のみなさんの唯一スターになれるのが、
作家志望をまえにしたときなのである。
このときだけ自分も捨てたものではないと思うことができる。
かれらが多少居丈高になるのもやむをえないと思う。むしろ、かわいらしい。
こういう理由で、本書に不快感は皆無であった。
この本を何度も読んで勉強して諸先輩方のようになりたいと思った。
なんとかして新人賞をゲットしてカルチャースクールに就職したい。
物書き志望の有閑マダムのアイドルになりたい。えへへ、なんちゃって。
「マンガ 中国の歴史がわかる」(たかもちげん/三笠書房)絶版

→中国の歴史がどうしてもわからないバカなわたしは、
バカはバカらしくとマンガにたよることに決めたのだった。
すると、ふしぎ。一発で中国の歴史を理解してしまったのである(おそらく勘違い)。
マンガはじつにすばらしい。
どういうことか。中国全史を通じて絵柄がおなじなのである。
絵のパターンが同一で名前だけが変わる。
すなわち、「おれについてこい」である。
だれかが「おれについてこい」と叫ぶと無知蒙昧な群集がワアワアしたがう。
結果はケースバイケース。成功するときも失敗するときもある。
成功したところで権力者はしだいに腐敗する。
ふたたび「おれについてこい」と手をあげるものが現われる。群集がつきしたがう。
中国史というのは、えんえんとこれが繰り返されるのみ。
だから、要は名前を覚えるだけの作業になってしまう。おとなに暗記作業はつらい。
このため中国の歴史がわからないとあたまを抱えてしまうことになるのである。
実際はなんのことはない。「おれについてこい」「よし、まかせた」「突撃うおおおお」――。
中国史は、絶え間ないワンパターンの会話に過ぎぬ(言い切っていいのか、おい!)。
ここまで乱暴なことを書きつづってきたのだからもうこわいものはない。
中国の未来図まで予想してみよう。
近いうちに「おれについてこい」と挙手する人間がかならず現われる。
群集はかれを持ちあげる。結果、現在の共産党独裁政権は倒されるであろう。
マンガのような話に思われるかもしれないが、
マンガを読んで予想したのだから当たり前である。
「マンガ中国入門 やっかいな隣人の研究」(ジョージ秋山・黄文雄/飛鳥新社)

→今度は正反対の中国批判マンガを読む。
他国をおとしめるということは、どうしてか自国を持ちあげることに通じる。
したがって本書を右翼向けと評するのも、そう大きな間違いではないだろう。
読みながら、なにかに似ていると思っていた。
読後思い当たったのは創価学会の本である。
ばかばかしいほどの相手への中傷罵倒、
疑いをはさまない自己愛といったようなところが似ている。
思えば、左翼よりも右翼のほうが宗教的といえるのかもしれない。

左翼本を読んで自虐の快感にうっとりするのもいやだけれども、
こういった右翼本を読んで日本を守ろうなんて騒ぐのも気乗りしない。
どうしてなんだろうね。
どうして学校の先生ってたいがい左翼なんだろう。
で、クラスにはかならず勉強のできる子とできない子がいる。
ほんとうに優秀な子は新聞社に入って国民全体を教え導く。
ほどほどにあたまのいい子は学校の先生になって新聞を参考に子どもを教え導く。
あたまの悪い子がおとなになると、こういうマンガを読んで愛国心にめざめる。
で、この愛すべきおバカちゃんを再教育しようと左翼は街頭演説で騒ぐ。
あたまがよくも悪くもない大多数(わたしもここに入れて♪)は、
優等生と劣等生がいがみあっているのを空恐ろしく思う(笑)。

みなさんもそうではありませんか。
左翼を見ると、なーに優等生ぶってるんだ、なんて思っちゃいませんか?
一方の右翼を見ると、おいおい、そこまで落ちこぼれていいのかと青ざめてしまう。
結果はノンポリ。優等生はむかつくけれども、劣等生はなんだか怖いからノンポリ。
わたしもノンポリだけど、ちょっぴり劣等生のほうが好きかもしれないです。
「観光コースでない満州」(小林慶二/高文研)

→著者は東大卒で、元アカヒ(朝日)新聞の記者。こいつはひでえぜ!
まずなにがダメって、つまらないことだ。内容がつまらない。
なぜかというと上から目線がいけない。読者を啓蒙しようとしている。
自慢話が多いのも鼻につく。
なんでも著者はかつて韓国大統領だった金泳三と友人らしい。
中国で著者のグループが写真撮影をしていたら公安にとがめられたことがあった。
そのとき金泳三と友人だとふたり並んだ写真を見せたら、相手の態度が変わった。
なんていう自慢を嬉々として書いている。
友人・金泳三はよほど自慢のタネらしく本書に何度も登場する。
ハルビンの反日記念館で、
この韓国元大統領からつぎのように言われたことが著者の生きがいのようである。

「小林さん、本当のことを書いてくださいよ」(P158)

いよっ、ジャーナリスト! 正義の味方はかっこいいね。
で、この有名人とお友だちの小林さんがなにを書いているかといえば、
いかにもアカヒ的というほかない啓蒙文章なのである。
瀋陽の「九・一八歴史博物館」を訪れた著者はこのような感想を記す。

「(博物館は)……日本軍の残虐な行為を示すものもあるが、
全体としては日本を糾弾するというよりも、
抗日の歴史を克明に教える意図が強く感じられた。
中国政府が国民に、抗日の歴史をどんなふうに教えているかを知るためにも
ぜひ日本人に訪ねてほしい場所である」(P52)


キチガイかよ! この博物館には行ったことがあるが、とんでもないものだった。
中国への盲目的な愛情と日本への底なしの憎悪を参観者に植えつけようとしていた。
少なくともわたしはそう感じたものである。
日本人観光客は不愉快になるだけだから、こんなところへ行かないほうがいいと思う。

わたしもいま小林さんとおなじで「本当のこと」を書いているつもりだ。
だが、小林さんが嘘を書いているとも思わない。
小林さんにとっては、それが「本当のこと」なのだろうから。
もし、と考えてみる。もし小林さんがわたしの「九・一八歴史博物館」感想を読んだら、
嘘を書いていると思うのだろうか。かなしいが、きっとそう思うはずである。

「本当のこと」はひとつではないのかもしれない。

これを理解しないものが左翼や右翼になるのだろう。
わたしは左翼でも右翼でもない。ただどちらかといえば右翼思想のほうが好きである。
正しいから好きなのではない。好きだから好きなのである。
同様、小林さんは、たとえば自虐史観のようなものが好きなのだ。
要は好き嫌いの問題なのである。
だが、人間は自分の好きなものが正しいものであってほしいらしい。
好きと正しいを混同するものが現われるゆえんである。

「ちょうどこの原稿を書いている時(2005年)に、
上海をはじめとする中国各地で「反日デモ」が発生、
町村信孝外相が行き過ぎた反日教育に原因があるとして、
「こちらでも中国の教科書を調べ、行き過ぎの教育をしていれば、訂正を求める」
という主旨の発言をしていた。
しかし、加害者が自分の犯した罪を“自虐史観に陥る”と称してほとんど教えずに、
被害者の教育に文句をつける権利があるのだろうか。
それが国内ではともかく、国際社会で通用するだろうか、大いに疑問である」(P66)
「再会」(山田太一/「月刊ドラマ」2002年3月号/映人社)品切れ

→テレビドラマシナリオ。平成13年放送作品。単発ドラマ。芸術祭優秀賞受賞作。
「再会」とは、倍賞美津子との再会である。
6年前、倍賞美津子は家族を捨てて出て行った。中岡という男に夢中になったのである。
その倍賞美津子が6年ぶりに家族のまえにすがたを現わす。
元亭主も、思春期に母から捨てられた娘、息子も戸惑う。
娘の石田ゆり子は3年前に結婚している。以下は母子の会話である。

倍賞「(6年前は)母親じゃなかったのよ」
石田「――へえ」
倍賞「熱病みたいだった。中岡に夢中になって、なにもかも捨ててよかった」
石田「――へえ」
倍賞「娘にいうことじゃないけど、中岡以外見えなくなってたの」
石田「――」
倍賞「それをおさえて、お父さんと、あなたと遼太(=息子)と、なんとか平穏なんて
――それじゃ嫌だって――とっても、思って」
石田「――」
倍賞「三年と四ヶ月。別の人間みたいだった」
石田「三年て――」
倍賞「死んだのよ、中岡、癌で」
石田「そう」
倍賞「あとはぬけ殻。入院したり。やっとあんたや遼太、一目だけでも見たい、
なんて欲が出て――そしたらもう六年にもなってた」
石田「勝手な話」
倍賞「うん――」
石田「そんなふうに、男性、好きになるなんて、ほんとに、あるのかなあ」
倍賞「うん――」
石田「私も人並に、うちの人と恋愛したけど、そんなふうじゃなかったなあ」
倍賞「うん」
石田「それって、恋愛っていうより、お父さんや私たちを、
ほっぽり出したくなったんじゃないかな」
倍賞「――」
石田「毎日がつまらなくて――」
倍賞「――」
石田「それなら、分るけど――」
倍賞「――」
石田「そんな凄い恋愛、ほんとにあるのかなあ」
倍賞「(諦めたように微笑)」(P141)


かつての夫婦も再会する。夫は長塚京三である。この再会は離婚後3度目。
倍賞は遠く離れた東京へ行くという。最後にと倍賞が長塚を誘う。
もう会わないのだから最後に若かりしころのように映画を観て食事でもしない?
以下はフランス料理店での元夫婦の会話である。長塚は反省の色のない倍賞に怒る。

長塚「お前は、その、お前の、そういう、あっけらかんとした態度は、
俺の、この間の、口惜しさ、情なさ、やりきれなさ、淋しさ、子供のこと、
そういうものを、まったく軽く見ている」
倍賞「いっても仕様がないことは、よそう」
長塚「よそうって――」
倍賞「すぎたことだもの」
長塚「すぎたことって――」
倍賞「私だって、いえばいくらでもある。
あなたといた頃の、それこそ、いまいった、口惜しさ、情なさ、淋しさ、やりきれなさ、
いうこといっぱいあるのよ」
長塚「裏切っといて、お前――」
倍賞「その人も、もう死んだの。二年半になるの」
長塚「――」
倍賞「――」
長塚「そうだな」
倍賞「ブランデー貰う?(とやや離れたところにいるウェイターに手をあげる)」
長塚「いや、もうワインにしよう」
倍賞「(近づいてきたウェイターに)ワインのリストを――」
ウェイター「かしこまりました(と去る)」
長塚「六年前と――」
倍賞「うん?」
長塚「変ったな」
倍賞「シワ(と目尻を指し)なんて、いわせないで」
長塚「よく変った」
倍賞「どこが?」
長塚「綺麗になった」
倍賞「まさか――」
長塚「――(倍賞を見たまま微笑)」
倍賞「(首を振ってどう対応したらいいのよ、と苦笑してみせる)」(P149)


結局、最後は元のさやにおさまる。長塚京三と倍賞美津子がよりを戻す。
いいなと思った。こんなことは現実にはない。あったらなんといいことだろう。
そういうことを描くのがテレビドラマであると。
ところが、山田太一によると作者の意図はそうではないらしい。

「話は離婚した夫婦がよりを戻す話ですから、
気に入らない人もいたらしいですけどそれは人生いろいろでね。
一方、ラストをハッピーエンドふうに受け取る方も多かったんですけど、
僕はそういうふうには書いてないんです。つまり別れて、
「お前の年齢で東京へ行って、何があるんだ」と亭主が元女房に言うわけですね。
そして、その通りに、愛情というより寂しさで、
かつての夫婦が、もう一度一緒になると書いてるつもりです。
でも、ラストはさわやかで良かったという人が多かった。
それは演出の山本さんの手柄でしょう。
僕のだと見てる人はイライラしちゃったかもしれない」(P12)


この作者の言葉を読んでしばらく笑いがとまらなかった。さすが山田太一である。
恋愛ドラマを書くような人間はからきし恋愛感情など信じていないのである。
いや、そのようなふりをする含羞を持ちあわせていなければならぬ。
「この冬の恋」(山田太一/「月刊ドラマ」2002年3月号/映人社)品切れ

→テレビドラマシナリオ。平成14年放送作品。単発ドラマ。
いいな、いいなとなみだを流しながらシナリオを読んだ。
ほんとうにすばらしい恋愛ドラマである。
いかにも2002年らしき現代の恋愛模様がまことしやかに描かれている。
68歳の山田太一が2002年、田中美佐子の演ずる恋愛を書いたわけだ。
子どもの恋愛劇を親が作るようなものである。
ふしぎでしようがない。
ひとつは世代の壁。どうして老年の山田太一が現代の恋愛を描けるのか。
もうひとつは経験の問題。
エッセイからうかがえる思想、ひいては生きかたから拝察するに、
山田太一が豊富な恋愛経験を持っているようには(申し訳ないが)思えない。
だのに、なにゆえこれほど秀逸な恋愛ドラマを描けるのか。
実体験がない場合、たよりは取材と想像力である。
だが、色恋に関して果たして取材は有効だろうか。
のろけ話などいくら聞いても退屈なだけではないか。
いくらたくさんの恋愛映画を観ようが山田太一ほどの個性をもつ作家なら、
模倣はしようと思ってもできないはずである。
ならば、最後に残るのは想像力である。
山田太一はいかような想像力をもって平成14年の恋愛ドラマを描いたのか。

38歳(という設定)の田中美佐子は11歳年下の男とカネで契約する。
田中美佐子は独身。仕事に専念してきたからカネはある。
けれども、いまさら恋愛がどうのとめんどうくさいことにかかわるのは御免。
かくしてホストくずれの男をカネで買ったわけである。月15万円の契約。
擬似恋愛気分をたのしむためである。
ところが、いつしかふたりは真の恋愛に目覚める――というのが物語の骨子だ。
ふたりの恋愛は周囲から妨害される。たとえばこんなふうにである。

「恋だの愛だの、みんな、いっときのことだ。
そんなことは百も承知だろ。
どこに一人の相手と延々恋してる奴がいるよ?」(P126)

「はっきりいって、性欲よ。すぎちゃえば、バカみたいなもんよ」(P126)


恋愛は障害があることによって、その純粋性が高められる。
そうだとしたら、いうなれば上記引用のせりふは恋愛ドラマに必要不可欠なものだ。
このハードルを跳び越え、年の差11歳のカップルはむすばれる。
だが、こう書いたところで、なにもこの恋愛劇を分析したことにはならない。
どういうわけで山田太一はこのような恋愛ドラマを書けるのだろうか。
謎は深まるばかりである。この謎はおそらくいくら恋愛を繰り返そうがわからない。
なぜなら、そう、唐突に恋愛研究の大家、小谷野敦の言を引くならば、
スタンダールの時代から恋愛物はつねに恋愛弱者によって描かれてきたのだから。
恋愛弱者とは、なんのことはない、もてない男女である。
もしやかれらの切実な願望・夢想・妄想のなかにこそ真の恋愛があるのではないか。
もしそうならば、恋愛ドラマを書くために必要な条件は――。
「礼文島」(山田太一/「月刊ドラマ」1987年1月号/映人社)品切れ

→テレビドラマシナリオ。昭和61年放送作品。単発ドラマ。
山田太一は創作の過程で実体験に重きをおくタイプの作家ではない。
取材と想像力をよりどころにドラマを生みだしているといってよい。
本作品「礼文島」が山田ドラマにしては低調な理由は、
取材に引きずられすぎたからではないか。
礼文島は北海道西方の孤島。住むに便利なところではない。
山田太一は4日間取材したという。朝から晩までたくさんのひとから話を聞いたという。
作家として思うところがたぶんにあったようである。
だが、礼文島の問題を紹介(告発)するのは山田太一の仕事ではない。
ノンフィクション作家やドキュメンタリー作家がやればいいことである。
山田太一は本作品執筆時、自身がドラマ作家であることを忘れていたのではないか。
それだけ対象に深くのめりこんだということなのだろう。
人間・山田太一の質の良さを証明する事柄である。
しかし、ドラマ作家がそれではいけないと思う。

取材する。話を聞く。他者の世界を知るということは、それだけでおもしろい。
感銘を受けるものである。けれども、ここでとどまってはいけない。
事実に、現実に、拘泥してはならない。
このことを熟知する山田太一が、それでもなおこの「礼文島」しか書けないということは、
それだけかの地から受けた影響が強かったのだろう。
ふたつの家族の物語である。礼文島を去る一家と残る一家。
両家の旦那は幼なじみで長年の親友である。
この別れをドラマに用い、あとは現実を描写することにシナリオは終始する。
たとえば、この島を去る一家の奥さんはいう――。

「出て行くなら、今が決心のしどころなんだ。
これ以上年とったら、そんな元気出ねえかもしんねべさ。
なんも、バカみてェにバラ色の夢見てるんでねえ。
向う行きゃあ向う行った苦労があるべ。礼文ほどいい人ばっかりはいねえべさっ。
だども、此処で一生終りたぐねえ。生れて、同じ人間で、
向うじゃ、雪のない街歩いて、でっかいスーパーで、なんでも買ってるっていうのに、
なんで、私らばっかり、こんな吹雪の中におらねばならねスか?(激する)
(気持おさえていて)自分のことばっかりいったけど、
達夫の教育だの将来だの、そういうこともいろいろ、考えてね」(P19)


「日本の面影」「あめりか物語」もそうだが、
はりきって取材したと思われる山田ドラマはどうにも苦手である。
あまりかっちり取材してしまうと作者が想像力を働かす余地がなくなる。
だとしたら、創作における想像力とはいったいなにを意味するのか。
ひきつづき山田太一ドラマから学んでいきたい。
「演歌」(山田太一/「月刊ドラマ」1984年1月号/映人社)品切れ

→テレビドラマシナリオ。昭和59年放送作品。東芝日曜劇場。

「これからの生き方、死に方」(講談社)によると、
山田太一は40代で修羅場を経験したという。夫婦関係の修羅場である。
そうとう激しい夫婦のいさかいがあったと述懐している。

「僕は二十代で結婚したんですが、
はじめは他人というものがこんなに違うのかとびっくりした。
育ちが違うんだから当たり前だけど、食事の味つけから習慣から、すべてが違う。
そのことが新鮮でもあり、いらだちの種でもあり、
おたがい二十代は二十代なりにけんかしたりもしましたが、
三十代の頃には、それなりにわかりあえたと思っていたんです。
ところが、四十代になって相手にいろいろいわれはじめると、
そうか、そんなことを感じていたのか、考えていたのか、
ああ、全然相手を知らなかったんだなあ、と愕然とした。
と同時に、相手も僕のことを知らなかったんだなあと驚いたんです。
これをそのまま一般化していいかどうかはわからないけれど、
配偶者というものも、けっこう知らないものなんですね」(P132)


山田太一は実感したわけである。それをどう創作に生かすか。

「ドラマライターの想像でない本物が現れたときというのは、
やはりそれなりに踏みこみは深くなるものですが、
でも、自分の家のことは書けませんからね。
実際のことを書いたら、女房だってたまらないだろうし、
僕自身も自分の手足を切り売りするようなことは、なるべくしたくない」(P134)


実体験をそのままドラマにすることは山田太一の流儀ではない。
そこで、ようやく本作品「演歌」の登場である。
――博多。子どもの巣立ったあとの老夫婦の関係はしらじらと冷めきっている。
そこに若い女性がやってくる。老婦人が連れてきたのである。
失恋を機に退職して旅をしている伊藤蘭を自宅へ連れてくる。
客人がいるときだけ老夫婦の会話が成立するのである。
山田太一はこの10年前におなじテーマのドラマを書いている(「また二人になる日」)。
このときはどうにもならない現実を描くだけで終わったのだがこんかいは違う。
伊藤蘭と老婦人は演歌が縁で知り合ったのである。
だが、婦人は大学講師の夫に演歌が好きなことを結婚から26年隠していた。
というのも、旦那はクラシックが趣味だったからである。
ある晩、夫婦喧嘩ののち老婦人は去る。気まずい沈黙が流れる。
伊藤蘭は、夫人がほんとうは演歌が好きであることを旦那に教える。
まさか26年間も夫婦のあいだで隠していたとは、と夫は驚く。
「すごい、たいへんな愛情じゃありませんか」と若い旅人は主人に訴える。
すると、なんとこの旦那も決して演歌が嫌いなわけではなかった。
演歌を通じて再生する老夫婦の物語である。
このドラマの創作の背景に山田太一の実体験があったことは疑い得ない。
山田太一は自分が40代で体験したことを元手に
60にも近い老夫婦のドラマを想像で書いたわけだ。
フィクションとノンフィクションの関係を考えるうえでまことに興味深いことである。

(参考)「また二人になる日」↓
http://yondance.blog25.fc2.com/blog-entry-981.html
「写真の裏」(山田太一/「月刊ドラマ」1995年5月号/映人社)品切れ

→平成7年放送作品。TBS月曜ドラマスペシャル。テレビ開局40周年記念。
「今夜もテレビで眠れない」。三作家競作オムニバスのうちの一作。
ほかは市川森一「あの人だあれ?」、早坂暁「猫坂の上の幽霊たち」。

ストーリー。TBSの局舎引越にともないあわただしい社会情報部にある家族がやってくる。
老婆を中心にすえた一家郎党。写真を返してくれというのである。
というのも、この老婆は1年前、終戦記念番組に出演した。
その際、戦死した夫の写真を資料として番組に提供した。1枚しかないものである。
ところが、その写真を返してもらえないのである。
番組スタッフは謝罪した。紛失してしまったと。そのうえで言い訳をする。
番組放送のときにその写真をもとにしてキャビネ版の大写真をつくり額に入れて贈呈した。
原版はなくしてしまったが、その額入り写真があるのだから勘弁してくれないかというのだ。
一家は、それではダメだという。
なぜなら老婆の記憶によると、写真には夫の書いた直筆メモがあったからである。
どうしても紛失した写真を見つけてほしい。
番組スタッフはかつてこう答えた。
局舎を引越する際、大掃除をするからそのときまで待ってくれないか。
だが、いっこうに連絡がない。この日、老婆を連れてこの家族が一同来社した理由である。

番組責任者の様子がおかしい。なにか裏があるようである。
家族のひとりが別室で問いただすと驚きの事実が明らかになる。
実のところ写真は見つかっていたのである。だが、不手際で顔の部分が破れている。
なぜ正直に写真のあることを言わなかったのかとスタッフに問いつめる。
なんと写真の裏にはなにも書かれていなかったのである――。
戦死した夫からの妻へのメッセージなど、どこにも書かれていなかった。
老婆がぼけていたのである。

老婆も自分の記憶が正しいのか自信がもてない。
たしかこんなことが書かれていたと話しはじめる。
写真の裏にはこんなことが書かれていた。
久美へ、と自分の名前がまず書かれていた。
1年3ヶ月の夫婦の暮らしでしたが、あんな幸福なときはありませんでした。
結局、生まれてくる子に会えずじまいでしたが、会いたい、抱きしめたい。
たとえ命はお国に捧げても、心は久美のもとへ帰ります。
老婆はふしぎに思う。
「こんなに長い手紙、写真の裏に書ききれないわよね」
周囲のみんなが否定する。細かい字で書けば、いくらだって書けますよ。
「ぼけたんじゃないでしょうね」と老婆がいう。
「そんなことないわよ、おばあちゃん」
「そんなことありません。続けて下さい」
「続けて下さい」
老婆は写真の裏へ書かれていた続きを語る。
私は久美(老婆)の心を疑っていません。私は久美の永遠の夫です。
でも、もし、戦死の公報が入ったらば、あなたはまだ若い。
生まれてくる子と一緒に私のことを忘れなくてはなりません。
私を忘れて新しい人生を求めなければなりません。

久美(老婆)「ううん、そんなことはしなかったわ。
私はあなたを忘れなかったわ。若いあなたを今でもちっとも忘れてないわ」(P33)


老婆、静かに涙を拭く。番組スタッフも家族も涙ぐんでいる――。

わずか40分のドラマである。だが、ここに山田ドラマのエッセンスが凝縮されている。
写真の裏にはなにも書かれていないのである。現実は、こんなものだ。
しかし、老婆はぼけも手伝って自分だけのフィクションを紡ぎあげた。
このフィクションの尊さよ! 現実がなんだ、虚構を生きよ!
写真の裏が白紙だったことを忘れても、夫の顔を忘れないという老婆。
そのフィクションに打たれる周囲の人間。みんなそろって涙ぐむ。
山田太一ドラマの典型的なパターンである。
お涙ちょうだいだろうとこれ見くだすのは容易だが、それではあまりにもさみしかないか?
と、わたしは思っている。

市川森一、早坂暁、両氏の作品も読んだが、わたしはシナリオ文学が好きなわけではなく、
ただ単に山田太一ドラマが好きなだけであることにあらためて気づかされた。
「夢に見た日々」(山田太一/大和書房)絶版

→テレビドラマシナリオ。平成元年放送作品。全10回。
山田太一という人間を思うとき、ふたつの驚きがある。
テレビドラマの感想なのだからとあえて俗語的な表現をするなら――。
あなたはどんだけ悲観論者なんですか~。あなたはどんだけ理想主義者なんですか~。
このふたつである。
みんながナアナアでやっているところに、とんでもないKY(空気読めない)発言をぶちこむ。
かと思えば、だれもがそんなこと「ありえねえくね?」と思う美しいシーンを描く。
山田太一は強烈な二面性をもった作家なのだ。
どちらか片方にかたよる作家ではない。
本当と嘘。「あるがまま」と「かくありたい」。日常と非日常。
対極に位置するふたつの世界、そのどちらをも凝視するのが山田太一である。

「夢に見た日々」から。婚約者に二股をかけられていたことを知った佐野量子。
男は自分を捨てて資産家の子女と結婚するという。
佐野は結婚式会場へ乗り込む。男を待ち伏せしながら思う。戸惑っているのだ。

「だったら、いいじゃない。そんなくだらない奴忘れちゃえばいいじゃない。
みっともなく泣いたり恨んだり追いかけたりするなんて、プライドが許さないし、
大体私、しつこくないタイプだし――ほんとに――こんなところへ来るなんて
――思ってなかった。自分が分らない。もしかすると、私って、
自分で思ってる自分と、本当の自分は全然ちがうのかもしれない」(P6)


元プロ野球選手だが、引退してからはなにもかもうまくいかない千葉真一はいう。
聞いているのはオールドミスの銀行員、桃井かおりである。

「私はね、嘘をついてしまう。(「え?」)
よく嘘をついてしまう。(「フフ、どうして?」)
多分、自分が嫌いなんだ。自分がいま生きている場所がやりきれないんだ。
でも抜け出す力はない。だから嘘をついてしまう」(P32)


千葉真一のことを裕福な実業家かなにかと思っている桃井かおりは話を合わせる。

「本当のこと、知らなくてもいいわ。知りたくないわ。
私も、あるがままの自分なんて嫌い。出来たら、飾りたいもの」(P34)


しばらくして桃井かおりは千葉真一がただのろくでなしに過ぎぬことを知る。

「(千葉に)失望してるのよ。分るでしょ。
嘘の間は、多少の夢があったけど、本当のことを聞いたら、ただしらけるだけ。
野球しか能のない男か。どうしてよ?
どうして日本には、つまんない男しかいないのよ?
これじゃあ、女は仕事にでも夢中になるしかないじゃない」(P49)


「夢に見た日々」全体のストーリーは、かなり甘い嘘である。
千葉真一を中心とするダメ人間たちの働く喫茶店が、あるきっかけで繁盛するようになる。
きっけかとは桃井かおりと佐野量子の手助けである。
ドラマの細部にまるで現実感が感じられない。
ほかの山田太一の連続ドラマと比較すると、まったく毒がないのである。
これは時代が原因なのかもしれない。テレビドラマは時代と切り離せぬ。
もはや平成なのである。昭和ではない。平成が山田太一に「夢に見た日々」を書かせた。

二箇所、印象に残ったシーンを紹介する。
山田太一はどうしてこんなにもてない男女の描写がうまいのだろう。
切なさに胸がしめつけられる思いがする。
まずはもてないおっさんの大塚(すまけい)。
喫茶店で働く松枝(三崎千恵子)に恋をした。いや、恋ではないかもしれない。
恋のようなものをした。大塚は工事現場で働いている。
勤務先が変わるのでもうこの喫茶店へ来ることができないことを松江に伝える。

大塚「ハハハ、田舎者だからな。
実も蓋(ふた)もねえこと、いっちまうが――俺はな、ねえさん」
松江「コーヒー、とって来るから」
大塚「いいって、いいって。コーヒーなんか、のみたくて来たんじゃねえ。
ねえさんに逢いたくて来たんだ」
松江「フフ――年寄りつかまえて」
大塚「いったろ、俺が心底惚れた人とそっくりなんだ」
松江「そっくりだって、私はその人じゃないんだから」
大塚「死んじまってるだ、その人には、逢いようがないんだから」
松江「そんなこといわれたって」
大塚「迷惑だな」
松江「迷惑ってことはないけど」
大塚「明日、午後、浅草でも一緒に歩いてくれねえすか(と立つ)」
松江「歩くって」
大塚「デートだ」
松江「デートって」
大塚「こっちの勝手な思いだってことは、よーく承知してる。
愛してくれなんていわねえ」
松江「そりゃそうよ」
大塚「女っ気からずーっと、はなれてるだ。また山ン中へ入っちまうだ。
一遍だけ、東京の町でデートして離れてえ。一緒にお茶のむだけでいいんだ。
女と、柔らけえ口きいて、甘い気持で、発って行きてえだ」
松江「こんなおばあちゃん――」
大塚「どこが、おばあちゃんだ。
ねえさんのどこが、おばあちゃんだ?(と松江に迫る)」
店員「(咳払い)」
大塚「(思いがけないほど素早く松江からはなれて、ごまかそうとする)」
店員「お待ちどうさまでした(とテーブルへコーヒーを置く)」
大塚「ああ、ありがと」
松江「(まだひきつっていて)フフ、ありがと」(P176)


おなじ喫茶店で働く正美。定時制の高校に通っている。太っており見た目はよくない。
職場仲間の重彦に片想いしている。
だが、重彦は洋子(佐野量子)と恋愛寸前といった様子。
ブスの正美が美人の洋子へ話しかける。

正美「いいね(笑顔をつくりながら目を伏せる)」
洋子「なにが?」
正美「洋子さんみたいだったらいいなって思う(目を伏せたまま切実にいう)」
洋子「私みたいって?」
正美「可愛くて」
洋子「なにいってるの。私なんか、ちっちゃくて子供っぽくて、
やせっぽちで、いいとこなんにもない」
正美「贅沢いってる」
洋子「贅沢かなあ?」
正美「私と身体が入れ替わったら、一日保たないと思う」
洋子「どうして?」
正美「男の見る目が全然ちがうもの」
洋子「私、特別(見られた記憶ない)」
正美「ほら(とドアの方を見る)」(P201)


ドアから重彦が洋子を見ているのである――。

恋愛の予感は随所に見られるが、このドラマにおいてカップルはひとつも誕生しない。
ここにわたしは山田太一の強烈な反抗心を見て取る。
山田太一はなににあらがったのか。平成バブル景気のトレンディードラマに、である。
あけましておめでとうございます。
ほんとうは元日の晩にいちどそれらしきものを書いているんですね。
酔っぱらって。
だけんど、翌朝見たら、もうこっぱずかしくてヨンダッシュで削除した次第。
やりなおし。今年の目標。

1.たくさんお酒をのむ。
究極の目標は早死だから、うん。最短ルートは酒でしょう。
ほどほどにたのしむなんていやいや。豪快にのみたいね。

2.たくさん本を読む。
本なんて読んだところでいいことはなにもないんだ。
昨年末に「アジア漫遊記」のかため書きをしてわかったのは、
文章を書くという行為を読書はあまり後押ししないという事実。
本を読んでいたらいい文章を書けるわけじゃない。
しかし、本はたくさん読みたい。

3.たくさんものを書く。
これまた昨年末判明したことだが、ものを書くのがこれほどたのしいとは知らなかった。
むろん、苦しいのである。半端なく苦しい。けど、その苦しさが書けたときの喜びになる。
いままで文章を書きたがるひとの多いことを白けた目で見ていた。
文章は書くよりも、ひとが書いたものを(うまいもの限定)読むほうがたのしいじゃんと。
そうではなかった。文章は読むよりも書くほうが何倍もたのしい。
また、書くことで読みも深まる。だから、たくさんものを書きたい。フィクションを書きたい。
「本の山」に毎日、小説を書いて、完成したら書式を変えて懸賞に応募する、
というのも、できたらやってみたい。

4.たくさんひとと会う。
この場合、会うというよりも向きあうと書いたほうが正確かな。
これはひとによりけりなんだろうけど、
わたしはひとと会った経験が文章を書く推進力になる。読書よりもよほどね。
ひとと会う。ときに打ちのめされる。そこでわかるものがある。
自分ってこういう人間なんだなということである。これが大切だと思う。
ものを書くというのは自分の世界をつくること。ならば、自分を知らなければならない。
書くためにひとと会うなんてあさましいといわれたらそのとおり。
人間をバカにした話である。だけど、そうでも思わないとひとと会うのはなかなかね……。

新年早々文体がおかしいと思われたかたは鋭い。
じつはきのう料理をしながら包丁で指を切ってしまった。
いまだわたしはキーボードのブラインドタッチができず、一本指打法でとおしている。
その一本指を損傷してしまったのである(断わっておくが、指がなくなったわけではない)。
この文章から痛みを感じ取ってほしい。

とりあえず、まあそのなんだな(と突然姿勢を正す)今年もよろしくお願いします♪